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家族のこと - 2010年10月の記事
10/10(日) 22:50
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10/05(火) 18:38
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親思う・・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


10月10日(日)晴



「10月10日は晴天率が高い」と言うことで

「東京オリンピック」の開会式も10月10日にしたと

つい先日ラジオで聞いた。

今日の徳之島は、秋晴れの晴天。

町民体育大会も盛大に行われただろう・・・が、

じじとばばは、もう何十年と参加してない。

応援にさえ行かなくなった。

「10月10日は」ばば家族にとって、特別の日。

「じじ母」の誕生日なの。

結婚以来、去年までは、ばばが島にいさえすれば、

何らかの形で「母の誕生祝い」をしていた。

娘達が小さい頃は、両親を夕食に招待し、娘達が「おめでとうメッセージ」を読んだり

エレクトーンを演奏したり、ささやかなプレゼントを贈ったりして両親の誕生日を祝っていた。

我が家の娘達が巣立ち、両親と、じじ&ばばだけになっても

やはり、両親の誕生日は食事に招待していた。

しかし、ここ4,5年はそれもできなくなってしまった。

年を重ねるにつれ、両親の足腰も弱くなり我が家への階段を上るのがきつくなってきた。

父は、数年前からアルツハイマーを患い、グループホームにお世話になることに・・・

家には母ひとり残され、寂しそうだったが、母の誕生日には食事を作って届けることにした。

今年からは、母の誕生祝いも家ではできなくなってしまった。

6月11日。

たまたまじじが旅行へ発った日、母の体に異変が・・・・・・

救急車で病院へ行き、翌日夜になって軽い脳梗塞と診断された。

約2ヶ月半の闘病生活の末、介護付き老人ホームへ入居した。

現在は車椅子で移動し、食事も自分でできるまでに回復している。

父90歳、母87歳。

ばばは、自分の両親と暮らした年月より、じじの両親と暮らした年月の方が遙かに長くなった。

その間、両親には言葉では言い表せないほどお世話になり可愛がってもらった。

じじと出会わせてくれたのも父だった。

ばばが38年間、転職と信じた仕事を続けることができたのも、両親のおかげだった。



結婚と同時に仕事を辞める女性が多かった時代、

父は「ばばちゃん、これからの時代は女性も働く時代になるよ。

母ちゃんと、父ちゃんもできるだけ協力するから

ばばちゃんが、辛い、キツイ、もう駄目だと思う時はいつでも仕事は辞めて良いから

仕事続けてみたら」と言ってくれた。

当時、父は中学校に勤めていた。

結婚してすぐ、じじとばばは加計呂麻で勤務することになった。

1年後、長女が誕生し、ばばは仕事も続けたかったが長女の面倒を見てくれる人が無く

途方に暮れていた。

その時、父から電話があり「自分たちが責任もって育てるからハナ(長女)は

島へ連れておいで」って・・・・

迷って迷って、泣いて泣いて・・・結果仕事を取ったばば。

長女を手放したのが、生後三ヶ月から。

そして次女が誕生したが、ばばが「破傷風」になったり、また面倒見てくれる人が無くて

次女も1歳6ヶ月から父と母が育ててくれた。

両親ともすでに50歳後半だったが、良く乳飲み子二人を育ててくれたものだと

感謝すると共に吃驚する。

うちの娘達ばかりでなく、徳之島で仕事をしていたじじ妹夫婦の子も2,3人一緒に面倒を見ていた。

ほとんどが一才違いの孫4,5人をよく世話できたものだ。

ひきつけを起こしたり、高熱を出したり、おできができたり・・・・

お風呂に入れたり、散髪したり、食事をさせたり・・・・・

両親が協力したからこそできたこと。

両親とも、孫達を我が子のように、いや、それ以上に可愛がってくれた。

一番多い時は、7人の孫の世話をしていたことになる。

母が食事の準備をする時は父が孫を散歩に連れて行ったり、

父が次々と孫を風呂に入れ、母が着替えをさせたり・・・

父は教職の傍ら、朝夕は農業をしながら孫の世話をしてくれた。

だから、我が家の娘達も「じいちゃん・ばあちゃん大好き!」で育った。



最近、特にばばは、じじに「今の生活があるのは誰のおかげ?」と良く問う。

数年前まで、じじは、娘達に「今、あなた達がこんな生活できるのも、お母さん(ばば)が

お父さん(じじ)と同じように働いてくれたからだよ」とよく言っていたけれど、

そのばばを支えてくれたのが、じじとじじ両親だった。

だから、ばばが「今の生活があるのは・・・?」と問うのは

改めて両親への感謝の気持ちを持ちたいと、じじにもわざと答えさせたいのだ。

じじ両親がいなければ、いても「孫育て」に協力してくれていなければ

ばばは働けなかっただろうし、今のような平穏な生活はできなかっただろうと、いつも思う。



だから、ばばにとっては「じじ両親は神様」なのだ。

その両親が、今は病院と、施設にお世話になっている。

父は、会話もできず、呼びかけに反応することも少ないけれど

ばばが「お父さん!」と呼びかけると10回に一回ほど返事をしてくれる。

返事があろうが、無かろうがこれからも、、ばばは毎日病院のベッドの横で

「お父さん」と呼び、話しかけようと思う。

母は、まだ意識はハッキリしているし会話もできるので

できるだけ毎日母を訪ね、母の話を聞いてあげたいと思う。



今日は、母と会いに行ったら、もう昼食が始まっていて、

あまり会話はできなかった。

耳元で「お母さん、誕生日おめでとう」と言うと

「ありがとう。ありがとう。ごめんね。何も手伝いできなくて」と答えた母。

施設に入ってさえも、ばばの手伝いを何かしたいと思っているんだね。

「親思う心に勝る親心」と言う言葉が、ばばの胸を去来したよ。






帰り際、ばばは母の部屋へ行き、

ベッドに母の好きなゼリーと、ミカンと、お煎餅を小さなカゴに入れて置いた。

「お母さん、お誕生日おめでとう。今まで私たちに尽くしてくれたから

これからは、私たちに、うんと甘えてね。じじ・ばば」という手紙を添えてね・・・・



家に帰ると、娘から「ばあちゃん誕生日おめでとう」で始まるファックスが届いた。

明日、届けよう・・・・

母は、また「ありがとう、ありがとう」って言ううだうな・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

じじの東京土産

by ばばの日記

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10月5日(火)晴



所用で上京していたじじが 昨日10日ぶりに帰って来た。







在京中は自分で刺身を買い、ばばがいつもするように野菜類も買って千切りにし



食事後の洗い片づけまでしている。



帰って来て、夕食後「東京でのことを思えば何のこれしき!」と言いながら



自分が食べたあとの食器を片づけた。



(可愛い子には旅をさせよ)と昔から言うけれど



(憎たらしい怠け者じじは東京に行かせろ)って諺でも作ろうかな?






さて、上京中、じじが一番足繁く通う場所。



それは秋葉原。



行けば行ったで様々なパソコン部品や、



ばばから見たら細々雑多で訳の分からないものを買って来る。



買って来ては、せっせと自分のパソコンを修理したりバージョンアップしたり



生き生きしているじじ。



ばばから見たら、何が何だか分からない線や板や箱?だけど、



じじにとっては二つとない「楽しいオモチャ」。



変身させ、改良し、めでたし、めでたし。







そんなじじに、島に帰る数日前からは意図的に



「そろそろばばの分もお土産など買ってよ〜〜」と言っていた。



「何が欲しいの?」と聞かれて



「例えば、パソコンとか、テレビとか・・・・・」と言っていたのだが・・・・・









昨日帰って来たじじ、ばばに何をお土産に買ってきたと思う????



どこから拾ったのか分からないけれど



ドングリ????それとも、シイの実???13個を茶封筒に入れて持ってきた。







何とまぁ〜〜〜。呆れて?いえいえ嬉しさのあまり、ばばはついポロリ。。。



何がって?涙が〜〜よ、もちろん!



それにしても、広い東京の何処で拾ってきたんでしょうね〜〜。



少なくとも、拾う時はばばの顔を思い出しながら拾ったんでしょうね〜〜。





ばばが仕事をしていた時は、東京からドングリをドッサリ拾ってきてもらったことがあった。



島で大量のドングリを何処へ行けば拾えるか分からないので電話でお願いしたの。



東京では、公園などにいくらでも落ちている所があるのよね。。。。



ドングリついでに紅葉した木の葉も拾ってきてもらって



生活科の時間に、子ども達を喜ばせてあげることが、できたんだったよな・・・



何はともあれ、「あ〜りがたや〜、ありがたや〜」。





ばばには超サプライズ???ドングリ13個のお土産だったけど



自分は携帯電話も買い換えてきたんだよね〜。



じじは、もう6,7年も同じ携帯使っていたからね。



新品の携帯で、夕食時、娘に電話をした。



じじが話した後、「ばばに代わるね〜」と電話を渡されたので



ばばも色々話していると、横から「じじの新品電話であまり話さないで、



自分の携帯で話せばいいのに・・・」だって。



普段携帯などに執着しないじじが、新品電話をとても大事に思っているらしい。



ハイハイ、わかりました!



もう、じじの携帯は使いませんからね〜。



ばばだって、自分の携帯が使いやすいんだもん!



色だって、ばばの携帯が可愛いもんね〜〜。





じじは、ばばより10ヶ月遅れで携帯新品にしたから



確かにデザインとか一寸格好いいかも知れないけど



機械音痴のばばにとって、使い慣れた自分の携帯が一番!ですよ〜〜〜〜〜。

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