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家族のこと - 2012年3月の記事
03/13(火) 14:10
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ばばが尊敬する人

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月13日(火)曇り時々晴れ

3月13日、今日はばばが大好きだった父の20回目の月命日。

20年前の3月13日・・・・13日の金曜日。

職場の遠足だった。

もう何回もブログに書いているけど、ばばが子供達に

「今日は13日の金曜日。西洋では・・・」と話し、最後に

「怪我などしないように、楽しい遠足にしましょうね」と言って目的地に出発。


ちょうど昼ご飯を食べている時、職場に残っていた同僚が車でやってきた。

そして、緊張した面持ちで「ばばさん、お父さんの具合が悪いそうですので

すぐ、帰って下さい」と・・・・

その後は、無我夢中。

実家に帰り着いたのは、知らせを受けて約2時間後。


家の周囲の草取りをしていて、ちょっと疲れた一休みと横になった父。

しばらくして、母が一緒にお茶でも飲みましょうと

声をかけたが返事がなく、覗いてみると既に・・・・・・

何とあっけない。。。。。。


大好きな大好きな父だった。

明治生まれの父は温厚で、我が儘いっぱいだったばばを叱ったことは生涯なかった。

又、父の荒い声や言葉を聞いたこともない。

言葉には出さなくても、父の動作や後ろ姿を見て

ばばは反省したり、思うこともたくさんあった。

父が兄や姉を怒っているのも見たことが無い。

もし怒っていたとしても、穏やかに言い聞かせていたのか?

それとも、他の兄姉の前では怒らなかったのか?

一番我が儘なばばを怒らなかったんだから

ばばよりはずぅっと従順で働き者だった兄や姉を怒ることはなかったのだろうと思う。

我が父ながら「神様のような人」だとずぅっと思っている。


父はよく働いた。

朝は、薄暗いうちから田畑へ出かけ、夜は星を見ながら帰ることが多かった。

ばばは、朝は父と一緒に出かけたことは記憶していないけれど

仕事を終え帰る時は、牛が引く荷車に乗って星空を見ながら帰ったことが何度もある。


父は口数が少なかった。

でも、父が話す一言は多くの言葉を要さなくても、ばばの胸に響いた。


父は読書が好きだった。

80歳を超えてもなお月に月刊誌3冊ぐらいと本2冊くらいは読んでいた。

ばばの実家集落には書店がないので、ばばが毎月買って届けた。

雑誌や本を届けた時の、父の嬉しそうだった顔。。。。今でも思い出す。

そして、読んだ本に書いてあったことなどをよく話してくれた。


父は器用だった。

若い頃は、畳表を自分で織り、自分で畳を作っていた。

印鑑も自分で作っていた。

また、海岸に打ち上げられる浮きとか、枯れ枝とか珊瑚とか木の実とか拾ってきては

家にあるものと組み合わせ、干支の飾り物などを作ったりしていた。

父に創作能力があると思ったのは、父が70歳前後の頃からだった。

また、盆栽作りの名人だった。

イソマツ・マッコウ・テンバイ・ソテツ等々、父の手にかかれば

非の打ち所のない見事な形に整えられた。

父が育てていたテンバイに一目惚れした園芸愛好家が

「300万円で譲って欲しい」と言ったとき、きっぱりと断ったそうで

今でも、じじ・姉・ばばで父の「自分が育てた植物を愛する父」を賞賛する。


父は、我が子や孫を無償の愛で包み込んでくれた。

これも、語りぐさになっているが我が家の三女が

金管バンドや、ジャズバンドでコンクールや発表会に出る時は

必ずばば両親にも前もって知らせていた。

船で出発する三女を見送ろうと思った父の行動を聞いて涙が出た。


何と父は、実家近くで海がよく見える高台へ行った。

もちろんいくら声を張り上げても、孫である我が家の三女に届くはずもない。

そこで、沖行く船に何とか気づいて欲しいと、焚き火をし狼煙?をあげて

合図を送り続けていたそうだ。

「Hちゃ〜〜〜ん、頑張っておいでよう〜。

じいちゃんは、ここで見送っているよ〜〜〜」

と言う声を狼煙に託していたのだろう。。。。。


口数は少なく、孫達ともあまり声高に話すことはなかったけれど

我が家の三女は花徳(ばばの実家)のじいちゃん大好きだったし

父の思いは、きっと三女に伝わっていたと思う。


自分の身内を褒めて書くのは恥ずかしいことだけれど

ばばは、それ以上に何とか父への思いを書き残しておきたい。


父が元気な間、何だか照れくさくて、面と向かって「ありがとう」とか

「大好き」と声に出して伝えたことはない。

「親孝行、したいときに親はなし」の諺通り

何の恩返しも出来なかったけれど、ばばは世界一父が好き。

(世界一はひとりのはずだけど、ばばには世界一がまだまだいるんだよ〜)

父がばばに向かって「大好きだよ」って言ってくれたことは無いけれど

ばばが20歳を過ぎた頃

「ばばは、結婚させずにずぅっと手元に置いておこうかな?」と

父がポロッと漏らした一言が、ばばに対する愛情の全てを表していたと思う。


その後、数年してじじと結婚したけれど

じじが、ばばの両親を我が親以上に大切にしてくれたので

ばばがお嫁に行っても、「頼もしい男の子がひとり増えた」と両親は喜んでいた。


父に「大好き!!!!!!!!!!!!!!」って伝えると同時に

じじにも「ありがとう!!!!!!!!!!」って伝えなきゃ・・・・


奇しくも、今日父の命日に、実家関係のことである方が午前中我が家へいらした。


お父さ〜〜〜ん、これからも、ばばはあなたの娘として

恥ずかしくない生き方をしますからね〜〜〜。

お母さんと一緒にずぅっとばば家族を見守っていて下さいね。


お父さん、お母さん、ばばはあなた方ふたりの子供として生まれて幸せです!

ありがとう。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば


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