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家族のこと - 2009年9月の記事
09/28(月) 11:21
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09/15(火) 20:45
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09/01(火) 16:36
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○○を、じじがやれば・・・・・

by ばばの日記

9月29日(火)晴れ時々曇り

何もしない人が○○すれば・・・・・とんでもない結果に。。。。

一昨日のことだ。

ばばは、両親宅の掃除をしていたので家にいたのはじじ一人。

夕方、じじが両親宅へ下りてきて

「ばば〜、今日は刺身買わなくていいよ。Yさんが魚持ってきてくれたから」という。

Yさんと言っても、名前は分かるけれど、ばばはあまり知らない人だ。



ばばにそれだけ言って自宅へ戻ったじじが、しばらくして又下りてきた。

手にはダイナミックに切った刺身を入れた皿。。。

母もじじに負けず劣らず刺身は大好きなので、じじからお福分け。
(以前、ラジオでお裾分けのことをお福分けと言ってもいいということを聞いたので使ってみた)

男の料理らしく、「ぶった切った」という表現がぴったりなほど分厚く切られたサワラの刺身。

母も嬉しそう。。。。

じじって、思いやりあるね。


ばばもさっさと片づけを終わって2階へ上がった。

表の間のテーブルにばばのマグカップが置かれている。

その中には飲み残されたコーヒーが3分の一ほど。

その傍らにはシュガーポットとじじのおやつのお菓子の数々が。

察するにじじはお客さんにコーヒーを入れて接待したらしい。

偉いねぇ〜じじ。

。。。。。と思いながら片づけようとしたが、

なぜかマグカップの傍らに置かれたアイス専用「ポーションコーヒー」の袋が気になる。

そして、空のポーションコーヒーの容器も。

コーヒーメーカーにも少しコーヒーが残っている。


台所で洗い片づけながらも気になって仕方がない。

(じじ、まさかポーションコーヒーを2個くらいカップに入れて

そのまま飲んだのでは?だとしたらさぞ苦かっただろうな)

それにしてはコーヒーメーカーにもコーヒーが残っているし。。。。。

それで、思い切ってじじに聞いてみた。

「じじ〜、アイスコーヒー飲んだの?」

「いや、ちゃんとホットコーヒー入れて出して一緒に飲んだよ」

「じゃ、このポーションコーヒーの容器はどうしたの?」



じじは、なんと答えたと思います?????

「ミルクの代わりに使ったよ〜」って何事もなかったように平然と答えるじじ。


「じじ〜、これってアイスコーヒー用なんだけど。これをカップに入れて

氷か冷水、牛乳を入れて飲むのよ」

「それ、ミルクかと思った」って。。。。。



まぁ、まぁ、まぁ〜〜〜どうしましょう!!!

なんと、じじはホットコーヒーを入れシュガーポットを出し、

さらにはポーションコーヒーを出し・・・・・・・・


お客様,Yさんはホットコーヒーにポーションコーヒーを入れて飲んだらしい。

じじもじじなら,Yさんも気付かなかったのかな?

ポーションコーヒーの入っていた袋にはちゃんと飲み方も書かれているのに。。。。

さぞかしYさんにとっては、今までで一番苦いコーヒーだったのでは?

よくぞ、疑いもせずポーションコーヒーをホットコーヒーに入れましたね、

じじも、Yさんも。。。。




「道理で、少し苦いと思ったよ〜」とじじ。

じじ、少しだけじゃなくて相当苦かったでしょう。

ばばは笑いが止まらない。

しなれない人が、お客様接待しようとすれば、こんなこともあるんだね〜。

お客様用のコーヒーカップもあるのに、

よりにもよってばば専用、普段使いのマグカップをお客様に出すなんて・・・・

少しはじじを教育しなければいけないかな?



・・・・・・・・・・・と思っていたら、母が

「じじはお父さん(じじ父)と似て不器用でしょ。

お父さんは、できるのと言えば習字を書くことと農業くらいで

家の中のことは、びっくりするくらい何もできない人なのよ」と言う。

母がマラリヤにかかって高熱で体が震えるほどになっても

父は何もできず、気を失いそうになりながらも母は家族のための食事を作ったそうだ。

「お父さんは、コンロのガスさえ、

どうしてつければいいか分からないくらいの人だったのよ」とも言う。

この父にして、このじじありか???


まさか、母が自分たちの悪口を嫁に言ってるとも知らず男性二人は

お昼寝真っ最中かな???

それとも、くしゃみが止まらなくなっているかな???


。。。とかなんとか言いながら、ばばだって不器用に関しては自信がある。

じじがコーヒーがうまく入れられなかったように。

ばばは、じじの工具をうまく使ったりはできないし、

パソコンの積み立てなんか、何回逆立ちしたって部品一つ組み立てられない。

うんうん、絶対自信ある。。。。

・・・ということは、

やはり、じじとばば、うまく役割分担していくって言うことが大事だね!


でも・・・コーヒーの出し方ぐらいはじじに教えておかなくちゃね。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

じじ、何歳になった?

by ばばの日記

9月28日(月)晴れ

じじ〜〜〜、誕生日おめでとう!!!

じじは今日で何歳になったのかな?

今日から後約2ヶ月、じじはばばより2歳年上になるんだよね〜。

今年も、元気で誕生日を迎えることができて嬉しいね。



じじ、もう、そろそろカミングアウトしても良いかな????

ほら、あのこと。。。。。



これからのばばの人生にあっては欲しくないことなんだけど。。。。。。

その、あってほしくないことがあったのは4週間前の夜。




実は、ばばが救急車を呼んだのだ。

毎日のように走る救急車。

あの「ピーポーピーポー」という音を聞くと、ドキッとする。

ましてや夜中、近所で救急車が止まろうものなら、窓を開けて覗かずにはおられない。

実際、近所の方が何回か救急車で運ばれたこともあり、

そういう日は(どうしたんだろう?大丈夫だったかしら?)と

野次馬根性かも知れないが気になる。


救急車やパトカーにはなるべくお世話になりたくないものだといつも思っているのだが。。。


忘れもしない、9月2日、午後10時30分。

ばばはパソコンの前に座ってテレビを見ていた。

すると、突然「ドォ〜〜ン」という音が!!!!

きっといろいろな物を積み上げてある棚の上から何かが落ちたんだろうぐらいに思って

しばらくは気にもとめないでいた。

ところが、何となく胸騒ぎがして自分の部屋のパソコンの前にいるであろうじじを呼んだ。

いつもなら、すぐ「ハ〜〜イ」と返事をするじじの声がしない。

慌ててじじの部屋へ走った。途中、トイレの入り口を見たばばは心臓が止まるかと思った。

じじが、トイレの入り口のボ〜〜ッと座っていると言うより崩れ落ちてへたり込んでいる。

その顔色は夜目でも真っ青に見えた。

「じじ〜、じじ〜大丈夫????」と言いながら必死に声をかけた。

「う〜〜ん」とか細い声で答えるじじ。

次にじじの顔をもう一回見たばばは、卒倒しそうになった。

じじの左眉の横に黒い線が。。。。。

切ったのだ!!!咄嗟にそう思った。

そして、その黒い線をそおっとばばの右手で押さえて離すと

ばばの手のひらが血で真っ赤になっていた。

「じじ〜大丈夫?待ってて」と言いながら慌てて包帯を探し傷口を押さえ

その間もじじに声をかけ続けた。

「救急車呼ぶから!!」と言うと、じじは「大したこと無い、すぐ血も止まる」と言う。

しかし、じじの顔色、物言いから「普段のじじと違う!」と感じたばばは

電話に走って救急車を呼んだ。

家の場所を正確に教え、「なるべくサイレンを鳴らさずに来ていただけませんか?」とお願いした。

「それはできません」と言うので

「それでは、なるべく遠くでサイレンを止めてきていただけませんか?」とお願いした。

ばばの家は、昔の本通りに面していて、スナックなども多く

もし、救急車が止まろうものなら、野次馬がわんさか覗くことは必至。

夜中に、大騒動になってしまう・・・一瞬のうちにいろいろなことが頭をよぎった。

電話後も、じじに声をかけながら救急車の音が遠くに聞こえ始めたら

階段を駆け下りて道へ出、手を振って救急車の方に合図した。

運転手さんを含めて3名が駆けつけてくださった。

救急救命士さんたちは家の中に入り、じじに声をかけ、

どういう風にして担架でじじを下へ運びおろすか相談している。

ほとんど朦朧としているじじはとても重いらしい。

食事をするテーブルの横から運び出すか、座卓の横から運び出すか・・・・

結局、座卓をどかせてそこから運び出すことに。

でも。玄関に降りて階段を三段ほど下り、その後方向変換をして

又階段を15段ほど下りなければ道路に下りられない。

階段もけっこう急で救命士さんたちも大変そうだ。

彼らもじじの声をかけ続けてくれている。

じじは何かしら答えてはいるようだが会話にはなっていない。

道路に出ると、案の定、近くのスナックやご近所の二階などから

たくさんの人が救急車を覗いている。

お隣さんは車のそばまで来て一緒にじじの乗った担架を救急車に乗せてくれた。

ばばはそのまま救急車の乗り込むべきか、自分の車で行くべきか迷ったが

結局、自分の車で救急車の後を走った。

病院までわずか1分もかからないほどだった。


午後11時45分。

すぐに救急治療室にじじは運び込まれ、血圧を測り心電図を撮った。

お医者さんも看護師さんもテキパキ動いた。

「先生、大丈夫でしょうか?」とばばが聞くとお医者さんは「大丈夫ですよ」と・・・・


良かったぁ〜〜〜。ばばは全身の力が抜けたようになった。



「処置をしますので廊下で待っていてください」と言われたので指示に従った。

その時になって救急救命士さんたちの姿が見えないことに気付いたばば。

パニックになって、しっかりお礼も言わずに・・・・と悔やんだが後の祭りだった。



約20分後、お医者さんが出てこられ「もう大丈夫ですよ。

何針か縫いましたがおそらくきれいに傷口はふさがってくれるでしょう」と言ってくれた。

その後ばばを室内に呼んでじじが倒れた時の様子など詳しく聞いたので

なるべく詳しく話した。


このときほどお医者さんが神々しく見えたことは久しくなかったばば、

「有り難うございます」と何回も何回も頭を下げた。

「念のため、点滴をしましょう」と言われ、じじは点滴室へ運ばれた。

そこで、約1時間かけて点滴をした。

その頃になるとじじも正気づいて、

「僕一体どうしたんだろう。全然記憶がない」と言う。

救急車に乗せられたらしいことは分かったらしいが

救急救命士さんたちがなんと言ったのかなど全く記憶に無いという。

しばらく意識不明になっていたらしい。

点滴を受けながら色々話したが、トイレに行こうと思って

トイレの前まで行ったところで、急に意識を失ったらしい。

「ドォ〜〜ン」という音は、じじがトイレの入り口の柱の角に

頭をぶつけ、へたり込んだ時の音だったのだ。


点滴は順調に進み、午前0時25分頃には終わった。

じじも元気が出てきたので、ばばの車で自宅へ戻った。

その時も、お隣さんが駆けつけてきて「じじさん、大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。

その時、じじは履き物も履かずに救急車に乗ったので裸足のままで

裏階段から自宅へ上がっていっていた。


家に着くとじじは「傷口がドックンドックン、脈打つように痛い」と言っていたが

いつの間にか寝ていた。

じじの普段と変わらない寝息を聞きながら「良かったぁ〜本当に良かった」

と改めて思った。


いつも他人事のように聞いていた救急車の音。


今回ばかりは当事者として救急車にお世話になってしまったじじとばば。

夜中でもすぐに駆けつけてくれて、本当にありがたいですね。

それに、病院でも、すぐお医者さんが対応してくれてありがたかった。


じじは翌日、傷口の消毒に行き5日後には抜糸し、順調に回復した。


じじのこのアクシデントを高齢の母には心配かけては・・・と内緒にしていた。

でも、周囲から情報が入るのはいやだから3日目にじじが自分から話した。

母もびっくりしたが、その晩で帰れるくらいだったし

何も心配いらないからね〜〜〜と強調した。

実際元気なじじが目の前にいるわけだし、母も安心したよね。


しかし、それから約1週間たって、親戚のおばさんがすっ飛んできた。

「じじさんが前の病気が再発して救急車で運ばれたんだって?」と心配げに話すおばさん。

じじが救急車で運ばれたことが色々な憶測と噂に尾ひれがつき

町を駆けめぐったようだ。

事実を話すと「あっ、そう。それは良かった。本当に心配したんだよ」って。

噂、「人の口」って怖いものですね。


こんなアクシデントがあったが、じじは先日も上京し

無事定期検診を終えて帰ってきた。


そして・・・今日は誕生日。

朝起きて、真っ先に「じじ〜誕生日おめでとう!」って言ったよ。

じじは、びっくりしたみたいだったけど

午前中に娘たちから「ハッピーバースデイ」メールが入り嬉しそう。

何歳になっても、いや、年を重ねるごとに

元気で誕生日を迎えることができたことを感謝しなければいけないなと思うようになった。


今日は、ささやかながらお赤飯を炊いて(じじはあまり好きではないらしいが・・)

お祝いしようと思う。

さぁ、そろそろ赤飯が蒸し上がったようですよ〜〜。



いつもは、じじにさんざん減らず口を聞くばばだが

今日だけは、特別。

じじのわがままも少しは聞いてあげようかな?

夕方の刺身買いにも、文句言わずに行くからねぇ〜。


周囲からはいつも「若い」と言われるじじだけど

これからは今まで以上にお互い健康に気をつけて生活していこうね。

そしていつまでも仲良く、娘たちのお手本となれる「親」「夫婦」でいようね。


面と向かっては言えないけれど、

「じじ、いつも家族を優しく包んでくれて有り難う!」

特に欠点だらけのばばを叱ることも、怒ることもせず

優しくフォローしてくれてありがとう!!!

これからもよろしくね〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

by ばばの日記

9月15日(火)曇り時々小雨

父がお世話になっているグループホームへ面会に行った。

ちょうど昼のお茶の時間で入所者は全員食堂に集まって

お茶屋おやつを頂いていた。

父は目をつむって口をもぐもぐもぐ動かしていたが

耳元で「お父さん!」「お父さん!」と何回か呼ぶと

「ハイ!」と返事をして目を開けた。

でも、ばばを認識しているようではなかった。

目の前に、先日ばばが届けた栄養剤を入れた吸い飲みがあったので

飲ませようと父の口元へ持って行った。

口をもぐもぐするだけでなかなか開けてくれなかったが何回目かに口を開け

栄養剤を飲んでくれた。

一口入れては何十回も口をもぐもぐもぐ。その間も目はつむったまま。

「お父さん!」と耳元で声をかけながら僅か100ccくらいの栄養剤を

30分くらいかけて飲ませた。

父と同じ棟の入所者は男性2名、女性6名らしい。

とっくにおやつを食べ終わっていた7名のおじいちゃん・おばあちゃんが

父と、ばばの一挙手一投足をじぃっと見ている。

父の隣に座っているおばあちゃんは

「お父さんって呼んでくれる子どもがいるって幸せだね」と何回も言う。

そして、ばばに「親孝行したら、その徳はきっと自分に返ってくるよ」とも。。。。

親孝行も何も、ばばが父にして貰った事に比べたら

今、父と面会に行く事ぐらい何でもない。


父はばばとじじを引き合わせてくれ、

仕事を続けるばばに協力できる事は骨惜しみせずやってくれた。

ばばの娘3人を親代わりになって育ててくれた。

父がいかに孫を可愛がったかは語り草にさえなっていた。

父の時代だから出来た事だろうが・・・・・

町なかを孫(うちの長女)を背中に負ぶってバイクに乗り

組合活動をしたそうだ。

又、夏休みには孫を職場へ連れて行き上司と遊ばせたりもしたそうだ。

父の上司も子ども好きだったのだろう、

文句も言わず娘たちにおやつなど下さったそうだ。


父は、自分の事はさておいて子どもや孫のことをしてくれた。

厳しく四角四面な父が、孫たちの前では好々爺になりきっていた。

80才頃までも毎朝4時か5時には起きて習字の練習をし、

それから弓を引きに行き、帰ってくると畑仕事で汗を流していた。

身軽で走るのも速く、お正月には家の前の大通りを孫と徒競走をしたりもした。


父は習字が得意だったが「習字は年取ってからでも上手になれる。

でも、ピアノなどは小さいうちから練習させた方が良い」と言っていた。

父は30才くらいで教師になったそうで、初めは小学校勤務だったので

オルガンを弾かなければならない音楽は相当苦労したそうだ。

習字は、毎晩蚊帳の中で練習したと聞いた事がある。

傍らで母が墨をすり、父は一心に練習したそうだ。

その頃の習慣からか退職後も早朝から習字を書いていた。

後日、父の勉強部屋に行くと

1枚の紙が真っ黒くなるまで練習した紙が何百枚も積まれていて

父の努力を目の当たりにしたばばだった。


そんな父が80才を過ぎる頃から物忘れがひどくなり

だんだん身の回りの事が出来なくなっていった。

「あのお父さんが・・・・」という思いは今でもある。


今、ばばが出来ることは少しでも多く父のところへ通い

優しく声をかけてあげること。

明日は9時過ぎには会いに行こうと思っている。


父と暮らして36年。

先日9月1日、父は89才になった。


ここ数年、年をとるとは、こういうことなんだと

父は身を以てばば達に見せてくれている。



壮絶な老いとの闘い。。。。

誰も避けて通る事の出来ない刻々と近づく「老い」。

怖いけれど・・・・反発しながらも受け入れざるを得ない「老い」。


昨今は何故かマイナス思考になっている自分に気づきハッとするばばだ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

お父さん、わかりますか?他

by ばばの日記

9月1日(火)晴れ

今日から9月。

島では昔(・・と言ってもいつ頃からかは分からないが)から

「1日(ついたち)、15日はお墓参り」をする人が多い。

ばばも昨日から考えていたので、今日は姉と二人で出発。

いつも詣るのは長姉のお墓・ばば実家のお墓・姉の嫁ぎ先のお墓の三カ所。

花や水を替え、雑草を抜き、お線香を立て合掌、最後にホーキ目を立てて終わり。

実家のお墓ではいつも今は亡き両親が目の前にいるような気がして

心の中で色々語りかける。。。。。。


墓参りが終わって、久しぶりに実家へ行った。

庭や裏の畑を見回った。

ビックリしたのは、父手作りの梯子が池に横たえられていた事と

鍵をかけた後、角材で外の戸が開かないようにロックしてあるのだが

その角材が途中まで引き抜かれていた事。。。。

近所の子どもたちが悪戯でもしたのか?気になる。。。


過日シロアリ駆除をして畳も上げたままだったので、その畳を敷き込むか見るために

室内に入ったのだが、何と表の間と寝間の床下に水が。。。。

どこから水が流れ込んでいるのか???

シロアリ駆除をしてくれた人が床下に水が入り込んでいると教えてくれたのだが

2ヶ月くらい経っても乾燥していないという事は今でも水が入っているという事か?

原因は?

どうしたらいいんだろう?


住む人がいなくなったばばの実家。

もう10年以上空き家だ。

「売ってくれ」「貸してくれ」という声もあったが

ばばは自分の生まれ育った家を他人任せにしたくなくて

ずっと管理してきた。

しかし、築40年も経つと家はボロボロ。

今まで防水工事、シロアリ駆除、外回りの木の伐採、

父が丹精した庭木の伐採などしてきたが、

家その物がボロボロになったらどうしたらいいんだろう??

現に押入の棚板も崩れ落ち、床板もポコポコになった場所があり、

細い柱が倒れそうになっている所もあった。


手を入れ、これから住むつもりはない。

でも、このまま朽ちさせるのは心痛む。

ばばの心は「進むも地獄、退くも又地獄」状態だ。

「お父さ〜ん、お母さ〜ん、どうしたらいいの〜〜〜」と叫んでも

当然ながら答えてくれる声はない。



今まで大部室内の整理はしてきたが、これからは残りの部分の整理もしておかなくちゃ。。。。



9月1日は「防災の日」。

朝からテレビやラジオで防災関係の放送が繰り返されている。

学者などの話を聞くと「準備して置かなくちゃ」と思うものの

数日経つとすっかり忘れて地震や自然災害が起こると、

その時は真剣に考えるが年に何回かしか防災について考える事はない。

「普段の準備が大事」と分かってはいるんだけど。。。。



9月1日はじじ父の89回目の誕生日。

お父さん、誕生日おめでとうございます。

この声はお父さんの耳に届きますか?

心に届きますか?



去年から父はグループホームに入所している。

たまに面会に行ってもじじやばばの事も忘れてしまっているようで寂しく思う。


几帳面で善悪の区別をきっちり付け、「悪いこと絶対しない、家族にもさせない」父だった。

じじと巡り合わせてくれたのも父だった。

自分の事よりまず子どもたちの事を優先してくれた。

目の光が強くキリッとしているので初対面の人には怖い印象を与えがちな父だが

じじと結婚して40年近く、ばばは父から大声や怒声を浴びせられた事は一度もない。



大正生まれで戦争の実戦にも参戦したという父。

参戦時近くで爆発があり、その後遺症で片耳が不自由になった父。

何より家族を愛し、教師をしながら農業もし、弓や書道を楽しみとした父。

ばばの料理を大袈裟とも言えるほど褒め、

口数は少ないけれど愛情深く孫たちを子ども以上に可愛がり育ててくれた父。

品行方正で正に理想の父だった。


そんな父も寄る年波に勝てず数年前から徘徊したり、

自分の身の回りの事さえも出来なくなってしまった。

日々別人のようになっていく父を身近で見ている事は辛かった。

幸い施設に空きが出来て入所できたが、入所後はさらに父の上で時間は急速に過ぎた。

家族の事も、自分の事さえ分からなくなっているのでは?と、たまに思う事がある。


「老い」は誰も避けて通る事は出来ない人生のレールだ。


父と過ごす時間はあとどのくらい残されている事だろう?

少しでも父が心安らかに過ごせるように見守っていきたいと切に思う昨今だ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば


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