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12/27(火) 11:18
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12/25(日) 09:27
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12/25(日) 09:24
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12/24(土) 09:22
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12/23(金) 14:46
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顔合わせ

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


12月27日(火)曇り
25日、クリスマスは新しい出会いがあった。
すみれ

その10日ほど前、知人のHちゃんから電話があり

「姉が、叔母を連れて帰ってくるから、親戚顔合わせをしたいって。

だから、ばばさん夫婦にも声をかけてみてねと連絡があったけど

どうかしら?25日の晩なんだけど・・・」と打診された。

せっかくのお誘い、喜んでいくことにした。



何名くらい集まるのかなぁ?

都会からは、何名くらいいらっしゃるのかなぁ?

ばばに手伝えることはないかなぁ?

電話の後、ばばなりに色々考えた。

Hちゃんのお姉さんは、都会暮らしだけど

数年前に亡くなったお父さんの妹さんに付き添う形での帰省らしい。

当日、午後からの便で帰って来るという。

ばばは、じじの親戚関係は未だにあまり詳しくわからない。



Hちゃん姉妹のお父さんのお名前は、じじ両親からも聞いていたけれど

直接話したことはほとんどない。

Hちゃん姉妹も名前は聞いていたけど、直接、ゆっくり話したのは

3年前、義父が亡くなったときに、弔問に来てくれた時からだ。

それからしばらく経って、Hちゃんのお姉さんご夫婦が帰省した折り、

我が家に寄ってくれ、ご主人とじじは意気投合。

それ以来、じじのことを「じじ兄」、ばばのことを「ばば姉さん」と

親しみを込めて呼んでくださり、お付き合いは続いている。



今回、ご主人は帰省せず、奥様のOちゃんだけが帰省するという。

Oちゃんは、顔合わせの当日午後の便で帰省するという。



当日、ばばはHちゃんに電話してみた。

「何期かお手伝い出来ることはない?」と。

「豚骨等煮てあるから大丈夫ですよ」との返事。

じじに「Hちゃん達の親戚に、お手伝い出来る若い方っているかなぁ?」と聞くと

「うぅ〜ん、いないんじゃないかなぁ?」と答えた。

じゃぁ、ばばも何かおやつでも、おつまみでも作って行こうかな?」と言うと

きっと喜ぶと思うよ」とじじも言うので、急遽大奮闘。

ふくれ菓子をカップ36個分と、切り分けられるような直径26センチ位のを作り

ドーナツと、はったい粉餅を作った。

もしかしたら、野菜料理が少ないかもしれないと思ったので

桜の木に巻き付いて実を付けていた大小のゴーヤー4個を収穫し

卵や蒲鉾、ニラなどを加えて、チャンプルーを作り、ついでにピーナツ味噌を作り

ほうれん草が沢山あったので茹でて、人参や白菜で暈増ししごま和えに・・・

さて、作ったは良いけれど、どのようにして持って行こう?

結局は盛り皿が一番良いかなと、詰めてみたら隙間が出来る。

さて、隙間をどう埋めよう?と考え、ニラや人参を入れた厚焼き卵を作って入れたら、ピッタリ。



野菜料理?の盛り皿と、おやつ類とデザートにミカン数種類を準備して

一足先に届け、定刻6時半にHちゃんの実家に。

ばば達が一番乗りだったようで、玄関先で迎えてくれたHちゃん姉妹が

ばばに向かって「本当にありがとうね。ふくれ菓子もはったい粉餅も

何個も何個も試食しているよ。どれも、みんな美味しい〜」と

喜んでくれた。

次々お客さんも集まり、Oちゃんが、この集いの趣旨などを簡単に話して

初めて会う人たちを紹介してくれ、その後、開宴。

都会からいらした方が6名ほどで、あとはじじばばを含めて8名ほどの島の人たち。

ばばは、その島の人たちでさえ親戚とは知らず、

話したことのある人もほとんどいなかった。

ばばも、Hちゃん姉妹と一緒に料理を運んだり、時々お喋りに加わったりしながら



Oちゃんは、夕方5時頃帰省して、すぐに「ちらし寿司」を作ったり、

デザートを準備したりしてあって、手際の良さにびっくり!

Hちゃんはバナナケーキや、豚骨や野菜類の煮物を作ってさって、

豚骨も艶々で美味しそう!

ばばの盛り皿も真ん中に出されて、皆さん、次々に箸を伸ばしてくれ嬉しかった。

今時のゴーヤーも珍しかったのかな?

80歳を超えたHちゃん姉妹のおばちゃんも、ピーナツ味噌をお代わりまでしてくれ

ご高齢なのに、歯が丈夫で良いなぁ〜この、おばあちゃんにとって

ピーナツ味噌って「ふるさとの味」になってるのかなぁ・・・とか思った。



食事をしながら会話も弾み、そのうちにギターが演奏され

それに併せて懐かしい小学校や中学校の校歌を歌い

懐メロを歌い、宴は盛り上がっていった。

宴もたけなわの頃、また一人お客様があり、その方は三味線の名手で

またまた三味線伴奏に合わせて校歌やら懐メロ合唱。

ギターと三味線がコラボして、ますます賑やかになった。



ギターだけの時は小学校校歌の3番の途中からの歌詞が

誰も思い出せなくて、同じ場所で堂々巡りしていたけど

三味線名手Kさんが演奏しながら歌うと、何故か突然その歌詞も出てきて

みんなでビックリしたり、笑いあったり。。。。



楽しい楽しい時間は過ぎた。

じじとばば、家を出る時は「8時半か、遅くても9時には帰ろうね」

と言いながら出たのに、あっという間に9時を過ぎ・・・

ばばは、その晩どうしてもやらなくはならない仕事があり

Hちゃん姉妹にそっと目で合図して、退出した。



じじも何とか帰宅させようと電話したが、携帯は家においたまま・・・

仕方ないので、自分の仕事をしていたら、10時過ぎ、真っ赤な顔のじじ帰宅。

楽しすぎて、ついつい飲み過ぎ?

聞くと、普段飲まない清酒までいただいたそうで。

でも良いよね、初めての親戚の顔合わせ。

じじは、島の方はだいたい顔は分かっていたみたいで、

楽しそうに話し、歌っていた。

ふだんは、じじとばば二人っきりの生活だけど、たまには賑やかな席、楽しいね。



ばばは、今までは親戚とさえ知らず、顔も分からず話したこともなかった方々との

初顔合わせで、ちょっと緊張もしたけれど、

誘ってくれたHちゃん姉妹に感謝!



親の代は、親しくつきあっていた親戚も、子供の代になると

疎遠になり、顔さえ知らない・・・という関係になることが多いけど

今回の集まりで、Hちゃん姉妹とのご縁は深まったと思う。

思い切って、参加して良かったなぁ。

※ばばが作ったおやつなどの画像をアップしようとしたら

画像が不具合で画像が取り出せなかったので、12月21に撮影した島のスミレの画像です。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ヒドリガモ(雌雄)

by じじの写真日記

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12月 25日 (日)天気 曇 室温 21.0℃  外気温 18.3℃ 湿度(室内)42% (午前7時30分計測)


 今日はここにも先日諸田池で撮った「ヒドリガモ(雌雄)」の写真をアップします。

ヒドリガモは、全国各地へ冬鳥として渡来するが、島へも少数がこのように越冬に渡来する。

 写真手前後ろ向きが雌で、向こうの横向きが雄



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 ↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2016年12月24日、11:11 徳之島町諸田池沿道で撮影)

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ヒドリガモ(雄)

by じじの動画日記

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12月 25日 (日)天気 曇 室温 21.0℃  外気温 18.3℃ 湿度(室内)42% (午前7時30分計測)


 今朝も大陸からの移動性高気圧に日本列島は覆われて、全国的に照らず降らずの良い天気になりそうだ!

昨日からやや寒の戻りがあり、島でも上着を羽織りたくなる肌持ちになった。

 昨日は諸田池でヒドリガもの番を撮った。



10月の下旬頃渡来して以来、多数派のホシハジロやハシビロガモなどに紛れて存在感が薄れていたが、昨日は沿道の近くで泳いでいた。

ヒドリガモは、全国各地へ冬鳥として渡来するが、島へも少数がこのように越冬に渡来する。


ヒドリガモ(雄)




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人生最大のクリスマスプレゼント

by ばばの日記

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12月24日(土)曇り

今日はクリスマスイブ。
サンタさん

何故かばばは、朝から夜8時半を回る今まで

ほぼ動きっぱなしで、やっとパソコンにも向かえた。



クリスマスが近いと言う事で、2週間ほど前から島のスーパーでも

大きなプレゼントの包みらしき物を抱えた人たちを沢山見かけた。

クリスマスには、ケーキや子供向けのオモチャやゲーム等が

沢山売れるんだろうなあ・・・

ばばが小学生の頃のクリスマスなんて、本当に質素だった。

小学生の何年生だったか、はっきりした記憶には無いが

クリスマスというものがあり、夜にはサンタさんというおじいさんが、

枕元にプレゼントを置いてくれるらしいと友達から聞いた。

(へぇ〜何をプレゼントしてくれるんだろう?)。

物の無い時代、おやつと言えば黒糖か、お芋さんが普通だった。

クリスマスツリーという洒落た飾りもイルミネーションも無かった。

クリスマスイブの晩だからと言って、特別のご馳走も無かった。



クリスマスイブが明けた翌日、期待もせず朝起きて、枕元を見た。

すると!ノートが1冊と鉛筆が数本と天ぷらが置かれていた。

天ぷらは、煮た芋をつぶし、餅米の粉と混ぜ、砂糖で甘みを加え

菜種油で揚げた物だった。

今のようなラップとか、アルミホイルとか、

お洒落な可愛いラッピング用品があるわけで無し

天ぷらは「ざら紙」という薄茶色っぽい粗末な紙で包まれ

紙の表面には油が染み出ていた。

「私の内にもサンタさんが来た〜」と喜ぶよりも

「お芋天ぷら」を見た瞬間に「プレゼントは母が置いてくれたんだ」

と直感した。

だって、お芋天ぷらなんて母が良く作っていたから。

でも、母は、きっとばばが寝た後に気づかれずに

天ぷらを揚げてくれたんだよね。

そして、ノートと鉛筆は、きっと学校で働いていた姉に頼んで

学校近くの文房具屋さんから買って来てもらっていて

昼間は、ばばに気づかれないような場所に隠してあったと思う。

母サンタさんからのプレゼントについて、ばばが友人に話したかどうか

友人達がどんなプレゼントをもらったか、ばばに話してくれたか

そういう事は一切記憶に無い。

その後も、何回かサンタさんは来てくれたと思うけれど

「クリスマスプレゼント」と言えば、

「お芋天ぷらと1冊のノート、数本の鉛筆」だけは、

強烈にばばの記憶に残っている。

この記憶を思い出すと、今でも何故か切なくなるばばだ。



結婚し、娘達が誕生してから我が家でもクリスマスをするようになった。



でも、クリスマスと言えば思い出すのは、やはり長女の事。

生後三ヶ月から、じじ両親に育ててもらっていた長女

じじとばばが徳之島に帰って来てからも、

祖父母を親だと思っていたのか、仕事を終えたばばが帰宅して

両親宅に迎えに行っても、絶対自宅に帰らなかった。

次女はばばに飛びついて来て、一緒に自宅に帰っていた。

ばばより遅く帰るじじが、再度長女を迎えに行くと、寝たふりをして

絶対に自宅には帰らない・・・という意思表示をしているらしかった。



娘が何歳の頃だったか?

4,5歳になっていたかなぁ?

ある年のクリスマスイブの日、いつもと同じように

ばばが長女を迎えに行くと、やはり寝たふりをしたりして

家には帰らないという意思表示をする娘。

その時、じじ父が言った。

「今夜、お家に帰らない子にはサンタさん、プレゼント持って来てくれないよ」と。

これを聞いた娘、さっきまで「家に帰らない!」アピールをし続けていたのに

「お家に帰る!」と豹変。

これには、本当にビックリした。



何と!その日以来、長女は自分の家に帰るようになった。

舅のあの一言が無ければ、娘は、まだまだじじとばばの元には

帰らなかったかもしれない・・・と今でも思う事がある。

もちろん、その晩は、サンタさんが、ちゃんと娘2人に

プレゼントを持って来てくれていたよ。



長女が、じじとばばの元へ帰って来てくれた何十年前かのクリスマスイブ。

このプレゼントが、じじとばばの人生最大のクリスマスプレゼントだったなぁ・・・

サンタさん、本当にありがとうございました!

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オオバンの陸上採餌

by じじの動画日記

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12月 24日 (土)天気 曇 室温 20.5℃  外気温 17.0℃ 湿度(室内)41% (午前8時32分計測)


 今朝も朝日が見えない鉛色の海岸だった!

現在、曇空であるが、これから晴れていきそうな天気だ!


 先日諸田池から陸上へ上陸して採餌している「オオバン」たちを撮った。



オオバンは、冬鳥として島の水辺へ渡来し越冬する。

普通は水上で暮らすことが多いが時々このように陸上で採餌することもある。

 クイナ科の鳥はやっぱりニワトリに近いのでよく似ていますね。


オオバンの陸上採餌


徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

首カックン事件など・・・

by ばばの日記

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12月23日(金)穏やかな晴天

最近、ミカン食べ放題のばば。

「朝の果物は金」と言われるそうで、朝、果物を食べるのが良いらしい。

しかし、ばばがミカンを食べるのは、決まって夕食後。

寝る数時間前に、そんなに食べて良いの?と言うくらい

沢山のミカンを食べる。平均して、5,6個かな・・・

その点じじは節制して、1個くらいで止める。

そして、真夜中、寝る間にもし喉が渇いたら

水分補給を兼ねて、1個か、半個食べるから、ばばより偉いと思っている。



今朝は朝食時、「私は果物が好きでリンゴとミカンは特に好き。

でも、小学生の頃は(リンゴ)というニックネームで呼ばれてた」と言うと

じじが「ホッペがリンゴのように真っ赤な野生児だったんだろう」と・・・

確かに、野生児だったというのは否定しないけど

ホッペが真っ赤っかだった記憶は無いんだけどね。

ニックネームなんて洒落た言い方はせず、「あだ名」と言っていた。

昨日のブログにも書いた通り、学校で男女は口をきく事が、ほとんど無く

「リンゴ」と言うあだ名で呼んだのも、幼なじみのKちゃんだった。

何もリンゴと言われたからって、起こる事も無かろうに

当時(小学校2年生)のばばったら、庭箒を持ってKちゃんを追いかけたのよ。

そして、段差のある校舎の入り口で、一瞬走るスピードが落ちたKちゃんを

背中から箒で叩いたの。

きっと頭だったと思うけど、その時,Kちゃんの首が

「カクン」というような音と共に左側に曲がって

しばらくその状態が戻らなかったの。

子供心にも、Kちゃんの首が折れた!大変な事になった!と

もの凄〜〜く心配になったよ。

Kちゃんが、どうにかなったらどうしよう?と思ってね。



このKちゃんとは家も近く、毎日のように遊んでいた。

中学校卒業後、Kちゃんは大都会へ、ばばは喜界島へ・・・・

あれから約b0年。

未だに年賀状のやりとりをしている。

Kちゃんは「首カックン事件」を覚えているかなぁ〜。

いつか会う機会があったら、

あの事件の事を話してみたいなぁと思っている。



そうそう、最近の子供達って、男女も仲が良いし

一緒に登下校もするし、呼び方も

「ちゃん付け」「君付け」の方が多いのかな?

同性同士は「呼び捨て」の事も結構あると思うけど・・・・



ばば達が小学生の頃は、男女で話す事もほとんど無かったと書いた。

母校のガジュマル
※画像はばばが小学生の頃からずっと子供達を見守り続けている母校のガジュマルです。
女子同士で話す時とかは、同じ集落の男子を「呼び捨て」にしていた。

又、親戚の男子も「呼び捨て」で、上級生の男子には「兄さん」を付けて呼んでいた。

男子も、集落内では、ばば達を「呼び捨て」にしていた。

それが、普通だった。

でも、何故か他の集落の女子を呼ぶ時は、ばば達は「ちゃん付け」で呼んだりしていた。

男子は、やはり「呼び捨て」で、呼んでいたと思う。



中学生になると、二つの校区からの生徒が一緒に学ぶ事になった。

男子の事はあ、あり分からないが、ばば達女子は

隣の校区の女子を呼ぶ時は、必ず「ちゃん付け」だったし

ばば達も「ちゃん付け」で呼ばれた。



昨日のブログにも書いたが、昨年11月、隣校区の同級生、N君が急逝した。

そのお通夜の席には、島在住の両校区の同級生も沢山集まった。

数十年ぶり、中学卒業以来初めて会う同級生もいて

名前も顔も思い出せない男子が多かった。

その時、昨日のブログに書いたM君が、ばばをとなり校区の男子に紹介してくれた。

紹介・・・って言うのも可笑しいかな?

何せ、約半世紀一度も会った事の無い男子がほとんどで

ばばが戸惑っていると、数名の男子が「あ〜ばばちゃん、卒業以来初めてだな。」

とか「ばばちゃんは、今、どこに住んでいるの?」とか話しかけてくれ

M君が、話しかける男子ひとりひとりの名前を教えてくれた。

やっと名前は思い出せたものの、同じクラスになった事が

あるかどうかさえ思い出せなかった。



ばばは、仕事の関係や家庭の都合で、中学卒業以来

同窓会に出た事が一度も無かったから、無理も無いかな・・・と思いつつ帰宅。

数十年ぶり、沢山の男女同級生に会えたのは嬉しかったが

あとひとつ、気づいた事が・・・・



隣校区の男子も女子も、ばばを呼ぶ時、全員が「ばばちゃん」と

「ちゃん付け」で呼んでくれた。

同じ校区の同級生は、男子も女子も「ばば〜」と「呼び捨て」。

呼び捨てにされたからと言って、嫌な気持ちはせず

かえって幼い頃から一緒に学び、遊んだからこそ女子も親しみを込めて

呼び捨てにしていると思うから、かえって嬉しかった。

今更、「ちゃん付け」で呼ばれたりしたら、かえって面食らってしまうかも・・・・



と書きつつ、ばば自身、十数年前まで同校区の同級生男子に呼びかける事が出来なかった。

今更「君付け」も恥ずかしいし、ましてや大人になってからも「呼び捨て」もなぁ・・・



それが、退職した途端、何か吹っ切れたみたいに

同校区の男子にはお店とか、集落内で会う時など

「呼び捨て」で話しかけている自分に、自分が驚いている。



数ヶ月前、あるホームセンターで背後から「おい、ばば〜」と急に声をかけられ

振り返ったら、同級生のF君だったし、

数日前大きな生椎茸を持って来てくれたM君も

庭先で「ばば〜」と呼んでいたし、ばばは「M、上がってコーヒーでも」と

呼び捨てで話していたし・・・

同級生って、良いよね。

親しいからこそ、呼び捨てにもできるんだよね。



小・中学生時代は、何だか反目し合っていたような同級生の男子と女子。

でも、半世紀以上の時間が流れ、今やお互いに呼び捨てでも

親しく会話出来ている。。。

同級生って、良いよなぁ・・・会って二言、三言話すだけで

数十年前にタイムスリップ出来るし、童心に返って会話が出来る。



戦後生まれのばば達、ベビーブームの世代。

中学生時代は、同級生が200名近くいたけれど

現在、島に何名の同級生がいるのだろう?

一度くらい、島内の同級生で集まってみたいなぁ・・・・と思うばばだ。

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