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<< ばばの日記 - 2012年10月の記事 >>
10/17(水) 16:38
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10/16(火) 16:21
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10/15(月) 15:39
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10/14(日) 16:23
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10/13(土) 16:17
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10/12(金) 16:10
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>>ばばの日記の記事一覧

久々のミステリー、他

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


10月17日(水)曇り午後から雨

10月ってこんなに不安定な天気が続くんだった?と思うほど

今年の10月は天気が悪い。

8月末から台風は立て続けに来るし

どこか変だよ、今年の10月の天気。



変と言えば・・・・・本当に久しぶりに

?????な出来事があった。

今朝、ジョギングから帰って来たじじが言った。

「ばば〜、階段の下に素麺が落ちていたよ。

勿体ないから持って来た。

ばばが、昨日の買い物で買った素麺を落としたのかと思って」って。

見ると、確かにテーブルに灰色をした二束の麺が置かれている。

ちゃんと帯も付いている。

よくよく見ると、二束とも一部分が折れて無くなっている。

え〜っ、ばば、素麺なんか買ってきていないよ。

それに、これは素麺ではなくて、蕎麦だと思うよ〜。

じじとばば、普段蕎麦は食べないから、自分で蕎麦を買ったことなど一切無い。

それなのに、どうして、両親宅から我が家へ上がる階段の下辺りに

蕎麦が2束落ちているんだろう?

昨日夕方、大工さん達が帰った後、ばばは施錠に行った。

その時も、階段を下りていったが何も落ちてはいなかった。

・・ということは・・・・昨日夕方から今朝にかけて

誰か?蕎麦を持った人物が階段下を通った?

でも、落ちていた場所から考えると、

我が家から階段を下りきった地点を他人が通ることがあるだろうか?

その地点に来たということは、我が家への階段を上がる目的がないと

考えられないんだけど・・・・・・

ちょっと薄気味悪い出来事だった。



朝食を終えて、再び両親宅へ降りた時、

たまたま知人が来たので、落ちていた蕎麦の話をした。

知人は、いとも簡単に「犬か猫が咥えてきたんじゃない?」と言ったけれど

乾麺の蕎麦2束を犬や猫が咥えてくるのかなぁ・・・・

もし咥えてきたとして、どこから咥えてきたんだろう?

両親宅では勿論無い。

大工さん達の道具は少し置いてあるけれど、

食糧品は置いていないから。

不思議でたまらない。。。。。。

勿論、じじが拾ってきた蕎麦二束は生ゴミと一緒に捨てるけど

気味が悪いよね。

久々の我が家のミステリーだなぁ・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ばばは世事に疎く、「エ〜〜ッ、こんな事も知らないの?」ということが良くある。

その1つがヨーグルトの蓋のこと。

今年の夏休み、ヨーグルトを食べようとしていた娘が言った。

「お母さん、このヨーグルト、開けたとき蓋にヨーグルトが付かないって知っていた?」と。

「知らなかったよ〜」と答えると、目の前でヨーグルト容器の蓋を剥がして見せた。

アラッ、不思議!

全く蓋の裏面にヨーグルトが付いていない。

これまでも同じヨーグルトを何十回、何百回と食べていたのに

娘に言われるまで全然気づかなかった。

普通、ヨーグルトを食べるとき蓋を開けたら

蓋にもヨーグルトが一面に付いた状態の時があるよね。

勿体ないから、スプーンで剥がし掬って食べていたけど

ヨーグルトが蓋にくっつかない工夫がされているヨーグルトがあったなんて

初めて知ったよ〜〜って、何年くらい前からこんな工夫がされていたんだろう?

ばばは、知りませんでした!



あと1つ、7月5日から両親宅のリフォームが始まって

大工さん達へお茶を出す時に、卵をよく使う。

1週間に2,30個はかるく使う時期があった。

そんな時期に・・・・・・1日おきくらいに卵のパックを開けていたんだけど

(パックをどこから開けようか?)なんて考えたこともなかった。

手前から開けるか?

反対側から開けるか?

毎回、どちら側からか無理矢理にパックを開けたいたんだけど、

ある日、たまたまパックを開けようとした時手に何かが触ったので

思い切って横に引っ張ったら・・・・・

あら!一気にパックが綺麗に開いたじゃない!

へぇ〜〜〜!!!!

今までもパックの合わせ目に何か細長く突き出しているような気はしていたんだけど

まさか?これがパック一気開け用の工夫だったとは。

いかにも大発見をしたかのようなばばだったが、じじには言わなかった。

じじは知っているのかなぁ?

聞いてないから分からないけど。

一気に卵パックが開けられるようになったばばは、気になりだした。

卵のパックって、右から開けるのが正式なのか?

それとも左から開けるのが正式なのか?

ばばは黙々と実験を続けたよ。

そして、ついに結論を出した!

卵のパックは、右からも左からも一気に開けられると。

これを考えた人を知らないけれど、よく考えてくれましたね。

世の中、右利きの人もいれば左利きの人もいる。

あの細長い突き出た部分は、

左右どちらからでも開けられるように工夫されているね。

ありがたや〜ありがたや〜。



世の中では、ほんのちょっとのアイディアで、

特許を取っている人もたくさんいると思うけれど

ばばも、今から考えれば「あれは、特許申請できたかも!」

って思う事が1つだけあるよ。

それはね、封筒や、のし袋などの蓋をワンタッチで止められるようにすること。

剥離紙を剥がせば、蓋がパッと貼れる、あれ。

初めは、いちいち糊で貼り付けていたのよね〜。

ある日、ばばは(これ、封をする部分に両面テープを貼れば

簡単に封が出来るんじゃないの?」と考えたの。

でも、当時、特許なんて事考えてもいなかったし、知りもしなかった・・・・・

ばばが考えて、2年ぐらいしたら似たような方法で

封筒の接着部分が簡単に接着できる品物が出回ったの〜。



あぁ〜〜惜しかったなぁ!!!!

と、今でも思うばばって、執念深い?

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

皮肉なこと?

by ばばの日記

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10月17日(水)曇り台風の風強し

皮肉なものですねぇ。



予約して行ってみれば、いくつも残っている。

予約せずに行ってみると、全て売り切れ。

皮肉だねぇ・・・・

何の事言っているの?

ばばが週に2回は買いに行っている「ホテル食パン」のこと。



一昨日、夕方コンビニに寄ったらホテル食パンは4本も残っていた。

でも、その前の日に買ったばかりだったので買わなかった。

昨日夕方、台風で風も強いし、いつ定期船が止まるかも知れない。

パン買っておこうかな?と思い、又コンビニに寄った。

ホテル食パンは見事完売していた。



だから・・ばばは最近パンを買う時は電話で予約するようにしている。

食パンの焼き上がりは13時。

なるべく午前中で予約する。

予約をする時、店員さん達が忙しい時間だったらどうしよう?と気にしながら。

それでも快く電話に出てくれる。

店員さんでも、ばばの声を覚えてくれている方が何名かいる。

ばばも、店員さんの声を4,5名は覚えている。

覚えている店員さんが応対してくれるときは嬉しい。



今日は、食パンとサンドイッチ用のパンを予約しているので

夕方はコンビニへ寄ってから刺身買いに行こう〜っと。



島にコンビニが出来て、もう何年になるだろう?

少なくても7年か8年にはなると思う。

ばばは、あまりコンビニを利用することはなかったが

じじが「ホテル食パン」にこだわるようになってからは

週に1,2回は利用している。

いつでも開いているし、商品代金の振り込みも出来るし、

利用者にとってはとてもありがたい。



最近、ばばがコンビニの前を通るときは

いつでも車が2列横隊で並んでいる。

利用者が多いんだねぇ。



店員さん達は交代制とは言え、24時間体制で

深夜勤務の店員さんは大変だろうなぁと思う。



時々、深夜勤務のコンビニの店員さんのことを

夜中に思う事がある。

お客さんがいない時でも店員さんは立っているのかなぁ・・・とか

眠くないのかなぁ・・とか、夜中には何名で仕事しているのかなぁ・・・とか。



今日、お昼テレビを見ていたら、

コンビニ強盗の映像が次々に放映されていた。

夜中は、特に恐いよね。

島だからと言って、最近は安心できないからね。。。。。

島民の為に昼夜頑張ってくれている店員さん達。

ありがたいですね。



そんなコンビニで犯罪など起きませんように・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

台風21号の影響か?

ずぅっと風の強い日が続いている。

庭先の草花たち、今回は室内に入れてないけれど

大丈夫かなぁ・・・・・

先の台風17号で飛ばされた、ばばの植木鉢3個が戻って来たよ。

隣のお姉さんが「きっと、ばばちゃんのかも」って

拾ってくれていて、我が家の敷地に置いていてくれたの。

大きめの鉢3個だったので、気になっていたが

見つかって、良かった、良かった!

さて、この鉢に何を植えようかなぁ・・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

もし、あの時・・・

by ばばの日記

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10月15日(月)曇り風強し

ばばが子供の頃は、よく両親に言われた。

どこそこの坂道は暗くなったら「首っ切らワンクヮ(首のない子豚)が

駆け上がって来るから行くなよ」とか、

「どこそこの畑へ行く道は、人さらいが来るから通るなよ」と。

言われてみれば、何となく薄気味悪く恐い道だった。

1カ所は墓地の横を通る道だったし、もう一方は海に近い坂道だった。

海に近い坂道の方は、未だに、うっそうと薄暗くて恐いし

ばばは、もう何十年も通ったことさえない。

近くに自分の畑があるんだけど。

なぜ、あの頃両親は我が子にああいう話をしたのだろう?と思う事がある。



たまたま、昨日ある先輩がこんな話をしてくれた。

その先輩は、ばばより10才くらい年上だ。



ある日、学校の下の浜で妹と、友人と3人で遊んでいた。

すると、沖の方から船が近づいてきた。

そんなに大きくはなかったそうだが、浜へ近づいてきた船の

後ろの方がパカ〜〜っと割れ、そこからボートが飛び出したそうだ。

そのボートは、砂浜へ向かって近づいてきたそうだが

「もうすぐ浜」という地点で横倒しになって、乗っていた人は海へ投げ出され・・・・

二人の男の人が必死に浜へ向かって泳いできたんだって。

見慣れた島の人ではないし、恐くなって先輩と妹は動けなくなった。

先輩の友人のYちゃんは、俊足で知られていたらしいが

「私が人を呼んでくる!」って走り出したって。

ほどなく、すぐ近くにあった中学校の校長先生と教頭先生が走ってきた。

その頃は、海から泳いできた男の人ふたりも浜に上がっていたそうだが

先生方は、男の人たちを校長室へ連れて行き、

濡れた服を脱がせてタオルで体を拭かせたり、脱がせた服を干したりしたそうだ。

男の人ふたりは何か話すらしいが、外国語で話すので

何を話しているかサッパリ分からなかった。

たまたまA先生が校長室へ入ってきて、男達と英語で話したそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ばばが聞いたのはここまでで、外国語を話した男の人が

何処の人だったか?

何故、あの浜へ来たのか?

ボートより沖に止まった船がどうなったのか?

聞きたいことはたくさんあったけど、先輩達もすぐに校長室から出されたので

その後のことは知らないんだって。

その先輩は言った。

もしかしたら、あの船は北朝鮮の船ではなかっただろうか?

もし、Yちゃんが学校へ向かって走り出さなかったら

先輩を含め3人は拉致されてしまっていたのではないか・・・・

当時、中学校は浜のすぐ近くにあったから

すぐに大人の人を呼んでくることが出来たんだね。

もし、近くに大人がいなかったら・・・・・

今になって、ゾォ〜〜ッとすると先輩は話を結んだ。



今朝、テレビを見ていると北朝鮮に拉致された日本人3家族が

帰国して、今日で10年だと言っていた。

未だに帰国できない拉致被害者の方がテレビで話しているのを聞くと

胸塞がる思いがする。

拉致された方々も、そのご家族もどんどん年を重ねていく。

1日でも早く拉致被害者を取り戻す事は出来ないのか。

異国、それもばば達の想像を絶する環境の中で、耐え続けている日本人がいる。

「望みを捨てずに、待っていて」・・というのが何故かむなしくなる。

いつ、朗報が届くのだろう?

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

故郷の砂浜、他

by ばばの日記

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10月14日(日)曇り時々小雨

今日は、自分の用事で午前中出かけた。

出かけた先で、実家集落の浜辺の話等を聞いた。



ばばも、数日前のブログに書いたけど

ばばが子供の頃、浜辺は何処までも続く砂浜だった。

その砂浜に無数の小さな貝殻が打ち上げられて

「貝殻の道」のようだった。

又、ホンダワラや名前も知らない海藻もたくさん打ち上げられて

茶色の道を作っていた。

ばばは、飼っていた鶏の卵の殻があまりに薄かったので

浜へ行って貝殻をカゴいっぱい掻き集めて背負ってきて

その貝殻を細かく砕いて鶏にあげていた・・・・と先日書いたよね。



ところが、今日聞いた話では貝殻を買う業者がいたそうだ。

貝殻だけでなく、小さな石ころや砂利なども買う人がいたんだって。

貝殻は何の目的で過分からないけれど、

砂利はコンクリートの原料になったのかな?

当時は、今のような重機などなかったので

人間の力で生コン用の砂利なども集めていたんだろうね。

ばばは、落花生の皮をむき、「一升剥いたらいくら」とか

桑の実を集め、その種だけを集めて

「杯いっぱいいくら」とかで売って、お小遣いにしたことはある。

でも、貝殻を売ったことはなくて、今日初めて聞く話だったのでびっくりした。

当時知っていたら、ばばもお小遣い稼ぎ頑張ったのになぁ・・・・



この砂浜では、12月14日には

赤穂浪士の討ち入りと関連づけてか?「吉良の首探し」というゲームなども

行われていたんだって。

今で言うなら「宝探し」で、砂浜に埋めたお菓子などを

子供達が探して楽しんでいたらしい。

ばばは、これも記憶がない。



父が正月前に砂浜へ行き、牛に白砂を運ばせて

庭に撒いて、お正月を迎えたのは今でも覚えている。



ばばが子供の頃は砂浜もだいぶ広かったけれど、

年々、砂浜が狭くなってきているような気がする。



この海はね、そこが渦巻いているような流れになっているので

海遊びをしている人が流される「危険な海」でもあったんだって。



この砂浜を少し北へ進むと、ばばの好きな「フンニャトゥ浜」だ。

この浜へは母と何回も通った。

何をしに言ったかというとね、大根を洗いに。

収穫したたくさんの大根を大きなカゴに背負って「フンニャトゥ浜」へ行き

海水で大根を洗って、その大根を大きなカメにつけ込んで

「自家製大根の漬け物」を作っていた。

味噌味と、塩味と二種類の漬け物を作っていたよ。



カメといえば、当時各家庭には大小様々な大きさのカメがいくつもあったよ。

豚肉や、漬け物の保存用、水瓶としても使っていた。

ばばの家の水瓶は大きいので、数十回水を担いできて入れなくては

満杯にならず、又水瓶は1個ではないので全部の水瓶を満杯にするのに

何十回、泉と我が家を往復したことか・・・・・



今、ばばの実家にはもうカメはないけれど、

じじの両親宅には、今でも1個だけ水瓶があるよ。

その水瓶に溜めた水で、大工さん達は手を洗ったりしている。

幼かった頃はカメと言えば、「水担ぎの重労働」がパッと思い出されるが

今、両親宅に残された1個の瓶は、何だか貴重な物のように思える。

少しひびが入っていて、満杯にしたみずが少しずつ漏れてしまうけれど

大事に保存しておこうかな・・・・・



先輩から聞いた「砂浜の話」からだいぶ逸れてしまったけれど

「残しておきたい物」だけど、「だんだん消えていってしまっている物」が

身辺にはたくさんある。

独特な方言・貴重な動植物・・・・・

守れるだけは、みんなで力を合わせて守っていきたいね。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ひとつ、ひとつ・・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


10月13日(土)曇り

台風21号はやはり接近するのかなぁ・・・・

2日ほど前から我が家から見える海の波が高くなり

北側の窓を開けていると、ビュ〜〜ンと風が吹き込む。



台風と言えば、すぐ実家集落の心配をする。

実家・長姉の家・次姉の婚家、その他親戚、知人、友人の家や畑。

農家の方々のことも気になる。

果樹が、基幹産業のサトウキビが、野菜が・・・被害を受け続けている。

どうぞ、どうぞ、これ以上島の方々を苦しめないで。。。。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1つのことをきちんとやり終わってから、次のことをしよう・・・と決めたのは2年前くらい。

でも、やはり1つのことをしながら、他のことが気になる。

例えば、朝。

仏様の水を替えようと、仏壇の湯飲みを取って

湯飲みの水を外の鉢物植物にかけようとする。

ついでにと外へ出て他の植物にもホースで水をかける。

家の中に入ろうとして、クーラーの室外機の上の棚の汚れが気になり

ぞうきんを取って来て拭く。

室外機の上のチラシや古雑誌を入れたボックスが気になり

開けて整理を始める。

玄関先を見たら、過日の台風で吹き寄せられた?砂利や砂が目に付く。

箒で掃き集める。

階段の砂も気になる。

階段を掃き始める。

約20段の階段を丁寧に掃いていたら結構時間がかかる。

仏様の水を替えるつもりが・・・・階段掃除まで発展。

ありゃ?

朝食のコーヒーと半熟卵を作らなくちゃ・・・・・

慌てて食事の準備をする。

ここでも、何を今すべきか分かっているのに

ついつい棚の中の物を移動したり・・・・・・・

他の方々もこんなに「移り気な家事」をしているのかなぁ????



だから、なるべく別の仕事をしたくなっても

「この仕事が終わってから!」と自分でブレーキをかけるようにはしているが。

ちっとも家事が進まないのは、自分が悪いのに

夜になれば「あぁ〜〜あ、今日も何も出来なかった」と悔やむ。

同じ事の繰り返し。

今日も廊下の掃除をしようと、

廊下に置いていた色々な物を動かしたまでは良いが

途中、大工さんにお茶出ししたらパソコンの前に来ちゃったばば。

オイオイ、色々な物が出しっぱなしだよ〜ばばって、

じじも怒りそうなものだけど、じじは全然怒らない。

ばば、ますますグウタラになる。

いけないなぁ。。。。



こんなばばだけど、夜、布団に入ると

「あと何年生きられるのかなぁ」なんて思う事が多くなった昨今。

やはり、少しずつでもきちんと片付けておかないといけないね。

分かっちゃいるけど実行できない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

着る洋服は何着もあるのに、いざっ!という時

どれを着たら良いか迷い、「適当なのがないなぁ」と

洋服を売っているお店に行けば目をらんらんと輝かせて物色する。

結局買わない時が多いけどね。

今持っている洋服でも、一生かかっても着きれないくらいあるのに・・・

それに、ばばは気に入った服を洗濯しては着て・・・を繰り返す。

この夏なんかTシャツは結局5枚位を順繰り順繰り着ただけ。



体は1つしかないんだから、洋服も季節季節で5〜6着もあれば充分かなぁ?



もう、これ以上洋服や台所用品を増やさないようにしなくちゃ・・・・



とりとめない事書いちゃったけど、これから廊下の片付け

最後までやります!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

日記の書き方、他

by ばばの日記

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10月12日(金)晴れ後曇り

「ねぇ〜じじ〜、今日ブログに何書けば良いかなぁ」と聞いたら

「大工さんへのお茶受け、何を作ったか書けば?したことしか書けないし」と。

今、ばばはブログを書くのが日課のようになっているが

小学生の頃とか、夏井休みの宿題に必ず(絵)日記があったよね。

夏休みの日記と言えば、忘れられないことが・・・・

と言っても、ばば自分のことじゃないけど。



ある知人が、ずうっと以前、ばばに話したこと。

知人のお子さん、Aちゃんとしよう。

Aちゃんは、夏休みに入ってすぐから、ドリルなどバンバン進めていた。

ドリルが全て終わったら、今度は日記を書くことに。

でも、日記って、その日、その日のことを普通は書くよね。

ところがこのAちゃん、明日の分も、明後日の分も

明明後日の分も・・・とどんどん書いていったんだって。

勿論、実際にしたことじゃなくて

想像や、自分の願望などを書いていったんだね。

夏休み入って、1,2週間でドリルも絵日記も全て終わってしまったAちゃん。

もちろん、そのごは好きなだけ遊んだんだろうね。



ばばが「Aちゃんのエピソードが忘れられない」と、じじに言うと

「僕も小学生の時の日記には思い出があるよ」と言うので

聞いてみると、じじはAちゃんとは全く真逆のことをしたんだって。

宿題をしていないと、父に怒られるので

あと数日で夏休みも終わる時になって、

数十日分かの日記をまとめて書いたんだって。

それにしても・・・よく数十日分、まとめて書けたね、じじ〜。

ウソ八百書いた本人は、ウソがばれるのでは・・・と

ハラハラしたそうだけど、父も1日1日の日記の内容までは

確かめなかったんだろうね。

初めの方をパラパラッとめくって、後は終わりの方をパラパラッとめくって

「おっ、毎日良く書いてあるじゃないか〜」って思ったのかな?

じじの両親、子供達が小さかった頃は凄く厳しく躾けたんだって。

だから、じじが素直に育ったんだよ〜。

ばばの言うことを「ハイッ、ハイ」と素直に聞いてくれるしね。(本当?)



ばばの両親・・・・

厳しかったと言えば、すぐに母を思い出す。

母は、とにかく厳しかった。

当時は農作業が忙しく、朝から晩まで父と一緒に働いていた母だが

時々、ばばの勉強を見てくれた。

1年生になってすぐの頃だったかなぁ・・・

数字の3と4と8が正しく書けずに、毎日母から叱られていた。

とにかく、何回も何回も書き直しをさせられた。

学校の先生より恐かった母。

数字が上手く書けないからと体罰をしたりはしなかったけれど

行儀が悪い時、例えばお客さんの前で立て膝で座ったりした時は

太ももに青あざが出来るまでつねられた。

言いつけられた仕事をしなかった時は、

家の真ん中の柱に縄でくくりつけられた事もある。

ばばの兄姉で、ばばが一番横着で両親の言うこと聞かなかったと今でも思うし

今になってみれば、両親に、特に母に申し訳なかったと思う。



母は厳しかったけれど、父は一度もばばを叱ったことがなかった。

本当は、ひねくれ者で横着なばばを叱りたかったかも知れないけれど

生涯、ばばに声を荒げたということのない父だった。

その代わり、父は自分の行動で、背中で色々な事を教えてくれたし、

又、諺や歴史上に人物になぞらえたりして

人間の生き方を教えてくれたような気がする。



ばばは、厳し過ぎる母に反抗して、

小学校2,3年生の頃「家出」を決行したことがある。

学校の本と、着替えだけを持って両親や兄姉が帰宅する前に家を出た。



家を出たは良いものの、何処へ行ったら良いか分からない。

勿論、親戚のおじさんや叔母さんもたくさんいたけれど

そこへ行っても、説得されて家に帰されることは目に見えているし

友達の家に行っても、きっと友達の両親がばばを家に連れて行くだろう。

勢いで家は出たけど・・・・夕方になってだんだん周囲が暗くなってくると

心細くなってきた。

当時や人間を惑わしたりして深山などへ引っ張っていくと言う「ケンムン」や

「カッパ」や「お化け」もいると信じていたばば。

公民館と家の間の裏道を行ったり来たりし、

海の見える場所にじぃっと座って居たりもしたけれど、

時間の経過と共に、だんだん恐怖心と寂しさで居ても立ってもいられなくなり

家に向かって走り出した。

ばばが家に帰り着いた時、両親は農作業から帰ったばかりのようで、まだ外に居た。

ばばは、いつもと変わりなく家に入った。

両親は、まさかばばが「プチ家出」から帰って来たなんて想像だにしなかっただろう。

兄も姉も、普段と全然変わらなかった。

しゃかりきになって、プンプンしていたのはばばだけ。

今にして思えば一人芝居をしてしまったようなばばだった。

小学2,3年生で「家出」だなんて、さすが「今のばばの礎はここにあり」かな?



と言っても、今は家出なんか絶対しないよ〜。

じじに「出て行って〜」と言うかも。

そしたら、じじは「ばばは、別宅(ばばの実家)があるんだから

ばばが出て行けば良いよ」って言うかな?

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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