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「雷に打たれたの?」って・・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


1月11日(水)曇り時々小雨

ばばの髪の毛は、ばばと似て頑固だ。

全くパーマがかからない・・・・ということを

過去のブログにも、何回か書いた。

それでも、諦めずにまだパーマをかけ続けているばば。



先月の10日前後にパーマをかけた。

かけ終わった自分の頭を見て、ばば表面は平常心だったけど

内心は、超に又超が二つ、三つ重なるほどショックだった。

かかりもかかったり、超クルクル・・・・

ばば自分が若かった頃、

「おばさんの象徴」と内心思っていた定番のクルクルパーマ。

イメージを少し変えたくてパーマをかけたものの・・・

これじゃ・・・・一気に10歳ぐらい老け顔になるなぁ。

普段から「じじのお母さん」と言われるばばだが、

今度は「じじのお婆ちゃん」決定か!!!

内心泣きたいほどだったけど、敢えて平静を保ち

寄り道する気にもなれず、帰宅。

ばばを見たじじ、無・・・・・・言。

(やっぱりなぁ・・・・)

(それにしても、こんなにかかってしまうとは、ばばの髪の毛らしくないぞ!)

等と思いながらも、シャンプー後はなるべく髪を伸ばすようにブラッシングした。



年末になって、じじがポツンと言った。

「少しはマシになったな」って・・・・・・

「パーマをかけてきた日は何じゃこりゃ!と思ったよ。

今なら、まぁ、良いかな?」って。

見ないふりしてちゃんと見ているんだ〜、ばばの髪。

(じじもそう思ったか!当たり前だよね。誰でもそう思うよね)

って、思い、ますます落ち込んだばば。



じじに言われる前、お通夜の席に何回か出ることがあり

そこでも、ある先輩が「何で!あなたの、そのクリクリ頭」と言われた。

又々ショック。

もう〜外出するのが嫌になったよ〜。

帽子でも被って隠すか・・・・・



そして、次女が帰省・・・・

次女も何か思っただろうが、敢えてばばの髪型には触れなかった。



そして、沖縄で三女と合流した時、三女の第一声が

「お母さん、雷にでも打たれたの、その髪」って言われちゃった。

すると、島で何にも言わなかった次女まで一緒になって

「頑張ってパーマかけました!!!って感じだよね・・・」と。。。。。。

ウェ〜〜〜ン。

「クリクリ頭」に「雷に打たれたの?」だって?????



そっかぁ〜、そう言われても仕方ない髪型なんだね、今のばばの髪型は。

親しいからこそ、遠慮無く言ってくれるんだよね。



ばばは、あまりパーマが似合うとは思っていない。

でも、髪の毛が細くて直毛なので、

少しだけイメージチェンジしたいと思うことがあるんだよね。



今回は、やっぱりかかり過ぎだったんだね。



これまで、何回かパーマをかけ、

その度、よく次にはストーンと直毛になってしまうばばの「頑固毛」に

美容室のオーナーさんもホトホト手をやかせてしまっていた。

それで、研究に研究を続け、やっと今回

ばばの髪の毛でもパーマがかかる液や配合?を研究して下さった。

それなのに、それなのに・・・・ごめんなさい!

周囲からは評判が良くなかった今回のパーマ。





今年は、少し髪を伸ばして、パーマをかけるにしても

軽くウェーブが出るくらいにとどめよう。。。。。。

じじ〜、娘達よ、ごめん!!!!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

摩訶不思議な・・・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


1月10日(火)曇り後小雨

今していることなのに、今、見ていることなのに、

ずぅっと昔、同じようなことがあったような気がする・・・・

こんなことって、ない?

ばばは、最近はあまりないけど、若い頃は、よくあったの。

高校生の時、哲学が専門のM先生に話したら

「それは、前意識と言うんだよ」って言われた。

「ふぅ〜〜ん。そうなのかぁ〜」と思っただけで

当時、深くは考えることも、探求することも無かった。



でも、人間怖い体験をしたりすると

なかなか忘れられないことってよくあるよね。



ばばは、ブランコが揺れているのを見るだけで

目眩がしたり、気分が悪くなったりする。原因ははっきり分からない。

ただ、小さかった頃父が家の中や庭にブランコを作ってくれた。

そのブランコに喜んで乗っていた。

友達や、兄姉が背中を押してくれ

大きく揺れるのが楽しかった・・・と言う記憶がある。

ところが・・・・いつ頃からか?自分がブランコに乗って

漕がずに座っている分には良いが

漕ぐと、急に気分が悪くなり、目眩までするようになった。

子供を相手にする仕事柄、子供はブランコが大好きで

休み時間は競ってブランコに乗る子供達を

最初のうちは横について見守っていた。

わずか10〜20分間だったが、一番つらい時間だった。

何故だろう?

記憶には無いけれど、小さい頃喜んで乗っていたブランコで

よっぽど怖い思いでもしたのだろうか?

今でも原因は分からないけれど、

ブランコはばばにとって「恐怖の遊具」だ。



あとひとつ、ばばが怖い物がある。

それは、エレベーター。



今日も父を見舞いがてら病院へ行った。

雨が降っていたので、車は地下駐車場に入れた。

普段、階段を上るばばだが、たまたま目の前のエレベーターが

地下で止まっているのを見て「これで上がろう!」と即断。

乗ったのはばば一人。

それなのに、乗った瞬間、恐怖が・・・・

「もし、このエレベーターが途中で止まったら・・・」

「開」ボタンを押して飛び出したいのを我慢して

エレベーター内の壁に背中をくっつけ、目を閉じた。

当たり前のことだが、エレベーターは動きだし、数秒後には目的の階に停止した。

ドアが開くや、ばばは飛び出した。

廊下へ出た瞬間、ほっと安堵した。

何故、これほどエレベーターが怖いのか?

それは、20数年前の怖い体験があるから・・・・



20数年前、ばばの長姉が急に倒れ病院へ運ばれた。

次姉とばばは毎日病院へ長姉を見舞った。

ある時、いつものように長姉を見舞った後、

車に乗るため地下へ下りるエレベーターに乗った。

エレベーターは普通に動き出し、程なく地階で止まった。

普通なら、ここでスゥ〜〜とドアが開くはず。

ところが、どうしたことか、その日はエレベーターのドアが開かない。

数秒経っても、ドアは閉まったまま。

まさか?想定外の出来事が起こってしまった!

乗っているのは次姉とばばだけ。

エレベーターのドア1枚隔てて、駐車場で

車が動く音も聞こえるのに、ドアが開かない。

ばばと姉はエレベーターのドアをたたきながら

緊急用のボタンを押しながら、「開けて下さぁ〜い!!!」と大声で叫んだ。

普段、超冷静な次姉も大声で叫んでいる。

ところが、誰もばば達の声に気づいてくれない。

そこで、次姉とばば、今度はエレベーターのドアをドンドン叩きながら

いっそう声を張り上げて叫んだ。

「中に人がいます。開けて下さぁ〜〜い!!!」と。

それでも、誰も気づかず、ドアの開く様子もない。

万事休す!

閉所恐怖症のばばにとって、これ以上の恐怖はない。

パニック状態になり、ドアを叩き続けた。



どれほどの時間が経ったかは分からない。

エレベーターはばばと次姉を乗せたまま上昇を始めた。

??????訳が分からない。

それでも、動いてくれて良かった!

その時、何階かでエレベーターのドアは

何事も無かったかのようにスゥ〜〜と開いた。



止まったのが何階だったのか?

ドアが開いて、誰か人が立っていたのか?

全然記憶に無い。



だけど、あの恐怖は未だに忘れられない。

毎日のように病院へ行くばばだが、2基あるうちの、

特に地階へ下りるエレベーターにはなるべく利用せず、階段を使う。

別の1基も、連れがいる時とか、よっぽど疲れている時とか、

急いでいる時以外は使わないように心がけている。



あの時のあのエレベーターの一時停止、一体何だったんだろう?

話しても信用してくれる人もいない。

でも、これはばばだけで無く、姉も一緒だったから

決して空想とか作り話ではない。



世の中、いつ、どんな摩訶不思議なことが起こるかもしれないと

ばばは思っている。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

Eちゃ〜〜ん、忘れないよ〜

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


1月9日(月)曇り時々小雨
お昼2時前、パソコンの前に座っていると

玄関で何か物音がするような気がした。

宅配さんかな?と思いながら出ると、K兄が立っていた。

K兄は、ばばが大好きな従兄弟姉さんEちゃんのご主人だ。



大きな紙袋を足下に玄関に立っておられるK兄。

その姿を見ただけで、ばばは顔を覆って泣き出してしまった。



大好きな従兄弟姉さん、Eちゃんが他界されてもうすぐ1年になる。

去年の&sup1;月16日、たまたま、ばばが留守にしていた時

Eちゃんはばばの家に来てくれて、

きれいな押し花の額を届けてくれていた。

その夜、額のお礼がてら電話し、

話したのがEちゃんとの最後の会話となった。

今でも、あの日留守にしていたことが悔やまれる。



それから2週間も経たない朝、Eちゃんは急に具合が悪くなり

帰らぬ人となってしまった。



もの凄い才女で、三味線・大正琴は師匠級の腕前で

そのほかにもカラオケ・押し花などいろいろな趣味を持ち

いくつになっても学び続けるEちゃんだった。



家業はお餅屋さんで、早朝からご主人のK兄と二人で

餅米粉と黒糖が主原料のお餅をゲットウの葉に包んだ「カハムチ」・

他に「よもぎ餅」「アンバ餅」、黒白二色の見た目から鯨と似ていたのか?

「グンジャ(鯨の方言名)餅」、普通の「白餅」等を作り、

車で全島中に配達し、「お餅」と言えば「Y製菓」と言われるほど

ファンも多かった。

これらのお餅の生地の準備や、袋・容器詰めなど

超多忙な中でたくさんの趣味を持ち、楽しんでいたEちゃん。

Eちゃんの実のお姉さんでさえ

「E子はいつ寝ているんだろうと思うほどだった」と

ばばに話したことが何回かある。

ばばには、とても真似できない。



今にして思えば・・・・・約1年前のあの日

「ムシの知らせ」でもあったのだろうか?

「記念に・・」と言うような言葉を添えて

「押し花の額」を渡したそうだ。

Eちゃんの顔が、何故か寂しそうだったと、その日じじは話した。

Eちゃんは、あの日、ばば達に最後のお別れをしに来てくれたのではないか?

今でも、そう思われてならない。

だから、あの日、留守にしていたことが未だに悔やまれるばばなのだ。



今でも、ばばは毎朝、仏壇のお水を代える時、

しぜんにEちゃんの「押し花額」に目が行く。

又、パソコンに向かっているときも、ふと左側を見ると

「押し花額」が目に入る。

オレンジ色のコスモスが押し花にされ、センス良く配されている。

「Eちゃん」と呼ぶと、Eちゃんが応えてくれそうな気がする。



Eちゃんと、ばば。

年は10歳以上違う。

でも、何故か小さい頃から「Eちゃん、Eちゃん」と

友達を呼ぶような感覚で呼んでいた。

ばばが結婚する前のばばの家族全員がEちゃんには

言葉に尽くせぬほどお世話になった。



いつまでも忘れられないのが、ばばの両親に対する

Eちゃんの心遣いだ。

当時70代後半になり農作業もやめていた、ばば両親に

Eちゃんは、お仕事を与えてくれた。

Eちゃんが畑で刈り取った大量のヨモギを運んできて、

両親はヨモギの葉を1枚、1枚摘むのだ。

このヨモギは、もちろんEちゃんの作る「美味しいヨモギ餅」の原料の一つ。

何にもすることが無い、ばば両親は色々会話をしながら

楽しそうにヨモギの葉を摘んでいたっけ。。。。

Eちゃんは、ヨモギの葉を摘む両親に「バイト代?」までくれていたの。

何にもせず、ごろごろ日過ごすより

夫婦で楽しく会話しながら働く。

そして、自分たちが摘んだヨモギの葉が美味しいお餅の原料となる。

80歳手前のばば両親も「Y製菓」の1社員だったんだね。

両親に生き甲斐を与えてくれて本当にありがとう・・・・Eちゃん。



Eちゃんは、器用で、頭が良かった。

だからこそ、いろいろな芸事も達人だったんだよね。

約1年前のブログにも書いたけど、

ばばが、車の運転免許をとった時も

Eちゃんが試験に出るコースの道順を「替え歌」で教えてくれたから

無事、1発で合格できたと今も思って感謝している。



Eちゃんには感謝しても仕切れないほど恩がある。

何にもお返しもできないけれど、

せめて毎朝Eちゃんの「形見となってしまった押し花額」に

「ありがとう」の気持ちで合掌しようと思っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

背中をかがめて玄関に立つK兄を見ていると、

涙が止まらなくなってしまったが

「これから兄妹4名、あるお宅で落ち合う」と

自分で車を運転して、その集合場所へ向かわれた。

その車を見送りながら

「K兄、Eちゃんの分までも元気で長生きして下さいね。」と祈るばばだった。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

行って来ましたぁ〜

by ばばの日記

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1月8日(日)曇り時々小雨

いやぁ〜年が明けて、はや一週間。

昨年末から、ブログを休みに休んで、やっと再開。

1回怠けると「まっ、いいか。明日から始めよう」と

つい安易な方に行ってしまうばば。

今年は、こんな性格少しは改めなくては。



年末、大晦日から沖縄へ行ってきたよ。

ばばにとっては4,5年ぶりかなぁ・・・・

これまで、何回かじじについて旅に出ようかな?と思ったけど

義父や義母のことを考えれば、最後の一歩が踏み出せなかった。

でも、今回は思い切って一週間ぐらい家を空けることに。

普段と違う空間に自分を置くことで気分転換できるかなぁと思ったから。

旅先でも、やはり両親のことが何度も頭をよぎり罪悪感を感じたけど、

結果、行ってきて良かった。



姉の親子と我が家の4人、計6人が沖縄に集結。

姉の息子,H君が沖縄に詳しいこともあり

我が娘達二人とH君ヤング3人はレンタカーでドライブし、

ばばと姉は元日から繁華街へ繰り出しショッピング。

買った物が・・・・・

ちんすこう・沖縄限定のポッキー・島にもあるような黒糖等々、

食べ物ばかり・・・・笑っちゃうね。

それを買ったお店で段ボールに詰めて島へ送り、

ホテルに帰ると、寒さを心配して多めに詰めた防寒着も

段ボールに詰めて送り・・・結局3個の段ボールを送った。

結局帰りの旅行鞄の中身は洗面具と雨具と船内でのおやつ。

スッカラカンのバッグで帰ってきた。



今回の旅行でじじ以外のメンバーは、毎日出歩いた。

じじは何をしていたかって?

ホテルでパソコンというオモチャでずぅっと遊んでいた。

何のための旅行?と思ったけど黙ってた。

じじもばばも沖縄へは10回ぐらい行っていて

主な観光地などは隅から隅まで回ったし・・・・

特別行きたいところも無く・・・・

ばばの気分転換のための旅行だったから、じじには申し訳なかったなぁ。



でも、沖縄へ行ったおかげで、

これまで分からなかったパソコンのことを勉強できたようで

じじにとっては大収穫。

それだけでも、じじは満足、満足だったみたい。

帰りの船の中でも、目が覚めればパソコンいじっていたもんね。

良かった、良かった。



帰ってきてから今日で3日。

何をするでもなく、ばばは又々「片付け」と称して

広くも無い家の中を行ったり来たりして1日が終わっている。

去年までと、何ら変わらない日常が始まった。



旅行中と変わったのは・・・・

毎夕、じじのための刺身を買いに出かけなくてはならないこと。

三度三度の食事と、午前午後2回、コーヒーを淹れること。

掃除に洗濯、そして細々した限りない家事・・・・

あぁ〜、180度変わったよ〜。



ばば思うよ。

平凡な日常が一番幸せだけど、たまには自分へもご褒美をあげて

島を脱出して、島とは違う空間で過ごすことも大事だなぁって。



機会があれば、夏には北の方へ行ってみたいなぁ・・・

そのためにも、両親・じじ&ばば・ばば姉・・・・

みんな、みんなが元気でなくちゃね。



今年も元気で日々過ごせますように・・・・

これが、ばばの一番の願い。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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