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06/12(金) 14:38
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06/11(木) 14:51
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感謝の花

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ

6月12日(金)晴れ

朝起きたら、必ず1回は菜園と花壇の植物を見る。

4月だったか?5月だったか?

苗を買って植えたキツネ花の葉が異常に大きくなってきている。

ばばが、いつも通う魚屋さんには、

ばばが蒔いた種から発芽した苗をあげた。

その魚屋さんのキツネ花より、我が家の葉っぱの置きさは3,4倍。

記念に写真に残しておこうとパチリ!

葉っぱの大きさを分かりやすくするためにどうしたらよいか?

良い方法が思い浮かばないので、葉っぱの上に

直接30センチ物差しを洗濯ばさみで止めてパチリ!
キツネ花


葉っぱの長さは、30センチくらいあるね〜。

これから、茎もどんどん伸びるだろうから楽しみじゃ〜

キツネ花の実を見た人は、珍しがり、笑顔になる。

だから、欲しい方には黄色く色づいた実を上げることにしている。

つい先日、母の弔問に来て下さったご近所さんのおふたりにもあげたら

とても喜んで、種をとって蒔いてみようかな?と持ち帰られた。

花の実や種や苗の「お福分け」良いよね。



我が家のキツネ花、既に花芽が付いているから

きっと、暑い暑い夏に実が出来るんだろうね。

台風被害に遭いませんように・・・・祈りながら大事に育てよう〜〜。



ある植物を好きになったり、育てたりするのは

人それぞれ思いがあるだろうが、

ばばが毎年のようにキツネ花を育てるのにも、ある思い出から・・・

今を遡ること、30年以上前、職場に大きな仕事が回ってきた。

誰も引き受ける人が無く、話し合いは夜まで続いた。

退職前の先輩ふたり、新採1年目の後輩ひとり、

ばば、4人の中で誰かがしなければならない仕事で・・・・・

他の部では、早々決まっていたが、ばば達の部だけ

夜の8時過ぎまで話し合った結果

「出来る限りサポートするから、お願い!」と大先輩ふたりから懇願され

しぶしぶ、ばばが引き受けざるを得なくなった。

引き受けはしたものの、不安で、不安で・・・・

上司も、周囲の同僚も、先輩方も色々サポート、協力はしてくれたが

結局、最後はばばが自分の力でやらなければならない。

時間は待ってくれず、数ヶ月後、ばばは大仕事の舞台に。

当日朝、ある保護者の方が、実が複数個付いたキツネ花の一枝を届けてくれた。

「大丈夫!落ち着いて頑張って下さい。」というメッセージと共にね。



キツネ花と、メッセージを頂いたことで

少〜〜しだけ、気持ちが落ち着き「やらなくちゃ!」と強く思った。

この仕事をやり遂げることで、今後の色々な場面でも

きっと役立つことがあるとも思えた。



結果・・・・

仕事は無事終わった。

周囲の方々も、上司も同僚達も喜んで下さった。

更に結束が固くなった。

そして、あのキツネ花を届けて下さったYさんとは

家族ぐるみでお付き合いをするようになった。



あれから30年余。

Yさんとお目にかかることも滅多に無くなった。

しかし、キツネ花を育てたり、見たりすると

あの大変だった時に、さりげなくばばを元気づけ、勇気づけてくれた

Yさんを思い出す。



ばばにとっては、キツネ花は「感謝」の花である。

だから、毎年、この花を育てユニークな実が付くのを楽しみにしている。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

親族から総スカンって?他

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


6月11日(木)晴れ

暑いなぁ〜朝から32度。

毎年、この時期はこんなに暑かったのかなぁ?



「おばんです〜〜〜」。

Aさんからの電話の第一声の言葉。

東北在住のAさんのことは、これまでにも何回か書いている。
牛タン



年に数回電話をし合ってはいるが・・・・・・・

予想しない電話だっただけにビックリした。



話すうちに、何故急に電話をくれたか、徐々に分かってきた。

何と、Aさんのお友達が徳之島出身、

それも、おばあちゃんの家は、ばば宅のすぐご近所らしい。

これには、ばばもビックリ!

Aさんの友達、Iさん、おばあちゃんが亡くなって

徳之島に帰ってきたことを,Aさんに話したらしい。

Iさんの話の中のキーワードから、

Aさんは、どうもばば宅周辺のことを話しているのでは?と思ったそうだ。

Iさんは、家の周辺の写真なども撮ってあって

Aさんに見せたそうで、あるいている女の人も写っていて

「もしかしたら、ばばさんが写真に写っているかもしれませんよ」

と笑っていた・・・・けど。

そんな事もあり得るかも知れないな、確率低いとは思うけど。



色々話す中で、Aさん「最近、親族から総スカン食らうことがあったんですよ」

と言うので「何だろう?」と思いながら、次の言葉を待っていると

「うちのカカア、実は天パーだったんです。

それを知らなかったのは、俺だけで・・・・・

よく美容室に行くなぁとは思っていたんだけど、

まさか天パーだったとは、結婚30数年、知らなかった〜。

それで、親族から総スカンですよ。アハハハ〜と笑う、Aさん。

その後も、あれこれAさんが話し、ばばは相槌をうち、20分位の電話だった。



電話を切った後、じじに言ってみた。

「じじ〜、実は、ばば天然パーマだって知ってた?」って。

すかさず、じじは答えた。

「まっさかぁ〜。ばばは、(これでもか)って言う位の直毛だろう。

天然パーマは僕の家系だよ〜」ってさ。



そうだよねぇ、ばばは典型的な直毛で

癖毛の子が羨ましかったなぁ、小学校低学年時代。

当時は、美容室なんて無かったから、一部の友達は

家で、お母さんが焼け火箸で、髪の毛にカールをつけてくれて・・・・

フワッとした、その髪型が羨ましくて、たまらなかったなぁ。

母の厳しい教育方針で、前髪は眉の上でパッツン!

横は、耳の下でパッツン!だった、ばばの髪。

高校生になって、親元を離れ、兄と暮らすようになって

初めて、髪を伸ばし三つ編みにしたっけ・・・・

高校卒業後、大学時代は、ずっとショートカット。

卒業して、4月1日付で「採用通知が行きますから

自宅待機していて下さい」と大学と事務局から言われ

徳之島に帰る直前、人生初めてのパーマをかけたなぁ。

でも、ほぼオカッパ時代と変わらず、なぁんだ〜パーマ当てても

ばばは、変身できないよ〜とほぼ、諦めた。

しかし、その後もヘヤーバンドをしてみたり、

ソバージュで髪をチリチリにしてみたり

何回かヘヤースタイルチェンジにチャレンジしたけれど

いずれも納得いかず。

結局、じじの言う「これでもかっ!というくらいの直毛」のままだ。



天然パーマ・美容室での髪型チェンジ・生まれつきの直毛・・・・・

まぁ、自分に似合えば、どちらでも良いや〜と最近では思うようになった。

でも、母の厳しかった躾けのせいか?

今でも、前髪がちょっと眉にかかっても気になるばばだよ〜。



あっ、文頭の写真はAさんが送って下さった「牛タン」。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ご縁

by ばばの日記

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6月10日(水)晴れ

ひょんな事から知り合って、仲良くなれる人っているよね。

ばばも、そんな友人が何名かいる。



もう、4,5年以上も前の夏。

娘の会社の方が、たまたま徳之島に立ち寄った。

その時、半日位、行動を共にしたSさん。

本当の目的地は徳之島では無かったけれど

徳之島経由で、目的地に移動したのだった。



初めて空港でお目にかかり、全島一周し

翌日、飛行機の搭乗時刻まで一緒に野鳥観察等をし

楽しい時間を共有した。

たったこれだけの事だったけど、

あれから、Sさんの奥様Kさんから、毎年母の日にプレゼントが届く。

ばばが、御木幽石さんの絵や文章が好きだからと

毎年のようにカレンダーとか、ポストカードとか

色々細やかなプレゼントをして下さり、感謝している。

今年は、たまたま母が亡くなってバタバタしている時に

プレゼントが届いた。

たまには、じじさんへもと、素敵な「夫婦箸」も・・・・

生のカー年ションは届けられないからと

奇麗なリボンフラワーの飾り箱やご自分で育てたという

良い香りの、手作りラベンダーの押し花等々・・・・

ご丁重なお手紙も添えられていた。

花飾りと押し花は玄関と、じじの野鳥写真の横に飾った。
花箱



早くお礼の電話でもしなければ・・・と思いながら

母の葬儀が終わり、少し落ち着いてから電話をした。

懐かしくて、嬉しくて、ついつい話し込んでしまった。

K桟は、ばばよりずっと年下だけど、園芸の知識なども豊富。

送り物のお礼のつもりが、自分が育てている草花について

色々質問してしまった、ばば。

Kさんは、色々教えて下さり、ばばも出来る事から実行しようと思った。



例えば、シンビジウム。

昨年末、友人から鉢植えでいただいた。

花を楽しんだ後、どうしたら良いか分からず

ネットで調べたりもしたが、夜香木の下に置いたままにしていた。

又、ばばの人生の中で、一度は自分の庭に咲かせてみたいキンモクセイ。

植え付けて何年経っても、全然大きくならない。

多肉植物・・・特に、グリーンネックレスの類い。

何十鉢買っては、枯らしただろう?

園芸は好きで、自宅に住んでいた頃は、

よくNHKの「趣味の園芸」を観ていたが、両親宅に仮住まいしてから

ほぼテレビの無い生活を2年以上している。

知りたいけど分からない・・・・

そんな時期だったので、Kさんのお話は、とても為になった。

まだ、身辺が少し慌ただしいので、もう少し落ち着いたら

いや、少しでも時間を見つけては、植物の手入れも始めようと

動き始めた時、まるで、ばばの動きが分かったかのように

再度、Kさんから封書が届いた。

中には、ばばの知りたい情報が満載の資料がドッサリ。

わざわざ、コピーして送って下さったのだ。
花の育て方


有難いやら、申し訳ないやら・・・・・・

Kさんのご親切を無駄にしないために、

頑張って資料を読み、キンモクセイには花を咲かせ

シンビジウムには2年目の花を咲かせ

グリーンネックレスにはグングン成長してもらい

ジャコバサボテンにも復活してもらわねば!



そうそう、Kさん、いつの頃からか

ばばのことを「徳之島のおばぁ」と呼んでくれるようになった。

くなると、ますます親近感が湧き、

ばばもKさんが自分の妹か、身内に思えるようになった。

ご主人とは、数時間行動を共にしたけれど

Kさんとは、まだお目にかかったことも無い。

それなのに、とても身近に感じるのは何故だろう?



「ご縁を大切にしていきたいなぁ」と、思っている、ばばだ。

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今なら素直に・・・・

by ばばの日記

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6月9日(火)晴れ

ピッカ〜〜〜ン!朝から良い天気。

じじの寝具類カバーや枕等々、朝一で洗って干した。

布団類は全てじじが屋根に干してくれた。

今夜はお日様の匂いのするフッカフッカ寝具で

気持ち良いだろうなぁ〜。



じじは、母が亡くなった後から

よく母の愛がいかに大きく深かったか話したり

仏壇に手を合わせるようになった。

父が亡くなった後も、色々話してはくれたが

男性にとって、母親は「唯一無二」の存在なのだろうね。

ばばの同級生のNさんも、数日前、ばばに話した。

「うちの人ね、父親が亡くなった時は

仏壇に手も合わせなかったのに、母親が亡くなったら

毎月の墓参りも必ず行くのよ。不思議」と。

お昼ご飯の時、じじが言った。

「父の恩は山より高く、母の恩は海より深いって言うけど

全くその通りだと思う。とりあえず、今のじじとばばは

娘達にとって(父の恩は井之川岳(徳之島で一番高い山)より高く

母の恩は大瀬川(徳之島では1番大きくて深いかなぁ?)

まぁ、それは、じじとばばが亡くなった後、

娘達が考えるだろう事だけど」って。

じじにそう言われたら、ばばも考える。

自分が実家の両親や、じじ両親にしてもらった事に比べ

ばばが、娘達にしてあげた事等、ほんのわずかだなぁと。



自分が年を重ねるにつれ、

いかに親が子供に掛ける愛情が大きかったか考え、

幼かった頃の頃の自分の行動を反省する。

末っ子で、我が儘で、厳しい母親には悉く反発した。

口で反撃できないし、行動でも強い反撃はできなかったけど

母に注意されると、ドシンドシン、わざと足音荒く歩いたり

ガチャガチャ大きな音を立てて食器を洗ったりしていた。

今にして考えたら、母の言っていた事がほぼ正しかったと思えるけど、

当時は、厳しい母が憎くて、憎くてたまらなくなる時もあった。

前髪が少し眉にかかっても、すぐにパッツンカットされるし

中学生になって、前髪を分けてピンで留めたら

「今はお洒落をする時では無い。

お洒落は大人になればいくらでも出来る。

今、あなたがするべき事は学校の勉強をしっかりすることでしょう」

と言った、母の言葉、今でも忘れられない。

小学校高学年から、中学校2年生頃までかなぁ・・・・

ばばが悉く母に反発していたのは。



小学校上がる前から、お客さんの前で座る姿勢が悪いと

お客さんに気づかれずに、ばばの太もも辺りを

ギュッとつねったりもした母。

後で見ると、つねられた跡が青あざになっていた事も良くあったなぁ。

とにかく反抗的だったばばに、母は厳しくて

どんな悪さをしたかは忘れたが

家の真ん中の柱に藁縄でくくりつけられた事があって、

そのことを、過日じじ妹に話したら、

「ばばちゃんが、そんなお転婆だったなんて信じられない」って

体をよじって笑い転げていた。

今思えば、母が括り付ける前に反撃したり逃げることも出来たろうに

無抵抗で柱に括り付けられていたのかなぁ?



あの母の厳しさがあったからこそ、曲がった道に行かず

まぁまぁ、まともな大人になれたかなぁと思うようになったのは

自分が結婚して、母親になってからだった。



「人間いつかは死ぬ」ということが分かってはいても

「自分の親は絶対死なない」と思いたかった。

しかし、50歳前後になって、夜寝ている時などに

「もし、自分の親が亡くなったらどうしよう?」と考える事が多くなり

そういう時は悲しくて、苦しくて、眠れずに朝を迎えることも多かった。

父も母も80代まで長生きしてくれたし、じじ両親は90代まで長生きしてくれた。

親4名を見送って、心に大きな穴があいたような昨今。



じじが、お昼帰って来て玄関から入ってすぐに今日も言った。

「今までは撮影中でも、母ちゃん、変わりないかなぁと、

ずっと気になっていたけど今は、その点は気が楽になった。

でも、やはり、まだ母ちゃんが死んだって実感が無いんだよなぁ」って。



そんなじじの言葉を、祭壇の前に飾られた母の遺影は

微笑んで聞いている。



今なら、自分の親にも、幼かった日の自分の行動を

素直に謝れるような気がする。

「お父さん、お母さん、あなた方の真意も知らず

反抗ばかりしていてごめんなさい。」と。

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段ボール箱の上の手紙

by ばばの日記

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6月8日(月)晴時々曇

今朝は、天気が良かったので、先ず洗濯機のスイッチオンしてから

朝食の準備。

時々厚い雲がお日様の光を遮ったりしたけれど

降る事は無く、1日が終わった。



昼は、幾つもの用事があるので4時少し前に出かけた。

母がお世話になっていた施設へ行くこと。

斎場へカゴを返すため寄ること。

知り合いのお姉さんの家2軒に寄ること。

刺身を買うこと。

車の合い鍵を作るため書類を作って車屋さんへ行くこと。

おぉ〜〜〜、全部出来るかな?



2時少し過ぎた頃、ご近所のおばちゃんが来た。

「ばばちゃ〜ん、私の分も刺身買って来て貰えないかしら」と言う。

「おやすいご用ですよ」と、引き受けた。

遠い所から順に用事を済ませ、刺身も買って一旦おばちゃんの家に。

玄関は空いていたけど、いくら声をかけても誰もいない様子。

玄関のすぐ手前に、段ボールの箱と、その上にボールペンと

何やら白っぽい丸い物が置いてある。

「おばちゃん、小包を荷造って送る途中で

他の用事をしに出かけたのかな?」と思って

又刺身も車に乗せて、他の用事をするために車を走らせた。

20分位経って、もう一度、おばちゃんの家に行った。

「おばちゃ〜〜ん、おばちゃん〜」と呼んでも誰もいない様子。

やはり、先の段ボールの上にペンと白っぽい丸い物は置かれたまま。

よっぽど、お隣さんに刺身を預けようかとも思ったが

やはり、おばちゃんに直接渡さなくてはと考え直した。

おばちゃんの玄関に阿片足だけを入れ、

刺身を段ボールの上に置き、色々考えた。

(几帳面なおばちゃんだから、もし、このまま帰ったら、

おばちゃんは、又ばばの家まで

刺身の代金を持ってこなくてはならない。

難儀させちゃうなぁ・・・かと言って、

いつ帰るか分からないおばちゃんを家の前で待っているのも

時間が勿体ないなぁ・・・・)

色々考えているうちに、ふと閃いた!

あっ、そうだ!

おばちゃん、近くの畑に行っているかも。

夕方、いつも畑の手入れに行っているみたいだから、

今日も、きっと畑で頑張っているかも。。。。と。

そこで、おばちゃんの畑にばばも行って見ることにした。

歩いても、2,3分しかかからない距離だから。

おばちゃんの畑が見える直線道路まで行った時、

向こうから、おばちゃんが歩いて来るのが見えた。

やっぱり!

ばばが「おばちゃ〜〜ん」と呼ぶと同時に

「ごめん、ごめん」とおばちゃん。

「20分ほど前に1回おばちゃんの家寄ったんですけど留守で、

今又寄ったら留守だったので、こちらへ来てみました」と言うと

「玄関見た?」と、おばちゃん。

「はい。段ボールの上にボールペンがあって、

その横に何かありましたけど・・・」と言うと

「手紙、読まなかったの?」って。

えっ?手紙?ばばに?

いくら何でも、よそ様の玄関内に入ることさえ普段しませんよ〜。



おばちゃんの後から付いてお家まで行き

「手紙読んでごらん」と言うので「手紙?」と聞き返すと

「ほら、段ボールの上に書いてあるがね〜」だって。

まさか!

ちゃんと両足玄関の中に入って、手前にあった段ボールを

よくよく見ると、上に1枚の紙が有り、そこには

「ばばちゃん、お疲れ様でした。この上に刺身置いてね。」

と、書いてあるではないか。

まさか、ばば宛に手紙が書かれているなんて予想もしなかったし

又、他人様の家に勝手に入り込まないし・・・・

そして、「白っぽい丸い物」と、ばばが思っていたのは

500円硬貨だった。

「お金持って行きなさいよ」とおばちゃん。

はい、はい、いただきますね・・・・

おばちゃん「お金は持っていって下さいとも

書いておけば良かったね」だって。

ご丁寧におばちゃんが書いていてくれたとしても

ばばは、手紙に気づかなかったし、読まなかったと思うよ。

それにしても、おばちゃん、細かいね。

ばばが気づかなかっただけで、

ちゃんと、ばばへメッセージ準備していたんだもの。

ごめんね、おばちゃん。



ばばはね、時々、ご近所さんに頼まれて刺身を買ってきたり

又、魚屋さんに頼まれて、ご近所さんが

電話などで注文しておいた刺身を配達したりもするよ。

今日も、魚屋さんで「又、注文取って来ますからね〜」と

冗談で言ったけれど、ご近所さんの手助けになる事であれば

ちょっとした買い物とか、頼まれたら喜んでしてあげようと思っている。

ご近所さんどうし、持ちつ持たれつ、仲良し「隣組」でいたいね。

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ヤートゥイって?他

by ばばの日記

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6月7日(日)曇時々雨

明け方は、もの凄い雨音で、朝食後はお日様が顔を出し

洗濯日和だなぁ〜と思っていたら、急に曇って小雨が降り出した。

その後も、ムシムシ湿度が高く、じっとしていても汗ばむ。



今朝の朝食時は、じじが「バンの事、ばば達の実家周辺でも

クムルと言っていた?」と聞いたのを皮切りに

「稲刈りの頃、クムルの卵取って、食べていたような気がする」

とばばが言うと「ウズラの卵よりちょっと大きかっただろう?」とじじ。

稲刈りの頃の田んぼには、バンが巣を作ってあって

卵が複数個、巣の中に入っていたので

その卵を取って持ち帰り、卵焼きにして食べたか?

お汁に入れて食べたか???

とにかく、鶏の卵が貴重な時代で

1個の卵を、家族で分け合って食べていた時代だった。



その後も何故か、子供の頃の話を次々と・・・・

ばばが「子供の頃は、ヤートゥイ食べてたよ」と言うと

「ヤートゥイって何?」とじじ。

「ドジョウのことだよ」とばばが言うと、

顔がオタマジャクシとちょっと似ている?

いや、ナマズと似ているかな?

でも、気持ち悪い。あんなの食べるなんて」とじじ。

「気持ち悪くないよ。だって、柳川丼っていう食べ物もあるじゃない?」とばば。

ウナギも食べられないばば、今ならドジョウの焼いたの等

到底食べられそうじゃないけれど、子供の頃は

ドジョウの他にも、タニシ、田んぼで取れた小エビなども食べていた。



ヤートゥイの話から、今度は「椎の実」の話しに。

じじは徳之島の中心地に住んでいたので

お祭りとか、お正月前になると、彼方此方に露店が建ったり

遠くの集落の農家の方達が色々な物を売りに来たらしい。

例えば、正月前は椎の実の炒ったものをカゴに入れ背負って売りに来たそうだ。

椎の実、盃1杯1円で、湯飲みの1杯だと5円位だったとか。

へぇ〜、初めて聞く話だ。

ばばは、子供の頃、アルバイトで?よそのお宅のピーナッツの殻を剥いて

5合升のいっぱいになると10円ぐらいもらっていた記憶がある。

桑の実の種だけにして、盃1杯、農事試験場に持って行くと

やはり、10円ぐらい貰えたなぁ。

今とは、お金の価値が大きく違っていた時代だったからね。



そんな、こんな、次から次へと交互に話していたら

じじは、無意識にパンだけどんどん食べて、

「あれ?僕、パン2枚食べたっけ?」ってさ。

我が家では、食パン1枚を半分から切って2枚にし

1枚ずつ焼いて、焼きたてを食べるのがルール。

自分が食べたパンの枚数を、ばばに聞いてどうするのよ、じじったら〜。



と言うわけで、朝食はいつもより、ちょっと時間を掛けて終わった。

その後、天気が良くなったので菜園を覗いたら

わぁ!

ナスが大きくなってる〜。収獲しなくちゃ!

がさつなばばは、包丁やハサミで丁寧に収獲せず

手で千切っちゃったよ〜。

そして、長さを測ったら約22センチ。お見事!(自画自賛)

計測後は、早速、今年のナス1号さんをパチリ!
初ナス

ばばのカメラの腕、悪すぎ!

でも、丸々ふと照t大きなナス、嬉しいな、嬉しいな!

昼食に焼きナス〜と思っていたら、お昼少し前に

お隣のお姉さんがばばを呼んでいたので、庭に出ると

「妹がね、自分で作ったって、いっぱい持って来たのよ。

だから、ばばちゃんも半分食べて頂戴」って、

ナス5本と、キュウリ2本下さった。ありがたいなぁ〜。

ブロック塀越しに、声を掛け合って

野菜などがたくさんある時は、分け合っていただいているのよ〜。

お隣さんって、良いなぁって、退職してから特に思うようになった。



お昼は、頂いたナス3個は焼きナスに。

キュウリは薄くスライスし、新タマネギや人参のスライスと合わせてサラダに〜。

ご馳走様でした!

自家菜園で収穫したナスは、どのようにしていただこうかな?

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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