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あぁ〜なさけない!

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ




6月5日(火)晴

今日も穏やかな晴天なり。



ここ数年、記憶力がどんどん悪くなっているのが自分でも分かる。

例えば・・・花の名前などで分からないのがあって

ネットで調べ、じじにも教えてあげようと思う事がある。

しかし、いざ、じじに教えようとしたら「あれっ?何だっけ?」という事が日常茶飯事。

過日出かけた時、真っ白な紫陽花の花を見た。

しかし、よくよく見ると葉っぱが普通の紫陽花と違っている。

「何という花だろう?」と思った。

数日経って、ネットで彼方此方見ていたら、たまたま過日見た花が出ていて

名前は「アナベル」と書かれていた。
アナベル


「良し!絶対忘れず教えるぞ!」と思っていたのに、

いざ、教えようとしたら、すっかり忘れてしまっていた。

もう一回、あちこち調べて今度はパソコン上のメモ帳に書き留めた。

たった4文字、忘れないぞ!と思っていたのだが・・・・

夜寝る前になって、じじに教えようと思ったら

あれっ?出てこない。

パソコンを再起動するのも面倒くさいので、教える事が出来なかった。

どうせ、ばばが教えても、じじも次の朝には忘れるだろうから

まっ、良いか・・・・と意地悪ばあさんになったばばは、

そのまま寝てしまったのでありました、お〜〜しまいっと!



思う。

パソコンのメモ帳に書くから、再起動が面倒くさいんだから

普通の紙切れに書いておけば良いんじゃないかと。



普通の紙切れ・・・と言えば、日常生活で紙切れはいくらでもある。

毎週配られるチラシとか・・・・・

裏が白い紙は、メモに使えるからと、ついつい取り置いてしまう。

それも、適当な大きさにカットまでして。

そして、分厚い紙と薄い紙に分けて、箱に入れておく。

そして、どんどん溜まっていく。



もう、紙切れメモ用紙は増やさないぞ!と思うのに

又、適当な厚さの白紙があると、ついつい・・・の繰り返し。

食品の賞味期限を書いて置いたり、

たまにはストック用の箱にラベルとして貼り付けたりもする。



考えてみれば、家にはノートだってあるし、付箋紙もあるし

メモ帳だってきちんとしたのが何冊もある。

それでも、せっせと裏が白いチラシを見ると、何故か切らずにはおられないばば。

よっぽど貧乏性なんだと、自分でも思う。



結局、切ったチラシや段ボールは溜まる一方でゴミにしかならず

「断捨離」「断捨離」という傍らからゴミを増やしているばば。



数年前、姉も全く同じ事をしていると言うので

姉妹して貧乏性だねぇ〜と大笑いした。



でもね、自宅では捨てても良い位ある白紙だけど、

旅行などすると、ちょっとメモしたいのに紙が無くて困るという事がある。

手帳は常に持っているのだが、手帳に書いたら破って捨てる事も出来ないから

「何か、紙無いかな???」と探す事が良くある。

そんな時は、財布に入っているレシートの裏にメモしたりもする。

レシートも無い時は、ひたすら「頭にインプット!」と頑張るのだが

数時間経つと、ほぼ忘れてしまう事多々。



たかがメモ用紙、されどメモ用紙。

記憶力さえしっかりしていたら、メモ用紙なんか無くても事足りるのに。



あぁ〜なさけない!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

初恋

by ばばの日記

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6月4日(月)晴

ここ1週間ほどで一番の晴天。
紫陽花

さて、なにをしようかな?

ちょっと外出してきたよ。



家から目的地に行くまで、前から後ろから自転車が来る。

大人がひとり乗っている自転車があれば、

小さな子供を乗せた自転車も。

中には前と後ろにひとりずつ、幼児を乗せた自転車も・・・

ちょっと恐い。



ばばは自分で運転できるのは、軽のマニュアル車のみ。

高校生の時、自転車は乗れるようになったが

ある時、港へ荷物を受け取りに行く途中、見事道路の中央で転んでしまい

それ以来、自転車は恐くて乗れない。

だから、自転車や原付バイクを乗りこなす人を尊敬する(笑い)。

ばばって、本当にビビリ屋。



今日は用事を済ませて帰宅途中、歩きながら

何故か、小学校時代の事を思い出していた。

それも「初恋?」の思い出。

ばばの小・中学時代って、男子と女子は「敵対関係」。

下校途中、いつも待ち伏せされて意地悪されていたから男子とは口も聞かなかった。

女子だけまとまって、男子が待ち伏せしていないだろうコースを選んで帰っていた。

コースは6つ位あって、本当なら最短コースを帰りたいのに

男子が待ち伏せしていると思うと、最短コースはなかなか通れなかった。

今思えば、男子も女子をからかっていただけだと思うんだけど、

当時は本気で恐かった。

ただ口で脅されるだけだったけど。

脅すと言っても「畑に落とすぞ〜〜」とか「ここから先に通さんぞ〜」とか

言うだけだったけど、男子の言葉を聞くとSちゃんが泣き出すので

いつもSちゃんの手を引っ張って走って逃げていた。

だから、「男子は全員が敵」だと思っていた。



そんなある日、Nちゃんとふたりだけで帰った日があった。

待ち伏せしている男子もいなくて、ふたりで最短コースを歩きながら

何故か「先生で、どの先生が一番好き?」という話になった。

「せぇ〜ので、一緒に言おうよ」という事になり

「せぇ〜の!」と言い、次に好きな先生の名前を大声で言った。

何と!ふたりとも同じ「正野晋吉先生!」と叫んだ。

その後、何故かふたりして「正野晋太郎吉八郎為朝」と大声で唱和しながら

急な坂道を上がった。

何故、先生の姓の後に「晋太郎吉八郎為朝」という名前を付け加えたのかは不明。

急な上り坂だったけど、歌うように「政野晋太郎吉八郎為朝」と繰り返すうちに

きついとも思わず、坂道を登り切っていた。

そして、Nちゃんとは何故か仲間意識が強くなり、未だに親友。



中学校卒業までも、他の友達から「誰々が好き」とか一度も聞いた事は無く、

ばばも話す事もなかった

Nちゃんとふたりも正野先生以外誰か好きになったかなぁ・・・・



先生が好きだからと言っても特別な事は何も無く

授業中は教室左手にある山頂近くの洞穴をじぃっと眺めていたり(完全なよそ見)

学級園に庭掃除で掃き集めた枯れ葉などを勝手に運び込んで

野菜の種をまいて収穫したり(勝手にこんな事して良いの?)

さらには収穫した野菜を炊いて食べるためにNちゃの家まで夜間外出し

翌日、職員室にばばだけ呼び出されたり・・・・



本当にばばって・・・・・

今考えると恥ずかしいけど、当時は、ただ楽しかった。



Nちゃんとばばが好きだった先生、数年前にお亡くなりになったそうです。

小学校卒業以来、お目にかかった事も無かったけど・・・



一度位ゆっくりお話しする機会があれば良かったなぁ・・・と思うばばです。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

頑なに

by ばばの日記

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6月3日(日)晴

夕べ、急に「今まで何台の車を買い換えて乗っただろう?」と思った。

車


社会人になって2年目に車の免許を取った。

1年目は、職場まで徒歩5分の距離の借家住まいだったので、車は不要。

実家へ帰る時は、1時間に1本あったバスを利用していた。

所要時間は約1時間。



2年目の職場は、とても徒歩で通える距離では無く、

とりあえず職場の近くに下宿した。

実家へ帰るのはやはり公共のバスで、約15分位だった。



たまたま、職場の先輩が車の免許を取ったので

ばばも触発され免許を取った。

それを機に、実家へ戻り、実家から車通勤。

最初買った車は、周囲の「はじめの車は中古車が良いよ。

それで練習して、2台目に新車を買えば良い」というアドバイスもあり

ある人の紹介で中古車を買った。

それが若い女性には不似合いな荷物が沢山積める車。

車の知識など皆無だったばば。

周囲にも車に詳しい人も無く、紹介した人も親しい人でも無く

車屋さんも町外だったし、明治生まれのばば両親はばばが良いなら・・・と。



自分お車で通勤するようになり、バスの時間を気にする事が無くなったのは

嬉しかったが・・・・

車の外観は決して良くなく、一番困ったのは車体が大きかった事。

ばばの家は集落の外れにあるのだが、集落の中の道は狭くて

とても離合など出来ない。

おまけに、石垣とかも多くて、車一台がギリギリ通れる位しか無くて

特に実家の手前のカーブは、ハンドルを左に切り過ぎれば石垣に触れるし

右に切り過ぎれば、溝に脱輪・・・という・・・

初心者泣かせの道路だった。

しかし、この道路しか無くて、ドキドキしながら運転していた。



車を買ってからずっと気になっていた車のナンバーが

まさかの「4269」・・・「死に向く」・・・

この番号が気になって仕方が無いばば。



1年経つか経たない頃、両親にこのことを話したら

「そんなに気になるんだったら、買い換えたら?」と言ってくれた。



給料が数万円だった時代、車は高価な買い物だったけど

「気にしぃ屋」のばば、車のナンバーが気に入らないというだけで

あっさり車を買い換えてしまった。

それも軽の新車。



当時、給料から5000円だけ小遣いを取って、残りを両親に渡していたけど

両親が良く承諾してくれたなぁ・・・と今でも思う。



買い換えた新車はダイハツの軽だったが、この新車でもハプニングが!

職場近くのガソリンスタンドで給油をしてもらっていたら

ばばの前で給油を終わった車がバックしてきて、ばばの車の全部にぶつかったのだ。

顔見知りの大先輩だったが、本当に世間知らずというか、お馬鹿だったばば。

抗議する事もせず・・・結局買ったばかりの車を修理に出す事になって

経費全て自己負担という・・・

車の保険には入っていたと思うけど・・・

今でも、あの時の自分を許せない気がする。

当時「誰でも間違いはあるから・・・」って思い、両親にもそう話し、

両親も「そうだね、いつ自分が迷惑をかけるような事があるかもしれないから」と言った。



当時は今のような車社会でも無かったし、ばばの周囲には

車に詳しい人も、車について色々アドバイスとかしてくれる人もいなくて

ばば自身、車などの知識皆無。

今なら、自分から車屋さんに色々聞いたりして、教えてもらう事も出来るだろうけど

当時は、車屋さんが勧めてくれる車を買っていた。

車の機能とかより、車体の色とかナンバーが気になっていたばば、

今考えたら「全く、もぅ〜〜」としか思えない。



車のナンバーと言えば、今乗っている車の前の車のナンバーは

「1517」「以後、いいな」だった。

車を買えた後、知人が「ばばちゃん、車替えたの?

前のナンバーは(イチゴ いいな)だったでしょ」って言われた。



ばばも島ではすれ違う車のナンバーをチラッと見て

覚えたりするけれど、知人も何回かばばの車のナンバーを見るうちに覚えていたらしい。



じじは、車のナンバーなどには興味が無いらしくて、

自分が今年初めまで乗っていた車のナンバーも覚えてはいないはず。



ばばは、ちゃんと覚えているよ、

「何かくれ」「7290」だったって・・・アハハハ〜



夕べから色々車の事を考えていたが・・・

ばばは約半世紀で約6台の車を乗ったかも・・・

勿論、全てマニュアル車・・・

半世紀経っても、マニュアル車しか乗れないばば。

ばばが免許取った時はマニュアル車しか無くて

その後、オートマ車の時代になったけど、ばばは頑なに

「マニュアル車しか乗れない!」と言い張っている。

頭固いのかなぁ・・・ただの臆病者なのかなぁ・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「毛虫事件」覚えているかなぁ・・・

by ばばの日記

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6月2日(土)晴れ

昨日より雲は多いけど、今日も良い天気!



さて、昨日のブログで「MRI検査開始後、2分ちょっとで逃げ出した」という

病院始まって以来の「珍事」を起こしてしまったばば。

実は・・・

あの時の「脳ドック」は普段のドックでは無く、特別な検査だったので

前もって検査料金を払ってあった。

途中で逃げ出したからと言って、その検査料が返金される事は無い検査だった。

そこで、「全身麻酔で検査できませんか?」と言うばばに

「その方が命の危険性があります」と答えた先生。

MRI以外に何か・・・と先生も考えて下さったのか?

「CT検査はどうでしょう?」と提案され、受け入れ、脳のCT検査を受けた。

まぁ、ばばにとってMRIが無理なら止めても良かったけど

一応受けたCT検査で異常は見つからず現在に至っている。



病院へ行くとか、注射をするって、あまり嬉しい事では無い。

でも、仕方なく注射をしなければならない事は、子供の頃から多々あった。

入学前か、小学校低学年の頃だったかなぁ?

一番上の姉に連れられて、近くの病院に行った。

「種痘」に行った。

子供心にも「注射に行く」という事は分かっていた。

逃げ出したかった!行きたくなかった!



しかし、姉の一言でコロッと気持ちが変わったばば。

「泣かずに注射受けたら、家に帰って、大きなスモモあげるからね」という一言でね。

約束通り、泣かずに「種痘」をしてもらい帰宅した。

姉は約束通り、裏の畑から大きな熟したスモモを何個か取って来てくれ

ばばは、大喜びでしたとさ・・・アハハ〜

半世紀以上経っても忘れられない思い出だけど・・・

種痘って、今考えると恐い。

種痘の跡って、ジュクジュクしたりカサブタが出来たり、

治るまでに何ヶ月もかかった。

腕の上部に何か傷を付けて、さらに、その傷に何かしたような・・・・

この種痘の跡って、未だにばばの左腕上部に大きな物から小さな物まで

10個近く残っている。



今は、もう、学校とかでも種痘はしないんだよね・・・・



あと1つ、小学校低学年の頃の忘れられない「注射の思い出」が。

ばば自身の事では無いけれど。

当時、学校でツベルクリン反応接種があり、翌日か翌々日か?に

注射跡の赤く腫れた部分の大きさを測り、1センチ以上?なら陽性

ある数値以内なら擬陽性?、それ以下だと陰性と判定され

擬陽性と陰性は、陽性にするための「BCG接種」なる注射をされた。

ばばはずっと陰性で、友達も陰性の子が多かった。

「判定当日」に事件は起こった。

毛虫


ばばは陰性で注射を受けた。

友達も次々と・・・

しかし・・・K君の番になった時、赤く腫れた部分の大きさを測定していた人が

怪訝な表情になり、首をかしげた・・・

何と!K君の腕の腫れ具合が明らかにおかしい・・・という事で色々聞かれた。



結果、K君は判定の前に「注射が痛くて嫌なので、

わざと判定してもらう部分に毛虫を乗せて刺させて

赤く膨らませたんだって。



勿論悪い事だけど、低学年ながらよく考えるなぁと、

K君の発想に感心した事を覚えている。

あれからウン十年・・・・



このことを覚えている同級生はいるかなぁ?

当事者のK君とは、数年に1回も会えないけれど、何年ぶりかで会ったりすると

今でもとても機転が利き、発想も面白く、周囲を楽しませてくれる。



「あの毛虫事件」、K君自身覚えているかなぁ・・・



※イラストはネットからお借りしました。

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「逃げ出したのはあなただけ・・」と言われても・・・

by ばばの日記

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6月1日(金)晴れ

久しぶりの青空〜洗濯日和だけど・・・

洗濯は後回しにして、午前中はちょっとお出かけ。

帰宅後、洗濯をしながらブログを書いている。



さて・・

「人間、健康が一番大事!」といつも思っている。

特に自分が体調を崩した時には、反省しきりのばばです。


ばばがヨーグルトを1日1本飲むようになって、もう10数年になるかな?

テレビかネットか本で、ヨーグルトが健康に良いと知ってから

自分でヨーグルトを作ったりした時期もあったが

今は市販のヨーグルトを飲んでいる。
ヨーグルト



退職後、寝込むような事は全くなかったのはヨーグルトのおかげかな?

と、信じている。

今回、ほぼ一週間、ちょっとダラけたのが自分でも不思議だった。

今回たまたま色々な事が重なって、ヨーグルトを飲まない日が続いていたせいかも・・・

なぁんて思っている。

「信ずる者は救われる」と言うけれど、ばばは「ヨーグルトさん、今日も宜しく!」と

いう気持ちでこれからもヨーグルトを飲み続けたいと思っている。



ばばはブログに何回も書いたが「超」がつくほどの「閉所恐怖症」。

原因は勝手に「自宅トイレに自分で自分を閉じ込めた事件」と

「病院のエレベーターに姉とふたり閉じ込められた事件」だと信じ込んでいる。



30代後半まで、病院のMRI検査も平気で受けられた。

しかし・・・・

退職直後、病院でMRI検査を受けようと姉と出かけた。

姉は何事も無く検査を終えて検査室から出てきた。

大体25分位で検査は終わると聞かされ、検査室に入った。

検査する器械の中に頭を入れた時、検査をする方が

「もし、苦しくなったりしたら、すぐに手を上げるか声を出して教えて下さいね」と言われた。

「きっと大丈夫、大丈夫」と器械の中でも自分に言い聞かせつつ目を閉じた。

検査が始まった。

なるべく検査の事を考えないように、数字を数えたり、家族ひとりひとりの事を思ったり

昔の事を思い出したりして気を紛らわせようと頑張った。

しかし・・・何故かどんどん不安になり、恐くなり・・・・

「すみません!!!!!止めて下さい!!!!!」と声を上げた。

すぐ検査は中止された。

起き上がって「すみません」と検査をする方に何度も何度も謝った。



外に出て、診察室に行くと「この病院でMRI検査の途中に逃げ出したのはあなただけです」と言われ

さらに「2分○○分ではちゃんとした検査は出来ませんでした」とも。

「全身麻酔で検査できますか?」と聞くと「その方がかえって危険です」と言われた。

その後、その病院で検査の時に会った何名かの職員や検査をする方とは

会うのも恥ずかしかった。



だって・・苦しいんだもん!。

恐いんだもん!。



「逃げ出したのはあなただけ」と言われた事は10年以上経っても未だに忘れられない。



でも・・・数日前、脳出血とか脳梗塞の危険性についての話を聞き

MRI検査を受診する事により、病気を発見したり、予防する事が出来るとも聞いた。



ばばも、ずっと気にはなっていたんだけど「又逃げ出すのでは・・・」と思うと

病院で受診する事には二の足を踏んでいた。



しかし、時代は進み、検査機器も進化し、今はオープン型のMRI検査器械があるそうで

鹿児島県内でも、いくつも病院で装備しているそうだ。



ばばにとっては朗報!!

今年中に思い切って受診してみようかな?と思うようになった。

ネットなどでもっと情報を集め、納得した上で受診したいと思っている。



ばばの「閉所恐怖症」って、治るものなのかなぁ・・・

治したいなぁ・・・

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