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05/11(水) 16:22
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05/09(月) 16:07
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05/08(日) 15:09
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05/07(土) 15:52
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「骨折り損の・・・・」じゃないよねぇ〜

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


5月12日(木)雨

「備えあれば・・・・」

ばばは昨日、両親宅裏にある自家菜園?へ走った。

百均で買ったビニールカッパを着込んでね。

何のためにって?

だって・・・昨日は沖縄の南で発生した台風一号が

夜には奄美にも接近するだろう・・・風雨も強くなるだろうって

テレビなどで報道されていたからね。

実際、昨日は船も3便ほど欠航したり、抜港したと聞いたから、

きっと台風の影響はあるだろうと、まずは丹精込めた野菜?の

収穫に走ったの。

シソとニラと、ネギとハンダマとできるだけ収穫しておこうと思ったの。

シソの葉は300枚くらい収穫して、細ネギと太ネギも全部葉を切り、

ニラは根元の方から思い切って切った。

スーパーの大きなビニル袋がズシンと手応えを感じるほどの収穫量だったよ。

これ全部、すぐに使えるように洗ったり、

下ごしらえしたりするの大変だなと思うけど、自分で育てたものは

大事にしたくなるよね・・・・・

野菜の収穫が終わったら、次は(万が一台風が来たら・・・)と

プランターと鉢に移植して育てているシソを

雨風の当たらぬ場所へ移動して・・・これで両親宅での作業終了!




ビニル合羽越しの雨が冷たいこと・・・

風邪でもひいたら大変大変!

収穫した野菜を抱えて階段を駆け上った。

裏口玄関の戸を閉めようとして、両親宅の屋根に目が行ったばば。

あれっ?

猫が一匹、屋根に丸まっている。

♪「猫はこたつで丸くなる」♪んじゃなかった?

なんで、こんな台風が近づく日、

それも雨の降りしきる屋根に丸まっているの?

ばばには、猫の気持ちがさっぱり分かりませぬ。



収穫した野菜は、一応台所に置いといて・・・・

玄関先の大事な花を室内に入れましょ。

カランコエの八重咲きの二鉢と・・・・

源平カズラ二鉢と・・・キンモクセイと・・・

インパチェンスと・・・そうそう、小菊も二鉢・・・・

ついでにホー期や踏み台も入れておきましょ。



数が多くないから、そんなに時間はかからないけれど

水をたっぷり含んだ鉢は結構重いねぇ〜。

一段落して、ホ〜〜ッ!

「さぁ、台風来るなら来い!」って気持ち。

万が一停電になっても、緊急用の電灯も準備OK〜。



夕方になり、雨風はますます強くなったので

いつもより1時間ほど早く買い物に出た。

牛乳も明日買ってもいいけど、もし船が欠航したら

真っ先に売り切れるのが生鮮食料品。

どうせ、明日買っても、今日買っても同じでしょと、

賞味期限が一番長い商品を探して買い、ほうれん草・小松菜なども買って、

病院へ行き義父と面会。

「お父さん〜ばばちゃん来たよ〜、お父さん、返事して」と呼びかけると

「はい」って、返事してくれた。

その後も、言葉にはならなかったけどゴニョゴニョと何か呟いていた。

病院を後にし、一直線帰ろうと思ったけれど

すぐ近くにコンビニがあるので、

(もし、明日今日より風雨が強かったら買い物できないかも・・)と

パンまでついでに買って帰ることに。

幸いホテル食パンは2本残っていたけれど、

なぜだかヘニャヘニャ〜〜って、くたびれた格好で立っていたので、

(こりゃ、カットするのも大変じゃ〜

こんなにヘニャヘニャじゃ美味しくもないかも・・)って、

きっぱり諦めた。



諦めて正解だった!

だって・・・・・今朝起きたら、風の音なんか全然しない・・・・

台風一号は夕べのうちに熱帯低気圧に変わったんだって。

昨日の、ばばのあの頑張りは何だったんじゃらほい!!!

正に、「急いては事をし損じる」「骨折り損のくたびれもうけ・・・」って

このことかな?反省しきりのばば。

朝食後、ベランダにビニルシートを出して、

シソやネギ、ハンダマの仕分けをしたが、いやぁ〜結構時間かかった。

シソなんて300枚も一枚一枚裏表洗って、サラダスピーナーで水切りして

保存袋に入れてストローで空気を吸い出し真空パックらしくして、

冷蔵保存したよ。

その都度食べる分だけ収穫したらこんなことにはならないのにね。

でも、自然現象、(今回は台風)なんて先が読めないもの・・・・

だから、ばばは「くたびれ損の・・」とは思わず

「ばばよくやった!苦しゅうない!面を上げぃ〜褒美を取らす」と

じじに言ってほしい・・・・・・・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

島のバス

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


5月11日(水)曇時々小雨

ゴミ出しで道路に出た時、道路を車で走りながら

バスを見かけることが良くある。

でも、いつも思うのは(乗客が少ないなぁ・・)ということ。

運転手さんだけが乗って走っているバスも多い。

乗っているお客さんは、1人とか2人のことが多い。

この様な現状で運行を続けられるのかな?と

不安になることも1度や2度ではない。

(県や国から補助があるんだろうな・・・)



ばばが子どもの頃は、バスなんかほとんど乗ったこともなく・・・と言うより

中心地、亀津へ出るということ自体ほとんどなかった。

食料品は、米を初め野菜も肉も自給自足だったし

調味料も集落内にあるお店へ入れ物(ビン)を持って行き

量り売りで買っていた。

衣料品は顔見知りのおばさんがカゴに入れて背負って売りに来た。

おやつだって、黒糖とか母の手作りの物だったので、

わざわざバスに乗って亀津まで出かけることもなかったのだ。

ところが、ばばが中学生になる頃からだったろうか?

亀津に大きなお店ができ、品数も格段に多くなり、

学校関係の音楽発表会なども中心地である亀津で行われることが多くなった。

否が応でも亀津へ出ることが多くなった。

ばばが初めてバスに乗ったのは、小学5年生の時の音楽発表会に出場した時だった。

初めて乗ったバスに酔ってしまい、気持ち悪くなって困ったことを鮮明におぼえている。

中学3年まで島で過ごしたが、よっぽどのことがない限りバスに乗ることはなかった。

高校は喜界島へ行ったが、住まいも学校の近くで

バスに乗って用事をすることもなく

高校時代も、ほとんどバスに乗ったことはない。

成人して、島で仕事をするようになって2年目に車の免許を取り

自家用車通勤をすることになったので、

またまたバスからは縁遠くなってしまった。

ただ、職場の行事で年に数回バスを利用することはあったけど・・・

そして、退職。

未だに移動は自家用車が多いので、バスを利用する機会はない。

たまたまバスに乗った時、見える風景が自家用車の時とは違い

新鮮な気持ちで同じ風景を見た記憶がある。



観光ブームによって島の交通事情も変わってきた。

観光バスも運行するようになった。

今、徳之島に観光で訪れる方々がどれほどか正確な数を知らないが

ばばが仕事をしていた時お世話になった、貸し切りバスの運転手さんの話によると

最盛期は、一旦客を目的地まで送って降ろし、すぐ引き返して次の客を運び・・・と

ピストン運行するくらい忙しかったそうだ。

そのうち、観光ブームは去り、マイカーブームになり、

島のバス事情も大部変わってきたようだ。



テレビなどで、「買い物難民」という言葉を耳にするようになって久しいが

徳之島は小さな集落もたくさんあり、高齢化が進み・・・・

本当に「買い物難民」も増えていると思う。

最近大手スーパーが「買い物バス?」を運行しお客さんの便宜を図っているけれど・・・

今後、島の交通事情はどうなっていくのだろう?



ばばは、島の中心地、亀津に住んでいるので、歩けるうちは

自分で買い物も出来ると思うが、遠く離れた集落の方々は・・・・・・



そう言えば・・・・

一昨年だったか?天城町北部地域と徳之島北部地域を対象に

「徳之島あいのりジャンボタクシー」なるものが

実証運行されることになり、各家庭にチラしも配られたが

このジャンボタクシーは、まだ運行されているのだろうか?

チラシには、

天城町、徳之島北部地域を運行する平土野〜花徳系統、

平土野〜与名間系統の(バスの?)運行を休止し、

同地域における代替交通として、事前予約があった場合にのみ

運行するデマンド・(需要、要求)型交通で運行します。

と書かれ、さらに

・事前に予約があった便、区間のみを運行し指定場所での乗降となります。

・基本経路が決められた乗降場所へ迂回しながら運行する「迂回方運行」です。

・途中で他の乗客を乗せて行くあいのりでの運行で、1人の予約でも運行します。

・・・・と記されていたが。。。。。。



たまたま今朝ゴミを出していた、ばばの目の前を

運転手さんだけが乗ったバスが通り過ぎたので

島のバスや交通事情のことが気になり・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「母の日」の翌日・・・

by ばばの日記

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5月9日(月)曇

午前中用事があって、Aコ−プの花屋さんを覗いて驚いた。

店頭がガラガラ状態。

昨夕、義母との面会帰りに寄った時は、

店内・店頭にたくさんのお客さんがいて、

鉢植えのお花を持った人、カーネンション数本を手にした男子高校生

品定めをするように店内を見ている人など、

狭いスペースに溢れんばかりの人がいた。

あの後の今日だから、お店には、ほとんど花が無かったんだろうなと納得。

昨日、男子高生ががカーネンションを持っている姿にちょっと感動したけれど

最近は、男の子でもお母さんにカーネンション贈るんだね・・・・



ばばは、自分の母にカーネンションなんか一度も贈ったことがない。

電話をしたり、手紙を書いたりはしたけれど・・・・

もっともっと両親を喜ばせることをしてあげれば良かったと

今さらながら後悔しているばば。

「親孝行、したい時に親は無し」って

ばばの母がよく言っていた。

ばばが、反抗ばかりしていたから戒めの意味で言っていたんだろうね。

本当に母が言っていた通りになってしまった。



ばばが結婚する時、「これからは、私たちのことは何も気を遣わなくて良いから、

何でもじじご両親を優先しなさい。」と言った母。

じじ両親にも嫁(義娘)らしいことは、あまりしてあげてないけれど

自分の両親にもっと親孝行してあげれば良かった・・・」と後悔ばかり。

ばばが実家近くの職場で働いていた時、母は何時もばばが帰る頃は

門にビールの空きケースを出してちょこんと座り

ばばの車の音が近づくのを待っていてくれた。

一年一日の如くアンバソーメン(徳之島の郷土料理油ソーメン)を作って・・・・・

ばばが車を停めて、降りた時の母の嬉しそうだった顔が

今でも瞼に焼き付いている。

母との楽しい時間を少しでも延長したかったが

家に帰ってじじやさん姉妹の分の夕ご飯を作ったり、

その他の家事をしたりすることを考えたら、

最長でも1時間しか一緒に過ごせなかった。

ばばが、車に乗って帰る時、

母は「ばばの車が見えなくなるまで手を振っていた」と後日聞いた。

その時の母の心中はどうだっただろう?

やはり、寂しくはありながらも

「家庭が大事。早く帰って家のことをしなさい」と言ってくれただろうなと想像する。



最後の勤務地が実家のすぐ近くに決まった時は

何だか両親が呼び寄せてくれたような気がした。

仕事が始まる前とか、昼休み、退庁前、

ばばは、高台にある実家の方に向かって心の中で亡き両親に何百回となく語りかけた。

「お父さん、お母さん、ただいま。帰って来たよ・・・

ばばの働く姿見ていてね。そして、見守ってね」と。

両親が元気だったらどんなにか喜んだだろう・・と思うと切なかったけど・・・

あまりに気が滅入る時などは、両親のお墓へ行きお参りして帰る時もあった。

すると、両親がすぐ傍にいるような気になって、心が安らいだ・・・



母より3年先に亡くなった父。

無口だったけど、その立ち居振る舞い、

笑顔がいろいろなことをばばに語ってくれていた。

晩年の父は、漁師さんが使う浮子や、木の根っこ、海の漂着物など

身近にある様々な物を使って、それは器用にいろいろな作品を創っていた。

散歩がてら、ばばが両親を車に乗せて近くの海まで連れて行き、

一緒に波打ち際を歩きながら、父の創作材料を集めたのが

親子3人での最後のドライブになった。

あの時の両親の穏やかな笑顔、父の嬉しそうだった顔を思い出すと

胸が締め付けられるほど親恋しくなる。



ばばが退職して5年目。

ばばを我が子のように可愛がってくれた、じじの両親は

今は病院と施設で暮らすようになった。

義父は言葉を発して会話をすることは出来なくなったが、

義母は、面会に行くたびに「ばばちゃん、いつもありがとうね。

ばばちゃんにだけ、難儀させてごめんね」と言う。

感謝の気持ちを忘れない義母に頭が下がる。



ばばには自分の産みの両親と同じくらい大切なじじ両親がいる。

両親がこの世に存在していると思うだけで心強いし、嬉しい。

ばばに出来ることなんて知れているけれど、

自分の親に出来なかった分まで、じじ両親を大事にしていきたいと

固く心に誓った、昨日の「母の日」だった。

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落花生

by ばばの日記

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5月8日(日)曇時々小雨ちらつく

最近、義父の体調が良さそうで嬉しい。

昨日夕方は、ばばと姉の二人で病院へ行って

姉が「お義父さん〜、お義父さん〜」と呼びかけると

「は〜い返事をしてくれた。

姉が「良かった〜お義父さんが返事してくれて嬉しい」と言うと

それに答えるかのように義父も声を出した。

姉と義父が会話をしているようだった。

ちゃんと、聞こえているんだなぁ〜と再実感。

毎日、たくさん話しかけるようにしよう・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日曜日の朝はNHK教育テレビ8時からの「趣味の園芸」「野菜の時間」などを観ること。

今日は「落花生」の種を蒔いていた。

落花生のことを島では「地豆(ジマムィ)」も言い

子どもの頃は、我が家でも作っていて現金収入の1つにもなっていた。

換金した残りは、油味噌やサタ豆(ガジャ豆)・地豆豆腐・呉汁・煮豆

イッキ豆(から煎りした豆)等々と、用途はいくらでもあった。

この落花生の不思議な生態?を知ったのは、

恥ずかしながら30才を過ぎた頃に出会った絵本でだった。

落花生は、種を蒔いたら地下に次々に豆が付くと思っていたが

花が落ちた後に、細い茎のような物が地下へ伸び

そこに落花生ができるんだって。

落花生とは読んで字の如く「花が落ちて生る」んだという

藤田智先生のお話に納得。

この落花生の小さな実には栄養がギュッと詰まっているんだって。

一日10粒ずつくらい食べると体に良いって以前も聞いたことがあるんだけど

脂肪もたくさんありそうで・・・ちょっと心配で食べ続けることは出来なかった・・・



ばばが小学生の頃は、余所のお宅で落花生の殻を剥いて、実が一升になると

10円だったか、もらえたので、

親指にマメが出来て破れるまで頑張ったことがある。

当時のばば達にとって貴重な現金収入(お小遣い)だったからね。

でも、実が一升になるまで剥く落花生は何百個だっただろう・・・・・

当時は、指の痛さを紛らわすために数を数えたりもしたが、すっかり忘れてしまった。

今でも、知人から落花生の殻付をいただくことがある。

殻を剥く時は、何故か幼かった頃のことを思い出す。



我が家で作っていた落花生は、初めはミツマタで掘り起こす品種だった。

両親が掘り起こした落花生をまとめて畑で豆を千切る作業をしたこともあるし

家に運んで作業をしたこともある。

豆を千切った後の茎などは畑に鋤き込んで肥料にしていた。



しばらく経って、掘り起こす落花生の他に茎を持って引き抜く

「カガイマムィ」と言われる品種が出てきた。

「カガイ」とは「引き抜く」という意味で「カガイマムィ」で「引き抜く豆」ということ。

ミツマタで掘り起こすより労力は少なくて良かったかも。

ばばにだって、楽に引き抜けたからね。

でも・・・この方法では引き抜かれた時、千切れて地下に残される豆も多数あったかも知れないね。



掘り起こす豆の方が大きくて、「カガイ豆」の方は二回りくらい小さかったが

実が張りつめていたのは「カガイ豆」の方だったと思う。。



落花生には1つの殻の中に2つ・3つ・4つくらい実が入っていた。

3個、4個実が入っている豆をそれぞれ

「3節豆(ミフシマムィ)」「4節豆(ユフシマムィ)」って言ってた。



今、ばばの間近で落花生を作っている光景を見ることは、ほぼ無い。

心の中の風景になってしまった、落花生の植え付けや収穫の風景。

セピア色の写真になってしまった心の中の風景。

大事にしていきたい・・・・・・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

朝寝・昼寝・○○付

by ばばの日記

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5月7日(土)曇

「ばば、おはよう〜」という声で目覚め時計を見ると、6時半。

じじが朝のジョギングから帰って来たのだ。

「お父さん、どうだった?」ばばのいつもの第一声。

すると、じじが興奮した様子で

「今日は病室へ入っていくと、父ちゃんがすぐに手を差し伸べて

僕の手をギュッと握ったんだよ。そして、まるで何か言うように

声を出したんだよ」って。

「東京行ってきたよ。娘達も、孫達もみんな元気だったよ」と言うと

さらに父は何か言おうとしたんだよ」って。

昨日も書いたけど、やはり聴覚はしっかりしているんだね、お義父さん。

昨夕、ばばと姉が病院に行った時、

「お父さんの声聞きたいな」とばばが言うと、

まるでシャックリをするような声を出したね。

本当に、もう一度お義父さんと話してみたいなあ・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

うちのじじって、ちょっと可笑しい。

朝4時半頃起き、ジョギングやPCで一仕事???

朝食済ませて又一仕事。

11時半頃から「朝寝」と称して一眠り。

12時30分ほど起きて昼食。

しかし、起きた時「アチョ〜、危うく寝るところだった」とシャアシャアと言う。

ばばが大好きな西村京太郎さんの長編4分の1くらい読み終わるまで寝てたよ。

「危うく寝る・・じゃなくちゃんと寝てたよ」と言うと

「寝ていなかった」と言い張る。

どうして?

「寝ていた」と言ったら何か都合の悪いことでも、じじ?

ばばが角はやして激怒するとでも?

ずぅっと以前から不思議に思っているけど

「アチョ〜危うく寝るところだった」の本意が、まだ原因究明出来ていない。

昼食後は又「昼寝」と称して又一眠りしようとしたじじだけど、

テレビで「ばば公認のじじの恋人上沼恵美子」が出ているので

若い頃は「少女漫画の主人公」と自称していた、お目々パッチリでテレビに釘付け・・

かと思っていたら、いつの間にかスヤスヤ・・・・

「朝寝・昼寝・夜寝酒付き」のじじ、民謡「磐梯山会津」に出てくる小原庄助さんだね〜。

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豪華客船、「ふじ丸」船内見学

by ばばの日記

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5月6日(金)雨後曇

アチャ〜〜。

何としたことか?ばばは、今日が「子どもの日」と思ってた。

昨日もラジオやテレビで、何回も「子どもの日」という単語を聞いていながら、

今日がこどもの日だと。。。。

そこで、赤飯炊いたのよ・・・

そしたら、姉とじじが「こどもの日は昨日よ」と言うので

エェ〜〜ッとばば。

そう言えば、昨日だったような気もするし・・

でも、何故か今日のような気も・・・

ついに、ばばも誰かさんの仲間入りかぁ・・・



三姉妹さん達、ごめんねぇ〜。

昨日は電話もしないで・・・

今さら「子どもの日、おめでとう」も可笑しいけど

じじとばばの子に生まれてきてくれてありがとう〜〜。



今日はね、以前申し込んであった豪華客船「ふじ丸」が

平土野港に入港するので見学会に行ってきたよ。

いつもの3人でね。

11時頃まで現地着と書かれていたので、10時過ぎに家を出た。

折りからの梅雨空。

時折激しい雨。

どうなるかな?と心配しながら車を走らせた。

11時10分前ぐらいには着いたよ。

既に「ふじ丸」は接岸していたが、その大きさに圧倒された。

日本には豪華客船が4隻あるらしいが、この「ふじ丸」は3番目に大きいんだって。

24000トンちょっとあるらしい。

鹿児島と徳之島間の定期船が5000トンクラスなので、

「ふじ丸」の大きさはその4倍強。







岸壁にはいくつものテントが張られ、

三味線伴奏に合わせ懐かしいメロディーやエイサー演奏等が流れていた。

まず、受付をしてテントの中に入った。

本当なら歓迎セレモニーも船外で行われる予定だったはずだが

雨のため、浴衣を着た天城町の婦人方が船の中で踊ったりしたようだ。

その後、「ふじ丸」から次々お客さんが下りて二台のバスに分乗して何処かへ走り去った。

きっと、徳之島の人達が船内見学などをする間に

徳之島の名勝地等を廻って来るんでしょうね。

でも、雨で車外へ出ることもままならぬようなのでお気の毒ですね。

二台のバスがテントの前を走っていく時、ばば達はバスに向かって手を振ったら

車内からも、ほとんどの方が手を振り返してくれた。

この方々は何処から来られたんだろう?

「ふじ丸」でいらした方々が降りられた後、ばば達は船内へ案内された。

20名ぐらいが1グループになって、説明される方が一人付いた。

本当は8階まであって、その8階にはプールなどがあるらしいけど、

雨が降っているため7階から下を見学させていただいた。

まず、エレベーターで7階まで上がって、

乗務員さんの説明を聞きながら、だんだん下へ降りたんだけど、

船自体が、まるで大きなホテルのよう・・・・

ばばの横に乗っていたおじさんが

「船の中でエレベーターに乗るのなんて初めてだ」と言い

他の多くの方も頷いていたが、

ばばも7階までエレベーターで行くなんて思ってもみなかったのでびっくりした。

船内はゴミひとつ無く、船独特の嫌な匂いもなく、いかにも豪華客船という言葉がピッタリ。

見学して廻りながら、あるおばさんが「世界一周をしたらどのくらいお金がかかりますか?」と聞いた。

ばばも興味津々。

説明によると、ピンからキリまであって、一番高いランクでは3ヶ月3000万円だって。

安いのでは、その十分の一の値段でも行けるって。

ちなみに、今回のクルージングは、あるグループが「貸し切り」という形での運行だって。

3000万なら、島では立派な家が建つよ〜〜って、ばばは世俗的なことを考えていたよ。

ゲームを楽しむフロア・ショッピングをするフロア・ショーを楽しむフロア・

図書館・お茶を楽しむフロア等々・・・次々と説明されたけど

ばばにとっては夢物語。

しばし言い夢を見せていただいたような気分でした。

本当は、食事を船内でするコースもあったんだけど、

現実的な「じじ一行」は、船を下りると、そのままいつも行っている浅間干潟へ。

つい先日、湾屋川の横にある公園で、良い休憩場所を見つけていたので

そこで車を停め昼食。

遙か港の方を見ると、ついさっき乗ったばかりの「ふじ丸」が目の前にハッキリ見えた。

港ではふじ丸が大きすぎて全体を写真で撮る事が出来なかったが

此処からならちゃんと写せるよ。

良かったねぇ〜じじ。

昼食を終え、干潟へ走ったら、サギの仲間やシギの仲間がたくさんいたけれど

いつもの面々で何回も写真に写しているので、もう良いとじじ。

「じゃ、帰りますか!」と帰って来たら2時少し前でした。



じつはね・・・

今回の「ふじ丸」見学を申し込んだ時、「屋久島クルージング」も申し込めたの。

屋久島は滅多に行けないので申し込もうと思ったんだけど

詳細を聞いてみると、屋久島まで行ったら、「ふじ丸」はそのまま神戸に向かうので

ばば達は自分たちで屋久島観光して、あとは鹿児島まで行って徳之島に帰るということだった。

屋久島までのクルージング料金が一人4万円と言われたが、

少なくても3日は家を空ける事になるので、義父母のことを考えると現実的に無理・・・・

ということで断念。

残念だったなぁ〜。

でもいつか、豪華客船に乗ってクルージングできる日もあるでしょう・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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