by ばばの日記
徳之島じじとばばのブログ
12月4日(日)晴れ
今朝、ラジオを聞きながら家事をしていると
ラジオから「♪朝は再びここにあり 朝は我らと共にあり・・・♪
と言う歌が流れてきて、ばばも一緒に歌い始めた。
それを聞いていたじじ、「ばば〜、ばばって明治生まれ?」って。
そう・・・ばばは明治時代よりずぅっと前の平安時代の生まれなの。。。って・・・
何故?ばばがこの歌を歌えるのか、ばば自身にも分からない。
けれども、ラジオに合わせて2番、3番まで歌える自分が怖〜〜い。
意味もはっきりは分からないんだけど・・・
たしか小学生の頃聞き覚えたような・・・・
まさか、学校でこの歌を教えていたわけではないと思う。
母が歌っていたのかな?
それとも?農作業など手伝ってくれていた従兄弟兄さんや、従兄弟姉さん、
隣近所のお兄さん、お姉さんが歌っていたのかな?
何時どこで習ったか分からない歌や、言葉が急に出てきて
自分でもびっくりすることってあるよね。
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我が家ではお昼と晩の食事にお汁は欠かせない。
その都度作り直したお汁が良いんだけど、
昨日から、じじは同じお汁を食べ続けている。
先日、お魚のアラをいただいたのでお味噌汁を作ったの。
ばばも食べる気満々だったけど、いざ出来上がると
ばばは他のおかずばかり食べて、お汁は食べない。
だから・・・じじは今晩まで一人でアラのお味噌汁を食べなくてはならない。
「同じお汁だけでごめんね」と言うばばに、
「諸鈍時代なんか、ずぅっと魚汁だったよ。
毎日毎日我慢して食べていたけど、いつの間にか慣れたよ」って。
じじは、独身の頃、加計呂麻で仕事をしていて
集落のおばちゃんの家に下宿していたの。
加計呂麻は魚が豊富で、毎日、刺身・魚の煮付けや焼き魚・魚のお汁・・・と
魚づくしのご馳走だったのだろう。
毎日、新鮮な魚が食べられて、ある意味贅沢だよね。
ばばも加計呂麻にいた頃は、釣り竿を持って海へ行き
釣り糸を海へ投げて、竿を砂浜に立てておくだけで
翌朝、魚がかかっていたこともあったし、
夕方、海岸沿いを散歩していると青や赤の大きな魚が泳いでいるのが見えたんだよ。
後日、その魚はアオブダイと、その仲間と聞いたけど、
独特の匂いがあるので、好き嫌いが分かれるんだって聞いたことがあるよ。
じじと魚釣りに行ったら、伊勢エビがかかってびっくりしたこともあったなぁ・・
当時、お隣ご近所から、よくお魚をいただいて
じじと二人では食べきれず、干物にして島へのお土産にしたこともあった。
10数年ほど前、再びばば一人3年間、加計呂麻で暮らした時も
集落のお兄さんや、お爺ちゃん達が自分の釣り船で魚釣りに行き
大量で帰ってくるのをよく目にした。
今でも、加計呂麻からお魚を送って下さることがあり、
ありがたいなぁ・・・と感謝している。
ばばは、魚は煮魚か焼き魚は好きだけど、刺身は絶対だめ!
これって、食わず嫌いだと思っている。
ばばが子供の頃、ばばの実家集落には漁師さんはいなかったんだろうね、
隣の山(さん)集落から、おばさん達がお魚を入れたタライを頭に乗せて
魚売りに来ていた。
母は、大きな魚を丸ごと買い、身は焼いて、アラはお汁にして食べさせてくれた。
実家で、母が刺身を食べさせてくれたことは一度もなかった。
生ものを食べたらお腹を壊す・・・って、必ず火を通して食べさせてくれた。
だからかなぁ・・・・
ばばは、刺身には今でも抵抗があり、食べられない。
「1万円あげるから食べて」って言われても食べたくない。
子供は大きくなって、親元を離れるとしぜんと「食」の領域も変わると思うけど
ばばの場合、刺身だけは絶対だめ!
それに、小さい頃食べていた物で食べられなくなった物もある。
豚肉の脂身の油を絞りきった後の「アブラカス」なる物、
小さい頃は、お汁に入っていたりして平気で食べていたのに、
今は何故か食べられない。
何故だろう?
普通、女の人が料理を作るから・・・我が家では、ばばが作るけど・・・
自分の好きな物だけ作ったらいけないと・・思うようになったのは、ここ数年。
今は90%野菜。後10%が肉や魚・卵・・・など。
食べる物が体を作るから、ちゃんと気をつけて食べなくちゃ。
気づくのが遅かったかなぁ・・・・・
徳之島じじとばばのブログ 主管理者 ibuchanじじ&ばば