カウンター(Since 2009.8.3〜)
カウンター カウンター
徳之島じじとばばのブログへようこそ! ここは、モバイル・携帯アクセス兼用サイトです。








RSS

Ringworld
RingBlog v3.20h

ようこそ!お越しいただきまして有り難うございます。     このサイトはモバイルアクセス用として誕生しました。     動画再生にはWin Media Playerが必要です。      どうぞ ごゆっくりご覧下さい!  当サイトはリンクフリーです。管理者へ許可を得る必要はありません。
<< 日常生活 - 2019年9月の記事 >>
09/12(木) 13:57
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
09/11(水) 13:59
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
09/10(火) 14:30
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
09/09(月) 14:11
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
09/08(日) 15:04
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
09/07(土) 13:56
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
>>このカテゴリーの記事一覧

何故か未だに気になる

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ






9月12日(木)曇り時々晴れ

今日は、お日様がカンカン照りつけるかと思うと、チラッチラッと雨がぱらついてすぐに止み

又、お日様カンカン・・・の繰り返し。

朝、可燃ゴミを出した後は、仕事らしい仕事もせず、ぼんやり過ごしている。

朝からやる気スイッチが入る日は良いけれど、今日のような日は、夕方になってから猛反省。

昼からでも、少し頑張らなきゃ!

昨日にブログで、町の特定健診の結果説明会に行って来たと書いたが

その中で「町の税金から、町民の医療費にどの位支払われていると思いますか?」と

問いかけられ「???????」と思っていたが、

正解は「11億3000万円」と・・・・・

聞き間違いじゃ無いよなぁ・・・・・信じられない数字にただ驚いた。

正解を、すぐにメモしたのだが、ばばの聞き違い??

今日になっても気になっている。。。。。。

去る1日、実家のお墓参り帰り、ある地点で、車を停め写真を撮った。

その場所からは、海や山がきれいに見えるので、お気に入りのポイントなのだが。

この場所に立つと、何故か10数年前の早朝の出来事が未だに思い出され

「あれは、何だったんだろう?」と未だに思う。

ある早朝、ばばはいつものように午前6時前に家を出て職場へ向かっていた。

車の窓からは、お月様もウッスラ見えていた。

時間が早いので、まだお日様は昇っていなかった。

上空左手にお月様、右手に海を見ながらハンドルを握っていた。

かの撮影ポイント少し手前から、右前方に山も見えるようになった。

ばばの実家集落近くの風景も少しだけ見える。

その時、ふと実家集落彼方の山の中腹辺りに、赤い火の塊のような物が見えた。

天城岳

※赤い塊が見えてのは、画像中央の山の中腹辺りです。

「何だ?」と思い、ほんの暫く路肩に車を停め、その赤い物体を見ていたが

ふっと見えなくなった。

不思議な事もあればあるものだと思いながら、職場に向かった。

職場でも数名の同僚に、その話しはしたが、「何だったんでしょうね」ということで

いつの間にか、そのことは忘れつつあった。

が・・・・・それから、しばらく経って、近くで悲劇が。。。。。

ばばが赤い塊を見た山の中腹に、ヘリコプターが墜落するという事故が起こった。

ヘリコプターは、救急患者を搬送する目的で沖縄から飛来したのだが、悲劇は起こり

操縦していた機長さん他3名、遭わせて4名の自衛隊員の方々がお亡くなりになった。

あの事故から、もう10年以上経ったが、車を運転しながら、あの山を見ると

何故かあの悲劇を思い出してしまう。

患者さんを緊急搬送する為のヘリコプターは、今でも1ヶ月に数回、我が家からも近い場所に着陸する。

徳之島にも、病院はいくつもあるけれど、患者さんの症状によっては、どうしても島内で対処できない事もあり

島外の病院に搬送しなければならない。

もう、6,7年前になるだろうか?

ばば達の親しい方のご主人が、ある日の夕方、急に体調を崩され、島内の病院に緊急搬送された。

病院で緊急処置が施され、少し落ち着いたが、夜になって症状が悪化

島外の病院へ搬送しなければならなくなった。

病院からの連絡で、すぐドクターヘリの手配がなされ、夜9時過ぎには救急車で空港へ。

救急車には主治医の先生も同乗して下さった。

見送るばば達は、ただ祈るしか出来なかったが、それから数時間後

患者さんは島外の病院へ無事搬送され、緊急手術、一命を取り留めた。

あの時の、島内の病院の判断に感謝している。

そして、搬送された島外の病院に、たまたま専門の先生がおられ、

すぐ緊急手術が行われたのも運が良かった。

ばばが加計呂麻時代、破傷風になった時も、抗生物質が病院に無くて

奄美市の病院から、タクシーや、色々な車がリレー方式で

抗生物質を瀬戸内町の病院まで運んで下さったそうだ。

患者さんの命を救うために、頑張って下さっている、病院の方々、陸上自衛隊員さん等々

沢山の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

人間は沢山の方々に支えられて生きている。

ある方の命を助けるために、別の方が命を落とされることもある。

大切な大切、ひとりひとりの、たったひとつの命。

大事に大事にしましょう。

過日撮った写真を見ながら、改めて思ったばばです。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

涙が出る・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ







9月11日(水)晴れ時々曇り

8月に受けた特定健診の結果説明会が、保健センターであるので

朝から姉と出かけた。

結果表以外に「お土産の別封筒」が入っていないことを祈りつつ。

会場奥で結果表や数枚の用紙を渡され、席につい、てよくよく見ると

ベージュの封筒が・・・ガァ〜〜〜ン!!!!

「骨粗」と書かれている。

詳しく数字を見ると、同年代の98%しか骨量がないらしい。

まぁ、自分の食生活を顧みれば当然の結果。

これで、又薬が増えるのかなぁ・・・・今月中位には病院を受診しようと思っている。

外出の用事が無い時は、ほぼ倉庫とか自宅とかに行って、

捨てる物の袋詰めをしている。

昨日は、段ボールが溜まりすぎていたので、倉庫で資源ゴミを入れる袋の3つ分まとめた。

まとめながら、周囲を見ると、額に入った似顔絵が。

末っ子が3,4才の頃「母の日」に書いてくれた物を額に入れた飾ってあったのを

倉庫に下ろした物だった。

光の絵

用紙いっぱいに書かれた、お母さんの絵。

目も、耳も、鼻もバランス良くかけている。

右下の方に「おかあさん あめでとう」と、先生が書いた文字が・・・・・

純真無垢な幼い娘が書いてくれた絵・・・・・

今、見ると何故か涙が出る。

これまで何回もブログにも書いていることだが、ばばはずっと働き続けていたから

土曜日の昼や日曜日、祝祭日以外、昼間はほぼ、じじ両親や叔母が

我が家の三姉妹の世話をしてくれていた。

完全な「母親失格」のばばだったと、後年、後悔の念に駆られたが

時間は戻るはずも無く・・・・

ばばとは逆に、じじは子供達のことを良くやってくれたと思う。

お風呂を入れたり、夜中にミルクを飲ませてくれたり、

自転車の乗り方を教えてくれたり。

娘達が年中さんか、年長さんになると、ああのランニングを父子で始め

小学校卒業する位まで、ずっと継続していた。

娘達が「頭が痛い」と言えば、「走れば治る!」と言い、

「風邪をひいた」と言えば「走れば治る!」と言い、スパルタ教育。

娘達も歯を食いしばって、良く付いて行ったなぁ・・・と思う。

休みの人かは勿論だけど、普段の日の早朝走っていたから

父娘共、ランニングの後シャワーを浴びて登校、出勤準備。。。。。

本当に凄いことだったなぁと、今更ながら、じじにも三姉妹にも敬服する。

この早朝ランニングで、娘達はある種自信が付き、校内のロードレースとか頑張ったし

体調を崩すことも、ほぼ無かった。

じじが真剣に娘達に向き合ってくれたのに、ばばは一体何をしてあげただろうか?

ここ数年、娘達が「お母さん、いつまでも、ずっと、ずっと長生きしてよね」と言ってくれるのを聞くと

それだけで胸が熱くなってしまう。

年頃になると、母親と女の子は姉妹のように色々な話をするようになる。

しかし、小さい頃あんなに世話をしてくれた父親に対しては

「ちょっと・・・・」と言動があり、気になることがある。

そんなの時、ばばは改めて「あなた方が小さい時、細々世話をしてくれたのは、お父さんなのよ。」

と言っている。

ばばが退職する前に両親は亡くなってしまった。

じじ両親は、数年間は介護も出来、ほんの少しだけ親孝行の真似事が出来たかな・・・と思うこともある。

いくら頑張ったって、満足な親孝行なんて出来るはず無いなと、ばばは思っている。

自分の両親や、じじ両親からいただいた無制限の愛に比べれば・・・・・

両親亡き後は、小さい頃、仕事、仕事で寂しく辛い思いをさせたであろう娘達に

「子供孝行」のつもりで愛情を注ぎたいと思うようになった。

何と言っても、じじとばばの「一番の宝物」は「家族」だから。

ばば両親も、じじ両親も島で暮らしていたし、じじ両親とは毎日顔を合わすことが出来た。

自分の両親とも、仕事帰りはひとりで、毎週末は家族で会いに行っていた。

でも・・・現在、じじとばばは島暮らしで、娘達は都会暮らし。

会いたいと思っても、年に1ヶ月分も会えはしない。

娘達と、あと、どの位会話をしたり、何回一緒に食事をしたり出来るだろう・・・と思う。

年取った証拠かなぁ・・・と思うと、これ又悲しい。

今は直接会えなくても、自由に電話やメールで連絡が取れる時代。

娘達に心配かけないように、健康管理をしっかりし、元気で日々過ごせるようにしなくちゃと

じじとも、よく話している。

娘が幼い頃書いてくれた「似顔絵?」を見ながら、チョッピリ切なくなったばばでした。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

良い出会いって、嬉しい

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ






9月10日(火)晴れ

又々猛暑が戻って来た徳之島、現在お昼2時前、我が家の室温は32,6度。

昨夕、ばばが買い物から戻ると同時に、友人のYちゃんが我が家の車庫に。

手には大きな紙袋を提げている。

「最近、お母さんと一緒にちょっとした手芸を始めて

こんなのが出来たんだけど、ばばちゃんが使ってくれたら嬉しいなと思って・・・」

と、ジッパーチャーム5個と、手鞠7個も持ってきてくれた。
チャーム

ちょうど、3,4年前長女が買って来てくれた、紬生地を使って作った、小さな草履の形のチャームが

ボロボロになっていて「買い替えなきゃ」と思っていたところへのプレゼント。

※左端がボロボロになってしまった娘からのプレゼントされたチャーム。

他にもね、おやつのお菓子も沢山持ってきてくれて・・・

ありがとう、ありがとう,Yちゃん。

早速、バッグに付けた。

娘からのプレゼントは取り外して廃棄しようとも思ったが、何故か手が止まる。。。

娘の思いがこもっているから・・・Yちゃんのチャームと一緒に、もう少し下げておこうかな。

Yちゃんと、お母さんって器用!!!!

チャームはね、ハマグリの貝殻を布でくるんで、更に縁の処理をきれいにして金具を付けてある。

手鞠は発泡スチロールの球をガーゼで?(だったかな?)くるんで

色とりどりの糸を生かして模様?を作ってあるが、

さぞ細かい作業の連続だっただろうなと思いながら並べてみた。

手鞠

こんな細やかな作業、ばばにはとても出来そうに無いなぁ。。。。

チャームは鞄などに下げて、手鞠は玄関に並べて飾ろうと思っている。

偶然というか?昨日昼、玄関の飾りを新しくしたいなぁ・・・とちょっと動かしていたところだった。

Yちゃんにばばの気持ちが伝わったのかなぁ?

今朝の食事時、じじが「昨夜、ばばに言おうと思っていたことがあったけど

夕べ思い出せないまま、今朝思い出したよ」言った。

「何?」と聞くと・・・・・・・

「じつはね、昨日夕方5時頃、M兄から電話があったんだよ。」と。

M兄さんは、じじより5才ぐらい先輩かな?

気が合うのか、ずっとじじと親しくして下さっている。

そのM兄さんからの電話。

「僕、今、東京に来ているんだよ。枡席で相撲観ているから

もしかしたら、テレビに映るかも知れないよ」って話したんだって。

じじは、大相撲が好きで、相撲がある間は、ずっと4時過ぎ位からは

パソコンのテレビで観戦している。

ばばは、相撲とか全然興味が無いから、さっさと買い物に出て

帰宅後も、ラジオで相撲放送を聞くことも無い。

M兄さんからの電話の後、もし、M兄さんがテレビに映ったら、すぐ写そう」と

じじはカメラのスイッチを入れて、相撲を見続けていたそうだが

結局、M兄さんは写らなかったって・・・・

枡席と言っても、カメラが向かった先に、たまたまM兄さんが座っていたら映るだろうけど

確率は低いんだろうね。

M兄さんが映らないかと、気もそぞろで、勝負に集中できない位、頑張ったらしいけど

残念だったね〜〜〜

あっ!そう言えば・・・・

毎月1回、電気使用量の検針に来て下さる方がいる。

毎月10日前後で、今月は今日が検針日。

来て下さる時間帯も大体決まっていて、13時前後。

今日も、13時少し過ぎに来て下さり、検針が終わったので電気料金の検診結果の紙を下さった。

この方、以前お名前を聞いたことがあったけれど、今日、玄関先で話す中で

じつは、伊仙町にある南部ダムを造った時に、島外からいらして

徳之島が気に入って住み続けているんですって。

島では少ない姓なので(島外の方かな?)とは思っていたんだけどね。

そしたら、「じつは鹿児島の○○出身なんですよ。△△と言うと大分にある地名ですけどね」

と言われた。

鹿児島の○○も、大分の△△もよく知っている地名で、

特に鹿児島の○○は、ばばとも少し関係がありそうで・・・・

検針員さんと話しながら、何故かふたりで笑ってしまった。

笑うって良い事だし、気持ちが温かくなったばばでした。

昨夕、手作りのプレゼントを届けてくれたYちゃん、

東京から電話をくれたM兄さん、今日の電気料検針員さん・・・・良い方達です。

良い出会いって、嬉しいね。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ありがとう〜越後十作二十米

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ






9月9日(月)晴れ

台風15号、島へ直接の被害は無かったけれど

彼方此方で被害が出ているようで。。。。

徳之島は台風14号では、船が2日位欠航したけど、昨日から荷物も入ってきている。

今朝のラジオでは台風15号で都会では電車やバスなどが止まっていると聞いて

子供達のことが心配になり、朝食後、一応メールを入れた。

「雨や風は全然無いよ。でも山手線が動いて無くて、まだ駅の中。改札の中にも入れない」

「天気は落ち着いてるけど、電車が止まっているから遠回りで出勤する」

「時々強い風が吹いているけど、雨はそれほどひどくないよ」とか

三人三様の返信があったが・・・ちゃんと会社へ出勤できたかなぁ・・・・

朝から娘達のことを思いながら過ごしていると、昼過ぎ、宅配さんが。

普通は夕方に配達してくれるのだが、台風の関係で船の入港時間などが普段とは違って

早くなったので、配達も早くなったのかな?等と思いながら出ると

薄い四角の箱を差し出した。

印鑑を出してから、荷物を受け取る時、軽く持てるかな?という

体勢で受け取ろうとしたら「結構重いですよ」と言われ、思わずヨロッ!

早速、荷物を見てみると、差出人は娘。

「こんな重いのをわざわざ・・・・」と思いながら、開けてみると

新潟県産のお米のセットが・・・・

十種類のお米が2パックずつ入っている。
お米

ありがたし、嬉しいけど、親子だし、こんなに気を遣わなくて良いのに・・・・

島で、自分で買うことは出来無いであろうからと、わざわざ・・・・ありがたいなぁ・・

と思いつつ、その後の台風のことも気になるので電話をしたら、

お昼現在はお日様カンカンで、風もほぼ無くて、干した洗濯物も、揺れない程度だって。

でもね・・・・今朝の出勤時は大変だったらしい。

先ず、最寄り駅で改札から入ることも無く、ずっと待ったあげく、

ほんの数駅先まで行くのにも2時間以上くらいかかったらしい。

結局電車に乗れず、引き返す人もいたり、子供達の学校も昼から授業の予定が、

お昼前になって「今日は休校です」と改めて連絡があったりしたそうだ。

台風でも、島は島なりの、都会は都会ならではの大きな影響があるんだよね。

豪雨や、台風、人間の力ではどうしようも無いと思いつつも

被害報道を聞く度に辛くなる。

普段忘れがちだけど、穏やかで平凡な日々に改めて感謝しないといけないなぁ・・・と思う。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

何だろう?

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ





9月8日(日)晴れ時々曇り

今日は朝から予定があり、じじより先にばばが外出。

お昼2時頃帰宅。

パソコンに向かったが「さて、何を書こうかな?」・・・

題材が全然浮かばないので、撮った写真を見ていたら

少しだけ書けそうな気がしたので、書き始めた。

今日の写真は、去る1日、実家のお墓参りに行った帰り

道路の横に小さめのひまわりが沢山咲いているのが見え、車を停めた時に

偶然見つけて写した物。

近くで見ると、ひまわりは盛りを過ぎていて、写真を撮るにはちょっと・・・

と言うことで、近くに石碑があることに気づき、石碑を撮ろうと歩いていたら

途中、建物の横に見慣れぬ物が・・・・

何だろう?

今まで見た事も無いけど・・・と思いながら、1枚撮った。
エビの殻?

それから奥の方へ進み石碑を写そうと思ったが、文字などが読みづらくて

表から見た碑を1枚だけ撮って断念。

帰宅後、「見慣れぬ物」の画像をじじに見せると

いとも簡単に「エビの抜け殻だよ」って。

長さ30センチ以上ぐらいはありそうな、大きな物体だったが・・・・・

こんな大きなエビがいるの?

何というエビだろう?

今度、通りがかりに、もし、小屋の主の方がおられたら、聞いてみようかな?

エビと言えば、ばばは伊勢エビとテナガエビ位しか実物は見た事が無い。

徳之島で稲作が盛んだった頃は、田んぼに小さなエビが沢山いたけれど・・・

体調数センチの、そのエビの事を「サイ」と言っていた。

小さな笊などで掬って家に持ち帰り、素揚げにして食べたような記憶がある。

何十年も前に減反政策で、田んぼは、ほぼ畑になったから。

田んぼが無くなって、同時に沢山のサイもいなくなったんだよね。

他にも、タニシ、ドジョウ、フナなども沢山いて、食用に捕まえるのが楽しみだったけど

全部全部、いなくなっちゃった・・・数十年前に。

ばばが子供の頃、ブーチゴーという山の中の川に、

兄と一緒にタナガ(テナガエビ)取りに行ったことがある。

ばばは手ぶらだったと思うけど、兄は小さめのカゴに生のサツマイを入れて背負い、

エビを掬うための網を持っていた。

川に着くと、兄はサツマイモを口に入れ、モグモグモグ・・・・

細かくかみ砕いて「ペ〜〜ッ」っと水中に吐き出す。

暫く動かずに待っていると、どこからともなくタナガエビがイモの周囲に集まってくる。

そこを狙って、素早く網で掬い取る。

このような漁の仕方で、結構な漁のタナガを捕まえていた。

捕まえたエビは、茹でるか?揚げるか?して、家族全員のおかずになっていた。

約30年前に亡くなった兄との懐かしい思い出・・・・・

タナガが沢山いた、ブーチゴーも今は人が足を踏み入れることは無いと思う。

川へ下りる途中の畑が荒れ放題だし、細い道も荒れ放題で、道は無くなっているのではないだろうか?

人口が減り、農家の跡継ぎも少なくなり、荒れ放題の農地も多くなった。

ばばが子供の頃は洗濯機も無く、川へ洗濯物を背負っていって洗っていたけど

今は、川に行く必要も無いしね。

プールも無く、水浴び、水遊びと言えば川だったなぁ・・・・

川へ行けば、洗濯をした後、好きなだけ川遊びも出来た。

現在、川で遊ぶ子はいないだろうなぁ。

ばば達が子供の頃遊んでいた川も、水量も極端に少なくなり、泳げなくなったし。

ましてや、ブーチゴーは山も中。

ハブの危険はあるし・・・・たどり着く道も無いだろうし・・・・

懐かしいと同時に、大人になった今は怖いと思う「ブーチゴー」。

「巨大なエビの抜け殻?」を見たら、何だか幼い頃の事を色々思い出したばばでした。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ナンバンギセルは茜色、他

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ





9月7日(土)雨

朝雨の音で目が覚めた。

一昨日の夜はなかなか眠れなかったが、夕べは朝までグッスリで、目覚めも快適。

夕べはクーラーも点けずに、じじとばば、それぞれに足下の扇風機を回しながら寝た。

7月以来、クーラー無しで寝たのは初めてだったんじゃ無いかな?と思いながら起きて

「雨降ってるねぇ」とじじに言うと「明け方の雨は凄くて、裏の溝を流れる水音が

いつもより大きく聞こえたよ」って。

「今日は一日雨かな」と言うと「台風13号の置き土産だね」って。

台風13号が遠ざかった後も、沢山の雲を残して行ったから・・・って。

と言う訳で、外は朝から薄暗いです。

朝食時、いつものようにラジオを聞いていると、リスナーさんからのお便りの中で

「ナンバンギセルは茜色」というフレーズが耳に入り「えっ?」と思ったばば。

ナンバンギセル・・・・もう、大分長い事見ていないなぁ。

毎夕、じじ、姉と3人でウォーキングをしていた頃は、

草むらのススキの根っこの方にナンバンギセルを見つけていたけど。
ナンバンギセル
※画像はネットからお借りしました。

ナンバンギセルって「茜色」だった????

ばばの中では薄い紫色?藤色?という印象が強かったのでビックリした。

じじがすぐスマホで画像を見せてくれた。

花は薄い藤色で萼(ガク?)の部分が赤茶けて見えるけど。

そっかぁ〜ばば達が見ていたのは、徳之島の野生のナンバンギセルだったけど、

園芸用とかに品種改良された品種かもしれないね。

ネットで調べたら白い花色の品種もあるんだって。

見てみたいなぁ・・・白いナンバンギセルの花。

小雨の中、傘をさして庭を見回ってみた。

昨日、大きく倒れていた桜やキツネ花、オクラも元気にスックと立ち直っていた。

ゴーヤの実も吹き千切られること無く元気。

残念ながら、庭先のデュランタの枝が折れていたけど、

ゴーヤが枯れたら、思い切って枝を剪定する予定だったから、まっ、良いか〜

小雨で、周囲も薄暗いから、今日は何もやる気無し。

ご飯炊いたり、果物ジュース作ったり、豚骨と野菜煮たり・・・・・

午前中あっという間に終わってしまい、お昼ご飯。

何故か、教え子ちゃん達の話になり、じじと結婚直後、海を渡って行った加計呂麻での話や

ばばが退職前、泣く泣く単身赴任した加計呂麻の話になり

当時お世話になった方々の名前を思い出したり・・・・・

結婚直後に行った勤務地へは車も持って行かずに、不便だったなぁ。

当時は電話も普及していなくて、島へ電話するのは、近くのお店の電話を貸してもらっていた。

島から電話がかかってきた時は、お店の方がマイクで呼び出しするので

集落中に知れ渡ってしまったけど・・・

当時電話があったのは、職場と、集落に数軒あったお店のみだったと記憶している。

集落のお店は品物も限られていたので、週末にはバスで狭い山道を港まで移動し

そこから船で中心地、古仁屋へ渡りお店で買い物をし、又、船、バスと乗り継いで帰っていた。

忙しくて、どうしても海を渡れない時は、顔見知りになったお店に電話をして

品物を船に積んでもらい、バス停まで自分で貰いに行っていた。

商品代の支払いは、次、買い物に行く時まで、いわゆる「かけ」ておいて

行った時に支払うという・・・・お互いが信頼し合わないと出来ない事だったよなぁ・・・と

今は思っている。

その当時から「ミカン星人」だったばばは、ある日、ミカンを1箱電話でお願いした。

他にもいくつか品物を頼んであったので、夕方、ご近所さんからリヤーカーを借りて

バス停まで行き、荷物を受け取ってきたのだが、

その時、誰かが「ミカンなど箱買いはしない方が良いですよ。」と言われた。

その訳は、詳しく書けないけれど、ちょっと胸が痛くなった。

教え子ちゃんの思い出では、1年生のある子が、「七夕」を歌ってくれたのだが

「しゃしゃのは しゃ〜らしゃら〜(笹の葉 さらさら)」と元気よく歌ってくれたこと

何十年経っても忘れられない。

あの子達も、今は立派なお父さん、お母さんになって頑張っていることだろうなぁ・・・・

昼食時の短い時間、じじと色々話し手いるうちに色々な思い出が蘇って楽しかった〜〜〜

何だか、とりとめも無いことをダラダラ書いてしまったなぁ・・・

お昼2時前・・・・外はまだまだ小雨が降っています。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

<< >>

携帯用ブログQRコード       WEB写真集用QRコード


Copyright (C)2009-2014 tokunosima.info All rights reserved.

◇◇ Tokunoshima Island JJ&BB's HP ◇◇ ◇◇ A collection of Tokunoshima Island nature observation ◇◇