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日常生活 - 2010年3月の記事 >>
03/31(水) 15:24
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03/30(火) 14:52
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03/30(火) 14:40
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03/29(月) 19:59
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03/27(土) 22:15
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鳥・モグラ・日本復帰の歌

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ



3月31日(水)曇り後晴れ

去る28日、「米軍基地徳之島移設反対郡民大会」に参加した後

浅間干潟に寄った。

一番会いたかった鳥に会えた。

ヘラサギ・・・・・親鳥?が2羽もいた。



遠目にも、嘴は黒っぽく体も大きかった。

この2羽と大瀬川にいるピンクの嘴のヘラサギとは、どんな関係だろう?

ばば達が見ている前で羽づくろいをしたり、干潟を嘴で探ったりしていたが

急に飛び立ち、ばば達の前から100メートル近く離れた場所に舞い降りた。

じじはカメラを構えたが、あまりに距離がありすぎて

うまく捉えることが出来ず諦めて帰ってきた。

数日前から大瀬川のヘラサギは姿を見せなくなった。

何処へ行っているのかな???気になる、気になる〜。


29日夕方の散歩は、じじと別コースだった。

じじは、大瀬川で又珍しい鳥を見つけたと喜んでいた。

その鳥の名前はカンムリカイツブリ。

じじの画像を見て、ばばも俄然興味を持った。

もう一度しっかり写真を写そうと昨日出直した。

いた、いた。。。。。。

潮が満ち始めている川を優雅に泳いでいる。

少し風があり、川面には波が立っていて、彼はその波にうまく乗って

フンワリ、フンワリ浮いているように見えた。

でも、近くで見ると、両足で必死に水をかいているの・・・・

可愛いね。

川上に向かって泳いだかと思えば、不意に方向を変え河口に向かって泳ぐ。

かと思うと、急に潜水する。

次、どのあたりに顔を出すか予想も出来ない。

思いも寄らぬくらい先にヒョコッと顔を出す。

潜った時は魚を捕っているのかな?

上へ、下へ・・・彼の動きに会わせてじじ&ばば&姉は小走りで移動する。

風は強いし、だんだん寒くなってきたので撮影はじじに任せ

ばばと姉は散歩を続けることに・・・・・

歩いて、歩いて普段歩かない場所まで歩いたよ。


帰りに岸壁近くを歩いていたら、急にモグラが飛び出してきた。



ばばは、写真を撮ろうと構えたが必死に逃げるのでなかなかうまく捉えられない。

モグラも必死で雑草の中に体を隠すが、そこをばばが足で探るので

彼も「窮鼠猫を噛む」状態になってばばの足に這い上がってきた。

ギャァ〜〜!!!!!

悲鳴を上げて逃げ出したのはばばだった。

悔しい〜〜〜モグラに負けちゃった。


その後、いくつか用事を済ませ家に帰ると6時過ぎ。

テレビをつけると、ローカルニュースで徳之島の3町長が出ていて

米軍基地の徳之島移設反対をテレビを通して訴えていた。

3町長の話を聞きながら、鳩山首相は・・・と言うより国は

ある日、突然「米軍基地を徳之島へ移します」と決定するのではと

恐怖をおぼえた。

そんなこと絶対無いよね!させないよね!


米軍基地徳之島移設?が話題になり、じじとばば共通した事をするようになった。

なぜか分からないけれど、いつの間にか「日本復帰の歌」を口ずさんだり

ハミングしたりしているのだ。

どうして?


奄美群島が米軍統治下にあった時代のことを、ばばは知らない。

日本に復帰した当時のことも記憶にない。

学校で教わった記憶もない。

じじは、微かに提灯行列のことなどおぼえているらしい。

でも、物心つくか、つかない時代でも両親や周囲の大人の会話などから

当時の生活などについて聞いたり、

「日本復帰の歌」なども聞いたりしていたのかも知れない。


「米軍基地移設反対」の気持ちが心の底に絶えずあって

「日本復帰の歌」が、しぜんに口をついて出るのかも知れない。


鳩山首相の5月の決断がどう出るか?

まだ予断を許さぬ状況だが、この美しい徳之島の自然

ゆったりとした時間の流れが永久のものでありますように・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

地でいく「意地悪ばあさん」

by ばばの日記

3月30日(火)曇り

花曇りとでも言うのだろうか?

気温20度、湿度50%、青空は見えない今日の天気。

半袖を着たかと思うと、ヌクヌク着ぶくれる日が交互にある。

寒さに弱いばばにとって、ポカポカ陽気が待ち遠しい。


朝食の時、ポケットから何やら取り出し、

いかにも「どうだっ!」と挑戦的に小さな紙片をばばに突き出すじじ。

「なに?なに?どれ、どれ」と覗くばば。

小さな紙片には110〜120台と80〜090前後の数字が・・・・

去年末から、今年初めにかけてじじの血圧が極端に変動するので

とても心配していたが、どうやら正常値に落ち着いたらしい。

じじも「血圧のことは、もう気にしない」と言っている。

「フム、フム、なるほど・・」とじじの数字を確認した後、

ばばも自分の血圧を測る。

ばばは120〜130台と80〜90台で落ち着いている。

若い頃は、真剣に血圧とか考えたこともなかったけれど

年と共に血圧・コレステロール・内脂肪など数値がやたら気になる。

昨夕、友人Kちゃんを見送りに港に行った時

30年以上前からの知り合いと久しぶりに会い

「ばばちゃ〜〜ん、全然体型変わらないね〜。20代の頃から変わってないでしょう」

・・・なぁんて、お世辞言われたけれど・・・・

変わってるよぉ〜〜。

ウエストなんか独身時代は58だったのに、今ではしっかり64。

体重は、かえって減ってるかなぁ〜〜。

結婚した当時、じじったらばばに「体重が大台(50kg)超えたら離婚する」なんて

言っていたけど・・・・どうよ、じじ!

当時、ばばが一番太っていた時期で本当は53kgもあったんだよ〜〜。

じじ、知らなかったでしょう〜。

年と共に、顔つきも体つきもどんどん変わってくるよね。

ばばが、自分を「おばさん体型」と認識したのは加計呂麻への単身赴任時代。

ショックだった〜。

でも、クヨクヨしたって始まらないし、ありのままの自分を受け入れなくちゃね。

食事や運動など少しの努力は大切だけど・・・

ばばに「大台超えたら離婚」なんて言っていたじじは

数年前までは「成人式の時に作ったスーツがまだ着られる」なんて自慢していたけど・・・・

去年あたりから、ズボンのウエストが、やたらきつくなったとぼやいている。

ウエストがきつくなったら、ズボンはもう着られないよ。


ばばは、6,7年前大きなストレスを抱え、スナック菓子を異常なくらい食べまくった。

毎日、一袋半くらいは食べていた。

そのお菓子を、箱単位で買って・・・・・

効果は覿面だったね〜〜〜。

みるみるうちに体重は増し、3,4ヶ月でスラックス(最近はパンツというらしいが・・)の

ウエストがどれもきつくなった。

慌てて、2センチウエストの大きいスラックスを4枚ほど買った。
(落ち着いて、食生活の改善をすれば良かったのにねぇ〜)

1年経たないうちにウエストは元に戻ったけれど、

今では、あのスナック菓子はもう見るのも嫌になってしまった。

人間の精神状態は、体に大きな影響を及ぼすと身をもって知った。

これから、じじとばば共に大きなストレスを抱えず

穏やかに過ごせると良いねぇ。


朝が血圧対決なら、昼は????

今日の昼はじじの大好きなステーキを準備した。

付け合わせにズッキーニが手に入ったので肉の傍らで一緒に焼いた。

お皿に盛り合わせて出すとじじが「この野菜何だっけ?」と聞くので

(じじのためを思って)フルネームは教えず頭文字の「ズ」とだけ教えた。

まぐれだろうか?じじは一発で「ズッキーニだったよね」と正解!

悔しぃ〜〜〜。(おい、おい、ばば。ここは喜ぶべきではないのかい?))

悔しさついでに「まさか、ズと言われて(ズアカアオバト)とか

思い出さないよね〜」と意地悪の毒針を突っ込んだばば。
(だって、最近じじは、やたら、鳥のこと詳しくなっているんだもん)

何て意地悪なんでしょ!ばばったら。

正に意地悪ばあさんを地でいく自分が恐ろしい〜〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

地でいく「意地悪ばあさん」

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ



3月30日(火)曇り

花曇りとでも言うのだろうか?

気温20度、湿度50%、青空は見えない今日の天気。

半袖を着たかと思うと、ヌクヌク着ぶくれる日が交互にある。

寒さに弱いばばにとって、ポカポカ陽気が待ち遠しい。


朝食の時、ポケットから何やら取り出し、

いかにも「どうだっ!」と挑戦的に小さな紙片をばばに突き出すじじ。

「なに?なに?どれ、どれ」と覗くばば。

小さな紙片には110〜120台と80〜090前後の数字が・・・・

去年末から、今年初めにかけてじじの血圧が極端に変動するので

とても心配していたが、どうやら正常値に落ち着いたらしい。

じじも「血圧のことは、もう気にしない」と言っている。

「フム、フム、なるほど・・」とじじの数字を確認した後、

ばばも自分の血圧を測る。

ばばは120〜130台と80〜90台で落ち着いている。

若い頃は、真剣に血圧とか考えたこともなかったけれど

年と共に血圧・コレステロール・内脂肪など数値がやたら気になる。

昨夕、友人Kちゃんを見送りに港に行った時

30年以上前からの知り合いと久しぶりに会い

「ばばちゃ〜〜ん、全然体型変わらないね〜。20代の頃から変わってないでしょう」

・・・なぁんて、お世辞言われたけれど・・・・

変わってるよぉ〜〜。

ウエストなんか独身時代は58だったのに、今ではしっかり64。

体重は、かえって減ってるかなぁ〜〜。

結婚した当時、じじったらばばに「体重が大台(50kg)超えたら離婚する」なんて

言っていたけど・・・・どうよ、じじ!

当時、ばばが一番太っていた時期で本当は53kgもあったんだよ〜〜。

じじ、知らなかったでしょう〜。

年と共に、顔つきも体つきもどんどん変わってくるよね。

ばばが、自分を「おばさん体型」と認識したのは加計呂麻への単身赴任時代。

ショックだった〜。

でも、クヨクヨしたって始まらないし、ありのままの自分を受け入れなくちゃね。

食事や運動など少しの努力は大切だけど・・・

ばばに「大台超えたら離婚」なんて言っていたじじは

数年前までは「成人式の時に作ったスーツがまだ着られる」なんて自慢していたけど・・・・

去年あたりから、ズボンのウエストが、やたらきつくなったとぼやいている。

ウエストがきつくなったら、ズボンはもう着られないよ。


ばばは、6,7年前大きなストレスを抱え、スナック菓子を異常なくらい食べまくった。

毎日、一袋半くらいは食べていた。

そのお菓子を、箱単位で買って・・・・・

効果は覿面だったね〜〜〜。

みるみるうちに体重は増し、3,4ヶ月でスラックス(最近はパンツというらしいが・・)の

ウエストがどれもきつくなった。

慌てて、2センチウエストの大きいスラックスを4枚ほど買った。
(落ち着いて、食生活の改善をすれば良かったのにねぇ〜)

1年経たないうちにウエストは元に戻ったけれど、

今では、あのスナック菓子はもう見るのも嫌になってしまった。

人間の精神状態は、体に大きな影響を及ぼすと身をもって知った。

これから、じじとばば共に大きなストレスを抱えず

穏やかに過ごせると良いねぇ。


朝が血圧対決なら、昼は????

今日の昼はじじの大好きなステーキを準備した。

付け合わせにズッキーニが手に入ったので肉の傍らで一緒に焼いた。

お皿に盛り合わせて出すとじじが「この野菜何だっけ?」と聞くので

(じじのためを思って)フルネームは教えず頭文字の「ズ」とだけ教えた。

まぐれだろうか?じじは一発で「ズッキーニだったよね」と正解!

悔しぃ〜〜〜。(おい、おい、ばば。ここは喜ぶべきではないのかい?))

悔しさついでに「まさか、ズと言われて(ズアカアオバト)とか

思い出さないよね〜」と意地悪の毒針を突っ込んだばば。
(だって、最近じじは、やたら、鳥のこと詳しくなっているんだもん)

何て意地悪なんでしょ!ばばったら。

正に意地悪ばあさんを地でいく自分が恐ろしい〜〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

さようなら〜〜〜〜

by ばばの日記

3月29日(月)晴れ

行っちゃった〜〜。



ばば30年以上前からの友人、Kちゃんが40年間の教員生活を無事勤め上げ退職、

今夕の上り船で帰っちゃった〜〜。

彼女が徳之島へ赴任して、もう、5年が過ぎた。

生活根拠地以外での退職となったKちゃんだが

40年間、よく頑張ったね〜。

ばばは、「中途退学」だったけど、Kちゃんは立派に「卒業」した。

頑張ったね、えらかったよ、パチパチパチ(拍手)。


このKちゃんとの最初の出会いは、ばばがじじと結婚して、すぐ赴任した

加計呂麻の職場で、彼女は当地の出身でご両親と一緒に暮らしていた。

当時、彼女は独身でいろいろな話をした。

仕事が終わると、まず、ばば宅へ寄り、おしゃべりをしながらお茶を飲んだ。

「ばばちゃんの、卵焼きとおかきが美味しかった」と数十年経っても言ってくれる。

我が家の長女、次女をよく可愛がってくれた。

また、お産で奥様が里帰りした同僚におかずを作って

10日ほど一緒に届けたりもした。

たまには恋愛談義をしたり、他愛もない話をしてはたくさんの時間を共有した。

また、ある時は、散歩がてら山道を歩きツワブキや野草を収穫したりもした。


ばばが、数十年経っても、まだ、自責の念に駆られることがある。

それは、一緒に散歩に行った時、畑の周りのツワブキをたくさん収穫して

ホクホク帰宅したが、後日、そのツワブキは農家の方が

自家用に収穫するため植えてあったと言うことが分かった。

悔やんでもみても、後の祭り。

地元出身のKちゃんが、うまく謝ってくれたと思うけど、

思い出すたびに今でも身の竦む思いがする。

若かったねぇ〜〜、Kちゃんも、ばばも。


3年間一緒に仕事をし、転勤で彼女は加計呂麻を離れ、数年後に結婚した。

そして、ばば達はKちゃんが転勤して行った1年後に徳之島に帰った。


それからは海を隔てて、年賀状だけのおつきあいで空気のような存在だったが

5年前、Kちゃのが徳之島赴任が決まり、ビックリもしたが、それ以上に嬉しかった。


家もばばの近所だったのに、5年間のうち、

一緒に食事をしたりお茶を飲んだりしたのは数えるくらいしかないが

Kちゃんは長期休暇などで帰省するたびにお魚や野菜など届けてくれた。

いつも、お世話になりっぱなしだったね。

Kちゃんは「ばばちゃんが近くにいると思うだけで心強かった」と言ってくれたけれど、

ばばは、心苦しい。。。。。


去年のある日、突然「無人市場巡りしない?」とKちゃんからの電話。

職場で色々あったり、モヤモヤした時、彼女は車で無人市場巡りをして

気分転換をしていると言った。

Kちゃんとばばと姉の3人でおやつを持ってドライブがてら

無人市場巡り。

走りに走って、全島半周くらいして、海へ行き

遙か彼方の海を眺めながらいろいろなおしゃべりをして時間を過ごした。

それが一緒に行動した、最後となった。

その後は、Kちゃんの仕事が忙しく、なかなかゆっくり会うことは出来なかった。

そして・・・退職・・・・・


健康面、家族のこと、いろいろなことで悩みはあっただろうけど

Kちゃんは、いつも明るく振る舞って、ばばに元気をくれた。

Kちゃんは、半単身赴任のような生活だったので、

これからはご主人とたくさんお時間を共有して欲しい。

また、加計呂麻でお一人暮らすお母様孝行をうんとして欲しい。


今日の、上り船は定刻4時45分入港。

kちゃんが勤めた職場の同僚・保護者・子供達がたくさん見送りに来てくれていて

「お別れの式」をした。

校歌を歌ったりして、万歳三唱で送り出した。

船上の人となったKちゃんとご主人。

五色のテープが舞う中、いつまでも甲板で手を振っていた。

Kちゃんが目頭を押さえている。

ばばは、両手を頭上で大きく振った。

Kちゃんはハンカチをクルクル振りながら何度も頭を下げた。

船はゆっく動き出し、岸壁を離れた。

ばば達は船の後を追って走った。

毎年繰り返される、島の別れ。。。。。。。。。


Kちゃんの中で、徳之島は良い意味で「忘れえぬ地」となってくれただろうか?


今夜9時過ぎには、自宅に着くことだろう。

ゆっくり、手足を伸ばしてお休み〜〜〜Kちゃん。


これから、なかなか直接会うことはないだろうけど

電話も、メールもあるし、Kちゃんのこと決して忘れないからね〜。

明日から、新しい生活の始まり。

お体に気を付けて、いつまでもお元気でね〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「今 黙っていたら故郷は基地の島になる」

by ばばの日記

3月28日(日)曇り

「今黙ってたら故郷は基地の島になる!!」

米軍基地徳之島移設反対郡民大会にじじ&姉&ばばで行ってきた。




会場は天城町総合運動公園野球場。

13時30分開始ということだったが、ほんの2,3分遅れてしまった。

会場に着くと、たくさんの人たちが「基地反対」と書いた鉢巻きを締め

決意を書いたプラカードを持ち、横断幕や団体名を書いた旗を持って熱気ムンムン。

普段「島時間」という言葉もあるくらい時間にルーズな一面もあるといわれるが

今日は定刻きっちりに開会したそうだ。

各自治体代表の方や近隣の島から駆けつけた方

県議会議員や現職衆議院議員の方も数名駆けつけてくれていた。

次々といろいろな方が登壇して「基地反対」を訴え

そのたびに集まった人たちは拍手やエールで応えた。


しかし、途中から雨がポツリポツリ。。。。

小池百合子さんが登壇する頃には雨脚が少し強くなり・・・

それでも小池さんは熱弁をふるい観衆を引きつけた。

ばばも、絶対最後まで帰らないぞ・・・と決めていたが

3人とも濡れて体調を崩しても困るので一旦車へ戻り3人分傘を取って来た。

傘を差すほど降り続けることもなくホッとした。


上空をヘリコプターが飛び、

会場にはNHK初め民法のテレビ局や新聞社も取材に来ていて

あちこちにカメラやマイクを向けていた。


14名の方が登壇し、いずれも基地移設反対を力強く訴えた。

最後に伊仙町長さんの「がんばろう!」三唱で会は終わった。


会が終わって、会場を出る時は出口付近は人々が殺到し

なかなか外へ出ることが出来なかった。

そんな時、若くて綺麗な女の方がばばと姉へ

「今日の集会について何か一言お願いできませんか」とマイクを向けた。

「いえ・・・」と慌てて場所を変えた。

ばばのすぐ後ろにいた、元同僚Mちゃんはマイクに向かって何か話していたが

夕方のテレビにしっかり映っていた。


ばばは、マイクに向けては言わなかったけれど・・・・・

昨年末島民劇「北緯29度線」を観て感動し改めて自分の親や大先輩、

泉芳朗さんに対する尊敬の念が強くなった。

日本国民でありながら「アメリカの統治下」に置かれた戦後の奄美の人たちの悪夢が

今回の基地問題で再燃するような恐怖をおぼえた。


先祖達の血と汗と涙で勝ち取った、島の平和を再びあの悪夢へ変えてはいけない。

島民劇「北緯29度線」は奇しくも、今回の基地問題を予知させた様な気もする。

今日プラカードに「太平洋の潮音は 我が同胞の 血の叫び」と

「日本復帰の歌」の歌詞を書いていた人もいたが

ばばも全く同感だ。

プラカードには「人殺しの練習地はいらない」とか

「基地は絶対いらない」「命どぅ 宝」「子や孫に美しい自然を残そう」

「米軍基地はグアムへ」等と書かれていた。



良いことずくめなら、沖縄の方達が基地移転を望むはずがない。

危険なこと、迷惑なことが多いからこそ基地移転を希望するのに

その移転先が、なぜ徳之島なのか?

距離的に沖縄に近く、地形的に良いから?


現在、徳之島は人口は減り、観光も廃れ、失業者も多い。

しかし、観光客が少ないのは運賃が近い外国へ行くより

遙かに高いことも大きな要因だろう。

それでも、景気の良かった時代は観光客もけっこう来てくれていたし

観光地もそれなりに整備されていた。

けれど、観光客の減少と共に観光地は荒れ果て、負の循環が続いている。

せっかく美しい自然という財産があるんだから

島民がもう少し自覚し、行動を起こせば何か出来るのでは????


アメリカ軍基地の移転が実現すれば人口が増え島が潤うと言う人たちもいる。

考え方は人それぞれだから、自分の考えを決して人に押しつけるべきではない。


ばばは、生まれ育ったこの島が大好きだ。

この島の美しい自然が、孫、ひ孫の時代まで、もずぅっと、ずっと残っていて欲しい。

自然は一度壊してしまうと、元に戻すには膨大な時間がかかる。


短絡的な考え方で島を外国へ売ってはいけない。

「日本復帰」当時の島民の熱く大きなうねりを

今こそ再び起こすべき時ではないか?


改めて「日本復帰の歌」を書いてみたい。

1 太平洋の潮音は 我が同胞の血の叫び

  平和と自由をしたいつつ  立てる民族20万

  烈々祈る大悲願 


2 われらは日本民族の 誇りと歴史を高く持し
  
  信託統治反対の大スローガンの旗の下
  
  断固と示す鉄の意志

3番略


4 二十余万の一念は 諸島くまなく火と燃えて

  日本復帰貫徹の のろしとなりて天を焼く

  いざや団結死闘せん

  民族危機の秋(とき)ぞ今



追記 今日の集会への参加者は公式発表で4200名だった。

闘いは始まったばかり。

ばばも自分の意思表示をはっきり示していきたいと思う。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

別れの季節・・・他

by ばばの日記

3月27日(土)晴れ時々曇り

終業式が終わったと思ったら人事異動。

当事者の方は大変ですね。

じじとばばは加計呂麻へ行った以外は島内勤務だったので

我が家からの通勤だったから転勤の苦労は、他の方と比べたら少ないと思う。

自分の転勤が無くても、毎年同僚の転出入があるので

春休みは腰を落ち着ける事がないくらい忙しかった〜。

去年まで、ばばも母校での同僚が転勤することになり

荷出しに行ったりした。

今年は、ばばが初任校で一緒だった友人が退職。

この友人は島在住なので荷出しなどはない。

後一人、加計呂麻の職場で一緒だった友人Kちゃんが退職なので

荷出しなど手伝おうと思っていた。

あと一人、公民館講座で知り合った友人、Yさんのご主人が転勤で

今日、荷出しと聞いていたので朝電話をかけたら、10時半からと言われた。


いつもより早起きして、準備をし、エプロンを持って出かけた。

Yさんの家に行く前に、Kちゃんお家に寄った。

すると、たくさんの女の方が・・・・

なんと、まあ!kちゃんの家も今日荷出しで、既に荷物は運び出して

職場の同僚達が掃除をしていた。

ごめんなさ〜〜い。

まさか、こんなに早く荷出しをするとは思ってもいなかった。

明日か、明後日だろうと勝手にタカをくくっていたら

明後日、夕方の船でもう帰るのだという。

最近は、辞任式が早くなったのねぇ〜。

ばばが務めていた時は31日が辞任式だったのに・・・・

時代と共に色々変わるのね。

辞任式は早いほうが良いね〜。

次の地へ行っても、やることがたくさんあるもの。。。。

・・・と言うわけで、Kちゃんのお手伝いは何も出来ず

Yさんの家に向かった。

さすが、高校の先生の転勤は、力持ちの高校生が20名くらい手伝いに来ていた。

ばばは、中へ入って少し片づけのお手伝いをしたら

もう、11時半になった。

Yさんが「ご主人のお昼の準備があるでしょう」と言ってくれたので

ばばは、そのまま帰宅した。


せっかくお友達になったのに、数年でお別れ。

Kちゃんとも30年以上のおつきあいだけど、明後日には奄美市へ帰ってしまう。

転勤族の「さだめ」です・・・・

でも、心はきっとつながっているよね、いつまでも。。。。


家に帰る途中、選挙カーのうるさいこと。

明日は町議選の投票日。

候補者の車が通るたびに、小さい子供達までが門へ飛び出して

候補者と握手したりしている。

ばばも、投票したい人は何人もいる。

その中から、一人選んで投票する。

必死に頑張っている候補者の方々を見ていると

みんな当選して欲しいと思う。

年配の方は経験豊富だし、若い方は年配の方から色々学び、

行動力で町政の場で活躍して欲しい。

16名の定員に対し20名が立候補している今回の選挙。

あと24時間後には結果が出る。。。。。。。。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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