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日常生活 - 2011年2月の記事 >>
02/28(月) 11:07
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02/25(金) 14:29
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02/23(水) 10:18
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02/22(火) 19:44
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02/21(月) 20:40
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02/21(月) 06:43
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どなたでしょうか?他

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


昨朝、7時前後頃、我が家のベランダにプレゼントが置かれていた。

プレゼントは、お米などを入れる大きな大きな紙袋。

ジャガイモがほぼ満杯入れられていた。

一体誰が?何時?置いてくれたのだろう?

前日、夕方7時前にばばが買い物から帰ってきた時は

ベランダに何もなかった。

・・と言うことは?前日の夜7時以降か、昨日早朝に置いてくれたんだろうと思う。

朝、7時前後におもさ30キロ前後のジャガイモの入った袋を抱きかかえ

我が家の階段、約20段を上るのは相当力のある人でないと出来ないと推測するが。。。。

心当たりは。3名ほどあるけれど、むやみに電話して

もし相手が届けてくれていなかったら、

何だか(ジャガイモちょうだい)と暗に請求しているようでもあり、

静観しておくことにした。

たまたま、誰か携帯から電話をくれていて留守電でメッセージは残されていなかったが

この電話をくれた方が、ジャガイモも下さったのかも知れない・・・・

以前も、早朝、車庫に野菜が置かれていたり

玄関先に野菜や果物が置かれていたことがあり、

時間が経ってから下さった方が分かった・・ということがあった。

誰にお礼を言ったらいいのか分からなくて困ったので

このことを教訓に、何処かへ品物などを届け、相手方が留守だった時は

メッセージを残すか、その日のうちに電話をすることにした。

あと、真似したいな?と思ったのがじじの友人のある方は

何か届けて下さった時は、名刺を入れて置いて下さるのでとても助かる。

だから・・・名刺とまではいかないけれど、

ばばも何処かへ届け物をする時はメモ用紙と筆記用具を準備している。

たくさんの大きなジャガイモ・・・・・

下さった方はわからないけれど・・・・使って良いのかなぁ????



ばばは、内仕事より外仕事が好き。

外仕事と言っても、両親宅の庭の草抜きをしたり

小さな菜園の手入れ、花園の手入れ、庭木を切る・・・等なんだけど・・・

花園とは名ばかりで、花木があるかと思えば、ネギも植えてあるし、ニラもあり、

時期になるとシソも仲間入り。

ハーブあり、野菜あり、木あり・・・・

義母が元気な頃も花園だったと思うけど、食べ終えたミカンやメロン、

冬瓜、カボチャ等の種を投げていたので、それらが芽を出し、

庭にまで生い茂り、花園か畑か?と思うこともあったが

ばばが管理するようになっても大差はない。

おまけに最近は台所から出る生ゴミまで持って行って埋めるようになった。

暑くなると、生ゴミにはすぐ虫が湧くと思うけれど

今の時期は大丈夫!

生ゴミを埋めるようになって、出すゴミの量が大部減った。

・・と言うことはいかに生ゴミが多かったかということにもなるね。

今日はゴミを出す日だったけれど、

捨てたのはチラし類、カタログ類、庭から引き抜いた雑草や、枯れ木の枝、枯れ草、

そして、大部分は紙類がほとんど。量は小さな指定ゴミ袋4個。(ゴミ袋代80円也)



昔・・ばばの子どもの頃は、こんなにゴミが出ることもなかったし、

ゴミを指定袋に入れて捨てるって事もなかったけれど、

今は週2回ある「燃えるゴミ」を出す日に、

ゴミを出さない日はないと言うくらいゴミが多い我が家。

何とか、もっとゴミ減量に繋がるようなことをしなくては・・と思うばばだ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

誰か見ていた?

by ばばの日記

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2月25日(金)晴

先日の「島口・島唄の祭典」である発表者が

「トイレの言い方も時代と共に進化してきた。

雪隠・便所・トイレ・お手洗い・化粧室・そして今や男の人と女の人の絵になっている」と。

(もう一つ言ったけど、ばば、忘れちゃった〜。ごめん!)

そうだよね〜、いろいろなことが時代と共に変わっていくよね。



後ひとりの発表者が「イキャガラーヌ キャーマタン話」という題で話した。

標準語に直すと「恥ずかしくて困った話」。

3,40年前、親の言いつけで都会にいる親戚の方のお見舞いに行った時のこと・・・

病院の前に着くと、もの凄く大きな病院でずぅっと奥の方まで見わたせる。

島から初めて都会へ行った青年、ダァ〜〜〜ッと駆けだした。

次の瞬間、青年はガラスのドアに激突。

待合室に座っていたたくさんの人達の注目を浴び、

大笑いされ、恥ずかしくてたまらなかったって。

自動ドアの端っこの方へ向かって走ったんだろうね、きっと。



ばばは、この青年を笑えないよ。

一昨日、じじにも言えないような、とても恥ずかしいことしたんだもの。

じじが、電話をばばの車に忘れていたので、慌てて「ほーらい館」へ走ったこと書いたでしょ。

ばばは、最初は(もう、じじは書類書き終わって外の何処かでまってるかも)と思って

キョロキョロ探したけど見つからなくて、今度は建物の中を探そうと思ったの。

ところがね、この「ほーらい館」、ばばも2回しか来たことがない。

一昨年「ちょい減る教室」に参加した時の体力測定でね。

じじが居るのは「ホール」とは分かっているんだけど、どこからどう行ったらいいものかわからない。

正面から入ろうとしたら真ん中が茶色の木製のドアのような物があって

その両側が透明のガラスになっていたが、両方の透明ガラスの前に立ってもドアは開かない。

仕方がないので東側へ向かった。

その入り口には「無断で入らないで下さい」と書いてあり、手でドアを開けようとしても開かない。

仕方がないので、更に南側へ回った。

そこなら、一昨年入ったドアだったから難なく入れたの。

ところが・・・入るには入ったけれど靴を脱ぐべきかどうか分からない。

廊下はピカピカ綺麗だし、近くのドアには「土足厳禁」って書いてある。

「これは、靴を脱ぐしかない」と判断したばばは靴を脱いで手で持ち廊下を歩いた。

じじの居るであろうホール近くの廊下には待っている人達のためかテーブルと椅子がある。

その人達の足元を見ると、みんな靴を履いている。

小学生の上履きのような靴を履いている方もいるので

やはり「室内履き」を履かなくてはいけないのかな?

それにしても、裸足はばばひとりなので、少しだけ気になるけれど・・・・・

靴を持ったままホールを覗くと、じじは真剣な顔をして書類に何か書いている最中。

よかった〜〜と思ったけど、靴を持ったのがばばだけなのが、少し恥ずかしい。

上履きが必要だったか?と考えたけど、じじも上履きは持ってきていない。

裸足で居るのかな?とチラッと気にはなったけど・・・・

その時、姉がばばの横に立った。

あれっ?姉はどこから入って来た?

いろいろ?????のまま、しばらく待っていると、じじが「やっと終わった〜〜」と出てきた。

そして、3人一緒に出口に向かったのだが・・・・

その出口というのは、一番最初にばばが入ろうとして入れなかったドアのところ。

あれっ?

さっき、どうしても開かなかったドアがスゥ〜〜〜ッと音もなく開いた。

(ははぁ〜外からは入れなくて、内側から出ることは出来るんだ)と思った。

そう言えば、一昨年始めてきた時も南側から入り、帰る時は正面から帰ったことを思い出した。

それにしても、吃驚したことは更にその後のこと。

すんなり外に出られたばば、改めてドアを振り向いてみると・・・・・!

真ん中の茶色い木製のドアの前に立つと、ドアはスゥ〜〜〜ッと開くではないか!

焦ってたばばは、茶色のドアの両側にある透明なドアの前にすまして立っていたの。

開くはずのないメインドアの端っこにね。

更によくよく見ると、茶色のドアの前にはちゃんと足ふきマットらしき物も敷かれているじゃない!

ばばったらぁ〜〜〜、一体何してるんだろう?

恥ずかしくて、恥ずかしくて・・穴に入りたかったかって?

いえいえ、誰もばばのしたこと気づいていなかったと思うから。(気づいていたかな?)

でも・・・・・・靴も脱ぐ必要なかったかも・・・・・・・・・・

じじと姉はしっかり履いていました。

脱いで手に持っていたのは、このばばだけでした、ハイ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

じじったら〜

by ばばの日記

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2月23日(水)曇

昨日は確定申告の準備のことを書いたが、

今日は書類を持って伊仙町の「ほーらい館」へ行き

じじが書類を仕上げたこと等を・・・





出発前に役場へ寄り必要な書類をもらってから

会場となる伊仙町「ほーらい館」へ出発〜。

いつもの3人組、運転手はばば。

会場に着くまで、海が見える箇所では

「鯨が跳ねないかなぁ〜。潮吹いてくれないかな〜」と話しながら

しばし、ドライブを楽しんだ。



会場に着いたので、じじに低血糖予防の飲み物と甘い物を渡した。

じじは昨夜遅くまでかかって下書きした書類などを持って会場の中へ・・・

「じゃ、2時間くらいばば達は時間つぶしてくるね〜」

「終わったら電話するよ〜」・・と別れたが、

その直後、ばばは自分の携帯のバッテリーが最低限しか残ってないことに気づいた。

これでは、じじが電話してきても受けられるかな?

それまでにバッテリーが切れたらどうしよう・・・

心配、心配。

近くに充電器を借りられる場所は無し、かと言って充電器を買うのもなぁ・・・

「大丈夫よ!午前中くらい」と姉が言う。

「いざという時には、私の携帯にかかってくるでしょ」とも。

(じじ、ばば姉のナンバー登録してあるかなぁ・・)何処までも心配性のばば。



「まっ、なるようにしかならない」と諦め、義名山運動公園と御前堂(集落名)へ向かった。



義名山運動公園で車を降り、「さて、どの辺をうろつこうか?」と思案するばばと姉に

70代くらいのおじいちゃんが突然「あなた達、何処へ行くか分からんの?」と話しかけ

近くにいたおばあちゃんに「警察に電話しなくちゃ〜」って。

何処かの集落のおじいちゃん、おばあちゃん達が「グランドゴルフ大会」をしていたらしく

ばば達と入れ替わりに帰る所だったらしい。

さっきのおじいちゃんは、何回も「警察に電話しなくちゃ〜」って

ニコニコ笑いながら周囲のおばあちゃん達に話している。

ばば達は不審者に間違えられたらしい(笑い)。

おばあちゃん達もニコニコして「あなた達、何処ね〜」と話しかけるので

「亀津から来ました」と答えると「「あ〜そうね〜」とニコニコ。

姉が「妹は伊仙と鹿浦に14年間通っていましたよ」と言うと

「へぇ〜〜。この人伊仙と鹿浦に長いこと通っていたって」と

おじいちゃんがおばあちゃん達に説明している。

・・とそこへ、ばばの顔見知りのおばあちゃんが

「あら〜、ばばちゃん〜。お久しぶり〜。ばばちゃん達もグランドゴルフしない?」って。

知り合いのおばあちゃんが現れて、やっと「じいちゃん、ばあちゃん軍団」から無罪放免。

その後も「取材ですか?」と聞かれたりしたけど何とかかわして、散策開始。

平日の昼間、おばあちゃんでもない女性が公園など歩いていると

島ではよっぽ「変人=不審者」と思われるのか?

公園は思ったほどは広くなく、1周して、次は御前堂の集落へ向かった。

もう、何十年も前にお世話になった集落だ。

すれ違う人もなく、十数軒くらいの家が畑付きで並んでいた。

「畑付き」と言うのは、ほとんどの家の横に広い畑があったので・・・。

懐かしさに浸る間もなく、次は義名山神社へ向かった。

神社の周辺にはたくさんの種類の椿が咲いていた。

カラスウリの枯れた実が5,6個ツルに下がっているのも珍しかった。

神社周辺を散策していた時、時計は11時45分。

(そろそろ、じじから電話が来るかな?)と思ったばばに姉が

「もしかして、じじ、携帯を車に置いた鞄に入れたままじゃないかな?

じじが車から降りる時、私がこの鞄は良いの・って聞いたら、

それは良いって答えたけど」と言うので、不吉な予感がして急いで車に戻り調べてみると

じじったら〜〜〜〜やはり姉の言うとおり携帯入れた鞄は車に置いたまま。

そこから急にばばは不安になった。

電話しようにも出来ないわけだよ〜〜。

「もう、書類作成終わっているかも知れない」

「ばばの電話番号、憶えているはず無いなぁ」

「財布だって、この鞄に入っているはず。だとしたら公衆電話から電話しようにも出来ない」

悪い方へ、悪い方へと想像は膨らむ。

居ても立っても居られないほど不安になり、すぐにじじの居る「ほーらい館」へ。



説明会場へ回り、そぉっと覗いてみる。

お〜〜〜っ、じじは、まだ真剣な表情で書類作成中!

安心すると同時にど〜〜〜っと疲れてしまったばばでした。



夕ご飯の時「じじ〜、もし、ばばがじじからの電話を待ってて、

迎えに行かなければどうした?」と聞くと

「きっと、ばばが迎えに来てくれると信じてたよ」って。

こうして、ますますばばはじじを過保護にしていくのかな??

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

まるで・・・・・

by ばばの日記

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2月22日(火)晴

今日は確定申告について教えてもらうために

隣の伊仙町「ほーらい館」までなくてはならず

以前から計画していた。

ばばは去る17日で完了していたが

じじは自分の分と

入院中の父の分もしなくてはいけないので結構ややこしい。

入院費や治療費、通院費など1年分を計算するのも大変だ。

数年前から父の分はばばがファイルを作って管理していたし

母の分も去年の入院以来ファイリングはしていたが

合計計算はしていなかった。



今日行くと言うことが前もって分かっているので

数日前から「資料整理と計算しておけば・・・」とじじに言っていたが

じじは「前日で良い」って取り合わなかった。

昨日は昨日で昼間は自分の好きなことをして

夕食を終わって9時過ぎから始めた。

まず、練習用に書いて・・・清書・・・・・

次にいろいろな計算。

頑張るじじを横目にばばはテレビや新聞を見ていたが

10時過ぎても終わりそうにない。

こうなったら、ばばだけ先に寝る訳にも行かないだろう・・・と

「じじ、手伝おうか?」と声をかけ、二人で計算機を持ち出して必死に計算。

じじは大型の計算器なので良いが、ばばのは小さな計算器。

ちょっと間違えて横のキーでも叩けば大変だ。

もともと算数大嫌い!のばば。

計算器で計算する事なんて滅多にないことで、超緊張、肩が凝る。

じじが一旦計算したのをし直して正しいか確認したり・・・・

時計を見ると11時回ったよ。

父の入院費の領収書なんて30枚近くある。

それを1枚めくっては数字を入力、全部入力し終わったら

確認のためもう一度。

父のが終わったら母の分・・・・・

全部計算し終わったら12時前。

途中で、よっぽどじじに任せて寝ようかと思ったけど

やはりそんな非情なことは出来ないよね〜。

ばばは作業をしつつ、

まるで子どもの勉強に付き合っている「お母さん」のような気分だったよ。

じじは、さしずめ勉強嫌いなやんちゃ坊主。

「勉強せぇ〜勉強せぇ〜」と言われても「後で」「後で」って逃げ回る。。。

仕方なくテスト前夜に徹夜???

いえ、いえ、「もう、夜遅いから寝て、明日朝5時に起こしてね〜」と親・姉弟に頼み

明朝目覚めたのは7時頃。

「何で起こしてくれなかったの!」と親姉弟に文句を言う。

「みんなで何回起こしても起きなかったよ」と家族から言われても納得しない・・・・・・・・・

って、書くばばも、こうだったよ。

「朝早く起きて・・」と時計をセットしたものの

時計が鳴ったら止めて「あと10分、いや5分」と眠り続け・・・・勉強せずテストを受ける。

あったよなぁ〜〜たしか。

だから、じじを避難したり叱ったりしてはいけない、いけない。



でもねぇ〜〜じじ。

書類を書いたり、計算したり来年からは早め早めにふたりでしておこうね〜。



今日は、この他にも書きたいことはあるけれど、続きはあ・し・た。

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親子・・・島の諺

by ばばの日記

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2月21日(月)晴時々曇

今朝、起きたらカラ〜〜〜ッと晴れ渡りさわやかな天気!

「おぉぉぉぉ〜〜〜〜〜ワンダフル!」と叫んだばば。

(今日は、何しよう??)ってワクワク、心ウキウキ。

・・・・と思ったら、1時間も経たないうちにザァ〜〜ッと雨が。

信じられない!

その後、又晴れたり曇ったり。

「女心と秋の空」って言うけれど、♪秋でもないの〜〜に♪って口ずさんじゃう。



さっきから天気のことを書いているけれど、

昨日の「島唄・島口の祭典」で重岡四男さんが、話した

「あまがくとの話」について書きたいからだ。

「あまがくと」って初めて聞いた言葉だけれど

「天の邪鬼」という意味があるらしい。

題は「アマガエルの話」だったと思うが

ばばは、同じ内容の話を母から何回か聞かされた。

「アマガエル」のことを方言で何と言っていたかは忘れてしまった。



話の内容はこうだ。

ある所にアマガエルの親子が住んでいた。

アマガエルの子どもは、何でも親の言うことの反対のことばかりした。

「川へ行って水を汲んでおいで」と言われると

山へ行って薪を拾って来て、反対に「山で薪を拾っておいで」と言われると

川へ行って水を汲んで来る・・・というふうに。

アマガエルの親は重い病気になり、自分はもう長く生きられないと思った。

そこで、子どもに、こう言った。

「お母さんが死んだら、川縁に埋めてね」と。

本心は山に埋めて欲しかったんだけど、

どうせ子どもは何時もと同じように逆のことをしてしまうだろう・・・

と考えたのね。

お母さんが死んで、初めて子どもは自分が親不孝だったことに気づいた。

そこで、(今さらながら遅いけど、最後くらい親孝行をしよう)と思った子どもアマガエルは、

お母さんアマガエルを言われたとおり川縁に埋めた。

ところが・・・・・

雨が降ると川縁に埋めたお母さんが流されてしまうのでは・・と気になり心配で心配でたまらない。

そこで、アマガエルは今でも雨の降る前などになるとゲコゲコゲコゲコ鳴くんだって。



正に、小さかった頃のばばは子どもアマガエルと同じだった。

それに気づいたのは、自分が結婚して子供が生まれ、親になってから・・・・

ばばの両親は既に60代。。。。。

「親孝行したい時に親は無し」と言う諺も母がずぅっと話して聞かせていたけれど、

ばばの場合、全くその通りだった。



小学校低学年の頃母が話して聞かせた「アマガエルの親子の話」は

何十年経っても忘れることがなく、たくさんの子ども達にも話して聞かせた。

我が家の娘達にも、何十年後も心に残る話をしてあげたかなぁ・・・・・



夕方、病院へ向かっていると先日携帯を拾った青年と会った。

あの携帯の持ち主は、小学生だったそうで、

たまたまその子のお母さんから電話がかかってきたことから持ち主が特定できたとのこと。

良かった、良かった。



ところで、この青年はとても善良な人柄だとばばは思っている。

1年中、東区の公民館周辺の掃除を人知れず頑張っている。

又祝祭日は公民館の日の丸の上げ下げもしているそうだ。

家でも、80代のお母さんと叔母さんの世話をかいがいしくしているそうだ。

人知れず頑張るこの善良な青年にたくさんたくさん良いことがありますように・・・

と、ばばは願っている。



島口発表の重岡さんは話の最後を「てぃんさぐぬ花」で締めくくった。

♪てぃんさぐぬ花や 爪先に染めて 親ぬゆしぐとぅや ちむに すみりぃ♪

(ホウセンカの花で爪先を染めて、親の教えは肝に銘じなさい)

♪ゆるはらす 船は にぬふぁぶし みあてぃ わんなちぇる うやや わんどぅ みあてぃ♪

(夜航海する船は北極星を目印にし 私を産んだ親は 私を頼みにしている)

歌詞の訳が正確かどうか自信はないが、ばばは、この様に理解している。



子どもは親のことを牛の角の数ほど思い、

親は子どものことを牛の毛の数ほど思っている。

ばばの好きな島の諺だ。

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島唄・島口は「島ヌゥ宝」

by ばばの日記

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2月20日(日)曇時々晴れ間あり

「第25回島口・島唄大会」が昼の1時半からあるというので

いつもの3人で出かけた。

会場は生涯学習センターの二階。

ばば達は15分ほど前に会場に着いたが

まだまだ三分の一ほどしか席は埋まっていなかった。

じじは、一番前に陣取り、

姉とばばはじじから6列ほど後ろの席に座って鑑賞した。

プログラムは16番まであって、島唄・漫談が主な内容。

出演者は、下は年長さんから上は90歳代の方まで。。。。



方言と言えば、ばばは中学生の頃まで家庭では方言オンリーだった。

しかし、学校では小学校の中学年頃からだったか?「ヤマトゥグチ(標準語)を使いましょう・・」と。

それまでは学校でも家庭でも方言を使うことが多かったばば達だけに

急に「ヤマトゥグチ」使いましょうと言われてもねぇ・・・・・

教科書に書いてある字は読めるし、意味も分かるんだけど

教科書に書いてあるような言葉を使うのは何だか恥ずかしかった。

だから、学校の門を出ると、声高に、思いっきり島口を話しながら帰宅した。

それまで家では父のことを「アジャ」、母のことを「アマ」と言っていたのに

ある日を境に「お父さん・お母さん」なんて

恥ずかしくてとてもじゃないが言えるものではなかった。

又、両親は島口を話すのに、子どもだけが「ヤマトゥグチ」って言うのも腑に落ちなかった。

だから、学校では「ヤマトゥグチ」家では「方言」としっかり区別していた。

所が小学校も高学年になると、学校で方言を使うと

「私は方言をつかいました」と書いた札を首から下げられた。

ばばは、あまり記憶にないけれど、じじ達は自分が札を下げていたら

虎視眈々と方言を使う友達を見つけたそうだ。

そうすれば、首から下げた札を友達に渡すことが出来たから・・・って。

そして、「方言で言えば・・・・」と前置きして話したそうだ。

この前置きがあれば、罰せられなかったって。

あぁ〜〜、今ならばばは、きっと決起して、みんなで方言使ったかも。

そしたら罰則の札も全校生徒分はなかっただろうし・・・・

その代わり、ただでさえ問題児だったばばは、ますます「不良」のレッテル貼られていたかもね。

それに、当時の先生って怖かったし・・・・・

女の子でも、ビシバシ、ビンタ張り飛ばされたもの。

正座はさせられるわ、水の入ったバケツを両手に持たされ廊下に立たされるわ、

冬の寒い日に、冷たい水の入ったバケツに両手を突っ込まされるわ・・・・

今なら人権無視なこと、平気でさせられてた。。。。。



いつ頃からだったろう?

家庭でもヤマトゥグチつかうようになったのは。

やはり、ラジオ等が普及しはじめてからかな?

明治生まれのばばの両親もヤマトゥグチつかうようになり、それがフツーになっていった。

でも、家族同士の会話はずぅっと島口だったけど。



今日の発表を聞いていても分からない箇所が多々あった。

島口は各集落でも違うからね。

ばばの実家集落と、今住んでいる亀津でも言葉やアクセントが微妙に違う。

だから、結婚当時は島口話したくなかったんだ〜じじ両親やじじと。

実家で暮らした時間よりも、じじ両親やじじと暮らした時間の方が長くなり

亀津の言葉も抵抗無く聞き取れるようになったけど、

集落が違うとやはり違和感もあり分からない言葉も多々。



厳しい監視の中で方言を追放しようとしたのは約半世紀前。

しかし、今は方言を復活させようと四苦八苦。

でも、もう今となっては無理じゃないかなぁ?????

だって、家庭で島口つかっている人口ってほんのチョッピリじゃないかな?

人の交流も多くなって、島口では上手くコミュニケーションがとれない時代だも。



島唄や島口は子や孫へも伝えたいと思うけれど

そう思うばばは、島唄が歌えない。

聞いても意味が分からない。

島口も忘れてしまった言葉が多い。

島口は、高齢者の方がどんどん少なくなり

それと共に廃れていくのでは・・・

守りたい!守れない!

ジレンマ・・・・・・・・

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