カウンター(Since 2009.8.3〜)
カウンター カウンター
徳之島じじとばばのブログへようこそ! ここは、モバイル・携帯アクセス兼用サイトです。








RSS

Ringworld
RingBlog v3.20h

ようこそ!お越しいただきまして有り難うございます。     このサイトはモバイルアクセス用として誕生しました。     動画再生にはWin Media Playerが必要です。      どうぞ ごゆっくりご覧下さい!  当サイトはリンクフリーです。管理者へ許可を得る必要はありません。
<< 2012年10月の記事 >>
10/04(木) 08:45
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
10/03(水) 20:37
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
10/03(水) 08:26
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
10/03(水) 08:24
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
10/02(火) 16:41
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
10/02(火) 08:17
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
>>2012年10月の記事一覧

クロハラアジサシ

by じじの動画日記

徳之島じじとばばのブログ


10月4日(木) 天気 晴 室温 26.5 外気温 25.6 ℃ 湿度 55 %



 今朝は、雲の無い海面から茜色の綺麗な朝日が顔を出した。

今年1番の綺麗な日の出だった!

秋になると、こんな光景が時々観察されるので海岸は最高のジョギングコースだ 。





 昨日も、諸田池へ先に行った。

諸田池には、久し振りに「クロハラアジサシ」たちが来ていた。

 4〜5羽の小集団だった。

毎年のようにクロハラアジサシは旅鳥としてここへ渡来する。

 丁度1羽が羽を休めるために、噴水の蛇口に留まったので距離はあったが動画で楽々に撮れた。



クロハラアジサシ





(2012年10月3日、10:37 徳之島町諸田池で撮影)

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

水担ぎ

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


10月3日(水)晴れ

出先で必ず出る会話。

「今度の風強かったね〜。何か被害無かった?」



2日前、撮影から戻って来たじじが言った。

「今日、撮影で歩いたコースの彼方此方にトタンがあった」と。

ばばは、一瞬何も考えず「不法投棄?」と言ったら

「いや、今度の台風で民家とか倉庫とか

畑の小屋から飛ばされて来たんだろう」と。

今回、多くの民家の屋根が吹き飛ばされたと聞く。

トタンやトタン用の釘も、お店には無いとも聞いた。



ばばの実家のすぐ前にある畑にも

トタンが何枚も飛ばされてきていた。

又、我が家から見える倉庫も屋根が全部吹き飛ばされている。

我が家の車庫は、15号が襲来した時に

トタンがたくさん吹き剥がされたが、

リフォームをして下さっている大工さん達が

全部倉庫内に運び込んでくれた。

今回の台風で又飛ぶのではと心配したが、風が強くなる前に

何処の何方かが、土嚢を置いて重し代わりにして下さっていて

今回の被害はゼロ。

土嚢を老いてくれたのは、大工さん達では無いという。

どなたがして下さったのか?お礼を言おうにも相手が分からずそのままである。



台風でトタンや河原が吹き飛ばされたかと思うと

大きな木も根こそぎ倒れているという。

ばばの実家集落にある周囲1メートル以上もあり

樹齢7,80年の松の大木も根こそぎ倒されているそうだ。



又、車も吹き飛ばされたり、クルクル吹き回されたりしていたらしい。

台風だけで無く竜巻も彼方此方で発生していたのでは?と言う人もいる。



今回、最も被害を受けたのはやはり農家の方だろうなぁ。。。。

ばばがいつも行くお店で会うおじさんも

「今年はサトウキビもタンカンも生姜もダメだ」と嘆いていた。

これから収穫を迎えるこれらの農作物が壊滅的な被害を受けたら・・・・・

農家の方々にかける言葉も無い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前述した、実家集落の松の大木と言えば

忘れようにも忘れられない思い出がたくさんある。



ばばが子供の頃、まだ水道が無く

飲料水を初めお風呂の水も泉から汲んで来ていた。

汲んで来る・・・・と簡単に書いたが、それはそれは重労働であった。

バケツ2個を天秤棒のような棒で担いで水を運ぶのだ。

10回、20回・・・いやそれ以上、バケツ2個いっぱいの水を担いで

家と泉の間を往復するのだ。

ばばの家から泉までは直線距離にすれば、ほんの100メートルくらいだったか?

しかし、泉へ行くには急な坂を下らなければならなかった。

急な坂道への下り口に大きな松の木があった。

季節によっては松ぼっくりをたくさん落としてくれた。

しかし、とてもとてもイヤな季節があった。

それは・・・松の木に付く毛虫が大量発生する季節。

大量発生した毛虫は木からぶら下がるだけでなく

道路にも何百匹と落ちてモゾモゾ動いていた。

裸足だったばば達はいかに毛虫を除けて歩くかが一番の課題だった。

行きは、まぁ良いとして帰りは水を満たしたバケツが重くて

毛虫を除けてピョンピョン跳ぶわけにも行かず・・・水をこぼしたら

更に泉に通う回数が増えるから・・・・



春夏秋冬、1日も水汲みをサボるわけにはいかず

すぐ上の姉と、ばばの誰かが必ず水汲みをしなければならなかった。

姉は今でも言う。

「小さい頃、毎日毎日水担ぎをしていたから背が伸びなかったかも」って。



雨の少ない年はね、泉の水が涸れてしまうの。

だから、各自家から柄杓を持って行って、泉から少しずつ湧き出る水が

溜まるのを待って、柄杓で汲んでバケツに入れていたんだけど

バケツ2個に水を満たすのに相当の時間を要していた。

この泉のみ水がすっかり涸れると、集落内の更に遠い泉まで行き

その泉も水が無い時は、隣集落の泉まで通っていた。



農作業も一通りはやったばばだけど、

家の手伝いで一番きつかったのは水汲みだなぁ・・・・・

「水汲み」と言わずズバリ「水担ぎ」って言っていたけどね。



小学校何年生の時だったか?

水道が通った時の嬉しかった事!

すぐに各家庭に水道が引かれたわけでは無かったけれど

急な坂道を上り下りしなくて良いし、家のすぐ近所の水道の所まで行けば

水が汲めるし・・・・今は蛇口をひねれば水が出る時代だけど

台風とかで断水すると、改めて水のありがたさを痛感するし

また、幼かった頃の辛かった「水担ぎ」の日々を思い出して切なくなるばばだ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

エゾビタキ

by じじの写真日記

徳之島じじとばばのブログ


10月3日(水) 天気 晴 室温 25.5 外気温 25.2 ℃ 湿度 53 %


 昨日もまた、別の個体のエゾビタキが、良いポーズで撮れたのでアップします。




(2012年10月2日、11:51 徳之島町和瀬池入り口で撮影)

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

コガモ(雌)

by じじの動画日記

徳之島じじとばばのブログ


10月3日(水) 天気 晴 室温 25.5 外気温 25.2 ℃ 湿度 53 %



 今朝も、秋空の清々しい夜明けだった。

雲間から赤い太陽が顔を出した。

今日も一日秋晴れの良いになりそうだ!


 昨日、諸田池でコガモを撮ることがで来た。





前回、マガモの雌をアップした次の日あたりからマガモの近くにいたことは確認していたが、このコガモは非常に警戒心が強く、人影が近づいただけで即遠くへ行ってしまうのでなかなかいい画像が撮れなかった。

今年は時期的には、カモたちの渡りは早いようだが、まだ一羽ずつしか来ていないのが寂しい。

もうすぐ、秋も深まる頃は沢山のカモたちも来ることでしょう。

 動画の初期画面で、左側にいる大きい方がまがもで右側の小さい方がコガモです。

撮影距離が遠く画像が悪いが、コガモの雌のようである。




コガモ(雌)





(2012年10月2日、10:26 徳之島町諸田池で撮影)

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

牛・豚

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


10月2日(火)晴れ

ばばが子供の頃、家で牛・豚・鶏を飼っていた。

牛は使役用。

今のように車や耕耘機やトラクターがあった時代では無く

重い荷物を運ぶのは牛だった。

稲や黒糖、お米や材木、イ草等々。

我が家の動力の半分以上、イヤ8割以上は牛が頑張っていた。

暑い日も寒い日も、朝から晩まで良く頑張ってくれていたなぁ。

稲刈りの時期には、脱穀した籾を田んぼから家まで運んだりもしたけど

そんな時、ばばも荷車の隅っこにチョコンと乗っけてもらっていた。

朝早く田んぼに行き、荷車の上から夕月を見ながら帰ることもあった。



牛が子牛を生むと、「馬喰」と言われるおじさん達が

子牛を買いに来た。

ある夜、二人連れの「馬喰」おじさんが来て、家に上がり込んで

商談をしていたが、フイと外へ出て行った。

父が「外で子牛の値段を相談しているんだよ」と言った。

しばらくしてふたりのおじさんは又家に上がってきたが

売り手に聞こえないところで値段を相談して、又上がってくると言うのが

商人らしいなぁ・・・と幼いながら思ったことが、今でも忘れられない。

あの時、子牛を売ったかどうか?値段はどの位だったかは

サッパリ覚えていない。

ばばは「馬喰(ばくろう)」と言う音だけ聞いて

「他人を上手く言いくるめて、安く買いたたく人」だと思っていた。

今の時代も「馬喰」という言葉が使われ、又こう言う商売人がいるのだろうか?



豚も、2,3頭飼っていた。

豚も1頭だけ自家用に残し、あとは大きく育てて売って、

やはり現金収入の糧にしていた。

ばばが子供の頃は、お正月になると各家庭で豚を一頭つぶしていた。

12月も月末になると、親戚のお兄さんが数名我が家に来て

豚を豚小屋から引っ張り出し、牛小屋に立てかけた梯子に

逆さにくくりつけていた。

その後の行動をばばは直接見たことは無いが、

きっと誰かが豚の喉を包丁で刺してとどめを刺していた

その後、豚を浜に担いで行っていたような・・・・・

毛を焼いてむしって、その後、それはプロ並みに捌いていた。

捌くのは家でしていたなぁ。



上手く捌いた肉は、部位別に分けて

すぐ食べる物、保存食用に分けていた。

保存する分はきつく塩をして、大きな瓶で保存し

1年中使っていた。

脂身のところは、炒って油を取り、油(ラード)は煮物や揚げ物に使い

油を取った残りは「油かす」と言って、煮物やお汁に入れていた。

豚の血さえ、捨てずに食べていた。

豚の血を使ったお汁は「血ー汁(チージル)」と言って

大鍋で野菜や豆腐などと一緒に豚の血を炊くと

血が塊のようになって美味しかった。

今ならとても食べられないと思うが。

又、母は豚の血を使ってお餅も作っていた。

茶色っぽくて、今のふくれ菓子のような感じだったが

味は甘くはなかった。

今にして思えば、小さい頃は色んなものを食べていたんだなぁと思う。



それにしても12月末になると、各家庭から

命を絶たれる前の豚の鳴き声が響いていた。

感受性が鈍かったのか?それとも豚が直接殺される場面は見ていなかったせいか

あまり「可愛そう」とは思わなかったが、今なら耳を覆うだろうな。



いつ頃からだったろう?

各家庭で豚を飼わなくなったのは。。。。。

やはり、衛生的な面などから保健所かどこかから指導があったんだろうね。

各家庭で豚を飼えなくなって、畑などに小屋を作って豚を飼っている人はいたよ。

ばばの家のすぐ前のキビ畑の隅っこにも豚小屋があった。

この豚小屋の主は、ばばの家からだいぶ離れた所に住んでいたけどね。



そして、そして、じじはこの豚小屋の近くで

仕事から帰るばばを待っていて・・・・・

ばばの家に来たのが初めてだよね。

だから、ずぅっと後まで「豚を見た後だったから

ばばが美人に見えた」って言うんだよ〜。

ばばは、豚小屋の豚さん達に感謝しなければいけなかったのかな?



まさか、じじと結婚するなんて夢の夢にも思わなかったけど。。。。。



あと、ばばの家では鶏も飼っていたけど、「鶏編」は又・・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

リュウキュウツバメ

by じじの写真日記

徳之島じじとばばのブログ


10月2日(火) 天気 晴 室温 25.5 外気温 25.8 ℃ 湿度 57 %


今日はここにもリュウキュウツバメの静止画を久しぶりにアップします。




(2012年10月1日、11:18 徳之島町諸田池沿道で撮影)

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

<< >>

携帯用ブログQRコード       WEB写真集用QRコード


Copyright (C)2009-2014 tokunosima.info All rights reserved.

◇◇ Tokunoshima Island JJ&BB's HP ◇◇ ◇◇ A collection of Tokunoshima Island nature observation ◇◇