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亜種ホホジロハクセキレイ

by じじの写真日記

徳之島じじとばばのブログ


10月16日(火) 天気 曇 室温 27.5 外気温 26.2℃ 湿度 69 %


 今日は、先日 徳之島町総合運動公園で撮影した「亜種ホホジロハクセキレイ」をアップします。

このホホジロハクセキレイを写している時は全く気付かず、後でファイルの整理をしている時に気づきビックリした。



(2012年10月11日、11:52 徳之島町総合運動公園で撮影)


 じじはホホジロハクセキレイは初めての撮影で、もっと気を付けて撮らなければ行けないことを反省した。

数枚撮ってあったがあったが、この一枚以外は全てひどいピンぼけだった。

判っていれば、もっとしっかり撮ったり、動画で撮ったりしていたのに、折角のチャンスを逃がしてしまって残念!

Webアップ用の撮影を初めてもう三年ぐらいになるが、ホホジロハクセキレイを撮ったのは生まれて初めてだった。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

アマサギ

by じじの動画日記

徳之島じじとばばのブログ


10月16日(火) 天気 曇 室温 27.5 外気温 26.2℃ 湿度 69 %


今朝も目が覚めたら外は風模様!

台風21号の影響は停滞したまま、昨日とほとんど変わらない様子である。

昨日じじは、西へ進んでしまうと楽観したのは大間違いで、これから東の方へ向きを変えて大陸の高気圧や偏西風に押されて列島沿いに進路を取ればまたまた最悪なことになりそうだ!

この台風も、持久戦でこの辺の台風銀座を荒らし回りそうだ!





 最近、天候が悪く取材に出かけない日が続き、動画のアップ用データがほとんど無くなった。

ちょっと古くなって眠っているデータの中から「アマサギ」をアップします。

 これは、先日台風通過後に諸田池へ餌を求めてやって来たアマサギたちの動画です。

主に、草原や草原でこの様に昆虫(バッタ類が多い)を捕らえて食べているようである。

アマサギは、年中徳之島のどこかで良く見かける鷺類で、越冬・越夏・をするグループや春秋の渡りの時期に旅の途中立ち寄るグループなど様々に居るようだ。

 この諸田池や和瀬池へもこうして時々やって来る。



アマサギ





(2012年9月30日、10:59 徳之島町諸田池で撮影)

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もし、あの時・・・

by ばばの日記

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10月15日(月)曇り風強し

ばばが子供の頃は、よく両親に言われた。

どこそこの坂道は暗くなったら「首っ切らワンクヮ(首のない子豚)が

駆け上がって来るから行くなよ」とか、

「どこそこの畑へ行く道は、人さらいが来るから通るなよ」と。

言われてみれば、何となく薄気味悪く恐い道だった。

1カ所は墓地の横を通る道だったし、もう一方は海に近い坂道だった。

海に近い坂道の方は、未だに、うっそうと薄暗くて恐いし

ばばは、もう何十年も通ったことさえない。

近くに自分の畑があるんだけど。

なぜ、あの頃両親は我が子にああいう話をしたのだろう?と思う事がある。



たまたま、昨日ある先輩がこんな話をしてくれた。

その先輩は、ばばより10才くらい年上だ。



ある日、学校の下の浜で妹と、友人と3人で遊んでいた。

すると、沖の方から船が近づいてきた。

そんなに大きくはなかったそうだが、浜へ近づいてきた船の

後ろの方がパカ〜〜っと割れ、そこからボートが飛び出したそうだ。

そのボートは、砂浜へ向かって近づいてきたそうだが

「もうすぐ浜」という地点で横倒しになって、乗っていた人は海へ投げ出され・・・・

二人の男の人が必死に浜へ向かって泳いできたんだって。

見慣れた島の人ではないし、恐くなって先輩と妹は動けなくなった。

先輩の友人のYちゃんは、俊足で知られていたらしいが

「私が人を呼んでくる!」って走り出したって。

ほどなく、すぐ近くにあった中学校の校長先生と教頭先生が走ってきた。

その頃は、海から泳いできた男の人ふたりも浜に上がっていたそうだが

先生方は、男の人たちを校長室へ連れて行き、

濡れた服を脱がせてタオルで体を拭かせたり、脱がせた服を干したりしたそうだ。

男の人ふたりは何か話すらしいが、外国語で話すので

何を話しているかサッパリ分からなかった。

たまたまA先生が校長室へ入ってきて、男達と英語で話したそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ばばが聞いたのはここまでで、外国語を話した男の人が

何処の人だったか?

何故、あの浜へ来たのか?

ボートより沖に止まった船がどうなったのか?

聞きたいことはたくさんあったけど、先輩達もすぐに校長室から出されたので

その後のことは知らないんだって。

その先輩は言った。

もしかしたら、あの船は北朝鮮の船ではなかっただろうか?

もし、Yちゃんが学校へ向かって走り出さなかったら

先輩を含め3人は拉致されてしまっていたのではないか・・・・

当時、中学校は浜のすぐ近くにあったから

すぐに大人の人を呼んでくることが出来たんだね。

もし、近くに大人がいなかったら・・・・・

今になって、ゾォ〜〜ッとすると先輩は話を結んだ。



今朝、テレビを見ていると北朝鮮に拉致された日本人3家族が

帰国して、今日で10年だと言っていた。

未だに帰国できない拉致被害者の方がテレビで話しているのを聞くと

胸塞がる思いがする。

拉致された方々も、そのご家族もどんどん年を重ねていく。

1日でも早く拉致被害者を取り戻す事は出来ないのか。

異国、それもばば達の想像を絶する環境の中で、耐え続けている日本人がいる。

「望みを捨てずに、待っていて」・・というのが何故かむなしくなる。

いつ、朗報が届くのだろう?

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ギンヤンマの連結

by じじの写真日記

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10月15日(月) 天気 曇 室温 27.0 外気温 26.2 ℃ 湿度 69 %


 先日、諸田池に注ぐ小川(水路)でギンヤンマが連結していた。

ギンヤンマの連結を静止画で撮ったのは初めてだったのでアップします。

 秋になると、次世代を残すための準備をするんですね。




(2012年10月4日、10:47 徳之島町諸田池で撮影)

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コチドリの羽繕い

by じじの動画日記

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10月15日(月) 天気 曇 室温 27.0 外気温 26.2 ℃ 湿度 69 %


 今朝も目が覚めたら外は真っ暗の曇り空、雨は降ってなかったが風が強い。

台風21号は今朝になって向きを西へ変え、島への直撃は避けられそうになってきたので内心はホッとした!

しかしまだまだ油断はできない!特に暴風圏には入る可能性は十分あるので定期船の欠航が続きそうで不安だ!





 先日、諸田池で沿道の直ぐ下でコチドリが羽繕いをしていたので車窓からすかさず動画で撮った。

このコチドリたちは、初夏にこの池へやって来てまだこの池で暮らしている。

普段は小型の水鳥共通の、警戒心強がく人間の姿に気付くと、スッと姿をくらます達人(いや達鳥か)だが、この日は車窓からの撮影だったので上手くいった。




コチドリの羽繕い





(2012年10月4日、11:00 徳之島町諸田池で撮影)

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故郷の砂浜、他

by ばばの日記

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10月14日(日)曇り時々小雨

今日は、自分の用事で午前中出かけた。

出かけた先で、実家集落の浜辺の話等を聞いた。



ばばも、数日前のブログに書いたけど

ばばが子供の頃、浜辺は何処までも続く砂浜だった。

その砂浜に無数の小さな貝殻が打ち上げられて

「貝殻の道」のようだった。

又、ホンダワラや名前も知らない海藻もたくさん打ち上げられて

茶色の道を作っていた。

ばばは、飼っていた鶏の卵の殻があまりに薄かったので

浜へ行って貝殻をカゴいっぱい掻き集めて背負ってきて

その貝殻を細かく砕いて鶏にあげていた・・・・と先日書いたよね。



ところが、今日聞いた話では貝殻を買う業者がいたそうだ。

貝殻だけでなく、小さな石ころや砂利なども買う人がいたんだって。

貝殻は何の目的で過分からないけれど、

砂利はコンクリートの原料になったのかな?

当時は、今のような重機などなかったので

人間の力で生コン用の砂利なども集めていたんだろうね。

ばばは、落花生の皮をむき、「一升剥いたらいくら」とか

桑の実を集め、その種だけを集めて

「杯いっぱいいくら」とかで売って、お小遣いにしたことはある。

でも、貝殻を売ったことはなくて、今日初めて聞く話だったのでびっくりした。

当時知っていたら、ばばもお小遣い稼ぎ頑張ったのになぁ・・・・



この砂浜では、12月14日には

赤穂浪士の討ち入りと関連づけてか?「吉良の首探し」というゲームなども

行われていたんだって。

今で言うなら「宝探し」で、砂浜に埋めたお菓子などを

子供達が探して楽しんでいたらしい。

ばばは、これも記憶がない。



父が正月前に砂浜へ行き、牛に白砂を運ばせて

庭に撒いて、お正月を迎えたのは今でも覚えている。



ばばが子供の頃は砂浜もだいぶ広かったけれど、

年々、砂浜が狭くなってきているような気がする。



この海はね、そこが渦巻いているような流れになっているので

海遊びをしている人が流される「危険な海」でもあったんだって。



この砂浜を少し北へ進むと、ばばの好きな「フンニャトゥ浜」だ。

この浜へは母と何回も通った。

何をしに言ったかというとね、大根を洗いに。

収穫したたくさんの大根を大きなカゴに背負って「フンニャトゥ浜」へ行き

海水で大根を洗って、その大根を大きなカメにつけ込んで

「自家製大根の漬け物」を作っていた。

味噌味と、塩味と二種類の漬け物を作っていたよ。



カメといえば、当時各家庭には大小様々な大きさのカメがいくつもあったよ。

豚肉や、漬け物の保存用、水瓶としても使っていた。

ばばの家の水瓶は大きいので、数十回水を担いできて入れなくては

満杯にならず、又水瓶は1個ではないので全部の水瓶を満杯にするのに

何十回、泉と我が家を往復したことか・・・・・



今、ばばの実家にはもうカメはないけれど、

じじの両親宅には、今でも1個だけ水瓶があるよ。

その水瓶に溜めた水で、大工さん達は手を洗ったりしている。

幼かった頃はカメと言えば、「水担ぎの重労働」がパッと思い出されるが

今、両親宅に残された1個の瓶は、何だか貴重な物のように思える。

少しひびが入っていて、満杯にしたみずが少しずつ漏れてしまうけれど

大事に保存しておこうかな・・・・・



先輩から聞いた「砂浜の話」からだいぶ逸れてしまったけれど

「残しておきたい物」だけど、「だんだん消えていってしまっている物」が

身辺にはたくさんある。

独特な方言・貴重な動植物・・・・・

守れるだけは、みんなで力を合わせて守っていきたいね。

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