by ばばの日記
徳之島じじとばばのブログ
5月31日(日)曇
今日は日曜日だったせいか
弔問客が6名。
夕方、ちょっと買い物に行ってた間にも・・・・
じじが対応してくれていたけど、
やはり、49日までは、家を空けられないなぁ・・・と思った。
明日は、1日なので実家のお墓参りにも行って来たいけど・・・
どうなるかなぁ。
今日、弔問に来て下さったじじの同級生と、じじの会話を聞きながら
何処にでも同じような話はあるものだと思った。
今、ばば達が住んでいる場所は、徳之島の中心地。
高校も、文化施設も、役場も、大きな病院もある。
じじが子供だった頃は、我が家の近辺道路も舗装もされていなくて
雨の日の夕方、裸足で家に帰っていると、赤土の上を歩く自分の足音が
ペタッ、ペタッと聞こえてているのに、「お化けが付けてくる〜〜〜」と
思わず走り出したりしたそうだ。
また、自分の前をサッと黒いものが横切ると
それも「お化け!」と思い、怖かったって。
今思えば、その黒い物は、大きな犬だったのだろうと
じじの友人は話したが・・・・
何十年か前までは、ばばの家から100メートル位北に
豚を殺す「とさつ場」があったそうだ。
だから、夕方になると野良犬が豚肉の匂いなどを嗅ぎつけて
その周辺を走っていたのだろうって、
大分後になって考えたそうだ。
又、その「と殺場」の東側は海岸で
大きな軍艦の形をした「軍艦石」と呼ばれる岩があった。
この岩のことは、ばばも覚えている。
この岩は、上空から見ても軍艦の形に見えたらしく
爆撃を受けたこともあったとか・・・・・
今は「とさつ場」も軍艦石無くなった。
軍艦石は、海岸の埋め立てにより無くなった。
考えてみれば、じじとばばが結婚してしばらくして
大規模な海岸埋め立て工事が行われ、
現在では、埋め立て地の方にスーパーや病院なども建てられ
亀津の中心地となりつつある。
わずか50年足らずで、大きく様変わりしたなぁ・・・・
あっ、そう、そう、じじの友人の話を聞きながら
同じような話があるもんだなぁ・・と思ったことを書こうとしていたんだよね。
目の前を黒い影が横切り、それをお化けと思うとか、
自分の足音をお化けが付けてくる足音と思うとか・・・
実は、ばばの実家集落では、子供の頃
こんな話を聞いて、とても怖かったことを思い出す。
家からお墓に行く時は、急な坂道を下って行くのだが
夜になると、その急な坂道を、下から上へ
首の無い豚の子がもの凄い勢いで駆け上って来るって。
子ども達は、その豚のことを
「首ッキリ、ウワンクヮ(首の切れた豚の子)」と呼んで怖がっていた。
その首の無い豚の子が駆け上がる坂道の横に
もう少し広い坂道があるが、
その道では、祖父が怖い体験をしたことを
父に話してくれたという話を、父から聞いたことがある。
祖父が、隣集落で大工か何かの仕事をして
その後、食事などを振る舞ってもらって、夜遅くなって帰宅した時のこと。
隣集落は、ばばの住む集落から坂道を下りて行くのだが
帰りは当然、坂道を上ることになる。
夜も遅くなったので、提灯を付けて祖父は坂道を上がっていた。
丁度坂を上がりきった所で、前方から
丸い火の塊のような物が、祖父を狙うかのように
もの凄い勢いで転がってきたそうだ。
祖父は、一瞬サッと体をずらしたが、その後
何とも言えない恐怖を感じて、持っていた提灯を放り投げ
暗闇の中を一目散に家まで走ったそうな。
翌朝、朝早く昨日放り投げた提灯を取りに行くと
ものの見事、提灯は上下真っ二つに切れて
道路に転がっていたって。
あの火の塊は何だったんだろう?と、祖父は父に話したんだって。
今なら、聞いてもそんなに怖いとは思わないけれど、
祖父が怖がる位だから、よっぽど怖い出来事だったんだろうね。
首の無い豚の子が駆け上ると言われた坂は、
今も、昔と変わらない急な坂道だけど、
車で通る時も、何故か今でもちょっと怖くて
何かが出て来るのでは?と思う事がある。
この坂道と同じように、今でも通る時にちょっと怖いなと
思う場所は何カ所かあるけれど、又いつか書いてて見ようかな。
徳之島じじとばばのブログ 主管理者 ibuchanじじ&ばば