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11/13(火) 10:19
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11/12(月) 17:31
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11/11(日) 15:58
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11/10(土) 13:55
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11/09(金) 14:56
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11/08(木) 16:34
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>>2018年11月の記事一覧

ターニングポイント

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ





11月13日(火)小雨

今朝はポツン、ポツンと雨樋から落ちる雨音で目が覚めた。

朝から小雨模様の徳之島です。



天気のせいか、ちょっと神妙な気持ちになっているばばです。



ばばのこれまでの人生には、いくつかのターニングポイントがある。



その最たるものは、20代後半に自分が破傷風になり、3日間意識不明状態で

生死の境をさまよった事と、30代後半に長姉と兄が同じ年に亡くなった事だ。



自分が意識不明だった事は、意識が戻ってから周囲から聞かされた事ではあるが

眠り続けていたばば本人は痛くも痒くも無く、じじや親兄弟に

計り知れない不安と心配をさせてしまった。



しかし、兄と長姉との突然の別れは予想だにしなかった事で

立場が真逆になった。



直前まで元気だった人が急に亡くなる・・・

わずか半年の間に、最も頼りにしていた長姉と兄との永遠の別れが訪れるなんて・・・



昭和63年、姉が4月に53歳で、兄が9月に49歳で突然亡くなった。

直前まで畑で農作業をしていて、さぁ、家に帰ろう・・・という時に姉は倒れた。

又、出勤準備をしている最中に、兄は体調を崩した。






大好きな人や家族ともいつかは永遠のお別れの時が来る・・と頭で分かってはいても

現実的な事としては、当時、受け入れられなかった。



しかし、時間が経つにつれ少しずつ受け入れざるを得なかった

と言うより、色々な事がそれまでとは変わっていった。



そんな中で、ばばは「兄さんと姉さんの年迄私は生きられるだろうか?」

と自問自答する日が続いた。

頼りにしていた子供二人に先立たれたばば両親。

亡き兄と姉に代わって、できる限りの親孝行をし、サポートしていきたいと思った。

「自分は親より長生きしなければ・・・これ以上親二人を悲しませてはいけない」

という思いはありながらも「もし私が親より先に亡くなってしまったら・・」という思いも交錯した。



又「色々な物を残すのは止めよう」と思った。

それまで書きためていた家計簿や日記など全て焼いた。

友人知人からもらった手紙なども一緒に焼いた。



少しだけ気持ちが軽くなった。



「出来る間に親孝行をしよう」と思った。

じじの理解と協力もあり、週末は必ず次姉家族も誘い

2家族で実家へ帰り、両親に孫達と遊んでもらった。

母は毎週のように得意な「油そうめん」を作り

たまには肉や卵焼き、刺身まで準備して待っていてくれ

父は昔話をしてくれたり、孫達の話ににこにこ耳を傾けていた。

だいたい寄る7時から8時の間には自家を出発する時間だった。

帰る時刻になると両親は玄関先で孫達に必ず一人100円ずつのお小遣いを握らせてくれた。

そして、ばばが車を運転して、車が動き出すと、子供達は窓から手を出して

じいちゃん、ばあちゃんと握手をし、声をそろえて覚えた手の方言で挨拶をした。

「(オボラダレン)ありがとうございました。

又、ケェーユシャヤ(又来るからね)体、気チィキンショリヨ(体、気を付けてね)」と。

応えてじいちゃん、ばあちゃんは「又、クーヨー(おいでね)」と

言って、お互い手を振りながら分かれる・・・



このように、毎週土曜日の昼から夜まで、孫と一緒に過ごしてもらった。

1週間に一度しか会えない祖父母と孫達だったが

わが家の娘達も、ばば実家へ通っていた事は、未だに良く覚えている。



今にして思えば、自分の両親を車に乗せて、

島内あちこち連れて行ってあげたりもすれば良かったなと思う。



当時は今のように週休2日とかではなかった。

ばばも仕事優先で、子育てと家事で、日曜日は家事を終えると

グタ〜〜ッと寝ていたらしい。



植物が好きで、色々な細工が好きだった父。

母と一緒に海へ連れて行って、浮き玉やサンゴの欠片など父の作品作りの材料など

親子で沢山集めてあげれば良かった。
貝


海岸線や野原で、珍しい植物など採集できれば良かった。

青い青い海を眺めながら、色々な話を聞いたりしたら良かった。



母が作った事の無い料理を作ってあげれば良かった。

・・・・・・・ああもすれば良かった、こうもすれば良かったと反省ばかり。



でもね、ばばは思う。

子供達が都会へ出て、親子離ればなれの生活をする家庭も多かったけど

ばばは、学生時代以外、ずっと島にいて、島の人と結婚し

いつでも親の近くにいたことは、唯一の親孝行では無かったかと。



自分が破傷風になって生還した時は、周囲への感謝の気持ちと

家族のために最善を尽くして恩返しをしようと決意も新たにしたばばだった。



あれからウン十年・・・・

ばば、初心を忘れてはいませんか?

周囲への感謝の気持ちを持って、日々生活している?

家族を大切にしている?



うぅ〜〜ん・・・・反省すべき点、多々かな?



※今日の画像は日曜日に行われた漁港でのお祭りの時に見た

 夜行貝や、伊勢エビなど、徳之島の海の宝物の一部ですよ〜

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

傷だらけの・・・

by ばばの日記

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11月12日(月)曇り
ソテツの実


昨日までとは変わってドンヨリ曇天の徳之島です。

今日はゴミ出しを終われば、後は特別しなければならないという予定は無い。

のんびりゆっくりと庭周りを見たり、台所用品の移動でもするかな?

「整理」と言うと、きちんと片付けなければならないと

ハードルが高くなるけど、「移動」と言えば

あちこち動かすだけだから気が楽だから、気軽に取りかかれる(笑)



いつものように、あっち動かして、こっち動かして・・とやっているうちに

何故か、小学入学前の事とか、自分が破傷風になって

生死の境をさまよった事などを思い出した。



子供の頃、ばばは、あちこちに傷が出来やすかった。

大きくなって母から聞いた事もあるし、自分で覚えている事もある。

母から聞いた話・・

とにかく頭とか足、顔、手などしょっちゅう傷が出来て

かかりつけのお医者さんに手当(切開&切除など)してもらう事も日常茶飯事だったそうだ。

ある時、ばばの左頬に傷が出来た。

病院へ行くと先生が「女の子だし、なるべく傷痕が残らないように切除しましょうね」

と言って、簡単な手術をしたそうだ。

ほどなく、今度は左こめかみにも傷が出来、病院へ行き

切開手術をしてもらったそうだ。



大分物心ついてから、ふたつの傷痕に気づいたが

そんな大きな傷痕でも無かったし、あまり気にはならなかった。

足にも「おでき」の痕が多数で、頭にも・・・・・

足の傷痕は成長するにつれ目立たなくなり、気にもならなかったが

一番気になったのは、頭の傷痕。

方言では、傷痕の事を「フディイ」と言っていたが、

とにかく、左頭頂部、右前頭部、左後頭部など、指で触ると「フディイ」だらけ。

標準語で言えば「ハゲだらけ」・・・

まぁ、女の子だし、髪の毛で隠れるから良かったものの

前髪を左から分けようとすると、ちょうど分けるのに良い場所に「フディイ」が・・・・

これは悲しかったし、大人になってからも悩んだ。

だから、前髪を分ける時は、必ず左から右へ流していた。

美容師さんには「いつも同じ場所から分けるのでは無く、

反対側からも分けた方が良いよ」と言われたけれど・・・仕方ないもんね。

この頭の傷ができた時の事などは全然記憶に無い。



でもね、母から「田んぼの泥で髪の毛を洗っておいで」と言われた事は忘れられない。

当時、友達の女の子達も、頭とか足とかにおできの出来る子は多くて

やはり、同じ事をお母さんから言われたらしく、髪の毛を洗うため、

一緒に泥田に出かけていたよ。

田んぼの泥で髪の毛を洗えば、良い事があったのか?

その根拠は何だったのか?

母が、情報をどこから仕入れたのかは分からない。

とにかく田んぼへ行って、ドロドロの田んぼの泥を髪の毛に塗って洗い流していた。

それもね、今思うと、自分の家の田んぼでも、一緒に行った友達の家の田んぼでも無く

全く無関係の、誰の田んぼかも分からない田んぼに勝手に入って髪の毛を洗っていた。

柔らかい田んぼの泥を塗るっていう事は、

シャンプーでは無くてトリートメントのような気がするけど・・・

当時、トリートメントは又、他の方法でやっていたの。

何故かハイビスカスの花や葉っぱを石の上で叩きつぶした物を、髪の毛に塗っていた。

このトリートメントは、親から言われてしたのか?女の子達で勝手にやっていたのかは覚えていないけど・・・

今思えば、考えられないような事をしていたんだね。



そうそう、ばばは頭におできなどが次々出来て、病院まで行って

膿を出してもらったり、切開してもらって治療したりしていたそうだが

何故か、全然頭の傷などあまり出来なかった姉のことを替え歌にして

姉の友達達が歌っていたのを、かすかに覚えている。

意地悪とか、いじめとかでは無かったと思うけど。



その替え歌の歌詞がね

「ばば姉ちゃん、鼻垂れ 目はドングリ目

頭に大きなハゲがある、ハエが止まると すぐ滑る

なんて便利な ハゲでしょう〜」って。



これは、姉では無く、子供の頃のばばの事を歌ったような替え歌だなぁ・・・

と、最近思う。

子供の頃、ばばも大きな声で歌っていたけどね。



この替え歌って、名前の箇所を他の名前にして

みんなで歌ったりもしていたよ。



今思えば、ばばの小学校入学前は

「傷だらけの 人生?」と言えば・・・大袈裟か?(笑)



※画像は数日前、実家のお墓参りに行った時に写した

 ソテツの熟した実ですよ〜〜

 ばばが子供の頃は、この実を割って、あく抜きをして

 中身を干して、精米所で製粉してもらい、お米に足して

 嵩増しして、お粥など炊いているお家が多かったよ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

凄い人、人、人・・・

by ばばの日記

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11月11日(日)晴れ

今日は、朝一で空港へ行く用事があり、準備していたら

姉も「ドライブ行きたいな」と言うので、一緒に出かけた。

鹿児島行き1便で発つ人を見送りに・・・

飛行機が飛び立つのは9時15分だから、

逆算して8時40分頃までには空港へ着くように出発。

空港では沢山の友人知人にも会えて嬉しかった。



見送りの後、お墓参りもして帰ろうということになり

4日早いけど、お墓へ行き3軒のお墓にお参りして帰宅。



その後は10時から亀津漁港で「町制施行60周年記念事業」と銘打って

「In 第6回 徳之島町 食と農林漁業の祭典」があるので

いったん帰宅して車を置いて、徒歩で漁港へ。

まだ9時少し前だったけど、会場に近づくにつれ人・人・人・・・

交通整理の方が何名も立って、車や人を誘導していた。

フリーマーケット・バザー・試食、マグロの解体、舞台発表、軽トラ市等々

内容も盛り沢山。

姉と二人、会場に着くとすぐ、男の方が近寄ってきて

徳之島産黒毛和牛肉の試食チケットをくれた。

手渡されるままに受け取ったけど、牛肉も全く食べられないばばと姉。

チケットを持ったまま歩いていたら、友人のHちゃんと会ったので

「チケットもらっていないよ」と言うHちゃんにあげたら喜んでいた。



出店も沢山あって、まずは下見。

顔見知りの先輩達のフリーマーケットに寄ると

手作りドーナツや食器があって、ついつい買ってしまった。

その後、もあちこち覗いていると黒糖作りの実演をしている所があり

しばし立ち止まって撮影したり、出来たての黒糖を試食させてもらったり。
黒糖作り

又歩いていると、食生活改善グループの方々のブースに。

顔見知りのNちゃんが、「試食もあるから並んで」と声をかけてくれた。

100人限定らしいが、既に沢山の人が並んでいて

ばば達の分まであるかなぁ・・・と思いながら一応、列に並んでみた。



前に並んでいる人たちを見ると、一人一人お盆に

5種類の試食用料理を乗せてもらっている。

試食用・・・と言っても、蓋付きのカップで結構な量が入っているようだ。

5種類も食べられるかなぁ・・・と心配しながら待っていると

チケットを渡された。

試食用の料理をもらって、食べて、お盆を返す時に

チケットを渡すと、引き替えにゴルフボールのような物をもらい

自分が食べて一番美味しかった料理の写真が貼られた箱にボールを入れるのだそうだ。

そして、5品の料理のうち、どれが人気があったか集計し

グランプリを決定するって。



姉とばばの番が来て・・・

姉はチケットをもらって先に料理をもらいに行った。

ばばにはチケットが渡されず、顔見知りのNちゃんが

「お姉さんと一緒に試食して下さいね」って言った。

1家族、チケットは1枚らしかった。

あの行列の人数からすれば、1家族1枚でも、チケットは足りるのかなぁ・・・と

心配するほど、並んでいる人たちは多かった。

先に行った姉を追いかけて行くと、お箸も二人分姉に渡されていた。



料理の乗ったお盆を持ったまま、ブロック塀の近くまで行き

座って、いざ試食!
試食

試食用とは言っても、大変量が多い。

とても一人では食べきれないだろうという量だった。

料理は、ピザ・唐揚げ・うどん・丼物・コロッケの5品。

それぞれ地元産の野菜がタップリ入っていて、うどんには豚骨も入っている。

5品を半分こしながら姉と試食したが、

コロッケとピザと唐揚げは何とか食べられたが、うどんは豚骨を取り除いて・・・

豚丼?には三枚肉?がぎっしり乗っていたので「食べられないよ〜」と姉と二人。

「試しに・・・」と、ばばが豚肉を取り除くと真ん中に半熟の卵が入っていて

その周囲にはタマネギや紅ショウガなどが入っていた。

姉は、もう、満腹で食べられないと言うので、全然箸を付けていないまま

お盆を返すには申し訳ないので、卵かけご飯状態にして、ばばが半分ほどいただいた。

さて、5品のうち、どれをグランプリにしようか?話し合おうと思ったけど

姉が「あなたはコープで野菜や果物を買っていらっしゃい。

私が投票してきて、あなたが戻ってくるまで待っているから」と言うので

甘えて、野菜や果物を買いに・・・



大きな柿が1個50円!安いよね〜

大きなふじりんごは100円。

ジャガイモ4個100円、タマネギ大玉3個150円・・・

どれもこれも安いので複数個ずつ購入。!

長芋もキャベツも白菜もニンジンも買いたかったけど

持てそうに無いので諦めた。
野菜


さぁ〜、買うのはカゴに入れたけど、精算までが又大行列。

10分以上待って、やっと精算してもらえた。



待っていてくれた姉の所へ行き、買った物を両手に提げて

エッチラ、オッチラ・・・あぁ〜悔やまれる〜

何で車を置いてきてしまったんだろうと。



来年は絶対車で行って、葉物野菜なども買うぞ!!

忘れないうちに、メモ、メモ・・・と言って姉と爆笑。



試食でお腹もいっぱいになってしまったので、

帰宅後はアイスコーヒーを淹れて朝からの事を色々話しながら

楽しくティータイム!



朝は4時過ぎに目が覚めて、バタバタと空港へ走ったりしたけれど

帰宅後はマッタリとおしゃべりタイムで過ごしたばばでした!

あぁ〜もう少し、お店を見て回ったり、

マグロの解体ショーを見たりしたかったなぁ・・と思いつつ。

買い足したマグロの試食等もあると思うけど、生魚苦手なばばは

「まっ、又来年があるから、その時見れば良いや〜」と諦めた。



今日の会場は数千人の人たちがいたと思うけど

活気が感じられ、とても良い催しだったよ。

ずっと続くと良いなぁ・・・こんな行事が。

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見ると思い出す

by ばばの日記

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11月10日(土)晴れ

今日も穏やかな徳之島です。



こんな日は必ず朝食後、庭に出たら1時間は花壇の雑草を抜いたり

水を撒いたり、植物の周囲を少しだけ耕して肥料を与えたり

ついでに先日買って来たオレンジ色のガザニアの横に

白いガザニアを1株だけ移植したり・・・
ガザニア

全然退屈しない。

だけど・・・やはり、家の中にも、いくらでもやるべき事が・・・

庭仕事が好きだけど、仕方ないね。



室内で洗い物を終えて、手を拭く時、ふと手のひらを見た。

右手、小指の下の方から薬指の下の方へ向けて

約1,5センチの傷痕。

この傷痕は、じじと結婚してすぐの頃に、うっかりミスで

怪我をしてしまったもの。

もう、半世紀近くなるけど、傷跡を見ると、やはりゾゾッとする。



当時、じじとばばは加計呂麻生活で、

生後間もない長女は徳之島の義両親に預けていた。

怪我をした当日・・・

その日は、長女と面会するため徳之島へ帰省する日だった。

イソイソと洗い物をしていたばば。

その洗い物の中に、縁の欠けたガラスコップがあったのだけど

気づかずに、スポンジを持った手にグッと力を入れて

コップの中を洗おうとした瞬間、グサッという感じで

小指の付け根あたりを切ってしまった。

最初「痛いっ!」とは思ったものの、出血も無かったので

安心していたら、じわじわっと出血。

深く切った時は、ちょっと出血まで間があるんだね。

出血があって、ジンジンと痛みもある中

当時は患部に「赤チンキ」という真っ赤な液体の薬をつけ

包帯で何重にも巻いて、そのままバスに乗り、渡し船に乗り

古仁屋に渡り、定期船に乗り換えて徳之島に向かった。



傷は痛かったと思うけど、病院へ行った記憶は無いから

そこまで深い傷では無かったんだろね・・・

でも、皮膚は少し引きつれたような感じで、未だに少し違和感はある。



この傷痕を見る度に数十年前のあの朝の事を思い出してしまう・・・・



血を見るのが大っ嫌いなばばだから、

なるべく怪我をしないように気をつけてはいるんだけど。

だから、今では食器などの縁が少しでも欠けていたら

お気に入りの物でも、すぐに廃棄するようにしている。



子供の頃は怪我をすると「ヨモギの葉を揉んで傷口に付けなさい」

と、言われていたので、友達もばばもやっていたけど

あれって、効き目があったのだろうか?

ヨモギを石で叩きつぶして、傷口に当てていたんだけど・・・



それと、ばばが子供の頃とか、周囲の大人達が

指先とかを針でちょっと刺したりして怪我をしたら

「アイタッ!」言いつつ、その指を口に入れていた。

あの行為も、今考えたら不思議・・・・



加齢と共に、記憶力は鈍り、行動もおぼつかなくなり

ますます自信喪失になりつつあるけれど

怪我をしたり、体調崩したりしないように

慎重に、慎重に動かなくちゃね・・・・と思ってはいる、ばばです。

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さようなら・・・他

by ばばの日記

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11月9日(金)曇り時々晴れ間あり

昨夜、訃報が入った。
お悔やみの花

普段のおつきあいは無いけれど、かつてお世話になった方がお亡くなりになったと。

数日前、病院に緊急搬送され、話も出来ると聞いていたので

早く元気になられると良いなと願っていた矢先の事だったでビックリした。



この方、身寄りの無い方で、お通夜とかも執り行わないので

「お線香を上げたいという方は、朝8時半頃斎場の方へ行って下さい」

と連絡があったので、出かけた。



お亡くなりになった方、Sさんは、ばばより先輩。

難聴気味でコミュニケーションはスムーズに出来なかったが

とても優しく思いやりのある方だった。



斎場に着くと、既に、ご近所さん一人がみえていて

ばば達を手招きした。

次々と10名位の方が集まり、お焼香をした。



最初は、斎場でお別れするつもりだったが

火葬場まで行く人があまりに少なくて、

Sさんが可哀想で・・・最後までお見送りする事に決めた。



身寄りの方がいないという事で、拾骨とかも無く・・・

呆気ないお別れとなった。



このような葬儀には初めて参加したので

ビックリする事ばかりだった。



でも、普段無口で、あまり他人と話す事の無かったSさんの

最後のお別れに、お隣ご近所、同郷の方々、役所関係の方々など

数十人が集まって下さった。



「Sさん、きっと喜んでくれているよね」と知人とも話す事だった。

Sさんのご冥福をお祈りしながら、昼前に帰宅した。



さてさて・・・昨日、「失せ物」の事を書いた。



間違えてしまって、失せ物のひとつをiPhoneと書いたけど。。。

実は過日も書いた通り、タブレットでした、ごめんなさい。

もう一つは、じじのカメラのレンズ。

タブレットは3週間ほど前から探していた。

レンズは昨日、じじが「レンズが無い」と言うので

ばばもしばらく一緒に探したが見つからなかったので、ばばは早々に諦めた。



しかし、じじはその後も根気よく探し続けたようで

夕方になって「あったぁ!!!」と雄叫びのような声を上げるのが聞こえた。

「何処にあったの?」と聞くと、「箱の下の方」と言い

「これ、僕が自分でしまったんだろうな」と言っていたけど・・・

うぅ〜ん、ばばがしまい込んだのかなぁ・・・記憶には無いけれど。



タブレットも、どこからかヒョコッと出て来たら良いんだけど

今現在、見つからない。

レンズもタブレット、じじにとっては大切な物。

タブレットも今年中に見つからないかなぁ・・・・



じじの部屋はパソコン関係の器具?器材?があまりに多すぎて

ばばには手のつけようが無いけれど、一度徹底的にひっくり返してみようかな?

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何処に?

by ばばの日記

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11月8日(木)晴れ
新港


今日も穏やかな快晴だったので、朝食後お墓の周りと

すぐ近くにある車庫跡の雑草退治のため除草剤を撒いて来てから

普段の作業開始。



1階と2階、掃除機をかけて雑巾がけをしようと思ったら

掃除機かけ終わった時点で、もう、お昼前。

雑巾がけは後回しにして、昼食準備。



食後、まず1階から・・・と雑巾がけをしていたら

2階からじじの声。

「ばば〜僕のカメラのレンズ見なかった?」って。

午前中、掃除機をかけた時、ベッドの下にあった封筒は

ベッドの上に置き、ウエストポーチとカメラの入った巾着袋は少し移動させたけど・・・



仕方が無いので、ばばも2階へ上がって一緒にレンズ探しをした。

だって、午前中に少しだけ、じじの物を触ったから・・・



結果、レンズは何処を探しても無かった。

机の周辺、パソコングッズの入れてある箱の周辺

廊下、押し入れ、ばばの足下にあるテレビ台の下等々・・・



しかし、レンズは見つからず。

じじは「まるで神隠しに遭ったみたいだなぁ」と言い

続けて「この家にはブラックボックスがあるようだなぁ」と・・・・



と言うのも、3週間ほど前だったかな?

じじが家を不在にしていた時があって、帰って来たら

「iPhoneが無い」と言い出し、ふたりして2階を隅から隅まで探したが

見つからなかった。



今回は「カメラのレンズが無い!」と言うので、

又一緒に探したが何処にも無い。

「もしかして?車に入れてある??」

「ちょっと違うでしょ」と言いたいけど、こうなれば何処までも探す!

結果は、やはり無い!

「もしかして?自宅の2階に持って行ったかなぁ?」・・・

でもね・・・撮影用具を自宅へ持って行く事は無いんだけどね・・・・

でも、気が済むんだったら見てきた方が良いね。

結果は、やはり無い・・・



おぉ〜〜い、じじのiPhoneとカメラのレンズ、一体何処へ消えたの?



じじはさ、ばばに「もしかして?ゴミに出した?」

なぁんて言うけれど、じじの物、ばばが勝手にゴミに出すなんて無いよ〜

古着以外はね。



レンズもiPhoneもじじにとって大切な物だと分かっているから

絶対、捨てたりはしないし、冗談で隠したりもしないから・・・・

それにしても、不思議な事が2回も続いている。

何だろう???



※画像は昨日高台から撮った亀徳新港です。

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