by ばばの日記
徳之島じじとばばのブログ
6月30日(日)曇り蒸し暑い
今日は朝からソワソワ。
と言うのも、お昼1時30分から、生涯学習センターで
「第34回島口島唄の祭典」があるから、何日も前から行く気満々だった。
じじと時間差で食事をし、シャワーを使い、13時には家を出発。
「今年はどんな出し物があるかな?」と楽しみだった。
入り口でプログラムを貰い、会場内へ。
席はガラ空きだったので、一番前に座った。
写真を撮ろうと思っていたから。
でも、今まで一番前の席なんて座ったことが無いのでちょっとドキドキ。
じじは動画、ばばは」じじのカメラで静止画を撮ると決めていた。
ところが、じじは最前列に座った直後「僕は後ろに行こう」と最後尾の席へ・・・・
定刻に開会し、教育長挨拶、続いて町長の挨拶。
おふたりとも、あまり島口(方言)を話したことが無いらしく
標準語と方言を織り交ぜて挨拶だったけど、楽しかった。
学校現場や地域でも何とか子供達に方言を話せるようにしたいと話されたが
現実的には難しいだろうな。
だって、小・中高生親世代が、ほぼ方言は話せないから。
又、島外から仕事などで徳之島へ来ている人たちも多いから
やはり、家庭で方言を話すということは、現実的には難しいと思う。
ばば達が小学生の頃は「標準語をつかいましょう」と言うことで
方言を話しているのが見つかったら、罰として「私は方言をつかいました」という札を
首から下げさせられたもので、札を下げられた子は
友達が方言を使っているのを見つけて、先生に言いつけたら
自分が下げている罰の札を友達に渡すことが出来たけど・・・・
今思うと「密告のし合い」みたいで、イヤだよね。
そんなに厳しく方言を禁止していたのに、数十年後「子供達が方言を話せない」というツケが・・・・
難しいねぇ。
動植物に絶滅危惧種があるように、島の方言もいつかは消えてしまうんだろうなぁ・・・
子供の頃からずっと方言をつかい、島で暮らしてきた、じじとばばでさえ
忘れてしまった方言の単語が沢山ある。
ますます忘れていくんだろうなぁ。
今日のプログラ1番は「徳之島町議会と町執行部」による「島口議会」、
「世界自然遺産登録について、他」という、模擬議会だった。
その中で、島の方言を遺していく為に、役場内で方言で無く標準語をつかった職員は
「私は標準語をつかいました」という札を下げさせたら?という意見が
ある議員さんから出され、会場は大爆笑だった。
それは、それで又、町民で困る人もいるだろうけどね。
町長さん始め、議員さん達がそれぞれ出身集落の方言を、ぎこちなく話すので
聞いていて笑ってしまった。
今日の発表、子供達の発表もあるのかなぁと楽しみにして行ったのだが
残念ながら、大人の発表だけだった。
発表内容も、7プログラム中、島唄が4,島口が2、合唱が1だった。
島唄は同好会のグループで、三味線を弾きながら島唄を歌い
島口は「島口議会」と、自分が作ったアイディア商品を方言で説明する・・だけ。
合唱も同好会の方々の沖縄民謡メドレーだった。
島唄島口の発表会だけど、「島の新民謡」を子供達が歌うという出し物があっても良いかな
とも、思ったばばだった。
これまでは、「島口落語」があったり、「島口で子供達が発表」などしたり
大先輩が島口で「昔の暮らし」などを語ったりするプログラムもあったけど
今年は何だか少し寂しいプログラムだった。
来年は、もっとバラエティー豊かなプログラムでの発表があれば良いのになぁ・・・・
ばばは徳之島生まれ、徳之島育ちだから、なるべく方言を話すように心がけてはいて
じじや友人、方言の通じる先輩とは方言で話す事もある。
でも、いつの間にか標準語で話してしまうんだよね・・・・・・
考えても仕方の無いことかも知れないけど、
島の貴重な方言が消えていくのは寂しい。
今日の発表は3時で終わったので、その後、一旦帰宅して3人だお茶を飲み
その後買い物へ。
帰りに「試しにお墓の水道の水が出ているか確かめて帰ろう」とお墓に寄ったけど
まだ断水状態。
明日は1日。
お墓参りをする人も多いと思うけど、水道が使えなかったら、湯飲みや杯も洗えないし
お花の水を替えることも出来ない。
明日、誰かが区長さんに連絡してくれないかなぁ・・・・・(自分ではする勇気が無いばば)。
徳之島じじとばばのブログ 主管理者 ibuchanじじ&ばば