by ばばの日記
徳之島じじとばばのブログ
10月26日(土)晴れ
数日前の朝、食事をしながらじじが言った。
「うちの子供達、小さい頃、よく頑張ったよな」と。
何回かブログにも書いているが、じじと3姉妹、毎朝、登校前に走っていた。
今考えたら、じじ、出勤前に良く走る時間を作れていたなぁ・・・と。
隣町で、仕事をしていた時もあったから・・・・
子供達も、年長さん位から、じじの後について毎朝走っていた。
距離はどの位だっただろう?最初のうちは往復で1キロ弱位だったかな?
少しずつ距離を延ばして、小学校中学年頃からは、往復では4キロ位走っていたかも。
1年中、暑い日も、寒い日も、たまに少し体調が悪くても・・・・
じじの後について、本当によく頑張ったと思う。
じじが強い信念を持って、子供達と一緒に6,7年走り続けたと思う。
この早朝マラソンから、娘達が学んだものは多いと思う。
娘達の頑張りの話の後、笑い話になった。
ある日、娘に「豆腐を買って来てちょうだい」と頼んだ。
娘は当時、3,4才だったかな?
お店と言っても、家の階段を下りたら、20歩も歩かないうちにお店到着〜なんだけど
家を出る娘に、じじが言った。
「車が通って危ないから、道の端っこを歩きなさいよ」と。
娘ひとりでの買い物・・・・ちょっと心配なので、2階の窓から覗いていたら・・・・
何とまぁ!素直な娘でしょう?
お隣さんのブロック塀にへばりつくような恰好で横歩き?している。
カニさんみたい。
「道の端っこを歩きなさいよ」と親から言われ、律儀に守っている娘。
可愛くて、おかしくて・・・・
何十年経っても忘れられないエピソードの1つ。
慎重な娘の行動・・・・しかし、親のばばは、子供時代どうだっただろう?
上の画像は、数十年前かにばばが作ったドングリ人形。
お粗末な上に、人形が笑っているように見える。
もし、今年、ドングリが拾えたら、可愛い人形作って見よう・・・・(笑)
これも飽きるほど書いているかも知れないけれど・・・・・
ばばが4,5才の頃だったと記憶はしているが、自分達の畑に製糖場があった。
刈り取ったキビを牛の労力を利用して、大きな歯車で圧搾し
絞ったキビの汁を四角の大きな鉄鍋に入れて加熱し
あと、何かを入れていたはずだけど・・・・何を入れていたかは知らない。
トロットロになるまで加熱したキビ汁を、今度は大きな柄杓で
丸い鉄鍋に移し、何か棒を使って長い事掻き回して、成形して黒糖の完成。
という作業を両親や、親戚の叔父さん、お兄さん達が1日中頑張っていた。
ばばも、牛追いの手伝い位はできるので、毎日精糖場通いをしていた。
ばばは、煮立てたサトウキビの汁を掻き回し、成形する前の柔らかい水飴状の
「ガンザタ(原糖?)」が大好きで、食べたくてたまらなかった。
そんなある日、従兄弟兄さんが「○○(ばばの名前)、ガンザタを作るには
ガン(カニ)を入れないと出来ないんだよ。ブーチゴー(山の中を流れる川の名前)に行って
ガン取っておいで」と言った。
その言葉を信じたばば、一目散に川へ向かって走り出した。
ブーチゴーという川は、両側から木の枝が生い茂り、石ころがゴロゴロある狭い山道を
ひたすら下って行かなくてはならなかった。
その上、川までは結構距離もあり、往復するのに、4才位の子供の足では時間もかかるはず。
たとえ、川に行けても、4,5才のばばが、カニを捕まえて持ち帰る事が出来たるどうか?
そんな細かい事は考えもせず、ただ「ガンザタを食べるために!」という一心で
ひとりで、川に向かって走り出すなんて。
突然走り出したばばの後から、「ガン入れないと、ガンザタは出来ないよ」と言った兄さんが
追いかけて来て、あっさり連れ戻されてしまったばば。
「冗談だよ、冗談!」と兄さんは言ったはずだけど、しっかり理解できなかったばばは
ガンザタが食べられなくなって、相当ガッカリしたと思う。
慎重な行動をした、娘に比べ、「ガンザタ食べたい!」という一心で
危険な事など考えもせず、普段なら恐くて、絶対ひとりでは行けないだろう山の中の川へ
とっさに走り出したばば・・・・・・短絡的だなぁ・・・・
娘とあまりに対照的で、今考えても笑ってしまう。
「その日、ガンザタ食べられた?」って?
勿論、優しい父、叔父さんやお兄さん達が、ちゃんとばばの分
ガンザタ取り分けてくれたよ。
良かった、良かった!
それにしても、対照的な母と娘の行動、笑えるね。
徳之島じじとばばのブログ 主管理者 ibuchanじじ&ばば