カウンター(Since 2009.8.3〜)
カウンター カウンター
徳之島じじとばばのブログへようこそ! ここは、モバイル・携帯アクセス兼用サイトです。








RSS

Ringworld
RingBlog v3.20h

ようこそ!お越しいただきまして有り難うございます。     このサイトはモバイルアクセス用として誕生しました。     動画再生にはWin Media Playerが必要です。      どうぞ ごゆっくりご覧下さい!  当サイトはリンクフリーです。管理者へ許可を得る必要はありません。
<< 日常生活 - 2014年3月の記事 >>
03/25(火) 21:20
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
03/24(月) 18:44
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
03/23(日) 11:05
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
03/22(土) 22:53
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
03/20(木) 21:39
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
>>このカテゴリーの記事一覧

コウちゃんとの再会・他

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月25日(火)晴れ

18日に義母が入院してから遠出する事も無かった。

閉じこもってばかりいても鬱々とした気分になるので

じじが干潟にコウノトリを撮りに行こうか?」と提案したのに

即OK。姉にも連絡しお昼2時前になってから3人で出かけた。

干潟にコウノトリがいるという情報は「天城の鳥博士」Yさんのブログで

何回か紹介されていたので、思い切って出かけた。



今月10日頃から3回、天城町へ通い詰め

3回目にTさんの案内でやっと出会えたコウノトリ。

キビ畑の中を匍匐前進したりして、やっと撮影に成功し

大興奮で帰宅したじじ&ばばだったが・・・・

今回、干潟でクロツラヘラサギとコウノトリが一緒にいるという

「鳥博士」Yさんの情報に再び血が騒ぎ出し、

それに、まだ一度もコウノトリを見ていない姉にも見せたくての干潟行き。



40分足らずのドライブで、目的地到着。

と、同時に金網越しにカメラを構えているYさん発見!

車から降りて挨拶すると「コウノトリいますよ」と。

やった!

ついてる!

クロツラヘラサギも2羽いて、その遙か左後方にコウノトリが。

初めて見た姉は、大興奮して双眼鏡を覗いていたが

ばばは、羽を広げたり、面白い動きをしてくれないかなぁ・・・と期待しつつ見ていた。

クロツラさんもコウちゃんもなかなか動き出さないので

飽きてきて、姉とばばはグラウンド周辺を歩いたり

干潟の別の場所を観察したり。

じじは、一生懸命トリトリ(鳥撮り)デッキから撮影つづけていたが・・・

姉とふたりが歩き回っている時、急にコウちゃんが飛び立った。

(何処か飛び去るのかな?)と思いきや

クロツラさんの右側へ舞い降りた。

それでも、離れすぎていてスリーショットは上手くはいかないかなぁ・・・

と思いながら、じじの手腕に期待しつつ見守っていた。

干潟到着から2時間近く経ったが、

鳥さん達、あまりにも動かないので

ばば達の方が根負けして帰って来てしまった。

1度目はあんなに興奮したコウちゃんとも、再会となると

ばばのテンションはあまり上がらず・・・・



鳥撮りをしている時、従姉妹のMちゃんと、Nちゃん姉妹から

高校野球第3試合の大島高校の試合の様子とかがメールで届いた。

Nちゃんは、わざわざ甲子園まで行って応援してくれているみたいだ。

ばば達はラジオも聴かず、テレビも観ず、

ずうっとコウちゃんとクロツラちゃんと見合っていた時間

沢山のシマンチュ(奄美群島出身の方々)が

甲子園で熱い声援を送っていたんだね。

一時は大島高校勢が相手チームに勝つのでは・・・と

期待させるくらい良い試合をしてくれたそうで

誇らしく、とても嬉しかった。

選手のみならず、応援団の方々のパワーも凄かったって。

みんなの心が1つにまとまるって,やはりスポーツの力って凄い。

高校野球は毎年、沢山の人々に感動を与えてくれるよね。

ばばは小心者だから、「試合」と名のつくものはあまり見たくない。

特に接戦になると、テレビの前から離れ

見ない振りをし、聞かない振りをしつつ・・・・・やはり、観・聞いてしまう、(アハハ)。

今年は、どの学校が優勝するのかなぁ?

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ばば、無罪放免!

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月24日(月)晴れ

今日は一月前から予約してあった甲状腺のエコー検査に。

甲状腺に異状を感じたのは、退職直前。

職場の靴箱の前で、何気なく喉を触ってみたらしこりが。。。。

(もしかして?)

どうしよう?

怖くて怖くて・・・・ばばの人生、もう、お終いだと

勝手に思って気分は落ち込む一方。

退職して、これからが自分の好きな事いっぱい出来るぞ〜

と、ウキウキしていたのが絶望のどん底へ。

病院で検査を受けて結果を聞くのが怖くて

病院へも行けなかったが、退職して半年ぐらい経った時

町の健康診断で、たまたま診察して下さった先生が

ばばの喉を両手で挟むように触り、

「腫瘍がありますね。すぐ病院で検査を受けて下さい」って。

わぁ〜死刑宣告・・・と思ったが

治療すれば治るかも知れないと気持ちを切り替え

病院へ行って採血をし、エコー検査を受けた。

その場で、すぐ結果が出るわけでなく

「1週間後に結果を聞きに来て下さい」って言われたけど

待っている間も、1週間が経っても怖くて

病院へ足を向ける事が出来なかった。

日にちはどんどん過ぎて・・・ばばが病院へ向かったのは

検査から3週間目。

診察室へ入る足も竦む思いだったけど思い切って入った。

先生の説明は「確かに腫瘍はあるけれど、まだ小さいし

これから経過観察をしてどんどん大きくなったりする場合は

手術という事もあるかも知れませんが、今のところ大丈夫ですよ」って。

さっきまでの落ち込んだ気持ちは何処へやら

もう、すぐにでも飛び上がって万歳をしたい気持ちだった。

人間って、本当にコロッと変われるんだね。

その日まで、食欲も無かったばばだが

現金なもので、検査結果が深刻でなかったと分かった途端に

食欲もモリモリ、気分まで明るくなって家事もテキパキと出来るようになった。

あれから7年が過ぎ、まだ半年に1回検査は続けている。

ばばの周辺の知人達の話に寄れば

女性には結構、甲状腺異常の人は多いらしい。

ホルモンバランス等とも関係があるらしい。

7年経ったけれど、別に腫瘍が無くなったわけで無し、

治療薬とか飲んでいるわけで無し、

7年前の状態が続いているというわけだけど

やはり、喉に異状を感じたりすると

「腫瘍が大きくなっているのでは?」と心配になっていたので

先月、又検査を予約し今日行って来たわけだが・・・・



やはり怖かった。

検査技師の方も前回は男性だったけど、今回は女性。

仰向けに寝たばばの喉を、ゼリー?のような物を塗った器械で

撫でるように動かしたり、ある箇所ではギュッと押さえたり・・・・

右が終わると、次が左。

右に比べて、腫瘍のある左は特に時間をかけて

器械を細かく動かしている様子。

あまりに時間がかかるので、又々心配になってきたばば。

「枕を外して貰って良いですか?」と言われ

喉が更によく分かるように喉を突き出すような姿勢で静止。

ようやく終わったかと思うと「もう1回上の方、良いですか?」と。

検査しながらも、何か書き込んでいるかのような気配もするし・・・・

「前回までと少し違うな。やはり、腫瘍が大きくなるか

別の異常が見つかったのか?」と胸がバックンバックン。

検査は20分以上かかったかも知れない。

やっと「終わりましたよ〜」と言われ、診察室の前に移動して待機。

すると、検査技師の方がばばの資料らしき物を持って診察室へ。

チラッと見たら、用紙の下の方と真ん中辺りに黄色い部分が。

(蛍光ペンか何かで異常が見つかった部分に印をしてあるのかな)と思った。

先生が何と仰るやら・・・・・

10時前から病院へ来て、時計を見ると12時を回っている・・・・・

(じじが待ちくたびれているかなぁ)

じじの事が急に心配になる。

(もし、ばばが鹿児島辺りで手術となったら、

じじは自分で食事の準備が出来るだろうか?

入院中の義母はどうなるんだろうか?

ばばの手術は義母がすっかり良くなってから受けよう)

自分勝手に色々と悪い方へ悪い方へ・・・と考えていく。

妄想が次々とストーリーを作って行く。

ハァ〜〜〜〜っと、一番底まで気分が落ち込んだ時

名前が呼ばれ、思わず飛び上がりそうになったけど

平静を装って診察室へ。

先生は検査結果表らしき物を覗き込んだまま

なかなか口を開いてくれない。

先生が口を開くまでの時間が長い事、長い事。

やっと診断結果が。

「半年前と腫瘍の大きさは変わっていませんね。

ダァ〜〜〜〜〜↑↑↑

思わず「ありがとうございます!」っていう言葉が口に出た。

何で「ありがとう」って先生に言うのか、自分でも訳分からなかったけど。。。。

その後も先生が血液検査の結果なども話したけど

半分は上の空。

ヒャッホ〜〜無罪放免だ〜〜〜

周囲の景色までくっきり見えるような気がし

調剤薬局までもスキップするような気分で歩き

自宅までもなるべく早足で歩いて、じじにも報告。



良かったぁ〜

万歳!

あまりに心配しすぎたなぁ・・・ばば。

少々反省もしたけど、とにかく良かった。

これからも「元気ばば」を発信し続けなければ!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

H君、帰っちゃった

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月23日(日)穏やかな良い天気

今朝9時40分出航の定期船で甥っ子H君は帰って行った。

姉とふたりで港まで送り、

タラップを上るH君と手を振り合って帰って来た。

下り船で沖縄へ行き、上手く時間が合えば

今夜の飛行機で大都会へ戻る。

往復ともわざわざ沖縄回りって不便そうだけど

沖縄の会社から都会の会社へ出向?長期出張?中なので

沖縄を経由しての帰省となっているそうだ。



3泊4日の短い滞在だったけど、お墓参りに行ったり

実家の畑のあった場所や、小さい頃遊んだ、ばばの実家周辺へ行ったり

実家に置かれていた従姉妹兄ちゃんや姉ちゃんのアルバムの写真を撮り

パソコンに取り込んで、従姉妹たちが携帯やパソコンで見えるようにしたり

入院中のじじ母を見舞ったり・・・・結構ハードな休暇だった。

H君を見ながら感心した事がいくつかある。

我が家へ来たら「ただ今〜」と玄関を入り

真っ先に向かうのが仏壇。

お線香を立てて、畳にきちんと正座し両手を合わせている。



我が家の仏壇には去年2月亡くなった義父、

そして、ばばの両親の写真も飾ってある。

H君が大好きな、大好きなじいちゃん、ばあちゃんだ。

H君は、帰って来た日だけでなく

我が家へ寄る度に必ず仏壇の前へ行き手を合わせていた。

今朝、船に乗る前も寄ってくれ、

仏壇に手を合わせてから出発した。

本当に心優しい子だなぁ・・・といつも感心する。



じじやばばにも、いつも丁寧語で話す。

パソコン関係に詳しいので、じじの良い話し相手にもなる。

また、我が家は三姉妹なので、男の子と晩酌出来るのが

じじは嬉しいらしい。

一昨日の晩に続き、夕べも一緒に晩酌をし

楽しく語らっていた。

ばばは、男の子を育てた事が無いが

H君を見ていると、男の子でありながら優しさを感じる。

常に母親を労り、気遣っている。

そんなH君、3日間の滞在中、義母が入院している病院へも

毎日寄ってくれた。

病院では、義母のベッドの横に腰を屈め

手を握り、優しく話しかける・・・・・

そして、我が家の娘が送ったという子供(義母にとっては曾孫)の

写真を見せてあげたり、ベッドの上に横たわる義母と一緒に

写真を撮り、都会で案じている我が家の娘達に送ってあげたり・・・・



夕べは、実家で写してきた、従姉妹兄ちゃん、姉ちゃん達の

古い写真をパソコンに取り込み、ばば達にも見せてくれ、

懐かしくて、しばし若い頃にタイムスリップしたり

子供たちの無邪気な表情に沢山笑ったり・・・・

本当に楽しかった。

ありがとうね〜Hくん。



じじとも話す。

普通、従姉妹兄ちゃん、姉ちゃんたちの古いアルバムの

膨大な写真を携帯で写してパソコンに取り込み

デジタルアルバムを作ってあげるなんて考えるだろうかと。

毎回、仏壇に手を合わせるだろうかと。



誕生時、未熟児に近い小さな小さな赤ちゃんだったH君。

今は、結構体格の良いじじより、縦も横も大きく成長している。

その大きな体に優しさがいっぱいいっぱい詰まっているんだね。

都会での生活は、昼夜忙しく大変だろうけど

栄養バランス良く食事をして、体を大事にして欲しい。

我が家の長男坊のような気がするH君。

年1回しか帰省できないけど、次の帰省を

じじ&ばばは今から楽しみに待っているよ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ジャガイモが大根に?

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月22日(土)晴れ

昨日昼は、甥っ子のK君の好きな鶏飯を作りみんなで食べた。

どうせなら、夜は焼き肉をして、一緒に食べよう〜という事に。

じじも一緒に晩酌をしてくれるH君がいてくれたら嬉しいもんね。

で、夜はH君のリクエストにお答えして「野菜タップリ」焼き肉〜

キャベツ・ナス・ピーマン・人参・ジャガイモ・タマネギ・

キノコ類4種に肉は牛肉3種類・・・等

焼き肉と言っても、一旦フライパンで軽く火を通してから

ホットプレートで好きな焼き加減まで焼いてもらう事に。

じじとH君が刺身を食べている間に、フライパンで野菜を焼く係はばば。

でね、と〜〜っても笑える事があったのよ。

原因はジャガイモ。

今が旬の島産ジャガイモを準備して・・・

スライサーを使ってスライスし水に放って置いた。

(これじゃ、ポテトチップスになってしまうかなぁ)

と思ったので、次はスライサーを使わず

包丁で5〜8ミリ位にも切ってみた。

そろそろ野菜を焼き始めましょう〜と思った時

最初は厚切りの方を焼いたら「ジャガイモ美味しいね」って

じじも食べていたのだが・・・・・

他の野菜や肉も焼きながらホットプレートの空いた所に

スライサーで切ったジャガイモを並べて焼いてみた。

すると・・・じじが「これジャガイモじゃ無いよ〜」と言い始めた。

「え〜〜っ、確かにジャガイモをスライスしたんですけど〜」とばば。

「何処のジャガイモ?」とじじが聞くので

「姉さん(ばば姉)から貰った物」と答えたが

じじは、「これはジャガイモで無くて大根だ」と言う。

絶対、そんな事ありませんって!

だって、皮を剥いた時もスライスした時も

正真正銘ジャガイモでしたから・・・

じじは、H君にも「H君も食べてごらん。ジャガイモの味がする?」って聞く。

食べたH君も、即答はせず・・・・・「微妙な味ですね」みたいな事を言う。

ジャガイモをスライサーでスライスして

ホットプレートで焼いたら大根になるのかい?

へぇ〜〜〜、でも、そんなバカな!なんて思いながら可笑しくなって

食べながらも4人で大笑い。

じじが「じゃぁ、ばばも食べてごらんよ」と言ったけど

ばばは食べなかった。

「ねぇ、食べてみて」とばばは姉に勧めたけど

姉も現状があまりに可笑しくて笑うだけで食べなかった。

すると、ばばの代わりに?H君が食べてくれた。

「パリッ」と音がした。

「ポテトチップスみたいです」と言う。

じじが食べた時はほぼ80%位焼けていたのかなぁ?

まるで大根の薄切りをクルッと丸めるような感じで

2,3枚一緒に食べてたもんねぇ〜。

そして、H君が食べた時は完全に焼けてパリッパリになっていたみたい。

スライサーでカットしたのは、あまりにも薄かったんだね。

でも、まさかジャガイモが大根になるはずは絶対無いよ〜じじ。

結局、じじは最後まで大根だと主張したけれど。

夕食が終わったのが8時半頃だったかなぁ?

H君親子を送って行ってから、洗い片付けをしたのだが

ホットプレートには、まだ焼けた野菜が残っていた。

ピーマンやキャベツに交じって問題の「大根?ジャガイモ?」も。

じじも2階に上がっていたし、誰もいないので

思い切って「大根?ジャガイモ?」をつまみ食いしてみたよ。

本当は何だったのかって?

うううううぅぅぅ〜〜〜ん、微妙〜〜〜

大根で無い事は確かだけど、(これ、ジャガイモ?)って感じ。

焼いてから時間が経っているので、ポテトチップスのように

パリッパリはしないし・・・・・大根の薄切り焼きでも無い。

一体、何と表現したら良いのだろう?

ばばにも全く分からない正体不明の食べ物。

自分でスライスしてなくて、

誰かが「食べて、何か当ててごらん」と言われても

ばばも正解できる自信は無い。

たった1個分のスライスジャガイモの焼いたのを見て、

食べて、大人4人があんなに笑えるとは思わなかったよ〜。

笑いすぎてお腹痛くなるくらいだったけど

いっぱいいっぱい笑ったから、とても幸せな時間だったよ。

ジャガイモ君!ありがとう〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

3月に扇風機は無いでしょう〜、他

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月21日(金)曇

4,5日前の夜、室温が26度もあり

ばばは思わず「じじ〜扇風機出す?」って聞いて

じじが呆れていた。

よくぞ出さなかった〜

寝る前こそ、ムシムシ暑かったけれど、朝になると何だか肌寒かった。

普通は敷き布団の上に暖かい毛布を敷いて

掛け布団も羽毛布団の上に毛布布団も掛けていた。

最近は敷き布団の上に、毛布布団1枚で寝ていたんだけど

一昨日は敷き布団の上の毛布も外し、

掛け布団代わりに薄い毛布1枚で寝たら

朝は寒くて、咳コンコン。

だから・・・言わんこっちゃないって。

お馬鹿さんなばば〜



そうそう、ばばのお馬鹿さんぶりを笑っているんじゃ無いだろうけど

裏のお宅で、ウグイスが鳴いていた。

冬の頃は、上手に鳴けず「チュッチュッ」か「チッチッ」って鳴いてたけど

その練習が功を奏したのか?最近は「ホ〜〜〜ホケキョ」って鳴いて

その後「ケキョケキョ」とも続け、たまには「ケキョケッ」っと鳴く事も。。。。

ウグイスは鳴き方を練習したら数ヶ月で上手く鳴けるけど

ばばは、いくら練習しても歌が上手く歌えないよ〜〜

ウグイスに弟子入りしようかな?

そう言えば、じじは森や林の中で野鳥と鳴き交わせるらしいけど・・・・

昔々、ばばが子供だった頃ウグイスが出て来る歌を歌っていたなぁ・・・

♪「梅の小枝でウグイスが  春が来たよと歌います

ホーホーホケキョ ホーホケキョ」ってね。♪

歌の題名はなんて言ったかなぁ・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大好きな甥っ子H君が帰ってきたよ〜

H君は、ばばが作る鶏飯が大好きって言ってくれる。

だから、夕べから準備して今日のお昼は鶏飯〜。

美味しそうに食べてくれるH君を見ているだけで嬉しくなるし

作り甲斐もある。

年に1回、帰省できるか出来ないか・・・というH君だから

帰った時ぐらい、好きな物を好きなだけ食べて欲しい。

H君、都会で肉の多い食事をしているのだろうか・

母親には「特別何も要らないから、野菜どっさりと豆腐食べたいな」って

リクエストしたんだって。

では、今夜はおばちゃんが野菜たっぷりの焼き肉を準備しましょ。

普段、じじとばばふたりだけの食卓だけど

甥や姪、姉妹や我が娘達が帰省してくれると、ばばはとっても嬉しい。

食事は、大勢で食べるのが美味しいね。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

七十肩&カックン指

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月20日(木)曇時々小雨

2日前、義母に付き添って病院にいたら

偶然、K先輩に会った。

いつ以来だろう?もう、大分長い事会っていないなぁ・・・

会うと、女同士すぐお喋りタイム。

ばば「どうしたんですか?」

先輩「四十肩になってしまって」

ばば「それはきついですね〜」

先輩「四十肩って四十代でなるかと思ったら

七十になって、四十肩だって。

だから、七十肩って言って笑っているのよ〜」

と左肩をさすりつつニコニコ。

四十肩かぁ〜、懐かしいなぁ・・・

って、懐かしがってはいけないよね。

ばばも実は退職前に四十肩になって、

しばらくは肩より上に手が上がらずて困ったけど

数週間で、気づかぬ間に治っていた。

K先輩は週に一回幹部に注射をし、

更にはリハビリにも週2回通っているんだって。

隣町からの通院だから大変だよなぁ・・・・

そう言えば・・・ばばのごく親しい知人も、10日ほど前

肩が痛くて病院に行ったら「四十肩ですね」との診断だったとの事。

知人は「痛みが腕の彼方此方暴れ回るんですけど」と言ったら

お医者さん「そんな事は無いでしょう〜」って言ったらしいけど

患者さんが自分の体の事言っているんだから

「そんな事は無いでしょう」って言い方はどうかなぁ・・・・

同じ四十肩でも、ほとんど自覚しないままに終わる人もいれば

幹部に注射したりリハビリ通ったり、

腕中痛みが暴れ回ったり・・・と、それぞれなんだね。

自分で運転して、通院しているというK先輩、

ハンドルを切る時が辛いって言っていたけど

早く症状が軽くなると良いですね。

ばばは四十肩は軽く終わったけど、

何だか訳の分からない手の痛みには数回、悩まされたよ。

1回目は40代の頃。

字を書くのが仕事だったにもかかわらず、急にペンが持てなくなった。

握ってもすぐにポトッと落としてしまうのだ。

島の病院を何軒か回ったけど、病名も原因も分からなかった。

ある病院では「加齢によるものでしょう」っていとも簡単に言われ

正直、内心ではイラッとした。

症状が改善されないので、仕事を休み鹿児島まで行って受診した。

鹿児島でも、病名は分からなかったけど、処方された薬が効いたのか

1ヶ月くらいでペンが持てるようになり安堵した。



それから何年か経って、又職場で左手に異変が。

左手の親指が自分で勝手にカクンっと曲がってしまうようになった。

一旦、指がカクンっと内側に曲がると元に戻らない。

無理矢理右手で引っ張って戻そうとすると激痛が!

一件目の病院では骨折と言われ金属製の副え木を当てられた。

その上から包帯でグルグル巻きにされ、いかにも重病人手感じに。

何日間もその状態でいたけれど一向に回復の兆し無し。

次の病院では「腱鞘炎でしょう」と言われて

やはり湿布をするように言われた。

それでも痛みが酷い時には手術をしましょうって言う事になった。

自分の体に注射針は刺されてもメスなんか入れた事の無いばば、

先生のお話を聞いただけで震え上がった。

その時診察して下さった先生が、「○週間後に、整形外科専門の先生が

来ますから、念のために見てもらいましょうかねぇ」と言った。

なぁ〜んだ、専門でも無い先生が「手術って言ったのか〜」と

ちょっと複雑な心境になったっけ。

何週間かして、専門の先生が来たと連絡を受け、受診。

大分高齢でとても小柄な先生だった。

ばばの手の包帯を外してみた後、

「注射をしましょう」と言う。

突然注射ですかあ〜。

ばばの症状は「バネ指」と言うらしく、注射1本で治る人もいるらしい。

ばばも「治る人」の部類には入れるかなぁ・・・

メスもイヤだけど、注射だって好きではないよ〜。

おまけに注射は左手の親指と人差し指の間に打つらしい。

打つ前から先生は「痛いですよ〜痛いですよ〜」と不必要に

「痛い」を強調する。

真実を患者に伝えるのも良いけれど、

あまりに「痛い、痛い」と言われるとばばの想像を絶する痛い注射に思えてくる。

ボールペンの芯ほどの注射針でも刺そうって言うのかい?

どうせ、先生の前に座ったが最後、ばばは「まな板の上の鯉」ですよ〜

どんなに太い注射針だって受けて立ちましょうと心を決めて

顔はそっぽを向いた。

その次の瞬間!

ギョエェェェェl!!!!!

ばばの人生で受けたどの注射よりも痛い注射・・・・・・

でも、大したことないわい!

注射なんて長くて20秒では終わってしまうんじゃいと

やけに強気になって耐えたら、あっと言う間に終わってしまった。

この人生最痛の注射のお陰だと・・・・・思いたいんだけど

ばばのバネ指はほんの2,3日で元通りの位置に納まりましたわ。

お陰様で体にメスを入れる事も無く・・・・無事、今日に至っているわけでして・・・・

ありがたい事です。



それにしても70才にして四十肩になる人いれば、

ばばのような「指カックン病」になる人もいる。

病気なんて、なりたくてなる人は誰もいないけれど

ある日、突然・・・って言う事も多いからイヤだなぁ〜怖いなぁ〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

<< >>

携帯用ブログQRコード       WEB写真集用QRコード


Copyright (C)2009-2014 tokunosima.info All rights reserved.

◇◇ Tokunoshima Island JJ&BB's HP ◇◇ ◇◇ A collection of Tokunoshima Island nature observation ◇◇