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<< ばばの日記 - 2015年3月の記事 >>
03/25(水) 18:14
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03/24(火) 16:27
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03/23(月) 17:50
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03/22(日) 16:08
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03/21(土) 19:35
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03/20(金) 20:27
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>>ばばの日記の記事一覧

電話

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月25日(水)晴れ

最近特に電話機がナンバーディスプレイ機能型で良かったと思う。

出かけた日とか、帰宅後に必ず着信記録を確認している。

すると、数日置きに見慣れぬ番号からの着信がある。

そういう時は、そのナンバーをネットで検索してみると

事業所名とか登録されていなくて、口コミを読んだら

「よくぞ、受話器を取らなかった」と思う。

たいていの場合、見慣れぬ電話番号からかかってきた時は

出ないようにしているが、万が一出ても

開口一番の声を聞いて、こちらから無言でガチャッと切るようにしている。

今更ながらだけど迷惑電話が多いなぁ・・・



ばばの場合、今、母が介護施設に入っていて

高齢でもあるから、母の容態が一番気にかかる。

夜中でもあると、電話が鳴っただけで

心臓が以上にドッキンドッキンする。

過日は、ばばが寝た後電話が鳴ったので

「もしかして母の具合でも悪いのか?}」飛び起きた。

電話に出ると、「ばばちゃ〜ん、起きてた?」と友人の声。

ホッとして、しばらく話した。

電話を切った後「今何時?」と時計を見ると

まだ夜の9時半だった。

ばばは、時間を1時間間違えて、9時頃に寝たらしい。

自分では10時に寝たつもりだったので

電話が鳴って、怖くて怖くて・・・・

世の中の人、ばばのような人は少ないと思うけれど

ばばは、9時以降は親しい人にでも

なるべく電話はしないようにしている。

ばばの中では、他人様に電話を掛ける時は

午後9時までと決めている。

それより遅くなった時は、翌日掛ける。



今日も夕方花壇に水まきをしていると電話が鳴ったので

慌てて家の中に走って、電話のディスプレイを見ると

見知らぬ番号だったが、迂闊にも出てしまった。

相手が名乗りもせず「書き損じの年賀葉書とか・・・」と言うので

こちらからガチャッと切ったが、腹が立った。

いっそのこと、電話は固定は解約して

携帯電話にしても良いかな?と思う時もある。

ばばの友人では、そのようにしている人もいる。



迷惑電話の後、母のことが気になるので

「やはり、今日で母と面会してこよう」と思った。

まだインフルエンザ予防の趣旨から面会謝絶なので、

玄関先で母の顔を見て、数分、母に話しかけて帰ってくる。

今日は、玄関に入る前に葉半部屋の横を通ったので

中を覗くと、介護士さんがベッドから母を起こしているところだった。

介護士さんがゼスチャーで、「玄関の方へ連れて行きます」と言われたので

玄関へ行き、事務所の方に、ここ数日の母の様子を聞いたりして

待っていたら、車椅子の母を介護士さんが連れてきてくれた。

ばばが手を振ると、母も右手を少しだけ上げて応えてくれた。

その後は、ばばの前に跪いて、

家族のことなどゼスチャーを入れながら色々話した。

理解してくれているかなぁ・・・・

母もしきりに口を動かすけれど声にならない。

それでも、ばばは「うん、うん」と頷いて聞いていた。

あまり長い時間は母に負担がかかるので

「お母さん、夕食いっぱい食べてね.又来ますね」と言って

母の手を握り、そして手を振って、さよならの挨拶をした。

母は表情をあまり変えなかったが、それでも右手を振ろうとしてくれた。

今年になって、急に意思疎通が難しくなった母だけれど

日によってはニコッと笑いかけてくれる日もある。

そんな日は、ばばも心が軽く、嬉しくなる。

母は、風邪を引きやすいので

早く暖かい春になって欲しいなと願っている。

週末か、来週初めには又、母と面会に行こうと思っている。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「10円不足です」

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ

3月24日(火)晴れ

ある方からメール便が届いたけれど、

ばばが、ちょっと自宅2階へ上がっている時で

直接受け取れず、ポストに入っていた。

ポストから出してみると、いつもとちょっとレターパックの様子が違う。

上に紙が貼ってあり、料金不足だと書かれている。

レターパックって、350円とか500円とかでパックを買い

その中に規定の重さ・厚さの品を入れて送るんだよね。

いただいたレターパックはパックの表に書かれている厚さ3センチ・

重さ4kgの規定内に入っているし、どうして料金不足なのかな?と思った。



料金不足と書かれた用紙には、「もし、この荷物を受け取りたくなければ

不足のお金を払わず、郵便局へ持って来て下さい、

荷物を受け取る場合は所定の位置に不足分の切手を貼って

郵便局へ持って来て下さい」という趣旨のことが書かれている。

10日間の間に・・・・

勿論、早速送って下さった物を、料金不足だからと返却はしない。



何故10円不足なのか?ずっと考え続けていた。

そして、夜になってハッと気づいた。

消費税分が10円ではないかと。

送って下さった方は、消費税が上がる前に

レターパックを何枚か買っておいたのだろう。

そして、今まで通りに中に品物を入れ送ってしまったに違いない。

理由は分からなくても郵便局へ行くつもりだった。

すると、レターパックを受け取った次の日、

夕方、郵便屋さんが小包を届けて下さった。

その時に料金不足の用紙が貼られていたことを話し

「今現金で10円し払っても良いでしょうか?」と聞いてみた。

すると、「現金を支払う場合は局まで行っていただかなくてはなりませんが

もし、10円切手があるのでしたら、料金不足云々と書かれた用紙の

不足分の切手を貼る部分に、張って貰えたら私が受け取りますよ」とのこと。

慌てて手紙用品入れの箱を引っ張り出して、切手を探した。

ばばも、消費税が上がる前に、

80円切手をたくさんまとめ買いしてあったので

後日、それに足して貼る分の2円切手を50枚ほど買ってあった。

大分使ってしまったが、まだ数十枚残っていたので

2円切手5枚を料金不足通知書類?に貼って

小包を届けて下さった配達やさんに言付ける事が出来た。

良かった!

今回のことで、思い出したことがある。

過日のブログにも書いたが、

近所のおばちゃんのお嬢さんから、ばばに手紙が来た。

お嬢さんは手紙を投函後、不足の2円を貼り忘れたことに気づいたが後の祭り。

そこで、すぐお母さん(ばばの近所のおばちゃん)に電話をした。

おばちゃんは、慌ててばばの家のポストに10円(だったかなぁ?)入れた。

何も知らないばばは、ポストに10円玉が入っていることにビックリしていたら

おばちゃんから電話があって、事情を知った。

あの時は、料金不足という添付書類も無くて、

結局、おばちゃんも、お嬢さんも、ばばも「2円」を払わなかった。

おばちゃんは、2円不足でも届けてくれた郵便局の方に

「差し出し局も、貴方たちも、良い人達だねぇ」って言ったんだって。



ばばつくづく思うんだけど、

「日本の郵便制度って本当にありがたいなぁ・・・」って。



たった45円や82円の葉書や手紙を

日本中の方々に届けて下さるんだもの。

大雪の中だって、険しい山道だって、どんな辺鄙な場所だって

日本国内くまなく、色々な人の思いを込めた書簡を届け

人と人の心を葉書や手紙でつないで下さる郵便局の方々。

本当にありがとうございます。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

手紙書いたけど・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月23日(月)晴れ後曇り

昨日、宮城県の知人から「牛タン」が送られてきた。

ばばは食べられないけど、じじの大好物だ。

送って下さった方は、出張とかで帰宅時刻も、まちまちらしいし

奥様も仕事をされているようなので、お礼の手紙を書いた。

昼少し過ぎ、家の近くのポストに投函に行こうと

玄関に出たら、家のポストに郵便物が。

「何かな?」と思って出してみると、レターパックで

又、同じ送り主さんから。

今、投函に行こうと思っていた手紙は投函せずに

レターパックを持って家に入って開封した。

すると、みやぎの思い出写真集 「3,11 津波で失われた宮城の風景」

という写真集と宮城の観光ガイドブックが数冊入っていた。

そして、お手紙も入っていた。

ばばが過日送った、タンカンとジャガイモを

ご兄弟やお隣ご近所の皆さんに分けて、みんなでいただいたと。

特に、タンカンは「中に蜂蜜でも入っているみたいに甘い」って

みんなに大好評だったらしい。

タンカンに「蜂蜜が入っているみたいに甘い」という感想は初めて聞いた。

発送をお願いした農家さんに話すと、喜んで下さるだろうな。

お手紙には、他にもご兄弟のことや、ずんだ餅のこと等も書かれていた。

もしかしたら、今夕か明日辺り、ずんだ餅も届くかな・・・・と

想像できる文面だった。

お手紙を読み終えて、写真集やパンフレットを見ていたら

何故か、もう1通お手紙が入っていた。

そして、後から見つけたお手紙の封筒には「追伸」と書かれていた。

お手紙には写真集の説明などが書かれていた。

1個のレターパックに、わざわざ封筒を別にして

2通もお手紙を下さったAさん。

同じ封筒に入れて下さっても良かったのに・・・・



ばばも、午前中、「牛タンのお礼状」は書いたけれど

写真集のお礼状も書かなくちゃと、一旦封をした封筒を開けた。

そして、便箋を取り出して「追伸」の分の手紙を、ほぼ書き終えた。

同じ封筒に入れようとは思っているけれど、

又、ずんだ餅が届いたら、そのお礼も書かなくてはいけないかなと

思ったりして、まだ、封筒の封は開けたままにしている。



今回、送り物を下さったAさん、

ひょんな事から、じじとご縁があり、

かれこれ30年位のお付き合いになるかなぁ・・・・

電話を下さる時は、東北の方らしく、必ず「おばんです〜」が第一声。

4年前の大震災の時は、すぐに情報が入らず

本当にヤキモキしたけれど、2日後に本人から

「元気ですよ〜」と電話を下さった。

順番待ちしての公衆電話からだった。



年賀状をやりとりしたり、たまに電話を掛け合う位で

まだお目にかかったこともないけれど、

「もう、何十年のお付き合いだから

遠慮無く、東北の○○送ってと言って欲しい」とも言ってくれるAさん。

そしえ、秋には新鮮なサンマや帆立を毎年送って下さる。



Aさんって、どんな方かな?

お声や話し方の印象では、「とっても純朴そうな方かもね」

というのが、じじとばばの一致した意見。

大柄な方かな?ほっそりした方かな?

じじとふたり、色々想像して話している。

元気なうちに、いつかAさんご夫妻とお目にかかれると良いなぁ。



さてと、2回分の手紙。

最初書いた手紙を、追伸の手紙より先に読んでもらうために

どうしたら良いんだろう?



一応、投函は明日の朝一で、郵便局まで行ってこよう。



21日にAさんが投函して下さったレターパックが2日後の今日届いた。

徳之島と、宮城県。

ばばの頭の中では、とてもとても遠いような気がするけれど

案外近いんだなぁと、ビックリ。

ばばの手紙も今週中にはAさんの元へ届くかな・・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

43年前の絵と文、他

by ばばの日記

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「ばばの日記」

3月22日(日)晴れ

朝から始めた洗濯。

今6回目。

これが最後・・・あと20分ほどで終わる。

1回目の洗濯、始めたのが8時過ぎ。

6回目の洗濯、終わるのは、お昼の3時。

何と、1日で6回の洗濯。

かかった時間約7時間。

ばばの人生で、最多・最長の洗濯回数と時間。

じじとばば、ふたり暮らしなのに何でそんなに洗濯?



敷き毛布や掛け毛布、敷き布団カバーに掛け布団カバー、

枕カバー、敷きパッド等々・・・・

毛布は1回で1枚しか洗えないので、時間がかかる、かかる。

昨日とうって変わって、今日はに中通して

ほぼ快晴との天気予報だったから、思い切って全て洗うことに。

敷き布団や羽毛布団は2階の窓を開けて干した。

洗濯をしながら、自宅2階の片付けもしましょ。



もう、ほぼ片付けも終わってはいるが

細々したところが少し残っているのでね。

廊下に掃除機をかけ、玄関先を掃き

靴箱を動かして、三和土や廊下、全て雑巾がけをしましょ。

頑張って、頑張って、一段落してお昼ご飯に下りたら

ポストに不在票が入っていた。

配達に来て下さったのに・・・すぐ隣の2階に居て

気づかなくてごめんなさい。

すぐに電話をして、再配達をお願いしたら

2時から5時までの間に配達しますとのこと。

2度手間かけて、本当にごめんなさい。



昼は、2時までに作業を片付けて、郵便屋さんを待っていましょ。

お昼を済ませ、2階で片付けをしていたら

懐かしい物が出て来た。

昭和47年3月15日の日付が入っている文集。

ばばが勤め始めて3年目の子ども達の文集だ。

当時1年生の子ども達の手書き作文が1冊の文集にまとめられている。

ばばが作ったことには間違いないが、

原稿用紙の代わりに、わざわざマス目を作った手作りの作文用紙。

それも、上白紙では無く、ザラ紙と言っていた薄茶色の粗悪な紙。

表紙には何故か竹と不細工なタケノコと 、笑った男の子、怒った男の子

泣いている女の子のイラスト。

これもばばの手書きだ。

文集の名前は「たけのこ」。

それにしても、文字やイラストの幼稚なこと。

恥ずかしい!!!!!
文集


表紙をめくると、子ども達の可愛らしい作文が。

例えば、ある女の子は

「わたしは きのう おかあさんと 川へ木をきりにいきました。

がくげいかいで つかうのです。おかあさんは かまで六本も

きってくれました。おかあさん どうも ありがとう。

げきを 見にきてね。」と書いている。

ある男の子は

「ぼくたちは えんそくで かなみの とうだいへ いきました。

たこもとりました。小さいので すてました。かわいそうでした。

おかしを たべました。

大きな さかが ありました。

人が たくさん すべっていました。ぼくも すべりました。

おひるになったので べんとうを たべました。

おかあさんが つくってくれたべんとうは とても おいしかったです。

おかしも たくさんたべました。」と書いている。

表表紙の裏には、ばばも「竹」という短文を書いてある。

その文は

私は竹が好きだ。

青空にスックとそびえる若竹が好きだ。



冬・・・

雪が降る。

真綿のような粉雪が舞う

積もる・・・積もる・・・積もる、雪



若竹の上に

雪が積もる。

重い・・重い雪

冷たい冷たい雪

耐える・・・若竹は耐える

重さを、冷たさを





谷川のせせらぎと共に

天を突く竹

苦難を耐えて伸びる竹



そんな竹が私は大好きだ



これ、20代前半のばばの詩?

まさか、どこかから盗用したんじゃないだろうね。

自分で作ったという、記憶も無い。

小学1年生の文集に、こんな文を書くなんて・・・・・



子ども達ひとりひとりの作文を読んでいくと

1年生当時の顔がひとりひとり浮かぶ。

もう、50才を超えているかなぁ・・・この子達。

会ってみたいなぁ・・・

この文集を持っている子が、まだいるかなぁ。



文集を止めていたホッチキスの針も

時間が経ち過ぎて錆びてしまい、

子ども達の作品も上3枚は外れてしまっている。

大事な宝物、見つけたなぁ。

きちんと製本して、これからも大事にしまっておこう。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

10年後は?

by ばばの日記

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3月21日(土)曇

昨日は家から1歩も出なかったので

今日は、彼方此方出かけようと計画。

10時になったら、先ずバザーへ出かけ、

その後、お店に行き、送り物をしなくてはならない所へ

発送の手配をする。

その後、売り出しで買いたい品があったので買う。

午前中で全て終え、昼からは公民館へ講演を聞きに行く。

と、ここまで全てこなし、まだ時間があったので

姉と一緒に海岸近くを散歩することに。

海岸通りを北へ歩いたが、肌に当たる風が冷たい。

そのまま、定期船が接岸する港まで行こうと思っていたが

何故か護岸に設置された階段を上がったら

干潮で砂浜が歩けそうだったので、予定を変更。

砂浜を歩いて漁港まで行き、漁港をグルッと回って帰宅しようと。



早速砂浜に下りると、小さな女の子4人が海に入り、

小さな網を持って魚を追いかけていた。

ばば達も、磯の上を歩いて見た。

アオサがビッシリ生えている。

茶色の海藻も岩の上にたくさんある。

「トゥビンニャ」と言われる巻き貝の殻がたくさん捨てられている。

春だなぁ〜

磯の香を胸一杯吸い込んで歩く。

何とも気持ちが良い。



こそもの頃、母や姉たちと一緒に磯でアオサ摘みをしたこと

懐かしく思い出す。

摘んだアオサは、味噌汁に入れたり、天ぷらにしたりして

家族みんなで春の香りを楽しんだなぁ。

もう、何十年も自分でアオサを摘んだ事は無い。

海も昔と変わって生活排水等で汚れているような気がするし

自然のアオサの量も極端に減っているような気がする。

ばばが子どもの頃は、海も今よりずっと奇麗だった。

だから、子ども達も友達同士でアオサ摘みなどに行っていた。

今の時代、子どもがアオサ摘みをするのかな?

時代と共に、子ども達の遊びや行動も大きく変わったね。

姉とばばが散歩している海岸の護岸では

中学生か高校生が寝転んで携帯用のパソコンを使っていてびっくりした。



約30分位、砂浜散歩をして帰宅。

帰宅後は、姉とふたり、

何故か実家集落のひとり暮らしの方が何名位か数えてみたり

子どもの居る家庭が何軒位あるか数えたり

集落内の端から端までのお宅の苗字や、

現在住んでる方の名前を言ってみたり、

晩年の父と母のことを話題にしたり・・・・

普段は話題にならないことを、色々話している自分たちにビックリした。



最終的には、後10年後、実家集落はどうなっているんだろうかと話しながら

何故か、寂しくなって来た。

大きなお店も無く、バス停までも急な坂を上り下りしなくてはならず、

今よりも年配の方や、ひとり暮らしの人、空き家が増え・・・・

あぁ〜小さな集落がますます寂れていく様が目に見えるようで

気分が落ち込んでしまう。



日本中、こんな集落がたくさんあるんだろうなぁ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「噛む」を数える

by ばばの日記

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3月20日(金)晴れ

今日は自宅敷地内から1歩も出なかった。

まぁ、こんな日があっても良いよね。



ばばは、算数、数学が大の苦手人間だった。

そんなばばに母は「鶴亀算なんか、こんなに面白いのにねぇ」って

良く言った。ばばが、小学生の頃だったと思う。

鶴亀算なんて言っても、ばばは当時は意味が分からなかった。

例えば「鶴と亀合わせて18匹います。合わせた足の数は52本です。

鶴は何匹、亀は何匹でしょう。」というような問題。

今なら、鶴をX匹、亀をY匹として簡単に解けるが

小学生のばばに分かるはずも無く・・・

幼稚園時代は「数字の3」が書けず、カラスが飛んでるうような

横に倒した3を書き、「4」も書けずに上下ひっくり返して書き

極めつけは、「8」は大きな○と小さな○を縦にくっつけて書くくらいだった。

何故か成長しても算数・数学には苦手意識がずっと付いて回り・・・・

ばばは、典型的な否理数系人間だと自負している。



数学とか大嫌いだけど、車とかのナンバーを一瞬で覚えたり

何かを必死に?数えるのは好き。

何を数えるのって?



例えばね、これも母が教えたんだけど「柔らかき物も27回噛め」という言葉。

食べ物は良く噛んで食べなさいという教えだったと思うが

なぜ?中途半端な27回噛むんだろう?とは今でも思う。



じじは、夕食後、毎日薬を飲む。

ところが、少し前から、アロエを口に入れて噛んで、飲み込む時に

薬をポイと口に入れて、ゴックンと飲み込むようになった。

こんな飲み方で良いのかと、甚だ疑問だけど

じじに言わせると「この方が錠剤が飲みやすい」んだとさ。

で、1週間ほど前から、ばばはじじが薬を飲む前に

アロエを何回噛んでいるか、ふと数えてみた。

じじが一生懸命噛んでいる間に、何食わぬ顔して

胸の中で、噛む回数を数える。

時々吹き出しそうになるけど、必死に笑いをこらえて数える。

すると、最初の碑は4回噛んで薬を放り込んで飲んだ。

2日目は何と、104回も噛んだ。

毎日、じじに悟られないように密かに数えていたが

大体70〜100数回噛んでは飲み込むようだった。

毎日毎日、夕食後の密かな楽しみ?が増えたが

ある日、遂に吹き出してしまい、じじにバレてしまったので白状した。

ばばが数えていることに気づいてからも、じじは一生懸命噛んでいたが

ばばはわざと下にうつむくフリをして、実は・・数えてみたら

その日は57回で飲み込んでしまった。

何で?

もしかしたら?アロエが小さかったのかな?

ばばの母が教えた「柔らかき物も27回噛め」を

じじは優等生過ぎる位実行している。

方やばばは?と言えば30回噛むなんて、よっぽど固い物でも無い限り

噛んでいないことに、今更ながら気づく。

教えられたばばは守らず、じじがしっかり「ばば母」の教えを守っていることに

何だか可笑しくなってしまった。

これからも、ばばは時々下を向いたり、上目遣いをしたりしながら

じじの噛む回数を数え続けるだろうな、きっと。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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