カウンター(Since 2009.8.3〜)
カウンター カウンター
徳之島じじとばばのブログへようこそ! ここは、モバイル・携帯アクセス兼用サイトです。









RSS

Ringworld
RingBlog v3.20h

ようこそ!お越しいただきまして有り難うございます。     このサイトはモバイルアクセス用として誕生しました。     動画再生にはWin Media Playerが必要です。      どうぞ ごゆっくりご覧下さい!  当サイトはリンクフリーです。管理者へ許可を得る必要はありません。
<< ばばの日記 - 2015年4月の記事 >>
04/24(金) 19:24
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
04/23(木) 22:06
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
04/22(水) 14:34
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
04/21(火) 10:46
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
04/20(月) 11:44
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
04/19(日) 15:07
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
>>ばばの日記の記事一覧

何故、書いたんだろう?

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


4月24日(金)曇

今回、3回に分けて「強運の3人」という題でブログを書いた。

書き始める前の日まで、全く「強運」とかいう題で

ブログを書くとは考えてもいなかった。

たまたまHちゃん夫婦が帰省し、我が家へ寄ってくれ

テーブルを囲んで座って話すうちに、

何故か、「この4人のうち、3名は一度生死の淵を彷徨ったんだ」

という思いが、ふとわき上がり、書き始めてしまった。

じじとばばの体験は、過去に何回か書いていたが

Hちゃんのご主人Sさんも又、じじとばばと似たような体験をし

奥さんであるHちゃんも、じじが手術した頃のばばと同じ思いを

体験している・・・と思った時、

何故か不思議な気がして、書き始めた。



人間誰しも、色々な事があり、日々生きている。

誰もが幸せな日々だけでは無い。

絶望の淵に立たされる事だって、何回かある。

そこから立ち上がる時、何故か今まで考えなかったことを

考える人も多いと思う。

Sさんが、奄美市の病院に、自衛隊のヘリコプターで緊急搬送され

手術を受け、元気に退院出来る事になった日

先生が「これからはおまけの人生だと思って、

日々楽しく暮らしなさい」と言われたそうだ。

その時の「命の恩人の先生」と

Sさんは今回の帰省中に、偶然会えた。

その先生は、徳之島の病院常勤では無く、

月にに1度位の割合で、徳之島の病院へ来てくれているらしい。

その先生と、4年ぶりに帰省し、明日は帰るという日に再会出来るなんて・・・・

本当に、不思議!だね。



Sさんは60代で、じじは50代で、ばばは20代で

大きな試練があった。

でも、3人とも今は元気で日々暮らせている。

ばばが退院した時も、誰かが言った。

「あなたは、まだしなければならないことがあるから

生かされたんだよ」と。

退院してから・・・・1年半後に徳之島へ転勤でき、

5年後に三女が誕生し、

大好きな仕事を思い残すこと無く続けることができ、

実家の両親にも少しは親孝行でき、

じじの両親の介護もすることができている。

そして、20代の頃までは考えもしなかったパソコンを

使えるようにもなった。

これが、ばばの20代では

出来なかった事だったのかなぁ。



ばばはね、大きな試練を受けたことで

周囲の方々への感謝の気持ちをそれまで以上に強く持てたし

自分が出来る事は、何かしてあげようと思うようになった。

時として、じじからは「又、ばばのお節介が始まった」と

言われてしまうけどね。

その「お節介」の恩恵を一番受け、

喜んでいるのは誰でしょうかねぇ〜。



今後、ばばがやらなければならないこと・・・

あまりに多すぎて、「長寿全島一」にでもならない限り

完了できそうにありません!

じじも、手伝ってくれぇ〜〜

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「強運の3人」、その3

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


4月23日(木)晴れ

さぁ、「強運の3人」、ラストは誰でしょう?

それは・・・ばばです!

じじが、大病から復活して約10年だけど、

ばばは、じじより20年位前に、

やはり「三途の川」を渡りかけて、

親戚のおばさんに追い返されたの。

このことも、ばばの過去ブログに書いたので

ざっくりと。。。。。

ばばは、抜歯後の傷から細菌が入ったのか

高熱が出て下がらず、当時の上司からは

「敗血症かも知れないから、ちゃんと診てもらいなさい。

今日は、町の診療船が来る日だから」と言われ

じじが付き添って、集落の海岸にやって来た船の中で受診。

当時、加計呂麻島は月に何回か

町の診療船が各集落の海岸に停泊し

具合の悪い人達を診察してくれていたのよ。

受診はしたもの、はっきりした病名が分からず

翌日、じじも付き添って、船に乗って古仁屋の

抜歯をした病院へ・・・・

ばばは、その時、40度近い高熱が続き、

口が大きく開けられなくなり首も上手く動かせなくなっていた。

ばばだけ入院して様子を見ることにし

じじは、夕方の最終便で加計呂麻へ帰る予定だった。

ところが、船が出てしまっていた。

仕方なくじじは病院へ戻ってきた。

翌朝、1番の船に乗れば勤務には遅れず、

加計呂麻へ戻れるから。

じじが船に乗り遅れ、戻って来たのも幸運だったが

たまたま、その病院の院長先生が県外出張から夕方戻って来た。

ばばのことを聞いたのだろう。

すぐ診察してくれ、「これは破傷風ですね」と的確な判断がやっと出た。

1秒を争う症状だったらしい。

その後の、病院の動きは速かった。

奄美市の病院や薬局に次々連絡を入れ、

破傷風の血清を掻き集めて(と言っていた)

タクシーやパトカーまでも動員して血清をリレーし

病院へ届けてくれた。

後日聞いた話では、普通の人の何百倍もの血清を接種したらしい。

今考えたら、ゾッとするね。

接種?投与?後、ばばの意識は無くなり

3日ほど、静かで真っ暗な部屋に入れられていたそうだ。

光とかも当たったらいけないので、真っ黒な分厚いカーテンを引いてあったって。

それに、音も聞こえたらいけないって。

今はどうなのか分からないけれど、

当時はそのような部屋に隔離されたんだって。

周囲の人は、ばばが意識不明で心配もしただろうし

加計呂麻島の方達は

「死んでいくばばちゃんは仕方ないけど

残されるじじさんと次女ちゃんが可愛そう」と泣いておられたそうだ。

でもね、意識不明と思われていたばばだが

夢を見て、その中で、向こう岸に色とりどりのたくさんの花が咲いている

ばばが大きな川を渡りかけたら、急に大きな四角い布のの真ん中に乗せられて

顔もはっきり分からない者達が、ばばを高く高く放り上げるの。

そしたら、上の方から、ばばを可愛がってくれていたおばさんが

ばばの方に向かって「来るな、来るな」って

両手を大きく振って、ばばを追い返そうとするの。

そんな夢?を診ている途中で、ばばは目覚め意識が戻ったらしい。

意識が戻ってからは、2週間ほどの入院で無事退院出来

今日まで、大きな病気も無く元気に過ごせている。



※今日は、昼間色々あって、時間も大分遅くなってしまったから

この続きは明日書くね〜

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「強運の3人、「その2」

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ

4月22日(水)晴れ

2日前の大雨は、何だったんだろう?と思うほどの晴天の徳之島だよ〜。

じじが、電話でテレビ局の取材を受けて

画像を提供した後、県外やばばの姉妹も周辺から

色々声をかけられ、「○○テレビの現地駐在員ですか?」

とか聞かれて、ビックリしたって。

今回のことで、思った事がある。

普通、テレビ画面の下の隅っこに出る小さな文字なんて

ばばは詳しく見たことも無かった。

ここ2年近くはテレビとは、ほぼ無縁の生活。

今回、わざわざ島外から、直接電話を下さったり

ばばの姉妹や娘達に電話をくれたり

声がけをしてくれた方達は、テレビの隅っこの文字を見て

「もしや?じじ?」と思ったみたい。

ばばも、これから又テレビを観る事があれば

番組によっては、隅っこの小さな文字も

気をつけて見ようと思ったよ〜。



さて、前置きが長くなってしまったが

延び延びになっていた、「強運の3人」の続き。

1人目は 、Hちゃんのご主人Sさんのことを書いたが

2人目は、我が家のじじ。

何回かブログにも書いていることだが・・・・

もう、10年も前前、何の違和感も無く受けた人間ドックで

胃に異常が見つかり・・・・

それまでも毎年鹿児島でドックを受けていたのに、

前年までも何の異常も告げられず、まさか?という

気持ちで検診結果を見た。

それからは、怒濤の数日間。

隣の奄美市の病院で再検査。

「ここではどうしようもありません。

都会の大きな病院へ行って下さい」と言われ、さらに落ち込む。

都会と言ったって・・・・・・

でも、偶然、その時、我が家の長女が

生まれて数ヶ月の孫を連れ帰省中だった。

長女が、学生時代の友人に連絡を取ったりして

入院する病院を決め、あれよあれよという間に、じじは東京へ。

そして、約2週間後に手術。

ばばは当時、勤めていたし、じじの症状も「胃潰瘍」くらいに聞いていたので

手術の日も上京する予定もしていなかった。

しかし、職場の上司が「ご主人の大事な時に、

何故、奥さんのあなたが傍に付いていないの?

あなたの仕事は、私が責任もって引き受けるから、行っていらっしゃい!」

と、背中を押して下さり、急遽ばばは上京。

上京後、数日してじじは手術。

しかし、1時間位で終わると思った手術は5,6時間かかり

手術室の外廊下で待つばばと、次女と3女はどんどん不安が脹らんで

限界!となった頃、じじがたくさんの管を付けた姿で、

ストレッチャーに乗せられ手術室から出て来て

その後、切除した、じじの胃を執刀医がばば達に見せてくれた。

初めて見る、赤黒い、人間の胃。

開腹してみて、症状の酷さが判明し、胃を全摘したと説明があった。

あと1枚、薄い粘膜が破れていたら、

がん細胞が体中に拡散していただろうとも聞いて

ショックで、手術は終わったけれど、

この後どうなるのか目の前が真っ暗になった。

じじは、しばらく入院し、退院後は、数ヶ月、長女の家に居候。

孫を乳母車に乗せて一緒に散歩したりすることで気を紛らわし

リハビリの日々を過ごした。



後でじじから聞いた話では、じじの症状はA・B・CのCのステージで

Cステージでも、大分進んでいて危ういところだったそうだ。

手術後、担当医から「3年生存率は30数%」と告知されていたじじ。

どんな気持ちで、毎日過ごしていたんだろう?



毎年欠かさず通っていた病院の担当医が

たまたま代わっていて、じじの異変に気づいてくれ

奄美市の病院の先生が「都会の病院へ」と勧めてくれ

たまたま長女が帰省していて、医学関係の友人がいたこと

立派な先生に執刀していただいたこと、

子ども達が3名とも近くに居たこと、

ばばの上司が思いやりのある方で、

ばばもじじの傍らに付き添えたこと、、

色々な幸運が重なって、じじの手術は成功し

10年が経過した。



まだ100%安心とは言えないけれど

じじは、日々元気に暮らせている。



Hちゃんのご主人、Sさんが元気に退院した時

担当医師から「これからは、おまけの人生だと思って

ゆっくり、好きなことでもして楽しみなさい」と言ってくれたそうだ。

我が家のじじも、今は「好きなことだけ」をして、

日々過ごしている。

「人間の命」について改めて考えさせられると同時に

Sさんと、じじ、「強運」だったなぁと感謝している。



さて、「強運の3人」と言うからには、

あとひとり、強運の持ち主がいたということだね。

それは、だれでしょう?

明日まで、引っ張ることになったよ〜

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

10秒足らずの全国デビュー

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ

4月21日(火)曇

昨日は50年に1回の大雨に見舞われた徳之島だったが

夜のニュースで、徳之島だけで無く

国内彼方此方で豪雨や強風があったみたいね。

ばばが3日前から書き始めた「強運の3人」のSさん夫婦

昨日の、あの天候でも飛行機は全便飛んだようで

夕べ7時前には、自宅に無事帰着したとHちゃんから連絡があった。

やっぱり運が良いね。



で、昨日は我が家のじじが、遂に?まさかのテレビデビュー!

大雨の様子が知りたかったのか

昨日朝から東京のテレビ会社、2社から電話が入り

じじに応対して貰ったが、

何と、じじの動画が夕べの全国版のニュースで

ほんの10秒足らず位ではあったが放映され

その中で、画面右下にちゃんとじじの名前が・・・・・



夕べ、ばばは観劇に出かけ、9時前に帰宅したのだが

じじひとりのはずの2階から楽しそうな声が聞こえる。

お客さんが来るわけ無いし・・・と上がって行くと

じじが長女と電話中。

長女からの電話で、昨日のテレビ局とのやりとりしながら送った動画が

全国放送で放映されるらしいと。

放送まで、まだ1時間近く時間はあったが

ばばが出かけている間にも、思いがけない人から電話があったと、じじ。

それは、もう20年近くも前の女性同僚から電話があったそうで・・・・

その方は、夕方のローカルニュースで

徳之島の大雨のニュースが流れた時、じじの音声が入っていて

懐かしくて電話を下さったとのこと。

まさか、じじの音声がテレビで流されるなんて、

青天の霹靂とは、正にこのこと。

「へぇ〜〜」とビックリするばばに

「顔には自信があるけど、声には全く自信が無い」なんて宣うじじ。

まぁ、ばばの前でしか自慢できない「お顔&容姿」ですから

いくらでも、自慢しなさい!

馬耳東風のばばですから。



それにしても、昨日、何故?我が家に東京のテレビ局2社からも電話?

と、ばばはビックリしたけれど、

じじが言うには「ネット検索すれば簡単だよ」ってさ。

徳之島に支社とか無いテレビ局。

でも、ネットで検索して徳之島でライブカメラをしている人を

調べれば、すぐ分かるだろうと・・・

それにしても、まさか、じじの声がローカルテレビで流れ

動画が全国ネットで放映されるなんて、

自分たちでも、予想だにしなかったこと。

それも、元同僚や、娘からの電話や知ったこと。



テレビをほとんど観ないばばも、夕べは2年ぶり位に

夜のテレビを観た。

でも、ばばは画像は見たけど、

じじの名前の映っている部分には目が行かず、気づかなかった。

動画が流れたのは、ほんの10秒足らず位?だったけど、

雨の中、屋上や川縁で撮影したじじは、嬉しかっただろうね。



地道に10年近く島の動植物を撮影したり

徳之島の風景を撮影し続けているじじ。

継続することで、どこかでか、他人様のお役に立てることもあるんだね。

これからも、脳活性化のためにも

叱咤激励して、じじを外へ出すよう、

アシスタントとして、ばばも頑張ろう!



平々凡々なじじとばばの日常に

ちょっとしたサプライズ?があったので

又々「強運の3人」の記事は先送り〜

ごめんね。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

50年に一度の・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ

4月20日(月)大雨

いやぁ〜夕べからの雨は凄かった。

いつも通り11時過ぎ、床についたが

時間が経つにつれ、激しい稲光・雷

叩き付けるような雨の音でなかなか寝付けなかった。

あまりの凄さに落雷があるのでは?

川が氾濫して、避難勧告の放送があるのでは?

と気になりだすと、ますます目は冴え

暗闇でじぃっとしていた。

ばばより少し早く、ベッドに入ったじじは

スースー寝ている。

こんな凄い稲光や雷・豪雨の音にも目を覚まさぬじじが

羨ましくも有り、不安にもなり・・・・

そうこうしているうち、いつの間にか寝てあったが

朝起きてラジオをつけると、「徳之島」「50年に一度の大雨」

とかいう単語が耳に入る。

やはり、夕べからの豪雨は凄かったんだ〜。

7時少し回った頃、朝食を摂っていると、防災無線が・・・・

2カ所ぐらい、豪雨の影響で通行禁止になっているって。

1カ所は、ばばも毎日通る道。

夕方の買い物、気をつけなくちゃ・・・

と、こんな事思っていたら、見知らぬ電話番号から着信。

何と、東京のあるテレビ局から。

徳之島の豪雨について、詳しい情報が知りたいらしく・・・・

じじは、雨が激しくなる中、

ばばが運転手役を買って出たのに断って

ひとりで、撮影のため出て行ったけど・・・・・

上手く撮影出来るかなぁ?

せっかく快復したのに濡れて風邪引かないかなぁ・・・・



それにしても、この雨、いつまで降るんだろう?

今夕は、観劇のチケットも買ってあるし

つい先ほど、知人から「じじさんの同級生が亡くなった」と

訃報が入り、お通夜にも行かなければならないけれど・・・

止む気配の無い、雨、雨、雨・・・・

どうぞ、被害が出ませんように・・・祈るのみ。



そうそう、昨日「強運の3人」というタイトルで書いた

Hちゃん夫婦、今日の飛行機で都会へ戻っていく。

この雨、大丈夫かなぁ?

せめて、簡単なお弁当でも作って届けようと準備し

10時、ホテルへ届けた。

その前、じじがネットで調べると

飛行機の欠航情報は無く、普通に運行しているようで

安心はしたが、この後、

昼過ぎまで天気がどう変わるか分からないので

まだ、気は抜けない。

きっと、強運の持ち主、Sさんが一緒だから

飛行機も無事飛ぶだろうと・・・・期待を込めて祈っているが・・・

文が長くなるので、今日はここまでにして

明日、この続きを書くね〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

強運の3人(その1)

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


4月19日(日)曇時々雨

時で暮らす、じじの親戚Hちゃん夫婦が4年ぶりに帰省し

13日月曜日、空港から直行、我が家の寄ってくれた。

しかし、当日じじが体調不良で、Hちゃん夫婦と会えぬまま・・・・

Hちゃん、今回は実家の片付けなどもあり

1週間、島に滞在するとのことで、

「又、寄らせてもら」いますからとじじを気遣いながら

ホテルへ向かった。

それから5日、じじも回復し、

昨日、Hちゃん達も実家の片付けも進んだだろうから

様子を見ながら、コーヒーでも差し入れしようと準備して、

じじとふたりでHちゃんの実家を訪ねたが、鍵がかかっていた。

ホテルにいるかなぁ・・・と、ホテルに向かったら

何と運の良かったこと!

Hちゃん達は従姉妹さんの運転で全島一周に出かける直前。

ホテルの駐車場で会えたので、飲み物とおやつを渡して

じじとふたりは、母と面会したり別行動した。



そして今朝、Hちゃん夫婦が

昨日の飲み物を入れて渡したポットを返しがてら寄ってくれた。

昨日ホテル駐車場で会った時、

Hちゃんのご主人Sさんが、じじに向かって

「お互い元気になって本当に良かったですね」と話しかけてくれた。

今日も上がってもらい、4人で座って色々話すうちに

「本当に運が良かった」

「奇跡としか言えない」という言葉が何回も出た。

と言うのは、4年前、SさんはHちゃんと一緒に徳之島に帰省中、

急に心筋梗塞の発作に見舞われた。

すぐ、病院へ。

しかし、専門の先生が島にいなくて、応急処置はしたものの

病院で意識不明の重篤な状態に・・・・

じじやばばも、ずっと病院にいたけれど

重苦しい時間が過ぎた。

祈るような気持ちで交代でSさんの傍で見守った。

夜の9時前後だっただろうか?

「自衛隊のヘリコプターで、隣の奄美市の病院へ緊急搬送します」

という、一報が入り、病院からも看護師さんとか何名かが付き添い

Hちゃん夫婦は救急車で空港へ。

そして、奄美市の病院へ搬送された。

・・・その後・・・・・・・



今日、Hちゃんが話したことによれば

奄美市の病院に着いて、一応専門の先生が見て下さったが

「これは・・・・」と、暗に希望が無いようなことを口にされたそうだ。

処置室に入り、4時間位経った時、先生が出て来て

「心臓が動き出しました!」と告げられたそうだが

それでも、いつ何時急変するか分からないと。

しかし、Sさんの意識はなかなか戻らず。



2,3日後、奇跡的に意識は戻った。

その頃,Hちゃんは病院近くのホテルに宿泊しながら

病院へ通い、看病をしていたそうだが安心したのも束の間

数日後、急に病院から「心臓が止まりそうです」との連絡が入った。

慌てて病院へ走ると「AED」を使って

必死に心臓を動かそうと試みていたそうで 

それからしばらくして、Sさんの心臓は又動き出したそうだ。

じじが、「Sさんは、搬送時や、その後の記憶がありましたか?」と聞くと

Sさんは「何だか船に揺られているような気がしたのだけは覚えています」と。

ヘリコプターで搬送される途中の記憶なのかなぁ・・・・



それから、懸命の治療とリハビリとで,Sさんは少しずつ回復し

奄美大島の病院で4ヶ月間過ごした後、都会の自宅へ帰って行かれた。



あれから4年・・・・・

Sさんは、体力を付けるために、

一生懸命自転車を漕いだりしているそうだ。



Sさんの退院後、Hちゃんは、色々料理の本を読んで

体に優しい料理を作るように心がけていたそうだが

あまりにも忠実に、食材や塩や油を制限しすぎて

Sさんは栄養失調になってしまい、病院の先生から叱られたって・・・・

今だから、笑って話せるけどね・・・



今日、目の前でにこやかに話すSさんを見ていると

「本当に運が良かった!。あの日、色々な事態が

Sさんに良いように動いてくれたんだなぁ」と目に見えぬ何かが

上手く導いてくれたような気がしてならなかった。

Hちゃんは、「当時のことを思う出すと今でも鳥肌が立つ」と言う。



一緒に、旅行(徳之島への帰省)も出来る位

Sさんが元気になって本当に良かったね〜。

明日、Hちゃん夫婦は、又大都会へ帰って行く。

又、数年後に元気に再会しましょうね。



※今日のブログの題を「強運の3人」としたが

これについては、又明日、もう少し書く事にするね。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

<< >>

携帯用ブログQRコード       WEB写真集用QRコード


Copyright (C)2009-2014 tokunosima.info All rights reserved.

◇◇ Tokunoshima Island JJ&BB's HP ◇◇ ◇◇ A collection of Tokunoshima Island nature observation ◇◇