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ウミガメの背に乗って・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


5月25日(月)雨後曇り

10年以上も毎朝通い続けている海岸。

その海岸の舟溜まりに、アカウミガメがヒョコッと顔を出した。

1回・・・2回・・・そして、まるで視線を誘うかのように

スーッと目の前を横切り遠ざかっていった。



ありふれた光景かも知れない。



でも、2日前、じじの口から語られた出来事。



母が亡くなって、1週間目の朝、

じじはいつものように早朝ランニングに出かけた。

帰って来るなり、興奮した様子で

「今朝は不思議なことがあった」と、語り始めた。

普段だったら、何気なく見ていた光景かも知れない。

しかし、母が亡くなって1週間ということで

カメの行動がじじには特別なものに見えたかも知れない。

じじは続けた。

「今まで、10年間で1,2回アカウミガメは見たことあるけど

今朝のカメは、僕に何か訴えかけているようだった。

あのカメがきっと母の魂を乗せて、

竜宮城の父の所へ連れて行ったのだろう。

今頃、父と母は久しぶりの再会を喜び

仲良く語り合っているだろうな」と・・・・

じじの口から、このようなロマンチックな物語?を聞こうとは。

えっ?亡くなったら竜宮城へ行くの?と突っ込みたくもなったけど

竜宮城もきっと天国と同じような楽園だろうから

楽園で、両親が仲良く語り合っていたら、

それはそれで幸せなことだとばばも思った。



そう言えば、母が亡くなる数日前の夕食時

じじが突然ばばに聞いた。

「ばばは、世界で一番愛情を掛けてもらったのは誰だと思う?」と。

まさか?「じじ」と言う答を期待しているのではないだろうな?

と思いつつ、「両親!」と間髪をおかず答えた。

すると、じじは「そうだよなぁ。僕の答は、やはり母かなぁ」と言った。

その後、いかに自分たちが両親の愛を受けて育ったか話しながら

食事を続けたが、最後にじじが「ばばに愛情を注いだ人の

6番目ぐらいには僕が入るかな?」と茶化して話は終わった。

じじは、心の中で最愛の母との別れが、そう遠くないことを

直感的に感じていたのかも知れないなと、今、思う。



母が逝って8日。

まだ、病院か施設へ行けば母と会えるような気がしてならない。



今日は、晴れ間を利用して、母がお世話になっていた施設へ行き

母が使っていた身の回り品などを引き取ってきた。

5年近く、通い続けた施設。

風景も、事務所の方々の親切な対応もいつもと変わらない。

でも・・・・・母が暮らしていた部屋には

既に別の方が入っておられるようだった。

外からその部屋を眺めていたら何故か涙が溢れた。

事務所でご挨拶し、じじやばばを我が子のように慕ってくれていた

おばあちゃんと少しだけ話し、「又来るから、おばちゃん元気でね」と

声をかけて、外へ出た。

「又来るからね・・・」・・・・

母や、親しくなった入所者さん達へ、いつも別れ際に掛けていた言葉。

母はいなくなってしまって、あの施設へ又行くことがあるだろうか?

そう思うと、又涙が出た。

施設長さんはじめ、職員さん、最高のスタッフ揃いだった。



晩年、あの施設で穏やかに過ごせた母も、

きっと幸せだったと思う。



帰り際に、母が暮らしていた部屋に向かって合掌した。

そして、門へ向かっていると、厨房の係の方達がおふたり

目を赤くして、ばばの方を見ていたので

車から降りて、改めてお礼を言った。

車を運転しながらも、何故か涙が次々溢れ寂しさが増してきた。



もう一度、じじと一緒に、施設を訪ね職員さん達へも

きちんとお礼を述べてきたい思っている。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

お母さ〜〜ん

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


5月24日(日)雨

10日近く、ブログ更新が出来なかった。

少し、心が落ち着いたの、書いてみようと思い

パソコンに向かっている。



4月23日、母がお世話になっている施設から

「お母さん、食欲が無く、熱もあるので病院へ連れて行きますね」

と連絡があって、じじとばばも病院へ駆けつけた。

採血、いくつかの検査の後、点滴を受け、母は、そのまま入院となった。

入院後、主治医から「誤嚥性肺炎です」と説明を受けた。

一般病棟へ入院したが、母は目も開けず、食事も摂れず

点滴だけの日が続いた。

痰の吸引が何回も行われ、その度に母は全力で抵抗した。

そのため、両手をベッドに括り付けて

痰吸引や点滴が続けられた。

入院から約2週間後、症状は一向に改善せぬまま

夕方病院へ行くと、母は集中治療室へ移されていた。

手の拘束も解かれ、ただ穏やかに寝ているようだった。

痰の吸引も、あまり続けると呼吸停止に至ることもあると

説明されたが、それでもこまめにタンも吸引して下さった。

熱も上がったり、下がったり・・・・・

1日3回、30分ずつのお見舞いの時間には

じじ、ばば、ばば姉で毎日、母を見舞った。

いくら耳元で「お母さん、聞こえる?ばばだよ〜。目、開けて」

と呼びかけても、反応は一切無かった。

そういう中で、「延命措置」について主治医から聞かれ

「胃瘻」まではお願いすることを、家族全員、同意した。

5月15日には、病院の配慮で、母は個室に移された。

個室なら、面会時間に関係なく母の傍についていることができる。

夜はばばが泊まり込んだ。

入院から、ほぼ毎日、じじ妹夫婦や我が家の娘達には

母のその日の容態をメールで知らせていた。

集中治療室から個室へ移される時、

「ご家族で、ごゆっくりとお母様を見守ってあげて下さいね」と

看護士さんから声をかけられた。

個室で、母の体に付けられた器機の数字を見ながら一喜一憂した。

夜、一人で母に付き添った日は、真夜中に数値があまりに危険値になり

ばばひとりでは不安だったので、じじにすぐ連絡した。

じじも、すぐ駆けつけてくれ、ふたりで夜通し母を見守った。

母の体に付けられた器機の数値があまりにも異常値だったので

奄美市のじじ妹夫婦にも連絡した。

16日には、じじ妹夫婦も来てくれた。

17日、母の付き添いをじじ妹と、ばば姉に頼み

ばばは帰宅、夕食の準備をして、すぐ病院へ戻り

妹達と付き添いを交代した。

妹達が家に帰り、食事を済ませた頃、ははの容態が急変した。

すぐ、家に連絡し、じじ、妹、ばば姉も病院へ駆けつけた。

みんなが見守る中、母の呼吸が苦しそうになり

心拍数の数値が下がったり、上がったりを短い間隔で繰り返した。

時に数値が0になり、又40台になったり・・・・

妹が、母のベッド横へ行き「母ちゃん、頑張ってよ〜」と

声をかけながら、母の顔を両手で包み込むようにした。

その時、一瞬「ハァ〜〜〜」というような母の声が響いた。

次の瞬間、「母ちゃんの息が止まった!」と

悲鳴のような声で妹が言った。

しかし、ばばは「0になっても数秒後には又数値が戻る」

今までのパターンだと信じていた。

妹が「母ちゃん、呼吸していない」と言って、ワァ〜っと号泣した。

ばば達も、ベッド横に近づくと、さっきまでと違い

母の体は一切の動きを止めていた。

「お母さんが亡くなった!」と言う実感がこみ上げてきた。



「母ちゃん!、母ちゃん!」「お母さん、お母さん!」と

みんなで名前を呼び続けたが、母の体の何処も動いてはくれなかった。



当直の医師と看護師さんが駆けつけ、

5月17日、夜9時17分、母の臨終が告げられた。



それから怒濤の1週間が過ぎた。

この間のことは、明日から又少しずつ書いて、

記録に残しておきたいと思う。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ねじりハチマキして「頑張れ!」と言おうかな?

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


5月15日(金)曇

昨日から30度越えの徳之島。

今日も.お昼には30度を超え、湿度も60%。

蒸し暑い!



昨日の検診疲れか?

今朝はいつもより1時間位寝過ごしてしまった。

ばばが目覚めた時、じじはいつでもパソコンに向かっている。

今日も、朝からランニングのまま、パソコンに向かっている。

そして、「おっ、○○(我が家の長女)がアップしたぞ!」と言う。

寝起きのばばは、「ふぅ〜〜ん」とだけ言ってから

「何の事書いてるの?」と聞くと、

「S、今朝は自分で弁当作ったって」と言う。

Sは、この春から中学生になった、長女の長男。

じじとばばにとっては初孫。

男の子が自分で弁当作るって、偉いなと思いつつも

「へぇ〜、あのSが?」と思っていたら

「夕べ、弁当のことで、ちょっとした母子喧嘩をしたらしい。

それで、今朝、Sは自分で5時前に起きて

卵焼きを作ったりして弁当を作ったそうだ」と。

なるほど!

こりゃ、面白い。

と、じじが、急にタオルでねじりハチマキをした。

そして、「ヨッシャ〜!じじは、Sを応援するぞ!」だって。

Sには、甘い、甘いじじ。

その後、じじったら「じじも、自分で食事の準備位しなさい

と言われたらどうしよう・・・」だって。

ばばも、毎日でも言ってみたい台詞だわ!



でも、朝からパソコンを開くわけにはいかないので

朝食を終えてから、娘のフェイスブックを開けて見たら

写真付きで・・・・

娘が夕べ下拵えしてあったおかずを温めたり

自分で卵焼きを作ったりして、お弁当箱に詰めたらしい。

都会の中学生って、お昼のお弁当に、お味噌汁も持って行くんだね。

フムフム、卵焼きもちゃんと焼けているじゃない?

とか思いながら、ばばはニヤニヤした。

娘と孫の間に、何があったか分からないけれど

たまには、自分でお弁当を作ることで

子ども達も学ぶことが多いと思う。

さぁ、今後もSの弁当作りは続くのかな?



そう言えば・・・・

ばばの娘達、中学までは給食だったけど

高校生になって、弁当を持つようになったら

自分で作るようになったなぁ・・・・

そのきっかけは、長女が高校生になった時

ばばが、弁当に入れたリンゴがきっかけ。

リンゴって、普通「うさぎさん」の形にするよね。

ばばは、高校生になった娘の弁当に、その「リンゴのウサギさん」を入れたら

その日、娘が「明日からお弁当、自分で作るからね」って言ってくれた。

オォ〜〜〜ッ、よくぞ言ってくれた!

ばばは、娘のその一言をきっかけに弁当作りから解放された。

長女が自分で弁当作っているのを見てからか

妹達も遠足やの弁当も姉妹で一緒に作ったりしてくれたし、

高校3年間の弁当作りも自分でしてくれた。

仕事をしていた頃は、家族の中で一番先に家を出ていたばば。

ありがたかったよ〜。

ばばのように、親が少し抜けていると、

子どもが親を反面教師にして、ちゃんとしてくれるのかな?



そう言えば・・・

ばばも、高校生の3年間、兄の食事を作ったり

兄と自分の分の弁当作ったりしたんだよなぁ。

あの3年間の経験は、結婚してから意識はしなかったけど

色々役立ったと思う。

中学生になったばかりの孫、S。

これからも、自分で料理する機会を

どんどん増やして行ってくれたら良いなぁ〜。



ばばも、じじのようにねじりハチマキして

「S頑張れ!」って、言ってみようかな?

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

年に一度

by ばばの日記

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5月14日(木)晴れ

今夕の徳之島(我が家だけかな?)、室温29,6度。

暑〜〜〜い。



今日はね、1年ぶりに、ロングスカートを着た。

何故かって?

今日は、婦人科検診があって

「脱ぎ着しやすい服装で来て下さい」って

検診のお知らせに書いてあったから。

普段、チョコチョコ1日中動き回るばばだから

スカートなんか着ていたら、仕事にならず

いつも動きやすい服装をしている。

それなのに、年に1回の婦人科検診の時は

必ずロングスカートを着ていく。

「どのスカートを着ていこうかな?」と迷うまでも無く

毎年、同じ柔らかいデニム地のスカートと決めている。

上着は、何を着ていこう?

やはり脱ぎ着しやすいのは、前あきのシャツかな?

と、薄いブルーのシャツを着た。

上下、ブルーの濃淡の組み合わせ。

鏡の前に立ってみる。

正面から、横から自分の姿を確認する。

良かった!

今年もこのスカートが着れたと言うことは、

体型に変化が無かったということ・・・(^_^)ノ""""ヨシヨシ。

「じじ〜行ってくるね〜」と声をかける。



ばばを見て、「オッ!」とじじが声を出す。

やはり、スカートを着ると、いつもと違うなぁ・・・

なに、なに?

おしとやかに見えるって?

ばば、いつでも、おしとやかですけど、何か?

と、憎まれ口を叩きつつ、ばばは8時少し前に家を出た。



姉と合流し、検診会場の保健センターへ。

検診受付は8時半から9時までとなっている。

会場について、中を覗くと誰も見えない。

あれっ?もしかして1番と2番?と姉と顔を見合わす。

玄関へ行くと、なぁ〜んだ、もう数人先着者がいる。

受け付け番号を渡された。

ばばが11番、姉が12番。

奥のホールの方へ行き、問診票を書くように言われて書いた。

続々と、集まってくる。

検診開始の頃には90人近く集まっていたかな?

ほとんどの方がスカートを着ている。

受付が早かったので、検診はあっと言う間に番号が呼ばれ終わった。



婦人科検診って「痛い」「怖い」という気持ちが先行して

凄い力が入ってしまう。

検診の説明の時、「検査を迅速にスムーズにするため

細胞を去年までより多く取るので、痛みも強くなると思います」

と、言われたので受診前から、もうドキドキ。

ほんの数分間ずつの検診だったけど、力を入れすぎたのか

体中がドッと疲れた。

結果は、1ヶ月後位に通知があるそうだ。



7月になれば特定健診もある。

今日は8時前に出て、受付12番だったけど

特定健診では、男の方も来るから、人数がグッと多くなる。

だから、ばばは6時半頃家を出るよ。

受付は、やはり8時半頃からだけど。

そんなに早く行かなくても・・・と思うけど、毎年のことだから

もう、慣れちゃった。

歩いても行ける会場で、安くで、色々な検診が受けられることはありがたい。

毎年きちんと受けて、健康管理に努めなきゃね。



「健康が一番の宝」だものね。



9時半に検診は終わり、早々と帰宅出来た。

帰宅と同時に、ロングスカートとシャツを

ポロシャツと短パンに着替え、草花に肥料を与えたり

網戸掃除をしたり、いただいた大量の人参を洗ったり

掃除をしたり、ミニトマトの収穫をしたり、

家の中、外と、今日も、良く動いた1日でした〜。

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捻れたS字フック

by ばばの日記

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5月13日(水)快晴

やっぱり凄い!というか、怖い・・・・・

何がって?

昨日の台風6号。

ばばの周辺では、たいした被害も無く通過したので

ホッとして、庭掃除をしていたら

じじが、「やはり、風って怖い」と何やら持ってばばの側に来た。

手に持っていたのは、金属製のS字フック。

どこから持って来たかは、すぐに分かった。

我が家の車庫、鍵を開けてある時に

強風の日等、扉が閉まらないように、

ドアノブの部分にS字フックを引っかけている。

詳しく言うと、車庫を出たらスロープがあるので

そのスロープの鉄パイプ部分に、自転車に乗せた荷物などを括るための

頑丈な紐を巻き付けて固定し、

その端っこを輪にしてS字フックを引っかけている。

そのS字フックの反対側をドアノブ部分に引っかければ

普段外れることなんて、まず無い。

扉を開けてそのままの状態でも、閉まることは無いのだが

風がある時など、何かの拍子にしまったら危ないので

じじが考えてくれた、扉固定法。



まさか?今回、台風6号の風が、そのS字フックを

紐から引き離すほど強かったとは!

S字フックが外れ、バァ〜〜ンと扉が閉まった時の

瞬間的な力ってどの位だったんだろう?

考えると、鳥肌が立った。

更にビックリしたのは、紐から引き離されたS字部分が

けっこう伸びて捻れている。
S字フック

恐るべし!



そして、そして・・・夕方、いつもの魚屋さんに行くと

1日前まで紫色の花が満開だったデュランタ。
デュランタ

それが昨夕は、花が全て吹き落とされ、葉っぱも吹き枯らされ

何の花木か分からない位になっている。

凄いねぇ、風の力って。

ガックリしているところへ、ばばの中学時代の同級生男子M君が来た。

数ヶ月に1回位、このお店で会うことがあるが

会えば、気持ちは中学校時代に戻り

お互い、近況などとりとめも無い話をする。

話題は当然午前中の「台風6号話」になり・・・・

「被害は無かった?」とばばが聞くと

「畑にナスやピーマンを植え、小さな実が付いていたが

おそらく全滅だろう。見に行く気もしない」って悔しがっていた。

自家用に植えた野菜が吹き倒されたり枯らされたりして

これだけショックだから、大規模に野菜栽培をしている

農家の方々は、台風の度にどれだけハラハラすることだろう・・・



台風6号の後に、7号も発生していると言っていた。

進路が気になる。

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6号一過

by ばばの日記

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5月12日(火)台風?後曇り

良かった!

あんなに心配して、昨日から対策した台風6号。

「備えあれば憂い無し」と言うほどでもなく

無事通過してくれたようで、少し安心。

でも、まだ、外ではビュービュー風の音がする。

フェイスブックなど見ていると、

隣町では竜巻が発生し、電柱が倒れそうになっている画像が・・・・



台風6号、今回は明け方から午前中位まで風が強いかな?

と思っていた。

朝目覚めてみると、普段とそう変わらない。

いつもの時間に朝食を始めていると

一瞬停電。

しまった!パンをまだ1回分しか焼いていない。

でも、良いか、最悪、ガスコンロのグリルを使えば・・・・

と思っていたら、又パッと電気が点いた。

2回ほどほんの数分停電したが、

あとは電気も点いたままだし、ありがたい。

今は、もうお昼前だけど薄日さえ差している。



朝食後は、万が一のことを考え

野菜の下拵えをしたり、出来うる限りの作業をパパッと済ませて

後は、のんびり・・・・と朝のうちに一働き。

その後、庭へ出て花壇を見ると

昨日写真を撮った夜香木の小枝が折れていたり

花が無数に吹き落とされていたり
台風一過

キツネ花が吹き倒されていたり・・・・

大事なシソは吹き枯らされている。

50センチ位に成長したピーマンもナスもミツバまでも

地面に這いつくばっている・・・・

やっぱり、相当風は強かったんだね。

ばばは、昨日、自分でも「大丈夫かな?」という暴風対策を

2カ所にしてみた。

1カ所は、キツネ花に網カゴを被せて重しをして置いた。

もう1カ所は大きな植木鉢をシソ2本の上に被せて

やはり重しをして置いた。

本当はね、もっとたくさんの鉢やカゴがあれば

キツネ花とシソだけには全部被せたかったんだけど

合うサイズの鉢やカゴが無かったんだよね、残念!



つい、今し方庭の見回りをして、カゴを被せた2カ所を点検してみた。

カゴや鉢を被せたキツネ花とシソは昨日までと全く同じで無傷。

そのまま何の対策もしなかったシソは吹き枯らされて

台風が去ったら水をジャンジャンかけて葉っぱを洗い

新芽が出て来るのを待つしかない。

キツネ花も風が収まってから、水を掛けて洗って

支柱を立てようと思っている。

台風前にはわざと支柱を引き抜いておいた。

前後左右、風の吹くままに任せておいた方が良いのかなと思って。

本当は、昨日夕方防風ネットを買ってきて

野菜や大好きな花木には被せようと思っていた。

ホームセンターまで行ったけど、防風ネットの棚は見事に空っぽ。

1昨日で準備すれば良かったなぁ。

後悔先に立たず。

今度、防風ネットが入荷したら真っ先に買って来よう。

これから秋まで、何回、台風が襲来するか分からないもの。



台風や大雨の度、未だに学習することの多いばばです!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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