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by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


4月3日(土)天気 曇 室温 19.5 ℃ 湿度 62 % 


夢か現か????

今朝、布団の中で「コケコッコー」という鶏の鳴き声を聞いた。

亀津に住むようになってから、数十年にして初めてのことかも知れない。

ばばが子供の頃は、実家集落でも鶏を飼っている家は多く、

うるさいくらい鶏の鳴き声は聞いたが、最近、とんとなかった。


ばばが幼かった頃、鶏が「コケコッコー」と鳴くと

ばばも一緒に「コケコッコー、夜が明けた〜〜〜」と叫んでいた???(笑い)

鶏はコケコッコー、コケコッコーと同じように鳴いても、

ばばの耳には、2回目のコケコッコーは「夜が明けた〜〜〜」と聞こえた。


今朝のあの鶏、何処で鳴いていたのだろう?

ばばの隣近所で鶏を飼っているお宅を知らないけれど。。。。


鶏をばばの家でも飼っていた。

飼っているのは卵を産む雌鳥ばかり。

食糧難だった当時、鶏が産む卵は貴重な蛋白源だった。

一個の卵を家族で分け合うために、割りほぐしてお汁に入れた。

じじの家でも、一個の卵を半熟などにすると

父は、まず一口ずつ子供達に食べさせ、残りを自分が食べていたそうだ。

当時、何処も同じように貧しかったはずだけど、

心は今より豊かだったような気がする。


以前もブログに書いたことがあったけれど、ばばの小さい頃は貴重だった鶏卵。

ある日、近所の畑で一カ所にたくさんの卵が

まとめて産まれているのを見つけたばば。

畑と言っても、門を入った所にある小さな畑、今で言う家庭菜園かな?

ばばは夢中で卵を拾い集めたけれど、両手に抱えきれないほどの量だったので

スカートの前をたくし上げ、その中に卵を入れ大喜びで家に帰った。

立派な窃盗罪かな???

両親か、兄姉がいればきっと「元の場所に返してきなさい」と叱られただろうけど

幸か不幸か誰もいなかった。

ばばは、当時料理なんか出来る年齢ではなかったと思うが

なぜか、一個卵を割ってみた。

すると!!!!!

何とも言えない悪臭が・・・・・・・

そう、卵は腐っていたのだ。

今なら、水に浮かべて浮くか沈むかで卵の鮮度を見分けることも出来ただろうけど

当時のばばにそんな知識はなく・・・・・・

一個が腐っていても、次の卵は・・・・と卵10数個を割り続けたばば。」

なんとまぁ、見事全部腐っていた!!!!

あの悪臭に耐え、よくもまあ十数個の腐った卵を割り続けたばばの根性たるや!!!!!!


しばらく経って仕事から帰ってきた両親がビックリしたことは言うまでもない。

腐った卵を割った場所の土をクワで掬ってはゴミ捨て場?に運んだっけ。。。。


卵と言えば・・・・・

加計呂麻では、小学生が鶏を飼っていた。

生活かの学習の一環でもあったが、毎朝、水を換え餌は市販の飼料に

青菜などを細かく刻んだ物を混ぜ、水を少量加えて与えていた。

鶏はよく卵を産んだ。

鶏は複数羽いて、多い日には3〜4個の卵を集卵できた。

当時、児童数7名・職員数7名計14名。

4日も経てば全校児童職員数分の卵が貯まる。

そこで、主事さんがゆで卵など作って給食時に配ってくれた。

何とも思わず食べていたけれど、あの鶏は、たしか烏骨鶏だったかも。

烏骨鶏の卵って、一個500円もするんですって。

後日それを聞いて、ビックリ。

もっと味わって食べるべきだったなぁ〜〜〜。


もう一つ、卵の話。

5,6年前のことだけど・・・・・

お茶の時間にやはり主事さんが卵焼きを作ってくれた。

その卵焼きを作った卵とは?

ダチョウの卵だった。

ダチョウの卵って、とてつもなく大きいよね〜。

普通の卵の何個分くらいあるんだろう????

割るのも一苦労だとか聞いたような・・・・

その時は、卵の上の方に穴を開け、中身を出し

殻は、何か飾り物に加工すると言っていたなぁ。。。

卵焼きは美味しそうに出来上がったけれど、

あまりにも大きな卵を見てしまったせいか、

ばばはすっかり食欲を失ってしまって

結局食べなかった。

あの時食べておけばいい経験になったかも知れないけれど・・・・と

ふっと思うこともある・・・・・・・


鶏と卵のお話、おしまい!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

てるてる坊主、てる坊主、天気にしておくれ〜〜

by ばばの日記

カテゴリ : 新ばばの日記 &raquo; 思い出 執筆 : babachan --: ☆☆☆ ↑ 上のテーマ(題名)をクリックしてテーマのすべてを表示させてからご覧下さい☆☆   

3月4日(木)曇り時々晴れ

朝、我が家の下を賑やかな声が通りすぎた。

「あっ、亀津小学校、今日はお別れ遠足なんだ〜〜〜」と直感。

台所に立ったついでに窓を開けて外を覗くと

リュックを背に背に弾んだ足取りの小学生集団が通っていく。

行く先は「なごみの岬公園かな?」それとも「陸上競技場かな?」

ばばは勝手に想像しながら子供達の背中を見つめていた。

今日一日晴れるといいね・・・・・天気予報では昼から傘マークが出ていたなぁ。。。

今の子供達は色とりどりのリュックを背負い、可愛いキャラクター水筒を下げ

お気に入りのおやつに、カラフルな愛情たっぷりのお弁当・・・・・・・・。


遠足の日は、授業がないので、まず嬉しい。

友達といっぱい遊べるのが嬉しい。

おやつが思う存分食べられて嬉しい。


遠足の前日、てるてる坊主作った子いるのかな?


ばばが小学校の頃って、リュックあったかなぁ?

おやつも母手作りの芋天ぷらとか、黒砂糖だったような・・・・

お弁当は卵焼きに塩鯖の焼いたのに・・・

えぇ〜〜〜っと、あと何が入っていたんだろう?


低学年の頃は遠足の行き先は学校周辺の公園か(都会の公園とは大違い、遊具も何もないよ)

近くの海岸で決まりだったな・・・・

それでも「遠足」というだけで妙に嬉しかった。

学校からすぐ見える公園に行った時は、大きな柳の木に登って遊んだっけ・・・

お弁当の時間は、大事な大事なおむすびを一個転がしてしまって・・・


そうそう、隣集落の海岸まで行った時は、潮が引いていて小さなタコをいっぱい捕まえたよ。

お家で茹でて食べようと張り切って捕まえたよ。

でも、最後にちょっと大きなタコを見つけ捕まえようとしたら

タコがばばの手に噛み付いて・・・・・

その夜は魘されて、寝言で「憎たらしいぃ〜〜〜タコ!!!」

って叫んだって母が翌朝笑ってた。


また、反対側の集落の海岸に行った時は陶器製の水筒を割ってしまって

怖くて母に言えず、後で母からさんざん叱られた・・・・・

水筒を割ったことではなくて、のらりくらり言い逃れをしようとしたことで。

その時、母が「正直の頭に神宿る」って言ったこと、今でも忘れられない。


怒られるのは一時的に怖いけど、嘘をつき通す方がよっぽど心が重いもんね。


当時はおおらかな時代だったと思うけど、男の先生が「トリス?」とかいう

ウイスキーの小瓶を持って飲みながら歩いてた。。。。。

大分経ってから「トリス?」がウイスキーって分かったけど、

当時は全然意味が分からなかったよ。


自分が児童・生徒時代は遠足は楽しかったけど

大人になって子供を預かる立場になると、遠足も楽しみばかりではなかったな。

子供が遠足で事故にあったり、怪我でもすると大変だもの。

ばばが今でも忘れられないアクシデントもいくつかあったなぁ。

川遊びをしていて裸足で川に入った子が川底にあった割れた瓶を踏んでしまい

何針も縫う大けがをしてしまった・・・・

遊具でターザンごっこをしていて、綱から手を放して地上に落下、足を骨折・・・・

蜂の巣に近づいて、刺され・・・・・

何故か全身に発疹が・・・・等々。


絶えず、子供に目を配らなければならないけれど、

遠足となると学年もごっちゃになり、行動範囲も広くなるので大変で

遠足が終わると、くた〜〜〜っと疲れが出たものだ。


遠足の楽しみは、何と言ってもおやつとお弁当だけど、

おやつを食べ過ぎて、

お母さんが、きっと早起きして細々工夫して作ってくれたであろうお弁当は、

ほとんど手つかずの子もいたなぁ〜。

「帰ってからお弁当をおやつにする」んだって。


万が一、遠足に出かけた後、雨が降っても、おやつやお弁当を食べていれば

子供は納得するのよね。


退職して、今は遠足で家の下を通る子供達を見ながら

「怪我などしないで無事帰っていらっしゃいよ〜」と心の中でいのるばばだ。


ついさっき、ばば達が散歩に出かけようと準備していた時

また我が家の下の道路を、たくさんの小学生が賑やかにおしゃべりしながら

遠足から帰って来た。

そうっと窓を開けてみると、ちょうどばばの友人が子供達を引率して帰ってくるところだった。

ばばが二階から「パン、パン」と手を叩くと、友人は気付いてニコニコ笑いながら手を振った。


今にも降りそうな不安定な天気だったけど

子供達が帰るまで降り出さずに良かったね〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

一脚騒動

by ばばの日記

1月30日(土)晴れ

朝からじじが落ち着かない。

(どうしたんだろう?)・・・と思っていたら

朝食時「一脚がない」と言う。

毎日外へ出る時はビデオと一脚を持って出るのだが・・・・

じじは記憶を辿る・・・・・

一昨日は雨で撮影はしてない。

・・と言うことは昨日か、一昨々日に使ったはず・・・

記憶が定かでないので、PCの前に座り撮った画像を見ながら

「この日は一脚を使ってるから・・・うぅ〜〜〜ん、待てよ・・・」

「そうだ!昨日、朝ジョギング帰り病院に寄った時、

確かお腹の調子が悪くなってトイレに入った。。。

その時、確かバッグと一脚を外して・・・終わって手を洗った時

一脚だけ置き忘れたのかなあ〜〜」と言う。

あまり当てにはならないじじの記憶だけど、

昨日朝、病院までは一脚を持っていたと最終結論。

そこで、今日は朝食もそこそこに、再度、病院へ。

ついさっき、ジョギング帰りにも病院寄ったのにね。

父のベッド周りには何もなかったと言うし

きっと、トイレに置き忘れていた一脚を誰かが見つけて事務所に届けてあるかも。。

淡い期待を込めてバイクで病院へ向かったじじだが

30分ほどって帰ってきた。

手に一脚らしき物はない。

(やはり、なかったのか・・・・)

じじは「トイレでは昨日僕が使ったトイレに先客がいて

なかなか出てこないんだよ。けっきょく30分ぐらい新聞を読みながら

待って、トイレの中も覗いてみたけどなかったので

次に事務所に行き、一脚の忘れ物など届けられていなかったか聞いてみたがなくて

もう一度、父の病室まで行き隅々見たけどなかったと・・・・手ぶらで帰ってきた。

こうなれば、昨夕行った諸田池・町民グランドの遊歩道まで行って確かめてこようとじじ&ばば協議一決。

姉にも電話して一緒に行こうと・・・

朝から散歩なんてないので姉もビックリしたようだったが事情を話すと

「あれっ、昨日車を降りる時、じじは三脚しかなかったので一脚は?って聞いたら

車の中に入っているって答えたよ」と言う。

さすが、記憶力抜群の姉!頼りになりますっ!

・・・・と言うことは・・・・昨夕まで、じじは一脚を車に乗せていたっていうこと。

と、なると・・・・

諸田池で渡り鳥を写した時に一脚は傍らに置いて、

三脚でそのまま撮影し、帰る時に一脚は忘れたのかも・・・・って、結論。

さぁ!諸田池の畔めざし、じじの一脚探しのドライブにスタートだ!!!

続きは明日ね。。。。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

りんごと塩鯖

by ばばの日記

1月10日(日)曇り

昨日から家を1歩も出ない生活をしているばば。

夜中に咳が出るので、なるべく外気に当たらない方が良いだろうと・・・・

買い物は姉が一手に引き受けてくれ

じじの食事の準備も最低限に。。。。。ごめん!


ばば、子供の頃、病気になると嬉しかった。

学校は休めるし、普段は食べられない卵や塩鯖が食べられるし・・・・・

物の少なかった時代に幼少期を過ごしたじじとばばは

時々、幼かった日々のことについて話すことがある。

ばばが、今でも鮮やかに思い出すのは、S姉さんの鮮やかな手つきこと。

鮮やかな手つきで何をしたかって?

それはね・・・・・・・・・・

ばばが小学校低学年の頃なんて、調味料は量り売りだった。

あめ玉も一円で2個買えたよ。通称「五十銭飴」と言ってたけど、

今で言えばキャラメルのような色と形をしていたなぁ・・・・

そんな頃のある日、ばばは風邪か何かで学校を休んでいた。

すると、数件隣のS姉さんが遊びがてら家に寄ってくれ

お土産にりんごを持ってきたのだ。

すわっ、大事件です!

当時、りんごなんて見たことも食べたこともなかったもの・・・・・

S姉さんは、ばば母から包丁を借りると器用な手つきでクルクルりんごの皮をむき始めた。

細く細くつながって長くなるりんごの皮。

まるで,S姉さんがマジシャンに見えた。

その時食べたであろう、りんごの味は全然覚えていないが

S姉さんの鮮やかにりんごを剥く手つきと最後まで切れることなくつながった

りんごの皮の映像は何十年経ってもばばの脳裏から消えることがない。

ちょっと切ないなぁ・・・・・


次はじじの話。

じじも、幼い頃は病気になると嬉しかったそうだ。

「少しでも早く元気になってもらおう」と普段食べられない物も食べさせてもらえるから・・・・・

じじは、特に塩鯖が大好きだったそうだ。

今は、よっぽどのことがない限り、じじが塩鯖を食べることはないけれど、

あの塩加減はご飯が何杯でも食べられるのよね・・・・・

ある日、じじは風邪か何か病気で学校を休んだ。

すると、お母さんが昼ご飯は、塩鯖とご飯を枕元に持ってきてくれたそうだ。

じじは、熱があって学校を休んでいたにもかかわらず

塩鯖をおかずにご飯をどんぶりで7杯もお代わりして食べたそうな・・・・

これも切ないねぇ・・・・・


今は、食べたいと思えばほとんどの物はすぐ手に入る環境にいるじじとばば。

りんごも、産地からお取り寄せしてお腹一杯食べられるし

塩鯖も、すぐ手に入れて食べることが出来る。

だから、食に関しても「あれが食べたい!」という強い欲求はない。

「食べたい、食べたい」と長い間願い、やっと食することが出来た時の喜び

あの感動を、今の時代でも経験してみたいな・・・・・


とりあえず・・・・ばばが一番食べたい物って何?

うぅ〜〜ん、なあんにも思い浮かばない。



とりあえずは、明日こそ「100%元気ばば」復活して

じじの好きな野菜料理でも作りましょうか・・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

うさぎ追いし かの山 、こぶな釣りし かの川

by ばばの日記

12月18日(金)曇り

ばばが子供だった頃と今の子供たち、遊びも大きく様変わりしている。

どちらが遊び上手だっただろう?

一概には言えないと思うが、ばばは自分の子供だった頃が

いろいろな遊びを工夫していたと思う。


今のように塾もないし、学校から帰ったら家の手伝いのない日は

集会場に誰からともなく集まり男女、学年の隔たり無く

大勢で楽しく遊んだものだ。

遊びと言っても「缶蹴り」「陣取り」「縄跳び」等が主だった。

特に「缶蹴り」はひとりが缶詰などの空き缶を力一杯蹴って

鬼になった子がその缶を拾ってきて元の場所に置く間に

他の子はあちこちに隠れる。

木の上、近くの家の裏や床下など、鬼に見つからないように知恵を絞って

隠れたものだ。

鬼を交代して日暮れまで遊び続けた。

集落中を走り回って、それはそれは楽しかった。


家の近くでの遊びの他に、一升瓶などの空き瓶を持って田んぼへ行き

鶏の餌にバッタを瓶のいっぱい捕まえてきたり、

浜へ行って打ち上げられて延々と続くアサリか蛤の貝を拾ってきたり・・・・

どちらも鶏の餌だった。

鶏が殻のフニャフニャした卵を産む時は

「カルシュウム不足」と言って貝殻を拾いに行った。

拾ってきた貝を石で細かく砕いて鶏にあげると

本当に固い殻の卵を産むので、月に数回かの貝殻拾いもばばの大事な遊び兼仕事だった。


川や田んぼへ行っては小エビやフナ、タニシ、川貝等を捕った。

ばばの大好きな歌「ふるさと」の歌詞に

「うさぎ 追いし かの山  こぶな 釣りし かの川〜」という一節があるが

正にあの詞に詠われているような体験をしていたんだな〜〜。

山でうさぎを追いかけたことはないけれど。

徳之島にいるうさぎは天然記念物「アマミノクロウサギ」だろうね・・・・

最近はこの貴重なウサギが野良犬やハブ・マングースに食べられてしまったり

交通事故にあって死んだりすることが多いそうだ。


山と言ってもばばの記憶では果実や木の実を見つけるのを楽しみにしていたな〜。

男の子はメジロなどを捕まえに言ったりしただろうけど。。。

ばばが山に行くのは、薪取りか、山の近くの畑に植えてあった

パイナップルや芋の収穫の時が多かった。

パイナップルや芋の収穫の他にばばは、野イチゴ・椎の実・ゲェーマ、キノコを

見つけて採るのが楽しみだったなぁ〜〜。


時は移り、時代も変わりばばが遊んだ満々と水をたたえていた川は

水流は細く細くなり昔の面影はなく・・・・・

又川へ続く道は薪を採る人もなくなり草や木の枝が生い茂り

足を踏み入れるのさえ怖くなっている。

山も木がどんどん切られはげ山が多くなり

大雨が降ると赤土を川に、海に流す。


「うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川」の風景は今いずこ・・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「あなたが泣きなさい!」

by ばばの日記

9月22日(火)晴れ

子ども1・・・しゃがんで泣きじゃくる

子ども2・・・泣いている子の頭をなでなでする

これは、ばばが遙か昔、幼稚園児だった頃

「どんぐりころころ」を二人組になって踊った時、

「♪・・やっぱりお山が恋しいと 泣いてはドジョウ困らせた♪場面の動作。


これまでにも何回かブログにも書いたが、

ばばは仲良しのKちゃんとペアで踊った。

昔、参観日なんてあったか定かではないが

廊下にはお母さん達が見ていたような気もする

ところが・・・・・・・・・・・

いよいよ上記の場面になっても

二人とも「泣くのはイヤだ・・・」って譲らず

ついに泣く動作をしないかった。

そして、レコードは終わった・・・・・

ばばとKちゃん、先生に叱られたかな?

家に帰って母に叱られたかな?これも記憶にはないが

きっと、強情っぱりのばばが本当は泣く役だったかも知れない・・と今頃になって思う。

不思議なもので、この場面は今でも鮮やかに思い出せるし

「どんぐりころころ」の踊りも全部踊れる。


幼稚園児の意地の張り合いから数十年も経って、ばばはこの歌を

ずぅっと間違えて歌っていたことに気づいた。

小学1年生の音楽の教科書を見たのだ。

すると・・・・

「どんぐり ころころ どんぶりこ」と書いてあるではないか!!!

ばばは幼稚園児からずぅっと「どんぐりこ」って歌っていた。

何十年も経って間違いに気づくってあるんですねぇ〜〜〜。


ところで、今日、またまたばばは新事実を知ってしまった。

なんと!!!!!「どんぐり ころころ」には3番まで歌詞があるらしい。

ラジオを聞いていて生まれて初めて知った事実。

その歌詞って言うのがね、

 どんぐり ころころ 泣いてたら

 仲よし子リスが とんできて

 葉っぱに包んで おんぶして

 お山に つれて 帰ってった

・・・って。

ラジオを聞き終わって慌ててノートとペンを取ってきて早書きしたけど

今聞いたばかりなのにもかかわらず最後の方は合っているか自信がない。

全く、ばばったらぁ〜〜〜。

・・・と書いても、落ち込んでなんかいないよ。

だって、昨夕道でバッタリあった、ばばと同じ校区に住むHちゃん、

まだ40代だと思うんだけど

「自分の息子の名前、間違えて怒られちゃった〜〜〜」って。


さて、さて、ばばと幼稚園生の時「どんぐりころころ」を踊ったKちゃん、

今は鹿児島在住だけど、Kちゃんもあのことは覚えているかな?????

もう、40年近く、イヤ、それ以上もKちゃんとは会っていないかも。

今度会えたら、ぜひ「どんぐりころころ事件?」覚えているか確かめてみたい。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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