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01/15(金) 14:25
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01/14(木) 19:03
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01/13(水) 17:11
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01/09(土) 14:27
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方言禁止

by ばばの日記

1月15日(金)晴れ

朝の気温、11度。

昨日よりも寒いね。

お昼過ぎは16度、お日様も顔を覗かせて温かく、ほっこりした昼下がり。

ばばは、朝から「早く夏になればいいなあ」と言ってじじに笑われている。


そうそう、朝ご飯の時ばばが、

「どうして徳之島の人が標準語使えるようになったのかしら?」

と言うと、じじが「それは赤札のせい」と即答。

赤札とは・・・

もう何回もこのブログにも書いているが「方言禁止令」の罰札のこと。

ばばが幼稚園に入る前まではずぅっと方言を使っていた。

入園して、少し標準語も習った・・・というよりしぜんに憶え・・・・

でも、あの当時先輩たちは(幼稚園の先生や小学校の先生)

どのようにして標準語を習ったのだろう?

ひらがなで「ね」と「こ」を習い方言の「にゃう」を

標準語では「ねこ」というんだと憶えていったのかな???

テレビはなかった。

親子ラジオというのが我が家にはあった。

新聞も雑誌もなかった。

今考えても、どのようにして方言オンリーの生活から

標準語を覚えたのか?

学校では「校則」ではなかったと思うが

「方言は使わないようにしましょう」と突然言われ

うっかり方言を使ってしまったのが教師に分かったら

「私は方言をつかいました」と書かれた札を胸の前に下げられ

下校時まで下げさせられたような気がする・・・・

と言っても、自分が下げたかどうかは定かではない。

ただ、前日まで「あじゃ」、「あま」と呼んでいた両親を

「お父さん」「お母さん」と呼びましょうと先生に言われ

変な感じで照れながら「お父さん・お母さん」と呼んだのは憶えている。

また、家でもなるべく標準語を使おうと思ったのか、

もし、方言を使っていることが先生にばれたら叱られると思ったのか

「前川」という集落へ遊びに行くのに、いまなら「まえがわ」と素直に読むのに

当時は「ムェーゴォ???」(表記できない)と方言で言っていたが

これをどのように標準語に直そうかと苦慮。

前は・・・方言ではムェー

川は・・・方言ではコォーと言うので「前川」と方言で続けると「ムェーゴォ」と直訳。

「ムェーゴォに遊びに行きましょ」と友達を誘ったのは今でも忘れられない。


そう、そう先日ある方がこんなことを話した。

その方が出張で東京へ行ってホテルのフロントで宿泊手続きをしようとしていた時

携帯のベルが・・・

電話をかけてきたのは島のお母さんから。

お母さんが方言で話しかけてきたので、その方も

方言でペラペラペーラと方言で応対。

電話が終わって、チェックインしようとしたら、フロントの方が

「モア  スローリー」と言ったそうだ。

島の方言を聴いても都会の方はきっとどこか外国の言葉だと思うに違いないと

ばばも思うんだけど・・・・・・・。

それでも、ばばは島の方言大好き!


ばばが中学生の頃は生徒指導もとても厳しかった。

中学校で毎週月曜日だったか、全校集会の折、容疑検査があった。

当時は体育館はないので校庭で集会などしていた。

全員座らせ、それから「名札を付けてない者立ちなさい」

「ハンカチを持っていない者立ちなさい」

「爪の長い者立ちなさい」と言われ、全校生徒の前で立たされた。

ある日、ばばは爪が長いのに気付き、集会の前に必死に爪を歯で噛んだのを憶えている。

当時は教室に爪切りなどの備品はなかったし・・・・・



方言使用禁止や厳しかった容疑検査のことなど何十年経っても忘れることが出来ない。


じじとばばは、なるべく方言を使おうと思っているけれど

話そうとして、忘れてしまっている方言の多いことにビックリしてしまうことがよくある。

今は80歳、90歳代の方々でも生粋の方言だけをつかって生活している方はおられるだろうか?


ばばは、実家集落の先輩や同級生と方言で話すとホッとする。


今、ばばが拘っているのが「フー」のつく方言の言葉。

なぜ、「フー」に拘っているか?は、また後日。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

むかし、むかし・・・・

by ばばの日記

1月14日(木)曇り

何歳から「おじいさん・おばあさん」なんだろう・・・・

50歳代までは「おじさん・おばさん」かなぁ。。。。。。。。

ばばも、自分が初めて孫から「ばば」と呼ばれた時はビックリもし

「イヤだなぁ・・」とも思った・・・が、いつの間にか慣れてしまった。

孫が出来たから「おじいさん・おばあさん」って言うのかな?とも思うが

決してそうとばかりは言えないよね。

孫がいようが、いまいがある年代になれば

必然的に「おじいさん・おばあさんに」なってしまうのかな?

日本の昔話に出てくるおじいさん・おばあさんは

いずれも白髪で・・・・おじいさんは三角っぽい布帽子をかぶり・・・

おばあさんは着物を着て・・・・というイメージがあるが

今時のおじいさん、おばあさんは大分様変わりしているね。



さて、さて、前置きが長くなったが、今日はばばが知っている

おじいさん・おばあさんのことでも書きましょうかねぇ・・・・・・・


むかし、むかし・・・じゃなかった今現在

ある所にとても仲の良いおじいさんとおばあさんが暮らしていました。

おじいさんは機械いじりが好きで、今時ばやりのパソコンが大好きでした。

おばあさんは、これと言って好きなこともなく

買い物に行く以外は毎日ぐうたらぐうたら過ごしていました。

ある日、おばあさんが体調を崩し寝込んでしまいました。

2日経っても、4日経ってもなかなか元気になりません。

そこでおじいさんは仕方なく自分で買い物に行くことになりました。

買い物に行くついでに、ある所から請求書が届いていたので

その支払いもしてくると張り切って出かけました。

30分くらい経っておじいさんは笑いながら帰ってきました。

「まったく、もう・・・」と苦笑しながらね。

おじいさんは、おばあさんにことの顛末を話しました。

請求書が届いた所へ行きお金を払おうとしました。

しかし約9000円足りません。

仕方がないので有り金全部払い、不足分は又出直しますと・・・

そして。帰る途中、財布の中にはお金が無いにもかかわらず、

おじいさんは顔見知りのお店で600円分の買い物をしました。

勿論お金を払わずにね。

家に帰ったおじいさんは、おばあさんに

「600円小銭ない?」と聞いたのでおばあさんは財布の底をかき回して

百円硬貨を6枚渡しました。

600円もらったおじいさんは、さらに1万円札を数枚補充して

又出かけていきました。


しばらく経って、用事を済ませたおじいさんは帰ってきました。

そして、今度はこう言いました。

「600円分買い物をしたお店で百円玉を6枚出そうとしたら

寒さで手がかじかんでうまく出せず、おまけに硬貨が数枚どこかへ転がって

見つからなくなってしまった」と。

パニックになってしまったおじいさんは、仕方がないので

財布に入っていた1万円札で600円の支払いをし、お釣りをもらいました。

お店を出ようとすると、さっき転がった2枚の硬貨が入り口付近に落ちていたそうで

かじかむ手で拾って財布に入れました。

そして、家に帰ると600円の硬貨をそのままおばあさんに返しました。

どうして、おばあさんに返したのかは分かりません。

なぜなら、いつもおばあさんが同じ買い物をする時は

おばあさんが自分の財布から出します。

おじいさんは食料品でも、

買い物をする時は自分の財布からお金を出すものと信じ込んでいるのでしょうか?

同じ家で二人が食べるための買い物だから誰のお金で買っても良さそうなものを、

おばあさんが病気で寝込んでいる時は、おじいさんは律儀に自分お財布からお金を出して

食料品を買ってきます。

おばあさんは、毎日病気だったら、自分の財布からお金を出さなくて良いので

(小金持ちになれるかも。ずぅっと寝込もうかなあ)と邪心が出てきました。


でも、次の日の朝ご飯の時、牛乳をカップに入れて温めるのを

おじいさんは、1リットルのパック毎レンジに入れようとしました。

それを見ていたおばあさんは、

(やはり私がしっかりしなければ、じじはそのうちにビールの缶も

大根なども丸ごとレンジに入れるかもしれない)と思いました。

そう思うと不思議なもので、おばあさんは、みるみる体に力がみなぎって

シャキッとなり、飛び跳ねるくらい元気になりました。

そんなおばあさんを見て、おじいさんはとても幸せそうに微笑んでいました。

おじいさんの瞳にはキラキラお星様が輝いているようでした。

明日も明後日も、ずっと、ずぅっと、おじいさんとおばあさんは幸せに暮らすことでしょう。

めでたし、めでたし。はい、おしまい。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

アラレ降るかなぁ????

by ばばの日記

1月13日(水)

♪雪やこんこ あられや こんこ

 降っては降っては ずんずん積もる

 山も野原も わたぼうしかぶり

 枯れ木残らず 花が咲く♪



温暖化・・・・・とよく聞く言葉だが・・・・・・

確かに、島もだんだん温かくなってきているのかな・・・・

ばばが子供の頃は、冬になるとよくアラレが降った。

ばばが小学生の頃、ばばの家はまだ藁葺きの家だったので

アラレが降ってもトタン屋根の家のようにパラパラ音が聞こえることはなかった。

うんと寒い日、家の外を覗いて庭一面真っ白にアラレが降り積もっていたのを見た感動は忘れられない。

でも・・・雪のように降り積もって雪だるまが作れるわけでなし・・

見ている前で溶けていくアラレ・・・

アラレが降り出すと、外へ飛び出して手でアラレを受け

食べたりしたなぁ〜〜懐かしいなぁ〜〜。

最近はアラレが降るのは1月から2月にかけてほんの数回だ。


今日は南国鹿児島でも積雪が・・・とお昼のテレビで報道されていたが・・・・

確かに今日は寒い。

ばばの家でも小さな電気ストーブを付け

じじと二人、暖を取っている。


昼の3時前に台所で洗い物をしていると

「パラパラッ」という音が・・・・

ばばは、すぐに洗い物を止め玄関へ走っていった。

「もしや?・・・」と内心期待してね。

そして、縁側へ出てお隣の瓦屋根を見た。

うぅ〜〜ん、一粒個体のような物が落ちたような、落ちなかったような・・・・

じじもすぐに出てきて「アラレ降ってるの?」って。

「うぅ〜〜ん、分からない」

「今日は降ってもおかしくないよ。気温が10度くらいだもの」

と会話しつつ、室内へ戻ったが、今日、島ではアラレ降ったのかなあ????

山間部では降ったかも知れないな。


こんな寒い日でも、サトウキビの刈り取りなどで外仕事をしている人はたくさんいる。

本当にご苦労様。




ばばが子供の頃は今より頻繁にアラレが降っていたような気がするんだけど。

アラレが降る寒い日、お正月前に搗いたお餅をカンナで削って薄くしたり、

包丁で細かいさいの目切りにした物を火鉢の上で焼いて食べたっけ〜〜。

美味しかったなぁ〜〜。


ばばが子供の頃、ばばの実家集落は旧正月だった。

各家で豚をつぶし、一年間分の塩豚やアブラカスを作り

父が手作りで畳を新調し、これも家族で付いた伸し餅をカンナで削ったり

小さくアラレに切った物を炭火火鉢に置いた網の上で焼いて・・・・

家族全員で百人一首をしたっけ・・・

母が謡うように詠み上げると、家族全員が1枚の札を探して

みんなの頭が円陣の真ん中でくっつくくらいになったっけ〜。

その時、母がが百人一首の解説をしてくれたが

今となってはほとんど憶えてはいない。

でも、家族がひとまとまりになった、あの幸せな時間は忘れられない。



今年の初アラレ、いつ見えるかな?

地面の落ちてすぅっと消えていくアラレ。


ばばが仕事をしていた頃、低学年の子供たちは

「雪が降ればいいのになぁ・・・」とよく言っていた。


ばばが本物の雪を見たのは鹿児島での学生時代。

雪が降ると、昼休みなど屋上に上がって雪だるまを作ったり

雪合戦の真似をしていた。

そういうことをしたのは、雪を初めて見る奄美出身の学生だけだった。


アラレも雪も「珍し物見たさ」であこがれる分には良いけれど

実際に長い期間雪の中で暮らす人たちからみれば・・・・・・

いろいろな物にはプラスとマイナスがあるよね。


今日は「寒い!」ということでアラレのことなど

とりとめもなく書いてしまったなぁ・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

Sおばちゃん

by ばばの日記

1月12日(火)雨時々曇り

ばばが毎日通うお店で顔を合わせるおばあちゃんがいた。

いた・・・と過去形で書いたのは、最近とんとおばあちゃんの姿を見かけなくなったからだ。

最後におばあちゃんと会って、もう何ヶ月が過ぎただろう・・・・・

ばばは、自分が物心つく頃、既に祖父母はいなかったので

おじいちゃん、おばあちゃんのいる友達がとてもうらやましかった。

だから、大人になってからもおじいちゃん、おばあちゃんには

特に親しみを感じるのかも知れないが

自分がおばあちゃんと呼ばれる年齢になった今でも

おじいちゃん、おばあちゃんが大好きだ。


幼い日、おじいちゃんや、おばあちゃんと手をつないで歩きたかった・・・・・

いろいろな話を聞きたかった・・・が、叶わなかった。

だから、初めて就職して下宿した家のおばあちゃん(当時70代後半)とは

夕方など、よく手をつないで海岸を散歩したりした。

又、在職中も家庭訪問などで仲良くなったおばあちゃんとは約20年来交流が続いている。

単身赴任で3年間過ごした加計呂麻には、

おばあちゃん友達がたくさんいて交流が続いている。


ばばが、よく通うお店でSおばちゃんと初めて会ったのは約2年前。

ばばはじじ母と同年代くらいかな?と思っていたが、話を聞くとまだ70歳後半だった。

若い頃から苦労されたのだろう、背中は曲がり、顔も日に焼けていた。

いつも帽子をかぶり、手押し車を押して買い物に来ていた。

じじの両親のことなどもよく知っていて、お宅はばばの買い物コースの通り道にあった。

いつの間にか,Sおばちゃんの買い物が済むのを待って

おばちゃんの横に寄り添うような形でお話をしながら帰るのがばばの楽しみになった。

おばあちゃんは、道路を渡る時など前後を確かめないので、

ばばが運転手さんに「ごめんなさい、ちょっと待って下さいね」

と言うように会釈と身振りでお願いしつつ横断していた。

また、店へ行く時間がずれた時などは、出会うと必ず

「Sおばちゃ〜〜ん」と駆け寄って握手をするのが習慣になっていた。

おばちゃんの手は大きくて、いつも温かかった。


おばちゃんは「暑さに弱い」と言うことで真夏は体調を崩しやすく

夕方も遅くなってからしかお店に来なかったが

10月、11月になって涼しくなってもおばちゃんの姿を見ることがなくなった。

おばちゃんのことが気になり、お店の方に聞くと

やはり体調を崩して、病院へ行って点滴を打ってもらったりしているという。

最近は、外へ出ることもほとんどないとか・・・・


10月頃からついに新年を迎えてもおばちゃんの姿を見かけない。

代わりに・・・と言おうか、おばちゃんの息子さんと

たまにお店で顔を合わせるようになった。

すらっと背が高く、人当たりも良い好青年である。

年は40歳前後くらいだろうか?

「お母さんの具合はどうですか?」と声をかけたことから

短い会話をするようになった。

やはり、おばちゃんは体調がすぐれず、家事全般を息子さんがこなしているようだった。


お店の方がいつも話す。

「本当に感心な子だよ。あの子がいるから、どれだけSおばちゃんは助かっているか・・・・

お母さんが具合が悪いと言えばすぐ病院にも連れて行くし

買い物にも付いていくし、家事全般こなすし。。。

本当に今時の青年にしては珍しいくらい良くできた子だよ」・・・と。


ばばも、いつもそう思って息子さんを見ていた。


すると、昨日、又一つ、息子さんの素晴らしいことを聞いた。

じじは、ここ数年、毎朝海岸までジョギングするのが日課になっているが

その行き帰りによくこの息子さんを見かけるという。

じじが見かける時、この息子さんはいつも、ある公共施設の掃除をしているそうだ。

ばばも、昼前など近くを通る時に見かけたことがあるが、

毎朝のように公共施設の周りのゴミを拾ったり草を抜いたりしているという。

なんて偉いんでしょう!


親を大事にし、尚かつボランティアで公共施設の周りの掃除をする。

簡単なようでなかなか出来るものではない。

Sおばちゃんの子育てが良かったんだね、きっと。


ばばは、ますますSおばちゃんが好きになった。

早く元気になって桜の花が咲く3月頃には又会えると良いね、おばちゃん!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

成人式など・・・・・

by ばばの日記

1月11日(月)小春日和

ただ今(14時12分)の室温、約23度。

ポカポカ良い天気。

一日中布団に潜っていた昨日とは変わり

ばばも朝から起き出して・・・・・

こんな陽気の日にはおむすびでも持って近場へピクニックでもしたい気分。

でも「用心、用心、ご用心」とじじの仰せの通り

家の中であれやこれやして過ごしているばばだ。

今日は、暦では成人式。

しかし、この日に成人式をしない所も多いのでは?

ばばの住む島でも、成人式は去る5日に行われた。

ばば家の3姉妹が成人した頃も1月15日の成人式当日ではなく

早めに行われていたと記憶している。

成人式と言えば、女の子は前日夜から美容室へ行き

着付けや髪の毛を整え、翌日は写真館へ行き順番待ちで記念写真を撮り

その後、式典に参加するのだったが主役たちは寝不足で大変だっただろうなと思う。

最近は前もって晴れ着で記念撮影などしておく人も多いようだ。

式典も昼の2時頃から行われるようだし・・・・・・・

いろいろな行事も時の移り変わりと共に変わっていくんだね〜。



そう言えば、ばばは成人式に参加していないのよ〜。

二十歳の時は学生で鹿児島市にいたが、他の友人には成人式の案内がきたのに

どういう訳かばばにだけ葉書が届かなかった。

友人たちは当日おしゃれして式典に出かけ、紅白のお饅頭など頂いてきたが

ばばは、なぁんにも〜。

今なら、友人の後からついて行き、会場の係の人に事情を説明し

ちゃっかり式典に参加するかも知れないが当時はそんなことにさえ気が回らなかった。

子供だったんだな〜。


19歳までだった昨日までと、成人式を迎えたからと言って

目に見えて変わることは何もないけれど、

やはり色々自覚するのかな?

新成人の子たちに聞いてみたい気もする。



子供の成長過程での大きな節目と言うことで

成人式を迎える子がいる家庭の当日の夜は接客に多忙を極める。

お祝いに来て下さる方々にお酒やお吸い物、ご馳走を準備し

お祝いされる当人もお客様にお酌をしたり・・・・その夜は遅くまで頑張る。

女の子は、ほぼ半日、髪の毛を結い、着慣れぬ晴れ着を着ての接客、

大変だろうな。


そうそう、ばばの家の近くでは成人式のあった日の真夜中の12時になると

新成人が「ワイド!ワイド!」とかけ声?をかけながら

通り抜けるの。(走り抜ける???)

今年も、あったけど、あの一団はどこを出発し

どこを目指して「ワイド!ワイド!」と進んでいくのだろう・

ちょうど、ばばの家の真下を南から北へと一団は通って行くが。。。。。。。


今年成人を迎えた人たちに「日本の未来は?」と聞いたら

「暗い」と答え、「あなたの未来は?」と聞いたら「明るい」と答えたそうだ。

何かお気楽な気がするのはばばだけ〜?


さて、今年はどんな年になるのやら、お正月から10日も経ってから

ばばは考えている・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

風邪

by ばばの日記

1月9日(土)曇り

鼻水タラタラ、そのうちタラ〜〜ン。

そして咳がコン、コン、コンコンコン。

夜、布団に入ってからが咳はひどくなり・・・・・・・

じじの安眠妨害にならないかと気を遣いつつ、

それでも咳はいっこうに収まらない。

仕事をしていたときは、どんなに咳き込んでも職場へ行ったが

今は家の中で、やらなければならない最低限のことをやるだけなので気は楽。


去年は風邪引くこともなく1年を過ごした・・・・・(と思っている)

ところが、今年は娘たちが帰ってしまった翌日から、ちょっと変。

初散歩して、山の中を歩いている間は何ともなく

住宅街へ下りた途端に鼻水がタラ〜〜〜。

そのうち、マスクの中に鼻水が・・・・・・

こんな短時間に風邪?ってひく????って感じで

風邪をひいたらしい。


ばばの風邪と言えば咳はつきもの。

横隔膜が痛くなるほど咳が続いたものだが、

今回は寝込むほどではなく熱も上がらず、昼間は咳しながらも普通に過ごし

夜になると咳がひどくなり不眠症。。。。

風邪って全身疲れるけれど、そこまではない。


生姜湯を飲み、葛根湯を飲み、うがいをし、

のどヌールスプレーをシュッシュッ、マスクをし・・・・・・

早く治さなくちゃ。。。。。


早く元気溌剌ばばにならなくちゃ。

やはり、家庭の中は女の人が元気でなくちゃね!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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