カウンター(Since 2009.8.3〜)
カウンター カウンター
徳之島じじとばばのブログへようこそ! ここは、モバイル・携帯アクセス兼用サイトです。








RSS

Ringworld
RingBlog v3.20h

ようこそ!お越しいただきまして有り難うございます。     このサイトはモバイルアクセス用として誕生しました。     動画再生にはWin Media Playerが必要です。      どうぞ ごゆっくりご覧下さい!  当サイトはリンクフリーです。管理者へ許可を得る必要はありません。
<< 日常生活 - 2010年3月の記事 >>
03/16(火) 12:10
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
03/15(月) 20:15
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
03/14(日) 15:20
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
03/12(金) 22:26
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
03/09(火) 18:50
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
03/08(月) 23:03
画像ファイルはありません 添付ファイルはありません
>>このカテゴリーの記事一覧

by ばばの日記

3月16日(火)小雨時々曇り

最近、雨の日が多い・・・

ここ数年、特に気になるんだけど、雨が降っているのに

傘を差さずに登下校する子供達がいることだ。

登下校でなくても、傘を差さずに歩いている子をよく見かける。


過日、とても寒い上に雨も降っていた日に見かけた光景。

ばばがホームセンターに向かっていた時、

小学校低学年くらいの男の子が二人歩いて来るのと行き合った。

小雨が降っているのに、二人は傘を差していない。

長袖のトレーナーを二人とも着ていたが、

袖から両腕を抜いて胸の前辺りで組んで寒そうに前屈みで歩いているのだ。

たまたま、この二人が家を出た時は雨が降っていなくて

傘を持たずにどこかへ遊びに行き、帰る時に雨が降り出したのだろうか?

寒いからと上着の袖から腕を抜き、胸の前で組んで歩いている子を初めて見たばば。

ちょっとビックリしたなぁ。

自分の肌で直接両手を温めていたのだろうか?


雨の日、中学生や高校生も傘を差さずに歩いている子を見かける。

土砂降りではないけれど、けっこう降っている時でも傘無し。

オイオイ、ずぶ濡れで登校して一日勉強できるの?

ばばなんて、先日の散歩帰り、急に雨が降り出したもんだから

必死に雨宿りの場所を探したよ。

なかなか雨をしのげる場所が見つからないので、着ていたパーカーを脱いで

頭からかぶって走ったよ。

ここが若者とばばの違い???かな?

あっ、そうそう、その時はね、ばば達が走り込もうとした軒先に

下校途中の男子中学生3名が一瞬早く入ったの。

だから、ばば達は他の場所を探すか、一刻も早く家へたどり着こうと

濡れながら必死に先を急いだんだったよ〜。

あの時の3名の中学生は、ばばから見たらごくごくまともだったな〜〜。

何がって?彼らの行動が。

普通は雨が降ったら濡れたくないし、鞄などぬらしたくないと思うはずなのに

最近は、考え方が違ってきているのかな?


昨日朝、ばばが用事で出かけた時も、

降っているか降っていないか分からない程度の小雨が降ってたよ。

ばばは、傘を差して家を出たんだけど

ばば宅の階段を降りた所で会った女子高生は傘を持っているにも関わらず

傘は閉じたままだったなぁ。


雨の日、小学生は傘をしている子が多いような気がするけれど

中高生は傘を差していない子もけっこういる。

いや、中高生だけでなく小学生もかな?

だって、昨日夕方ばばがパンを買いに行った時、

コンビニの近くを小学校低学年くらいの女の子が二人、

雨の中で追いかけっこをしながら走っていたよ。

可愛い洋服がびしょ濡れだった。

雨に濡れること、何とも思わないのかな?現代っ子は・・・・・


ばばが仕事をしていた頃、

雨天の日、低学年は保護者が車で迎えに来る子も多かった。

でも・・・仕事をしている保護者は迎えに来れないよね。

そういう子たちは、雨が小降りになるまで教室や図書室で過ごしていた。

考えてみれば我が三姉妹が通学していた頃

じじとばばは仕事で、雨が降ろうが、台風だろうが

娘達を迎えに行くことは出来なかった。

幸い家から学校は近いけれど、突然の土砂降りの日などは

びしょ濡れで帰っていただろうなぁ。。。


ばばが小学生の頃、雨の日など親が学校へ迎えに来るということはなかった。

でも、強烈な印象に残る出来事がある。

ばばが小学校3年生の時のこと。

そろそろ下校時刻も迫る頃、急に大雨が降り出した。

屋根や雨に打ち付ける雨の音がうるさく先生の声が聞きづらいほどだった。

ばばは、廊下側の後ろの方の座席だったが

突然廊下に男の人が立った。

シュロの葉で作ったタニシと似た形の笠をかぶり

同じくシュロで作ったミノを着た男の人が。。。。。

当時はレインコートとか合羽等というしゃれた物はなく

雨天時の農作業の時はほとんどの人が着用していたシュロ製の笠とミノ。

男の人に気付いた先生が廊下へ出て男の人から何か受け取って

K君に渡した。

その時渡したのが、雨傘だったのか、

お父さんが持ってきてくれた物を受け取ったK君が、

どんな表情をしたかまでは記憶にないが、この日の出来事はばばに強烈な印象を残した。


まず、K君のお父さんが「ミノ&シュロ笠」で突然廊下に立ち

「センセ〜〜イ」と妙なアクセントで担任を呼び

(きっと)雨具を渡した。


たったこれだけの出来事なのに、なぜか半世紀たっても忘れることが出来ない。

なぜだろう? なぜだろう?
babachanさんのブログを読む コメント (0) トラックバック (0) 閲覧 (0)

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ビシャッ

by ばばの日記

3月15日(月)曇り時々雨

夕方、5時をまわってから、今にも降り出しそうな中、姉と二人で傘を持って病院へ行った。

病院へ行く時は、いつも(今日は、お父さん返事してくれるかなぁ〜〜)と

微かな期待を抱きながら歩く。

でも、最近は呼びかけても返事してくれることはほとんど無い。

それでも手を握って「お父さん、ばばちゃんと姉ちゃん来たよ〜」と呼びかけると

日によっては痛いぐらいに「ギュッ」っと握り返してくれる。

目は開けなくても、返事はしなくても、力強く握り返すことが

父の精一杯の返事だと思っている。

だから、、毎日、一回でも二回でも顔を出したいと思っている。

今日はばばが左手、姉が右手を握って「お父さ〜〜ん」と呼びかけると

痛いぐらいに握り返した父。

こんなに力が残っていたのか・・・と姉と二人してビックリした。

今日は3,40分ほど病院で過ごして帰った。


病院の玄関へ行くと、予想した通り雨が降り出していた。

(傘を持ってきて良かった〜)

ばば達と一緒に階段を降りた、どこかのおばさんは

「あらぁ〜〜〜雨降ってるねぇ」と呟きながら傘がないので帰れないらしい。

おばさんの声を背中で聞きながら歩き出した姉とばば。

雨は前方から叩き付けるように降る。

傘を前に倒して少しでも雨を避けようとするが

いかんせん、傘が小さすぎて肩や背中に雨粒が当たる。

靴も、スラックスのの裾もビショビショ。

車はライトを付けて前からも後ろからも走ってくる。

「ウワァ〜〜ッ」ばばは思わず声を出してしまった。

前から走ってきた車が思いっきりばばに泥水を跳ね上げたのだ。

「ウワッ、ウワッ、ウワ〜〜〜」と言いながら思いっきり端っこに寄る。

車に泥水をかけられるなんて、何年ぶりのことだろう?

あまりに車の往来が激しいので姉が「裏道を歩こう」と提案。

ところが・・・車こそ通らないものの裏道は大きな水たまりがいっぱい。

何とか水の少ない場所を選んでつま先でヒョイヒョイ歩くけれど

そんなことしたって、なんお助けにもならず結局は二人ともずぶ濡れ。


ばばと姉は(何とか濡れまい)と雨の中歩いたけれど

最近の中高生って、雨の日でも傘を差さずに平気で歩いている子がけっこういてビックリする。

やはり世代の違いなのかなぁ〜〜〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

善意・感謝

by ばばの日記

3月14日(日)曇り風強

一昨日、お隣のおじちゃんが突然亡くなり

今日まで仮通夜・お通夜・告別式と続き、「斎場まで・・」と

声をかけていただいたが、失礼して一旦帰宅した。

今夕の船でおじちゃんの生まれ故郷へ発たれるとのことなので

夕方、また港へ見送りに行くつもりだ。


今回は、姉と一緒にささやかなお手伝いをしているが

姉は、別にお隣さんでもないし親戚というわけでもない。

でも、姉は「Y姉さんの代わりと思って出来るだけのことはしたい」と

お手伝いに参加している。



姉に詳しく話を聞いた。

Y姉さんとは姉の嫁ぎ先の縁戚で数年前に80歳代で亡くなられた。

そのお姉さんと、今回亡くなられたばばの隣のおじちゃんご夫婦には

「人間の善意」「感謝」という言葉がピッタリするような

エピソードがあったのだ。


Y姉さんの実家はばばと同じ集落。

Y姉さんが4,50歳代のことだったろうか。

Y姉さんは車の運転が出来ないので、用事があって亀津へバスで出てきた。



そして、全ての用事を済ませ、ばば宅近くのバス停留所からバスに乗って帰宅した。

ところが,Y姉さんは重大な忘れ物をしてしまっていた。

何と、お財布や印鑑のような重要な物一切合切入れたバッグをバス停に忘れたらしいのだ。

探しに行こうにもバスは1時間に一本。

バスで片道30分近くはかかる。

その間にバッグは誰かに拾われる可能性が高い。

だって、忘れたバス停があるのは人通りも多い中央通りだったから・・・・

きっと頭が真っ白になったことだろうY姉さんのもとへ

その時一本の電話が・・・・・

「あなたのバッグをお預かりしています」と。

その電話をして下さったのが、今回亡くなられたおじちゃんの奥様。

電話を受けた時のY姉さんの心中は容易に察することが出来る。


それ以来、Y姉さんは今回亡くなられたおじちゃん・

そして、おばちゃんを恩人として感謝の気持ちを持ち続けられたそうだ。

ヘアーカットにもわざわざバスに乗って亀津まで出て来て

又、別の用事で近くまで出てきた時も必ず顔を出すようにしていたそうだ。

交流は何十年も続いたがY姉さんは数年前亡くなられた。


こういう経緯があってY姉さんと縁戚になるばば姉は

「Y姉さんの代わりに出来るだけのことをしたい」と。。。。。


このエピソードは、ばばにもいろいろなことを教えてくれている気がする。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

あまりに突然の・・・・

by ばばの日記

3月12日(金)晴れ

今日は最近で一番天気が良かった。


用事で空港まで行き、帰りには実家により庭の手入れをしたり

まだ木に残っていた「タジバナ」「温習ミカン」2種類のミカンを採ったりしてきた。

小さい頃は「木登り名人」だったばばも、今はなかなか木に登る機会はなく

ミカンを採るのも長い棒で突いて落としたり

ビールケースに乗って刈り込み挟みで切り取ったり。

それでも、けっこうな量のミカンが採れた。

母へ一番のお土産だ。


帰りがけにはお墓に寄った。

明日は、ばばが大好きだった父の18回目の命日なので。

ついでに、いつも行く4カ所のお墓を回って帰ってきた。


朝10時過ぎに家を出て、帰り着いたのは4時過ぎ。

家に上がる前に、両親宅の家庭菜園があまりに草が茂っていたので

母には内緒で、姉と二人草抜きをした。

草を抜いていると、お隣の葬儀屋さんがスーツ姿で通りかかったので

「どこかお弔いが出たのですか?」と聞くと

「散髪屋のおじちゃんが・・・」と。


え〜〜〜っ、まさか!!!!とても信じられない訃報だった。

だって、昨日、じじはお世話になったばかりだよ。

たまたま、おじちゃんはちょっと具合が悪くて

おばちゃんがじじの髪を整えてくれたらしいが・・・・

次は、おじちゃんが散髪してあげると約束してくれたというのに・・・・・


お隣ご近所なのに全然知らなかった。

実家からの帰りに、お宅の前を通って帰ってきたのに・・・・

たまたま草抜きをしていて葬儀屋さんと会ったから分かったものの

そうでなければ、明日まで分からず不義理をするところだった。


おじちゃんはとても温厚な方で丁寧なお仕事をされる方だった。

特に、じじの散髪は2時間くらいかけて綺麗に整えてくれていた。

じじは散髪屋さんと言えば、このおじちゃんと言うくらい

若い頃から、ずぅっとお世話になっていたのに・・・・


おじちゃんは、今朝も普段と変わりなく

お昼過ぎにちょっと具合が悪くなり、お医者さんが駆けつけて下さり診て下さったそうだ。

それで落ち着かれたが、しばらくして、また具合が悪くなり、そのまま・・・・とのことだった。

おじちゃんご本人は勿論、ご家族にとっても全く予想しなかったことだったろう。

何てあっけないんだろう・・・

色々考えながら胸が詰まる思いだった。


夕食後、仮通夜に行ってきた。

おじちゃんは顔色こそ青白かったものの、

呼びかければすぐにも起き出しそうな、普段通りの温厚なお顔で休まれていた。


最近、お弔いがとても多い。

それだけ、ばばが年を取ったということだろう。

いつ、悲しい別れは突然にやってくるかも知れない。

そう思えば、周囲の方々や家族をもっともっと大事にし

愛情を持って接していかなけれ・・・と強く思った。


おじちゃんのご冥福をお祈り致します。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

DNA・ヘニャパン他

by ばばの日記

3月9日(火)小雨

「二度寝が出来る人」と「出来ない人」がいるらしい。

ばばは「二度寝」でも「三度寝」でも「何度寝」でもOK。

じじは、ほぼ毎日ばばより遅く(12時過ぎ以降)寝るのに

朝は5時過ぎ頃には起きる。

ばばは・・・と言うと、じじより先に寝たにもかかわらず

まず、じじより先に起きたことは、ほぼ皆無。

じじがあまりに早く起き出すので「何でそんなに早く起きるの?」と聞くと

「一度目覚めたら、眠れないから、さっさと起きた方が良い」んだって。

早起きはばばの家系のDNAらしい。

両親も早起きだったし、年に何回か帰省するじじ妹も早起きだ。

ばばも、両親は早起きだったけど・・・・

単純に、ばばが「ぐうたら寝ぼすけ」ってことなのね。


さだまさしさんの「亭主関白」という歌の歌詞に

「♪僕より先に寝てはいけない 僕より後に起きてはいけない♪・・・・・」

というような一節があったと思うが

ばばは、完全に失格だなあ〜。

ばばも、毎朝さっと起き出せば、一日をもっと有効に使えるのに

たくさんの時間をロスしているのかもね。

限りある時間、もったいない、もったいない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昼ご飯の後、定番のパンを買いに行った。

このパンは焼き上がるのがだいたい12時30分頃なので

あまり早く行っても焼きたてでパンが柔らかすぎ、うまく切れないこともあるので

だいたい1時30分前後に行くことにしている。

2時に行って売り切れていて涙をのんだこともあるので

パンを買いに行くのは、ばばにとって真剣勝負なのだ。

今日は、1時30分過ぎに家を出たが、家を出てすぐ渋滞・・・・

何で????

今日は公立高校の入試。

だから、ばばの家の近くにある徳之島高校の周囲には受験者関係(保護者かな?)の

車が右にも左にも駐車している。だから、車がうまく通れないのだ。

止まったり進んだりしながら渋滞?を抜け一路コンビニへ。

幸いパンはまだ6個残っていたが・・・・・

トレイとトングを持ってパンを前まで行ってガァ〜〜ン。

6個のパンのうち半分くらいがグニャリとへたって、

自力では立っておれないような状態。アララララ〜〜。

何とか一番良い状態の物を、一個選んだけれど・・・・・

レジへ行って、顔見知りの店員さんに

「今日はパンが大変なことになっていますね」と話しかけると

店員さんは「?????」という顔をしてパンコーナーへ行き

特にヘニャヘニャになったパン3個をトレイに乗せ奥の焼き場へ持って行った。

天気や、温度、湿度の微妙な変化でイースト菌の発酵状態も違い

パンの焼き上がりにも差が出るらしい。

同じ食パンでも、やけに膨らんでいる時もあれば

カッチリと小さくまとまっている時もある。

パン焼き職人さんも大変ですね〜。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝10時前、台所付近がやけにうるさかった。

鳥が鳴いてる!うるさいくらい鳴いてる。

おしゃべりしてるのかな?

「朝ご飯食べた?」「今日も雨だねぇ、嫌だなあ・・・」

「どこか美味しい木の実のある所知らない?」

「この家の玄関に赤い実がたくさん付いてる木があるよ」

「今日は、どこへ行って何して遊ぼうか?」

・・・などとでも話しているのかな?

何の鳥??

じじがビデオを持って走ってきた。

音声だけでも録りたいと。

声は窓の外?レンジフードの中?そこ、かしこから聞こえてくる。

レンジフードの中から聞こえると言うことは?

今、火を使ったら大変なことになる・・・

台所のドアを開けたら鳴いてる鳥の正体が分かるかな?

複数羽いることは確かだけど、窓を開けたら、その途端逃げてしまうだろうな?

でも、開けたい・・・・開けたら逃げられる。。。。。

しばらくジィッとしていたが、そのうちじじが、ほんの数センチ窓を開けた途端

鳴き声はぱたっと止んだ。

じじが言うには「ヒヨドリ」だそうだが、最近我が家によく小鳥が来る。

シジュウカラが洗濯機の近くのすだれに逆さに留まっていたり

ヒヨドリが万両の実を啄みに来るし

スズメなんか、しょっちゅうやって来る。

今朝、市外電話がかかって来てばばが応対している間に

隣の家の煙突近くに赤っぽい小鳥が留まり、気になりながら話していた。

電話を切った後、見ると小鳥はどこかへ飛び去っていた。

最近、やけに鳥類に興味が出てきたばば。

ばばも徐々にじじの感化を受けつつあるようだ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

もう一度・・・・

by ばばの日記

3月8日(月)雨

「菜種梅雨」とはよく言ったもので、菜の花真っ盛りの島は、

毎日ジトジト雨、アメ、あめ・・・・・

でも、じじに笑われながらもダムの貯水量を心配して

頻繁に様子を見に通っていた頃を考えれば、ありがたい。

雨が降ればサトウキビの春植えには良いかもしれないが

赤土ジャガイモの収穫は 泥まみれで大変ね。

あっち立てれば、こっちが立たず・・・・・

どっちも良いようには、なかなかいかないものだ。


雨が降れば、大瀬川の水や海の水が赤土で赤く濁る。

上流で山肌を削ったりしているから、

雨で赤土が流されて川や海が赤くなるの。

あの赤い水の中で川や海の生き物は必死に生きているんだよね。

ばばは、過日数回目撃したヘラサギの幼鳥のことがとても気がかりだ。

最初見たのが、2月21日。

最後に見たのは・・・・・2月の25,6日頃だったか?

3月に入ってから一度も見てない。

散歩帰り、買い物途中、必ず大瀬川を覗くのが癖になってしまった。

あの幼鳥、今も徳之島にいるのかなあ????


過日、天城の干潟で偶然であった「鳥類・生物博士」のYさんのブログに

「今年、天城にはヘラサギが4羽飛来していて、

そのうち1羽は時々亀津の大瀬川で餌を採っているようです。」と書かれていた。

そうか・・・あの幼鳥は天城から一人で亀津まで食餌に来ていたのか・・・・

最近姿が見えないということは、天城の干潟で親兄弟と一緒に暮らしているのか・・・・

なら、いいんだけど。。。。

北帰行の前に、是非もう一回会いたいと熱望しているばばだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

雨が降っても、風が吹いても、

ばばの病院通いはスケジュールの中にきちっと組み込まれている。

父が入院して約5ヶ月。

毎日病院へ通う中でいろいろな方に会う。

老老介護のご夫婦、60代の親が30代の子供さんを介護している、

ばば達年代の方が80・90代の親を介護している・・・・

中には10年近く、それ以上介護を続けている方も少なくない。


ばばも、義父が認知症になりグループホームにお世話になり

さらに症状が悪化して入院するまで介護や看護は余所事にしか考えていなかった。

毎日、病院へ通ううちに、今度は自分たちの老後のことを色々考えるようになった。


仕事をしていた頃は、仕事一筋で

(退職したら家族旅行などもしょっちゅうするぞ)と思っていた。

ばばが退職した当時は父も在宅で身の回りのことは何とか出来ていた。

ばばもじじと旅行したり、家族旅行も数回した。

しかし、1年、1年父も母も年を重ね、父90歳、はは86歳になった。

そして、父は入院。

有り難いことに母は、今でも元気で何でも自分でしている。

最近は元気な高齢者が増えテレビなどでも紹介されている。

自分もあのように年を取りたいと思う・・・・・・・・が・・・・


幸い、ばば達はすぐ近くに病院もあり父とも毎日会える。


年老いた両親から目を背けることは出来ないけれど

あまり後ろ向きに考えないようにしようと思っている。


結婚以来、実の子以上に可愛がってもらった義父母。

これから、ばばがどのくらいのことが出来るか分からないけれど

少しでも支えてあげられたらと毎日思っている。


人間って・・・・・「おもろうて、やがて悲しき生き物」なのでしょうか?

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

<< >>

携帯用ブログQRコード       WEB写真集用QRコード


Copyright (C)2009-2014 tokunosima.info All rights reserved.

◇◇ Tokunoshima Island JJ&BB's HP ◇◇ ◇◇ A collection of Tokunoshima Island nature observation ◇◇