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<< ばばの日記 - 2013年1月の記事 >>
01/19(土) 14:51
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01/18(金) 12:02
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01/17(木) 15:15
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01/16(水) 15:36
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01/14(月) 14:52
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>>ばばの日記の記事一覧

受けたいけど・・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


1月19日(土)晴れ

今日は,朝いつもより約2時間早起きして

ある場所へ行って来た。

そこで聞いた話。



ある人が椎間板ヘルニアで島外の病院で受診した。

結果は「もう、手術しか無いでしょうね」と。

受診した人は,色々な人の話も聞き,県外の病院へ行った。

そこの先生は「僕が3日間で直してあげますよ」と言ったそうだ。

マッサージのような簡単な施術をし、

自宅でも同じような効果が得られるという器械があったので

約3万円で買った。

本当に3日後には痛もは全くなり帰宅したそうで、

現在も自宅で買ってきた器械でストレッチ運動等を続け絶好調だそうだ。

それ以後、以前の自分と同じような症状で苦しんでいる患者さんにも

この病院を紹介し、全員が元気になり喜ばれているそうだ。



このようなことを聞くと,やはり病院は

いくつか受診しなくちゃいけないなぁと思う。



ばばが、まだ仕事をしていた時のこと。

ある日突然、ペンが握れなくなった。

文字を書くことが仕事の大半だったばば、ショック!

すぐに病院へ行き受診したら、

たった「年のせいでしょうね」と言われ又々ショック。

すぐ島外の病院も受診したが、やはり原因は分からず

いつの間にか症状は治まった。

それから約5,6年後、今度は親指がガクンと勝手に曲がって

元に戻らなくなった。

ある病院へ行ったら「骨折でしょう」と副え木をされた。

親指を骨折?骨折するような事をした覚えは無いけれど・・・・

病院のお医者様が仰ることだから・・・と

副え木をしたまま数日仕事をした。

症状が良くならないので、それから数日後、別の病院も受診した。

そこで下された判断は「バネ指」。

「手術しか無いでしょう」と言われた。

それ以後も,副え木はしたまま仕事をしていたが、

県外の病院から整形外科の先生が見えるというので

再度受診した。

今度「手術」と言われたら,諦めて手術しようと心を決めていた。

受診当日、先生は「腱鞘炎ですね」と言われ

「注射をしましょう」と言われた。

それも、親指と人差し指の間にすると言う。

「この注射は痛いですよ〜とても痛いですよ〜」と

何回も念を押すように言う。

手と言えども,親からもらった体にメスを入れるよりは

注射を我慢した方が良い・・・とばばは心を決めた。

注射をするまでの数分間,何回も「痛いですよ〜

この注射は」と繰り返す先生。

普通なら「患者さんを勇気づけるような言葉を言うのが先生でしょう」・・・・

(いくら痛いと言っても,お産よりは痛くないでしょう)

と、変な比較をしながら親指と人差し指の間を

思いっきり広げて先生の前に出した。

次の瞬間、チクッ!!!!

イタ〜〜〜イッ!!!

でも、我慢できないような痛みじゃなかったよ。

しばらくは、痛いような気がしたけど

その日の夜には「今までの指の異常は何だったの?」というくらい

痛みは治まり,再発することも無く今日に至っている。



あの時、手術を選択しなくて良かった!

何名かの先生に診てもらって良かった!

ばばの場合は、そんなにたいした病気では無かったが

それでも、病名は二転三転。



誤診があっては困るけれど・・・・・

病院のお医者さんも人間だし、時として誤診もあるかも知れないが

誤診された本人や家族は・・・・・



ばばは、亡くなった母が誤診されたと今でも思っている。

入院当日まで食欲もあり、ご飯が普通に食べられた。

自分で身の回りのことも出来、ごく普通に生活していた。

ただ「体が痒い、痒い」と言うので入院させた。



いくつか検査はしたが「病名は○○です.隔離が必要です」と言われ

2ヶ月くらい、ずぅっと○○(病名)を直す為の点滴をされた。

島外に住む知人が,たまたま「ばばちゃん、お母さんの症状を聞くと

○○とは思えない。資料を送るから見てみて」と言い

資料も送ってくれた。

その資料を持ち、主治医に「母は本当に○○でしょうか?」と問いただすと

即答はしなかったが,次の日だったか

「すみません。お母さんは○○ではありません」だって。

信じられない!

今のばばだったら、絶対お医者さんを許すことは出来なかったと思う。

2ヶ月間もの長きにわたって隔離され、

違う病気用の点滴をされた母はそのうち、食事が出来なくなり、

最後は人工呼吸器を付けられ、入院から4ヶ月後に亡くなった。



当時のことを今更考えても仕方ないことだけど、

時々今でもやりきれない気持ちで思い出す。

親孝行をするつもりで入院させたのに・・・・・



あの誤診が無ければ・・・・

悔やんでも悔やみきれないが・・・

だからこそ、体調が悪い時はいくつもの病院を受診し

なるべく専門の病院へ行かなければいけない・・・を教訓にしている。



ばばの年になると,人間ドックも1年1回くらいは受けなくては・・・と

思うばかりで,行動が伴わない。

町が実施する検診や婦人科検診は毎年受けているけど

やはり、時には精密検査も必要だと思うようになった。(年のせい?)



一番受けたいのは「ペット検査」。

でも、一番のネックが・・・・ばばの「閉所恐怖症」。

つい先日、MRI検査さえまともに受けられず、

途中リタイアしてしまった前科を持つばば。

麻酔を受けてから検査できないのかなぁ・・・と知人に言ったら

「全身麻酔の方が恐いよ〜私は」と笑われた。

そして、「検査する器械に頭からじゃ無くて、

足から入っていけば」とも言われた。

いくら足から入っても,最終的には頭を器械に入れなくちゃいけないし・・・・

第一、ペット検査って最初から全身、器械の中に入れちゃうんじゃない?

20分くらいかかるMRI検査を、たった1分数十秒で逃げ出したばば、

ペット検査は無理かなぁ・・・・・

でも・・受けなくては・・・と思い悩むばばで〜す。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

揺れ恐怖症、他

by ばばの日記

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1月18日(金)曇時々小雨寒し!

「揺れ恐怖症」という病気があるらしい。

ばばも該当するかも・・・・



ブランコに乗るのが苦手。

子供がブランコに乗って前後に揺れているのを観るのもダメ。

ブランコが風で揺れているのを見ても気分が悪くなる。



こういうばばだけど,いつ頃から,こうなったのか?

子供の頃は,父が家の中にブランコを作ってくれ

喜んで乗っていた記憶がある。

また、父は庭にあった大きなガジュマルの木の枝にも

ブランコを作ってくれ、ばばは、しょっちゅう乗っていた。

子供の頃はどうも無かったのに・・・

大人になってから、それも30代頃から

「ブランコ恐怖症?」の症状が出始めた。



ばばは子供相手の仕事をしていて、

それもブランコ大好きな子供達が相手だったので

とても「きつい時期」もあった。

ブランコ大好きな子供達は,休み時間になると

競ってブランコに乗る。

ばばは、時には背中を押してあげたり

遊ぶ子供達を見守っていなければならない時期があった。

子供達は,「より大きく」揺れたくて「もっと強く押して〜」等と言う。

ばばは、もう目を瞑って背中を押してあげる。

目は瞑っていても「ギィ〜、ギィ〜」とブランコのきしむ音は聞こえる。

その音を聞いただけで,目眩がして気持ち悪くなり嘔吐しそうになる。

だも、子供の手前、そんなことは出来ず、じぃっと我慢する・・・・・

こんな状態が何十年も続いている。

退職して,「ブランコ乗り」から解放されたことは嬉しい。



でも・・どうして?自分がこのようなことになっているのかは

未だに原因が分からない。

小さい頃に,ブランコや同じような動きをする器具で遊んで

とても恐い思いをしたこと等が「トラウマ」となって

「揺れ恐怖症」になる事もあるらしいが、記憶には無い。

この病気のひどい人は海の波の揺れや

室内灯のヒモを見てさえ恐怖にとらわれるそうだ。

ばばの場合、幸いにも「ブランコ」の揺れを見た時が一番気持ち悪くなる。

有効な治療法は無いそうだが、

ばばの場合、ブランコのある場所にさえ行かなければ良い。



こんな事を考えながら台所に立っていて、ふと思い出したことがある。

ブランコに対する恐怖体験を!

数十年前の事になるが、放課後当時の職場で事故が起きた。



確か放課後だったと思うが・・・・

高学年の男子がブランコに乗って遊んでいた。

友達に背中を押してもらい「より高く」「より遠くへ」と

ブランコを揺らしていたいたS君が、ブランコから落下したのだ。

S君は意識を失い、救急車は当時無かったかも知れないが

誰かの車で町外の病院へ緊急搬送された。

病院へ行ってもしばらくは意識が戻らず、ばば達はとても心配した。

夜が明ける頃,S君は意識を取り戻したと連絡があった。

あの時の恐怖を,今でも忘れることが出来ない。

思いっきり高い所から地面に落下したS君。

立ち尽くす友達。

駆けつけた両親。

てきぱきと動く上司や関係職員。

恐々集まってくる子供達・・・・・



幸いなことに、S君は意識は回復してからは

順調に体調も良くなり、数週間の入院の後、

後遺症を残すこと無く退院できた。



そうだった・・・・

あんな恐いことがあったんだ・・・



もしかしたら?

ばばの「揺れ恐怖症」はあの事故が根本にあるのかも知れない・・・・

と、今日、ふと思ったばばだったが・・・・



この病が治ることがあるのだろうか?

チョッピリ不安にもなるばばだ。



最近は「揺れ恐怖症」よりも「狭所恐怖症」の方が気になる。

正月、沖縄へ旅行した時も着いた晩は

ツインの部屋が狭く感じられて

周囲から押しつぶされそうな気がしてとても恐かった。



又、病院へ義父を見舞いに行く時、エレベーターに乗ると

目的の階に着くまでドキドキする。

なんなら、エレベーターに乗らなければ良さそうなものだけど

どうしても階段を上がりたくない・・という時があって、

乗るには乗ったが、乗った直後から後悔・・・・・

階段上がれば,こんな思いしなくて良いのにねぇ・・・・



とにかく、原因は分からないけれど「苦手!」とか

「恐い!」と思う事で体調まで悪くなることがあるんだねぇ。

人間世界、ストレス無しで生きるなんて無理なこと。

もっともっと強くならなければ・・・ねっ、ばば。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

注文端末機、他

by ばばの日記

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1月17日(木)晴れ後曇り

ばばが生協を利用するようになって20年近くになる。

かれこれ17,8年前、鹿児島から赴任していた職場の先輩が

生協を紹介してくれた。

その後、加計呂麻へ行ってもグループで利用し

母校に勤めていた頃もグループで利用し、

退職してからは個人で利用している。

ばばにとって生協の良いところは品物が玄関まで届けて貰えること、

島のお店では買えない品物が買えること、

商品が信用できること・・・等々。

利用し始めた頃から注文は端末機でしていたが

その端末機の様子がここのところおかしい。

まず、一回で送信できない。

しょっちゅう電池を替えても結果は同じ。

そこで、今日思い切って特販部に電話してみた。

すると快く対応してくれ、新しい器械を送ってくれ、交換してくれるという。

ありがたい。

対応して下さった方の話によれば、

端末機も大体5,6年で交換するらしい。

それを聞いてばばも安心した。

もう20年近く使っているんだから、交換しても良い時期だったんだ〜。

宅配便で送ってくれるというので、楽しみに待っておこう。

これからは注文が楽になるぞ〜。



夕べ、NHKテレビの「ためしてガッテン」という番組を観ていると

ラッキーなことに、ばばが一番興味のある

「美味しいミカンの見分け方」が内容だった。

と言っても、ばばが買うのは網に入ったミカンだから

美味しいも何も、入っているのを無条件に買うことになるが。。。。。

買ってきたミカンで、どれが甘いか見分けることが出来るようになるかも・・・・

又、実家のミカンの木で「ミカン狩り」をする時も美味しいミカンが採れるかも。



まず・・・・・

1,果実が上を向いて成っているのと下向きで成っているのでは

  下向きの方が良いらしい。

2 又、へたの大きいのと小さいのでは小さいのが良いらしい。

3,果皮の荒いのよりは詰まってスベスベしているのが良いらしい。

4,ミカンを皮毎50回ぐらい揉んで1日ぐらいおいてから食べると甘いらしい。



まぁ、我が家ではミカンを買ってきてもばばが9割食べて

じじは1割しか食べない。

ばばは、我が儘だから皮を剥いて酸っぱいミカンだと黙ってじじの前に置いて

又、甘そうなミカンを選んで皮を剥く・・・酸っぱそうだったら又、じじの前に置く・・・・・

ばばが置いたミカンを黙って食べてくれるじじ、ごめん!



義母は、あまり甘いミカンよりも

少し酸っぱ味のあるミカンが好きだと言っていたけど,本当かなぁ?



あと2ヶ月くらいは大好きなミカンが食べられる季節。

ばばにとって,1年で一番嬉しい時期。

そろそろばばの掌が少しだけ黄色くなってきた。

あと60日くらいで、何百個のミカンが食べられるかなぁ・・・・・



あっ、そうだ!

実家へ行って、タジバナ(ミカンの名前)取ってこなくちゃ。

このミカン、皮の香りが良いのよ〜。

そのまま食べても良いんだけど、我が家では

喜界ミカンはそのまま食べて、

タジバナはじじがお刺身をいただく時、酢の代わりに使うの。

実家に行けば100個くらい穫れるだろうから

汁を搾ってペットボトルの小さいのに入れて冷凍し

1年中使うのよ〜。



しばらく実家へ行っていないから、

ヒヨドリ全部突いてしまったかも知れないなぁ・・・・・

晴れたら,2,3日中に行ってこなくちゃ!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

エッ!「採血」って・・・・

by ばばの日記

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1月16日(水)晴れ後曇り

ばばの行動には計画性が無く、行き当たりばったりが多い。



今日も9時回ってから「病院行ってこようかな?」と思い立った。

ついでに、義父の入院に関する書類作成と押印をするよう

病院から電話があったので、それも済ませてこようと思った。

それでも、お昼前には帰宅できるだろう、

じじは、ばばがいない間いつもの場所へ取材に出かけるだろうから

じじより少し早く帰れたら昼御飯の準備は余裕を持って出来るだろう・・・

と思って家を出た。



病院へ着いたのは9時40分頃ですぐに受付を済ませた。

今日は午前診療だそうで、待合室や診察前まで

受診者が溢れかえっていた。

(これでは帰宅は12時回るかも知れない)と思い

受付で「少し用事を済ませてきて良いですか?」と聞いたら

「30分くらいなら大丈夫ですよ」とのことで

義父が入院している病院へ行き、書類の記入や押印を済ませ

まだ面会時間で無いので、廊下からチラッと義父の寝姿を確認し

病院へ戻った。この間、20分もかからなかったはず・・・・・



今日は、受付番号札は渡されなくて、

自分が何番なのかサッパリ分からなかった。

仕方が無いので、本を一冊読みそれでも名前を呼ばれないので

携帯から数名にメールを送ったりして時間を潰していた。

その時、診察室から名前を呼ばれたような気がしたので行ってみた。

カーテンを開けると、若い先生が「○○さんですか?」と尋ねた。

「いえ、私は○△ですけど・・・・

苗字を読み違えられることが良くあるのですが○△でしょうか?」と聞き直すと

「○○さんです・・」と先生。

ばばは外へ出て、又さっきの場所に座った。

すると、今度は受付におられた方がカルテらしきもの持って

ばばの前に来て「ばばさん、今日は採血などしたんですよね。

会計処理が出ていますけど・・」と言う。

???????意味が分からないばば。

キョト〜〜ン。

そして言った。

「あのぉ〜私、まだ診察も受けてないんですけど」と・・・・

すると、その方は慌てて診察室へ入って行った。



きっと、診察室の中でばばと、もうひとりの「○○さん」を混同しているか?

何か手違いがあったことを話しているかも知れないと想像するばば。

事務の方が出てこられてしばらく経ってから、今度は間違いなく

ばばの名前が呼ばれたので、診察室へ。

時刻は12時12分。

おぉ〜〜っ、もうお昼過ぎている。

でも、ジタバタしたって仕方が無いと腹をくくった。



「お願いします!」と診察室へ入ってビックリ!

だって、ばばの目の前にレントゲン写真とかがあったから・・・・

さっきの「採血・・・・」も気になるし、

何か、間違いが無ければ良いけど・・・と願いながら先生と向き合った。

すると、先生は開口一番、

「少し手違いがあったようですみません」と言われた。

その後は、いつものように胸と背中に聴診器を数回ずつ当て

「はい、良いですよ。いつものお薬出しておきましょうね」と。

この間、ほんの2分足らず。

「ありがとうございました」と、診察室を出た。



この病院へ通い始めて10年以上になるが、

人違いをされたことは初めてだったのでビックリした。



注射とか、頼んだ覚えの無い採血とか

検査とかされたわけでは無いので・・・・・まぁ、いいでしょう。



その後、窓口で会計を済ませたが診察料もいつもと変わらず

その後、薬局へ寄ってお薬をいただいたが

これもいつもと同じ。

何にも間違いはなくて、良かった、良かった〜。



それにしても、大分時間が経ってしまった。

もう、家に帰り着いたら1時前だよ〜。

小走りで帰宅したら、表も裏も戸は開けっ放しで

郵便物も取り込んであるのに、じじの姿が無い!

じじの部屋、寝室、トイレ・・・と覗いたが何処にも姿が見えない。

「じじ〜」と呼んでも返事無し!

あれぇ〜〜〜〜と思いながら玄関へ出て履き物を見ると

じじのスリッパが無い。

(・・・ということは?倉庫へ行ってパソコンの部品取りでもしているんだな)と

勝手に思い、お昼の準備。

途中まで準備が出来た時「あれっ?帰ってたの?」とじじが入ってきた。

聞くと、昨日のドライブ帰りに壊れてしまった

車の「サンバイザー」を修理していたとのこと。

ありがとう!!!!



その後は、ふたりで遅めの昼食を・・・・・・



これで、ばばの半日の仕事は終わったのでございます。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「手ぶらでじじを帰すわけには」・・・・

by ばばの日記

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1月15日(火)晴れ強風

昨日とは打って変わった穏やかな天気だけれど、風が強い。

あまりの心地よさに(ちょっと遠出したいな)と思っていたら

じじも全く同じ考えだったらしく、衆議一決!

10時少し前になってから塩おむすびとカップ麺・

お茶と御菓子とコーヒーだけ持って、いつもの場所へゴー!

そう、目的地は浅間干潟。



行きがてら諸田池を覗き、花徳の沈砂池を覗いたけれど

何の収穫も無く、ひたすら干潟を目指すことに。

ところが・・途中でばば、閃いた。

そう言えば・・・年末遊びに来てくれたHちゃんご夫婦が話してた、

浅間の溜池に行ってみたいと。

道順も教えてもらったけど、じじはもう忘れてしまったって。

ばばも、「最初左折して次は右へ右へと2回曲がれば目的地」

と、うろ覚え。

自信は無いけれど、とにかく行ってみよう〜と・・・・・

ところが、最初何処で左折したら良いか分からず

左折はしたものの、狭い道になって、ついには行き止まり。

じじが運転を代わって方向変換をして又直進。

又、自信は無いけど左折したらばば達の前をトロトロ走る車が。

じじが「あの車の人に聞いてみよう」と言うけれど

真っ昼間、右側をトロトロ走っている・・・というだけで

何故か危険な匂いがする・・・・・

ばばは「待って、待ってよ」と言いつつも前車に近づく。

いつ、前車が左側へ車線変更するかも知れないので、ばばはドキドキ。

前車は右側を走り続けたので、ばばはその車の横に車を止

じじが下りて行って運転手さんに聞いた。

浅間溜池に行くにはどう行ったら良いですかと。

運転手さんは下りてきて、前方を指さし

「あそこですよ」って。

なぁんだ〜、目的地はすぐ目の前で「浅間溜池公園」と

大きな看板も出ていて、駐車場も完備していた。

初めての場所だけに、ばばもじじも張り切って車から降りた。

溜池に着く前に奄美ヤマガラを発見。

いやが上にも期待は膨らむ、膨らむ。



で、溜池の畔に来たよ〜〜。

でも・・・でも・・がガァ〜〜ン!

水面一面ホテイアオイが群生し、鳥の姿は見えない。

残念〜〜〜!

畔を歩いて見ようかとも思ったが、雑草が生い茂っていて恐い、恐い。

結局、何の収穫も無いまま諦めて、一路干潟へ進む。

それにしても風が強いなぁ・・・・・



干潟へ到着しても、満々と潮は満ちていて

遠くにヘラサギが2羽見え、あとはシラサギばかり。

仕方が無いので、松原漁港まで足を伸ばすことに。

途中で、島のブロガーさん「ひでこばさん」が以前ブログで紹介していた

「マルセイさん」というお店でおかずを買う。

家から持って来たのは、塩おむすびとカップ麺だけだったので

ちょっと寂しいな・・・ということで。



初めて入るお店だったけど、アンバソーメンやパスタ類が1パック100円。

天ぷら類が1パック200円、お弁当も200円(300円?)。

とにかく安いのにビックリしながら、

ばばはアンバソーメン、じじは魚の唐揚げを買った。

合計300円。

その後は、左右キョロキョロしながら松原漁港を目指したが

目新しい鳥は発見できず、漁港でお弁当を広げた。

それにしても風が強いなぁ・・・・・



買ったばかりのアンバソーメン、美味しい〜〜〜。

ダシがきいてる〜。

100円では安いなぁ・・・・ばばが作るのより美味しいかも知れない。

唐揚げも、魚は「青ウルメ1匹」と「赤ウルメ1切れ」。

餅米の塩おにぎり1個とカップ麺半分こと

アンバソーメンと唐揚げを分け合って・・・もう、満腹満腹。

食べきれない分はお持ち帰り。



お弁当は美味しかったけれど、今日一番の目的はサッパリ。



ばばは、オリンピックの時の北島康介選手の仲間が

「北島さんを手ぶらで帰すわけにはいかないから・・」と

発言したことを思い出し

「じじを手ぶらで帰すわけにはいかない」と宣言したものの・・・・



その後再び干潟に戻り、湾屋海岸傍を通り

上名道の池、諸田池と寄っても目新しい鳥とは遭遇出来ず

もう諦めて、いつも夕方通うお魚屋さんへ寄って刺身を買い・・・・

帰ろうとしたら、じじが「車を止めて!」と叫ぶ。

どうしたの?

と右手のキビ畑を見るとお腹部分がオレンジ色をした小鳥が。

「何、何?」とばばがドアを開け、じじが撮影しやすいようにしたのに

小鳥は「私を写して〜」というようにすぐ近くまで来て

サッと畑の中へ飛び去ったよ〜〜。

残念だったなぁ・・・・・



去年のオリンピックで、男子水泳最終種目ではチームの団結よろしく

銅メダルを獲得したが、今日のじじとばばは

全くの「手ぶら」での帰宅となった。

こんな事もあるよね、たまには。



これに懲りず、又いつか出かけようねぇ〜じじ〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

美輪明宏さんの歌

by ばばの日記

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1月13日(日)大荒れの天気

昨年末の紅白歌合戦で美輪明宏さんが「ヨイトマケの歌」を歌った。

ばばも小学生の頃か聞いたことはあったが、

今回の紅白の時の歌には全身総毛立つような感じがした。

暗闇の中から聞こえ♪父ちゃんのなら エ〜ンヤコ〜ラ〜♪

というど迫力のある歌声が聞こえて・・・・

テレビの前に釘付けで聞いた。

最近の若い人たちには、馴染みも無いだろうし

感情移入することも少なかったかも知れない。



でも、ばば達世代は戦後の貧しかった時代に

小・中学生時代を過ごしたので

美輪さんの歌には、ついつい感情移入してしまった。

男の人に交じって土方仕事で収入を得ているお母さん。

子供は学校で「土方の子、汚い子」と虐められ

逃げ出して「お母さんに慰めてもらおう.抱いてもらおう」と

家に帰る道すがら、一所懸命働くお母さんの姿を見て

「勉強するよ・・・」と自分に言い聞かせ学校に戻る。

そうして、立派に成人しエンジニアとなる。

・・・というような内容の歌。



親が子供の為に一生懸命働いている姿を見たら

子供の親に対する思いも変わるんだろうね。



ばばの実家は農業で、両親は本当に朝から晩まで

身を粉にして働いていた。

(子供達には自分たちと同じような苦労をさせたくない)

(これからの時代は教育が大事だ)と考えたのだろう、

不安定な収入の中から工面して長男(ばばの兄)を大学へ進学させた。

ばばの姉ふたりも農業をしたり、幼稚園で働いたりしながら

兄への仕送りに協力した。

末っ子のばばだけが横着で、あまり手伝いもせず

何とかきつい仕事から逃れようと悪知恵を働かせていた・・・・・

現金収入のほとんどを長男への仕送りに当てていた我が家、

余裕が無いのは子供ながらにばばも分かっていた。

でも・・・ばばは・・・・

ある年の学芸会で、せっかく主役になったのに

セーターが無かった。

他の友達は、練習の時からセーターを着ていた。

ばばは、ある日、母に言った。

「お母さん、今度の学芸会で黄色いセーターを着るんだけど・・」って。

母が何と言ったか覚えていないけれど、

最終練習の時までも、遂にばばは黄色いセーターを着ることは無かった。

そして、本番当日。。。。。。。。。。。



今は、島の小・中学校の学習発表会と言えば、学校の体育館で行われ

保護者だけでなく地域の方々も見に来て下さる。

ばばが小学生の頃は、学芸会と言えば、

各集落毎に公民館(集会場)で夜、行われていた。

何故だろう?と考えると、当時は自家用車も無く

学校から遠い集落の方々は学校まで来るのも大変だったのだろう。

そして、日中は保護者はみんな働いていた。

学校行事より、仕事を優先させなければならない時代だったんだね。



・・・で、学芸会の本番当日。

夕方6時半か7時頃から開幕したと思うが、

もうすぐ、ばば出番・・・という時、母が楽屋に来た。

手に何か紙袋を持っていた。

開けると、新品の黄色いセーターが!

すぐに新品の黄色いセーターに着替え思いっきり歌い踊ったばば。

あの時の嬉しく、誇らしかったこと!

今でも忘れることが出来ない。

当時は嬉しさで母がどのように金を工面しあのセーターを届けてくれたか等

深く考えることも無かったが、自分が結婚して親となった時、

色々な場面で、あの時の両親の思いに胸が熱くなった。



毎日毎日、朝薄暗いうちから田畑に出、

夜は星空を見ながら帰る・・・・・

そして、何とか子供達は人並みに・・・・と考えてくれていた両親。



両親のありがたさに気づくのが本当に遅かったと

ばばは、後悔ばかりしている。

両親に恩返しできなかった分、子供を大事にしなければ・・・・と思うけど

それも存分には出来ていないかも知れない。



2日前だったか?

NHKのラジオで、今度は美輪さんが40代の頃歌っている

「ヨイトマケの歌」が流れた。

紅白の時とは声の重みが、やはり違うけれど

歌詞の意味をかみしめながら聞いていると

しぜんに涙が出そうになり、(両親に会いたい!)という気持ちが強くなった。

無理だと分かっていても、無性に両親に会いたいと思った。

そして、心から「ありがとう」と伝えたいと。。。。。。



美輪さんの歌は改めて「親の偉大さ・ありがたさ」を

考えさせてくれた。

美輪さん、ありがとうございます。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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