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03/18(火) 22:13
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2日目他、上97・下57で良いの?

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月19日(水)晴れ夕方から曇

昨夜は、義母の容態が悪くなって病院から電話が来るのでは・・・と

不安で、不安でまんじりとも出来ず、明け方になってウトウト・・・

何事も無く夜が明けて「万歳だね」とじじと話しながら起きた。

早く病院へ行って義母の様子を見てきたい・・・

でも・・・面会時間は決められていてお昼の1時から3時までと

夕方の6時からと8時までしか病室に入れない。

気にはなりつつ9時頃まで過ごしたが

(そうだ!心臓のエコー検査があるって枕元に書かれてた。

検査室に入る前に会えるかも・・・もしかしたら検査の後

先生から家族に説明があるかも・・)と思い病院へ走った。

運良く・・・と言うか、偶然というか?

ばばが地階から1階へ上がった時、

1台のベッドを看護師さんが押して来た。

よくよく見ると、義母!

思わずベッドに駆け寄ったら、義母はベッドから手を伸ばして

「心配かけてごめんね」って。

謝る事なんかないよ〜お母さん。

看護師さんに「病室まで行けますか?」と聞いたが

「面会は午後1時からですので・・・」とやんわり断られた。

「検査結果など、先生から説明がありますか?と聞くと

「説明をする時は電話をしますから・・・」って。

義母にも「お昼1時からしか私はお母さんのお部屋に入れないから

一旦帰って、また来るからね〜」と言うと「ありがとう〜」と答えてくれた。

熱もなさそうだし、呼吸も昨夜よりずっと楽そうで一安心して帰宅した。



お昼過ぎて出直すと・・・

義母のベッドには.見知らぬおばあちゃんが寝ていた。

間違いでは無いかと、何回も入り口の名札を見て

部屋のベッドを1つ、1つ覗いてみたが、やはり義母の姿がない。

急に不安がふくれあがり、胸がドッキンドッキン。

近くの病室を覗くと看護師さんがいたので、義母の事を聞くと

「HCU室」に移されていて、尚一層心臓がバクバク。

「容態が悪くなったんですか!」と聞くばばに

「そういうわけではありませんけど・・・」って。

実は、酸素濃度を上げるために両方の鼻の穴に

小さな管をチョコッと入れるのだが、その違和感に耐えきれずに

夕べは何度も取り外してしまったらしい。

だから、看護師さん達の目が届く部屋に移してくれたらしい。

説明を聞いて、ほっとしたよ〜。

昨夜の寝不足のせいか、母はスヤスヤ寝ていて

姉とばばが体をさすっても、手を握っても目も覚まさず、反応も無し。

看護師さんは「夜ぐっすり寝てもらうために

なるべく起こして下さい」って言うけれど超熟睡の母を起こすのも可愛そう・・・・

そ〜〜〜っと、帰って来た。

昨日は、どうなる事かと心配で不安で・・・色々なことを考えたけど

とりあえずは一安心。

ばばより1時間半ほど遅れてじじも、ひとりでお見舞いに行ってあった。

明日から1日1日回復してくれると良いなぁ・・・

病院よりも介護施設の方が友達と話せるし

テレビも見えるし、運動量も多いから

早く元気になって、帰る日が1日も早い事を祈るのみ・・・・



病室を出て、1階に下り、病院の入り口近くに置いてある血圧測定器で

久しぶりに自分の血圧を計ってみたら・・・上が100と下が70くらい。

ビックリしてもう一度測り直すと、今度は上が97で下が57。

え〜〜〜っ!

こりゃ大事(おおごと)じゃない?

ばばの血圧がこんなに下がるなって、人生初めてかも知れない。

喜ぶべき?

心配しなければいけない?

気になると、さっきまでどうも無かったのに頭がふらつく感じがしてきたぞ〜〜

大変!大変!

でも、用事がいくつかあるので済ませないと帰宅できないし・・・

と、彼方此方回っているうちに、血圧の低い事はすっかり忘れてしまって

いつもの元気ばば復活!

そして・・・帰宅後、ブログを書き、又ふと血圧の事が気になり

手首式の血圧計で計ってみた。

すると〜〜〜今度は上が130と下が88とか・・・

数回計っても上が130前後で下が80前後。

これくらいなら、まっ、良いか。

正確な血圧を計ろうと思えば、1日10万回くらい計らなければならない・・・

なぁんて事、誰かが過去にテレビかラジオで言ってた事思い出した。

血圧は、ちょくちょく変わるし、あまり気にしすぎない方が良いかな?

よっぽど高くなったり、低くなったりしない限り・・・・

気にしすぎると、血圧は上がるとも言うからね。



家族誰かひとりでも、体調が悪いと気持ちがズゥ〜〜ンっと落ち込んでしまう。



本格的な春も、もう目の前。

気分がスカ〜〜〜っとして心穏やかな日々が過ごせるって

本当にありがたい事だよね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日、義母の検査に付き添った時、K先輩と会った。

「どうしたんですか?」と聞くと、

「あのね・・・四十肩になってしまって・・・」と。

あら、あら・・・大変!

年と共に、肩とか腕とか足とか・・・色々、故障・不具合も出て来るよね〜。

っということで、色々エピソードを書こうと思ったけど

また、義母の事で分が長くなりすぎたので、明日書く事にしよう・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

まさかの入院

by ばばの日記

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3月18日(火)晴れ

朝、9時半を回った頃電話が鳴った。

母がお世話になっている介護施設からだった。

昨夕面会に行った時、義母はとても元気だったので

変な胸騒ぎがした。

「咳をすると呼吸が苦しくなるので、

一応病院で検査を受けさせたいと思います。

何かあったら、又後ほど電話しますね」という事だったが

心配なので、電話を切った後すぐ身支度をして病院へ走った。

義母たちはまだと着していなかったので

玄関で待っていると、ほどなく職員さんが運転する車で到着。

看護師さんもひとり付き添ってくれていた。

義母は、ばばbを見つけると笑顔で手を振った。

顔色を見る限り、とても元気そうで一安心した。

受付をすませ、胸部レントゲンを撮ったり

心電図検査を受けたり、採血したり・・・・

後エコー検査などもしたいという事で、施設には戻らず

入院して、明日も検査を受ける事になった。

入院室の準備が整うのを待って部屋へ。

昼食も病院で準備してくれたが、お粥と、おかずなども刻み食で

割り箸が付いて来た。

まさか入院検査になるとは思わず、

ばばもスプーンや箸の準備はしていかなかったので

不自由そうに義母は食事を始めたが、慣れない刻みおかずや

お粥さんだったためか食が進まずほとんど残してしまった。

母を休ませた後帰宅し、夕方又病院へ寄ってみた。

夕食は、普通のご飯と刻んでいないおかずをお願いしたので

義母も喜んで「美味しい、美味しい」と食べ始めホッとしたが

途中、咳が出始め呼吸が少し苦しそうで食が進まなくなった。

酸素濃度が薄いという事で、

鼻から管で酸素を吸入する装置を付けているのだが

違和感があるのか、すぐに引き抜いてしまうので呼吸が苦しくなってしまうらしい。

看護師さんを呼んできて、説明してもらい鼻に管を付けると

呼吸も楽になるのだが、どうしても違和感があるのか

すぐ引き抜いてしまう。

引き抜くと食事が進まない・・・

出された食事の4分の1も食べきれなかった。

昼も夜も、普段より食事の量は極端に少ないと思い心配するばばと姉に

「大丈夫よ。もう、元気になったからふたりも早く帰って

ご飯を食べなさい。じじも待っているでしょう」と気遣う義母。

今は、お母さんの体が一番心配なのに・・・・

何処までも、じじやばば、ばば姉を気遣う義母。

何回も「バイバイ」と手を振って「早く帰りなさい」と言うので

病室の入り口の方まで行き、義母の見えない位置から

しばらく様子を窺っていたが、

両手を組んで頭上に上げ、運動を始めたりしたので

少し安心して、病室を後にした・・・・・

明日の検査が何時にあるのかは書かれていなかったが

病院へ行って付き添っていようと思う。

早く元気になって、私設の方へ戻れると良いね、お母さん。

私設だった、最低でも1日5回は部屋から食堂へ移動するし

周囲の友達と話をしたり、テレビを観たりも出来るけど

病院だと、ずっと寝たきりで過ごすしかないから・・・・退屈だし、寂しいよね。

明日の検査結果が良ければ、2,3日では退院出来ると思うから

退院まで、毎日顔を見てお喋りをして、退屈させないようにしないとね。



今日は病院で久しぶりにK先輩と会った。


この事は、又明日書く事にしよう・・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「靴」で・・・笑う

by ばばの日記

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3月17日(月)晴れ

ばばと長く付き合っている人は、全員

ばばの「そそっかしさ」を知っている。

4日ほど前は、冷蔵庫の扉を開けて何か取り出そうとしたら

床に落としてしまったので、慌ててしゃがみ拾った。

そして、立ち上がろうとした時「ガツ〜〜ン!」。

開けたままの扉の角に後頭部の一点を思いっきりぶつけた。

しばらく痛さで声も出ず、ひたすら「切っていませんように。

出血しませんように」と祈りながら後頭部をなでさすっていた。

あれから4日。

まだ、ぶつけた場所は脹らんで痛い。

傷をかばって、シャンプーもしなかったけど、もう限界。

そろそろシャンプーしないと・・・・・



過去にも、数え切れないほど失敗をしてきたばばだけど

数日前、ばばと同じような失敗をした人の話を聞き

「ばばだけでないんだ〜」と、ちょっと安心したよ。

そ方、Hちゃんの(ばばより年下)の話によると、

少し前、ある方のお通夜に出たそうだ。

厳かな気持ちで焼香をすませ、親族の方々に挨拶もすませ

しばらく通夜振る舞いの席に着いた後、帰宅した。

そして、玄関で靴を脱ごうとした時、その人は

ぶっ倒れるほどビックリしたそうだ。

何と!左右、別々の靴を履いていたんだって。

家を出る時も何も気づかず、お通夜の席でも気づかず

勿論、友人たちも気づかなかったんだろうね、

何も言わなかったそうだから。

第一、お通夜の席で友達の足下なんてあまり注意してみないから。



話すHちゃんも、聞くばばと姉も、笑う笑う。

これからお通夜に行くのに・・・・

Hちゃんは、大事な場所へ左右別々の靴を履いて行ったと言うけれど

ばばは、靴と言えば、10年以上経っても忘れられない苦い思い出が・・・・

家庭訪問をしていて、最後から2番目のお宅を辞し

車に向かう途中、異変に気づいた。

アレッ!何故かまともに歩けない・・・・・

それは、当たり前。

だって、片方の足の靴底が抜け落ちていたんだもの。

移動は車でしていて、歩いた距離は車から訪問先のお宅の玄関まで。

せいぜい、一番遠い所に駐車して歩いた時でも

往復で20メートル足らずくらい。

最後まで気づかなかったという事は、

終わり頃に訪問したお宅付近で落としたのか?

でも、引き返しては次の訪問先への到着時刻が遅れ迷惑をかけてしまう。

仕方が無いので、片足はヒール付き、片足は靴底無しの靴で

ピタンコ、ピタンコ・・・平静を装って歩き・・・・・

最後の訪問先では、お家の方に指摘される前に

自分からカミングアウトして、笑った、笑った!



それから2,3年後。

じじとばばと姉で毎日夕方の散歩をしていた頃の事。

自宅まであと1キロ少しという場所で、又しても足に異変が。

やはり・・・・片方の靴底が抜け落ちていた。

次の日は、昨日歩いたと全く同じコースを歩いた。

いつもなら左右の風景を楽しみ、

珍しい野鳥や植物を見つけるのが楽しみな散歩なのに

その日は「靴底・・・靴底は何処じゃ〜〜」と下ばかり向いて歩いた。

結局、靴底は見つからず、諦めて帰宅。

翌日、靴底は予想だにしない場所で発見。

我が家から、ほんの目と鼻の先で。

「何で〜〜〜」と思ったが、当時は義父が入院中で

毎日、散歩帰りは病院へ寄って義父を見舞い帰っていた。

その帰り道に靴底が剥がれ落ちたらしい。

靴底が抜けた靴は、2つともほぼ新品の靴だった。

なのに・・・なあ〜〜〜ぜ?と思ったんだけど

新品は新品でも、買ってから6,7年履かずにしまったままにしていたんだ〜。

しまっている間に、靴底のゴムが劣化してしまっていたんだね。

その後、同じような笑い話を、

友人、知人2,3人から聞き、(ばばだけで無かったんだ〜)って

変な安心をした、ばばだったけど・・・・

未だ履かないまま3,4年「靴箱の番人」をさせている靴があるよ〜。

早く履き始めなきゃ!

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「みじらんフリーマーケット」、他

by ばばの日記

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3月16日(日)晴れ

今日は、町体育センターで

「みじらんフリーマーケット」があるので、姉を誘って覗いてきた。

「みじらん」とは徳之島の方言で「面白い・楽しい」という意味かな?

数年前、島の若い方達が実行委員となり

夏に「みじらん祭」というお祭りを始めた。

今年で3年目?4年目?になるかな?

そのお祭りで中心になって活躍されている方々が

今回のフリーマーケットも主催して開催されたようだ。



フリーマーケットで、特別買いたいとか言うのは無いけれど

「一応、覗いてみたいな」という気持ちで出かけた。

会場の体育館内には賑やかな音楽が流れ

沢山のお店がオープンしていた。

手作りの洋裁小物や袋物、衣料品・盆栽、

タンカンにおやつ、書籍等々。

ばばは、知っている方々が出店していたブースで

国内産の椎茸スライスと手漉き和紙で作られた祝儀袋を買った。

他にもいくつか心引かれる物はあったけれど

「不要に物を増やさない」と決めているので、手に取らなかった。

11時からは島出身の若きミュージシャン安田竜馬君の

ミニライブがあったので、聞いて帰る事にした。

三味線やギターを弾きながら5曲歌ってくれた。

最初の曲が「ハイビスカス」の歌。

ハイビスカスは1日咲いて枯れてしまう。

この花を見て、「自分は今の生き方で良いのか?」と

考えた時に生まれた歌だと紹介して歌った。

ばばだったら、咲いたハイビスカスを見て「綺麗に咲いたね」と思い

夕方萎れたら「もう、萎れてしまったのね」と思っておしまいだが

同じ花を見ても、竜馬君のような感性の優れた人は

作品にしてしまうんだね。

続いては「ブルバン」の歌。

去年、「ヒミツのケンミンショー」で取り上げられた「ブルバン」。

一言で言えば「氷り入りのお粥さん」。

氷り入りのお粥さんを見て、都会の人は「これ何?」

って思う人も多いらしいね。

でも、暑い暑い徳之島の夏には、最高のご馳走だとばばは思っている。

熱い体を冷やして、水分補給にもなる。

おかずを工夫すれば、夏の逸品メニューになるんじゃないかな?

この「ブルバン」さえ歌にしてしまう竜馬君って、凄いよね。

3曲目は「闘牛戦士ワイド」?だったかな?

ご当地キャラクターが数多く誕生している昨今だが

「闘牛戦士ワイド」?は沖縄のある地域のご当地キャラクターだって。

去年の「みじらんまつり」には、沖縄からわざわざ来てくれたと聞いたけど・・・・

ばばは、どなたかのブログか掲示板で見た記憶があるが

実物はまだ見ていない。

この歌も、しぜんに手拍子が出て「ワイド!」と

合いの手を入れたくなる賑やかな曲だった。

最後が・・・「徳之島ワイド」?という歌だったかな?

曲名忘れてしまった。ごめんなさい。

手の人差し指・中指・薬指を折り曲げると

立った親指と小指が牛の角に見え、5本の指で牛の頭部が形作れる。

この歌では「ワイド!」と歌う所で、

牛の頭部を形作った手を元気よく突き上げて

聞いている人たちも盛り上がる。

闘牛のさかんな徳之島ならではのパフォーマンスかな?

明るく、賑やかで楽しい曲だよ。

ばばは最初から最後まで手を叩き続けて

ライブが終わる頃には、掌が真っ赤になってしまった。

もう1曲、歌ってくれたような気もするけれど思い出せないよ〜。

ミニライブが終わったのが11時30分。



その足であるお店に向かった。

野菜を買うために。

店の外で野菜がとても安く買えたのでカゴに入れて

「中で買い物して帰りに計算してもらいますね」と

レジにいた若い男の子に声をかけると、

その子が「ばばちゃん」と声をかけて来たのでビックリ。

12年前の教え子Tくん。

つい先日、高校を卒業し4月からは東京の大学で学ぶそうだ。

このT君は、12年間、毎年年賀状をくれた。

都会へ出発する前に一回会いたいなぁと思っていたので

会えて良かった!

当たり前の事だが、背もばばより、うんと高くなっていて

12年前の面影はあったけれど、

T君が声をかけてくれなければ、気づかなかったかも。



Tくん、もうすぐ徳之島を離れて大都会へ行っちゃうけど

一番は体に気をつけながら、自分の夢実現に向けて頑張ってね。

そして、1週間か10日に一回は、お父さんやお母さんにも

電話で元気な声を聞かせてあげてね。

ばばが、自分の母校で関わった子供たちが、もう高校卒業か〜

時間の流れは、本当に速いね。

子供たちの新しい門出・・・・・・・

沢山の紆余曲折もあるだろうが、

いつかは、ひとりひとりの夢が実現できますように。

ばばは徳之島から声援を送り続けよう・・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

お墓参り

by ばばの日記

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3月15日(土)晴れ

毎月1日・15日は実家のお墓参りに行く。

お墓参りのついでに実家に寄って

庭や裏の畑の雑草に除草剤を撒いたりもしてくる。

2週間ぶりに行ったら、喜界ミカンやタジバナミカンの木は

白い花が満開!

今年も、ミカンが豊作だと良いなぁ。

ミカンの花って、白くって可憐な上、香りが良いね〜

でも、考えてみたら実家のミカンの木たちは

かれこれ70才以上の樹齢。

ばばよりも、遙かに年上。

子供の頃から、運動会には必ずミカンを持って行っていたよ。

ばばが子供の頃は、集落にまだ水道が引かれていなかった。

父がミカンの木の幹に藁を括り付け、

雨の日にはその藁を伝って大きな瓶に雨水が溜まるようにしていた。

その水を飲み水以外には使っていたよ。



ばばはね、自分の実家集落が大好き!

県道から、車で急な坂道を上がり、集落の入り口に立つと

ドッシリとした山が見える。

又実家から少し先に進むと蒼くて広い海が目の前に見える。

海があり、山があり、人々が穏やか・・・・

この環境の中心に、昔は集会場があった。

家の手伝いをしなくて良い日は、集会場の庭へ行くと

必ず何名か友達がいて、色々な遊びをした。

縄跳び・お手玉・フラフープ・缶蹴り・かくれんぼ・毬つき・あやとり・ゴム跳び等々

先輩も後輩も、みんな一緒になって時間を忘れ

集落中を駆け回り楽しく遊んだ。

懐かしいなぁ・・・・

大人になってからも、最低でも月2回は実家へ行くが

昔と比べ、寂しいなぁ・・・・

子供の声が聞こえない。

日中にもかかわらず、人ひとり見えない。

集落中がシィ〜〜ンっと静まりかえっている。

何だか寂しくて涙が出そうになる事がある。

この集落に、昔のように子供たちの賑やかな声が響き渡り

老若男女うち揃って、色々な行事をする事があるのだろうか?



ばばの同級生でも、島に残っているのは半数以下。

同じ集落内に、女子の同級生は一人もいない。

小・中学生当時、同じ校区内にあるどの集落よりも人数が多かったのに。



そうそう、ばばは今日はお墓参りに行ったんだった。

行けば、必ず4カ所のお墓を回る。

今日は墓前で手を合わせるばばと姉の前方の林では

アカヒゲが鳴いていた。

集落の方々のほとんどのお墓は、集落から急な坂道を降りた場所にある。

昔は、お墓参りと言えばイヌマキの枝を切ってお墓の花瓶に挿していた。

又、お墓に水道が無いので、各家庭からヤカンに水を入れて持って行き

その水でお墓の湯飲みを洗ったり、花瓶に注いだりしていた。

時代が進み、今はお墓内に水道もある。

お花は昔と同じようにイヌマキの木の枝を挿す人もあれば

造花を飾っている人もある。

ばばは、しょっちゅうはお墓に行けないので造花を飾っている。



そして、ここ数年、昔からあったお墓の場所から

集落内に墓地を買い求め、お墓を建てている方も多い。

考えてみれば、集落内の方々も年を重ね

急な坂道を上り下りしての、お墓参りはきつくなる一方だから

集落内にお墓があれば、お参りするのも大分楽になるんだよね。

昔は元気ハツラツ駆け回っていた先輩方が

電動バイクや手押し車で急な坂道を上り下りして

お墓参りをしている姿を見かける度に

ばばも(後何年、車でお墓参りに行けるだろうか)と考える。

お参りする人がいなくなったのか、

雑草が蔓延っているお墓も何カ所か見かける。

お墓参りって、気持ちの問題だけど

ばばは、元気で車が運転できる間は実家のお墓参りも欠かさないようにしたい。



幸い、現在の我が家(じじの家)のお墓は

ありがたい事に歩いても5分で行ける距離にある。

実家のお墓参りが終わって、実家の庭や畑に除草剤を撒き終わったら

もう、11時を回っていたので、慌てて帰宅し

昼食を終えてから、また家の(義父)お墓参りに行って来た。



お墓で草を抜いたり、水や花を替えたりしていたら

何だか心が落ち着く。

お墓で心が落ち着くなんて、年取った証拠かなぁ・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

何故、増える?

by ばばの日記

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3月14日(金)晴れ

町がゴミ収集をするようになって何年くらいになるだろう?

ばばの住む地区では.毎週月・木が可燃ゴミ

第2・第4水曜日が資源ゴミと不燃ゴミを出す。

資源ゴミと不燃ゴミは、そんなに頻繁に出さないが

可燃ゴミの出る事、出る事。

可燃ゴミでも、生ゴミは数年前、じじ妹から教えてもらってからは

花壇とか菜園とかに生かすようにしているので

それでも、毎週20リットル入るゴミ袋の2枚分は可燃ゴミを出している我が家。

じじとばばふたりだけの家族で、何でこんなにゴミが出るんだろう?と思う。

ゴミの内容のほとんどが紙類である。

チラシや食品包装紙やパック類など・・・・・



ばばが子供の頃は、醤油や油は空の瓶をお店に持って行き

量り売りで買っていたし、豆腐も鍋かザルのような入れ物を

各家庭から持って行って買っていた。

それに、チラシやメール便が入る事もほとんど無かった。

白糖も、量り売りで買ったような記憶があるけれど・・・・

当時は、雑誌や本などもほとんど買えず、

買った物は大事に何回も読み返し捨てたりした記憶は無い。

(ばばは一体、何時代の人間なの?)



今日、お昼ご飯を食べながら、ふと考えた。

毎週、水曜日にスーパーなどの売り出しチラシが配られる。

約1万1000軒に配られているようだ。

毎回、10枚のチラシが入るとしても11万枚の紙が

毎週使われている事になる。

一月4回は配られるので、40万枚以上の紙が使われているんだ・・・・

凄い事だよね。

勿論、チラシが入る事で、消費者は買い物の情報が得られ

お店も売り上げを伸ばす事が出来る。

良い事もあるけれど、ばばの場合

売り出しの格安商品につられてお店に出かけ

ついつい要らないものまで買ってしまったりして

消費者として、ちょっと気をつけなければいけないなあと

自分を戒める事も多々ある。

必要な物を、必要な時に必要なだけ買えば良いものを

ふだんより数十円安いからと大量に買い込んでストックして

賞味期限を切らしてしまったり。。。。全く無駄な事をしている。



ばばの場合、最近は買いもしないのに、以前1回何かを買った会社から

メール便が送り続けられたりする事もある。

そんな時のメール便は開封もしないままゴミ箱へポイっ!

少し前までは、ミステリーが好きで

ある作者の作品を読んで面白いと、同じ作者の本を

次々に買っていた。

最近、文庫本を買う事はあまりなくなった。

読みたい本は町立図書館へ行けば、借りられるかなぁと思っているから。

「思っている」という事は?まだ、図書館で借りていないということだけど・・・

こう、書きつつ、ここ数年は雑誌を買っているばば。

次の号を買うまでに、前買った雑誌を読み切れない事もあり

積み上げられていく雑誌・・・・・

それも、料理関係の雑誌ばかり。

ばばは、今からシェフにでもなるつもりなのかい?



猛反省するけれど、具体的には動き出せないばば。

考えるだけなら○○にも出来るって?

全くその通りです。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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