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03/17(土) 14:27
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03/16(金) 10:59
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03/15(木) 14:54
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03/14(水) 14:47
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03/13(火) 18:25
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03/12(月) 14:25
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出会いから半世紀、他

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ




3月17日(土)曇時々小雨

数日前の朝、食事の前、少し寒かったので

薄手のダウンベストを着て、チャックを閉めたら

何故か、じじが敏感に反応し

「今の音、何?」と聞いたので「ベストのジッパーを閉めたのよ」

と答えると「あぁ〜ビックリした!宇宙人かと思った」ですって。

宇宙人が何をする時に、ジッパーを閉めるのと同じ音出すの?

宇宙人と会った事あるの?

散々、じじをからかってあげました〜アハハハ〜



今朝は日差しもあったので、今日は良い天気かな?と

思っていたら、その後、霧雨が降ったりで曇天。



周囲が暗いと、何故か働く気が失せてしまうばば。

これではいけないと、自分で自分を叱咤激励し

掃除機をかけたり、拭き掃除をしたり・・・・



じじは今日も撮影に出かけたので、車庫から出る時に誘導。

我が家は道路沿いにあって、車庫を出る時、

右手にはブロック塀などもあり、はなかなか安全確認がし難い。

だから、じじが出かける時は、必ず誘導するようにしている。



じじが出かけた後、ブラブラしながら家周りを見た。



花壇にはキンモクセイとギンモクセイが咲いている。



鹿児島での学生時代、どこからとも漂ってくる芳香の元を突き止めたら

キンモクセイという木に花がビッシリ!

いつか、この花を自分の庭にも植えたいと、ずっと思っていた。

就職して2年目、たまたま花屋さんで苗木を見つけ買った。

しかし上手く育たなかった。

じじと結婚してからも、苗木を買って植えては枯らしを

何十回も繰り返した。

そもそも我が家には花壇らしい花壇は無かった。

ブロックを1段積んで土を入れただけの花壇だけど、

土の下はコンクリート。

こんな環境で植物が地植えで上手く育つはずもなく・・・・

花壇がダメなら鉢植えで・・と試みたが、それでもうまくいかず。



じじの両親が亡くなる前後から、両親宅の庭に

キンモクセイを植えてみようと、生協から買った苗を1本植えてみた。

その後、ギンモクセイの苗も何本か植えた。



しかし、キンモクセイは植えてから7,8年経っても

背丈も伸びず、茎も太くならず・・・

こんなもんかなぁ・・と諦めつつ、毎日眺めている。



その後、植えたキンモクセイ1本と、ギンモクセイ1本が

今年初め頃から小さな花を付け始めた。

キンモクセイやギンモクセイって、こんな花の咲き方をするんだった?

と思うような、咲き方・・・
ギンモクセイ


それに、寒い冬から春に咲くの?

大好き!と言いながら、キンモクセイの事、何も知らない事に気づいた。

ネットで調べて、少し勉強しなくちゃ。



約半世紀も、ずっと思い続けてきた

「キンモクセイを我が庭で咲かせる」という夢が叶ったし

桜の花も自宅庭で咲くようになったし、

これからは不要な植物は引き抜いたり、伐採したりして

庭をもう少しスッキリさせていきたいと思っている。



じじも、園芸に少し興味を持ってくれたら良いのに・・・

若い頃は、じじの方が色々植物を育てたりしていたのに。

今や、じじが興味のあるのは、野鳥とパソコンだけ?



と言うばばは、何に興味があるかなぁ?

園芸・料理・珍しい鳥・彼方此方触って物の位置を変える事・・・・

あれっ?ばばもじじの事笑えないや〜〜

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ど〜んより

by ばばの日記

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3月16日(金)曇り
トベラ


昨日とうって変わり、ドンヨリ空の徳之島。

降り出さないうちに、何かしなくちゃ!

庭に出て、ネギの株分けをして植え替えた。

11月頃、ポット植えで売っていたのを買ってきた。

お店の方が「これは九条ネギと言って、1年中作れますよ。

すぐには株分けなどしないで」と言われたので

ポットから出した状態で植えて、そのままにして置いたが

もう、3ヶ月も経っているし、そろそろ植え替えて良いだろうと。

1ポットを4つ位に分けて植え替えた。



植え替えようにも、場所が無いのが大変だったけど・・・

と言うのも、昨年10月末、旅行中に台風襲来。

、自宅のブレーカーが落ち

冷凍庫・冷蔵庫無いの食品が腐っていた。

11月に旅行から帰宅し、その腐った食品を菜園の真ん中辺りに

大きな穴を掘って埋めた。

あれから、ほぼ4ヶ月。



我が家の菜園、凄い事になっています!

何が凄いって、種を蒔いた覚えは無いのに

地面が見えないほどに、三つ葉が生えて繁茂してしまった。

抜いても抜いても追いつかず、根っこ毎、友人・知人にあげたり

お隣さんにあげたりしても、まだまだ・・・・

三つ葉が繁茂しすぎて、ネギやニラは

すっかり覆い隠されてしまった状態。

だから、先日も三つ葉を40株位抜いて、少し空きを作り

そこに、今朝ネギを植え替えた。

今日は雨が降るという予報だったので、これ幸いと思って。

結果が吉と出るか、凶と出るか?



子どもの頃、誰かが「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿という

諺?があって、同じようにネギ切る馬鹿、ニラ切らぬ馬鹿と言うんだよ」

と、ばばに言ったのが、未だに頭の中にあって

ネギは根元近くから思い切りよく切って

ネギは1本ずつ千切って使っているんだけど、本当かな?



でもね、今朝はポットから抜いた状態で植えてあったネギを

小分けにして、途中からスパッとハサミで切ったの。

切り過ぎたらいけないだろうと思いつつ、15cmほど切り取ったけど。



2ポット分のネギを8つに分けて植え替えたよ。

この後、上手く成長してくれるか、

ちょっとドキドキしながら見守ろう。



あっ、雨が降り出しているよ。

昼前には雷を伴って・・と、予報では言っていたけど

雷も鳴るのかな?

雷の音も嫌だけど、稲光が苦手なんだよなぁ、ばば。

あと数時間は、ちょっと心配。

夕べ、姉とメールのやりとりで「晴れたら紫蘭を堀りに行こうね」って

決めていたんだけど、今日は無理だろうな。

義妹の畑に紫蘭が無数、密集して咲いているんだって。



ザァ〜〜っと降って、大地を潤して

明日から又晴れてくれますように。



画像はね、昨日も夕方、徒歩で買い物に行った帰りに

役場敷地内のトベラの花がきれいだったので、

パチリ!してきたのよ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

名残○○他

by ばばの日記

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3月15日(木)晴れ

今日は貴重な晴天かな?

明日から天気は下り坂という予報。

今日の間に一生懸命頑張らなくちゃ!外仕事。



「名残雪」という言葉があるけど

「名残桜(花)」という言葉もあるのかな?

と、最近思っているばば。

発端は、すっかり葉桜になった我が家の桜の木を見ていたら

たくさんの緑の葉っぱの間に、ほんの数輪ずつ

ひっそりと開花していたから。

あまりに慎ましやかに咲いていて、最初は気づかなくて

1週間ほど前に見つけた時は、嬉しかった!

だって、来年まで、もう桜の花は見えないなぁ・・・と

思い込んでいたから。

まだ、数輪咲いているけど写真撮ろうと思っても

葉っぱに邪魔されて写す事が出来ないけど・・・
名残桜

今朝は初めてじゃないかな?「ゴミ収集日」だという事を

すっかり忘れていた。

食後、洗濯物を干したりしているうちに、

「あっ!今日は木曜日!燃えるゴミを出す日だ!」と思い出した。

時計を見ると、8時35分!!!

しまったぁ!!!今日はダメかも〜と思いながらも

必死にゴミをまとめ、外にだった段ボールや木の枝等を

慌てながら袋に押し込み、道路に走った。

おっ!我が家の反対側のお宅のゴミは、彼方此方出されて

まだ回収はされていない。

しかし、我が家の方は??と道路の上と下を見渡したが

ゴミ袋が見えないような気がして、車が来ていないのを確かめて

道路の中央に出て、もう一度チェックしたら、2軒のゴミが出ていた。

良かった〜まだ、収集車来ていなかった。



かつて、早い時は8時半に既に我が家の前のゴミを

収集していた時もあったから、

最近はなるべく8時少し過ぎにはゴミ出すんだけど。

でも、結果良ければ全て良し!で、

今日もゴミ出しできて良かった!



ばばの暮らす地区では、週に月・木曜日の2回、燃えるゴミを収集してくれ

第2、4週の水曜日には資源ゴミや不燃ゴミを収集してくれる。

だから、忘れずに出しているんだけど、

時代が変わると、本当にゴミが増えて・・

我が家なんか、夫婦2人暮らしなのに、必ず週2回は可燃ゴミを出す。

ゴミ袋は小さい方が1枚25円で、大きい方は1枚50円もする。

だから、なるべくたくさん詰めて出そうと思うけど

心配しなくても木・金・土・日と月・火・水・木で

小さい袋なんてすぐいっぱいになる。

ず〜〜〜っと以前のブログにも書いた事があったけど

ゴミと言っても、ほぼ、包装紙・ラップ類、紙容器などが主。

生ゴミはなるべく菜園や花壇に埋めるようにしている。

それでも溜まるから不思議。



資源ゴミの缶等は、じじが毎晩1本だけ飲むビール缶が99%で

ゴミ袋の一杯になるまで、何日かかるやら・・・

ビンも、半年経っても袋いっぱいにはならないし

不燃ゴミも、袋が一杯になるまでは何ヶ月かかかる。



なるべくゴミは出したくないから買い物には

エコバッグを持って行くけれど、それでも必ずゴミの元は出るんだよなぁ・・・



何十年か前までは、家にあるビニル袋などに

ゴミを入れて出せば良かったけど、

今ではゴミ袋も1枚25円とか50円とかで買う時代。

時代は変わったね。



現在は安全上からも禁止されているけれど、

以前は学校などでもチリ捨て場でゴミを燃やしていた時代があったし

個人の家でも、畑等で燃えるゴミは燃やしていた時代があったなぁ。

ゴミをまとめて出して、車で収集して行く時代になるなんて

考えた事も無かった。



ゴミ捨ても便利な時代になったとは思う。

でもね、みんなが、きまりを守って、きちんと分別して

ゴミを出す分には良いと思うけど、身近な所でも

歩き飲みしたジュースの缶を他人様のブロック塀の上に置いたり

敷地の中に投げ込んだりっていうのを見ると腹が立つ。

缶や瓶類だけでなく、お菓子等の包み紙とか

コンビニなどで買った食品の容器なども投げ込まれたり

置かれたりしている。

せめて、自分が食べたり飲んだりして出たゴミは、

自分で責任を持って、処理して欲しい。

当たり前の事が面倒くさいのかなぁ・・・・



ちょっと悲しいね。

危うくゴミ出しを忘れそうになったばば

一旦ゴミ出しを終えたら、暫くゴミの事など色々考えていたよ。

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あわや!迷子に・・・

by ばばの日記

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3月14日(水)晴れ

朝、じじの友達Mさんがタンカンを持って寄ってくれた。



Mさんとじじは、学生時代からの友達だ。

何回か、ばばブログにも何回か書いた

学生時代「じじの靴を質に入れ、じじも誘って

靴を質入れしたそのお金で、じじにコーヒーを奢った」Mさん。

社会に出て、別々の道を歩み、退職し

そして、今、歩いて行き来出来る距離に住んでいるMさんとじじ。

本当に仲が良い。



Mさんは、毎年今の時期には「ばばちゃんがタンカン好きだから・・」と

何回か、タンカンを届けてくれる。

今朝も、タンカンを届けがてら寄ってくれ

一緒にコーヒーを飲みながら、

何故か、ばばの実家に置きっぱなしになっている

草刈り機ビーバーをMさんにあげようという話になった。

もう、10年以上も前になるかな?

わざわざビーバーを買って、じじがばばの実家の雑草を

刈り払ってくれた事があった。

でも、見ていると怖くて「お願いだから、もう二度としないで」と

懇願し、その後は雑草刈りは専門のシルバーさんにお願いする事にした。

だから、実家に置いてある草刈り機は、たった1度使ったきり。

でも・・・10年以上位ほったらかし状態だからなぁ・・・

何故か、実家の床の間の横に置いてあるよなぁ・・・

等という話から、いつの間にか「草刈り機を取ってこよう」と話は進み

じじは、日課の撮影も取りやめ、Mさんが運転する車でばばの実家へ・・・



片道25分もあれば到着できるよな〜等と思いながら、ばばは残って家事。

出かけたのが10時前だったけど、帰って来たのは11時過ぎ。

取ってきた草刈り機を動かそうと、何回もじじが試みたけど

部品が劣化していて、修理に出さなくてはならない状態だった。

Mさんは、車の運転中に友達から電話があったそうで

そのまま一旦帰って行った。



昼食時、じじから実家の様子など色々聞いた。

昨日、姉と2人も門の外からは覗いたけど・・・・

じじは、外の水道近くにある通称「タジバナミカン」を

上着の両ポケットいっぱい取って来てあった。
タジバナ


香りが良いから、早速今晩から、じじが刺身をいただく時の酢の代わりに使おう!



じじの報告によれば・・

実家の内外は異常なしだったけど、実家に行くまでに

迷子になったらしく、今まで走った事の無い狭い道へ入り込んで難儀したって。

道に慣れているじじが運転すれば良かったのに

初めて、ばばの実家へ行く道をMさんが運転した。

一番近道コースの曲がる所を通り過ぎてしまったので

(まっ、良いかぁ〜)と、じじがばばと結婚してすぐの頃通っていた道を

通れば・・・と思ったのが、そもそもの間違いだった。

2番目の曲がる場所でも、又5メートルほど行き過ぎているのに

そのまま右折してしまった。

じじが運転して通っていた頃から、3,40年の間には家並みも

周囲の道路も変わっている。

入り込んだ道は「あれ?ここはどこ?」状態のまま前進したり

右折したり・・・しまいには、

とうとう方向変換さえ難しい場所に入り込んでしまった。

四苦八苦したあげく、方向変換し、やっとの事で数十年前に走った道から

実家へ走ったそうだ。

車1台が通るのがやっとという、狭い路地。

なぜ、そんな場所へ迷い込んだのやら。

3回目の曲がり角を直進すれば、そのまま海の見える場所に出て

実家の左手道路に出られたのに・・・

じじも、何十年も車を運転して行った事無いし

おまけに、初めての道をMさんが運転している・・・



超方向音痴のばばが、じじを笑う事は出来ないけれど・・・

やはり、通い慣れた道だと、いくら入りくんでいても

ササッと通れるのに、初めての狭い道を運転したMさん

本当にお疲れ様でしたと、言ってあげたい。



じじが「ミカン、まだ結構な量、残っていたよ。

近々取りに行こうか?」と言った。

きょう取ってきた分でも10日分以上は使えるだろうから

使い終わる頃に、行って来ましょ。

もちろん、その時はばばの運転で!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

26年前の今日・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ




今日も、穏やかな天気の徳之島です。

午前中はちょっと出かけて、昼から姉と一緒に実家のお墓参りに行ってきた。



今日は、父が亡くなって26回目の命日でもある。

偶然でもあるが、昨日は自分の両親の事を

ブログにも書いていた。

普通、両親や兄姉の命日は覚えているのに

何故か今回はすっかり忘れていて、姉が午前中

「命日でもあるし、天気が良ければ昼からお墓参り行く?」

と聞いたので、ハッと思い出し、行く事にした。

「2時には出発しようね」という事で、定刻出発で行って来た。

自分で車が乗れるうちは良いなぁ・・・思い立てば

実家までも、港までも、空港までもすぐ行けるから・・・

なんて思いながら、運転した。

カンナ


26年前の今日・・・・

勤務して職場はお別れ遠足だった。

近くの海岸に行き、ちょうどお昼の弁当を広げようとしていた時

事務の先生が車で走って来た。

「ばばちゃん、お父さんが具合が悪いそうです。

すぐ、帰って下さい」という悲しい伝言を持って。

その後の事はあまり覚えていない。

携帯も無い時代だった。

職場で姉の職場にも電話をして、帰宅し、着替えてそのまま実家へ。

職場から家まで、町を跨いで何十キロ走っただろう。

無我夢中で実家に着き、家に入ろうとしたが、入れなかった。

「警察が来ているから、今は入れない」って。



ちょうど1週間前には昼から家族で実家へ行き、両親と楽しいひとときを過ごし

夜8時過ぎに別れる時、娘達は「ありがとう。又来るからね。

体に気をつけてね」と方言で挨拶をし、私達の車が見えなくなるまで

門で手を振って見送ってくれたのが、父の最後の姿だった。



亡くなった日が金曜日で、翌日の土曜日は、又家族で会いに行く予定だったのに・・・

亡くなった日も、午前中、家周辺の草取りをして、

10時位には普通通り母とお茶を飲んで、「ちょっと横になるね」と言って

昼になっても起きて来ないので、母が起こしに行き異変に気づいたのだ。

本当にあっけない最期だった。

病気でもなく、母も傍らにいない時、眠ったままで最期を迎えた父。

警察が来ていたのにもショックだった。

苦しむ事もなく、逝ってしまった父は、ある意味幸せだったかも知れないけれど

残された母や、家族のショックは大きかった。



普段から無口で、他人と争う事も無く、家族に荒声を出す事もなく

何時も穏やかに笑っていた父。



結婚以来、毎週土曜日は家族で実家へ通い

娘達も本当に良く可愛がってもらった。

娘達が成長するにつれ、学校での様子とか話すのを楽しみに待っていてくれた。



末っ子のばばが結婚する前は「○○はお嫁にやらないでおこうかな?」なんて

本気とも、冗談とも取れるような事を何回か言ったけど、

やはり年を重ねるにつれ、我が子が親元を離れる事が

嬉しい反面、寂しかったんだろうね。



父は器用で盆栽を作ったり庭木の剪定をプロ並みにこなしたりもした。

又、浜へ行っては、打ち上げられた浮き玉や枯れ木を拾ってきて

動物や飾り物等を作るのも趣味で、未だにばばは父の作品を持っている。

庭箒や棕櫚箒などもササッと作っていたなぁ。



活字を読むのが好きな父に、毎月数冊の月刊誌をプレゼントしていたなぁ・・・

父には月刊誌、母には皇室関係の記事が載っている本を良く買って行っていた。



父は言葉であまり語る事は無くても、その態度や後ろ姿から

子ども達に、たくさんの事を教えてくれたと感謝している。



母は乗り物酔いをするから、車で遠出などもあまり出来なかったけれど

仕事帰りに実家へ寄って、両親を車に乗せて海岸へ走って

父の工作材料集めをした事などが懐かしい・・・

子育てと、仕事であまり頻繁に出かける事は出来なかった事が残念だ。



今なら、全島一周でも、島外旅行でも連れて行ってあげられたのに。



「親は牛の毛の数ほど子どもの事を思い、

子どもは牛の角の数ほど親の事を思う」という諺がある。

本当にそうだったなぁ・・と思う。

もっともっと、両親の喜ぶ事をしてあげたかったなぁ・・・

「親孝行、したい時に親は無し」とも言うけど、事実だったなぁ。



今日は墓参りのついでに、実家までも寄って

父が丹精した庭木を見てきた。

父が亡くなって26年・・・・

庭木や、手作りの飾り物を見る度に父の穏やかな顔が浮かぶ。



口には出さなくても、お父さん、あなたの溢れる愛情を

たくさんたくさんいただいて、成長し、

今、こうして平穏な日々を送れる事、あらためて感謝しています。

お父さん、ありがとう!

大好きです!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ごめんなさい、他

by ばばの日記

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3月12日(月)晴れ時々曇り

ありがたい事に、野菜をいただくのは日常茶飯事のばば。

過日も、春菊をドッサリいただいた。

量があまりに多くて、一部は下の方の葉っぱだけを千切って

残った分は茎毎湿らせた新聞紙で来るんで野菜室で保存。

一部は、葉っぱを全部摘んで、残った茎は一晩水に浸けておいて

翌日、花壇の彼方此方に挿して置いた。

あれから、もう2週間以上過ぎたと思うが

野菜室で保存した物は、まだ生き生き。

花壇に挿した分は、青々と元気な葉っぱを付けている。

春菊


以前も実験したと思うけど、春菊って挿し木できるんだね。

春菊は独特の苦みがあるけれど、卵焼きに入れたり

肉と一緒に炒めたり、味噌汁に入れたり、けっこう重宝している。

ビタミンAも摂れるだろうから、ありがたいなぁ。



そうそう、ばばは、自分の両親を

「母は厳しかった」「父は優しく神様みたいな人だった」と思っている。

子どもの頃は、母が厳しいのが嫌で反抗ばかりしていた。

口答えすると、叱られるので態度で・・・

例えば、母に叱られると、ドンドンっと足音荒く歩いたり

呼ばれても返事をしなかったり。。。。

態度で反抗するだけで無く、たまに、心の中では

「鬼婆〜」と叫んだりもして鬱憤を晴らしていた。

同級生のお母さんの中で、

明治生まれは母だけだったかも知れない。

生まれた時代のせいでも無いと思うけど、

「悪い事は絶対に許さない!」という一面があったと思う。

とにかく、中学生までは親の本当の気持ちを知らず

母には反抗していたばばだが、高校生位から

「母の言う事が正しいかも・・」と思えるようになり

大人になってからは、「鬼婆〜」と内心悪態づきながら聞いていた

母の言葉こそが正しかったと、思えるようになった。

とにかく、ばばに厳しい母だったが、つい10日ほど前、

ある方が、在りし日の母の事を話してくれた。



ばば達のちょっと上の年代まで、

同じ集落同士の結婚がけっこう多かった。

そんな時代に、ばばより10歳以上年配の、

ある男性先輩が遙か遠い地方の方と結婚して

奥さんを連れて帰ってきたらしい。

その時、お姑さんも、奥さんに厳しくて

周囲の方達も、なかなか打ち解けてもくれず

無視されるような事があったらしい。

そんな時に、唯一、母が「Aちゃん、Aちゃん」と言葉をかけ

可愛がってくれたらしい。

後日、その奥さんが、ばばの知人に

「○○おばちゃんに、本当に良くしてもらった。」と

感謝の言葉を言ってくれたんだって。

ばばは、全く初めて聞く話だった。

Aちゃんと呼ばれていた方も、亡くなって久しい。

そのA姉さんとは、ばばも大人になってから何回か話す機会があった。

親戚でもないけれど、ばばにとっても優しく接して下さった。

母とA姉さんの事など全然知らなかったけれど

あの、ばばに厳しかった母が、県外からいらした方に

親しく声をかけた事・・・とても嬉しかった。



母は、ばばが小学生の頃から

「自分より困っている人がいたら、出来る事は、してあげなさい。

そういう友達にこそ優しく、親切にしてあげるんだよ」

と何回も何回も、ばばに言った。

母の教えをそのまま100%実行する事は難しい世の中だけどね・・・



自分の身勝手で母を「鬼婆」と思っていた事を

心から謝りたいと思うけど、もう、母はいない。

今は、母の教えを「有り難い」と思う事で

少しでも罪滅ぼしをしたいと思う。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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