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04/18(木) 14:08
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04/16(火) 14:01
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04/15(月) 14:23
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04/14(日) 11:24
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04/13(土) 14:20
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そんなに可笑しいの?

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ





4月18日(木)晴れ時々曇り

起きた時は真っ青な空が見えたのに、時間の経過と共に

黒雲が広がったり、日差しがあったり。

そんな中、洗濯をして、撮影に出かけるじじを見送った後

徒歩で買い物に行った。

数週間前、あるお宅の前を通ったら「何か音が」聞こえ、

姉と2人「あなたの電話が鳴った?」「いや、違うよね、今の音とは」とか言いながら

通り過ぎたが、ビックリするような大きな音だったので気になり

友人に聞いてみたら「防犯のための音らしいよ」と教えてくれた。

慣れたつもりでもビックリするので、どの位置を歩けば音は鳴らないから・・等とも教えてくれた。

それからしばらく経って「最近は音しなくなってるよ」と聞いたので

今日も「怪音?」の事は考えずに、その道を通った。

すると、ある地点で突然「トゥリィラッ」というような音が!

ハッとしながら通り過ぎたが、帰りも又意識せずに音がする地点?を歩いたらしく

再び「トゥリィラッ」っと・・・・

あぁ〜びっくりしたぁ〜

これからは充分気をつけて、あの道は歩く事にしよう。

我が家の花壇、今の時期、花と言える物は1輪も開花していない。

だけど、一角だけ、真っ赤な色が3点・・・・

ちょうど1年前、都会へ引っ越して行かれたTおばちゃんから頂いたポインセチアが

去年の11月末頃に赤くなり、そして、1年以上経った現在も、まだ赤い部分は鮮やか。

あの赤い部分は花では無いらしいね。
ポインセチア

ポインセチアを見る度に、優しかった、Tおばちゃんを思い出す。

90才を過ぎ、田舎でのひとり暮らしだった、おばちゃん。

友人や親戚の方々、隣近所とのお付き合いもマメで、ご自分で造った保存食や

おやつなど、ばばも何回も頂いていた。

まるで「お母さんのような存在」だったTおばちゃん。

去年末、旅行した時に、もしかしたらTおばちゃんと会えるかも・・・と

姉は楽しみにしていた。

だけど、都会は広すぎて、Tおばちゃんのお宅まで行くのにも

電車やバスを乗り換えて、片道でも4時間位かかるとか・・・

残念ながら再会できずに帰って来た。

もう一度会いたいなぁ・・・と思うけれど、無理かなぁ・・・と思う昨今。

おばちゃんから頂いたポインセチア、今後も大事に育てます。

そう言えば・・・

庭の隅にある「Tちゃん桜」、何回もブログにも書いているけれど

数日前、あるお店でTちゃんとバッタリ会ったので、

「うちの、Tちゃん桜、今咲いているよ。花見をしながらコーヒーでも飲もうよ」と言うと

「恥ずかしいからやめて!」とTちゃん。

自分の名前の付いた花の名前を言われる度に「やめて、やめて」って。

「あのね、季節外れに咲く事を狂い咲きとか言うでしょ。

でもね、今年「戻り咲き」という言葉を知ったから、これからはこの言葉をつかおうと思うの」とばば、

「Tちゃん桜が戻り咲きしているよ」と言うと、Tちゃん大爆笑。
桜

その後も、笑いが止まらず・・・・

「Tちゃん桜が戻り咲き」というフレーズがTちゃんのツボにはまってしまったらしい。

言ったばばも、あまりのTちゃんが笑うのでつられて笑い、

2人で笑いながらお店の中を暫く歩いたけど・・・

他のお客さん「あの2人、ちょっと変!!!」だと、思っただろうな、確実に。

Tおばちゃんのポインセチアは戻り咲きではなく、

去年からずっと咲き続け(って言うのかな?花じゃないのに)

Tちゃん桜は「戻り咲き」・・・・

今気づいたけど、TおばちゃんとTちゃん・・・

頭文字が同じだぁ〜〜

さぁ〜、今日はこれから隣町へ向かいます。

中途半端な文だけど・・・・・今日はこの辺で。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

笑った、笑った!あげた物を取り返す・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ





4月17日(水)曇り後晴れ
ハイビスカス

数日前、ある姉妹に小包を送った。

2人とも、ばばより年上。

上の姉さんをA姉さん、下の姉さんをB姉さんとしよう。

B姉さんとは、折に触れ色々送り合ったりもしている間柄。

数日前、A姉さんにはジャガイモと島の特産品を

B姉さんにはA姉さんと同じような内容で1箱と

もう1箱は、今年知人友人達から頂いたジャガイモだけを入れて2箱送った。

たまたま、昨日はA姉さんが外出ついでにB姉さんの家に寄ったそうだ。

ふたりのお家は車で10数分位で行き来できるとか聞いている。

A姉さんが寄った時、たまたま、ばばからの荷物が届いた所だったので

B姉さんは、その場で2箱とも開けて、島の特産を少しと

ジャガイモも少しA姉さんに分けたそうだ。

その後、ばばにお礼の電話が来て、送り物、お姉さんにも分けた・・と言うので

ばばが「えっ?あれはB姉さんに送ったのよ。A姉さんにも1箱、同じように送ったから」と言うと

「知らなかった〜姉にも送ってくれたの?ありがとう、ごめんね」と言うB姉さん。

その後、電話をつないだまま「ちょっと待ってて」と言うので

「どうしたのかな?」と思っていると「今ね、姉は帰りの車中だから

さっきあげた品は、全部私の分だって。姉さんの分は、

ばばちゃんが同じように送ったんだって」と電話したそうだ。

その後も、自分の失敗について笑いながら話すB姉さん。

数分後、電話を通してチャイムの音が聞こえたので

「お客様みたいね、電話切るね」と言うと「ちょっと待ってて」と言う。

「???」と思いながら待っていると、電話の向こうで大爆笑するB姉さんの声。

そして「姉がね、ジャガイモなど返しに来た」って。

A姉さんも電話口に出て「せっかく貰ったのに〜又返しに来たよ〜」と

爆笑しながら言うので、可笑しくて、可笑しくて電話をつないだままお腹が痛くなるほど笑った。

「もし、A姉さん達が帰宅する前に、配達員さんが来て、

留守で荷物持ち帰っていたらどうしよう?」と、ばばが言うと

「大丈夫、大丈夫、すぐに再配達して貰うから」って。

もう、すっかり夕方だったので、昨日中に荷物を受け取れたか

ばばの方が気になって、しょうが無かった。

うまく受け取れたかなぁ・・・昨夜のうちに。

それにしても、姉妹愛って・・・・・

珍しい送り物とかあったら、いつでも姉妹で仲良く分け合っているんだよね。

ばばが、前もって「A姉さんにも同じように送ってあるからね」と

連絡すれば一番良かったんだけど、まさか、あのようなハプニングが起きるとは!

もし・・・と、考えた。

もしも、B姉さんが、あの時点でばばに電話をくれずに、

A姉さんは妹から貰った品を持ち帰り、そして、ほどなく自分に同じような荷物が届いたら・・・

姉妹同士、どんなやりとりをして、その後、どんな行動をしただろう?

想像したら、笑ってしまった。

やはり、これから荷物を送る時は、送った後すぐにメールででも

詳しく説明しないといけないかなぁと反省した、ばばだった。

ばばの配慮が足りず、又B姉さんの姉妹愛が強くて、昨夕は大いに笑いながらも

何だか心が温かくなった。

せっかく心が温かくなっていたのに、その後、じじが

何かで立ち上がったばばを横から見て「ばば〜メタボなのは僕だけかと思ったら

ばばも横から見ると、結構お腹が膨らんでいるよ。僕と良い勝負だなぁ」って。

たまたま腰で巻くエプロンがだらけていて普段より下腹がポコッと見えたのも確か、

最近ウエストや腹回りがやけに大きくなっていると思ってはいたのだが。

過日、入学式のお祝い回りに姉のスカートを着てしまい、

ウエストがきついなぁと思ったのも確か。

でも・・・・自分の服を着る時にきつくなったとか思う事は全然無いんだけど。

去年までの特定健診で「痩せすぎ。あと8キロ、体重を増やして下さい」と言われていたけれど

今年は「もう少し、脂肪を落として下さい」と言われるんじゃないかなぁ・・ドキドキ。

もう少し暑くなってくると「水かけご飯」しか食べられなくなるばばだけど、

今、食べられるだけ食べて、真夏になったら「熊の冬眠」ならぬ

「ばばの夏眠」しようかな?なんて思っている、ばばです。

※ばばのブログの写真は、いつも内容とは無関係でごめんなさい。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

エネルギーの源は?

by ばばの日記

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4月16日(火)曇り時折小雨ぱらつく
ブーゲンビリア

曇天の徳之島です。

夕べは刺身のツマにとパパイヤを千切りしていたら

何故かスライサーに小指の先を当ててしまって「ギャァ!!!!」。

血を見るのが苦手なばば、タオルに指先を押し当てて

慌てて傷バンドを探し出し、指先に貼って、その上から指サックをして

水仕事をし、お風呂に入ったばば。

今日は、昼前、撮影から戻ったじじがパーカーを脱ごうと

前のジッパーを外していたら、何かの拍子にジッパーのつまむ部分が

勢いよく、じじの指のどこかに当たったらしく、じじが「あ痛っ1」って。

全く、全く、もぅ〜〜〜〜

さてさて、ここ数年、我が家の朝食の始まりは、ほぼ7時ちょっと過ぎ。

仕事をしていた時代からしたら1時間以上遅い。

7時から朝食が始められるのも、じじの協力のおかげ。

じじは、毎朝、テレビ体操とラジオ体操をするけど、ばばは何にもしない。

目は覚めていても起き上がらず、布団の中からじじの動きを見ながらダメだし専門。

じじには「偉っそ〜〜〜に。じゃぁ、ばばもやってごらんよ」と言うけど

聞くようなばばではありません!

自分の体の命令に従って起き出し「じゃぁ、7時に下りてきてね」と声をかけ

階下に降りて食事の準備開始。

たったふたり分なのに、結構時間がかかる。

お味噌汁作ったり、パンを焼く準備をしたり、おかずを作ったり、温めたり

・・・そうこうしているうちに、じじは下りて来て

前もって準備してあるゆで野菜や生野菜など、サラダを取り分ける。

終わる頃、コーヒーをばばの分だけ淹れ、大体パンも焼けて「いただきま〜す」。

準備するのは30分以上かかるけど、食べるのは10分〜15分。

今朝も、ラジオを聞きながら、お喋りしながら食事が終わって

「さぁ〜頑張るぞ!」と立ち上がったばばに

「ばばのエネルギー源は愛情だね」と言った。

えっ?と思ったけど、昨日、今朝・・と、合計6個、荷物を荷造り送った。

愛情かぁ・・・・自分では考えた事が無かった。

でも・・毎日誰かの事を思って動いてる?・・・イヤイヤ。

自分が気持ちよく過ごしたいために片付けたりしてるんじゃ無い?

唯一、夕方、隣集落までお刺身を買いに走るのは「じじのため」だけなんだけど。。。

「ばばのエネルギー源が愛情」・・・全然意識はしないけど

言われて悪い気はしなかったなぁ。

じゃぁ、じじのエネルギー源は何だろう?

「野鳥撮影」?

出会えるかどうか分からないのに、毎日5キロ近くもある大きなカメラを持って

午前中、既定コースを巡り歩く。

まぁ、2人とも「何かをしよう!」という気持ちを持っている間は大丈夫かな?

何にもせず、「ただボ〜〜ッと座っているだけ」にならないためにも

その日、その日、何か課題を見つけて体を動かさなくちゃ・・・と

あらためて思う昨今です。

※画像はブーゲンビリア。

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きれいでも

by ばばの日記

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4月15日(月)曇り後晴れ

ずっとお悔やみ続きで、ここ数日は平穏な日々だったのに

又今日も訃報が・・・先輩の奥様がお亡くなりになったって・・・

悲しいね。

高齢化と少子化が進み、どんどん過疎化していく、ふるさと。

何だか辛くて切なくなる。。。

4月も中旬になって、畑の周囲や叢などに野生の白百合や、

グラジオラスが咲き出した。
グラジオラス


月初めの入学式から約1週間。

来週辺りから家庭訪問が始まるかな?

家庭訪問時期、訪問したお宅の玄関を開けると

強烈な白百合の香りが漂ってきたのを思い出す。

白百合と共にグラジオラスの花も飾られていたなぁ・・・・

遙か昔、ばばが社会人になって2年目だったかな?

家庭訪問の時期、高学年のある男子が担任の先生を迎える玄関に飾るため
こ、
収穫の終わったキビ畑の周囲に咲いた白百合とグラジオラスを取りに行き

危うくハブの被害に遭うところだったと・・・という事があった。

だんだん暖かくなってくると、島民から目覚めたハブが活動を始める。

徳之島というと、何処にでもハブが出て来そうな・・事を思う人もいると思うけど

直接遭遇する事は滅多に無い。

でも、不用意に藪の中に入ったり、木の下などを歩いたりすると

被害に遭う事もある。

昔はお風呂やトイレも外にあったから、夜など注意しないと

玄関を開けた所でハブがとぐろを巻いていたり

トイレの天井にハブが這っていたり、ガジュマルの木からぶら下がっていて

たまには落ちてくる事もあった。

過日、知人が大きな大きなハブを生け捕りにして、透明なビニル袋に入れ

手で持っている写真がフェイスブックに載っていて、ギャァ!!!!って声を上げそうになった。

養鶏場の近くで捕獲したとか。

徳之島では昔から(50年以上前位から?)、捕まえたハブを

役場に持って行くと、現金で買い取ってくれていた。

以前は1匹5千円の時代もあったとか・・・・。

現在は3000円で買い取って貰えるらしく、ハブ取り名人になると

山に入り、一晩で何匹も捕獲すると聞いた事がある。

柑橘類の害虫、ゴマダラカミキリは1匹30円らしい。

ペットボトルを持ってミカンの木のある場所を回って、

ゴマダラカミキリを捕まえている人を見た事もある。

退職後、毎夕、ウォーキングをしていて、初めてゴマダラカミキリを見つけた時は

「珍しい虫を見つけた!」と大喜びしたが、

その後、ばばの大好きなミカンの害虫と知って憎悪の対象になったけど・・・

今でも、たまぁに、どこからか飛んで来て、家の壁などに留まっているのを見つけるけど

捕まえたくは無いし、無関心。

イヌマキの害虫、キオビエダシャクの成虫を最初見つけた時も

きれいな羽の色に感動したけど、その後、近くのイヌマキの葉っぱを

集団で食べる凄い音を聞いた時は背筋がゾクッとして、それ以来、大っ嫌いになった。

日常でも、気をつけなければならない色々な虫や生き物多いから、気をつけなきゃね。

見た目がきれいだからと、すぐに触ったり捕まえたりは絶対にしない方が良いね・・・自戒。

※画像は、昨日出かけた先で見つけたグラジオラス。

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約束守れず ごめんなさい

by ばばの日記

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4月14日(日)曇り

今日は曇天の徳之島。

じじが「天気は回復するよ」と言うので朝から沢山洗濯したけど

結局部屋干し・・・昼から晴れてくれると良いなぁ。

昨日のブログで、ばばは「母の言葉で仕事を決めた」と書いた。

就職しても、ずっと勤めるという思いは無かった。

それでも正式採用された年の卒業式で、

先輩が袴姿で壇上の校長先生の横まで卒業証書を運んだ。

その時「卒業式には袴姿で参加するんだ・・・」と思い、

帰宅後、母に「定年まで働くから袴を買って欲しい」と頼んだ。

両親は「良いよ」とすぐに聞いてくれ、姉が紺色の生地を買い

袴を縫い上げてくれた。

勿論、次の年から袴を着用した。

その袴・・・姉が縫ってくれてから約半世紀。

実際着たのは10回位。

ほぼ新品のまま、洋服ダンスに下げてある。
袴


自分が一番なりたかった「国語教師」にはなれず、小学校の教師。

仕事は大変な事があっても、先輩や上司がいつも助けてくれ楽しかった。

子供達は純粋でかわいくて、無我夢中で過ごすうち・・・22歳の頃からだったかなぁ?

何故か「私は27才で、5才年上の男性と結婚する」と決めていた。

なぜ、27才なのかは自分でも分からなかったけれど、兄弟姉妹が全員5才差婚していたから

自分も5才年上の人と・・・と単純に考えていた。

そして、「結婚したら仕事は辞めて、旦那様を支え、尽くす奥さんになろう」

というのが理想だった。

それが、考えていたのとは違い、24歳の時、1歳違いのじじと結婚。

仕事も続ける事に・・・

それは、じじ父が「ばばちゃん、これからは女性も働く時代になるから

ばばちゃんが、辛い!もう、仕事やめたいと思うまでは働いて良いよ。

母ちゃんと私で、できる限り協力するから」と言ってくれた。

理想と現実は違う〜〜と思ったけど、義父の言葉は嬉しく有り難かった。

じじ両親に甘え、結婚後も仕事を続ける事になったばば。

海を渡って行った転勤先で、乳児を預ける事が出来ず

生まれて3ヶ月の長女を義両親に預け、次女も1歳半から預け仕事を続けた・・・

子供達と分かれるという事は、身を切られるように辛く、

まだ離乳してていなかった長女を、じじが徳之島へ連れて行った後は

娘の事を思うと、胸が痛くなり・・暫くは、さらしを胸に巻いて出勤していた。

親から引き離された、幼い娘達の気持ちを考えると、今でも泣きそうになる。

娘達には寂しい思いをさせながらも、じじ両親やじじの叔母、ばば姉など、

沢山の人たちに支えられながら、数回転勤をし、最後は母校勤務に。

母校で定年を迎えるなんて、予想だにしなかったので有り難くて・・・

自分の後輩達のために、精一杯頑張らなくちゃという思いで5年間勤めた。

あと2年・・・・という時の夏休みに、じじ妹が3月で退職すると言った。

妹の主人が定年退職するので、少し早いけど自分も退職すると・・・

え〜〜〜っ!と思った。

当時、じじは大病、大手術で一足先に退職していた。

義妹夫婦がやめたら、ばばだけが働く事になる。

迷った!

最後まで母校で働きたかった。

色々考えた末、夏休み中に上司にも相談し、退職の意を伝えた。

3月、人事異動発表で、ばばが退職すると上司が発表すると

同僚達から「え〜〜〜っ!」という声が上がり、ビックリさせてしまった。

クラスの子供達にも伝えた。

辞任式の日、いったん「帰りの会」をした後も

クラスの子供達は帰ろうとせず、色々な話を続けた。

「ばばちゃん、本当にやめるの?もう、学校来ないの?」と言う子もいた。

(ばばの名字にちゃんを付けて、呼んでくれる子供達も多かった)

「学校近いから、運動会とか学習発表会とか、又みんなの応援に来るからね」と伝えた。

退庁時刻が来て、ばばは実家のお墓に行った。

そして、墓前に手を合わせ「お父さん、お母さん、ごめんなさい。

約束通り定年まで働かず、今日で仕事を辞めました。

これからは、じじを支え、じじ両親を大事にして、今までのご恩返しをします。

これからも、ずっと見守っていて下さいね」と心の中で呟いた。

あれから12年余・・・・・

両親に約束した事、守れているかい?ばば。

じじを支えている?虐めてばかりいるんじゃ無い?

・・・・・・(無言)

でも、じじ両親へのご恩返しは、少しだけ出来たかな?と思っている。

あの時点で退職したから、じじ両親の手助けも少しは出来たと思っているから。

「これまでの人生に悔いは無い」と言うじじ。

ばばは「定年まで働くから袴を作って下さい」と両親にお願いしたのに

2年早く退職してしまい、約束を果たせなかった。

だから「ごめんなさい。約束を守れなくて」という思いはあるけれど

「悔い」と言うほどではない。

両親だって、「あの時点で辞めて良かったね」と言ってくれるだろう。

ずっと、ずっと、ばばを励まし支え続けてくれた、じじ両親に

少しだけでも恩返しできたから。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

悔いは・・・

by ばばの日記

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4月13日(土)曇り
朝顔

今日も、自宅の片付け。

押し入れの中は片付いたので、ふと、上にある棚が気になった。

梯子椅子?に乗って、覗いてみると、紙箱が沢山積み重なっている。

「何だ?」と思い、開けてみるとフェイスタオルやバスタオルのセット、

更には毛布、コタツ上掛け等。

全て下に下ろして箱から出し、箱は即ゴミ袋に。

タオルやバスタオルなど、全て新品だけど、一部分黄色くなったりしているのも。。。

あぁ〜勿体ない!

でも、自宅で使う分には問題ないかと思い直し、先ずは洗濯しようと。

中にはデパートの包装紙のままの品もあり

(何で、これらの品から使わなかったんだろ?」と、今更ながら反省。

午前中終わったのは、押し入れ整理だけ。

明日以降、今度は掃除機をかけたり、雑巾がけをしたり、又忙しくなるなぁ。

昼食後、じじが「僕の人生に後悔は無いなぁ・ばばは?」と言った。

「1つだけ、後悔がある」と即答した。

「何?」と聞かれたので「定年まで2年残して仕事を辞めた事」と答えた。

ばばは、本当に子供の頃からあこがれていた職に就き

38年間のうち、辛い事もたまにはあったけど、楽しかったし、やりがいもあった。

ばばの実家は農家。

両親は「これからの時代、子供達には農業以外の仕事をして欲しい」と言っていた。

当時は、今のように機械化もされていないし、

黒糖やお米を作っても、お米は「供出米」とか言って、良い物は強制的に買い上げられ

自家用は売って残った、あまり上等では無いお米だった。

野菜も自家用は各家庭で作っていた。

色々な意味で、大変な時代だったが、ばばの兄は大学へ行き、高校の教員になった。

両親や姉ふたりは、兄の毎月の学費捻出のため、身を粉にして働いた。

ばばは年が離れていたので、田植え稲刈り、キビかさぎ、麦の収穫、養蚕の手伝い

ソテツの実の収穫等々は手伝ったが、山へ行って、木を切って来る・・・

と言う事などは経験が無い。

そんな時代だったから、今のように高校に全員が進学・・・という事も無く

中卒で島を離れる人も多かった。

ばばは、幼稚園に上がるか上がらない頃から

母が「先生という仕事は良いよ。卵なども貰えるし・・」と言い聞かされていた。

当時は、家で数羽の鶏を飼い、その鶏が産んでくれた卵を大事に大事に食べていた。

1個の卵を味噌汁に溶き入れて、家族全員で分けて食べていた時代。

そんな時代に、幼稚園で働いていた姉が家庭訪問の時、

あるご家庭から卵を数個、頂いてきた事があった。

ははが「先生になれば卵も貰える・・」と言ったのは、この事だった。

当時、徳之島に会社とか、店員さんが何名もいる大きなお店も無かった。

両親にしてみれば、毎月決まった現金収入のある「公務員」になって欲しかったのだろう。

でも、じじの話によると、当時、教員になったじじ父の給料はとても少なく

家族で食べていくぶんには足りなかったので、

朝早く、出勤前に畑へ行き、仕事から帰って来たら又薄暗くなるまで畑で働き

野菜等を作っていたそうだ。

ばばは、家族や親戚の方々と共に働ける農業も嫌いでは無かった。

まだまだ農業の本当の大変さを分かっていなかった子供時代だったからかなぁ。。。。

何回か、このブログにも書いているが「先生は良い仕事だよ」という

母の言葉がずっと頭の中にあって、「そんなに良いのかな?」と思うようになり

そのうちに「絶対先生になる!」と小学校低学年頃にははっきりと決め

学年が上がると共に、国語の勉強が面白くなり、大好きになり

「国語の先生になる!」と中学校では決めていた。

そのために進学もし、免許も取ったけど、当時、国語の教員採用は数が少なく

意に反して「小学校の期限付き臨時教師」からのスタート。

じじと結婚した当時も、ばばは「臨時教諭」。

結婚して2年後位から通信教育で色々な免許を取っていたじじを真似て、

ばばも一念発起、通信教育で小学校教諭や幼稚園教諭の資格を取得。

結局は国語教諭や司書教諭などの免許を生かす事は無く・・・

その後の30年以上、仕事を続けた。

続けるうちに、仕事が大好きになり

「この仕事を選んだのは間違いで無かった!」と確信もし、両親に感謝した。

もう少し後の時代なら、島でも色々な仕事があったかも知れないし

都会でも自分の好きな仕事を見つける事が出来たかも知れない。

母の言う通りの道を進んだという思いはあるけれど、悔いは無い。

と言いつつ、「悔い」では無いけど

「約束守れなくてごめんなさい」という思いはある。

文が長くなるので、明日又書きます。

※画像は友人宅のオーシャンブルーです。

日によっては60数個も一気に開花して、目を楽しませてくれます。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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