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こんな事ってあるんだ〜

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ





3月18日(水)曇り

お日様の顔が見えない徳之島です。

我が家の庭では、夜香木がどんどん成長し沢山の花を付けている。

見た目はパッとしないけど、夜になると辺りの芳香が漂う。

挿し木でどんどん増やせるので、我が家では6,7本が成長中〜〜

夜香木

じじが出掛ける前、固定電話に見慣れない番号からの着信。

ばばは、なるべく出たくないのでじじに出てもらった。

「ばばの同級生からだよ」と言うので代わると

何と!半世紀以上前一緒に学んだ同級生、Tちゃんからだった。

いやぁ〜〜ビックリした〜

年賀状のやりとりもしていないし、本当に半世紀以上

音信不通だったTちゃん。

「何故かばばちゃんのことが気になって。元気?」って。

暫く色々話したけれど、話していると一気に学生時代に戻って

同級生の事とかも話題に出た。

ばば自身ビックリしたけど、半世紀以上振りでも

Tちゃんのフルネームが言えた事。

それに、Tちゃんの家にミカンの木があった事、

畑で陸稲作りを一緒にした事等々、次々に思い。出された

当時、親元を離れて右も左も分からなかった、ばば。

Tちゃんの家がすぐ近くだったので、学校から戻って一緒に遊んだり

自転車を貸してもらったり、リヤカーを貸してもらったり・・・・

当時、ばばの家にはお風呂が無かったので、銭湯に通っていたけれど

Tちゃんのお母さんが「お風呂沸かすから、入りにおいで」と

声をかけて下さり、しょっちゅう、もらい風呂もしていたなぁ。

それに美味しいおかずやおやつもいただいていたなぁ。。。。

Tちゃんのお母さんは、何故かばばの母と面影が似ていて・・・

自分の親のように甘えていた。。。。。

体育祭が出来ない年があって、夜歩いて全島一周をしたり

又、クラス全員でキャンプに行き、海岸で一晩楽しんだ事もあったなぁ。

Tちゃんとは、楽しい思い出がいっぱい!

卒業してからは、進学のため別々の地へ旅立ったTちゃんとばば。

しばらくTちゃんのご両親とは、年賀状のやりとりをしていたけれど

それもいつの間にか途絶えていた。。。。

本当に、半世紀以上振りに電話をもらって、ビックリしたけど嬉しかった!

何とか、ばばと連絡を取りたいと、ばばの初任の職場に電話をしたり

ある場所に電話をしたりしているうちに、ばばの連絡先が分かったそうで

「この後、連絡先教えてくれた方にお礼の電話するね」

と言って、電話を切ったTちゃん。

電話を切ると同時に、又固定に着信。

見慣れない番号だったけど、思い切って出てみたら

「○○です」と先方から名乗って下さった。

Tちゃんから、ばばの連絡先を教えて貰ったという方の名前を聞いた途端に

「あっ!もしかしたら?」と思ってはいたが

正に、ばばが「もしかしたら?」と思っていた方からだった。

開口一番「すみません。実は、ばばさんの個人情報を

同級生という方に教えてしまったので謝ろうと思って」と言うので、

「いえ、いえ、同級生と半世紀以上振りに話せて嬉しかったです」

と答えた後「もしや?」と思っていた事を、ばばが口にすると

まさに、的中。

この方も、又、ばばとは、ご縁のある方で、

直接話したのは、もう10年以上も前。

10年以上前、ご縁のあった方を通して

半世紀以上前、親友だったTちゃんと話す事が出来た。

人間のご縁を感じる、不思議な日でした。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

じぶんの番を・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ




3月17日(火)晴れ

気持ちいいなぁ〜〜

穏やかな陽気の徳之島です。

じじはいつものように撮影へ。

もしかしたら?タゲリとか、ハツガシラとかの珍鳥に出会えないかと

かすかに期待をしつつ、ばばはじじの帰りを待っているのだが

なかなか・・・・

でも、カメラを持って歩く、ウォーキング=体力作りと思えば良いかな?

森林浴で綺麗なマイナスイオンもたくさん吸収できるし。

じじが帰るまでを逆算し、炊きたてのご飯をあげようと、

ばばも朝食後にはお米を洗って準備!

おかずも、じじが玄関から入ってきてから作ったり温めたり。

ご飯は2日おきくらいにしか炊かないけれど、

今日のご飯は炊きあがった時からツヤッツヤで美味しそう〜

大体の目安で60グラム位を、じじのお茶碗に入れてあげたら、何と!お代わり。

それに「自分で入れるよ」って。

じじが、ご飯をお代わりするって、ほぼ無い事だからビックリもしたけど

食事がすすむって良い事だから嬉しかったなぁ〜

さて、話は変わって

植物は、誰が教えなくても花の時期には花を咲かせてくれる。

ばばが良く行く場所に桃の木が1本あって

数週間前は蕾がぽつんと数個。

それから日を追う毎に蕾の数が増え、そして蕾が膨らみ、

今は満開。

この桃の木に出来る実は、決して美味しいとは言えないらしい。

でも、美しい花姿を見るだけで心が和む。

桃の実と言えば・・・ばばの実家裏にも数本、桃の木があって

花を咲かせ、実を付けて、ばばは実が熟すのが楽しみでたまらなかった。

以前も書いたと思うけれど、入学前、何かの予防接種を受けなければならず

ある日、長姉がばばを個人医院に連れて行った。

子どもの足でも20分くらいでは歩ける距離だった。

歩きながら、姉が言った。

「泣かないで注射させたら、家に帰ってからも桃をあげるよ」って。

結果は・・・もう分かるよね。

食いしん坊ばばは、注射の痛みに耐え、帰宅後の桃を楽しみに

帰りの急な坂道もどんどん歩いた。

家に着いて、姉は約束通り、裏の畑から桃の実を数個取って来て

ばばに「泣かなかったご褒美」をくれた。

嬉しくて、すぐに食べた・・・はずなんだけど・・・・・

桃が美味しかったかどうかなど全く記憶に無い。

今の水蜜桃と比べたら、それはもう。砂糖と梅干しくらい、甘味の差はあったと思う。

60年以上も前の話だし、当時、水蜜桃なんて見た事も食べた事も無かったから

畑の隅っこに出来る桃の実でも、喜んで食べていたような気がする。

ばばが良く行く場所にある桃の木の花や実を見る度に

60年以上前の「注射泣かずに頑張ったら、ご褒美に桃」を貰っていた事を

ついつい思い出してしまう・・・・

我が家に桜の木が5本ある。

1本だけは数年前から花を咲かせてくれる。

花壇にある2本は、花が咲くまでには、あと3,4年かかるかも知れない。

でもね、今年初めて気づいた事があるの。

花が咲いた木は、花が終わった後、新しい葉っぱが出てきて「葉桜」になる。

花が咲かなかった木は???

去年まで気にも留めていなかったが、今年、毎日観察していたら

今までの古い葉っぱは全部落葉して、新しい芽が出てきて

美しい緑の木になった〜〜

枝の先の方に最後まで付いていた葉っぱも、上部と下部に、

新しい葉っぱが出てきて挟まれるような形になって、ハラリと落ちていくんだね。

新旧

※上の方の濃い2枚の葉っぱは、古い葉っぱで、あとは新しい葉っぱです。

毎日観察していて、何だか感動したなぁ〜

世代交代。

「出てくる時」、「散っていく時」を、ちゃんと分かっているんだね。

相田みつをさんの作品に「自分の番 いのちのバトン」という作品がある。

ばばは、この詩が大好きだ。

この詩の中に・・・・「過去無量の いのちのバトンを受けついで

いま、ここに 自分の番を生きている

それがあなたの いのちです。それが私の いのちです」という一節がある。

今、、人間も、動物も、植物も「自分の番」を一生懸命 生きているんだね。

庭の木や花も、ばばに色々な事を教えてくれるよ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

おぉ〜〜っ、やったね!

by ばばの日記

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3月16日(月)晴れ

穏やかな天気になった徳之島です。

今日は、数ヶ月ぶりに徒歩で用事を済ませてきた。

役場窓口である用事をしてこようと思い、じじが出掛け後、

しばらく経って家を出た。

徒歩で役場まで行くなんて、いつ振りだろう?

役場よりもっと近いお店でも、車で出かける事が多い。

全然ウォーキングもしていないし、運動不足は自分でも分かっている。

午前中は、じじがばばの車を使うので、どこか出掛けるとなると

必然的に徒歩。

でも食材を買う以外、殆ど出掛ける用事も無い。

だけど、今朝は「私、歩いて役場まで行ってくるね!」とじじに宣言。

はて、我が家から役場まで、遠いような・・・近いような。

家を出る時、携帯で時間を見たら10時42分。

裏門から出て、役場へ向かった。

あまり歩く人も無く、行き交う車もなく、ひたすら歩いた。

役場へ着き、時計を見ると10時51分。

なぁんだ〜たった9分しか経っていないじゃないか?

ずいぶん遠いと思っていたのに、歩いて10分もあれば来られる近さ。

早速窓口へ行き、色々教えて貰い、用事を済ませて外へ出たら

11時5分。

それから又すぐ帰宅・・・と歩き始めたけど、

途中のスーパーで、おやつと野菜を買って帰宅。

それでも11時半には帰宅。

あらためて思った。

亀津の町って、我が家から徒歩で、ほぼ10分も歩けば

お店や病院、公共施設も行けるじゃ無いか?と。

それでもほぼ車で移動していた事を反省しつつ思った。

健康のためにも、天気さえ良ければ、歩いて用事を済ませる事にしようと。

昨日夕方・・・はお魚屋さんからの帰り、

ついでに他のお店でも買い物もして帰宅。

入り口から入ったら、「安納芋の詰め放題」や

「ジャガイモの詰め放題」コーナーが。

安納芋にちょっと惹かれたけれど、そのまま奥へ行き、買い物を済ませ

レジに並ぼうとしたら、安納芋をタップリ詰め込んだビニル袋2個をカゴに入れ

レジに並んでいるお客さんがいた。

そこで、又、ばばの「安納芋買おうかな?」欲がムラムラッ!と起きて

「詰め放題コーナー」へ。

コーナーに置いてあるビニル袋に詰め放題で300円だって。

顔見知りの先客が1人いて、まさに袋に芋を入れようとしていた。

お互い目が合ったので、会釈をしたら「どう入れたら沢山入るかなぁ?」

と聞かれたけれど、「どうでしょうね」と答えるしか無かった。

ほぼ同時に詰め始めた。

形の良い物を選びつつ「縦に入れた方が良いかな?」と隣の方は仰るけど

ばばも分からない。

詰めながら「結構入りますね」と言いながら、詰める、詰める。

隣で詰めていた人方は「オバタリアン根性丸出し」と言いながら詰めていた。

久しぶりに「オバタリアン」という言葉を聞いて、内心クスッと笑ってしまった。

ついに袋いっぱいになった。

そして、先ほどレジに並んでいた人がしていたように、

袋からはみ出すように隙間にも立ててみた。

そのまま、レジへ持って行くと、レジの方が、ばばの入れたビニル袋の上に

もう1枚袋を被せた.(転がり出ないようにかな?)と思いつつ、

支払いを終えた。

結構詰めたなぁ・・・何個くらい入ったんだろう?と思いながら帰宅した。

ばばは、安納芋が大好きで、これまでも良く買っていた。

1個がL玉卵よりも少しだけ小ぶりか少し大きい位の大きさの芋が5〜8個入って200円。

完熟?していて、圧力鍋で煮ると、甘くて、ネットリで止められない、止まらない〜状態。

ばばは一度で数個はペロリ!だけど、何故かじじは好んで食べないので

ばばは独り占めで、満足!満足!だったのだ。

そんな時、昨日の詰め放題は、芋を入れる袋は遙かに大きかったし

結構お得感があった。

帰宅後、早速袋から芋を出して数えてみると、何と!30個も入ってたよ〜〜〜

安納芋

やったぁ!!

ついでに、数日前に買ってあった袋入りの芋も見たけど、8個入っていた。

袋入り安納芋

この芋と、詰め放題の芋、味がよっぽど違うのかなぁ?

何故、こんなに安かったんだろう?等と思いながら、

買ってきた芋は暫く追熟させる事に。

あと2週間くらい経ったら、炊いてみようかな?

ミカンと同じくらい芋も好きなばば。

「みかん星人」「芋ばあさん」と、じじからは言われるけれど

そんな事、気にしないばばです!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

寂しいな

by ばばの日記

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3月15日(日)曇り

桃の花

※画像は綺麗に咲いていた桃の花です。

花を見ると、心が安らぎますね。

昨日は、8時起床で、今朝は7時起床。

何でこんな遅くまで寝てしまうんだろう?と自分でも思う。

今朝、起きる時「あぁ〜あ、あ、今日も朝寝した〜」と言いながら起きると

じじが「ばばには仕事させんといかんなぁ」って。

仕事していたら、5時には起きていたんだよなぁ〜と

あらためて思う。

ある時期からは、6時前に家を出る事もあったし、

職場では、ほぼいつも一番早く出勤していた。

管理職が、鍵を開けるまでは、花壇の草抜きをしたり

水まきをしたり・・・それが楽しかった。

当時は、社会人として仕事をしているんだから、

眠くても起きなければいけなかった

でも、今は・・・・

いくらでもやらなければならない事はあるけれど、

いついつまで、やらなければならないという期限とかも決まってないから

日に日にだらけていく気がする。

人間やはり、責任感とか目標とかが無ければダメだね。

夜は6時半から夕食、洗い方付け手、明日の準備しても

8時前くらいには一応の事は終わる。

その後、テレビも観ないし、本も読まないし、ラジオも食後はスイッチを切るし

やる事と言ったら、ネット徘徊くらい。

それも飽きたら、2階へ行き、ラジオを聞きながらタブレットをチラッと見たり、

レシピ本を眺めたりして、眠くなったらラジオを聞きながら寝る。

仕事をしていた頃は、こんな、のんびりとした時間はほぼ無かった。

夕食後でも、色々と明日の準備があったしね。

去年だったかな?娘が「お母さん、仕事をしていた時は

日曜日とかは、よく寝ていたよね」と言った。

職場まで結構遠かったし、朝、家を出てから帰宅するまで

ずっと緊張のしっぱなしと言っても過言では無かったからね。

週末は、土曜日の午後は家族で実家へ行っていたし

日曜日は終日ダラダラ寝ていたんだろうね、「1週間分、寝溜めとか言って。

思う存分寝たり、時間に縛られなくなったのは良いけれど

反面、緊張感が無くなり、ついつい自分を甘やかしてしまう事が多くなって

これでは、一気に年とってしまうなぁ・・・と反省もする。

もう少し、自分の生活習慣を見直す必要があるのかなぁ・・・と反省。

そうそう、昨日、あるサイトで瀬戸内町の秋徳小・中学校が

来年は休校になるという記事を見た。

秋徳小・中学校と言えば・・・ばばの生活ががらっと変わった場所。

前年秋、じじと結婚し、翌年春転勤したのが秋徳小・中学校。

加計呂麻は凄く不便な場所と周囲から聞かされた。

又小学校と中学校が併設という職場も初めての経験。

と言っても、それまで期限付き採用11ヶ月を含め2校しか勤務経験も無かったけど。

じじは、秋徳に近い職場で勤務していたけど

結婚と同時に、夫婦同じ敷地内にある職場へ。

職員会とか同じ部屋だし、研究授業とかお互い見るんだよなぁ・・・・

後の授業研究では意見も述べ合わなくちゃいけないし。。。。

と、複雑な気持ちで、新しいスタートを切った。

住宅は町営住宅で、お風呂は無く、トイレもくみ取り式。

職場まで歩いて数分。

集落内も歩いて10分くらいでは回れるくらい。

小さなお店は2軒あったけど、品数は限られていたので

買い物は、土曜日の昼とか日曜日に海を渡って行かなければならなかった。

固定電話も無かった時代で、徳之島へ電話をする時はお店まで行って

電話を貸してもらい、徳之島からかかってきた時は

お店のおばさんが、集落内放送に使うマイクで呼び出しをしてくれ

お店まで走って行って、両親と話したりしていた。

洗濯機はあったと思うけれど、娘が生まれた後

おむつを洗うのは、近くの川へ行き、洗っていた・・・

日本昔話「桃太郎」のおばあさんを思い出すなぁ。

川で洗濯をしている間に、いつの間にか結婚指輪を流してしまって・・・・

大事な指輪を外して行けば良かったのにね。

集落の方々は皆優しかった。

上司や同僚も良い方達ばかりで、子ども達は素直で、毎日が楽しかった。

平和な時間が流れていた。

赴任して3年目だったかなぁ?

何回かブログにも書いている破傷風になってしまったばば。

海を渡って、歯医者へ行き、治療を受けて帰って来た後

高熱が続き、そのうち首が回らなくなった。

40度ちょっと超える高熱が続いたので、仕事は休んだ。

心配した上司が「もしかしたら敗血症かも知れないから

病院でちゃんと見て貰った方が良いね」とじじに言ってくれ

たまたま「巡回診療船」がすぐ近くの海岸まで来たので見て貰い

それでも病名までは分からず、又、海を渡って病院へ行き

病名は分からぬまま、入院。

じじは、夕方の船で変えろとしていた時、院長先生が島外出張から帰ってこられ

「破傷風」と診断して下さり、それからは奄美市の

彼方此方の医療施設からから血清を集め、色々な車両を使い

リレー方式で運んで貰って、ばばの投与。

九死に一生を得たばば。

もっともっと、数え切れないほどたくさんの思い出のある加計呂麻島の

秋徳小・中学校時代。

当時の教え子ちゃんで、まだ年賀状のやりとりをしている子がいて

その子は遙か北国で頑張っている。

「一緒にもう一度、加計呂麻へ行きたいね」と、じじと話しながら

10年くらい経ってしまった。

学校の近くの川は今でも綺麗な水が流れているかなぁ?

校舎は変わっているかなぁ?

集落の方々はお元気かなぁ?

人口は何名くらいになっているんだろう?

当時の教え子ちゃん達で、島に残り頑張っている子はいるのかなぁ?

などと、色々な思いが頭をよぎる。

ばばにとっても思い出いっぱいの秋徳。

集落の中心的存在であっただろう、学校が休校になってしまうという。

寂しいなぁ。。。。。

全国的に少子化で、児童数が減っている中で

若い方達が島を出て、子どもの数がどんどん少なくなって行く離島の現状。

都会からの留学生を迎えている僻地の学校も多いと聞く。

現在、コロナウイルスの影響で休校が続き、

ばばの周囲でも、子どもの声は殆ど聞こえない。

元気な子ども達の声が聞こえないと、これ又、寂しいね。

秋徳小・中学校が再び再開される日を祈る、ばばです。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

滅多に無い事

by ばばの日記

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3月14日(土)曇り時々霧雨

昨日は、正に「骨折り損のくたびれもうけ」を実感!

だって・・・・・

1ヶ月以上前に申請して、到着を待って、待って、待っていた物が届き

ある公共機関へ行き、そこで話をしたり、手続きをして帰宅。

疲れたけれど、何だか大仕事を済ませたような気持ちで帰宅し

夜・・・凄く緊張しながら書類作成して、完成!!!

やった〜〜と、万歳したくなった途端、最後の最後で

予想だにしなかった結果に・・・・ウエ〜〜〜ン、エン、エン、エン〜

「何だったの?今までの苦労、頑張りは」って感じになって、

もう立ち上がれないくらい落ち込む。

モウ〜モウ〜モウ〜って、牛さんになって大声で泣きたかった〜

そんな事があったせいか?夕べはなかなか寝付けず

今朝起きたのは、8時前。

体調も悪くないのに、こんな遅く起きるって、何年振り?

でもさ、いつまでもクヨクヨしたって始まらない。

気分転換、気分転換!

と、朝から気持ちを入れ替えている、ばばです。

そんなばばの気持ちを知ってか、知らずか?じじが

「ばばは偉いよな」と言う。

「どこが、偉いの?」と聞くと、返ってきた答えが

「あんなに苦手だと言っていたパソコンを使いこなせるようになるし

全然興味が無かった野鳥に興味を持ち、名前を覚え、

それに、植物の名前は、ばばの方が遙かによく知っているよ」だって。

へぇ〜ばばのこと、そんな風に思っていたの?

パソコンを使えるようになったのはじじのおかげだし、

野鳥や島の植物に興味を持ったのも、

じじが大手術をした後、付き添い運転手として

何年か一緒に野山を廻ったおかげだよ〜

じじが言葉に出して、褒めるってあまり無いと思うけど

ばばの事、そんな風に見ていたんだ〜。

朝から褒められると、単純なばばは、昨夜までのイヤな事など

全部忘れてしまいましたとさ〜めでたし、めでたし。

ばばは「猿もおだてりゃ・・・」ならぬ、

「豚もおだてりゃ木に登る」という言葉にピッタリなのかも。

そうそう、先日はね、行きつけのお魚屋さんに行ったら

「ばばちゃん、ほら、見てごらん」と店主さんが言うので店内を見たら

大きなマグロの頭が!!!

キハダマグロらしくて、ばばと同じくらいの重さだったらしい。

何年か前、じじとばばの目の前で大きなマグロの解体ショーを見せてくれたけど

今回は、もう、解体した後で頭部だけ見せて貰った。

マグロ

凄いなぁ〜

勿論、その日のじじの刺身は「マグロ」。

ばばは、刺身が全く食べられ無いから、どの魚の刺身が美味しいとか

全く分からないけれど。

じじが、手術後、豚肉や牛肉を食べられ無くなり、代わりに刺身を食べるようになって

よっぽどの事が無い限り、毎日魚屋さんに通い続けて10数年。

刺身を切る前の魚とかも沢山見せて貰い

名前も教えて貰っているのに、なかなか憶えられないばば。

何年か前「メバチマグロ」と教えて貰ったのに

何故か「目黒マグロ」と口から出てしまい、大爆笑した事もあったなぁ。

今では魚屋さんへ行くのは、ばばの日課。

よっぽど天気が悪くない限り、ばばは皆勤賞を目指しているのです!

魚屋さんの近くでは、ウズラやアカショウビン、サシバ等

珍しい鳥たちとも出会う事があるから、それも楽しみなんだけどね。

ワクワクして出掛ける事が出来るって、良い事だよね!

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奇跡?

by ばばの日記

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3月13日(金)小雨時々曇り

昨日から、ずっと天気の悪い徳之島です。

雲が重く垂れ込めているけれど

鳥たちは元気、元気!

ウグイスが泣き方の練習をしたり、

ヒヨドリが2羽、我が家の葉桜になった木にやって来て喧嘩をしたり

お隣さんのイッペーの花の蜜を吸ったり?

ブロック塀に止まってキョロキョロしたり・・・・

ヒヨドリ

穏やかに時間が流れています。

さて、今日は3月13日、金曜日・・・・・13日の金曜日。

ばばにとっては忘れる事の出来ない日だ。

28年前の3月13日、金曜日は晴れていた。

その日は、当時の職場の「お別れ遠足」の日だった。

たまたま遠足の係になっていたばばが、出発前、全校児童を前に

「今日はね、3月13日、金曜日で 外国では(魔の金曜日)と言う所もあるそうです。

目的地への行き帰り、又目的地で怪我など内容に気をつけ

楽しい遠足にしましょうね」と話して、出発した。

目的地の海岸までは、小学生の足でも30分くらいで行ける距離だった。

午前中、楽しく過ごし、お昼の時間、子ども達の待ちに待ったお弁当の時間。

職員も、弁当を広げて、ばばが正に食べ始めようとした時

事務の先生が、血相変えて走ってきた。

「ばば先生、急いでお家へ帰って下さい。お父さんの体調が悪いそうです!」と・・・・

取るのもとりあえず、事務の先生の車に乗って職場に戻り

自分の車で実家へ直行した。

職場から実家まで、車で1時間以上、無我夢中で運転した。

いつもなら「ただ今〜〜」と声をかけて玄関から入るのに

その日は無言で台所の方から室内へ・・・・

すると、蚊帳が張られ、その中に父が寝ていて、周囲に数名の警察官が・・・・・

蚊帳の中へ飛び込もうとすると、警察の方が「ちょっと外へ出ていて下さい」と。

一体何があったの????

俯すように小さくなっている母の傍へ駆け寄った。

「何があったの?ねぇ・・・」と問いかけても母は答えてくれなかった。

近くにいた親戚のお姉さん達が教えてくれたのは

午前中、しばらく家の周囲の草取りをしていて、

その後、家に入ってお茶を飲み「一休みしようかな」と

横になって、昼食時になっても起きて来ないので

母が様子を見に行き、声をかけても返事も無く・・・・と言う事だったらしい。

あまりにも突然の事で、にわかには信じがたかった。

こんなに簡単に、呆気なく父と永遠のお別れの日が来ようとは・・・・

大好きな、世界一大好きで、尊敬している父だった。

無口だけど、温厚で家族や周囲の誰に対しても優しかった。

兄姉一お転婆で、怠け者のばばに対しても、一度も声荒らげる事は無かった。

器用で海から椰子の実や浮き玉を見つけて来て

色々な物に加工していたし、植物が好きで庭木も自分で綺麗に剪定していた。

ある時、島外の業者が来て「300万で盆栽1鉢を売って欲しい」と言ったそうだが

父は即座に断ったそうだ。

我が家の家族5人と、姉の家族3人が週末訪ねていく事を

何より楽しみに待っていてくれた。

本を読むのが大好きだったので、月刊誌を2種位買って

持って行くと、とても喜んでくれた。

いつも穏やかに笑っていた父の顔しか思い浮かばない。

戦時中の事、学校で習った事など、ばばが知らない事を

たくさん、たくさん教えてくれた。

父は口で色々言って教えてくれなかったけど、

その生き様や背中で「人間としての有り様」等

教えてくれたと今でも感謝している。

「文字は人を表す」と聞いた事があるけれど、

「父は優しい字」を書く人だった。

社会人になって、友人などから「ばばの尊敬する人は?」

と聞かれたら、間髪を入れず「自分の両親!」と答えていたばば。

今でも、その気持ちは変わらない。

自分の親を尊敬できるって、幸せな事だと思う。

今朝「今日はね、お父さんの28回目の命日なの」とじじに話して

「今までも、これからも、ずっと両親を尊敬し続けたい」と言うと

「うちの子どもたちも、僕たちの事、そう思ってくれるかなぁ?」とじじが言った。

それは、どうだか分からないけど・・・・・

父が亡くなって28年。

未だに、実家の中に入って庭の木を見たり

台所に立つと、両親の事を色々思い出す。

一番申し訳ないと思うのは、父が「300万でも売らない」と言った

庭木を見た時・・・・・・

シルバーさん達に剪定などして貰ってはいるけれど

世話もきちんとは出来ないまま、中には枯れてしまった物もある。

「お父さん、ごめんなさい」という気持ちでいっぱいになる。

父の命日を機に、ばばも父のように周囲に優しく、日々感謝の気持ちを忘れず

自分のやるべき事はきちんとやる人になりたいと、気持ちを新たにした。

そんな事を思っていたら・・・奇跡は起こった!

何となく数日前から、思い、願ってはいたんだけど。

1ヶ月以上前に、ある書類を都会のある機関に送ったと書いた。

1ヶ月過ぎても届かなかったが、数日前から

「もしかして??父の命日に届くのでは?」と思っていて、じじにも話し

今朝は、それが確信みたいになっていた。

そして、先ほど、お昼2時前、郵便屋さんがポストに入れてくれた郵便物を見ると

一番上に、待ちに待った葉書があった!!!!

葉書

やったぁ〜〜

やっぱり父が、今日届くようにって願っていたのかなぁ?

ばばにとっては「正に奇跡」でした。

「お父さん、ありがとう!」

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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