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<< 日常生活 - 2020年8月の記事 >>
08/19(水) 14:55
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08/18(火) 10:52
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08/17(月) 14:17
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08/15(土) 13:18
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08/14(金) 13:43
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電話が鳴った!

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ






8月19日(水)晴れ

ブーゲンビリア

我が家の固定電話が故障し、ばばの車のタイヤが

同じ日に2個パンクし「何だろう?これは・・・」と思っていた。

2日前の昼、電話が鳴った。

おっ!普通に電話が鳴っている。

「電話が鳴る」と言う事は?きっと電話会社から

「修理が終わりましたよ」という連絡の電話かと思った。

そこで、電話に近いじじが受話器を取った。

そして、「○○さんですか?」と、聞き返している様子。

その後すぐ「妻に替わりますから」と言って、ばばに受話器を差し出した。

「どなたから?」と聞いても、じじの全く知らない人らしい。

受け取った受話器を耳に当て「替わりました」と言うと

相手の方は「お久しぶりです。Kです、分かりますか?」と。

Kさん・・・すぐ分かった。

40年近く前、勤務していた職場での教え子,Yちゃんのお母さんからだった。

しばらく、話した後「娘と替わりますね」と仰った。

そして「ばばちゃん、Yです」と・・・・・

40年近く前に担任した、Yちゃんが、わざわざ電話をくれたのだ。

「憶えていますか?」とYちゃんから聞かれたので「分かるよ、分かるよ〜」と答えた。

瞬時に当時のYちゃんの可愛い顔が浮かぶ。

Yちゃんのお父さんのお仕事の関係で、鹿児島から転校してきて

3年位、徳之島で暮らし、又、鹿児島へ帰って行ったYちゃん。

Yちゃんが「私、いつも、放課後は、ばばちゃんの横に座っていましたよね〜」とか

「放課後、一緒に作文書いたりしていましたよね」とか

当時の事を話してくれた。

聞いているうちに、当時の事が色々思い出された。

電話をくれた日、Yちゃんは、お家の整理をしていたら

ばばと一緒に過ごした当時の「手紙?」が出てきたそうだ。

3月25日の日付で、ばばがクラスの子全員に手紙を書いて

ひとりひとりに渡して、その学年度の「お別れ会」のようなことをしたらしい。

ばばは、その事は全く記憶に無かったので、ビックリした。

「夏休みには泊まりがけで遊びにいらっしゃいね」と

いうようなことも書いてあったらしい。

今なら、上から注意されるかも知れないけれど

ばばが教員になって、初任校では教え子ちゃん達を車に乗せて

ドライブしたり、週末には実家へ泊まりがけで遊びに誘ったりしていた。

この当時の教え子ちゃんで、島にいる子も数名いて

ばばを、まるで親戚のおばちゃんのように慕って、

年に数回、我が家に寄ってくれたりもする。

Yちゃんは、ばばが結婚してすぐの頃、担任した子。

数年徳之島で暮らした後、又、お父さんの転勤で

鹿児島へ帰って以来、一度も会ってはいないが

ふと、ばばの事を思い出して、電話をくれるなん・・・・・本当に有難い。

まだまだ初心者、未熟な担任だったばば、

保護者の方にも沢山助けて頂いた。

子ども達に「教える」と言うより、「子ども達に色々教えて貰った」

「子ども達から学ばせて貰った」という思いが、退職した今でも強い。

Yちゃんの住所も教えて貰い、私の住所も教えた。

少し落ち着いたら、ゆっくりと、Yちゃんに手紙でも書いてみようと思っている。

一昨年は、Yちゃんと同年代のSちゃんのお母さんと出会った事から

Sちゃんとも年賀状や手紙のやりとりが続いている。

数ヶ月前には、スーパーで同じくYちゃんや、Sちゃんの同じ学校で担任した

H君のお母さんとバッタリ会って、その後、H君とも会えて・・・・

何十年も前の教え子ちゃん達との再会?が続いている。

今でも「ばばちゃん、ばばちゃん」と言ってくれる教え子ちゃん達に対し

当時の未熟な自分を恥じ入るばかりのばばだけど

でも、立派な社会人に生長している教え子ちゃん達の声を聞いたり

話したり出来る事は、何よりも嬉しい。

故障した電話が直って、その最初の電話が

思いもかけない40年近く前の教え子ちゃんとは!

ばばにとって最高のサプライズでした。

いつか、Yちゃんと会える日が訪れると良いなぁ・・・・

※ 画像は記事とは関係なく、暑さの中で頑張って咲いていた

  ブーゲンビリアです。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

2度ある事は。。。の後

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ






8月18日(火)晴れ

国内でも最高の気温が更新されているとの情報に

「この先、何処まで異常気温が続くのだろうか」と心配になったりする。

今朝、徳之島(我が家)の、朝7時の室温は30度だった。

日中も、33〜34度台の気温が続くが、もう、慣れっこになってしまったのか

数日前、都会で暮らす甥っ子君と電話で話した時

「島は33度台で、そんなに暑いと思わないよ」と言ったら

「おばちゃん、28度超えたら気をつけなくちゃ。

水分充分摂って、クーラーつけてよね」と言われてしまった。

「おばちゃんち、1階はクーラーが設置出来ないんだよね〜」という話になったが

昼過ぎから、気温がぐんぐん上がっても、ばばはクーラー無しの部屋で動き回る。

ここ数日、じじは、自宅2階へ行き、回りの窓を全部開け放ち

一番風が来る廊下で、しばし昼寝をしたり、パソコンをしたり

「正に天国」らしい。

10月までは、今の状況が続くのかなぁ?

昨日、一昨日と思いがけないアクシデントで、パニックになった事を書いたが

ばばが落ち込む中で、じじが「災い転じて福となすと言うじゃないか?

今度はきっと良い事があると思うよ」と言ってくれた。

そう、信じる事で気持ちを切り替えた。

「2度ある事は・・・」とか「3度目の・・・・」とか言われるが

良い事なら、何度でもあって良いが、悪い事は・・・と考えてしまうのがばば。

今回も「2度ある事は・・・・」が当たってしまった。

それも悪い事がね。

タイヤのパンクが続けてあったが、その数日前、

何故か我が家の固定電話が使えなくなってしまった。

電話

電話機は、買い換えてまだひと月ちょっとだから・・・回線の不具合?と思った。

携帯電話は、親しい友人知人との連絡に使い、普通は固定電話を使っている。

試しにと、親しい友人などに固定電話でかけてみようとしたら

普通ならダイヤルする音が聞こえるのに、それが聞こえず、ダイヤルし終わったら

「ジャッ」という音と共に待ち受け画面になった。

電話を受けた側では「ずっと話し中」の音がし続けたそうだ。

「これは、何とかしなくちゃ」と、電話会社へ携帯で電話をかけても

お盆前後だったからなのか、なかなか出てくれず、じじがかけた時

やっと繋がったらしく、何か予約出来たそうだ。

でも、お盆明けの17日の営業日から対応してくれるということだった。

ひたすら待つしか無い。

普段、固定電話を使う事はあまりないけれど、東日本大震災の時、

都会の娘達が携帯から電話しても、なかなかこちらへ繋がらなかったけれど

固定電話でかけたら繋がったという事で、やはり固定電話も必要かな?と思い

一応契約は続けている現状だ。

丁度1週間ほど固定電話が使えず、それでもたいした不便は感じていなかったけど

昨日、10時過ぎだったかな?固定電話が鳴った。

「あっ!電話、直った!」と、じじが受話器を取った。

すると、誰かじじの知らない人からの電話だったらしく、暫く話して

「替わりますね」と言って、ばばに「はい」と受話器を渡した。

電話会社からでは無かったが、会話が出来たという事は???

不具合が直ったという事で、固定電話は使えるようになった!

まず、お盆前から固定電話が故障し、数日後には短時間内に、2回続けてタイヤがパンク!

ばばにとっては、正に「2度ある事は・・・」で、嬉しくない事が3回続いた。

で、昨日、固定電話復活後、初めてかかってきた電話。

電話会社からだと思っていたばばだが、まさかの方からの電話だった。

本当に「え〜〜〜っ?」と思えるようなサプライズ!

書けば又、文が長くなりそうなので、詳しい事は、明日書きますね。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

まさか!

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ






8月17日(月)晴れ

物凄い異音と共に、助手席側の前のタイヤがパンクし

知人やじじのおかげで、何とかタイヤ交換をしてもらい

ホッとして、帰宅の途についた・・・・と昨日のブログに書いた。

その後、まさか、あんなことが起きるとは、その時点では夢想だにしなかった。

心配して、ばばの後から走っていたじじを先に行かせて

姉と2人は、そのままいつも行く魚屋さんへ・・・・・

あまり陽の当たらない陰に車を停め、買い物を済ませ

「さぁ、帰ろう」とした時「ブォ〜〜〜〜」という船の汽笛が聞こえた。

碧い海と空、そして今、正に港を出て動き出した定期船、

「写真に撮ろう!」と思い「写真撮ってから帰るね」と姉に言って

海に向かって何回かシャッターを切った。

上り船

その後、ばばは運転席へ、姉は助手席へ・・・・

姉が「あれっ!又パンクしているよ」と言う。

エェッ、信じられない!

車の後ろから廻って見ると、今度は左側後ろのタイヤがパンクしてペッシャンコ!

パンクはパンクでも、先ほどのお墓横でのパンクとは大違い?

激しい異音も無かったし、タイヤの下の方がペッシャンコになっていた。

パンク

こんなパンクなら、今まで見た事が何回かあるので、少しは冷静になれた。

魚屋さんに事情を話し、電話帳を借りて、

いつもお世話になっている車屋さんに電話をした。

しかし、送り盆だったので、やはり電話は繋がらない。

姉は「車を置いて、歩いて帰っても良いよ」と」」言った。

諦めきれないばば、今度は、近くにあるホームセンターに電話をした。

電話が繋がってホッとして、藁にもすがる思いで事情を話した。

しかし・・・・もう、車関係の部署は閉めてあるとのことで

出張タイヤ交換は出来ないが、車を持ってきたら、交換は出来ますとの事。

近いとは言っても、パンクしている車で行けるはずが無い。

又、じじに電話をした・・・繋がらない・・・じじ〜何処いるんだよ〜〜

もう一度かけ直したら、じじが出たので「又、パンクした。今度は左後ろ」

と言うと「すぐ行くから」と言ってくれた。

2回信号待ちをしても10分では来てくれるだろう。

何度も、何度も、じじが来る方を見ていた。

ほどなく、じじが、到着。

今回は行き交う車や人を気にしなくて良い広い場所に駐車してあったので

その点でも良かった。

ついさっき、お墓近くで、ふたりがかりで頑張ったタイヤ交換。

今度はひとりでも慣れた手つきで、作業を進めていくじじ。

何だか生き生きしているように見えるから、不思議だった。

パンクしたタイヤは取り外したが、今度はスペアのタイヤが無い!

お墓横でパンクした時、使ってしまったから・・・・

さて・・・じじは、自分の車のスペアタイヤを取り外した。

これが、難作業だった。

ばばのスペアタイヤは後ろトランクの下?に収納されていて

すぐ取り出せたが、じじのは、トランクの下ではあっても

車体の下に固定されていて、取り外すのに四苦八苦、悪戦苦闘。

何の手伝いも出来ず、ただ見ているだけのばばだけど

万が一、じじが怪我でもしないか、ハラハラドキドキ・・・・

どの位の時間が経ったか?やっとタイヤを取り出し

ジャッキを使って、ばばの車高を調整しつつ、無事取り付け完了〜

じじ、ありがとう!!!

魚屋のお姉さんも、ニコニコ手を振って見送ってくれた。

その夜は、本当に母校での元保護者のHさんと、

じじに感謝の気持ちでいっぱいだっら。

夕食時も、ずっとダブルパンクについて話した。

じじも、今までこんなパンクは見た事が無いとビックリしていた。

先ずは大きな異音。

そして、タイヤがめくれるような感じでホイルから剥がれかかっていたこと。

更には前と後ろのタイヤの横に切り傷のような穴が開いていた事。

何故か、前のドアと後ろのドアの境目辺りが縦10センチ×横15センチほど

何かに擦ったような跡が付いていた事。

その傷はタイヤからは大分上の部分。

タイヤと車体に、この傷を付けたのは、どのような場所なのか?

と言っても、午前中、じじが撮影に乗った時は異常なしだったそうで

ばばも、擦ったりひっかいたりする狭い場所を走ってもいない。

駐車もしていない。

家を出て姉を乗せ、実家のお墓へ向かう途中は、ずっと広い県道を走るし

お墓への道だって、何百回と走っていて、車1台なら楽に走れる道幅。

考えても、考えても、いつ、何処でタイヤや車体に傷が付いたのか

思い浮かばないし、そのような場所を走ってもいないのは、たしか。

昨日、じじがばばの車でホームセンターへ行き、

新しいタイヤと交換してきてくれた。

交換して下さった店員さんも、パンクした2個のタイヤの状況を見て

「こんなパンクの仕方は今まで見た事がありませんね」とビックリしたそうだ。

パンクから2日経って、少し気分的にも落ち着いては来たが

当日は色々考えたら気分が高ぶって、なかなか寝付く事も出来なかった。

結局、送り盆だというのに、ばばはお墓へも寄らずに

姉ひとりで、ご先祖様を送ってきて貰った。

ばばが、親しい先輩に、このパンクの事を話すと

「それはね、ご先祖様が、ばばちゃんに、今年はここに来ないで」

と言う意味で、あの場所でパンクをさせたのかもよ」と言ってくれた。

言われてみれば・・・・あのパンクした場所は、長姉のお墓への入り口

わずか2メートル位手前だった。

タイヤ交換まで色々考えすぎたりして、交換が終わると同時に

すぐ車に乗って帰宅の途についたので、実家のお墓へも寄らずじまい。

ご先祖様、ごめんなさい。

少し落ち着いたら、あらためてお墓参りに行きますからね。

そうそう、ばばにアドバイスをくれた先輩が、

「ばばちゃん、今回は、車の周辺、お塩でも撒いてお清めした方が良いかもね」

と言われたので、昨日、じじが出かける前に、

内心祈りながら、車の周辺をお清めし、少しだけ気持ちが楽になった。

今日も、未だに「どうしたら、あんなパンクするんだろう?」と

じじも言っているけれど、普段、予想だにできないことが

たまたま起きたんだろうね。

人生って、こんな事もあるんだよね。

今回のアクシデントからも色々な事を学ばせて貰ったばばです。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ガッチャ〜〜〜ン!!!!大パニック!

by ばばの日記

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8月16日(日)晴れ

花徳小

昨日は送り盆。

ばばにとって、とても怖くて、気味悪い事が・・・・

今住んでいる地区の送り盆は、とても盛んで4時過ぎ頃からは、道路の両側に

車が多数駐車して、その真ん中を走らなければならない。

対向車が来たら離合が大変・・・と考え、車が多くなる前にということで、

3時少し前に、じじ両親はお墓に送って行った。

その後、一旦帰宅して、姉の家に行って、ふたりで実家のお墓へ・・・・

ここまでは、何事も無く、車の両側の窓を開け

自然の風を入れながら、実家集落のお墓へ向かった。

まず、長姉を送って、その後、実家と姉の婚家のお墓へ行く予定だった。

ところが・・・・何と言う事でしょう?

長姉のお墓前辺りの、車が離合出来ない所で

ばばの車の左側前方で「ガチャ〜〜〜ン」という大きな異音が!!!

えっ?何百回と通っている道だし、前に異物は無かったし・・と

ばばが、音の大きさにパニクっている間、姉はさっさと下車した。

瞬時遅れてばばも下車。

姉が見ている視線の先を見て、ばばはパニック状態になってしまった。

何と!助手席側、前のタイヤが異様な形でパンクし、

車の真ん中辺りの車体にも大きな擦り傷が。

何にも接触していないし、何故????全く頭が回らない。

そんな中でも、今日は送り盆だし、ここは人や車も通るから

何とか、車が離合出来る場所までゆっくり運転し、車を移動しなきゃ!と考えた。

ゆっくりゆっくり、身長に車を進め、少し広い場所に駐車した。

送り盆と言う事で、昨日は、そこも、ひっきりなしに車やバイクが行き交った。

地元と言う事で、顔見知りの人も多く通る。

その度に「車が、パンクしてしまって・・・」と言い訳がましく

同じ文言を繰り返し、頭を下げるばば。

送り盆jだし、開いている整備屋さんも無いかもなぁ・・・・と思っていると

教え子ちゃん母子が通りかかり、事情を話すと、教え子ちゃんが

近くの整備工場の電話番号を教えてくれた。

しかし、電話をしても出ない・・・・やっぱり・・・・だよねぇ・・・・諦めた。

頭の中は空っぽのままで、

車の内側に「パンクしています。ご迷惑おかけして申し訳ございません」と

紙に書いて車に貼って、月曜日にでも近くの整備工場に電話して

対応して貰おう。。。そして、今日はタクシーを呼んで帰ろう・・等と思った。

しかし、事もあろうに、いつも積んでいたガムテープを積んでいなかった。

「もう、なるようにしかならない」と思いながら「あっ!じじに電話していない!」と気づいた。

慌てて、じじに電話して、事情を話したら「僕がすぐ行くから」と言う。

じじは、普段通らない途だから、場所も分からない。

近くまで来たら、ばばに電話をちょうだい。ばばが迎えに行くから・・・と電話を切った。

約30分後、じじが到着したと電話が。。。。

ばばは走って、じじが駐車している場所まで行き、

じじの車の助手席に座って、自分の車を駐車した場所に。

じじを迎えに走る少し前、送り盆を済ませた地元の方が、ばばの所へ来て

パンクの事を話したら、色々対応出来ないかやってくれた。

その方は、ばばが母校勤務していた時の、教え子ちゃんのお父さんHさん。

年は大分離れているけど、姉やばばの、後輩にもなる方で、

何と幼稚園生の頃、姉が担任していたらしい。

ありがたく思いながらも、ばばは何も出来なくて、ボォ〜〜〜っと突っ立っているだけ。

その間、姉はひとりで3カ所のお墓へご先祖様を送って行った。

Hさんと、じじで、工具を出してネジを緩めたり、ジャッキ?で車体を持ち上げたり・・・・

何とも不思議なパンクの仕方だったらしく、

タイヤは内側へめくれるような形になり、ホイールから大分離れていた。

大の大人がふたりがかりで、やっとねじを外し

ホイールとタイヤを外した時には、やっと一安心し、ばばも人心地付いた。

冷静になって考えれば、タイヤ交換をすれば良いだけの事だったが

ばばの中では「修理屋さんに出して・・・・」などと、大袈裟に考えていた。

ばばの車に積んでいた予備のタイヤを取り出して、はめ込み

ネジなどを締め直して・・・・・やったぁ!!!!!

予備のタイヤは少し小さかったけれど、問題は無さそう。

Hさんに、じじと姉と、ばば3人で何回もお礼を言って

ばばは自分の車に乗り、先に走って

駐車していた場所の地理に、あまり詳しくないじじを途中まで先導した。

ばばの母校の前まで走った時、広い駐車場もあるので

ばばは、そこへ入り、後から来るじじに

「お刺身買って帰るから、先に帰ってて」と伝え、

今度はじじが前になって走り出したが、いつの間にか、じじの車は見えなくなった。

「Hさんと、じじのおかげで、本当に良かったね。

一時はどうなるかと思ったよね」等と話しながら、ばばも落ち着いて運転を続け

いつも買い物をする、魚屋さんに到着した。

さて、この後、信じられないような2度目のハプニングが待ってたなんて

夢想だにしなかった、姉とばば。

詳しい事は、明日又、書きますね〜

お盆明けの今日は、朝から、洗濯をしたり、昨日まで出してあった

テーブルやお供えの品々の片付けをしたり

庭の掃除をしたりして、お昼前からは、何とか落ち着いた気持ちで過ごしている、ばばです。

※ 昨日のハプニングが起きたのは、懐かしい母校(小学校)が見える地点です。

  この写真を撮影した、3メートルほど手前でハプニングは起きました。

 

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

あっと言う間

by ばばの日記

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8月15日(土)晴れ

ずっと晴天続きの徳之島です。

今日は送り盆。

一昨日が迎え盆で・・・あっと言う間の3日間だった。

今朝は、食後30分位かけて花壇と菜園に水まきをした。

野菜や植物の上から、下から、ホースでジャンジャン水をかけた。

下から水をかける時、ふと気づくと、彼方此方でゴーヤがオレンジ色に熟している。

この画像は、過日撮影した物です。

ゴーヤ

見た目は綺麗なオレンジ色で「食べられるのよ」と言った友人もいたけれど

食べる勇気はない。

このまま、落果させて来年又芽が出る事を期待しよう。

外仕事が終わると、中へ入り、あれこれしているうちにお昼前。

今日はご先祖様に素麺料理をお供えすると聞いたので

久しぶりに、油素麺を作って供えた。

肉と野菜やキノコを炒めて、出汁醤油で味を調え、青ネギを散らして

そこへ茹でた素麺を入れてササッと混ぜ、厚焼き卵をのせて完成!

実家の油素麺の作り方とは大違いだけど、今はオーソドックスな油素麺。

実家の母が作る油素麺は、以前もブログに書いたけど

それこそ、簡単この上ない。

茹でた素麺を洗わずに、少しの油を温めて火を消した所に投入〜

味付けは無し!と言うより、素麺の塩味だけ。

茹でた素麺って、結構、塩味あるからね。

実家の母の作る油素麺を何十年と食べていたから

これが「正真正銘の油素麺」と信じ込んでいたばば。

加計呂麻で、職場の同僚達と料理した時、

「油素麺」を作る事になり、ばばは「母の味」の油素麺作ったら

周囲は、驚くと言うより呆気にとられていた。

今は昔の思い出。

年に1回のお盆「母の味の油素麺」を作りたいとも思うけど

じじが、あまり油っこいのは苦手だし、じじ両親も好きかどうか分からないので

ふつ〜〜〜うの油素麺を作って供えたよ。

もう少し経ったら、お昼のお茶を供えて、

早めにご先祖様をお墓まで送ってくるよ。

現在住んでいる地区では、毎年、賑わう送り盆だけど

今年は、どうだろう?と思っているところです。

実家のお墓近くで見つけたソテツ。

ソテツ

もうすぐ、赤いソテツの実がギッシリ実るかなぁ?

このソテツ・・・・

ばばが子どもの頃は、実が熟すと収穫して

鉈でふたつに割って、天日干し、その後、実だけ取り出してアク抜きし

精米所で、粉にして貰い、お米と一緒にお粥にしたりしていた。

貧しい時代だったんだなぁ・・・・と思い出す。

実は食料にするけど、葉っぱでは、オモチャを作っていたよ。

ソテツの葉を2本使って、車を作り、更にちょっと短めに切った1本を馬に見立て

馬と車を繫いで、荷馬車を引く馬にし、更に馬に細くて長い紐を付けて

引っ張って遊んだような思い出が・・・・

又、細い1本1本の葉でわっかを作り、繫いで首飾りのような物も作っていたなぁ・・・

未だに、町内の学校では、運動会の日はソテツの葉を組み合わせて

保護者達が素晴らしい門飾りを作るのも、伝統行事?

今年はコロナ禍の下、運動会や体育祭も平年通り開催されるのかどうか?

夏祭り、花火大会、トライアスロン等々、

色々な行事が中止になってしまって寂しいけれど

来年は、復活出来ると良いなぁ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

おだやか

by ばばの日記

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8月14日(金)晴れ

今日も暑い、暑い徳之島です。

母間の海

今月6日に撮った、母間集落の海。...穏やかですね。

お盆2日目、庭いっぱい洗濯物が揺れている。

早いとこ取り込まないと、洋服が日焼けしてしまうyかな?と気になりつつ・・・・

お盆には、おはぎを作るという事を、知ってはいるが

いつ作るのか?はっきり分からない。

だから、今日、お昼前からおはぎを作り、ご先祖様に供えた。

おはぎと言っても、ばばは自己流で、餅米を炊いて、

まず、ラップを使って、小さめの俵形おむすびを作り

その後、おむすびの片面だけに餡子をのせて、ラップで形を整え、完成。

ご飯に、餡?って、思うけど、思い出せば・・・・・

ばばが子どもの頃、畑仕事の後だったか?おむすびと黒糖を

一緒に食べていたような気がする。

実家では、お盆に、おはぎを作っていた記憶は無いなぁ・・・・

おはぎ作っても、今は、じじが食べてくれるだけ。

ご先祖様に供えていた、おはぎ、昼のじじのおやつにしようかな?

話題は変わるけど、最近のばば、変。

自分でも、分かる位、変・・・と言うより、おかしい。

色々と無意識で行動している気がする。

数日前、寝る前に歯磨きをしようと、歯ブラシに歯磨き粉を付けた・・・・

つもりが、何と、洗顔料を付け、一瞬、歯ブラシを口の中に入れてしまった。

ハッと気づき、うがいを何回もしたけど、

気のせいか?ちょっと口の中がヒリヒリするような・・・・

この時は、横にじじもいたけど、あきれ果てていた。

と思えば、お風呂で髪の毛を洗おうとシャンプーを付けたつもりが

洗顔料を髪の毛に付けてしまった。

暑さのせいにしてはいけない、とすれば加齢のせいにするしかないか・・・・

って、何処までも、責任逃れをしている。

実家の母が母が「子ども笑うな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ」と

言っていたが・・・・

実家の両親も、じじの両親も、今のばばの年代は、しっかりしていた。

今のばばを見たら、両親は、何と思うだろう?

奇しくもお盆2日目、仏壇の前に飾った、両親の写真の前で、

気恥ずかしい思いをしているばばです。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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