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アラレ降るかなぁ????

by ばばの日記

1月13日(水)

♪雪やこんこ あられや こんこ

 降っては降っては ずんずん積もる

 山も野原も わたぼうしかぶり

 枯れ木残らず 花が咲く♪



温暖化・・・・・とよく聞く言葉だが・・・・・・

確かに、島もだんだん温かくなってきているのかな・・・・

ばばが子供の頃は、冬になるとよくアラレが降った。

ばばが小学生の頃、ばばの家はまだ藁葺きの家だったので

アラレが降ってもトタン屋根の家のようにパラパラ音が聞こえることはなかった。

うんと寒い日、家の外を覗いて庭一面真っ白にアラレが降り積もっていたのを見た感動は忘れられない。

でも・・・雪のように降り積もって雪だるまが作れるわけでなし・・

見ている前で溶けていくアラレ・・・

アラレが降り出すと、外へ飛び出して手でアラレを受け

食べたりしたなぁ〜〜懐かしいなぁ〜〜。

最近はアラレが降るのは1月から2月にかけてほんの数回だ。


今日は南国鹿児島でも積雪が・・・とお昼のテレビで報道されていたが・・・・

確かに今日は寒い。

ばばの家でも小さな電気ストーブを付け

じじと二人、暖を取っている。


昼の3時前に台所で洗い物をしていると

「パラパラッ」という音が・・・・

ばばは、すぐに洗い物を止め玄関へ走っていった。

「もしや?・・・」と内心期待してね。

そして、縁側へ出てお隣の瓦屋根を見た。

うぅ〜〜ん、一粒個体のような物が落ちたような、落ちなかったような・・・・

じじもすぐに出てきて「アラレ降ってるの?」って。

「うぅ〜〜ん、分からない」

「今日は降ってもおかしくないよ。気温が10度くらいだもの」

と会話しつつ、室内へ戻ったが、今日、島ではアラレ降ったのかなあ????

山間部では降ったかも知れないな。


こんな寒い日でも、サトウキビの刈り取りなどで外仕事をしている人はたくさんいる。

本当にご苦労様。




ばばが子供の頃は今より頻繁にアラレが降っていたような気がするんだけど。

アラレが降る寒い日、お正月前に搗いたお餅をカンナで削って薄くしたり、

包丁で細かいさいの目切りにした物を火鉢の上で焼いて食べたっけ〜〜。

美味しかったなぁ〜〜。


ばばが子供の頃、ばばの実家集落は旧正月だった。

各家で豚をつぶし、一年間分の塩豚やアブラカスを作り

父が手作りで畳を新調し、これも家族で付いた伸し餅をカンナで削ったり

小さくアラレに切った物を炭火火鉢に置いた網の上で焼いて・・・・

家族全員で百人一首をしたっけ・・・

母が謡うように詠み上げると、家族全員が1枚の札を探して

みんなの頭が円陣の真ん中でくっつくくらいになったっけ〜。

その時、母がが百人一首の解説をしてくれたが

今となってはほとんど憶えてはいない。

でも、家族がひとまとまりになった、あの幸せな時間は忘れられない。



今年の初アラレ、いつ見えるかな?

地面の落ちてすぅっと消えていくアラレ。


ばばが仕事をしていた頃、低学年の子供たちは

「雪が降ればいいのになぁ・・・」とよく言っていた。


ばばが本物の雪を見たのは鹿児島での学生時代。

雪が降ると、昼休みなど屋上に上がって雪だるまを作ったり

雪合戦の真似をしていた。

そういうことをしたのは、雪を初めて見る奄美出身の学生だけだった。


アラレも雪も「珍し物見たさ」であこがれる分には良いけれど

実際に長い期間雪の中で暮らす人たちからみれば・・・・・・

いろいろな物にはプラスとマイナスがあるよね。


今日は「寒い!」ということでアラレのことなど

とりとめもなく書いてしまったなぁ・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

Sおばちゃん

by ばばの日記

1月12日(火)雨時々曇り

ばばが毎日通うお店で顔を合わせるおばあちゃんがいた。

いた・・・と過去形で書いたのは、最近とんとおばあちゃんの姿を見かけなくなったからだ。

最後におばあちゃんと会って、もう何ヶ月が過ぎただろう・・・・・

ばばは、自分が物心つく頃、既に祖父母はいなかったので

おじいちゃん、おばあちゃんのいる友達がとてもうらやましかった。

だから、大人になってからもおじいちゃん、おばあちゃんには

特に親しみを感じるのかも知れないが

自分がおばあちゃんと呼ばれる年齢になった今でも

おじいちゃん、おばあちゃんが大好きだ。


幼い日、おじいちゃんや、おばあちゃんと手をつないで歩きたかった・・・・・

いろいろな話を聞きたかった・・・が、叶わなかった。

だから、初めて就職して下宿した家のおばあちゃん(当時70代後半)とは

夕方など、よく手をつないで海岸を散歩したりした。

又、在職中も家庭訪問などで仲良くなったおばあちゃんとは約20年来交流が続いている。

単身赴任で3年間過ごした加計呂麻には、

おばあちゃん友達がたくさんいて交流が続いている。


ばばが、よく通うお店でSおばちゃんと初めて会ったのは約2年前。

ばばはじじ母と同年代くらいかな?と思っていたが、話を聞くとまだ70歳後半だった。

若い頃から苦労されたのだろう、背中は曲がり、顔も日に焼けていた。

いつも帽子をかぶり、手押し車を押して買い物に来ていた。

じじの両親のことなどもよく知っていて、お宅はばばの買い物コースの通り道にあった。

いつの間にか,Sおばちゃんの買い物が済むのを待って

おばちゃんの横に寄り添うような形でお話をしながら帰るのがばばの楽しみになった。

おばあちゃんは、道路を渡る時など前後を確かめないので、

ばばが運転手さんに「ごめんなさい、ちょっと待って下さいね」

と言うように会釈と身振りでお願いしつつ横断していた。

また、店へ行く時間がずれた時などは、出会うと必ず

「Sおばちゃ〜〜ん」と駆け寄って握手をするのが習慣になっていた。

おばちゃんの手は大きくて、いつも温かかった。


おばちゃんは「暑さに弱い」と言うことで真夏は体調を崩しやすく

夕方も遅くなってからしかお店に来なかったが

10月、11月になって涼しくなってもおばちゃんの姿を見ることがなくなった。

おばちゃんのことが気になり、お店の方に聞くと

やはり体調を崩して、病院へ行って点滴を打ってもらったりしているという。

最近は、外へ出ることもほとんどないとか・・・・


10月頃からついに新年を迎えてもおばちゃんの姿を見かけない。

代わりに・・・と言おうか、おばちゃんの息子さんと

たまにお店で顔を合わせるようになった。

すらっと背が高く、人当たりも良い好青年である。

年は40歳前後くらいだろうか?

「お母さんの具合はどうですか?」と声をかけたことから

短い会話をするようになった。

やはり、おばちゃんは体調がすぐれず、家事全般を息子さんがこなしているようだった。


お店の方がいつも話す。

「本当に感心な子だよ。あの子がいるから、どれだけSおばちゃんは助かっているか・・・・

お母さんが具合が悪いと言えばすぐ病院にも連れて行くし

買い物にも付いていくし、家事全般こなすし。。。

本当に今時の青年にしては珍しいくらい良くできた子だよ」・・・と。


ばばも、いつもそう思って息子さんを見ていた。


すると、昨日、又一つ、息子さんの素晴らしいことを聞いた。

じじは、ここ数年、毎朝海岸までジョギングするのが日課になっているが

その行き帰りによくこの息子さんを見かけるという。

じじが見かける時、この息子さんはいつも、ある公共施設の掃除をしているそうだ。

ばばも、昼前など近くを通る時に見かけたことがあるが、

毎朝のように公共施設の周りのゴミを拾ったり草を抜いたりしているという。

なんて偉いんでしょう!


親を大事にし、尚かつボランティアで公共施設の周りの掃除をする。

簡単なようでなかなか出来るものではない。

Sおばちゃんの子育てが良かったんだね、きっと。


ばばは、ますますSおばちゃんが好きになった。

早く元気になって桜の花が咲く3月頃には又会えると良いね、おばちゃん!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

成人式など・・・・・

by ばばの日記

1月11日(月)小春日和

ただ今(14時12分)の室温、約23度。

ポカポカ良い天気。

一日中布団に潜っていた昨日とは変わり

ばばも朝から起き出して・・・・・

こんな陽気の日にはおむすびでも持って近場へピクニックでもしたい気分。

でも「用心、用心、ご用心」とじじの仰せの通り

家の中であれやこれやして過ごしているばばだ。

今日は、暦では成人式。

しかし、この日に成人式をしない所も多いのでは?

ばばの住む島でも、成人式は去る5日に行われた。

ばば家の3姉妹が成人した頃も1月15日の成人式当日ではなく

早めに行われていたと記憶している。

成人式と言えば、女の子は前日夜から美容室へ行き

着付けや髪の毛を整え、翌日は写真館へ行き順番待ちで記念写真を撮り

その後、式典に参加するのだったが主役たちは寝不足で大変だっただろうなと思う。

最近は前もって晴れ着で記念撮影などしておく人も多いようだ。

式典も昼の2時頃から行われるようだし・・・・・・・

いろいろな行事も時の移り変わりと共に変わっていくんだね〜。



そう言えば、ばばは成人式に参加していないのよ〜。

二十歳の時は学生で鹿児島市にいたが、他の友人には成人式の案内がきたのに

どういう訳かばばにだけ葉書が届かなかった。

友人たちは当日おしゃれして式典に出かけ、紅白のお饅頭など頂いてきたが

ばばは、なぁんにも〜。

今なら、友人の後からついて行き、会場の係の人に事情を説明し

ちゃっかり式典に参加するかも知れないが当時はそんなことにさえ気が回らなかった。

子供だったんだな〜。


19歳までだった昨日までと、成人式を迎えたからと言って

目に見えて変わることは何もないけれど、

やはり色々自覚するのかな?

新成人の子たちに聞いてみたい気もする。



子供の成長過程での大きな節目と言うことで

成人式を迎える子がいる家庭の当日の夜は接客に多忙を極める。

お祝いに来て下さる方々にお酒やお吸い物、ご馳走を準備し

お祝いされる当人もお客様にお酌をしたり・・・・その夜は遅くまで頑張る。

女の子は、ほぼ半日、髪の毛を結い、着慣れぬ晴れ着を着ての接客、

大変だろうな。


そうそう、ばばの家の近くでは成人式のあった日の真夜中の12時になると

新成人が「ワイド!ワイド!」とかけ声?をかけながら

通り抜けるの。(走り抜ける???)

今年も、あったけど、あの一団はどこを出発し

どこを目指して「ワイド!ワイド!」と進んでいくのだろう・

ちょうど、ばばの家の真下を南から北へと一団は通って行くが。。。。。。。


今年成人を迎えた人たちに「日本の未来は?」と聞いたら

「暗い」と答え、「あなたの未来は?」と聞いたら「明るい」と答えたそうだ。

何かお気楽な気がするのはばばだけ〜?


さて、今年はどんな年になるのやら、お正月から10日も経ってから

ばばは考えている・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

りんごと塩鯖

by ばばの日記

1月10日(日)曇り

昨日から家を1歩も出ない生活をしているばば。

夜中に咳が出るので、なるべく外気に当たらない方が良いだろうと・・・・

買い物は姉が一手に引き受けてくれ

じじの食事の準備も最低限に。。。。。ごめん!


ばば、子供の頃、病気になると嬉しかった。

学校は休めるし、普段は食べられない卵や塩鯖が食べられるし・・・・・

物の少なかった時代に幼少期を過ごしたじじとばばは

時々、幼かった日々のことについて話すことがある。

ばばが、今でも鮮やかに思い出すのは、S姉さんの鮮やかな手つきこと。

鮮やかな手つきで何をしたかって?

それはね・・・・・・・・・・

ばばが小学校低学年の頃なんて、調味料は量り売りだった。

あめ玉も一円で2個買えたよ。通称「五十銭飴」と言ってたけど、

今で言えばキャラメルのような色と形をしていたなぁ・・・・

そんな頃のある日、ばばは風邪か何かで学校を休んでいた。

すると、数件隣のS姉さんが遊びがてら家に寄ってくれ

お土産にりんごを持ってきたのだ。

すわっ、大事件です!

当時、りんごなんて見たことも食べたこともなかったもの・・・・・

S姉さんは、ばば母から包丁を借りると器用な手つきでクルクルりんごの皮をむき始めた。

細く細くつながって長くなるりんごの皮。

まるで,S姉さんがマジシャンに見えた。

その時食べたであろう、りんごの味は全然覚えていないが

S姉さんの鮮やかにりんごを剥く手つきと最後まで切れることなくつながった

りんごの皮の映像は何十年経ってもばばの脳裏から消えることがない。

ちょっと切ないなぁ・・・・・


次はじじの話。

じじも、幼い頃は病気になると嬉しかったそうだ。

「少しでも早く元気になってもらおう」と普段食べられない物も食べさせてもらえるから・・・・・

じじは、特に塩鯖が大好きだったそうだ。

今は、よっぽどのことがない限り、じじが塩鯖を食べることはないけれど、

あの塩加減はご飯が何杯でも食べられるのよね・・・・・

ある日、じじは風邪か何か病気で学校を休んだ。

すると、お母さんが昼ご飯は、塩鯖とご飯を枕元に持ってきてくれたそうだ。

じじは、熱があって学校を休んでいたにもかかわらず

塩鯖をおかずにご飯をどんぶりで7杯もお代わりして食べたそうな・・・・

これも切ないねぇ・・・・・


今は、食べたいと思えばほとんどの物はすぐ手に入る環境にいるじじとばば。

りんごも、産地からお取り寄せしてお腹一杯食べられるし

塩鯖も、すぐ手に入れて食べることが出来る。

だから、食に関しても「あれが食べたい!」という強い欲求はない。

「食べたい、食べたい」と長い間願い、やっと食することが出来た時の喜び

あの感動を、今の時代でも経験してみたいな・・・・・


とりあえず・・・・ばばが一番食べたい物って何?

うぅ〜〜ん、なあんにも思い浮かばない。



とりあえずは、明日こそ「100%元気ばば」復活して

じじの好きな野菜料理でも作りましょうか・・・・・

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風邪

by ばばの日記

1月9日(土)曇り

鼻水タラタラ、そのうちタラ〜〜ン。

そして咳がコン、コン、コンコンコン。

夜、布団に入ってからが咳はひどくなり・・・・・・・

じじの安眠妨害にならないかと気を遣いつつ、

それでも咳はいっこうに収まらない。

仕事をしていたときは、どんなに咳き込んでも職場へ行ったが

今は家の中で、やらなければならない最低限のことをやるだけなので気は楽。


去年は風邪引くこともなく1年を過ごした・・・・・(と思っている)

ところが、今年は娘たちが帰ってしまった翌日から、ちょっと変。

初散歩して、山の中を歩いている間は何ともなく

住宅街へ下りた途端に鼻水がタラ〜〜〜。

そのうち、マスクの中に鼻水が・・・・・・

こんな短時間に風邪?ってひく????って感じで

風邪をひいたらしい。


ばばの風邪と言えば咳はつきもの。

横隔膜が痛くなるほど咳が続いたものだが、

今回は寝込むほどではなく熱も上がらず、昼間は咳しながらも普通に過ごし

夜になると咳がひどくなり不眠症。。。。

風邪って全身疲れるけれど、そこまではない。


生姜湯を飲み、葛根湯を飲み、うがいをし、

のどヌールスプレーをシュッシュッ、マスクをし・・・・・・

早く治さなくちゃ。。。。。


早く元気溌剌ばばにならなくちゃ。

やはり、家庭の中は女の人が元気でなくちゃね!

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ふるさとの海は・・・・

by ばばの日記

1月8日(金)曇り

1月3日、空港帰りにばばと、姉、次女でばばの実家に寄った。

娘たちが幼かった頃は毎週末、家族でばばの実家へ行き

両親と一緒に夕食を共にするのが恒例であった。




両親が亡くなって、やがて20年になるがいつ行っても実家は良い。

なるべく一月に3回は通うように心がけているし、

我が3姉妹も帰省の折には連れて行きたいと思っている。


今回、娘たちが帰省した時も、しぜんと幼かった日の思い出話が始まり

話の中で、次女と三女だけで実家近くの海へ遊びに行った話が出た。

その海は「フンニャトゥ浜」。

この海へは、ばばも何十回と通った。

母が漬け物を作るための大根をカゴの一杯背負い、

ばばは、その母の後から付いていった。

海へ着くと母は大根を一本、一本塩水で洗うのだった。

ばばは、気分によって手伝うこともあれば、作業をする母の近くの砂浜で

貝殻を拾って遊んだりしていた。

懐かしいなぁ〜〜〜フンニャトゥ浜。


娘にとっても、ばばにとっても懐かしい場所。

よしっ、行こう!と決断、車を走らせた。

我が家からは車で、ほんの2,3分。

あっという間に、浜に着いた。

娘が話し出す。

「小学校低学年の頃、ひかち(三女)と二人だけで遊びに来た時、

イソギンチャクを見つけたの。

そこで、二人でイソギンチャクの口に花林糖を入れたら

ムシャムシャ美味しそうに食べたの。

しばらく経って、もう一回上げようとイソギンチャクの所へ戻ったら

花林糖は吐き出されていたの。あのイソギンチャクまだいるかなあ〜〜〜」って。


まさか、もうあの当時のイソギンチャクはいないだろうけど

何世代か後の子孫がいるかもね・・・・なんて話しながら

岩場を覗くと・・・・・・・・・・・・・・

当時のイソギンチャクの子孫かどうかは分からないけれど

たくさんのイソギンチャクがいた。

わざと、娘をイソギンチャクのいる場所に残し

姉と二人は砂浜を散策。

すると、いろいろな小さい貝殻がたくさん落ちている。

形も色も様々。

ばばも、子供の頃に帰ったような気持ちになり一生懸命貝殻を拾った。



娘は、まだ、イソギンチャクと会話している?????


ばばと姉が砂浜を歩いていると、長さ20センチ前後の魚が砂浜に打ち上げられていた。

5メートル間隔ぐらいで3匹も・・・・・

どうしたのかな?

そして、4匹目は白っぽい細長い魚。

口が尖り、その中には鋭い歯が見えていて、しっぽがキュッと細くなっている。

ちょっと気味が悪い。

「ウミヘビかな?」などと言いながら避けて通る。



娘が戻ってきた。

「今日はイソギンチャクにあげる花林糖を持っていなかったから

細い珊瑚を口に入れてきた」って。

オイ、オイ、いくら何でも珊瑚はないでしょう・・・・・

笑いながら3人で貝殻拾いを続けた。


しばらく経って、ひとり留守番をしているじじのことが気になり

帰ることにした。

車の中でも、海が昔と変わらずきれいだったっと感想を話す。

パッと見には、海は変わっていないようだけど

流れ込む赤土、投げ捨てられたゴミ、やはり気になる。

ばばが幼かった頃と比べ、砂浜がグンと狭くなっているような気がする。


ふるさとの山も海も川も、いつまでも青く清くあって欲しいと願うけれど

それには、ばばたち人間が自省しなければならないことがたくさんあるような気がする。


あの日、拾ってきた小さな貝殻はガラスの小瓶に入れて残しておこう。。。。。。

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