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03/17(土) 16:29
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03/15(木) 22:08
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03/12(月) 22:44
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>>2012年3月の記事一覧

ばばは「のぞき魔」

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ
3月17日(土)曇り後雨後曇り

曇って、雨降って、又曇って・・・・すっきりしない1日だなぁ・・・


さて、さて、ここ2週間ほどばばはすっかり「のぞき魔」になってしまっている。

朝、昼、夕方と多い火には3回も覗く。

誰を覗いているのかって?

覗かれた被害者が警察に通報しないかって???

「ばばって、そんな人間だったの?

いつもブログに書いている生き方と違うじゃない?」


ばばが覗いているのはね、別に人間じゃないの。

じゃ、動物?

いえいえ、ばばが覗いているのは植物。

・・・と言ってすぐに分かるあなたは凄いよ。


あんまり引っ張ったらいけないね。

タネあかししましょう。

実は、ばばが毎日覗いているのはシソ・・・・・

大葉とも言うらしいが、ばばはシソの方が言いやすいし、なじんでいる。


そう、ばばの家ではシソが毎日の夕食の食卓に欠かせないの。

じじの刺身のツマとしてね。

今は、お店で買うとシソの葉1枚が10円〜15円。

家でも簡単に育てられるのにね・・・・

でも、シソは6月から8月頃までしか育てられないの。


去年はね。

お店で苗を買ってきて、プランターで育てようとしたけれど悉く失敗。

義母が「シソまで、雑草みたいなもので一回植えれば、

毎年自分で芽を出すよ」と言ったのを思い出し

ホームセンターで種を買ってきてバラ蒔いた。

大雑把なばばのこと、パラパラっと本当に適当に両親宅の花壇にバラ蒔いたの。

数日後、花壇を覗いたばば、ビックリしたねぇ・・・

モシャモシャって無数の芽が出ていたの。

嬉しくなったばばは、間引きをしてはあちこちに移植し

更には「台風が来た時のために」とプランターと大きな鉢にも移植。

暖かくなると、シソはグングン育ち、じじひとりでは

とてもとても消費しきれないくらいまでに。。。。

こうなると、ちびりちびりシソ1枚を半分に切って使ったりしていたじじも

気が大きくなったのか?今までの何倍も消費するように。

それでも、シソはグングン育ち、増え、花壇はシソだらけ。

隣近所に分けても、まだまだ数十本のシソが。。。。


こうなると、ばばだってウカウカしてはおれない。

料理や野菜の扱いも上手な、じじ妹に教えてもらって

シソの葉を大きなガラス瓶に詰めて氷砂糖と酢をドボドボ入れて「シソ酢」作り。

果ては、何でもかんでもシソを混ぜたりしても、

1日に消費できるシソの量なんて、たかがしれている。

「シソ酢」も2リットル作ったものの、食卓に上げることはしないばば。

一体何のために作ったのやら・・・・

夏中は、自宅栽培のシソでとてもリッチな気分だったばば。


ところが秋風が吹き始める頃には、さすがのシソも元気がなくなって

今度はいっぱいの実を付けた。

義母の言葉を信じ、すっかり枯れた種を花壇や菜園や植木鉢の中

プランター、発泡スチロール、ありとあらゆるつちのある所にバラ蒔いた。


そして・・・期待しながら待っていた・・・冬が終わり春が来るのを。。。。


最近、だんだん暖かくはなってきたものの、20度を切る日もある徳之島。

いくら期待して、去年種をバラ蒔いた場所を見ても1本さえ芽吹いていない。


去年、種をバラ蒔いた後、種を蒔いたことをすっかり忘れ

何度も耕したり、生ゴミを埋めたりしてしまった。


そんなある日、「芽吹いたシソ!」を1本狂喜乱舞したばばだけど、

その後の観察とちぎってみた葉っぱの匂いで「ジャガイモの芽」だと判明、ぬか喜びに終わってしまった。

じじには「ばばはジャガイモと、シソの芽の区別もつかないの?」と笑われたけど、

一体誰のために頑張っていると思うの?

只ひたすら、じじを喜ばそうとばばが日夜?思い悩み、頑張っているのに・・(大袈裟)


バラ蒔いた種の芽吹きは、期待できそうにないので

又々ホームセンターで2種類のシソの種を一袋ずつ買ってきた。


そして種を蒔いたのが3月4日。

種が入っていた袋には「1週間から10日で芽が出ます」と書いてあるから

ばばは、毎朝起きると、まず仏壇の水を替えながら、期待を込めてプランターを覗くの。

種まきから2週間経っても、ウンともスンとも言わないシソの種たち・・・・

まだ、冬眠中なのか・

それとも?ばばが与える水で窒息してしまったのか?


大きなチラシで、種を蒔いたプランターの上を覆い、

日中暖かい日はチラシを外してお日様に当て、夕方は又チラシで覆い・・・・

グウタラばばが、こんなに頑張っているのに

あの小さな小さな「シソの種ちゃん」達には伝わらないみたい。


まさか・シソの種が不良品だった???ってことはないよねぇ。。。。

まぁ、せめて1ヶ月は様子を見ることにしましょ。

あと、2週間かぁ・・・・長いなぁ・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「家へおいで。○○いくらでもあげるよ」って・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月16日(金)曇り時折小雨ぱらつく

今日は、空港へある人を迎えに行かなくてはならない。

正午前に到着の飛行機に間に合わせて準備。


ご飯を炊き、卵焼きを作り、コーヒーを淹れ

カップスープやインスタントの味噌汁も持ちましょ。

空港へ向かう道すがら、実家へも寄って

伸びてきた雑草に除草剤でもかけてから・・・と計画したが

風は強いし、たまぁに小雨もパラつくので、空港だけ行くことにした。


10時40分自宅発。

もちろん、姉とふたりでね。

途中、諸田池を覗く。

鳥は少ない。

次に沈砂池も覗くが小ガモが数羽飛び立っただけ。

上名道の池にも寄る。

カモやオオバンが泳いでいた。

その後は干潟経由で空港へ。

鹿児島からの飛行機は10分遅れて到着。

「待ち人」を無事迎え、干潟脇でおむすびなどを食べて3時前帰宅した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

空港へ行く途中に、ある集落の無人市場に立ち寄ったの。

今年品薄のタンカンがあったので買った。嬉しいぃ!

形も不揃いで外見も決して綺麗ではないけれど自家用だから・・・・

ジャガイモもあったので自家用に買った。

姉とふたりで買っていたら、車が止まりばばと同年配くらいか

ちょっと年上の女の方が下りてきて、タンカンを3,4袋買った。

ジャガイモを買っているばばを見て「ジャガイモまで買うの〜。

家へおいで。いくらでもあげるから」〜だって。

あら、あら、あら、いくら何でも。。。。。とばばが内心思っていると

ばばの顔を、じぃっと見て「何処かで見覚えがあるんだけど・・・」って。

ばばもその女の方に見覚えが・・・・

「徳之島町ですか?」とばばが聞いたら「隣町から来ました」って。

ふたりで「にらめっこ」のように見合っていたら、突然ばば思い出した。

「H君のお母さんですよね」って言ったら

「そうよ。ばばちゃ〜〜ん、懐かし〜〜〜い」って。

何と、30数年ぶりの再会。

ばばが隣まりでお仕事していた時、お世話になった方。

お名前はYさん。

車の中にいた男の方は、ご主人。

ご主人も「家においで。ジャガイモいくらでもあげるよ」って言って下さった。

親切な方達ですねぇ〜。

一旦、無人市場の前で分かれたんだけど、浅間干潟へ行くと

車で食事をしている方が・・・・

姉が「さっき、無人市場で会った人たちよ」と言うが、

ばばは運転しているので、はっきり分からなかった。

干潟周辺を一周して戻ると、わざわざYさんが車から出て待っていて

「ちょっと待って〜」って。

そして「今どこに住んでいるの?」「ご主人の名前は?」と聞く。

もしかして?ジャガイモを本気で届けて下さるつもり?

大変だぁ〜〜〜。

30年ぶりくらいに会って、頂き物までしたら・・・・・

Yさんご夫婦も、仕事が休みの時は干潟まで気分転換に来て

干潟の鳥たちを見ながら、おにぎり食べたりしているんだって。

又いつか、偶然会えるかも。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

順序は逆なんだけど、干潟へ行く前に上名道の池に行ったんだけど

途中、おもしろい光景を見たよ。

ブロックが積んであり、所々水抜き用?のパイプが埋め込んであったの。

その穴の一つ一つの横に、スズメが1羽ずつチョコンと留まっていた。

姉が「あの穴の中に餌でも運んで溜めているのかな?」と言ったので

「まるで、スズメのマンションみたいね」とばばが言って

ふたりして笑い合った。

本当に、スズメたちが各部屋のベランダに出て日向ぼっこでもしているような

微笑ましい光景だったよ。


久しぶりに遠出をして楽しかったぁ〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

タイムスリップ!

by ばばの日記

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3月15日(木)曇り

過日、後輩から「そのうち遊びに行っていいですか?」と電話があった。

「どうぞ、どうぞ。15日木曜日なら、何も計画がないから

何時も良いからいらっしゃい」と返事してあった。


そこで10時頃電話をしてみた。

「都合悪い?。もし、良ければ家でお茶でも飲みながらお喋りでもしましょ」と。

後輩は、ばば姉とも顔見知りなので、姉も呼んだ。

お昼前に三人そろった。

女三人寄れば、楽しいぃ!!!

後輩とばばは年が近いし、実家集落も同じなので、

話が合う、合う。

小学校時代の話から、中学校時代の話等々。

話しては笑い、笑っては又話す。

いくら話しても、話は尽きず。

お茶を入れるのも忘れ、時刻は正午前。


栗と芋などを入れた「おこわ」とお汁、煮物などあり合わせのもので食事。

食事の間も懐かしい話は続き・・・・

同じ時代を生きてきた3人は、共通な話題も多い。

ひとりが「昔は田植え休みっていう休みもあったよね・・・」と言うと

「今の子供達に話しても、それ何?って言われるよね」とつなぎ

田植えから、稲刈り、脱穀、籾干しの話、果てはハブの話まで話題は尽きない。


後輩が「夏休みのラジオ体操の帰りに(って言ったかな?)も

手ぶらでは帰らず、家を出る時、バケツを持ってきて、そのバケツに

蛙をいっぱいとって入れて帰り、芋蔓等と一緒に炊いて

豚の餌にした」というのでビックリ!

「へぇ〜〜〜、蛙を豚の餌に・・・タンパク質までしっかり摂った

後輩の家で育てた豚は、きっと美味しかっただろうね」と

姉とばばは感嘆!

姉やばばは、鶏の餌としてバッタは良く捕まえて一升瓶に入れて持ち帰り

鶏小屋に放したものだが・・・・

お小遣いを稼ぐためのアルバイトの話、学林地の話など懐かしい話が続く。


そう言えば、学林地ってまだあるのかなぁ・・・・

中学校の頃は、年間行事として学林地の下草伐採があった。

全校生徒、弁当と鎌等を持って学林地へ行き、約半日、杉の木の下枝や

下草を伐採し、帰りにはマキを背負って下山したものだ。

そのマキを何処かへ売って、その代金で図書とか買っていたのかもしれない。


3人で話していると、一気に小中学生時代にタイムスリップして

昭和3,40年代の生活を懐かしく思い出した。


良いなぁ・・・同じ年代の話をわかり合えて・・・

方言で語り合えて・・・

今日は、又ばばに新しい友達がひとり増えたようで、とっても嬉しかった。

今後も、何処かへドライブなどに行く時は、後輩にも声をかけ

一緒に遊ぼうねと約束もした。

「怪しい3人組」が今年からは「4人組」になるよ〜。


さて、やはり最初の「遊び場」は浅間干潟かなぁ・・・・

後輩も、鳥や植物に興味を持ってくれたら嬉しいなぁ。。。。


今日は、楽しかったぁ〜〜〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

アレの残ったスープで「茶碗蒸し擬き」

by ばばの日記

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3月14日(水)晴れ

昼2時から義母がお世話になっている介護施設の運営委員会がある。

今回はじじの代理でばばが出会。

この会は入所者家族の代表と、民生委員、役場職員、施設の職員で構成され

だいたい月一回の割りで行われる。

ほとんどの回、じじが出会しているが、ばばは今回で二回目。

なるべく、じじに出てもらうことにしている・・・

和やかな雰囲気の中で約1時間の会は終わった。

その後、義母と面会し、約30分くらい色々話した。


駐車場に向かいながら時計を見ると4時前。

天気が良いので、これからでも実家の両親の墓参りに行こうと思った。

昨日は、父の20回目の月命日だったし・・・・

明日以後、天気が崩れたら行けなくなるからね。

すぐ姉に電話をして、我が家の前で待っていてもらい一緒に出発。


1日遅れだったけど、お墓の前で静かに手を合わせ

また、実家へも寄って庭木などを見て、心がほぉ〜〜っと和んだ。


5時少し前には実家を出発し、あちこち寄り道したので

家に帰り着いたのは7時前だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話題は変わるけど、以前お笑い芸人さんだったか?

テレビで言っていたことが気になって、実験してみたよ。

あのね、カップ麺のシーフードヌードルを食べた後の

スープに生卵を1個入れ、グルグルッと箸でかき回して

レンジで1分30秒くらい温めると、「美味しい茶碗蒸し擬き」になるって。

興味があったので、やってみた。

ばばの実験は今回で2回目だったの。

一回目は、ヌードルを全部食べ終わってから残ったスープに卵を入れてみたけど、

今回は、ヌードルが出来上がった段階で麺だけお皿に取り分けて

スープにはすぐ卵を割り入れてグルグル。

そしてレンジでチン!

出来た!!!

1回目も、2回目も大成功!

確かに手間もかけずに茶碗蒸しが出来たよ。

せっかくなら、三つ葉を入れたらもっと美味しかっただろうなと思ったり

「カニカマ」をい入れても良かったかな?と思ったり

次々といろいろな考えが浮かんでくる。

普段の料理でこのくらいアイディアが浮かべば、良い奥さんになれるはずなのに・・・・

普段はなるべく手抜きをして、いらない所であれこれ考えるんだから・・・


ばばはね、料理は嫌いではないんだけど、

朝ご飯・昼ご飯・晩ご飯・・・って、時間に追われながら作るのは好きじゃない。

好きな時に、好きな料理を作るのは大好き。

自分で色々考えた料理や、レシピを見ながら

全く新しい料理を作るときはワクワクする。


1日3食作るのは主婦の勤め・・・と割り切ってはいるけれど

じじと二人1年365日家にいる時は、ほぼ外食はしないから

なるべく美味しい料理を作るよう努力しなければいけないんだけど

野菜を茹でて切るか、生野菜を切るか、それに肉が少しあれば満足のじじ。

それに、味はなるべく薄味か、野菜などは味付けなしのそのままで良いって。


西洋料理とか、中華料理とか、少しは勉強して新しい味でも

じじを満足させてあげられたら良いんだけど

不良ばばは、そんな殊勝な心遣いをするわけもなく

じじ、ごめんなさい!

今度は、シーフードヌードルのスープで作った「茶碗蒸し擬き」

じじにも味見させるからね〜。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


料理本は、何冊も買って持っているばば。

持っているだけで安心しちゃってさ、生かさなきゃ!毎日の献立に。

分かった?

誰が、誰に言っているんだか。。。。。ごめんなさい。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ばばが尊敬する人

by ばばの日記

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3月13日(火)曇り時々晴れ

3月13日、今日はばばが大好きだった父の20回目の月命日。

20年前の3月13日・・・・13日の金曜日。

職場の遠足だった。

もう何回もブログに書いているけど、ばばが子供達に

「今日は13日の金曜日。西洋では・・・」と話し、最後に

「怪我などしないように、楽しい遠足にしましょうね」と言って目的地に出発。


ちょうど昼ご飯を食べている時、職場に残っていた同僚が車でやってきた。

そして、緊張した面持ちで「ばばさん、お父さんの具合が悪いそうですので

すぐ、帰って下さい」と・・・・

その後は、無我夢中。

実家に帰り着いたのは、知らせを受けて約2時間後。


家の周囲の草取りをしていて、ちょっと疲れた一休みと横になった父。

しばらくして、母が一緒にお茶でも飲みましょうと

声をかけたが返事がなく、覗いてみると既に・・・・・・

何とあっけない。。。。。。


大好きな大好きな父だった。

明治生まれの父は温厚で、我が儘いっぱいだったばばを叱ったことは生涯なかった。

又、父の荒い声や言葉を聞いたこともない。

言葉には出さなくても、父の動作や後ろ姿を見て

ばばは反省したり、思うこともたくさんあった。

父が兄や姉を怒っているのも見たことが無い。

もし怒っていたとしても、穏やかに言い聞かせていたのか?

それとも、他の兄姉の前では怒らなかったのか?

一番我が儘なばばを怒らなかったんだから

ばばよりはずぅっと従順で働き者だった兄や姉を怒ることはなかったのだろうと思う。

我が父ながら「神様のような人」だとずぅっと思っている。


父はよく働いた。

朝は、薄暗いうちから田畑へ出かけ、夜は星を見ながら帰ることが多かった。

ばばは、朝は父と一緒に出かけたことは記憶していないけれど

仕事を終え帰る時は、牛が引く荷車に乗って星空を見ながら帰ったことが何度もある。


父は口数が少なかった。

でも、父が話す一言は多くの言葉を要さなくても、ばばの胸に響いた。


父は読書が好きだった。

80歳を超えてもなお月に月刊誌3冊ぐらいと本2冊くらいは読んでいた。

ばばの実家集落には書店がないので、ばばが毎月買って届けた。

雑誌や本を届けた時の、父の嬉しそうだった顔。。。。今でも思い出す。

そして、読んだ本に書いてあったことなどをよく話してくれた。


父は器用だった。

若い頃は、畳表を自分で織り、自分で畳を作っていた。

印鑑も自分で作っていた。

また、海岸に打ち上げられる浮きとか、枯れ枝とか珊瑚とか木の実とか拾ってきては

家にあるものと組み合わせ、干支の飾り物などを作ったりしていた。

父に創作能力があると思ったのは、父が70歳前後の頃からだった。

また、盆栽作りの名人だった。

イソマツ・マッコウ・テンバイ・ソテツ等々、父の手にかかれば

非の打ち所のない見事な形に整えられた。

父が育てていたテンバイに一目惚れした園芸愛好家が

「300万円で譲って欲しい」と言ったとき、きっぱりと断ったそうで

今でも、じじ・姉・ばばで父の「自分が育てた植物を愛する父」を賞賛する。


父は、我が子や孫を無償の愛で包み込んでくれた。

これも、語りぐさになっているが我が家の三女が

金管バンドや、ジャズバンドでコンクールや発表会に出る時は

必ずばば両親にも前もって知らせていた。

船で出発する三女を見送ろうと思った父の行動を聞いて涙が出た。


何と父は、実家近くで海がよく見える高台へ行った。

もちろんいくら声を張り上げても、孫である我が家の三女に届くはずもない。

そこで、沖行く船に何とか気づいて欲しいと、焚き火をし狼煙?をあげて

合図を送り続けていたそうだ。

「Hちゃ〜〜〜ん、頑張っておいでよう〜。

じいちゃんは、ここで見送っているよ〜〜〜」

と言う声を狼煙に託していたのだろう。。。。。


口数は少なく、孫達ともあまり声高に話すことはなかったけれど

我が家の三女は花徳(ばばの実家)のじいちゃん大好きだったし

父の思いは、きっと三女に伝わっていたと思う。


自分の身内を褒めて書くのは恥ずかしいことだけれど

ばばは、それ以上に何とか父への思いを書き残しておきたい。


父が元気な間、何だか照れくさくて、面と向かって「ありがとう」とか

「大好き」と声に出して伝えたことはない。

「親孝行、したいときに親はなし」の諺通り

何の恩返しも出来なかったけれど、ばばは世界一父が好き。

(世界一はひとりのはずだけど、ばばには世界一がまだまだいるんだよ〜)

父がばばに向かって「大好きだよ」って言ってくれたことは無いけれど

ばばが20歳を過ぎた頃

「ばばは、結婚させずにずぅっと手元に置いておこうかな?」と

父がポロッと漏らした一言が、ばばに対する愛情の全てを表していたと思う。


その後、数年してじじと結婚したけれど

じじが、ばばの両親を我が親以上に大切にしてくれたので

ばばがお嫁に行っても、「頼もしい男の子がひとり増えた」と両親は喜んでいた。


父に「大好き!!!!!!!!!!!!!!」って伝えると同時に

じじにも「ありがとう!!!!!!!!!!」って伝えなきゃ・・・・


奇しくも、今日父の命日に、実家関係のことである方が午前中我が家へいらした。


お父さ〜〜〜ん、これからも、ばばはあなたの娘として

恥ずかしくない生き方をしますからね〜〜〜。

お母さんと一緒にずぅっとばば家族を見守っていて下さいね。


お父さん、お母さん、ばばはあなた方ふたりの子供として生まれて幸せです!

ありがとう。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

初めての朗読サークル発表会

by ばばの日記

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3月12日(月)晴れ

今日も午前中は晴天!

洗濯したり、玄関から洗面所までを片付けて

洗濯して・・・あっという間にお昼。

でも、夕方になったら急に寒くなって

フード付きのダウンコート着て、義父の見舞いがてら散歩に。

義父の見舞いを終えたら、窓口で入院費の支払いをしよう思って出かけたのに

父が穏やかに寝ている姿を見て、ホッとしたら階段をトットットッと下りて

裏口へ回り、そのまま散歩。

大分歩いてから「あちゃ〜〜、入院費払うの忘れちゃった!」って気づいたけど

明日も行くから良いかぁ〜と、サッサと大瀬川へ。

橋の上から「鳥見」。

コサギしかいなかった。

ばばの大好きなアオサギが今日は見えないけど、何処行っちゃったんだろう?

気になる。。。。。


島は、暖かくなったと思ったら、寒くなって・・・・

なかなか春は一気に来てくれません。

だからこそ、余計待ち遠しいのかなぁ。。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夕べは、徳之島朗読サークルの発表会を聞きに行って来た。

ずぅっと前、あるサイトで「11日夜7時から・・・」と書いてあったような気はしたけど

定かではなく、もう一回サイトで確かめてから姉へも電話して

二人で行って来た。

朗読の発表って、どんな内容だろう?興味津々。


6時開場、7時開演でばば達は6時40分頃会場に着いたけど

ロビーは閑散としているし、あとから来る人もほとんどいない。

「本当に今夜?」と思っていたら館長さんが「どうぞ中の方へ」と。

10分前になり会場へ入っても、座っている人は6,7人。

前の方に座って開演を待った。

(お客さん、集まってくれるかしら?

あまりに観客少なかったらサークルの皆さん、お気の毒・・)と思いながら

ばば達より少し遅れてきた知人母娘とお喋りをしていた。

会場の時計が7時ジャスト。

まだ、幕は上がらない。

5分過ぎた・・・・・


周囲を見回すと、ほぼ4,50人は座っているようで、ホッとした。

静かなピアノの演奏と共に、やっと幕は上がった。


暗い照明。

上下黒い服に身を包んだ女性が4名。

スクリーンに、「99歳の詩人柴田トヨさんの」詩が映し出され

出演者が朗読をした。

ゆったりと、そして抑揚を付けて語りかけるように読む。

素晴らしい!!!


次は5名のメンバーが出てきて「江戸小咄・貧乏神」を朗読。

これも又、まるで紙芝居過激でも見ているような臨場感があり楽しかった。


次は賛助出演で徳之島混声合唱団の方々が歌い(曲名忘れちゃった)

更に会場の雰囲気を盛り上げた。


次に、又4名の方が登場し「賢者の贈り物」を朗読。

自分で読むのも良いけれど、内容も分かっているけれど

やはり、穏やかなバックミュージックの中役割分担して朗読すると味わい深い。


最後は、9名のメンバー全員が登場し、又、柴田トヨさんの詩を朗読。


中でも東日本大震災の被災者へ向けての詩は聞いていて胸が熱くなり涙がこみ上げてきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


被災者の皆様に


柴田トヨ


 あぁ なんという

ことでしょう

テレビを見ながら


 唯(ただ) 手をあわすばかりです




 皆様の心の中は

今も余震がきて

傷痕(きずあと)がさらに

深くなっていると思います

その傷痕に

薬を塗ってあげたい

人間誰しもの気持ちです


 私もできることは

ないだろうか? 考えます



もうすぐ百歳になる私

天国に行く日も

近いでしょう


 その時は 日射(ひざ)しとなり

そよ風になって

皆様を応援します 


 これから 辛い日々が

続くでしょうが

朝はかならず やってきます


 くじけないで!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


詩の朗読のあと、「上を向いて歩こう」を合唱団の方々が歌い

最後は朗読サークルの方々も一緒に歌った。


バックミュージックのピアノ演奏

合唱団のコーラス

朗読サークルの朗読

3つが三位一体となった、素晴らしい1時間だった。


朗読サークルは、去年の9月の発足したそうだが

昨日の出演者は20代から80代?までの9名だった。


今後の活躍が楽しみなサークルが、又一つ徳之島に誕生したと実感したばばです。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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