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09/21(火) 22:42
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09/19(日) 20:51
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09/18(土) 23:18
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>>ばばの日記の記事一覧

母は鬼婆ではなかった・・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


9月22日(水)晴

夕方洗濯物を取り入れていると、

「#$%&’*〜〜〜」と内容は分からないけれど、

叫ぶような声が聞こえた。

声がした方を見ると、若いお母さんが、プラスチックのバッドのような物を振り回し

小学低学年生くらいの男の子をぶっていた。

男の子は悲鳴を上げるような感じで車の後ろにしゃがみ込んでしまった。

近くにお兄ちゃんらしき男の子もいたが、

お母さんは今度はお兄ちゃんらしき子を「バチ〜〜ン」と叩き

男の子は大声で泣きながらしゃがみ込んだ。

兄弟できっと悪戯をしてお母さんに叱られているようだった。

お母さんがあれだけエキサイトしてるってことは

相当な悪さをしたんだろうなと思いながら母子を見ていたばばは

自分の小さい頃のことを思い出していた。

これまでも何回か書いたけれど、ばばの母は明治生まれで躾にとても厳しかった。

一番憶えているのは、お客さんが来て、その前で立て膝で座ろうものなら

お客さんの前であろうと、黙ってばばの太ももを強く抓った。

抓られた痕が青あざになっていつまでのばばの足に残った。

また、言うことを聞かない時は、家の真ん中の柱に太い綱でばばを括り付けたまま仕事に行った。

母が仕事から帰るまで数時間、ばばは括り付けられたままで・・・・・・・

友達のお母さんは、自分の母に比べて誰も優しそうに見えた。

ばばは、母にことごとく反抗し、抓られ、柱に括り付けられた。

母が厳しいので、心の中では「鬼婆!」と悪態をつきながらも怖くて口に出すことはなかった。

母は厳しかったけれど父には一度も叱られたことがない。

父はいつでも穏やかに笑っていた。

だから、父に反抗したことは一度もない。


厳しい母がイヤでイヤでたまらなかった。

厳しかった母の本意が分かったのは、自分も結婚し子どもができた頃からだ。

反省するにはあまりにも遅すぎたと、今は悔やんでも悔やみきれない。

母が厳しく教えてくれたことは全て正しいことだった。

母は、間違ったことは何一つ教えていなかった。

現在のばばの平穏な生活があるのも両親のおかげだと感謝してもしきれない。


厳しかった母と、穏やかだった父。

このふたりがいたからこそ、今のばばがいる。

いつか謝ろう・・・と思いながら、両親とも永久の別れをしたばば。

感謝の気持ちも、謝ることも両親が元気な頃にしておく大事なことだ・・・・と今になって思う。


今日、若いお母さんが何故子どもを叱っていたかは知らないけれど

あのふたりの男の子がお母さんが叱ったことをどう受け止めるか・・・・・

・・・と思いながら、ばばは泣いている子どもを置き去りにして

家に入っていく若いお母さんの姿を見つめていた。


洗濯物を取り入れ、たたみ終わって夕方の買い物に行った。

途中、東区公民館を見ると、舞台らしき物が作られ折りたたみの椅子が数十脚並べられていた。

長机には、焼酎の入っていた一升瓶の空き瓶が二本置かれ

それぞれにススキが飾られていた。

(あっ、今日は中秋の名月)と気付いたばば。

更に見ると、ススキの飾られた便の間には大きな丼のような物に

丸いお月見団子が山盛りにされていた。

更に団子の両側には徳利に何かの葉っぱか花が飾られていたが

遠すぎて、おまけに薄暗かったので何を飾ってあるのかハッキリは分からなかった。

今時、島でもこんな風流なことをするんだ〜〜と思いながら

病院へ寄り、買い物おを終えて帰る時、もう一度お月見会場の横を通ると

しっとりとした島唄が流れてきた。

聞いているだけで、ばばは意味もメロディーも分からないままハミングしていた。

ばばは、ススキも飾らず、団子もないけれど今夜は夕ご飯の後ベランダから月を眺めてみよう〜。


そう言えば、今朝ラジオで聞いたんだけど、大阪では三角錐のお団子を作り

そのお団子に群雲に見立てて海苔を巻くんだとか・・・・

ところ変われば・・・・・ですね。


昔から続く良い行事は、時代が代わっても

受け継がれていってほしいってたくさんの人が思っているよね。。。。。。。。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

時計だらけの家・百均

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ



9月21日(火)晴



ばばの家にはざっと数えただけで13個の時計が



彼方此方に掛けられたり置かれたりしている。



どうしてこんなに????






いつ頃から時計が増えていったのだろう?



十数年前までは転勤する同僚が数人で一緒になって時計をくれることがあった。



また、じじが部活を指導した子ども達から記念にと時計をいただいたことも。



年の祝いとか、退職祝いのお返しとして目覚まし時計をもらったこともある。



そのうち100円ショップでも掛け時計が買えるようになり



時間の狂いも少ないことからいくつか買った。



また、雑貨ショップでプレゼント用に可愛い時計を買ったついでに



一つ余分に買ったりもした。



そうこうしているうちに我が家にはどんどん時計が増えていった。





たくさんの時計を居間に掛け、寝室に掛け・・・・・



勉強部屋に掛け、風呂場に掛け、居間では台所にも置きトイレにも置いた。



寝室には電波時計が掛けられ、さらにデジタルで夜も数字が見える時計も置かれていて



寝たままで時刻が分かるようになっている。



多い部屋では掛け時計が二つあったり、置き時計を合わせて3つある部屋も・・・・・



こうなったら、もう何が何だか分からない。



そんなに時間を気にする生活がしたいのか???ばば。





時計を置いたら置いたでやはり時間が気になる。



例えばお風呂場・・・・・



リンス剤をつけた・・・・パックをした・・・・・



3分経ったら洗い流そう・・・・とか、



あと何分で出て、出かける準備をしなくちゃ・・・とか



常に時間が気になる。





じじもばばも退職して、時計を気にしなくて良い生活になったはずなのに



現役時代より時計の数は増えた。



考えてみれば、現役時代は時計を見るより先に行動していたような気がする。





時計と言えば、腕時計・・・・・・



腕時計をしなくなって、もう何年経っただろう?



腕にはつけなくても、何故か持ち歩くバッグに時計を付けているヘンテコリンなばばだ。



散歩をする時、自分もウエストポーチに時計を付けていながら



「今、何時?」と姉に聞く。



律儀な姉は、いつも、きちんと腕時計を付けている。



今は姉とふたりとも携帯電話を持ち、携帯を見れば時間も分かるのに



携帯を見ることはほとんど無い。



やはりヘンテコリンなばば・・・かな?





今や、時計でも傘でも、食品、文房具などほとんどの日用品が百均で買える時代だ。



しかし、「どうせ、100円だから・・」と粗雑に扱いポイッということも少なくなかったばば。



反省して、今は文房具以外はほとんど買わないようにしているが・・・・・



10日ほど前、夕食の買い物に出て、ついでに一寸した収納小物が欲しくて百均へ寄った。







いざ買い物を終え、外に出ようとしたらザァ〜〜〜ッと雨が降り出した。



どうしよう???



400歩も歩けば我が家。



走ってもやはり400歩かな?なんてよけいなことを考える。



外は真っ暗。



お店の灯りもあるし中央通りだし、帰れないこともないが買った物に紙製品があり



これを濡らすわけにはいかない。



「100円の傘を買おうか?」と一瞬思った。



しかし、過日買った100円の傘は、ちょっと風の強い日雨の日にさして買い物に出たら



自宅階段を下りきった所で、見事に傘が「万歳」してしまい、使い物にならなくなった。



(やっぱり、100円の傘はダメだな。もう絶対買わないぞ)とその時固く心に誓ったのだった。



この傘は夕方の散歩の時、丁度100円ショップ前で夕立がザア〜〜〜ッときたので



お店に飛び込んで買った物だった。



結局はその時一回しか、まともにさせなかったのだ。





(傘は買わない)と決めたものの、走って帰りたくもないくらいの激しい降り方だ。



その時ばばの心に閃いた。



(傘はダメでもレインコートなら良いんじゃない?)ってね。



そこで、売り場を探した。



あった、あったよ〜〜。



よくよく見ると、上下セパレートの物。



イヤだよ〜、レインズボンなんか穿いたことないし穿きたくもない。



でも、上着だけでは腰から下が濡れそうだ。



どうしよう???と彼方此方見ていると、あった〜〜〜〜。



ばばの捜していたレインコートが。



サイズは一つしかなかったので即購入、即着用して雨の中を駆けだした。



打ち付けるような激しい雨だけど、レインコートがあれば大丈夫だもんねぇ〜〜。



早速、ばばは例の癖で「1,2,3・・・・」と歩数を数えだしたよ。



最初は、300歩くらいで我が家に着くだろうと思っていたのに、走って400歩もあった。



どうして〜〜〜。





濡れ鼠のようになって家に帰り、じじに言った。



「じじ〜、急に雨が降り出した時、百均にいたので、



今日は傘でなくレインコート買って着てきた」と。



そして、脱いだレインコートを見せた。



「それが百円か。いいねぇ〜色は一色だけ?」とじじ。



(じじも欲しいのかな?)と思ったばば、すかさず、「じじの分も1枚買おうか?」・・・・・



「いらない、いらない」・・・とじじ。



まっ、レインコートを着たじじの姿なんか想像もできないね。



じじには百均のレインコートより、暴走族が着るようなつなぎがお似合いだね〜〜。





とにもかくも、百均はあって良し、無くても良し・・・・



・・・だけど、時々非常にありがたい時もあるよね。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「ごたいめ〜〜ん」したくないのに・・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ



9月20日(月)晴



ここ数日、いい天気が続いている。



そこで、ばばはNHKの「ためしてガッテン!」でみた



「ウルトラショウガ作り」をした。



Aコープでショウガが大量に入って100円で出ていたので



「これは買うしかない!」と・・・・・



ショウガはなぜか好き!



かと言ってショウガ湯を飲むわけでなし、



ショウガを使って肉を焼くわけでもなし、



あの香りが好きなのかなぁ〜〜〜。



だから、無人市場でもショウガがあればすぐ買う。



それも大量にね・・・・



ショウガ焼きのタレを作ったり、佃煮を作ったりするけれど



なかなか自分では食べない。



姉やお隣ご近所に分けてあげて、残りは冷凍・・・・・



数ヶ月も冷凍庫の番をさせてしまうことが多い。



今回作った「ウルトラショウガ」本当に活躍してくれるのかなぁ・・・・(ばば次第だね)






そうそう、、今日はショウガのことを書く予定ではなかったんだ〜〜〜〜







じつはね・・・・・・



ごたいめ〜〜〜ん、したくないのに、ご対面してしまった???が題材だったんだ。





過去にも2回ほどばばのブログに書いたけれど・・・・・



又してもネズミが我が家に侵入したんです!



いつ、どこから侵入したのか全く分からない。





10日の朝、押入の中に見覚えのない物体が・・・・



数日前じじが「じじのおやつのグゥワバ知らない?確か2,3個残っていたはずなんだけど」



と、ばばに言ったのだが、ばばはもちろん食べてもいないし、どこにあるかも分からない。



あるはずの物がない????変だな?とは思ったけど深く気にもしていなかった。





数日後、不思議だったけど、押入の中からはグゥワバが、



ばばのタンスの前からは、じじが横半分に切って



果汁を絞り、酢の代わりに使った島青ミカンの絞りかすが・・・・



さらに、じじのおやつとして、ばばがなおしておいた個包装されたカステラが



包装を食い破られて・・・・・・・



ばばは、すぐ犯人が分かった。じじも分かったはず。



全て犯人は不法侵入者だ。





早速、罠を仕掛けた。



しかし、翌日は義妹家族が泊まりがけで来る。



もし、この罠を見たら義妹の孫Hちゃんが怖がるか、気味悪く思うかも・・・・



と、考え一旦仕掛けた罠を片づけた。



義妹家族が泊まった次の朝、ばばが布団を片づけようと押入を開けたら



オォ〜〜〜ッ、前日、義妹が持ってきてくれた米袋が食い破られて、



米粒が押入の中に散らばっている。



こうなったら、義妹家族にも正直に話そう・・・・・





義妹家族に話すと、「我が家にも結構ネズミが来て、バトルを繰り広げたよ。



退治するには赤い粒薬を買ってきて、ネズミの通り道に置いて、



餌が無くなったら補充するの。餌が減らなくなるまで置き続けるのよ。



そしたら、確実にネズミはいなくなるから・・・・・」って。





良いこと聞いた!!!



一泊して帰る義妹家族を見送った帰りに早速薬局に寄り義妹が話していた薬らしき物?を買った。



その夜、アルミ箔のカップに餌を入れ台所、押入、廊下など奴が通りそうな場所に置いた。



翌朝、期待を込めて餌を仕掛けた場所を見たが、どこも餌は減っている様子がない。



義妹の話によると、敵も然る物で、餌を食べはせず近くまで来て2,3日は様子を見るのだそうだ。



この分では、長期戦を覚悟した方が良いな・・・・・





それから5日目。。。。。。



ばばは、明け方(奇しくも4時44分の並びの時刻だった)起きてトイレに行った。



その時、ギョッとした。



裏階段の方の戸が開いているのだ。



慌てて、「じじ〜〜戸が開いてるよ〜〜」と叫ぶと



「しまった!じじとしたことが!戸を閉め忘れるとは!」とじじはベッドで悔しがっている。



「そこからネズミが入ってくるんだよな〜〜〜」とも・・・・・





そして、ばばは又寝床に入り、しばらくしてじじは起きて朝のジョギングに行き、帰って来た。



帰って来たと思ったら、「#$%&’〜*+?>!!!!」



という声がじじの部屋から聞こえてきた。



すっ飛んで行って見ると「今、ネズミともろに対面した!」と興奮しているじじ。



じじの部屋の本など並べてある下の床にネズミがいて、じじを見ると棚の上に駆け上り



一瞬のうちに何処かへ姿を消してしまったというのだ。





あちゃ〜〜〜、先に侵入したネズミと同じか?それとも???



昨夜、じじが閉め忘れた入り口から入ってきたのか?



となれば、複数匹のネズミが我が家にいることになる。



ネズミとの同居なんてイヤだよぅ〜〜〜。





最初、異変に気付いてから今日で10日目。



我が家の中にネズミはいるのか?いないのか?





もし、いなければ幸い。



いたとしたら、絶対に「ごたいめ〜〜ん」したくはない。





それにしてもネズミって奴は・・・・・



早朝に、玄関脇から堂々と入ってくるかと思うと



いつ、どこからともなく忍者の如く忍び込んでくる。



わざわざ階段上がらなくても、餌のある場所はいくらでもあるのに



なんで、ばばの家に何回も入り込むの?



もしかして?じじ&ばばが好きになったとか???



でも、ダメダメダメ!!!!!!!!!!



あなたと同居はできません!!!



ばばも手荒いことはしたくないので、さっさと出て行った方が身のためよ〜〜〜。



分かった?



分かったら、チュ〜〜と泣いて出て行ってね〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

天国の兄さんへ

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ



9月19日(日)



今日は大好きだった兄の、命日だ。



まさか49歳の若さで兄が天国に召されるなんて・・・



忘れもしない、昭和63年9月16日。



ばばは、道徳の授業をしていた。



たまたま「たった一つの命」「かけがえのない命の尊さ」について



子ども達に話していた時電話を取り次がれた。



普通は授業中に電話を取り次がれることなんて無い。



異様な胸騒ぎを憶え電話のある部屋へ走った。



電話の内容に、ばばは失神しそうだった。



鹿児島にいる兄が出勤前に倒れ救急車で運ばれたという。



すぐに、休暇届を出し姉と一緒に飛行機で鹿児島へ飛んだ。



病院へ直行したが、すでに兄の意識はなく気管切開をされていた。



それから3日後、みんなの願いむなしく兄は49歳で天国へ旅立った。






ばばと10歳違いだった兄。



女姉3人の中に男の子は兄一人。



我が家の「希望の星」だった兄。



努力家で、温厚で、いつでも家族のことを考えてくれていた。





貧しかった時代、兄は家族の期待を背負って大学へ進み念願の高校国語教師になった。



兄がK高校へ赴任した年、ばばは高校受験だったが



両親の「K高校へ行って、兄さんの炊事の世話をしながら高校へ行けば親も安心する。」



という一言で志望校を受験2ヶ月前に変更、予想だにしなかったK高校生になったばば。



中学三年生まで、ズボラで、ぐうたらで、



(いかにして家の手伝いをサボろうか)ということばかり考えていたばばが



入学直後から兄の身の回りの世話をし、食事の準備をし・・・・・



まるで高校生兼一主婦として奮闘の日々が始まった。



少しでも安く買い物をするために隣の集落まで歩いて往復した。



当時、初めてカッパえびせんが発売されたような気がする・・・



お風呂も隣の集落の銭湯まで行っていた。



そんな生活の中で、学校へ行けば、ばばは兄のことを「N先生」と呼ばなければならなかった。



極力兄と接近しないように校内を歩いた。



たまに廊下などですれ違うと兄はにこっと笑って、すぐに顔をそらして通り過ぎた。



兄は現代国語と古典を担当していたが、ばばの学年には古典を教えていた。



ある日、兄がばばに言った。



「古典のテストで、お前が悪い点数をとると、兄さんは恥ずかしい。



かと言って、満点とると問題を教えたと友達から思われるかもしれない。



だから、なるべく良い点数をとって、その点数をキープしなさい。」と。



ばばは国語は大好きで。将来中学校の国語教師になりたいと思っていたので



なるべく兄の期待に添えるように頑張った。



兄妹で、同じ学校で、兄は教師、妹は学生・・・・何とも妙な気持ちになることもあった。



ただ、「兄に迷惑をかけるような言動はいっさいしないぞ」と固く心に誓っていた。



k高校は島内唯一の高校で学生のほとんどが島内の中学校から来ていた。



ばば一人が徳之島からの入学だった。



先生の妹だから・・・・余所からたった一人で来ているから・・・・・でもなかっただろうが、



同級生・先輩・先生方からも、とても良くしてもらった。



入学後しばらくは、夕方になると徳之島の両親が恋しくていつも泣いていた。



兄はいつも帰るのが遅かったので、夕食の準備をし、一人で宿題をしながら兄を待った。



そんな時、センチメンタルになって泣きべそかいていた・・・・



高校生になっても、幼かったんだね、ばばって。







そんなばばが何時も思うことがあった。



(兄さんはいつ寝ているんだろうか??)と。



二部屋しかない町営住宅で住んでいたが、ふすまで仕切られた兄の部屋は



夜、ばばが何時に目を覚ましてもいつでも明かりが点いていて



机に見かっている兄の後ろ姿が見えた。







ばばは青春まっただ中。



食べれば食べるだけ体は風船のように丸々太っていった。反対に兄は・・・・・・



兄の同僚の先生方に「おい、○子、自分だけ美味しいの食べて



お兄さんに美味しい食事作ってるか?」と良くからかわれた。



今から思うと、兄に本当に申し訳なかったと思う。



栄養的な知識もなく、ただ自分が好きな物を作っていたような気がする。



そんな妹が作った弁当を3年間食べ続けた兄。



文句一つ言われたことはないけれど、もう少し料理がうまくできていたら・・・・



「美味しいっ!」って舌鼓うってもらえる料理が作れていたら・・・・・



ごめんね・・・・兄さん。





今思うと、切なくも楽しい高校3年間だった。





大学受験を控えた時、ばばは中学校の国語教師になるために学べる公立の短大と4年制大学を選んだ。



担任の先生も勧めてくれた。



しかし、兄は「お前の今の実力では希望している国公立はダメだ。」と・・・・・



兄の言うことはいつでも正しいと信じていたばばは、日本全国の短大、4年制大から



1,中学校の国語免許がもらえる。



2,学費が安い。



この二つの条件に当てはまる学校を選び出した。



4年生大は県外、短大は県内で各一校ずつ選んだ。



4年制大学に行くか、短大に行くかで随分迷ったが、



当時就職率ほぼ100%だった短大に自分で決めた。



そして、高校3年間学費を出してくれた兄と、



「先生ほど良い仕事はない」と呪文のように言い聞かされた両親への恩返しのためにも



一生懸命勉強して大学に合格し、教師になるんだと強い気持ちで受験し、合格した。





ばばは、最初の第一希望だった公立大学に未練はあったけれど



母が教えてくれ、ずっと座右の銘の一つとしてきた「鶏口なるも牛後なるなかれ」で



鶏口になるべく頑張るのも、又一つの道かな?と思い公立大学は諦めた。





選択は間違っていなかったと思う。



ばばは、その後自分の夢を実現させ、両親の元へ帰った。



そして、ある程度親孝行もできたと思っている。





兄は・・・ばばが高校を卒業し、2年後に結婚した。



そして奄美市への高校へ転勤。



その後、鹿児島へ転勤となり二つ高校で勤め、4月から県立図書館勤務となった。



地方奉仕課という部署で、これからはたくさんのおじいちゃんや、



おばあちゃんの為にも頑張るとばばに話した。



貧しい生活の中から兄を大学まで行かせてくれた島の両親へ思いを胸に、



地方のたくさんの方々のために勤めようと張り切っていた矢先・・・・・



新しい職場に移って半年しか経っていなかった9月。



当時は9月15日が「敬老の日」だったが、



倒れる前日には故郷の敬老の方々へ、兄は祝電を打ってあった。



敬老の日の翌日倒れ、3日後に帰らぬ人となった兄。



「これからが、親への恩返しの時」と語っていた兄。



徳之島の高校へ異動し、両親を喜ばせたかったであろう兄。



49歳って、若すぎる。



まだまだ、やりたかったことは、たくさん、たくさんあったはず。



無念でたまらなかっただろね、兄さん。





兄が無くなった時、19歳だった一人娘は、結婚し今では中学生と小学生の



女の子ふたりのお母さんになっている。



兄さんは、一人娘の結婚式の晴れ姿も可愛い孫も見ることができなかった。



無念だっただろうね。







今日は、兄にとって孫Mちゃんの運動会。



奇しくも、兄の命日。



義姉は先日から、孫の応援に行っている。



兄は目を細めてMちゃんの頑張りを天国から応援していることだろう。





兄さんが旅立ってから、23年。



兄さんの家族も、ばばの家族も、みんな頑張っているよ〜〜〜。







今朝、両親の仏壇の水を替えながら、ばばは祈ったよ。



お兄さん、お父さんやお母さんと一緒に、



これからも、ずぅっとずっと、天国からみんなを見守っていてね・・・って。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

義母が踊ってる!!!

by ばばの日記

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9月18日(土)晴・波高し



先日、案内をいただいていた敬老会に行ってきた。



9月から義母がお世話になっている介護施設の敬老会だ。



2時半からと案内状にはあったので、2時には家を出る予定にしていた。



ところが、ばばが小包4個を送る準備をしたり、じじが雑用に追われている間に



時計は、もう1時45分を回っていた。



急げや急げ・・・はやる気持ちでシャワーを浴びたりして準備した。



じじとばばが着いた時、入居者はすでに談話室に移動し、



家族の方もたくさん集まって談話室の廊下まで腰掛けが並べられていた。



遠くは横浜から帰省された家族をはじめ島外からの参加者も多かった。



じじとばばも準備された腰掛けに座って開会を待った。



ちょうど、ばば達の正面に義母が補聴器を耳に当て座っていた。



義母と後一人のおばあちゃんが88歳で米寿、Yさんというおばあちゃんが白寿



Kさんというおじいちゃんが古稀で上座に座らされ、それぞれの前には鮮やかな名札も貼られていた。



舞台の上にも「敬老の日 おめでとうございます」と書かれた横に



同じ人達の名前が書かれた紙が貼られていた。






園長さんの開会の挨拶があって、その後舞台発表が始まった。



琉舞あり、日舞あり、カラオケや島唄あり・・・盛りだくさんの内容だった。



途中、白寿、米寿、古稀を迎えた4名の方の紹介があり義母も紹介された。



義母は紹介された後「こんな上座に座って恥ずかしいです」と言った。



施設の方は母のことを「リハビリをとても頑張っていて今にも走り出せそうです」



と紹介してくれた。



義母も穏やかな顔で聞き入っていた。





演芸発表の合間にも、ばばはチラチラ義母の方を見ていたが、



補聴器を耳に当て熱心に舞台の方に集中しているようだった。



ばばと目が合うと、にこっと笑い手を振ったりもした。





最後に、島の宴会の締めくくりに不可欠の「六調」が賑やかに演奏され



家族の方や、施設の職員さん、立てる入所者の方も踊り出した。



ばばも、賑やかな三味線の音に心が浮き立つような気分で



ふと義母の方を見ると・・・・・・・・・・



何と!義母が車椅子に座ったまま両手を挙げて踊っている!!!!



健康な時も、義母が人前で踊るのを見たことがないばばは吃驚すると同時にとても嬉しかった。



急いでじじに「お母さんが踊ってる!写真撮って、撮って」と促した。



ばばと目が合った義母が踊りながら相づちを打つように頷いている。



ばばもカメラを持ったまま手だけで踊った。



じじも、写真を撮る合間に片手にカメラを持ったまま踊った!



義母はにこやかに踊り続けている。



踊る義母の姿を見ながらばばは胸が熱くなり、しぜんと涙が溢れた。



義母に泣き顔を見せてはいけないと、思いながら義母を見ながら、



ばばもじじも踊り続けた。



結婚して40年近く、我が家の家族がこうして「六調」を踊ったことなんてあっただろうか????



ばばは、何とも言えぬ感情がジワァ〜〜っとわき出てきた。







ほどなく敬老会は閉会し、じじとばばで母の車椅子を押して部屋まで送って行った。



その後、義母は「ばばちゃん、綺麗な洋服ありがとう」と言った。



義母が、今の施設に移るにあたり、少し涼しくなっても着られるようにと



3,4枚上下セットの服を揃え、別にズボンも大きめの物を4枚ほど揃えたのだ。



「お母さんがね、大きめの方が良いって言うので、揃えたのよ」と言いながら



タンスから洋服を出し、義母に見せながら上下セットにしてタンスにしまった。



それを見ていた義母は「どれも良い色柄だね〜〜」と喜んでくれた。





じじが、最近よく「何のこれしき〜〜〜」と言うが



ばばも義母に向かって「何のこれしき〜〜〜」と答えたいくらいだった。



何にもしてあげられないばばだけど、毎日面会には行こうと思っている。





今日の義母の笑顔・・・・最近のばばにとっては何よりも嬉しいプレゼントだった。



お母さん、ありがとう〜〜〜〜。











※ 敬老会から帰ってPCのニュースを見ていたら奄美群島のハブの捕獲数が



昨年より2000匹多い2万2100匹・・と出ていた。



2万匹以上のハブ・・・想像するだけで総毛立つ思いがする。



徳之島では一匹3500円で買い上げられているそうだが



市町村によっては一匹4000円で買い上げているそうだ。



ハブ捕獲をアルバイト?小遣い稼ぎにしている人もいるそうだ。



過日、ばばの知っているおとなしいお嬢さんふたり(20代前半)が



「真夜中、山にハブ捕獲に行く」とお嬢さん達のお父さんが話すので



「まさかぁ〜〜〜」と思ったが、ひょっとして本当だったのかも知れない・・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

鶏飯はお好きですか?他、ナメクジに粒薬

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ



9月17日(金)晴



今日は、大好きな友人Rちゃんを我が家にご招待。



招待〜と言うほど大げさではなく、一緒に昼食食べましょうと誘った。



40年来の知り合いであり、友人Rちゃんから先日



「17日に一緒にお茶しませんか〜」とメールをもらった。



Rちゃんは昼の3時前後からお仕事が始まるので、



それまで我が家でおしゃべりしながらお茶しましょ・・・と言うことをこれまでもやっている。



そこで、Rちゃんに「せっかくだから、一緒にお昼ご飯食べましょ」と誘ったばば。



「喜んで、お伺いします」とRちゃんからも返信があった。



気の置けない友人Rちゃん。



さて、何を作ってもてなそうかな?



やっぱりメインは簡単にできる鶏飯にしましょと即決。



後は、カボチャと厚揚げの煮付け・ひじきと大豆の煮物・ポテトサラダ・



もずくを使った酢の物・・・・決定!!!



Rちゃんは予定時刻よりだいぶ遅れたのでじじは先に食事を済ませてお昼寝。



Rちゃんは、1時過ぎに到着。



楽しくおしゃべりしながら食事開始!



「野菜で一番好きなのはカボチャの煮付け」って言ってくれた。



一口食べるたびに「美味しい〜〜」「落ち着く〜〜」と褒めてくれるので



ばばも嬉しくなって食が進む。



Rちゃんは鶏飯をお代わりまでしてくれ、ばばも作った甲斐があった〜と嬉しかった。



気の置けない友人と一緒の食事は嬉しいね、楽しいね。






3時前にRちゃんはお仕事に行くため帰ったので、階段下まで見送り



家に入ろうとした時、玄関先のプランターの陰に小さなナメクジを



5,6匹掃き集めていたものを始末することに。





数日前、昼間に大きなナメクジを見つけ吃驚して瞬殺スプレーをかけたと書いたが、



実は・・・昨夜、寝る前、戸締まりついでに玄関先を見ると



コンクリートの上やプランターの縁・中に大小7,8匹のナメクジが這い回っているのを発見!



へぇ〜〜、我が家に、まだこんなにナメクジがいたんだ〜〜と妙に感心しつつ



今度はスプレーでなく、念のため・・とホームセンターから買って来て直しておいた



粒のナメクジ殺虫剤を撒くことにした。



でも・・・コンクリートの上に撒いたら花に水をかける時、薬も流されてしまう。。。。



プランターの中より、縁に大きなナメクジがいるが、縁にどうやって粒薬を置けばいいの?



迷ったけれど、いくつかのプランターの中だけに一つまみずつの薬を置いた。



スプレーはあまり効かなかったけれど、粒薬は効くのかな???



期待しつつ寝たんだった・・・・



朝起きて玄関を覗くと、プランターの中にしか薬を撒いていなかったにもかかわらず



コンクリートの上に5,6匹、さらにプランターの中にも5,6匹



ナメクジがひっくり返っていた。



粒薬って、良く効くな〜〜と実感。



すぐに捨てる気になれなかったので、



昼間の直射日光でカラカラに乾かして掃き集めて捨てようと一カ所に集めておいたのだ。



でも。。。やはり掃き集めた物をちり取りに取るのはイヤだ〜〜〜。



最後の始末は、じじにお願いしよう〜〜っと。





今夜も、寝る前にプランターや鉢の中に粒薬をパラパラ撒いておかなくちゃ・・・・



ナメクジを完全に退治するまでばばの戦いは続く・・・・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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