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10/15(金) 11:06
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10/13(水) 16:17
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10/13(水) 04:36
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10/10(日) 22:50
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10/08(金) 15:33
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>>ばばの日記の記事一覧

大物?それとも????

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


10月14日(木)晴時々曇

今朝、ゴミ出しをしていたら、お向かいさんから声を掛けられた。

「昨夜の、雷凄かったね!怖かった〜〜」って。

「えっ、雷?雷が鳴ったんですか?」

「そうよ、ものっ凄い雷で、○○さんのお宅に落ちたんだって」

「知りませんでした〜〜」

と、二人で話していたら、すぐ隣のお姉さんも出てきて

「昨夜の雷怖かったねぇ〜。まるで地震みたいで、怖くて眠れなかった」

「体が、ワジワジ震えたよねぇ〜」

「??????」のばば。

「私、昨夜は10時過ぎから寝ていて全然気付きませんでした」って言うと

「幸せな人ねぇ〜〜」って。

昨夜の雷は、半端でなく今までこんな雷があったっけ?って思うほどだったそうだ。

お向かいさんのお話によれば、12時頃まで開いているスナックも

昨夜は、あまりの雷の凄さに、お客さんを早く帰し、店じまいをするほどだったって。



じじとばばの散歩コースのお宅に落雷があったそうで

近くに住む方からお向かいさんには電話があったそうだ。

ばばの家からも、結構近いと言えば近いお宅に落雷があったなんて

全然知らず、ばばは暢気に夢の中だったんだ〜。

落雷のあったお宅は、外観がちょっと一般のお宅とは違う作りになっているんだけど・・・

ってことで、「アンテナとかも怖いよね〜。雷の落ちやすい家の造りってあるのかしらねぇ〜」等と

昨夜の雷の怖さについて話してくれるけど、ばばは全然実感がわかず

(もし、起きていたら、怖くて眠れなかっただろうな〜〜。早く寝ていて良かったなぁ〜)

何て考えたけど、あの雷の音でも目覚めないばばの神経って????

お隣さんの散々笑われたり、冷やかされたり。。。。

その後も、「雷が落ちたらどうなるんだろうね?」という話になり

「電気製品がみんなダメになるんじゃない?」とか

「家も壊れるのかな〜」等話は続いた・・・・・・・・・

話を聞きながら、「ばばって、鈍感なのか?それとも大物なのかな?」

何て考えていたけど、そりゃ〜ばばが大物なはず無いから

超の付く鈍感なんだと結論!



そんなばばは、今朝起きてみて「おっ、昨夜は雨が降ったんだ〜。

菜園と花壇に水かけなくて良いな・・」って暢気に思ったんだけど・・・・



近くに大きな落雷って、あまり経験無いけど・・・・

遙か遙か、昔々、ばばが小学生の頃同級生宅の豚小屋に雷が落ちた事があった。

「豚はみんな小屋を飛び出し、近くにあった、アカギの大木が黒こげになって折れた」

と言う話を聞き、学校帰りにわざわざ現場を見て帰ったことがあった。

その年、雷の落ちた、すぐ傍らの畑には冬瓜とカボチャが大豊作だったと聞いた。

小屋を逃げ出した豚たちが、その後小屋に戻ったか?連れ戻されたか・・と言う話は聞かなかったが

さて、真実はどうだったんだろう?





今日は朝から黒雲が広がったり、あまり良い天気ではないけれど

又雷ゴロゴロって、なりませんように。。。。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

食べたの、だぁ〜〜〜れ!

by ばばの日記

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10月13日(水)晴



島では、野菜や果物の旬の時期になると、どっさりいただくことがある。

過日、島では「赤瓜?島瓜?」と言われる瓜を6本くらいいただいた。

漬け物や酢の物にしたり,味噌汁の具にしたり、炒めたり、時には冬瓜と同じように煮物にも利用できる。



しかし、ばばは、あまり上手に使いこなせていなかった。

無人市場などでは、一本100円か、それ以下で買えるが、

喜んで買う方ではなかった。

さて、いただいた6本の赤瓜、どのように使おうか???悩んでいた。



ある日、行き付けの魚屋さんで「赤瓜は刺身のツマに一番良いよ」という話を聞いた。

今年の8,9月は天候不順のせいか、野菜がとても高くキュウリも例外でなく

一本が100円近くになることも・・・・

そんな時に聞いた「赤瓜が刺身のツマに良い」という情報。

早速試してみた。

少し太めの千切りにすると・・・おっ、いける!!!

キュウリよりも甘みがあって美味しい!

キュウリは、一回で一本は使い切るけど、赤瓜は大きいので

3,4回使える。ラッキー!!!

と言うわけで、我が家の刺身のツマに赤瓜が加わった。

刺身のツマ以外でも、千切りにした物を好きなドレッシングで和え

粉のピーナツやすりゴマをふりかけても美味しくて、

結構な量でも食べられる。

時には、シーチキンや、鯖の缶詰と煮る。

時間もかからずすぐできるのがありがたい。

これ又美味・・・・

と、赤瓜づくしが続いていたが、それでもいただく量と消費量のバランスが上手くとれず、

2,3本は、食べられない位しなびさせてしまった。

いただいた方に申し訳ないと思いながら、家庭菜園の肥料にと

パパイヤの根っこに置いた。




ほぼ毎朝、家庭菜園には水撒きがてら行っているが、

赤瓜を肥料代わりにと置いた翌朝、行ってみて驚いたね〜〜〜。

なんと!胴回り15センチ以上、長さ30センチはあろうかと思われる

赤瓜3本が、物の見事消えている。

犯人は誰だ???

犬は食べないだろうし、近所に野良犬もいない。

ネコ???

ネコって、赤瓜食べるのかな?

それにしても、たった一晩で巨大赤瓜3本を平らげるとは相当な大食漢とみた。

残飯の陰さえ残さぬとは、天晴れ、天晴れ。

念のため、家の周り、溝などグルッと回ってみたが赤瓜らしき物の残骸さえなかった。

犯人は分からぬまま、数日が過ぎ・・・・




ある朝、ニラを植えてある近くに裏返しに置いたプランターに気付いたばば・・・・

これはね、すぐ雑草が生えるので、除草シートを敷いてあるんだけど

シートが足りず、敷けなかった分はプランターを何個か裏返して日光を遮断しているんだ〜。

これでも、結構除草効果はあるよ〜。



たまたま目についたプランターを足で蹴飛ばすようにして裏返した見た。

その下の地面に!!!!無数の、小さなアフリカマイマイが・・・・・・



正視できず、慌てて階段を駆け上り「ナメクジ駆除剤」を取って来て

アフリカマイマイ目がけ、当てずっぽうに「エイッ、ヤァ〜〜〜」とまき散らした。

プランターの下以外にも、塀際や、枯れ木の下など、彼方此方にまき散らしたよ〜。



そして、台湾ガジュマルの木の下に薬を撒いた後

ふと見ると!!!!

何と、ばばがこれまで見たこともないような巨大マイマイが!!!

大きさはね、大人の人がグーを下より大きいくらいで10センチ以上あったよ。








ばばは、又慌てて階段を駆け上がり、カメラを持ってきてパチッ。

気味が悪いなんて良いながら、自分のグーと奴の大きさを比べたり

大接近して写真を写したり、

「ばば〜本当は虫好きじゃないの〜〜〜」って思われても仕方ないね。



きっと赤瓜食べたのは奴だよ。

確信したばば。

彼の周りに思い切りたくさんの薬を撒いたら、

アラッ、数時間後には身動きしなくなっていた。



ばば、「大量殺虫罪」に問われないよね〜〜。



まっ、マイマイぐらいは正視できるが、

ミカンの幼木につく、「黄緑色の太長いニョロリ」と

カラーと似ている花の茎にしがみついている「黒くて太長いニョロリ」だけは

どうしても、無理!、無理!、無理!な、ばばです。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

作りも作ったり・・・

by ばばの日記

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10月12日(火)晴


今日は9時前から病院へ行った。

待合室で待っていると、ばばの斜め後ろに、

ばばより少し年下かな?と思える女の人が座っていた。



その方はばばより先に名前を呼ばれ診察室に入っていった。

診察室と廊下はほんの数メートルしか離れていないので

中の患者さんと先生の話は、廊下へ筒抜け。

ばば、病院へ行く時いつも気になる。

だって、自分のプライバシーを他人に聞かれるなんてね・・・

女の方は、検査を受け、先生の説明を聞いた後、又待合室へ出てきて

今度はばばのすぐ横に座った。

初め、その方が座っていた場所に、後から来た他の患者さんが座っていたから。

その方と、何気なく、とりとめのない話になり、

ドーナツの作り方とか、はったい粉餅の作り方などが話題になった。

そして、ばばは十八番の「パパイヤの佃煮」のことについて話した。

すると、女の方は興味津々。

「是非、レシピを下さい」と。

そこで、ファックス番号と自分の名前を書いたメモ用紙をくれた。

ばばにも、「ファックス番号を教えて下さい」と言われ、ばばも書いた。

その後も、料理のことや、色々なことを話しているうちに

何だか昔からの友人のような気がしてきた。

そこで、ばばは「うちはすぐ近くなので、レシピを持って帰って下さい」と家へ誘った。

初対面の人を、家へ連れて帰るなんて初めてのことだ。

せっかくだから、家に上がってもらいコーヒーを飲みながら

又色々話した。

偶然にも、その方のご主人はじじとばばが数回、会ったことがある人だった。

次から次へと話題は尽きず、約1時間半、おしゃべりをし

レシピと、ばばが作って冷凍してあったパパイヤの佃煮をお土産にした。

その方は、帰り際「自分は人見知りが激しく、なかなか初対面の人と話せないのに

今日は厚かましくお茶までいただいてしまって・・」と恐縮しながら帰っていった。



パパイヤの佃煮と言えば、じじが数日前、パパイヤを大小20個くらい持ってきた。

じじ一人がいくら刺身のケンとして毎日食べてもなかなか減らないだろうし、

かと言って、このまま置いておく訳にもいかず、思い切ってまた佃煮を作ることにした。

作業開始が2時。

パパイヤを半分に切り、水に浸し、種を取り、皮を剥き、千切りにし・・・・・

何と言っても一番時間がかかるのは千切りの作業。

4時過ぎても終わらない。いい加減手も疲れてきたよ〜〜〜。

・・・とそこへ「ばばちゃ〜〜ん、こんにちは」と可愛いお客様。

十数年前の教え子ちゃんが玄関に立っている。

「これ、お父さんが・・・」と大きな大きな夜行貝と伊勢エビを差し出した。






「うわぁ〜〜、こんな高価な物を・・・」と恐縮しつつも

「上がって、上がって」とすすめ、上がってもらい、飲み物でもと思ったが

「配達の途中で、お父さんが下で待っているから・・・」とのこと。

そこへ、お父さんも上がってこられた。

「じじは??」と聞かれたので「ちょっと用事で・・・」と答えると

「今配達の途中なので・・・是非、じじさんと一緒に遊びに来て下さい」と・・・・

せっかく上がってもらったSちゃんと一緒にコーヒーでも一杯と思ったが

辞退され、帰って行かれた。

わぁ〜〜どうしよう。。。

こんな高価な伊勢エビと夜行貝。じじ、喜ぶだろうなぁ〜〜〜。




今日いらしたTさんには、もう約20年ほど前からお世話になりっぱなしだ。

本当にありがとうございます!

そのうち必ず、じじと一緒に遊びに寄らせていただきます。




Tさん父子が帰り、ばばは、又佃煮作り再開。

しかし、千切りにしたパパイヤを調味料で煮始めたところで、

5時までには郵便局へ行かなければならない用事があったことを思いだし作業中断。

30分くらいで用事を済ませ帰って又パパイヤを煮始めた。

でも、一回煮て、調味液の中に放って置いたせいか、中途半端に柔らかくなり色づきは薄い。

調味液が無くなるまで煮詰めなくてはならない。

コトコトコトコト煮続ける。

一回目を煮ながら、二回目の準備で、まだまだ千切りは続く。

7時半なんとか一回目の佃煮3kg完成!

煮始めは大鍋のいっぱいあったのに、煮詰めると鍋の三分の一くらいしかない。

一回目に作った分を冷ましながら2回目を煮始める。

9時、NHK「今日の料理」を聞きながら(テレビは居間にしかなく台所からは見えない)

まだ煮続ける。

10時、二回目の佃煮5,2kg完成!


今日作ったパパイヤの佃煮総量8,2kg。






作りも作ったり、自分でも吃驚する。

パパイヤ佃煮と言っても、醤油・味醂・酢・砂糖・胡麻・ウルトラショウガ・鰹節結構な量使う。

でも、保存はきくし、おむすびの中に入れたり、生野菜と一緒に食べたり

結構、使い道はあるんだよね。

こんなに作っても、数軒に送ったり、友人や、お隣ご近所少しずつお裾分けしたりしたら

ほとんど残らないかも。

今日は、昼から約7時間パパイヤの佃煮作りをしたけれど、

残った分は、明日、又千切りにして冷凍しておかなくちゃ。

そしたらね。すぐ炒め物なんかに使えるんだ〜〜。

サッと茹でて、ピーナツや醤油、酢で調味しても美味しいしね。

ばばは、パパイヤほとんど食べないけれど食材としてのパパイヤは大好き!

パパイヤ万歳!

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親思う・・・・

by ばばの日記

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10月10日(日)晴



「10月10日は晴天率が高い」と言うことで

「東京オリンピック」の開会式も10月10日にしたと

つい先日ラジオで聞いた。

今日の徳之島は、秋晴れの晴天。

町民体育大会も盛大に行われただろう・・・が、

じじとばばは、もう何十年と参加してない。

応援にさえ行かなくなった。

「10月10日は」ばば家族にとって、特別の日。

「じじ母」の誕生日なの。

結婚以来、去年までは、ばばが島にいさえすれば、

何らかの形で「母の誕生祝い」をしていた。

娘達が小さい頃は、両親を夕食に招待し、娘達が「おめでとうメッセージ」を読んだり

エレクトーンを演奏したり、ささやかなプレゼントを贈ったりして両親の誕生日を祝っていた。

我が家の娘達が巣立ち、両親と、じじ&ばばだけになっても

やはり、両親の誕生日は食事に招待していた。

しかし、ここ4,5年はそれもできなくなってしまった。

年を重ねるにつれ、両親の足腰も弱くなり我が家への階段を上るのがきつくなってきた。

父は、数年前からアルツハイマーを患い、グループホームにお世話になることに・・・

家には母ひとり残され、寂しそうだったが、母の誕生日には食事を作って届けることにした。

今年からは、母の誕生祝いも家ではできなくなってしまった。

6月11日。

たまたまじじが旅行へ発った日、母の体に異変が・・・・・・

救急車で病院へ行き、翌日夜になって軽い脳梗塞と診断された。

約2ヶ月半の闘病生活の末、介護付き老人ホームへ入居した。

現在は車椅子で移動し、食事も自分でできるまでに回復している。

父90歳、母87歳。

ばばは、自分の両親と暮らした年月より、じじの両親と暮らした年月の方が遙かに長くなった。

その間、両親には言葉では言い表せないほどお世話になり可愛がってもらった。

じじと出会わせてくれたのも父だった。

ばばが38年間、転職と信じた仕事を続けることができたのも、両親のおかげだった。



結婚と同時に仕事を辞める女性が多かった時代、

父は「ばばちゃん、これからの時代は女性も働く時代になるよ。

母ちゃんと、父ちゃんもできるだけ協力するから

ばばちゃんが、辛い、キツイ、もう駄目だと思う時はいつでも仕事は辞めて良いから

仕事続けてみたら」と言ってくれた。

当時、父は中学校に勤めていた。

結婚してすぐ、じじとばばは加計呂麻で勤務することになった。

1年後、長女が誕生し、ばばは仕事も続けたかったが長女の面倒を見てくれる人が無く

途方に暮れていた。

その時、父から電話があり「自分たちが責任もって育てるからハナ(長女)は

島へ連れておいで」って・・・・

迷って迷って、泣いて泣いて・・・結果仕事を取ったばば。

長女を手放したのが、生後三ヶ月から。

そして次女が誕生したが、ばばが「破傷風」になったり、また面倒見てくれる人が無くて

次女も1歳6ヶ月から父と母が育ててくれた。

両親ともすでに50歳後半だったが、良く乳飲み子二人を育ててくれたものだと

感謝すると共に吃驚する。

うちの娘達ばかりでなく、徳之島で仕事をしていたじじ妹夫婦の子も2,3人一緒に面倒を見ていた。

ほとんどが一才違いの孫4,5人をよく世話できたものだ。

ひきつけを起こしたり、高熱を出したり、おできができたり・・・・

お風呂に入れたり、散髪したり、食事をさせたり・・・・・

両親が協力したからこそできたこと。

両親とも、孫達を我が子のように、いや、それ以上に可愛がってくれた。

一番多い時は、7人の孫の世話をしていたことになる。

母が食事の準備をする時は父が孫を散歩に連れて行ったり、

父が次々と孫を風呂に入れ、母が着替えをさせたり・・・

父は教職の傍ら、朝夕は農業をしながら孫の世話をしてくれた。

だから、我が家の娘達も「じいちゃん・ばあちゃん大好き!」で育った。



最近、特にばばは、じじに「今の生活があるのは誰のおかげ?」と良く問う。

数年前まで、じじは、娘達に「今、あなた達がこんな生活できるのも、お母さん(ばば)が

お父さん(じじ)と同じように働いてくれたからだよ」とよく言っていたけれど、

そのばばを支えてくれたのが、じじとじじ両親だった。

だから、ばばが「今の生活があるのは・・・?」と問うのは

改めて両親への感謝の気持ちを持ちたいと、じじにもわざと答えさせたいのだ。

じじ両親がいなければ、いても「孫育て」に協力してくれていなければ

ばばは働けなかっただろうし、今のような平穏な生活はできなかっただろうと、いつも思う。



だから、ばばにとっては「じじ両親は神様」なのだ。

その両親が、今は病院と、施設にお世話になっている。

父は、会話もできず、呼びかけに反応することも少ないけれど

ばばが「お父さん!」と呼びかけると10回に一回ほど返事をしてくれる。

返事があろうが、無かろうがこれからも、、ばばは毎日病院のベッドの横で

「お父さん」と呼び、話しかけようと思う。

母は、まだ意識はハッキリしているし会話もできるので

できるだけ毎日母を訪ね、母の話を聞いてあげたいと思う。



今日は、母と会いに行ったら、もう昼食が始まっていて、

あまり会話はできなかった。

耳元で「お母さん、誕生日おめでとう」と言うと

「ありがとう。ありがとう。ごめんね。何も手伝いできなくて」と答えた母。

施設に入ってさえも、ばばの手伝いを何かしたいと思っているんだね。

「親思う心に勝る親心」と言う言葉が、ばばの胸を去来したよ。






帰り際、ばばは母の部屋へ行き、

ベッドに母の好きなゼリーと、ミカンと、お煎餅を小さなカゴに入れて置いた。

「お母さん、お誕生日おめでとう。今まで私たちに尽くしてくれたから

これからは、私たちに、うんと甘えてね。じじ・ばば」という手紙を添えてね・・・・



家に帰ると、娘から「ばあちゃん誕生日おめでとう」で始まるファックスが届いた。

明日、届けよう・・・・

母は、また「ありがとう、ありがとう」って言ううだうな・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

○○を○○すべきか?○○○○べきか?

by ばばの日記

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10月9日(土)雨後晴

昨夕は、天気が悪かったけれど、

ばばの毎日の大事な仕事「じじのための刺身買い」を休むわけにはいかない。

雨が降ろうが、台風が来ようが、ばばは宙を飛んででも出かけるのであります。。。

「何と麗しい、夫婦愛。じじ思いのばば。偉いなぁ〜〜」という

声が、どこからも聞こえてくることはありません、ハイ。



「なるべく切ってからの時間が短いほど良い」と言う

店主のアドバイスで、ばばが出かけるのは夏なら6時半過ぎ、

冬なら6時前後。。。。。。。。。。かな?

昨日は天気も悪いし、6時頃は家を出た。

一旦、階段を下り始めたが「ポツリ・・・・・・・・ポツリ・・・・・・」と

雨粒が落ちてくる。

「このくらいの雨、雨じゃな〜〜い}と思い空を見上げたら

晴れてるような、降るような、怪しい雲行き。

「念のため、傘を持っていこう〜」と思い、一番小さな折りたたみ傘を持って家を出た。

道々、やはり「ポツリ・・ポツリ・・・・・・・・」は続いている。

でも、傘は手に持ったまま、開くことはしない。

車と、人通りの多い道に出た。

さっきより「ポツリ・・・ポツリ・・・」の間隔が短くなり「ポツ、ポツ」くらいになった。

でも、ばばの周囲を見回したところ、誰ひとり傘を差している人はいない。

「何で〜〜みんな傘差さないの???と思いつつ、

ばばだけ傘開くのもなぁ〜〜と逡巡しながら濡れながら歩いた。

行き交う人誰ひとりとして傘を差していないのが、ばばにとっては不思議。

途中、2件くらいの用事を済ませ魚屋に向かった。

魚屋の手前30メートルくらいの前まできた時、

左手から、ばばと顔なじみの青年が黒い傘を手に来て、

ばばより5秒くらい早く方向変換をし、ばばの先を歩き出した。

傘を持ったばばと、青年、相前後し魚屋へ向かった。

魚屋の、ほんの10メートルくらい手前でばばは前方から来る男性に目が行った。

「おおおおお〜〜〜っ、傘を差している!」

だんだん近づいてくる。。。。

最初、病院の先生かな?と思った。

ストラップで胸にネーム札を下げているように見えた。

「○○先生だ!」と瞬時に思った。

しかし、2メートルほどに近づいた時、よくよく見ると初めて見る人だった。

名札だと思ったのは、携帯だった。

でも、たったひとり傘をしている貴重な人物だった。

前を行く青年に続いて、ばばも魚屋に入った。

青年がばばに気付き「こんにちは」と挨拶したのでばばも返礼した。

その後、「どうして、最近の人って雨が降っているのに傘差さないんでしょうね。

傘を持っていても、差すのが恥ずかしくて、とうとう開かずここまで来ました」と言うと

「あっ、僕も傘持っているのに開かなかった」と言うので笑ってしまった。

その後、青年と、店主のお姉さんと、ばばの三人で

「何故、最近は雨が降っても、傘を差さないんだろう?」談義。

結論は出なかった。

小中学生でも雨が降っていても傘を差さずに登下校する子をよく見かける。

傘を持っていないなら、いざ知らず、どうして持っている傘を差さないの?

傘を差さない方が格好良いの?

それとも面倒くさいだけ?



それにしても、ばば、ばば自身はどうよ〜。

せっかく傘持っていたのに、周りが差していないからと、

傘は持ったまま往復しただけじゃない?

うううう〜〜ん、そう言われれば、その通り!

ばば、途中、何回か傘を開こうとしたけれど、「自分だけ傘を差すの恥ずかしい」と思ったんだ。

でも、雨の日に傘を差すって、当然のことだよね。

何も恥ずべき行為じゃないし、大降りだろうが、小降りだろうが

「濡れたくない!」と思えば堂々と傘差して良いんだよね〜。



着ている服とかによっても影響されるかな?

ジャージなら、濡れて良し!

一張羅のスーツとか、着物なら又違ってくるよね、きっと。



周囲に惑わされず「唯我独尊、我が道を行く」としますか?ばば。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

[174-138]

by ばばの日記

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10月8日(金)久しぶりの小雨


「174−138」

いったい何のこと?

それはね・・・・二日前、夕刻、散歩に出かける前に計ったじじの血圧。

じじは、病気をして以来、低血糖になることが日に数回ある。

それで、散歩に出かける前などは、しっかりと食べ、飲み・・・

特に糖分補給には気を付けているのだが・・・

普通、散歩前のティータイムはホットコーヒーと甘いお菓子で決まり。

一昨日は、偶然飲食しながら、ばばが自分の血圧を測ってみた。

と言うのは・・・ばばも3年間加計呂麻へ単身赴任していた、ある日の勤務中

一気に血圧が「220−110」になって、周囲を吃驚させ

病院へ強制連行された。

それ以来、血圧には気を付けているつもりだが・・・・

一昨日、4時頃計ったばばの血圧が「148−95」。

「高!!!!」

横で、コーヒーを飲んでいたじじが「僕も計ったみよう・・・」と。

そして、冒頭の「174−138」という数字が出た。

二人とも真っ青!

じじは、荘血圧は高い方ではないのに・・・・

「間違いじゃない?」と、深呼吸をしたり、姿勢を正したりして再度測定。

それでも、やはり150台とか、高い数値が出続ける。

「これは、散歩どころではない!!緊急事態じゃ〜〜」

ばばは、自分が血圧の高いのも忘れ

「じじ〜〜、病院、行こう!車で」

・・・と言うことで、病院へ一直線。

もしかして?ばばが使っているのは手首式の血圧計なので

数値がおかしいのかも知れない・・・と一縷の望みを抱きつつ・・・

いくら緊急事態とはいえ、二人とも「散歩セット」を積み込んだのはさすが!

病院へ着いたら、待合室に血圧計が3台あり、いつでも、誰でも計っていいことになっている。

早速、二人で座って計測。

先に計り終わったじじ、「どうじゃ!」と言わんばかりに記録用紙をばばの目の前に差し出した。

「120−84」くらいだったかな?

正常じゃん。

それにひきかえ、ばばは「145−98」とか、朝、家で計るのよりもずぅっと高い数値が出る。

でも、じじの血圧が低けりゃ、めでたし、めでたし〜。

現金なもので、血圧が正常と分かった途端、じじは

「さっ、散歩行こう〜」だって。

その後、諸田池や和瀬池へ行ったのだが・・・・

散歩途中も「家で計ったあの血圧の数字は何だったんだろう?

夜、晩酌した後は、うんと血圧下がるよ」って。

いつも、ビールを一本飲んだ後のじじは、本当に血圧がグッと下がる。

「100−50」位になって、又ばばは心配だ。

その夜も、やはり晩酌後計ったじじの血圧は

「105−58」で、これはこれで又ばばは心配じゃ〜〜。、

いつまで経っても、女の人は母性本能で心配ばかりするのかな?

一昨日来、じじは、「血圧、少し高めかなぁ」と言うばばに

「それは、器械が悪いっじゃが・・」って。

だって、3日前までは普通の数字が出ていたんだよ。

急に器械が悪くなるのかなあ〜。

もう、10年近く使っている血圧計。

手首式は、あまり正確ではない」って聞いたことはあるけど・・・

今まで、この器械で計った数値を信じ切っていたんだし・・・

今さら「器械が悪いんじゃが」って言われても

すぐに「ハイそうですか」とは素直に言えないばば。

人間の血圧って時々刻々と変わるものだし・・・・

定点観測ではないけれど、ばばはもう10年近く定時測定をしているから、

数字があまり極端に上がると、心配するわなぁ〜〜。

身にしみて「健康のありがたさ」を実感している昨今、

きちんと血圧を測り、食生活に気をつけ、じじと二人の健康管理をしっかりしていかなくてはね。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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