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ばばが尊敬する人

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月13日(火)曇り時々晴れ

3月13日、今日はばばが大好きだった父の20回目の月命日。

20年前の3月13日・・・・13日の金曜日。

職場の遠足だった。

もう何回もブログに書いているけど、ばばが子供達に

「今日は13日の金曜日。西洋では・・・」と話し、最後に

「怪我などしないように、楽しい遠足にしましょうね」と言って目的地に出発。


ちょうど昼ご飯を食べている時、職場に残っていた同僚が車でやってきた。

そして、緊張した面持ちで「ばばさん、お父さんの具合が悪いそうですので

すぐ、帰って下さい」と・・・・

その後は、無我夢中。

実家に帰り着いたのは、知らせを受けて約2時間後。


家の周囲の草取りをしていて、ちょっと疲れた一休みと横になった父。

しばらくして、母が一緒にお茶でも飲みましょうと

声をかけたが返事がなく、覗いてみると既に・・・・・・

何とあっけない。。。。。。


大好きな大好きな父だった。

明治生まれの父は温厚で、我が儘いっぱいだったばばを叱ったことは生涯なかった。

又、父の荒い声や言葉を聞いたこともない。

言葉には出さなくても、父の動作や後ろ姿を見て

ばばは反省したり、思うこともたくさんあった。

父が兄や姉を怒っているのも見たことが無い。

もし怒っていたとしても、穏やかに言い聞かせていたのか?

それとも、他の兄姉の前では怒らなかったのか?

一番我が儘なばばを怒らなかったんだから

ばばよりはずぅっと従順で働き者だった兄や姉を怒ることはなかったのだろうと思う。

我が父ながら「神様のような人」だとずぅっと思っている。


父はよく働いた。

朝は、薄暗いうちから田畑へ出かけ、夜は星を見ながら帰ることが多かった。

ばばは、朝は父と一緒に出かけたことは記憶していないけれど

仕事を終え帰る時は、牛が引く荷車に乗って星空を見ながら帰ったことが何度もある。


父は口数が少なかった。

でも、父が話す一言は多くの言葉を要さなくても、ばばの胸に響いた。


父は読書が好きだった。

80歳を超えてもなお月に月刊誌3冊ぐらいと本2冊くらいは読んでいた。

ばばの実家集落には書店がないので、ばばが毎月買って届けた。

雑誌や本を届けた時の、父の嬉しそうだった顔。。。。今でも思い出す。

そして、読んだ本に書いてあったことなどをよく話してくれた。


父は器用だった。

若い頃は、畳表を自分で織り、自分で畳を作っていた。

印鑑も自分で作っていた。

また、海岸に打ち上げられる浮きとか、枯れ枝とか珊瑚とか木の実とか拾ってきては

家にあるものと組み合わせ、干支の飾り物などを作ったりしていた。

父に創作能力があると思ったのは、父が70歳前後の頃からだった。

また、盆栽作りの名人だった。

イソマツ・マッコウ・テンバイ・ソテツ等々、父の手にかかれば

非の打ち所のない見事な形に整えられた。

父が育てていたテンバイに一目惚れした園芸愛好家が

「300万円で譲って欲しい」と言ったとき、きっぱりと断ったそうで

今でも、じじ・姉・ばばで父の「自分が育てた植物を愛する父」を賞賛する。


父は、我が子や孫を無償の愛で包み込んでくれた。

これも、語りぐさになっているが我が家の三女が

金管バンドや、ジャズバンドでコンクールや発表会に出る時は

必ずばば両親にも前もって知らせていた。

船で出発する三女を見送ろうと思った父の行動を聞いて涙が出た。


何と父は、実家近くで海がよく見える高台へ行った。

もちろんいくら声を張り上げても、孫である我が家の三女に届くはずもない。

そこで、沖行く船に何とか気づいて欲しいと、焚き火をし狼煙?をあげて

合図を送り続けていたそうだ。

「Hちゃ〜〜〜ん、頑張っておいでよう〜。

じいちゃんは、ここで見送っているよ〜〜〜」

と言う声を狼煙に託していたのだろう。。。。。


口数は少なく、孫達ともあまり声高に話すことはなかったけれど

我が家の三女は花徳(ばばの実家)のじいちゃん大好きだったし

父の思いは、きっと三女に伝わっていたと思う。


自分の身内を褒めて書くのは恥ずかしいことだけれど

ばばは、それ以上に何とか父への思いを書き残しておきたい。


父が元気な間、何だか照れくさくて、面と向かって「ありがとう」とか

「大好き」と声に出して伝えたことはない。

「親孝行、したいときに親はなし」の諺通り

何の恩返しも出来なかったけれど、ばばは世界一父が好き。

(世界一はひとりのはずだけど、ばばには世界一がまだまだいるんだよ〜)

父がばばに向かって「大好きだよ」って言ってくれたことは無いけれど

ばばが20歳を過ぎた頃

「ばばは、結婚させずにずぅっと手元に置いておこうかな?」と

父がポロッと漏らした一言が、ばばに対する愛情の全てを表していたと思う。


その後、数年してじじと結婚したけれど

じじが、ばばの両親を我が親以上に大切にしてくれたので

ばばがお嫁に行っても、「頼もしい男の子がひとり増えた」と両親は喜んでいた。


父に「大好き!!!!!!!!!!!!!!」って伝えると同時に

じじにも「ありがとう!!!!!!!!!!」って伝えなきゃ・・・・


奇しくも、今日父の命日に、実家関係のことである方が午前中我が家へいらした。


お父さ〜〜〜ん、これからも、ばばはあなたの娘として

恥ずかしくない生き方をしますからね〜〜〜。

お母さんと一緒にずぅっとばば家族を見守っていて下さいね。


お父さん、お母さん、ばばはあなた方ふたりの子供として生まれて幸せです!

ありがとう。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

初めての朗読サークル発表会

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月12日(月)晴れ

今日も午前中は晴天!

洗濯したり、玄関から洗面所までを片付けて

洗濯して・・・あっという間にお昼。

でも、夕方になったら急に寒くなって

フード付きのダウンコート着て、義父の見舞いがてら散歩に。

義父の見舞いを終えたら、窓口で入院費の支払いをしよう思って出かけたのに

父が穏やかに寝ている姿を見て、ホッとしたら階段をトットットッと下りて

裏口へ回り、そのまま散歩。

大分歩いてから「あちゃ〜〜、入院費払うの忘れちゃった!」って気づいたけど

明日も行くから良いかぁ〜と、サッサと大瀬川へ。

橋の上から「鳥見」。

コサギしかいなかった。

ばばの大好きなアオサギが今日は見えないけど、何処行っちゃったんだろう?

気になる。。。。。


島は、暖かくなったと思ったら、寒くなって・・・・

なかなか春は一気に来てくれません。

だからこそ、余計待ち遠しいのかなぁ。。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夕べは、徳之島朗読サークルの発表会を聞きに行って来た。

ずぅっと前、あるサイトで「11日夜7時から・・・」と書いてあったような気はしたけど

定かではなく、もう一回サイトで確かめてから姉へも電話して

二人で行って来た。

朗読の発表って、どんな内容だろう?興味津々。


6時開場、7時開演でばば達は6時40分頃会場に着いたけど

ロビーは閑散としているし、あとから来る人もほとんどいない。

「本当に今夜?」と思っていたら館長さんが「どうぞ中の方へ」と。

10分前になり会場へ入っても、座っている人は6,7人。

前の方に座って開演を待った。

(お客さん、集まってくれるかしら?

あまりに観客少なかったらサークルの皆さん、お気の毒・・)と思いながら

ばば達より少し遅れてきた知人母娘とお喋りをしていた。

会場の時計が7時ジャスト。

まだ、幕は上がらない。

5分過ぎた・・・・・


周囲を見回すと、ほぼ4,50人は座っているようで、ホッとした。

静かなピアノの演奏と共に、やっと幕は上がった。


暗い照明。

上下黒い服に身を包んだ女性が4名。

スクリーンに、「99歳の詩人柴田トヨさんの」詩が映し出され

出演者が朗読をした。

ゆったりと、そして抑揚を付けて語りかけるように読む。

素晴らしい!!!


次は5名のメンバーが出てきて「江戸小咄・貧乏神」を朗読。

これも又、まるで紙芝居過激でも見ているような臨場感があり楽しかった。


次は賛助出演で徳之島混声合唱団の方々が歌い(曲名忘れちゃった)

更に会場の雰囲気を盛り上げた。


次に、又4名の方が登場し「賢者の贈り物」を朗読。

自分で読むのも良いけれど、内容も分かっているけれど

やはり、穏やかなバックミュージックの中役割分担して朗読すると味わい深い。


最後は、9名のメンバー全員が登場し、又、柴田トヨさんの詩を朗読。


中でも東日本大震災の被災者へ向けての詩は聞いていて胸が熱くなり涙がこみ上げてきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


被災者の皆様に


柴田トヨ


 あぁ なんという

ことでしょう

テレビを見ながら


 唯(ただ) 手をあわすばかりです




 皆様の心の中は

今も余震がきて

傷痕(きずあと)がさらに

深くなっていると思います

その傷痕に

薬を塗ってあげたい

人間誰しもの気持ちです


 私もできることは

ないだろうか? 考えます



もうすぐ百歳になる私

天国に行く日も

近いでしょう


 その時は 日射(ひざ)しとなり

そよ風になって

皆様を応援します 


 これから 辛い日々が

続くでしょうが

朝はかならず やってきます


 くじけないで!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


詩の朗読のあと、「上を向いて歩こう」を合唱団の方々が歌い

最後は朗読サークルの方々も一緒に歌った。


バックミュージックのピアノ演奏

合唱団のコーラス

朗読サークルの朗読

3つが三位一体となった、素晴らしい1時間だった。


朗読サークルは、去年の9月の発足したそうだが

昨日の出演者は20代から80代?までの9名だった。


今後の活躍が楽しみなサークルが、又一つ徳之島に誕生したと実感したばばです。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

あれから1年

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


3月11日(日)柔らかな春の日差し

ここ、徳之島でも数日前から町の防災無線を通じて

「11日の午後2時46分都合のつく方は

大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈ってへ黙祷を捧げましょう」と

くり返し、放送が流れていた。

そして今日、町の防災無線からも、テレビの追悼式会場からも

「黙祷〜〜」の声が。

ばばも、正座し北へ向かって黙祷した。


悪夢の震災から1年。

被災された方々にとっては筆舌に尽くせぬ苦しみ、

悲しみの1年だったことでしょう。

そして、その悲しみ苦しみが癒やされる日が来るのだろうか?


今日は、ラジオもテレビも当然ながら震災関係の番組が多い。

1年前の、2時45分までは平常と変わらぬ生活をしていたであろう

東日本の方々。

その1分後に、こんな未曾有の災害が起ころうとは・・・・・


我が家では1年前の3月11日、じじは定期検査のため翌日上京すべく準備していた。

ところが、午後2時46分のあの大惨事の序章が・・・じじの上京は翌月に変更。

その後、次々とテレビが伝える惨状。

東北地方だけでなく東京でも大パニックの様子。

我が家の娘達ともすぐには連絡がつかず、

宮城県仙台市にお住まいの友人Aさんにも連絡しようにも手段がない。

その後、娘達とは何とか連絡がつき、翌日仙台市在住のAさんからも

「何とか無事でした」という連絡が・・・・


「何とか無事でした」とは連絡戴いたものの

人的被害はなかったものの、家屋は被災して、

去年末までも復旧は不可能な状態だったらしい。

寒く厳しい冬、どのような思いで過ごされたことだろう。。。。

すぐ駆けつけ、お手伝いも出来ないばばは

只ひたすら祈ることしか出来ない。


復旧までは何十年もかかると言われている。

それでも、完全復旧はできないかもしれない。

災害はいつ起こるか分からない。

普段の備えが大切と言うけれど、人智を越えた打撃を与える災害は

いつ、どこで起きるか分からない。


平凡な日常が過ごせるということの大切さを改めて感じた。

絆の大切さも学んだ。

学ぶだけでなく、これから生かしていかなくてはいけないとつくづく思う。

ばばも去年の震災後、携帯用の小さな懐中電灯や電池式でつかえる携帯の充電器・

電池・笛・マスク・マジックとメモ帳・携帯用ラジオ・濡れティッシュ等準備はした。

これらをリュックに入れてすぐ手の届く所にと思いながら

まだ、リュックにまとめてはいない。

そろそろきちんと整理してリュックに入れておきましょうね、ばば。


今日は改めて被災された方々に思い馳せ、

「絆」ということについて考えた1日でした。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

数十年ぶりに聞いたよ

by ばばの日記

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3月10日(土)曇り時々小雨

ホームセンターに行ったら、何十年か前に会ったことはあるけれど・・・

名前を覚えていない・・・・という女の人がばばを見て、もの言いたげ。

(どなただったかなぁ・・・)と思っているうちに

どんどんばばの方へ近寄って来て

「今の苗字は・・・出てこないけど・・・ばばちゃんですよね」と話しかけられた。

ばばも、その方の顔は分かるけど・・・何処の集落の方かも分かるけど・・・

正確な名前が出てこない。

そこで、まず自分から名乗った。

すると、女の方は「うちのYが、幼稚園の頃でしたよね・・・

ばばさんが○○におられたのは・・・」と。

「運動会でばばさんが学生さんの角帽を被って

男装した仮装行列したことがありますよね。

かっこ良かったですよ・・・」と続けた。

えぇ〜〜〜っ、そんなことがあったかなぁ・・・ばばが男装?

肯定も否定も出来ず、照れくさくてニコニコ笑っていたら

更に、こう続けた。

「当時幼稚園生だったYが、ばばさん大好きで、

大きくなったら絶対ばばさんと結婚するって言っていたのよ」って。

幼稚園生が???ばばと結婚???

「ばばさんが、いなくなって(じじと結婚して加計呂麻へ行った)

Yは(ばばさんがいなくなった)って、大泣きしたんですよ」と。

全く初めて聞いた話で・・・・

Y君、ごめんねぇ・・・

幼稚園だったY君と会ったことはあるけれど、話したこともなかったし

まさか、そんなにばばのこと思っていてくれたなんて・・・


あと、ひとり。

違う集落のお母さんが、ばばに話したんだけど、

その家の1年生の男の子が、「僕、絶対ばばさんと結婚する」って

毎日のように家族に話していたんだって。


じじは、ばばによくこう言った。

「ばば〜、ばばは、だれももらってくれる人がいなかったから

じじがもらってあげたんだよ」って。

慈善事業だって?


そうだよねぇ・・・・

ばばは、もてたためしがないもんね。

じじと結婚してウン十年も経って、

自分が男性(小さな男の子)ふたりから思われていたってこと知った。

あ〜〜〜〜あ、あ。

当時、知っていたら、じじにこんな事言わせなかったのにな。

悔しい〜〜〜〜。


だから、最近ばばは、じじを虐待しているんだ〜。

じじは「ばば、怖い〜〜〜」って言うけど

年と共に、女性は強くなるんだよ〜。。。。。。これ、実感。


そうそう、話題はガラッと変わるけど・・・

夕べ、三女から電話があって「お母さん、今日ねハクビシン見たんだよ〜」って。

電線を伝って民家に入ったり、又出てきたりしていたんだって。

三女、興奮気味に話す。

ばばも、ハクビシンって名前は聞いていたけど、島にはいない(たぶん)し・・・・

数年前、八王子に住んでいる方から「うちの近くにはハクビシンが出るんですよ」って

聞いたことあったけど、都心でも出没するんだぁ・・・・


ばばは、最近じじに影響され、にわか鳥好きになってしまった。

(こんなはずじゃなかったのになぁ・・・。

ばばは、ひたすら花や樹木を愛する・・と決めていたんだけど

単純にころっと変わるところが、ばばのばばらしいところ。(・・・と自己分析)

今朝、たまたま喜界島に住むある方のブログを見ていたら

「庭先の畑に、キジが舞い降りた」と・・・・

いいなぁ・・・羨ましいなぁ・・・

徳之島にもキジっているのかなぁ・・・

ばばが今一番会いたい鳥は「ヤツガシラ」。

仕事をしていた頃、ひらりと目の前にヤツガシラが舞い降り

ばばが近づいても逃げることもなく、手で触れる位置でしばらくじぃと観察していると

「ピュッ」と嬉しくもない置き土産をして飛び立ったのよ。

もう、6,7年遭遇したことがないヤツガシラ。

会いたいなぁ・・・・

天気が良くなったら、又暇を見つけて遠出をしよう!

鯨や野鳥を追って・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

いつも、今朝のようだと良いね

by ばばの日記

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3月9日(金)雨後曇り

グウタラばばが、今朝は何と!4時半に目覚めた。

あれれれ〜、zたまも全然痛くないし、何となくすっきりした気分。

じじも、目覚めたみたいで、パッとベッドを下りる気配。

「じじ〜、何でそんなに早く起きるの〜」と聞いたら

「早く起きた方が、昼寝がぐっすり出来るから」だって。

さっさとパソコンの前に行ったであろうじじの気配を感じながら

グウタラばばは、すぐにパッと起き上がったりはしない。

布団の中でグズグズ、グズグズ。

夕べ6時少し前に仕掛けた目覚ましが「リリリ〜〜ン」と鳴るのを確かめて

枕元のラジオのスイッチを入れて、少しだけ聞いて

やっと布団から出た。

4時過ぎに目覚めた時より少し頭が重いかな?

でも、エイヤッと起きる。


コーヒーを仕掛け、朝食に食べる野菜などを並べ

半熟卵を作りパンも出して。。。。

豚骨をトースターで焼いて・・・厚焼き卵を作って・・・・

根菜類を炒めて・・・イリコのカラカラ揚げも出して・・・

オ〜〜ッと、おむすびをレンジでチンして・・・

何と手際の良いこと。


ばば〜、やれば出来るじゃない!

仕事をしていた時は、もう、とっくに職場に着いていたなぁ・・・

等と思いながら久しぶり早朝ひとり奮闘。


7時少し過ぎには朝食も済ませ、後はゆ〜〜っくり・・といきたいのだが

今日はそうもしておれず。

そう、グウタラばばが早起きしたのには訳があるんです。

ある人を空港へ送っていくのだ〜〜。

9時前に到着する1便にある人を乗せるためにね。


8時少し前には家を出て・・・空港には30分足らずで着いたよ。

雨が降っていたので、飛行機が着くか心配したが

定刻には鹿児島からの飛行機が到着。

「行っていらっしゃ〜〜〜い!!!!」と手を振って

ばばは、直帰。。。。のはずだった。


しか〜し・・・習性とは恐ろしいもので。

じじも、姉もいない、今日はばばひとりなのに

しぜんと車を干潟へ向けていたのでございます。

ばばの中には「天城=干潟」という「公式」が染みついているようで

体が自然に動くのだ。

「もし・・・カラムクドリがいたら・・・」と淡い期待が

ばばを突き動かしたのかもしれない。

じじに報告したら、じじ喜ぶだろうなぁ。

えっ?ばばって、そんなにじじを喜ばせたいの?

それとも?ばば自身が野鳥に取り憑かれたの?

どっちかなぁ????明答は避けた方が良いね。


左右の木立を気にしながら、歩くよりもゆっくりゆっくり車を走らせたけど

残念ながらたたきつけるような雨の中、鳥の子1羽も見えず。

ひとしきり悔しがったばばでした。


天気が良ければ、実家へも寄って様子を見たかったけど

土砂降り雨じゃ、仕方ない。

病院へ寄って義父を見舞い、

その後、久しぶりに「生姜の佃煮でも作ろうかな?」と

コープへ寄ったが、生憎生姜はなく・・・・・


家に帰ればやることは山積。

「断捨離」「片付け」と口では威勢よく言うばばだが

なかなか作業は捗らない。


良いかぁ・・・今日は朝早起きしたから、少しのんびりしても・・・と

自分には「超甘甘」のばば。

朝、起きた時は「朝早起きすればこんなに仕事が捗るのか・・・」と思い

空港から帰ったら「あれもしよう」「これもしよう」と意気込んでいたのは

「何処のどなた」でしたっけ?


ばば、ハタと気づいたのだが、ばばは日中仕事をするより

早朝とか、夜中にゴソゴソ動いた方が集中して頑張れるかもしれない。

でもそこにも「自分に超甘甘」という壁が立ちはだかるわけでして

ばばは、やはり「グウタラばば」で、良いやぁ〜〜〜。


「普段しないことをしたら、雨が降るよ〜〜〜」って言うよね。

グウタラばばが早起きしたから、今日は雨が降ったのかもしれない。

空港から戻ってきたら天気は回復しつつあるもの・・・・・

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老いる・・・

by ばばの日記

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3月8日(木)晴れ後雨

11時前、じじが「両親の面会に行く」と言うので,ばばも一緒に出かけた。

義母がお世話になっている介護施設は、インフルエンザ対策でまだ面会謝絶。

マスクをして玄関で待っていると,職員さんが義母を連れてきてくれた。

私たちを見るや,義母は「足の付け根が痛くて・・・」

「体のあちこち悪くなってしまって,どうしたんだろう・・・」

「何も悪いことはした覚えはないのに・・・・」

「こんな体になったら,早く消えてしまった方が良い・・・」

「あなた方に迷惑かけて申し訳ない・・」

と、いつもの義母とは違うマイナーなことを言って泣く。

聞いているばばの胸もキリキリ痛い。

入所して施設になれると,趣味の編み物をしたり、

仲の良い入居者と世間話をしたりして過ごしていた母だが、

だんだん編み物にも興味を示さなくなり・・・・・

そして、今年1月中旬から,ちょっと体調を崩し3週間ほど入院してからは

運動能力も,気力も大分落ちたような気がする。

面会に行って,義母がニコニコ元気に話す時は良いけれど

鬱々とした話をする時は、辛い。


じじと結婚してから、義母はばばにとって、

ずぅっと理想の母&妻であったのに・・・・

常に自分のことよりも夫や子供のことを優先し、

周囲に対しては、いつも「ありがとう」という言葉を忘れなかった。

工夫を凝らして料理を作り、身だしなみも良く、家計のやりくりも上手だった。


一昨年6月。

急に体調を崩し、入院。

介護施設のお世話になることになった義母。


面会で義母と会う度に「老いる」ということ、

「体が自分の思うように動かせない辛さ」を

「自分の今後に重ねて」考えているばばがいる。

人間誰だって、死ぬまで自分の足で歩き、自分の口で食べ、

話せたらどんなに幸せなことか?

義母と面会に行かない日が続くと、現実から目を逸らしているようで

自己嫌悪に陥る。

義母とは会いたい・・・だけど、現実に会い、話を聞くと落ち込んでしまう。


じじは「母が言うことはあまり気にするな。病気のせいだから」と言う。

ばばも分かってはいるんだけど・・・・

義母がばばにきついことを言うわけではない。

それどころか、いつ行っても「ごめんね。あなたにばかり迷惑かけて」と言う義母。

10年前までは現実的に考えもしなかった老親の介護。

1年、そして又1年。

年を重ねる毎に自分の姿が義母と重なる。


足が痛いと訴える義母。

「もし、痛みが続くようであれば病院で受診させましょう」と施設の方が言ってくれた。

過日、右肩が痛いと行って受診した時も診察を終えた途端に元気になった義母。

その後、面会に行ったときは「ご飯が美味しいから、元気だよ」って

とびっきりの笑顔で言ってくれた。

又病院へ行って受診してもらったら、元気になってくれるかなぁ・・・・


義母と面会して帰った後、庭先でカランコエの花がら摘みをしたり

エリカの枯れた葉っぱを摘んだりしたりした。

その時、何とも言えない芳香が・・・・

沈丁花の花の香り。

可憐な花を前に、芳香に包まれていると

目の前の雑念が何処かへ消えていく気がする。

花を植えよう!

花木を育てよう!

今は、庭先の小さな花々がばばの心のお医者さん!

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