by ばばの日記
徳之島じじとばばのブログ
9月11日(水)晴れ時々曇り
8月に受けた特定健診の結果説明会が、保健センターであるので
朝から姉と出かけた。
結果表以外に「お土産の別封筒」が入っていないことを祈りつつ。
会場奥で結果表や数枚の用紙を渡され、席につい、てよくよく見ると
ベージュの封筒が・・・ガァ〜〜〜ン!!!!
「骨粗」と書かれている。
詳しく数字を見ると、同年代の98%しか骨量がないらしい。
まぁ、自分の食生活を顧みれば当然の結果。
これで、又薬が増えるのかなぁ・・・・今月中位には病院を受診しようと思っている。
外出の用事が無い時は、ほぼ倉庫とか自宅とかに行って、
捨てる物の袋詰めをしている。
昨日は、段ボールが溜まりすぎていたので、倉庫で資源ゴミを入れる袋の3つ分まとめた。
まとめながら、周囲を見ると、額に入った似顔絵が。
末っ子が3,4才の頃「母の日」に書いてくれた物を額に入れた飾ってあったのを
倉庫に下ろした物だった。
用紙いっぱいに書かれた、お母さんの絵。
目も、耳も、鼻もバランス良くかけている。
右下の方に「おかあさん あめでとう」と、先生が書いた文字が・・・・・
純真無垢な幼い娘が書いてくれた絵・・・・・
今、見ると何故か涙が出る。
これまで何回もブログにも書いていることだが、ばばはずっと働き続けていたから
土曜日の昼や日曜日、祝祭日以外、昼間はほぼ、じじ両親や叔母が
我が家の三姉妹の世話をしてくれていた。
完全な「母親失格」のばばだったと、後年、後悔の念に駆られたが
時間は戻るはずも無く・・・・
ばばとは逆に、じじは子供達のことを良くやってくれたと思う。
お風呂を入れたり、夜中にミルクを飲ませてくれたり、
自転車の乗り方を教えてくれたり。
娘達が年中さんか、年長さんになると、ああのランニングを父子で始め
小学校卒業する位まで、ずっと継続していた。
娘達が「頭が痛い」と言えば、「走れば治る!」と言い、
「風邪をひいた」と言えば「走れば治る!」と言い、スパルタ教育。
娘達も歯を食いしばって、良く付いて行ったなぁ・・・と思う。
休みの人かは勿論だけど、普段の日の早朝走っていたから
父娘共、ランニングの後シャワーを浴びて登校、出勤準備。。。。。
本当に凄いことだったなぁと、今更ながら、じじにも三姉妹にも敬服する。
この早朝ランニングで、娘達はある種自信が付き、校内のロードレースとか頑張ったし
体調を崩すことも、ほぼ無かった。
じじが真剣に娘達に向き合ってくれたのに、ばばは一体何をしてあげただろうか?
ここ数年、娘達が「お母さん、いつまでも、ずっと、ずっと長生きしてよね」と言ってくれるのを聞くと
それだけで胸が熱くなってしまう。
年頃になると、母親と女の子は姉妹のように色々な話をするようになる。
しかし、小さい頃あんなに世話をしてくれた父親に対しては
「ちょっと・・・・」と言動があり、気になることがある。
そんなの時、ばばは改めて「あなた方が小さい時、細々世話をしてくれたのは、お父さんなのよ。」
と言っている。
ばばが退職する前に両親は亡くなってしまった。
じじ両親は、数年間は介護も出来、ほんの少しだけ親孝行の真似事が出来たかな・・・と思うこともある。
いくら頑張ったって、満足な親孝行なんて出来るはず無いなと、ばばは思っている。
自分の両親や、じじ両親からいただいた無制限の愛に比べれば・・・・・
両親亡き後は、小さい頃、仕事、仕事で寂しく辛い思いをさせたであろう娘達に
「子供孝行」のつもりで愛情を注ぎたいと思うようになった。
何と言っても、じじとばばの「一番の宝物」は「家族」だから。
ばば両親も、じじ両親も島で暮らしていたし、じじ両親とは毎日顔を合わすことが出来た。
自分の両親とも、仕事帰りはひとりで、毎週末は家族で会いに行っていた。
でも・・・現在、じじとばばは島暮らしで、娘達は都会暮らし。
会いたいと思っても、年に1ヶ月分も会えはしない。
娘達と、あと、どの位会話をしたり、何回一緒に食事をしたり出来るだろう・・・と思う。
年取った証拠かなぁ・・・と思うと、これ又悲しい。
今は直接会えなくても、自由に電話やメールで連絡が取れる時代。
娘達に心配かけないように、健康管理をしっかりし、元気で日々過ごせるようにしなくちゃと
じじとも、よく話している。
娘が幼い頃書いてくれた「似顔絵?」を見ながら、チョッピリ切なくなったばばでした。
徳之島じじとばばのブログ 主管理者 ibuchanじじ&ばば