by ばばの日記
徳之島じじとばばのブログ
3月13日(土)晴れ
「13日の金曜日・・」と言えば、「気にしない!」と思いながらついつい気になってしまう。
コロナ禍の前、自由に旅行に行けた頃、
なるべく行き帰り「13日の金曜日」にならないようにと日にちを選んだりしていた。
「13日の金曜日」と言っても今年の場合、8月13日だけが金曜日のようだ。
なぜ、ばばが「13日金曜日に拘るのか?」
それは、何回かブログにも書いてきたので「又か・・」と思われるかも知れない。
でも、やはり3月になると思い出してしまう。
今から28年前の3月13日は、ばばの職場ではお別れ遠足の日だった。
たまたま、ばばが当日の係になっていて、全校児童の前で
「今日は3月13日金曜日です。西洋では魔の金曜日と言っている所もあるようです。
ですから、いつも以上に、海では怪我などしないように気をつけ
楽しい遠足にしましょうね」というような事を話した。
その後、目的地へ向かい、楽しく過ごし一番楽しみなお昼ご飯の時間。
子ども達も職員も、弁当を広げ「さて・・・」と言う時に
事務職員のN先生が車で来て「ばばちゃん、お父さんが具合が悪いそうです。
すぐに帰って下さい」と言われた。
えっ?っとパニックになったばばは,N先生の車に乗せてもらい職場へ・・・
その後、上司にもあらためて事情を話し、休みをもらって、先ずは帰宅。
その後、一目散に実家へ。
お隣ご近所、集落の婦人会の方々、沢山の方々が我が家に集まり異様な状態。
ばばは室内に入った・・・しかし、何故か、すぐに父とは会えなかった。
1つの部屋の蚊帳が張られ、中には横になった父と警察の方が数名。
事態が飲み込めないばばに、他の方が説明してくれたことによると
父は、いつものように午前中、好きな盆栽の世話や、道路の雑草抜きをしていたそうだ。
お昼前になって家に入った父は「少し休んで後ひと頑張りしよう」とと母に言って
横になったそうだ。
お昼ご飯の時間になっても、父が起きてこないので、母が様子を見に行くと
父は寝たままの安らかな顔で旅立ってしまっていたとの事。
信じられない!
そんなに簡単に永遠の別れって訪れるの?
つい数十分前に、母と会話をした父が・・・・・
結婚以来、ずっと土曜日の夕方は、家族で実家へ通っていた。
翌日は土曜日で、姉家族と、ばば家族で実家へ行き
じじは晩酌を楽しみ、子ども達は、じいちゃんばあちゃんと話しながら
夕食をいただき、いつものように楽しく過ごす予定だったのに・・・・
その前日の突然の悲劇。
茫然自失のばば家族だったが、粛々と集落の方々や
ご近所の方々が色々準備を進めてくれた。
あっと言う間に時間が過ぎ、二度と父の優しい笑顔を見る事が出来なくなり
穏やかな声を聞く事が出来なくなった。
ばばにとって、世界一尊敬し、大好きな父だった。
口数は少ないけれど、自分の後ろ姿で色々な事を教えてくれた。
読書が大好きだったので、父を喜ばせたくて
月刊誌や週刊誌や歴史関係の雑誌などを次々と買ってプレゼントした。
庭仕事の傍ら、父はそれらの本を読んでいたそうだ。
又、父は手先が器用だった。
庭の盆栽を、いつでも美しく保っていた。
又、海や山から拾って来た木の根っこや、浮き球や椰子の実などで
色々な物を作っていた。
下の画像は父が、自分の歳の祝の飾り物として作った作品だったと思う。
木の根っこ、スポンジ、木の実、軍手の一部、荷造り用のヒモ等を使って
細かい所まで作られている。
台座は素麺などが入っていたであろう木の箱に絵の具で色づけをしてある。
柿の木の葉っぱは、青いヒモしか無かったのかなぁ?ちょっと不自然だけど
お猿さんの顔や着物、帽子など「こんな細かい事を!」と思うほど
細かに作ってある。
他に、大きめの鶴と亀の作り物もある。
また持ち手付きのカゴや背負いカゴの小さな物等もある。
これらは、竹を小さく割って編み込み式で作られている。
小さなカゴにはドライフラワーを飾ったりも出来る。
父が亡くなって28年・・・・
父が残してくれた手作りの作品の数々・・・・
大事にしていかなくちゃ。
それと、他人様を喜ばす事なら苦労を厭わず動き
家族には最大限の愛情を注ぎ・・・・ばばも少しでも父を真似たいと思うけど
この年になっても、まだまだ。
親って、本当に偉大ですね。
徳之島じじとばばのブログ 主管理者 ibuchanじじ&ばば