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05/09(日) 19:21
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03/11(木) 21:58
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ご縁・・・・それぞれの新しいスタート

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ



9月2日(木)晴



昨日、9月1日は新しい出発の日だった。



入院中の義父が90歳の誕生日を迎えた。



働き者でじぃっとしていることが嫌いだった義父。



ベッドに寝たっきりの生活は不本意きわまりないと思うが



去年11月、胃漏の手術をしてから寝たっきりになってしまった。



寝ていることが多いが、毎日語りかける家族の声はきっと届いていると信じている。



寝たっきりでも良い。



義父がいてくれるだけで私たち家族は幸せです。



誕生日を迎え、90代の日々の始まり・・・・・・・



ずっとずっと長生きしてね、お義父さん。






6月11日、突然体調を崩し、そのまま入院してしまった、お義母さん。



義父と同じ病院で3ヶ月の療養生活を送っていたが、



奇しくも義父の誕生日に介護施設へ移ることになった。



色々逡巡したが、今はじじとばばふたりともスッキリした気持ちだ。



母の施設での生活がスタート・・・これも新しい出発だ。





今回、介護施設への入所に際して「人の縁」というものを改めて感じた。





母が入院した当初は元気に退院できるものと信じて疑わなかった。



しかし、左手と左足に麻痺が残ってしまった。



約2ヶ月近くのリハビリで左手はだいぶ力もついたが



左足はなかなか思うように動かせず・・・車椅子も自分で動かせる状態ではない。



これ以上リハビリを続けても、大きな進歩はないということと



リハビリ療養入院は3ヶ月以上は難しいということもあり、施設のお世話になることを決めた。





今から数週間前だろうか?



たまたま行き付けのスーパーで、ばばが母校での勤務中お世話になったKちゃんと出会い



偶然母の話をばばがした。



Kちゃんは、現在老人介護施設で働いている。



そして「いつか義母がお世話になるかも知れないので、その時はよろしくね〜」と



冗談ぽく話して別れた。



当時は、まだ義母の入院生活はまだまだ続くものと思っていたのだ。





義母の入院生活ももうすぐ3ヶ月になろうという先月25日の朝



ばばが約40年前に関わった教え子Rちゃんから電話が入った。



「Kちゃんが働いている施設に一つ空きがある」と連絡があり、



Rちゃんから、ばばに連絡をしてくれるよう頼まれたというのだ。



Kちゃんは、ばばの連絡先分からないもんねぇ。。。





いつかは決断しなくてはいけないことだったが、義母を施設に入れることには



どうしても抵抗があり、ばばは踏ん切りが付かないでいた。



その時,帰省中だった長女が「お母さん、今が決断の時じゃない?



私も一緒について行くから、まず施設を見たり、説明だけでも聞いて来ようよ」と行った。



早速じじとばば、そして長女で施設を見に行った。



まず、玄関を入ると顔見知りの女の方が「私、こちらに転勤になったのよ〜〜」とニコニコ話しかけてきた。



義父がデイケアに通っていた時お世話になっていた方で、ばばと公民館口座で一緒に学んだ方だった。



さらに施設の中に入って、事務長さんや相談員さんと話したが



女の方の方が義父やじじを知っている方だった。



さらに途中、お茶を持って入室された方は、なんとじじの教え子のお母さん。



お話を聞いたあと廊下を歩いていると、30数年前のばばの教え子のお姉さんともバッタリ。



今は、この施設で働いていると言う。



約1時間、説明を受け、相談をし、部屋を見せていただくうちに



じじとばばの気持ちもだんだん固まってきた。



環境も良さそうだし、職員さんも親切で知っている方々がたくさん働いておられるということで



とても心強く感じられたのだ。



さらに、園長さんもばばが顔見知りで昔から知っている方だった。





この日はKちゃんとは会えなかったが、ばばの中学校時代の同級生、Hちゃんもここで働いている。



このHちゃんとも数週間前病院の待合室でバッタリ会い、この施設のことを聞いたり



「いつか義母がお世話になるかも知れないけれど、その時はよろしくね」と話して別れたのだった。





それから1週間後の9月1日。



、義母は病院から直接施設の方へ退院することに。



病院を出る時は顔見知りのおばちゃん達と手を握りあって泣いていた義母。



折しもスコールのような雨が降り出した。



義母の涙雨のようにも思え、ばばは切なかった。



ところが、施設へ近づくにつれ雲の切れ間から青空も見えだした。





部屋へ入り、ベッドに座った義母は、どこか不安気だったが時間がお昼前だったので



すぐ食堂に連れて行かれた。



じじは事務長さんと話したりしていたが、ばばより先に帰ると言う。



ばばと姉は、やはり母が食事から帰ってくるまでは待っていて様子を見ようと残った。



食堂へ行き、離れた所から見ていると、母はとても美味しそうに食事をしていて、ばばと姉はホッ。



約30分後、母はニコニコ戻ってきて「ご馳走がいっぱい出たので、みんな食べたよ。



病院の食事と同じくらい美味しかったよ」と報告してくれた。



ひとまずは、安心だ。。。。。。。。



しばらく雑談した後、義母が「じじの食事を作ってあげるんでしょ。



私は大丈夫だから、もう帰りなさい」と言ってくれたので



昼から又来ることを約束して一旦帰宅した。





夕方、再び行ってみると、母はもう夕食を終え部屋に戻っていた。



とても穏やかな顔をしている。



良かったぁ〜〜。



孫のことや曾孫のこと、近日中にテレビを設置してあげることなど話すと



母はニコニコと聞いていた。





一夜明けて、じじも母のことが気になるのか10時頃面会に行った。



帰って来たじじによると、母はとても穏やかだったと聞き、ばばは又安堵した。





昼2時頃、ばばと姉も面会に行った。



義母はお風呂に入れてもらい、さっぱりした表情で食堂のテレビの前に座っていた。



母がテレビの前に座るなんて、何十日ぶりだろう????



その顔もとても穏やかで、入院する前の優しい義母の顔だった。





施設へ入れるということについて、ばばは抵抗があり、義母の入院来、ずぅっと逡巡もしたが



思い切って良かった!とつくづく思え、久しぶりに気分もスッキリした。





施設に空きが出たことを、いち早く情報提供してくれたKちゃん・Rちゃん。



素早く病院と連絡を取り、入所手続きをして下さった施設の方々、



そして、お世話になっている・・これからもお世話になる施設の職員の方々、



じじとばばの背中を押してくれた長女。。。。。。。。。





たくさんの方々との「ご縁」が今回の義母の施設入所を可能にしてくれた。



ありがたいと思う。





人間、何時誰のお世話になるか知れない。



だから、何時も誠意を持って人と接しなければいけないと常々思っているが



今回特に「ご縁」ということを強く感じた。





これからも多くの方々と「良いご縁」を結び続けていきたいと思う。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

じじ、孫と400メートル走る!

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


8月29日(日)晴

「大丸の○○ダブルベルトまだあるかなぁ〜〜」

4歳孫は昼夜問わず母親やじじ&ばばに聞く。

8歳孫は弟がオモチャを買ってもらうのに乗じて

一緒にオモチャを買ってもらいたいらしい。

しかし、両親が簡単には首を縦に振ってくれない。

ばばだって両親の許可がなければ孫に安易にオモチャを買ってあげるわけにはいかない。

(じじは、どう思っているか知らないけれど・・・)


そこで、ある日の夕食時、8歳孫の朝ジョギングのことが話題になった。

去年11月から土・日以外は毎朝父親とふたりで約1kmの朝ランを続けているのである。

そう言えば・・・・・・

母親が話し始めた。

「お母さんもね、毎年おじいちゃんと走り競争していたのよ。

小学校5年生の時、初めておじいちゃんを追い抜いたんだよ」と・・・・・

そこで急遽、孫がじじと走って勝ったらオモチャを勝ってあげても良いかな?

・・・と言うように話は流れていった。

こうなると話は早い。

いつ、何処を走るか?

何メートル走るか?

孫は毎朝1km走っているんだから1kmが良いかな?という話になったが

孫はもっと短距離の方が良いらしい。

800mぐらいになるかな????

孫が勝ったらオモチャを勝ってあげるけれど

負けたら潔く諦める。



それから数日後、じじと孫ふたりと婿殿,男衆4人は町の徳和瀬運動公園に出かけた。

じじと8歳孫は走る選手。

婿殿は審判。

4歳孫はお兄ちゃんの応援団長。

結果がどうなるかは本当に分からない。

じじも毎朝約1kmぐらい走ってはいるけれど

毎朝父親と走っている孫も結構走力はついているかも知れない。

じじも、うかうか油断は出来ない。

真剣に走ってじじが途中で転びでもしたら????この方がばばは心配だった。



家でやきもきしながら待機する娘とばば。

そこへ婿殿からメールで第一報が。。。。。

400メートル走り、じじが勝って、孫は号泣しているとのこと。

あらあららららら〜〜〜


それから数分後、男衆4人が帰宅。

婿殿が撮影したビデオを見せてもらった。

まず婿殿が「これからS君とじじの400メートル走競争です」とアナウンス。

そして、ふたりを氏名点呼し、スタート!

最初じじは孫の後ろから励ますような形で走っている。

前日は雨だったのでグラウンドコンディションも悪いようだ。

4歳孫は「S君頑張れ!S君頑張れ!」と跳びはねながら大声でお兄ちゃんに声援を送っている。


じじと孫、それにしても、二人揃って競争とはほど遠いのんびりした走り方だ。

絶えずじじがまごを追うような形でレースは進んでいたが

時には孫の方が大きくリードしたかに見える場面もあった。

その後、又じじが孫との差を縮めゴールの近くになって少しスパートした。

そして、孫を少し引き離した・・・・・

じじとの差が開くや、孫のスピードがガクンと落ちた。

婿殿の「S君諦めたか!S君、諦めるな〜〜S君諦めたか!S君、諦めるな〜〜」と言う檄が飛ぶ。

しかし、孫は遂にベソをかきながら下を向いて歩き出した。



父親がしきりに叱咤激励しているが、孫は、ほぼ歩くような形に・・・・・

父親の激励もあってか何とかゴールはしたものの号泣が始まった!

さすが、父親は「S、泣くな!これが勝負というものなんだぞ。R(弟)、お兄ちゃん頑張ったよな〜〜」と

言い、さらに「お父さんと練習して来年又じじにチャレンジしようね。

お母さんだって、5年生の時おじいちゃんを追い抜いたって言ってただろう。

Sは、3,4年生でじじに勝てるかも知れないぞ〜」と語りかけている。

(何て良いことを言うんだろう。ばば感動!)


その間、弟は画面に向かってニコニコ笑っている。

そしてじじは、勝負に負け座り込んでしまっている孫の片手を握り立たせ

そして、決して言っては行けない言葉を・・・・・・

「S、負けてもオモチャ買ってあげるからね」って。



じじ!!!!!!!!それはないでしょう〜〜〜。

勝負の厳しさを少しは身をもって教えてあげなくちゃ。。。。。

(・・って、言いながらばばもじじは勝っても負けても孫にオモチャを買ってあげると分かっていたよ。)


長女夫婦もきっとじじの甘いの知ってるから、勝負の結果如何に関わらず

又一つオモチャが増えることはお見通しだったと思うよ〜。



とにもかくも、こうして孫とじじの初400メートル競走は見事じじに軍配が上がったのでした〜。

さて、来年の夏又しても「じじ対孫」の熱いバトルが繰り広げられるのでしょうか?

形勢は逆転するのでしょうか??

来年もじじに勝って欲しいような、孫に勝って欲しいような・・・・ばばの心境は複雑。。。。。

もしかして?4歳孫がばばに挑戦状を突きつけないかドキドキハラハラ。。。。




泣いて、めでたくオモチャを手に入れたお兄ちゃんと

お兄ちゃんの応援をして、ズボンのベルトでない「何とかダブルベルト」を買ってもらった弟。

買って数日後からは、8歳孫がそのオモチャで遊ぶ姿をあまり見てないんだけど。。。。

弟のオモチャは時々自動的に何か音を出したり、しゃべったりしていたようだが。


子どもって、オモチャを買ってもすぐ飽きて、次のオモチャが欲しくなるんだよねぇ〜〜。


どうしようもないじじと孫のオモチャバトルは後しばらくは続くだろうな・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

大人対子ども、オモチャバトル

by ばばの日記

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8月28日(土)雨

長女母子が帰った翌日から島は雨。

よくぞ、良い天気の日に帰ったと胸なで下ろしているばばだ。

今回、長女一家が滞在中我が家では、ちょっとしたギャグ?が出来た。

それを孫ふたりがゼスチャー付きで言うたびに笑いの輪が広がった。

それは・・・・「大丸行ったら小丸(困る)!」というのだが

ゼスチャーでは、「大丸行ったら」と言う時は両手を頭上にあげて大きな輪を作り

「小丸(困る)」と言う時は手を体前に下ろして小さく輪を作るのだ。

何故、大丸へ行けばじじは困るのか????????


大丸とは島内大手のスーパー。

その大丸へ行けば(困る)のはじじ。

・・・と言うのも、じじは孫にめっぽう甘い。

娘夫婦は教育上もオモチャなど何でもかんでも買ってあげない方針なのだが

じじはその点、甘い!甘い!

じじが一番苦しく落ち込んでいた時、心癒し、一番支えの糧となってくれた孫ゆえ

「目に入れても」「耳に入れても」「何処に入れても」痛くないのが孫。

だから、娘に小言言われようがお構いなし。

上京して娘宅へ行く時や孫達が島へ来る時は

孫ふたりが喜ぶオモチャなどはほぼ買ってあげる。(らしい)

(教育上良くないのは分かっているはずだけどねぇ・・)

今年も娘一家帰省早々、孫ふたりから「オモチャ買って〜攻撃」が始まった。

4歳の孫が特に「○○ダブルベルト・・・」とか言っているが

それは子どものオモチャにしては結構高価な物だった。(7000円近くしたかな?)

大丸にそのオモチャがあることを確認した4歳の孫は

夜な夜な母親に「○○ダブルベルト買って〜」「誰かが買ってしまわないかなぁ〜」

と、くどいほど言い続けている。(一晩最低でも5〜6回は言っていたかな?)

娘は「寝るまでにあと3回は言うよ」などと言っては笑っている。



8歳の孫にも去年同じシリーズのオモチャをじじが買ってあげてあるし

弟に買ってあげないわけにもいかないだろうな・・・・・とばばも内心思っていた。

4歳の孫は「あといくつ寝たら3月になる?」ともよく聞いてきた。

何故3月にこだわるかというと、3月が誕生日なので誕生日には好きな物を

親から買ってもらえる確率が高いのをちゃんと知っているのだ。

でも、島でじじに買ってもらえたらなおさら良い・・・・って思っているのかな????



そう言えば・・・・・去年じじは半分騙された?ような格好で

8歳孫に「○○ベルト」を買ってあげたらしいのだ。

娘が言うには「お父さんったら、○○ベルトをズボンのベルトと思っていたらしいよ」

って言うけれど、ばばだって今年4歳孫が

「○○ダブルベルト」って言ったらズボンのベルトと信じ込んでいたよ。

去年じじは大丸に行き、早速ズボンのベルトを手に取り

「これで良いか?」と孫に確認すると「違うよ〜〜〜」と即否定され

結局はオモチャ売り場へ行き、孫が希望する高価なオモチャを買い与えたのだそうだ。

1年前のそんな経緯も知らず、ばばは(ダブルベルトって何が二つあるベルトなの???)

なぁんて、のんきなこと考えていた。

寝ても覚めても4歳孫の「ダブルベルト売り切れていないかなぁ〜〜〜〜」攻撃に

ばばが「じゃ、大丸行ってまだあるか見てこよう。

そして、お出かけしているお母さんと待ち合わせして、

お父さんとお母さんが買って良いよと言ったら買おう」と孫ふたりを連れ出した。



ふたりが欲しいオモチャは幸いまだ売れてはいなかった。

大丸を出て母親と待ち合わせをして、すぐにも買える物と思っていたらしかったが

そんなに甘くはありませんぞ〜〜〜。

母と合流し、一旦帰宅。

その日の夕食の時も孫ふたりにオモチャを買ってやるべきか否か?????

間接的ながら大人5人(長女夫婦・次女・じじ&ばば)は

「安易には買ってやらないよ〜〜」ビームを発し続けたのであった。。。。。

さて、この続きやいかに????又、明日。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

孫は来て良し、帰って良し????

by ばばの日記

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家族のこと

8月27日(金)雨時々曇

ばばの長い夏休みは終わった。

孫と過ごした18日間。

慌ただしかったけど、楽しい日々だった。

休み中にあった色々なことを後日書く機会もあるかなぁ・・・・・・・

8歳と4歳の孫達。

8歳の孫が生後4ヶ月の頃、じじは大病を患い約半年長女宅に同居し治療に専念した。

じじの人生で一番辛かったであろう、この時期

じじは初孫と日々過ごすことで病気の恐怖や痛みを和らげてもらえていたに違いない。

だから、じじもこの孫が大好き!孫もじじが大好き!

島滞在中、孫は毎日じじとばばと一緒に寝た。

本当はじじのベッドに潜り込みたかっただろうが、

ベッドは狭くてとてもふたり一緒には眠れない。

だから、孫はじじのベッド脇に敷いたばばの布団で何時も寝た。

この孫、夜にめっぽう強く12時でも1時でも目は爛々と輝き

じじとばばに色々な話をねだる。

じじとばばは自分の記憶にある限りの昔話などを思い出しては語る。

夜中にもかかわらず大声で笑い、たまに身をすくめながら

「他にはないの?」「もっと話して」とせがむ。

ケンムン話やクビッキリワンクヮ(首の切れた子豚)の話など

興味を持って聞いている。

・・・・・・・こうして、毎晩毎晩じじとばばと孫の3人は夜更かしを続けた。

昨日、孫達は帰ったが帰る前の晩も3人で寝ていると

じじはいつの間にか寝入ってしまったので、ばばと孫だけが起きておしゃべりをしていたら

急に孫が「じじ〜、逆流するよ」と言って寝ているじじの体を引っ張って向きを変えてくれた。

じじは7年前の手術後、上半身を上げて眠らないと逆流という現象が起きてとても苦しむのだ。

そんなじじが変な体勢で寝ていたり、上半身がずり下がっていると

孫は起き上がってはじじに声をかけたり、じじの体を引っ張ったりしてくれるのだ。

ばばはこの時まで気付かなかった・・・・・・・・

孫はただ大好きなじじの側に寝たいが為にじじとばばの寝室で寝るのだと思い込んでいたが

大好きなじじが苦しい思いをしないように自分が見守りたいという気持ちあっての行動だったのだ。

帰る前日になって孫のこの健気な行動に気付いたばば。

ばばは思わず、目頭が熱くなった。

その後孫が「ばばのマッサージ気持ちが良い」と言うので

孫の足をマッサージすることに。

去年は寝る前にばばが孫の足をマッサージしているといつの間にかスヤスヤ寝ていたおだ。

孫の健気な行動を目の当たりにした直後だったばばは

真心込めて孫の足のマッサージをした。

初めはくるぶしの下辺り、次にふくらはぎ、最後は足裏・・・・・

いつまで経っても「もう良いよ、ばば」の声はない。

時計は1時前になり、明朝6時には起きて孫達を送らなければならないばば。。。。。

どのくらい経っただろうか?

孫がスヤスヤ寝息を立て始めた。

昼間母親から叱られたり、4歳下の弟と喧嘩をしたり

何回もバトルを繰り広げながらも夜になると機先を制してばば達より先に

布団に潜り込んで待っていた孫シュン。

昨日搭乗前に「ヨッシってしないでね」って言って搭乗口へ向かった。

最初呆気にとられたが「孫達が帰ったぞ〜。ヨッシ」と

ガッツポーズを取らないでねっていう意味だったのかな?

「孫は来て良し、帰って良し」と言うけれど

孫達の帰った後の後始末をしながら泣き笑いの18日間を思い出し

ちょっぴり感傷に浸っているばばだ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

こちらこそ、ありがとう〜〜

by ばばの日記

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5月9日(日)曇

お昼前、「ばばさ〜〜ん、荷物で〜〜す」という声。

出てみると、素敵にラッピングされた紙袋を渡された。

差出人は、我が家の三姉妹。





今日は、母の日だから、今日届くように配慮してくれたらしい。

配達時間も「9時から12時までの間」と指定されていた。

開けてみると、メッセージカードと一人一人からの手紙、

ルームコロン・洒落たビンに入った「いちごのお砂糖」と「ニンニク醤油の素」。

素敵〜〜。島では見かけない珍しい物ばかりだ。



3人で一緒に選んだ物だそうだ。

一緒になって、ばばの喜ぶ顔を思い浮かべながら選んでくれたんだろうね〜。

本当にありがとう〜〜。

まずは、プレゼントを袋から出して写真撮影。

その後、ばば両親の仏壇に備えた。

「お父さん、お母さん、あなた方の孫からこんな素敵なプレゼントが届きましたよ。

ありがたいね〜。優しい孫達だね〜」って報告しながら・・・・・・・。


次にメッセージカードを開いた。

「ばばちゃんって呼べる関係になってしまったね。だんだん距離が近付いて、

もっともっと大好きになってきたよ・・・」

「いつまでも、お茶目で可愛いお母さんでいてね・・・・」

「最近、ばばちゃんの血を感じるようになったよ。親子だね・・・・」

などと、三人三様に書いてくれている。

そして、別紙の便せんには

「この身に受けたいっぱいいっぱいの愛を、どうお返ししたら良いんだろう・・・」

「いつも、ブログで二人の毎日の生活がうかがえて楽しませてもらっているよ。

お母さん、お父さんが見守ってくれているという安心感が

私を支えてくれているような気がします・・・」

「いつもいつも私たち三姉妹のことを気にかけてくれて、

たっくさん愛してくれてありがとう。感謝してもしきれない・・・・」

というようなことを、紙面いっぱい書いてくれていた。

娘達から、この様な感謝の言葉をもらえるような母親では決してないばば。

在職中はいつも仕事最優先で、父・母・叔母、じじに育児を任せっぱなしだったようなばばだった。

娘達が成長し、家を離れてから反省した。

「もっと、もっと愛情をかけてあげられたのではないか」と・・・・・。

離れてみて、娘達に対する溢れるような感情がどっとこみ上げてきたばば。

でも、今となっては表現のすべを知らないばばは、ずぅっと胸に抱え込んでいる。

ばばにとっては何物にも代え難い至宝の三姉妹。

ばばこそ、娘達に感謝してもしきれない。


ばばの両親はもういない。

結婚して娘達が生まれるまでのばばの宝は両親だった。

「親孝行、したい時に親は無し」という諺通り、

充分な恩返しも出来ないまま両親とは永遠の別れをした。

「親に出来なかった孝行は、子供に返せ」と言うけれど、

子供孝行さえろくにできないばば。

考えてみれば、いつも周囲から「してもらう」だけで過ごしてきたような気がする。




昼食が終わった頃、娘達から「母の日おめでとう〜」の電話が入った。

そして、最後に「お父さん、お母さんの子供に生んでくれてありがとう〜」と言われた。

ばばは、娘達からのメッセージと手紙を読み、電話で声を聞いて

思わず感極まって泣きそうになった。

傍らでじじが「お母さんって良いね。じじもお母さんだったら良かったなぁ〜〜」

って訳分からないこと言っている。


「母の日」って、お母さんに感謝する日だろうけど、

我が家では「改めて、ばばが娘達に感謝する日」だと、ばばが勝手に決めたよ。

三姉妹さん、いつも優しい思いやりありがとうね〜〜。

ばばこそ、あなた方の母親であること、誇りに思うよ〜。


遠く離れているけれど、じじとばばの心は何時もあなた方のそばにあるよ。

いつまでも、いつまでも、仲良し家族でいようね〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

バッグが開かない!

by ばばの日記

3月11日(木)晴れ

じじが、新品のキャリーバッグを出した。

じじは、ずぅっと大きめの黒いキャリーバッグを使っていたが

最近、飛行機へ持ち込める手荷物の大きさが新たに制限され

今まで使っていたのは、ぎりぎりアウト!!!


じじは、飛行機に乗る時、なるべく「手荷物を預けたくない派」なのだ。

その訳は、飛行機から降りて、預けた荷物が出てくるまで待つ時間がもったいないというのだ。

これまでの旅行でも「そんなに重いの大丈夫?」とばばが心配するのを横目に

じじおは、ずぅっと荷物は自分で持ち込んでいた。

けれど、前回の旅行で自分のキャリーバッグが規定より少し大きいことが分かった。


旅行から帰ってきてじじがしたこと、それはずぅっと以前買って、

倉庫にしまってあった中型のキャリーバッグを出してきたこと。

この大きさなら、楽々機内に持ち込めるはず。

でも、「作り」がいかにも、ごつくて重そうだ。

ばばは、旅行用のバッグはなるべく軽い物を・・と思っているので

じじが「このキャリーバッグ上げるよ。一万円付けて」と言っても

「ノーサンキュー」だ。


さて、新しいバッグを出してきたじじ、バッグを開けようとした。

ところが開かない!一瞬パニックになったじじ。

開ける時はダイヤル式に三桁の数字を会わせなくてはならないらしいが

その数字を忘れたと言うじじ。

どうする〜、どうする〜、どうする〜じじ。

ばばの方が慌てふためいている。

じじは「男は黙って勝負!」とばかりにダイヤルを動かしている。

そして、にんまりと笑って「どうだぁ〜〜〜」と言わんばかりに「開いた〜〜〜っ!!!」。

得意満面のじじ。

どうして開けることが出来たのか???

じじは鍵開けの名人だ。


これまでにも、キーを入れたままロックしてしまった車の鍵を開けたり

キーロックしてしまい、キーは手元にない!というハプニングに遭遇してしまった時も

女性二人でどうしても鍵が開けられないと困っていた時も

じじは慌てず騒がず、ものの数分で解錠したっけ・・・・頼りになるなぁ〜〜。


ここで、ばばは昨年夏、次女の鍵紛失事件を思い出したよ〜〜。

実は、昨年夏帰省した娘。

家についてボストンバッグの鍵を開けようとしたが無い!!!!

洋服のポケットなど、思いつくあらゆる場所を探しても鍵は出てこない。


そんな時、頼りになるのがじじ。

じじは早速ゼムクリップやペンチなどを持ち出して鍵を開けるべく奮闘中。

鍵穴にゼムクリップを変形させた物を差し込んでペンチで引っ張ったり

色々試している。奮闘する事、約5分。

見事にバッグの鍵は開いた!

さっすが〜〜じじ。

じじも誇らしげな顔をしていたっけ。。


娘は「鍵は確かに持って出た」と言っていたが一体どこへ消えてしまったのか?

娘の記憶違いか・・・・ヒョッとして家の中に置いたまま

等と思っていたが・・・・

その後、「お母さん、鍵、とんでもない所から出てきた」と娘が言う。

「とんでもない所ってどこ???」と聞き返すばばに

「あのね、髪をまとめ上げた時に鍵が落ちてきたの」って。

「鍵が落ちてきたって、まさか、髪の毛に鍵を入れていたわけじゃあるまいし・・・」

「もし、髪に鍵が引っかかっていたら手荷物検査の時や待合室へ入るとき

ピーピーって鳴ったでしょう」とばばは納得できなかったが、

「あのね、髪を留めるヘヤーアクセサリーにくっついていたかのように

髪をまとめようとしたら鍵が落ちてきたの」だって。

全くもう!!!!・・・・・

その後、しばらくは家族で爆笑、爆笑、大爆笑!


じじがうまく開けたから良かったものの

(もし、じじが開けられなかったら、どうしよう)

って、ばば、本気で心配したんだからね。


今日も、じじが「キャリーバッグ開かない!」って言った時は

一瞬ビックリしたけど、ちゃ〜〜んと開けてしまったじじ。

その「鍵開け技術」、ばばにも、そっと教えて〜〜。

お願い!じじ!

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