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げに恐ろしきは、ばばなりぃ〜〜〜

by ばばの日記

2月24日(水)晴れ

今日は娘の結婚九周年記念日。

夕べ、日付が変わった時刻に、一応「おめでとうメール」は送ってあった。


今日の午前中はばばも用事で出かけ昼過ぎに帰ってきたので

昼ご飯まで終えてから「おめでとうコール」。

じじもすぐ近くにいるので電話を替わった。

じじは「おめでとう」の後に

「時間が経つにつれ、ますます仲良くなる夫婦にならなくちゃダメだよ」と言っている。

(良いこと言うなぁ〜〜さすが、じじ!)と思っていたら続けて

「お父さん、お母さんのようにな」と付け加えた。

うっひゃ〜〜、じじ、お利口さんねぇ〜〜。

最近、特にばばが強くなって、じじは虐げられているだろうに・・・・・


婿殿のタケちゃんも、嫁さんにいじめられているのかな?

「親の背中を見て・・・」と言うから、

きっと小さい頃からばばがじじに対する姿を見ていたのかな?

それとも、じじ&ばばは反面教師???


ばばは、ずぅっと「じじ結婚して幸せ」と思っていることは事実だから

娘もばばと同じ心境で日々過ごして欲しいなぁと思っている。


じじとばばの例から言うと、年と共に女の人って強くなるような気がする。

男の人は、女の人がだんだん強くなる間に賢い処世術(妻対策)を学習するらしい。


何回かブログにも書いているように結婚前、ばば母は

「じじみたいにいい人はいないから、じじは床の間に飾っておかなければいけないよ」と

常々言っていた。

しかし、最近のばばはどうだ!

じじを床の間に飾るどころか、アゴでこき使っているではないか!

あまりの虐待ぶりに、じじは時々仏壇(ばば両親を祀ってある)に向かって

「M婆、あなたの娘は、こんなに僕をいじめてるよ〜。叱って下さい!」

・・・なぁんて祈っている。

じじ〜、仏壇のお水一回代えないじじのお願いなんか聞きませんよ〜〜〜だ。


結婚ウン十年経って、こんな他愛ないこと言えるって、やはり幸せなんだよな〜〜。

ばばは、今更じじに優しくつもりは毛頭無いし

ますます「鬼婆」になっていくことを確信している。

げに恐ろしきは、ばばなりぃ〜〜〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

2月6日

by ばばの日記

2月6日(土)小雨時々曇り

2月6日、今日は三女ピカちゃんの誕生日。

おめでとう〜〜〜。

夕べは日付が変わった瞬間に「おめでとうメール」をしようと思ったが

目が覚めたのは、6時過ぎ。

その後もグダグダしているうちに時間はどんどん過ぎ8時前。

「出勤準備で忙しいだろうな〜〜」と思いながら朝食準備。

テーブルに座ったものの(食事よりおめでとうメールが先だろう〜)と自分に言い聞かせ

コーヒーを飲むじじの横で短いメールを送信。

じじと(○○年前の今朝、ピカちゃんが二人のもとにやってきたんだよね〜」

「3姉妹のうち、ピカちゃんだけ新しい病院で生まれたんだよね〜〜」等と

ピカちゃんが生まれた日のことなど話しながら朝食。


(電話は、夜ゆっくりした方が良いかな?)と思っていたが

考えてみると今日、ピカちゃんは休みじゃない?

何で気付かなかったの〜〜〜〜もうぅ!

気付いたのが遅く、もう11時過ぎていたが直接声が聞きたくて電話。


いつまでも、子供だと思っていたピカちゃんが

今じゃ大都会東京の荒波の中で日々もまれて生活しているんだな〜。


生まれた時、3番目ということもあり、ばばのお産はとても軽く

自分からこの世に飛び出してきた!と言う感じだった。

丸々太って、ニコニコ元気の良い赤ちゃんだったな〜〜。

お姉ちゃん達と年が離れていた分、

ある意味、周囲の愛情を一身に受けていたね。

そんなピカちゃんが、一時「とてもきかん坊」の時期があって・・・

我が儘し放題で、いつまでもぐずぐず泣いて・・・・

なんだったんだろうあの時期・・・って今でも思う。


ピカちゃんが小学校一年生だった、ある日

「私、自分の名前嫌だ〜〜」と言ったピカちゃん。

理由を聞くと、「おほしさま」の歌詞に

「きらきら 光る お空の星よ〜」と言う歌詞があり

その中に自分の名前があるので、

その歌詞になると友達がみんな自分の方を向くのが嫌って・・

それに同級生に「ひかりちゃん」っていう子がいたのよね〜。

だから、自分も「ひかりちゃん」になりたいって・・・・

その時「じゃ役場に行って名前代えてもらっておいで」って

答えたじじ&ばば・・・・


ばばは、自分の名前について深く考えたこともないし

小学校高学年になる頃、ほとんどの同級生は漢字の名前なのに

自分は平仮名なのだろう?って考えて

わざと答案用紙などに漢字を当てて名前を書いていた時期があったけどね。

大学生になった頃は勝手に「ベラ・ルーシー」と名乗って

詩や短編小説擬きを書いて悦に入っていたけど・・・・・

これから見ると、ばばの方が不良?だったかな?

ピカちゃんは、そこまではしなかったもんね。


ピカちゃんは4年生からだったかな?吹奏楽部に入り

大西先生という素晴らしい指導者の下ジャズバンドにも所属し

あちこち演奏旅行もしたね。

ジャズの大御所と共演したこともあったよね。

本当に良い経験をしたね。


お姉ちゃん二人をいつもそばで見ていたので

小学校高学年からは自分で制服にアイロンをかけ

高校の3年間は自分で弁当を作り、本当に手がかからなかったピカちゃん。


成長するにつれ、門限など厳しすぎてじじ&ばばに

反抗したこともあったけど、・・・・といっても、ばばに直接反抗したことはなかったかもね。

「親には親の子育て方針」があってね、

「していけないことは絶対させない」「時間を守る」「嘘を付かない」等々。

それで、子供達に窮屈な思いをさせたかも知れないね。

今になって、当時のあなた達の心中を考えると「厳しすぎたかな?」と 

思うこともあるけど、後悔はしていないよ、自分たちの子育てに。


厳しくする分、我が子が周囲からいわれ無きいじめ?等にあった時は

どのような方法ででも我が子を守る!という強い信念はあったよ。

その一例が正月に帰省した時や、何かのおりに話題になる「ばば、真夜中の追撃」談かな。

今なら本当の笑い話だけどね。。。


ピカちゃんと一緒に生活していた時、

料理とかいろいろ教えてあげられたら良かったんだれど

自分の仕事に夢中で何も教えてあげられなくてごめんね。

実生活の中でたくさんのこと学んでいってね。


子供が自分より物知りになり、体も大きくなっても

やはり親にとっては子供は子供。

子供とは親にとって全力で守るべき、何物にも代え難い宝物。

子供が、いくら口では強がったり、反抗したりしても

そぅっと寄り添ってくる・・・そんな親でありたいな。

寄り添ってくれる子供をしっかり受け止められるようなね・・・・


ピカちゃん、徳之島の諺に

「うやや  牛ぬぅ毛ふどぅ くうぁぬ くとぅ思ゆしが 

くぁや 牛ぬぅ角ほどしか うやぬくとぅ 思らん」って・・・・・

標準語に直すとね「親は、牛の毛の数ほど子供のこと思うけれど

子供は牛の角の数ほどしか親のことを思わない」ってことなのよ。


ばばはね、花徳の両親やじじ両親に、

それこそ言葉では表現しきれないくらいの愛情をもらったのよ。

でも、親への恩返しなんかほんの真似事しかできなかった。

「親からもらった愛情は子供へ返せ」っても言うんだよ。

ばばは、親孝行が出来なかった分、子供達へ恩返ししなくちゃね・・・・・

って思うけど、今じゃピカちゃん達の方がしっかりしてるからね・・・・。


いつも優しさと暖かい真心ありがとうね!

ばばは、ピカちゃんの親であることに感謝しているよ。

これからも幼かった日のように、時には思いっきり甘えてね〜。


今年は一緒に家族旅行できると良いね。

腕組んで、きれいな風景を見、美味しい物いっぱい食べられると良いね〜

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

婿殿・サブ100

by ばばの日記

1月25日(月)小雨

長女がブログを始めたことに触発され、じじがブログを初め・・・・

いつの間にか、ばばも引き込まれ・・・

HPを立ち上げてもうすぐ2年か・・・・な????


長女が子育て等で忙しくなり、ブログが途切れ・・・

と思って淋しい思いでいたんだけど・・・


去年冬頃から婿殿の「ジョグノート」で

父子ジョギングのことなどを書いてくれているので

じじとばばは毎日更新を楽しみにしている。


婿殿は去年の2月から走り始めたと「ジョグノート」に書いている。

それからは、よっぽどのことがない限り毎日、距離毎にタイムを計りながら走って

記録として書き残しているようだ。


昨夏、家族で帰省した時も「尚子ロード」を走ったり

家の近辺、少し距離を伸ばして・・・と走っていた。

東京では、毎朝6時過ぎから小学校1年の長男と一緒に走っている。

息子と1km走った後、又ひとりで数km走る・・・を出勤前の日課としているようだ。


夕べ、長女から電話があった。

「お母さん、Tちゃん(婿殿の名前)ね、自分の目標クリアできたよ〜」と嬉しい報告が!

代わって婿殿が「お母さん、目標タイムクリアできました」と・・・・・

おめでとう!!!

実は昨日は「第34回サンスポ千葉マリンマラソン大会」があり

この大会に向けて婿殿は目標を定め、緻密なタイム記録をしながら頑張っていたのだ。

婿殿が走る距離は21.098km。

毎朝のあの頑張りから絶対目標タイムをクリアしてくれるのではと信じていたが

直接聞くと、嬉しい!

電話の後、じじと「偉いよね〜さすがTちゃんだよね〜」と

婿殿を褒めながら夕食をしたのだが

今朝じじが「Tちゃんが日記に書いていたサブ100の意味分かったよ〜」と言った。

そう言えば、日記の中にもいろいろな専門的な用語が出てくるが

ばばはサブ100の意味が分からなかったのだ。

じじに聞くのもシャクなので(気が強いねぇ〜素直に教えてもらえばいいのに)

婿殿の日記をもう一度ゆっくり読み直してみた。

すると何となく分かってきたぞ〜「サブ100」が。

100と言うのはきっと100秒のことかも・・・って。

・・・と言うことは、前の記録を100秒更新することかな?


そこでお昼ご飯の時じじに

「Tちゃんのサブ100のこと分かったよ〜。記録を100秒短縮することでしょ〜」と言った。

すると、じじが「違うよ。サブ100というのはね、ハーフマラソンを

100分以内で走るってことだよ」と言った。

あっ、そうかぁ100は100秒でなく、100分のことだったのか〜〜。

改めて、またTちゃんの日記を読み直した。

ゴール直前の記述をゆっくり丁寧に読むとばばにもよく分かった。


「21.098kmを100分以内で走る!」この目標をクリアしただけでなく

数ヶ月前の、ある大会での自己ベストを3分7秒も更新したと書いてあった。



いま、ばばは「がんばったねぇ〜」

「おめでとう!」

「凄い」

「偉い」

の言葉しか出てこないけれど、目の前で応援していたら

きっと走り終わったTちゃんのもとへ駆け寄り

じじはTちゃんの肩を叩き、ばばはちょっとウルウルしながら何回も握手しただろうな〜〜。


これからもいろいろなマラソン大会に出るだろうけど、

その都度、遠く離れた徳之島から応援しているね〜〜、Tちゃん!。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

「二度あることは・・・・」もう勘弁!!!

by ばばの日記

「二度あることは・・・・」もう勘弁!!! 

12月24日(木)晴れ

昨日に引き続き穏やか〜〜〜な天気で良い気持ち!


今は心中も穏やかなばばだが一昨日の夜中は

心臓バクバク血圧も一気に上がりそうな「事件!」があった。

又じじがらみなのだが・・・・・

ことの発端はこうだ。

昨日、今日は穏やかな天気だが一昨日は日中も寒かった。

夜になるとグンと冷え込みも厳しくなった。

11時前、ばばはシャワーで暖まり布団に入った。

ばばより少し遅れてじじはお風呂に。

普段からじじの入る風呂にばばは入れないくらい熱風呂好きなじじは

お風呂を焚き直し、ぐんぐん温度を上げた。

じっくり体を温め一気に眠りにつこうと、熱いお風呂の中で

けっこう長い時間じぃっと我慢したそうだ。

20分近く経った頃だったかじじが風呂から上がる気配がした。

しかし、しばらく経っても声も聞こえず・・・・・

不安になったばば。

その直後、ドンッという音!

ハッとして「じじ!じじ!」と呼びながら起き出した。

そしてばばが目にした光景・・・・・

食台の椅子の後ろにうつぶせに倒れているじじの姿。

3ヶ月前の悪夢が蘇ったばば。

まず、じじの名前を呼び、意識があることを確認!

じじが、自力でなんとか起きあがり壁に背をもたせるような姿勢になった時

じじが眉間近くにぶつけたような小さな傷発見。

しかし、血が流れるほどではない。熱はない。

「じじ!!!大丈夫?!じじ!!!大丈夫?!」と声をかけつつ

「救急車呼ぶから!」と言うと、じじは「待て!大丈夫」と言う。

しかし、じじの顔色は真っ青で脂汗をかいている。

慌てて脈を取ろうとするが慌てているせいかなかなか確認できない。

電話機へ走り119!!!・・・と思いきや

「はい、海上保安庁・・・・・」との応答。

しまった!!!

「すみません、救急と間違えました」と切って確実に「119」。

「どうしました?」「住所は?」「あなたのお名前は?」

等と矢継ぎ早に聞かれ答えると「分かりました。すぐ行きます!」と言う返事。

ホッとして、じじの所へ戻り声をかけ続けた。

待つこと数分。

遠くに救急車の音が・・・・・そして聞こえなくなった。

階段を駆け下りるとありがたいことに

ばばの自宅のずうっと手前でサイレンの音を消してばばの家に横付けしてくれた。

3ヶ月前に来てくれた隊員さんもいたが、

他の隊員さんがばばに「じじの生年月日」とか「倒れたときの状況」など

細々聞くので、ばばは(何より早くじじを病院へ運んで欲しいのに)と思いながら

聞かれることに答えた。

3ヶ月前と同じように3名の隊員が担架でじじを階段から運びおろし

救急車に乗せて病院へまっしぐら。

ばばは、自家用車で後を追う。

前回、じじのスリッパを持たずに行ったので

帰りにじじが裸足で車に乗ったのを思い出し

じじのスリッパと自分のバッグだけ持って・・・・

病院の玄関から救急室へ走るとじじはベッドに移され血圧を測ったりして

すぐ点滴が始まった。

血圧が普段と比べ異常に低く、上が90、したが60台。

体は冷えている。

肺の酸素濃度を測ったり、脈拍を計ったりする器械の数字が刻々変わる。

上の方の数字が90前後で下はずぅと60台。

ばばは、これがじじの血圧だと思い込み心配していたが

看護師さんの説明を受けてなんとか安心。

血圧計で改めて血圧を測っても上の血圧が100もない。

おまけに、器機の上の数字が消えて赤ランプがついたので

ばばはじじの上の血圧が消えたと大パニック。

看護師さんに伝えると

「指にはめたサックがちゃんと嵌っていますか?

上の方の数字は酸素濃度なので心配いりませんよ」と・・・・

看護師さんやお医者さんの一言一句がいちいち気になる。

病院に入ったのが11時30分過ぎ。

しかし、12時を回ってもなかなかじじの血圧は上がらない。

CTを撮ったり血液を採ったり死ながらも点滴は続く。

時計の針は12時を回った。

点滴液も全然減らない。

お医者さんが「今晩は泊まりましょう」と言うが

じじは「大丈夫です」と帰る気満々。

だめでしょう、じじ。お医者さんの言うこと聞かなくちゃ・・・・・

と思っているとき、又救急患者が隣町から・・・・

ばばの知人だったが、今はばばもじじのことで気が回らず・・・・・

そして、1時半になって、もう一度じじの血圧を測るが依然として上がる気配なし。

まさか、点滴を付けたまま帰ることも出来ないので、ついにじじも入院を決意。

それでも、なかなか病室へは案内してもらえず

ずうっと救急室のベッドに寝かされたままだった。

2時過ぎてやっと部屋の準備が整って3階へ・・・・・

真夜中の病室はあまり来たことがないばば、薄暗い廊下を歩きながら

あちこちから聞こえる「声」にちょっと怖くなった。


やっと、じじは部屋に落ち着き、ばばは又別の部屋で看護師さんから色々聞かれ

書類を5枚くらいもらって帰宅した。

「朝ご飯は病院でとって経過を見て、帰りましょう」と言うことだった。


家に帰り寝たのが3時過ぎ。

朝、7時過ぎにじじから電話。

「具合はどう?」

「大丈夫だよ。でも、点滴がなかなか終わらないので昼頃までかかりそうだ」とのこと。

元気になったじじは「ラジオと雑誌と、あと何々を持ってきて欲しい」と要望。

ばばは、ゴミを出す日だし一応の家事を終えてから病院へ行こうと思ったのだが

じじが退屈するといけないと思い、じじにリクエストされた物の他に

あめ玉やお菓子、ホットコーヒー等々持って病院へ。

病室の元気そうなじじを見て一安心して家に帰った。


すると又しばらくしてじじから電話。

「点滴が終わらないので昼ご飯まで病院で食べて帰るから、

○○時頃迎えに来て〜」と。



血圧も正常に戻り、顔色もすっかり良くなったじじ。

今回の騒動は、じじの熱風呂長時間入りが原因の貧血だったのかなぁ〜。

いろいろな検査結果も異状なしで、

お医者さんから、ばばには何の説明の無かったけど。。。。



昼過ぎ、じじを迎えて帰ってきて、一件落着、

めでたし、めでたしとなったが・・・・・


すっかり元気回復したじじったら、今朝になって

「1年に2回も救急車に乗る人なんて

そうそういないよなぁ〜〜」とお気楽なこと言っているが

ばばの心配も考えてよぉ〜〜〜。

それにお隣ご近所さんが夜中に外に出たり

窓から顔出して見ているんだよぉ〜〜。



1年に2回も3回も救急車に乗る不幸な人だっていると思うよ。

この狭い島でも・・・・・

じじ〜〜いらぬ自慢しないでねっ!プンプン!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

12・21

by ばばの日記

12月21日(月)曇り時々小雨

今日は、次女みーちゃんの誕生日。

高校から親元を離れたので親と一緒に暮らした時間が一番短いね。


長女はなちゃんはテレビ番組のヒロインの名を、

みーちゃんは、ばば父の名前をひっくり返して

じじが命名したことは知っているよね。

とても良い名前だと思っていたんだけど

パッと見に男の子の名前と思われ、

病院とかでも呼び間違えられることも多かったね。

親が子供に命名する時、いろいろな願いを持って付けるけれど

みーちゃんの名前にはどんな願いが込められているか

考えたことあるかな????


思えば、みーちゃんは小さい頃からいろいろな試練にさらされてきた。

お姉ちゃんの面倒を見てくれる方がいなくて3ヶ月から海を隔てて

じいちゃんばあちゃんに預けていた、じじとばばは

今度こそ誰か世話そしてくれる方が見つかりますように。。。。と願っていた。

もしかしたら、姉ちゃんも一緒に世話してくれる方が・・・とね。

幸い、同僚の奥さん方がみーちゃんの世話をしてくれたけど

どなたも事情があり、数ヶ月で世話できなくなってしまって

一歳半までに4名もお世話して下さる方が変わったのよ。

物心つくかつかないかの時だったけど不憫でたまらなかった。

仕事を終えてじじが迎えに行くと、

それはもう何とも言えない満面の笑顔で飛びついてきたんだって。

普段は後追いもしなかったみーちゃんだったけど

具合が悪い日などは、やはりじじがみーちゃんを預けて仕事に向かうと

悲しそう〜〜な顔をするので、

後ろ髪引かれる思いで職場に向かったんだって。

「子供は宝」だった、加計呂麻島で

みーちゃんは集落中の方に、かわいがってもらったんだよ。

お散歩している時とかも小学生や中学生はじめ、集落中の方が

「みーちゃ〜〜ん」って声かけてくれてね。。。。。。

集落のアイドルのようにかわいがって下さった加計呂麻の方々

今はもう、大分ご高齢になられたけど

もう一度家族で行ってみたいね。



当時はね、オムツなども布製で川で洗っていたのよ。

休みの日など、オムツの洗濯に行くばばの前を

オムツで大きくふくらんだお尻を振り振り歩いたみーちゃんの姿が

今でも目に浮かぶよ。

ばばの洗濯が終わるまでジィっとそばで待っていて

帰りにはいつもお店にトコトコ入っていって

「キャンコ(アイスキャンデー)ちょうだい」ってねだり

アイスの入ったケースにしがみついて動かなかったみーちゃん。

今、自分でいつでも好きな時にアイスキャンデーが買えるようになった、みーちゃん、

きっと冷蔵庫にはアイスが常備されているのでは?

まだ充分生えそろってもいない小さな歯で「ガリッ、ガリッ」って

アイスをかみ砕いていたよ。


みーちゃんは、お父さんに一番かわいがってもらった分

厳しくも躾られたんだよね。

聞き分けが悪いと寒い夜でも外へ放り出されてね・・・・

1歳そこらで可愛そうだと、お隣の奥様がおっしゃったけど

みーちゃんが悪い時は、悪いと認めるまでじじは許してくれなかったんだよ。


だから、みーちゃんは1歳と数ヶ月の頃から自分が悪いと思ったら

「ごめんなさい。もうしませんから許して下さい」って言うようになったのよ。

自分の非を認めるって言うことは大人になっても大事だものね。


じじは、厳しいだけでなく、それはそれはみーちゃんをかわいがっていたんだよ。

オムツを替えるのも、お風呂に入れるのもいつもじじ。

どこへ行くのも、じじの自転車の前にみーちゃんを乗せて行っていたし、

歩いてお散歩の時はじじとばばが両方からみーちゃんと手をつないでね。

ある時なんか「ガクッ」か「クッ」か音がしたと思ったら

みーちゃんの肩の関節が外れてね、それを間髪入れずじじが

「クッ」と元に戻した時にはさすがばばもびっくりしたけどね。



早々、みーちゃん行方不明事件のことは

みーちゃんにも何回も話して聞かせたよね。

やはり1歳ちょっとの時だったけど、みーちゃんの寝相は凄かった。

あっちへコロコロ、こっちへコロコロ・・・・・

寝ていて部屋中転がり周り、ある日ついにカーテンで仕切られていた

板の間に転がっていって、「みーがいない!」って大騒動したもの。

今は、もう寝相は良くなったかなあ〜〜〜。


1歳半まではじじとばばの愛情を一身に受けていたみーちゃん。

1歳半でお世話をしてくれる方の都合が悪くなり

姉ちゃんの住む徳之島へ連れて行ってじいちゃん、ばあちゃんに預けられ・・・・

先に預けられていた姉ちゃんと「じいちゃん、ばあちゃん争奪戦」を

繰り広げたって任務を終え島に帰ってからばばは聞いて、

二人が不憫・・・・・・

みーちゃんが小さい胸をどんなにか痛めたか・・・・・



全ては、結婚後も仕事を続けたばばのせいなんだけど・・・・

いっぱいいっぱい寂しい思いをさせたね。

任務を終え、徳之島の港に着いたじじとばばの胸に飛び込んできたみーちゃん。

逆に顔を背けじいちゃんの胸にしっかり顔を埋めて

じじとばばを見ようともしなかった、はなちゃん。

対照的な二人だったけど、やっと家族が一緒に暮らせるようになった時の嬉しさは

何物にも代え難かったなぁ・・・・

もう二度とこの子達と離れてはいけないと思ったし

ずぅっと一緒にいて守ってあげようと思ったよ。


そうは思いながらも力不足のばばだったけれど、

今は大都会で必死に頑張って自立した、みーちゃん。

そばにいない分、メールや電話で温かい気持ちを伝えてくれるけれど

やはり、近くで色々話したいね。

さっさと親離れした、みーちゃんに比べ、ばばはいつまでも子離れできないね。


外見や物の考え方が一番ばばと似ていると周囲から言われるみーちゃん。

ありがた迷惑かも知れないね。

でも、ばばの悪い所は反面教師にして

みーちゃんは、みーちゃんらしく凛とした生き方をして欲しい。


いつか、大人の女性として、みーちゃん、はな姉ちゃんや妹ピカちゃん、

そしてばばで語り明かしたいね。

仲間はずれにされたじじがちょっと可愛そうだけどね・・・・・


みーちゃん、誕生日おめでとう!!!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

誕生日、おめでとう〜〜〜 

by ばばの日記

12月15日(火)曇り

3日前、近所の軒下に網に入ったポンカンが積み上げられていた。

一袋買って味見したらけっこう甘かったので

ミカン好きの我が3姉妹や、普段お世話になっている知人の方に送ろうと思った。

事情を話すと、翌日ミカンを採って、翌々日(昨日)お店に置いておきますと言うことで

もらってきた。

大小混みだったので、大きさや色がきれいなのを選んで荷作った。


さて、今朝・・・・・

今まで郵便局に9時半頃まで持って行くと

その日の飛行機に乗せてくれ東京でも翌日には届いていた。

ところが、昨日郵便局に寄った時張り紙がしてあり

「14日から17日まではサーブ機の運行となるので

荷物はあまり積めず夕方の船便となります」と書かれていた。

そこで、8時40分頃、確かめるために電話をした。

「東京へ荷物を送りたいのですが、夕方の船便でしょうか?」と。

すると、「9時半頃まで持ってきて下されば今日の飛行機に乗せますよ」とのこと!!!

えぇ〜〜〜っと思ったが、ラッキー。

なるべく早く届いた方がいいもの・・・

そこで、ばばは慌てて朝食を済ませ車に荷物を積んで郵便局へ走った。

窓口で、「配達希望日とか書いてないんですけど、一番早くていつ配達されますか?」と

聞くと、「今はサーブ機なので、荷物があまり積めず夕方の船に乗せます。

明後日か明々後日になるでしょうね」とのこと。

「つい先ほど電話で聞いた時は今日の飛行機の載せられますというので

慌てて持ってきたんですけど」と言っても

「船便になります」とのこと。

ばばは大分腹が立ったけれどぐっと我慢して帰ってきた。

朝令暮改と聞いたことはあるけれど、つい数分前のことでしょう。

信じられな〜〜〜い。。。


でも、カッカ怒っても仕方ないね。

このミカンは長女はなちゃんの誕生祝いを兼ねての贈り物だから

怒って送ってもねぇ。。。。



今日は長女はなちゃんの何十何回目の誕生日。

はなちゃ〜〜ん、誕生日おめでとう!

ミカン星人のばばに負けず劣らずミカン好きのはなちゃん、

小さい頃はばばの実家の喜界ミカンをい〜〜〜っぱい食べたよね。

市販のミカンも箱単位で買って食べたよね〜〜。

高校生の頃は体が黄色くなって「黄疸じゃないの?」って

友達から言われたって「伝説」の持ち主。

電話で「お母さん、ミカンだけは送る?って聞かなくても

ジャンジャン送って良いからね」と言うはなちゃん。

早く島のミカンを送ってあげたかったけれど

やっと今年の島のミカンが店頭に並び始め誕生日前後に送れて良かった〜。

数日遅れの誕生日プレゼント受け取ってね〜〜。

2,3日うちには届くからね〜。


今、7歳と3歳の子育て真っ最中のはなちゃん

試行錯誤の毎日でしょうね。

我が子を信じ、励まし共に成長していってね。

ばばは、仕事中心で子育てはじいちゃん、ばあちゃん、じじに任せっきりだったけど。。。。


最近、長男シュンちゃんがお父さんと一緒にジョギングを始めて

毎朝走っていると聞いて、じじがはなちゃん達が小さい頃していたことと

同じことしているねって喜んでいるよ。

じじは、たまには体調不良を訴え走るのを嫌がるはなちゃんたちを

「走れば治る!」の一言の下、7、8年あなた達と一緒に早朝ジョギング続けたよね。

シュンちゃんは走るのを嫌がってはいないようだね。

はなちゃんもジョギングするって聞いた時はびっくりしたけど

ばばも数十年前急に走りたくなって、休みの日の昼下がり北区入り口へ向かって走ったことがあったよ。

結局、継続はできなかったけど、今考えてみたら

真っ昼間、中年女性が(島では大通り?を)走っていたら道行く人やドライバーは

さぞかしびっくりしただろうね。


ばばは女の子を3人育てたけど、はなちゃんは男の子二人。

じじは3姉妹とばばに囲まれ、はなちゃんは男の子二人と旦那様に囲まれ・・・・

幸せですかぁ〜〜〜

幸せに決まっているよね。

優しい旦那様と御両親に恵まれて、妹二人も近くにいて本当に良かったね。


いつもはなちゃんの誕生日になると、ばばの仕事の関係で、

はなちゃんを生後3ヶ月で海を隔てて生活するじじ両親に預けたことや

その後数年幼かったはなちゃんに「親」と認めてもらえず悲しかったことなど思い出して

(これからが子供達へ恩返し?)といつも思っているよ。

何が出来るか分からないけれど、はなちゃんがじじ&ばばを必要とする時は

いつでも受け止められるように両手を広げているよ。


はなちゃんが小さい頃は寂しい思いをたくさんさせたけれど、

思えば進学・就職・結婚とスムーズにこれた、これまでのはなちゃんの人生。

関わった周りの多くの方達の支えがあってこそのことだよね。

だから、はなちゃんも周囲の方々への感謝の気持ちをいつも持ち続けて欲しい。


毎年言うけれどはなちゃんをお嫁さんに選んでくれたタケちゃんや

その御両親を敬愛し、そして巡り会えた自分の可愛い子供達へ

惜しみなく愛情を注いであげてね。


以前から何回か言っているよね、「ばば達と幸せ競争しようね」って。

じじとばばは結婚以来40年近くなるけれど

年に数回は「二人結婚できて良かったね。幸せだね」って

どちらかが言っているよ。

ばばは最近女房関白になってきて、ちょっとじじが可愛そう・・・・

・・・・でも本当に幸せだよ〜〜じじとばば。

はなちゃんは女房関白になるには、まだ百年早いね。

・・・って、家庭に関白がいた方が良いのかなあ?


はなちゃん達が折ある毎に「お父さんとお母さんの子どもで良かった」って

じじとばばを泣かせるようなこと言ってくれるよね。

じじ&ばばもはなちゃんに負けないくらい

「はなちゃん、じじとばばの子に生まれてきてくれてありがとう!」って

いう言葉を贈るね〜〜〜。


年に一回の誕生日。

「タケちゃん、私をお嫁さんに選んでくれてありがとう!」

「お義父さん、お義母さんの娘にして下さってありがとう!」

「シュンちゃん・リョウちゃん私の子供に生まれてきてくれてありがとう!」

という気持ちを再確認する日にもしてね。

人生の基盤は家庭だと思うから。。。


じじとばば、徳之島から大声で叫ぶね。

届くかなぁ〜〜。

「だぁいすきな はなちゃん、誕生日おめでとう!」

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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