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あいこでしょ〜

by ばばの日記

11月3日(火)曇り時々雨

文化の日。

朝起きると寒〜〜い!!!!

室内の温度計を見ると21度。

25,6度から一気に21度か〜〜。寒いはずだ。

朝食を済ませると早速羽毛布団を出した。

昨日まで半袖だったのに、今日はぬくぬく着込んで〜〜〜さぁ〜一日のスタートだ。


お風呂から出てきたじじが「ばば〜これなら、孫くらいに見えるかな?」と言う。

じじの格好ったら、Tシャツ・ジーンズ生地のジャンパー・ジーンズ。

さらには、ジーンズ生地の帽子(キャップ)まで探し出してかぶり

上から下までジーンズでまとめて見せた。

ところが帽子、ジャンパー、ジーパンと三つとも微妙に色合いが違うんですけど〜〜じじ。


何で朝から張り切って若作りをし、こんなことをじじが言うかって?

それはね、これまでも、じじが実年齢より若く見られることは何回か書いたが、

こんなことがあったの。



昨日、病院で父が手術室に入っている時に、ばばの2級先輩のMちゃんが近くを通った。

Mちゃんの姪御さんに父がお世話になったこともあり雑談をしていた時に

Mちゃんが長いすに座っているじじを見つけ「子供さん?」と聞いたので

ばばは「孫です」と答えた。

「こんな大きい孫がいるの?ばばちゃんは」と言うので

「孫じゃなくて、長男です」と言い直すと、Mちゃん納得したように

「でしょう。お孫さんにしては大きいと思った」って・・・・

そこで、ばばが「本当は子供じゃなくて主人です。でも、孫です」と言うと

「そんなにゴチャゴチャ言うと、こんがらがってしまうがね〜。

本当は子供さんなんでしょ」と言うので、ばばも「そう、長男坊です」と答えると

Mちゃんは納得したようだったが、ばばは複雑な気持ち・・・・・

その後も、ばばより遙かに背の高いじじを見て

「大きいねぇ」とか感心しているの・・・

島もインフルエンザ対策でマスクをしていたので、

じじもばばも顔3分の2はマスクで隠れている。

Mちゃんは「マスクまでしているので、ますます年が分からないねぇ」

と言いながらも、じじがばばの「子供か?孫か?」半信半疑のまま去っていった。



ばばは、もう「じじの母」に見られることには慣れっこ・・・って言いたいけど。。。。

数週間前、父の検査で同じ病院にいた時もやはり知人が

じじのこと「お子さんですか?」と聞くので「そうです」と答えた。

その方も、じじがばばの子供と信じて疑わなかった。

一月も経たないうちに、島の知人二人からも「お子さんですか?」と言われ

孫にまで間違えられたじじ。


じじが若いのか?

ばばが年寄り臭すぎるのか?

きっと、後者だなとばばは思っている。

やはり痩せてしまったのがいけなかったのか?

独身の頃はまん丸顔で「お月さん」とニックネームを付けられたことも。

でも、結婚して年を経るにつれ、だんだん萎んでしまって?

おまけに、ばば母のDNAをしっかり受け継いで目が窪んできて・・・・


だから、じじが「自分は若い」と誇示する?時

ばばは「誰のせいで、ばばはこんなになった????」と

密かにじじを指さしつつ言う。

憎たらしいことにじじは「Mバアのせい」と答える。

「Mバア」とはばばの母のこと。

ばばは、「母とそっくり」と周囲から言われているのだ。

大好きな母と似ているんだから、老け顔に見られたっていいもんねぇ〜〜。



・・・と、「外見が若いこと」を盛んに(ばばだけに)自慢するじじだが

その若いじじが「今日は、何曜日?」って何回もばばに聞くし

「今日は何日?」とも聞く。

そのうえ、室内の板の間と畳の間の5センチもない段差で

よくつま先を蹴飛ばして「あいたっ、たっ、たっ、たっ、たぁ〜〜〜」と

悲鳴を上げるのは、なぁ〜〜〜ぜ?



じじとばばって、きっとうまくできてるんよ〜。

じじは、外見若くても○○でしょ〜〜〜。

逆に、ばばは、外見、老けてても○○でしょ〜〜〜。

これであいこだねぇ〜〜〜じじ。

こう考えると、良いんじゃない?


何か文句でも?じじ〜〜〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

手術

by ばばの日記

11月2日(月)曇り時々小雨

昨夕、父の様子を見に行った時枕元に「明日13時〜・PEG・絶食」と書いた札があった。

「PEG」って何のことか分からなかった。

「OPE」なら、手術だろうけど・・・・・何かの検査かな?と思いながら病室を出た。



今朝、じじがジョギング帰りに病院へ立ち寄った時看護師さんがいたので

札のことを聞いてみると「今日昼から手術って言うことですよ」と説明があったそうだ。

でも、外来患者さんがあった時はそちらを優先するので

手術時間がずれることもあると・・・・・・

もしかしたら夕方からよるぬ手術ってこともあるのかなと思いながら

落ち着かない半日を過ごした。

家事をしていても父のことが気になり落ち着かない。

昼食を食べながらも話題は父の手術のことに。。。。

じじは体調を整えるために食事後しばらく昼寝。

じじが目覚めたら、病院へ行くことに決めた。

母と、奄美市に住むじじの妹からも父の手術のことで電話があった。

母は腰が痛いというので「じじ&ばばがきちんとしますから、

お母さんは休んでいて下さいね」と、念を押し

妹には「手術が終わり次第電話するからね」と答えた。


病院へ出発したのは3時30分。

父の病室へ入ったのが35分くらい。

(もしかしたら、もう手術は終わっているかもしれない。

父はどんな状態なのだろう)と思うと病室のが近づくにつれて

胸がドキドキしてきた。

室内へはいると、父はいつものように静かに横になっていた。

じじの体のあっちこちを見たけれど、何ら普段と変わらない。

布団をめくってみたが、手術をしたような様子はない。

じじが、ナースセンターに行って聞いてきたところによると

「まだ呼ばれていないのでもう少し待っていて下さい」とのこと。

待つこと約10分。

看護師さんが来て「さぁ、下へ下りましょう」と言う。

ばばが「手術は2,3時間かかるんですか?」と聞くと

「そんなにかからないと思いますよ。心配しなくて良いですよ」と優しく言う。

でも、心配性のばばは心配する。

もうひとりの介護士さんが来て父のベッドを押して廊下へ出た。

そのまま大きいエレベーターで一回の手術室へ下りるので

じじと二人は隣の小さいエレベーターで後から追いかけた。


15時45分、父のベッドは内視鏡室へ入れられた。

中から3,40歳代くらいのドクターが出てこられ

廊下に置かれてた机の上にいろいろな物を紙パックから出しては確かめるような仕草をしている。

そのうちに、出した細い管のような物大きな包帯のような物などを

次々と室内へ運んでドアを閉めた。

ドアを閉める直前にばばはドクターに向かって「よろしくお願いします」と頭を下げた。

この時、時刻は15時50分。

中ではどんなことが行われているのだろうか?

物音一つしない。

そのうち、おばあちゃんの患者さんがベッドごと運ばれてきて

廊下に置かれた。

・・・・・・・・・・と言うことは、もうすぐじじの手術が終わるということ。

内心ホッとしつつ待つ。


待つ時間って、けっこう長く感じるものなんですよねぇ。

手術室のドアが開いた。

入れ替わるように廊下で待っていたおばあちゃんのベッドが手術室へ入れられた。

時刻は16時05分。

父は入室からわずか15分で出てきたことになる。

えぇ〜〜〜っ、こんな短時間で終わるの?

ホッとすると同時に気が抜けたようになってしまったばば。

看護師さん二人が「無事終わりましたよ。お部屋へ戻りましょうね」と言った。

父の顔を見ても、顔色も様子も普段と全然変わらない。

良かった〜〜〜、良かった、良かった。


4階の病室へ戻ると廊下で母とばったり会った。

具合が悪いと言っていた母も家で待っている気にはなれなかったのだろう。

ばばは、父より母の体の方が心配なんだけど・・・・


何はともあれ、父の手術は無事終わった。

これからは傷口が安定すれば少しずつ食事も摂れるだろう。

それまでは点滴での栄養補給になるが、しかたないね、お父さん。


それにしても、最近は島でも内視鏡手術などもどんどん行われるようになってきた。

白内障の手術なども、1日数十人に行うそうだ。

島の医療体制もだんだん良くなってきたことを嬉しく思うばばだ。

又、病院は怖いところと言う先入観があるが

知っている看護師さんなどがいると心強いね。

偶然、父が入院している4階病棟には、じじとばばの知っている介護士さんや

機能訓練士さんが数名いて、この方たちと話すと少し気が軽くなる。


やはり、人との出会いを大事にしなければ行けないなあ・・・と又改めて感じているばばだ。


さあ、父の手術も無事終わった。

これからは父が今まで以上に元気になることを祈るばかりだ。

体調の良い時はしきりに何か話しかける父だが会話が成り立つことはほとんどない。

でも、父の手を握った時、じじやばばの手を握り返してくれる父の手の力と温かさで

「お父さんの言いたいこと分かりますよ」。

家のことも、お母さんのことも何も心配いらないからね、お父さん。

じじとばばが力を合わせて、ご心配かけないようにきちんとやりますからね。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

・・・・・・・・・・・

by ばばの日記

10月30日(金)晴れ・風強し

1年3ヶ月、父がお世話になったグループホーム「たんぽぽ」。

しかし、今日、父の荷物を全て家に持ち帰った。

父が「たんぽぽ」へ帰ることはない。。。いや出来なくなった。

19日に誤燕性肺炎で入院した父だが、

今後は医療行為の出来る施設でしか暮らすことが出来なくなった。

昨夕、病院で主治医の先生がじじにこれからの治療方針につて説明があった。

現在父は、介助のプロが食べさせてもうまく飲み込めないことが多い。

このまま退院しても、誤燕→肺炎→入院という

悪循環が続く可能性が大きいという。

だから、誤燕をさせないために手術をすることになった。

90歳、体力もない父が手術に耐えられるか心配だが

現時点では最前の選択だという。

何も知らず、寝ているやせ衰えた父の姿を見ていると胸が締め付けられるようにつらい。

でも、これが父のため・・・・・・


病院からじじへ連絡があり、グループホームへも連絡が行って

昼3時過ぎから、父の荷物をまとめて家へ運んだ。

ベッド・衣装ケース・洗面具・衣服・・・等々。

4畳半ほどのガラ〜〜ンとなった部屋。せつない・・・・


思えば去年の7月。

急に空きが出来たということで「グループホームたんぽぽ」に父はお世話になることに。

家からも徒歩5分では行ける距離にあり、職員さんもとても優しく心配りをして下さり

安心して父をお世話してもらうことになり、家族は喜んでいた。

当時の父は歩くことも出来、時に意味不明のことを言うこともあったが

話も出来たし、食事も出来た。

しかし、1年でこんなにも・・・・と思うほど父の状態は悪くなり

2ヶ月間も入院したり、急に具合が悪くなり何回か点滴をさせたり・・・・

そして、目に見えないところでも症状は悪化し、

左の手足などが不自由になった。

歩くことも、食事も出来なくなり、液体を飲み込むことさえ困難になった。


ばばの両親が80代まで長生きしたので、当時60代だった父は

「僕もばばちゃんの両親のように長生きでいるかな・・・」と言い、

「百歳まで長生きしなくちゃ」と話していた。

書道と弓を趣味とし、農作業を楽しみ、バランスよく栄養を摂り

早寝早起き、絵に描いたような優等生的生活をしていた父。

ばばの両親の年齢を遙かに超えた今・・・・・・・・・・、

もう、家族さえたまには分からなくなってしまったけれど

「父がいてくれる」と言うだけで家族は幸せだ。

お父さん、百歳まではまだまだですよ。。。。。。

直接会話が出来なくても、あなたの目の動き、握り返す手のぬくもりで

じゅうぶん心は通じていますよ。

明日も、明後日も・・・毎日病院に会いに行きますよ。


百歳と言わず、長寿世界一めざしましょうよね、お父さん。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

○○を、じじがやれば・・・・・

by ばばの日記

9月29日(火)晴れ時々曇り

何もしない人が○○すれば・・・・・とんでもない結果に。。。。

一昨日のことだ。

ばばは、両親宅の掃除をしていたので家にいたのはじじ一人。

夕方、じじが両親宅へ下りてきて

「ばば〜、今日は刺身買わなくていいよ。Yさんが魚持ってきてくれたから」という。

Yさんと言っても、名前は分かるけれど、ばばはあまり知らない人だ。



ばばにそれだけ言って自宅へ戻ったじじが、しばらくして又下りてきた。

手にはダイナミックに切った刺身を入れた皿。。。

母もじじに負けず劣らず刺身は大好きなので、じじからお福分け。
(以前、ラジオでお裾分けのことをお福分けと言ってもいいということを聞いたので使ってみた)

男の料理らしく、「ぶった切った」という表現がぴったりなほど分厚く切られたサワラの刺身。

母も嬉しそう。。。。

じじって、思いやりあるね。


ばばもさっさと片づけを終わって2階へ上がった。

表の間のテーブルにばばのマグカップが置かれている。

その中には飲み残されたコーヒーが3分の一ほど。

その傍らにはシュガーポットとじじのおやつのお菓子の数々が。

察するにじじはお客さんにコーヒーを入れて接待したらしい。

偉いねぇ〜じじ。

。。。。。と思いながら片づけようとしたが、

なぜかマグカップの傍らに置かれたアイス専用「ポーションコーヒー」の袋が気になる。

そして、空のポーションコーヒーの容器も。

コーヒーメーカーにも少しコーヒーが残っている。


台所で洗い片づけながらも気になって仕方がない。

(じじ、まさかポーションコーヒーを2個くらいカップに入れて

そのまま飲んだのでは?だとしたらさぞ苦かっただろうな)

それにしてはコーヒーメーカーにもコーヒーが残っているし。。。。。

それで、思い切ってじじに聞いてみた。

「じじ〜、アイスコーヒー飲んだの?」

「いや、ちゃんとホットコーヒー入れて出して一緒に飲んだよ」

「じゃ、このポーションコーヒーの容器はどうしたの?」



じじは、なんと答えたと思います?????

「ミルクの代わりに使ったよ〜」って何事もなかったように平然と答えるじじ。


「じじ〜、これってアイスコーヒー用なんだけど。これをカップに入れて

氷か冷水、牛乳を入れて飲むのよ」

「それ、ミルクかと思った」って。。。。。



まぁ、まぁ、まぁ〜〜〜どうしましょう!!!

なんと、じじはホットコーヒーを入れシュガーポットを出し、

さらにはポーションコーヒーを出し・・・・・・・・


お客様,Yさんはホットコーヒーにポーションコーヒーを入れて飲んだらしい。

じじもじじなら,Yさんも気付かなかったのかな?

ポーションコーヒーの入っていた袋にはちゃんと飲み方も書かれているのに。。。。

さぞかしYさんにとっては、今までで一番苦いコーヒーだったのでは?

よくぞ、疑いもせずポーションコーヒーをホットコーヒーに入れましたね、

じじも、Yさんも。。。。




「道理で、少し苦いと思ったよ〜」とじじ。

じじ、少しだけじゃなくて相当苦かったでしょう。

ばばは笑いが止まらない。

しなれない人が、お客様接待しようとすれば、こんなこともあるんだね〜。

お客様用のコーヒーカップもあるのに、

よりにもよってばば専用、普段使いのマグカップをお客様に出すなんて・・・・

少しはじじを教育しなければいけないかな?



・・・・・・・・・・・と思っていたら、母が

「じじはお父さん(じじ父)と似て不器用でしょ。

お父さんは、できるのと言えば習字を書くことと農業くらいで

家の中のことは、びっくりするくらい何もできない人なのよ」と言う。

母がマラリヤにかかって高熱で体が震えるほどになっても

父は何もできず、気を失いそうになりながらも母は家族のための食事を作ったそうだ。

「お父さんは、コンロのガスさえ、

どうしてつければいいか分からないくらいの人だったのよ」とも言う。

この父にして、このじじありか???


まさか、母が自分たちの悪口を嫁に言ってるとも知らず男性二人は

お昼寝真っ最中かな???

それとも、くしゃみが止まらなくなっているかな???


。。。とかなんとか言いながら、ばばだって不器用に関しては自信がある。

じじがコーヒーがうまく入れられなかったように。

ばばは、じじの工具をうまく使ったりはできないし、

パソコンの積み立てなんか、何回逆立ちしたって部品一つ組み立てられない。

うんうん、絶対自信ある。。。。

・・・ということは、

やはり、じじとばば、うまく役割分担していくって言うことが大事だね!


でも・・・コーヒーの出し方ぐらいはじじに教えておかなくちゃね。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

じじ、何歳になった?

by ばばの日記

9月28日(月)晴れ

じじ〜〜〜、誕生日おめでとう!!!

じじは今日で何歳になったのかな?

今日から後約2ヶ月、じじはばばより2歳年上になるんだよね〜。

今年も、元気で誕生日を迎えることができて嬉しいね。



じじ、もう、そろそろカミングアウトしても良いかな????

ほら、あのこと。。。。。



これからのばばの人生にあっては欲しくないことなんだけど。。。。。。

その、あってほしくないことがあったのは4週間前の夜。




実は、ばばが救急車を呼んだのだ。

毎日のように走る救急車。

あの「ピーポーピーポー」という音を聞くと、ドキッとする。

ましてや夜中、近所で救急車が止まろうものなら、窓を開けて覗かずにはおられない。

実際、近所の方が何回か救急車で運ばれたこともあり、

そういう日は(どうしたんだろう?大丈夫だったかしら?)と

野次馬根性かも知れないが気になる。


救急車やパトカーにはなるべくお世話になりたくないものだといつも思っているのだが。。。


忘れもしない、9月2日、午後10時30分。

ばばはパソコンの前に座ってテレビを見ていた。

すると、突然「ドォ〜〜ン」という音が!!!!

きっといろいろな物を積み上げてある棚の上から何かが落ちたんだろうぐらいに思って

しばらくは気にもとめないでいた。

ところが、何となく胸騒ぎがして自分の部屋のパソコンの前にいるであろうじじを呼んだ。

いつもなら、すぐ「ハ〜〜イ」と返事をするじじの声がしない。

慌ててじじの部屋へ走った。途中、トイレの入り口を見たばばは心臓が止まるかと思った。

じじが、トイレの入り口のボ〜〜ッと座っていると言うより崩れ落ちてへたり込んでいる。

その顔色は夜目でも真っ青に見えた。

「じじ〜、じじ〜大丈夫????」と言いながら必死に声をかけた。

「う〜〜ん」とか細い声で答えるじじ。

次にじじの顔をもう一回見たばばは、卒倒しそうになった。

じじの左眉の横に黒い線が。。。。。

切ったのだ!!!咄嗟にそう思った。

そして、その黒い線をそおっとばばの右手で押さえて離すと

ばばの手のひらが血で真っ赤になっていた。

「じじ〜大丈夫?待ってて」と言いながら慌てて包帯を探し傷口を押さえ

その間もじじに声をかけ続けた。

「救急車呼ぶから!!」と言うと、じじは「大したこと無い、すぐ血も止まる」と言う。

しかし、じじの顔色、物言いから「普段のじじと違う!」と感じたばばは

電話に走って救急車を呼んだ。

家の場所を正確に教え、「なるべくサイレンを鳴らさずに来ていただけませんか?」とお願いした。

「それはできません」と言うので

「それでは、なるべく遠くでサイレンを止めてきていただけませんか?」とお願いした。

ばばの家は、昔の本通りに面していて、スナックなども多く

もし、救急車が止まろうものなら、野次馬がわんさか覗くことは必至。

夜中に、大騒動になってしまう・・・一瞬のうちにいろいろなことが頭をよぎった。

電話後も、じじに声をかけながら救急車の音が遠くに聞こえ始めたら

階段を駆け下りて道へ出、手を振って救急車の方に合図した。

運転手さんを含めて3名が駆けつけてくださった。

救急救命士さんたちは家の中に入り、じじに声をかけ、

どういう風にして担架でじじを下へ運びおろすか相談している。

ほとんど朦朧としているじじはとても重いらしい。

食事をするテーブルの横から運び出すか、座卓の横から運び出すか・・・・

結局、座卓をどかせてそこから運び出すことに。

でも。玄関に降りて階段を三段ほど下り、その後方向変換をして

又階段を15段ほど下りなければ道路に下りられない。

階段もけっこう急で救命士さんたちも大変そうだ。

彼らもじじの声をかけ続けてくれている。

じじは何かしら答えてはいるようだが会話にはなっていない。

道路に出ると、案の定、近くのスナックやご近所の二階などから

たくさんの人が救急車を覗いている。

お隣さんは車のそばまで来て一緒にじじの乗った担架を救急車に乗せてくれた。

ばばはそのまま救急車の乗り込むべきか、自分の車で行くべきか迷ったが

結局、自分の車で救急車の後を走った。

病院までわずか1分もかからないほどだった。


午後11時45分。

すぐに救急治療室にじじは運び込まれ、血圧を測り心電図を撮った。

お医者さんも看護師さんもテキパキ動いた。

「先生、大丈夫でしょうか?」とばばが聞くとお医者さんは「大丈夫ですよ」と・・・・


良かったぁ〜〜〜。ばばは全身の力が抜けたようになった。



「処置をしますので廊下で待っていてください」と言われたので指示に従った。

その時になって救急救命士さんたちの姿が見えないことに気付いたばば。

パニックになって、しっかりお礼も言わずに・・・・と悔やんだが後の祭りだった。



約20分後、お医者さんが出てこられ「もう大丈夫ですよ。

何針か縫いましたがおそらくきれいに傷口はふさがってくれるでしょう」と言ってくれた。

その後ばばを室内に呼んでじじが倒れた時の様子など詳しく聞いたので

なるべく詳しく話した。


このときほどお医者さんが神々しく見えたことは久しくなかったばば、

「有り難うございます」と何回も何回も頭を下げた。

「念のため、点滴をしましょう」と言われ、じじは点滴室へ運ばれた。

そこで、約1時間かけて点滴をした。

その頃になるとじじも正気づいて、

「僕一体どうしたんだろう。全然記憶がない」と言う。

救急車に乗せられたらしいことは分かったらしいが

救急救命士さんたちがなんと言ったのかなど全く記憶に無いという。

しばらく意識不明になっていたらしい。

点滴を受けながら色々話したが、トイレに行こうと思って

トイレの前まで行ったところで、急に意識を失ったらしい。

「ドォ〜〜ン」という音は、じじがトイレの入り口の柱の角に

頭をぶつけ、へたり込んだ時の音だったのだ。


点滴は順調に進み、午前0時25分頃には終わった。

じじも元気が出てきたので、ばばの車で自宅へ戻った。

その時も、お隣さんが駆けつけてきて「じじさん、大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。

その時、じじは履き物も履かずに救急車に乗ったので裸足のままで

裏階段から自宅へ上がっていっていた。


家に着くとじじは「傷口がドックンドックン、脈打つように痛い」と言っていたが

いつの間にか寝ていた。

じじの普段と変わらない寝息を聞きながら「良かったぁ〜本当に良かった」

と改めて思った。


いつも他人事のように聞いていた救急車の音。


今回ばかりは当事者として救急車にお世話になってしまったじじとばば。

夜中でもすぐに駆けつけてくれて、本当にありがたいですね。

それに、病院でも、すぐお医者さんが対応してくれてありがたかった。


じじは翌日、傷口の消毒に行き5日後には抜糸し、順調に回復した。


じじのこのアクシデントを高齢の母には心配かけては・・・と内緒にしていた。

でも、周囲から情報が入るのはいやだから3日目にじじが自分から話した。

母もびっくりしたが、その晩で帰れるくらいだったし

何も心配いらないからね〜〜〜と強調した。

実際元気なじじが目の前にいるわけだし、母も安心したよね。


しかし、それから約1週間たって、親戚のおばさんがすっ飛んできた。

「じじさんが前の病気が再発して救急車で運ばれたんだって?」と心配げに話すおばさん。

じじが救急車で運ばれたことが色々な憶測と噂に尾ひれがつき

町を駆けめぐったようだ。

事実を話すと「あっ、そう。それは良かった。本当に心配したんだよ」って。

噂、「人の口」って怖いものですね。


こんなアクシデントがあったが、じじは先日も上京し

無事定期検診を終えて帰ってきた。


そして・・・今日は誕生日。

朝起きて、真っ先に「じじ〜誕生日おめでとう!」って言ったよ。

じじは、びっくりしたみたいだったけど

午前中に娘たちから「ハッピーバースデイ」メールが入り嬉しそう。

何歳になっても、いや、年を重ねるごとに

元気で誕生日を迎えることができたことを感謝しなければいけないなと思うようになった。


今日は、ささやかながらお赤飯を炊いて(じじはあまり好きではないらしいが・・)

お祝いしようと思う。

さぁ、そろそろ赤飯が蒸し上がったようですよ〜〜。



いつもは、じじにさんざん減らず口を聞くばばだが

今日だけは、特別。

じじのわがままも少しは聞いてあげようかな?

夕方の刺身買いにも、文句言わずに行くからねぇ〜。


周囲からはいつも「若い」と言われるじじだけど

これからは今まで以上にお互い健康に気をつけて生活していこうね。

そしていつまでも仲良く、娘たちのお手本となれる「親」「夫婦」でいようね。


面と向かっては言えないけれど、

「じじ、いつも家族を優しく包んでくれて有り難う!」

特に欠点だらけのばばを叱ることも、怒ることもせず

優しくフォローしてくれてありがとう!!!

これからもよろしくね〜。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

by ばばの日記

9月15日(火)曇り時々小雨

父がお世話になっているグループホームへ面会に行った。

ちょうど昼のお茶の時間で入所者は全員食堂に集まって

お茶屋おやつを頂いていた。

父は目をつむって口をもぐもぐもぐ動かしていたが

耳元で「お父さん!」「お父さん!」と何回か呼ぶと

「ハイ!」と返事をして目を開けた。

でも、ばばを認識しているようではなかった。

目の前に、先日ばばが届けた栄養剤を入れた吸い飲みがあったので

飲ませようと父の口元へ持って行った。

口をもぐもぐするだけでなかなか開けてくれなかったが何回目かに口を開け

栄養剤を飲んでくれた。

一口入れては何十回も口をもぐもぐもぐ。その間も目はつむったまま。

「お父さん!」と耳元で声をかけながら僅か100ccくらいの栄養剤を

30分くらいかけて飲ませた。

父と同じ棟の入所者は男性2名、女性6名らしい。

とっくにおやつを食べ終わっていた7名のおじいちゃん・おばあちゃんが

父と、ばばの一挙手一投足をじぃっと見ている。

父の隣に座っているおばあちゃんは

「お父さんって呼んでくれる子どもがいるって幸せだね」と何回も言う。

そして、ばばに「親孝行したら、その徳はきっと自分に返ってくるよ」とも。。。。

親孝行も何も、ばばが父にして貰った事に比べたら

今、父と面会に行く事ぐらい何でもない。


父はばばとじじを引き合わせてくれ、

仕事を続けるばばに協力できる事は骨惜しみせずやってくれた。

ばばの娘3人を親代わりになって育ててくれた。

父がいかに孫を可愛がったかは語り草にさえなっていた。

父の時代だから出来た事だろうが・・・・・

町なかを孫(うちの長女)を背中に負ぶってバイクに乗り

組合活動をしたそうだ。

又、夏休みには孫を職場へ連れて行き上司と遊ばせたりもしたそうだ。

父の上司も子ども好きだったのだろう、

文句も言わず娘たちにおやつなど下さったそうだ。


父は、自分の事はさておいて子どもや孫のことをしてくれた。

厳しく四角四面な父が、孫たちの前では好々爺になりきっていた。

80才頃までも毎朝4時か5時には起きて習字の練習をし、

それから弓を引きに行き、帰ってくると畑仕事で汗を流していた。

身軽で走るのも速く、お正月には家の前の大通りを孫と徒競走をしたりもした。


父は習字が得意だったが「習字は年取ってからでも上手になれる。

でも、ピアノなどは小さいうちから練習させた方が良い」と言っていた。

父は30才くらいで教師になったそうで、初めは小学校勤務だったので

オルガンを弾かなければならない音楽は相当苦労したそうだ。

習字は、毎晩蚊帳の中で練習したと聞いた事がある。

傍らで母が墨をすり、父は一心に練習したそうだ。

その頃の習慣からか退職後も早朝から習字を書いていた。

後日、父の勉強部屋に行くと

1枚の紙が真っ黒くなるまで練習した紙が何百枚も積まれていて

父の努力を目の当たりにしたばばだった。


そんな父が80才を過ぎる頃から物忘れがひどくなり

だんだん身の回りの事が出来なくなっていった。

「あのお父さんが・・・・」という思いは今でもある。


今、ばばが出来ることは少しでも多く父のところへ通い

優しく声をかけてあげること。

明日は9時過ぎには会いに行こうと思っている。


父と暮らして36年。

先日9月1日、父は89才になった。


ここ数年、年をとるとは、こういうことなんだと

父は身を以てばば達に見せてくれている。



壮絶な老いとの闘い。。。。

誰も避けて通る事の出来ない刻々と近づく「老い」。

怖いけれど・・・・反発しながらも受け入れざるを得ない「老い」。


昨今は何故かマイナス思考になっている自分に気づきハッとするばばだ。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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