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おっ!

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ



4月5日(水)晴れ

今日も穏やかな晴天。



お昼過ぎてから散歩に出かけた。

片道40分以上歩く予定で出発。

 

川に沿って、上流の方へ、上流の方へと進んだ。

すると、今まで見たことも無いような桜のトンネルが現れた。

ばばのテンション上がりっぱなし。



最初、道路の両側から桜の枝が伸びて

トンネルのようになっているのかと思ったら

そうでない場所も・・・片側の木の枝が道路を横切って

川の中まで枝を垂れている。

川の中も、桜の花びらが沢山漂っている。

何百人という人が行き交っている。



どんどん歩いて行くと、川の中に鳥らしき陰が。

近づいて行った。

すると、今まで一度も見たことも無いような鳥が1羽。

小さな岩の上で、じぃっとしている。

光の関係か体の色が青黒っぽく光って見える。

何だろう?
鵜

興味津々。

数百人の花見客がいるのに、川の中の鳥に目を向ける人はあまりいない。

ばばは、カメラを構え、何回も何回もシャッターを切った。



うまく写っていたら、じじに名前を教えてもらいながら、

自慢しよう〜



桜の花も良いけれど、珍しい野鳥の発見も

ばばにとっては嬉しくて嬉しくて。

珍しい鳥を撮った後は、足取りもますます軽く散歩を続けた。



でも、そろそろお腹もすいたな。

しかし、歩けど歩けど人並みで、飲食店にも長い行列が出来ている。

昼食の時間はとっくに過ぎて2時前なのに・・・・

なるべく空いたお店を探そうと歩き続けた。



2時も回ってから、やっと見つけた小さなお店へ入った。

ラッキーなことに、今日はレディスデーらしく

食事の後に飲み物やジェラートがサービスで付くんだって。

食事だけでもお腹いっぱいだったのに、桜と抹茶、2種のジェラートと

ホットコーヒーまで出されて、冷たい物と、熱いコーヒーで

お腹はビックリしただろうな。。。。






お腹がいっぱいになったら、さぁ〜そろそろ帰りましょ。

既に5千歩近く歩いていたので、帰りはバスで途中まで帰って

夕食の食材を買って帰った。

家に着く頃には、1万589歩歩いてあった。

最近で一番沢山歩いたなぁ。

最初、片道1時間位歩き続けられるか心配だったけど

桜のトンネルに興奮し、疲れを感じないままに歩き続けてあった。



先に帰宅していたじじに、まず珍鳥の画像を見せたら

「鵜だな」って、いとも簡単に答えた。

えぇ〜〜〜っ、鵜????

普段見ていた鵜って、川鵜だっただろうけど、真っ黒じゃなかった?

ばばが見た鳥は、青黒く光っていて、時には虹のように光って見えたんだけど・・・・



なぁんだ〜〜、ガックリ〜。



そう簡単に珍鳥なんて見えないだろうなとは思うものの

いつも、密かに期待してキョロキョロしている、ばばです。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

娘よ、泣かせるねぇ・・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


4月2日(水)曇

「父の第二の人生のライフワークが形になりました。

コツコツ続ける事の大切さは、

いつも父から学んで来たような気がします。」



娘がフェイスブックに書き込んだ一文にホロッとした今朝のじじ&ばば。

「父の第二の人生のライフワークが形になりました」というのは

退職後、じじが撮りためた野鳥の写真の展示会が

町立図書館で始まったのです。

館長さんのIさんとじじが同級生で、以前からお話しはありましたが

なかなかじじが重い腰を上げず・・・・・・

去年辺りから徳之島世界自然遺産登録へ向けて・・・という事もあり

徳之島の野鳥等の写真を展示するのも、その一環として

Iさんが考えて下さったのかも知れない。

じじが、5,6年かかって撮り溜めた野鳥の写真は

優に1000枚位はあるだろうか?

毎日のホームページへのアップは、ばばも見ているが

同じ画像がA版に拡大印刷され、ラミネートまでされて展示されると

全く別物のようで、恥ずかしくて図書館の入り口付近で

チラッとしか見ていないばばも感動を新たにした。



また、昨日お昼過ぎ、奄美新聞のMさんから電話があり

じじが応対したが、何とじじの「野鳥写真展」の事を

記事にして下さるというのだ。

面はゆい気もしたけれど、夕べは娘達にもメールしたら

長女は既に、あるフェイスブックで見て知っているって返信が来た。

その後、今朝、娘のフェイスブックを見たところ

じじとばばを「ウルッ」っとさせる書き込みがあったのだ。

その書き込みを読んでからの朝食時のじじとばばの会話は

これまでの数年間の撮影や遠出についてのことだった。

じじからばばに思いがけず感謝の言葉があり、ドキッ!

隣町での撮影時など、ばばが運転してくれるから

じじは疲れず撮影できるし、又車窓からの撮影も出来るって・・・

ばばは、ただ、じじに長距離運転させるのが可愛そうで

自分から専属運転手を買って出ていただけなのに。



いつも、じじをからかってばかりのばばだけど

今回の展示には胸が熱くなった。



と言うのも、じじは10年前大病を患い、定年まで勤めず退職した。

大手術の後はげっそりと痩せて、

家族全員が暗い気持ちになった時期もあった。

でも、自己管理をきちんと出来るじじは、色々なことに気をつけて生活し

絶望の淵から立ち上がった。

趣味だったパソコンの技術を生かし、

友人Kちゃんに教えてもらったりしながらホームページを立ち上げた。

じじより3年遅れて退職したばばも、いつの間にか

ブログなど書かされるように?なってしまった。

ホームページには、じじが好きな野鳥の写真や

徳之島の動植物、昆虫、地域行事等載せていた。

しかし、いつの間にかじじが一番好きな野鳥の写真と動画が主になった。

「少しでも良い写真を撮りたい」とカメラも買い換えた。

ネット仲間、「天城の鳥博士」こと、Yさんのバズーカ砲のようなカメラに触発され

大きなカメラに。

カメラは、あまりに重くて、下げて遠距離を歩いて撮影することは無理。

そこで、車で出かけ撮影するようになった。

隣町まで出かけての撮影時は、ばばが専属運転手で

ばば姉が助手となった。

そうして、ここ3,4年くらいは野鳥を追って全島中を駆け回っている。

ある時は不審者にも間違えられ、又ある時は職務質問らしきものもされた。

亀津の真ん中を流れる大瀬川で対岸の野鳥を狙ってバズーカ砲を構えていたら、

たまたま近くにいた警察官に声をかけられてしまったらしい。

今となっては笑い話だが。



あんなこと、こんなこと・・・・

思い出すと笑いたくなることもたくさんあるけれど、

一番身近な娘が「コツコツ続ける事の大切さは、

いつも父から学んで来たような気がします。」

と書いてくれたことが何より嬉しい。

じじとばばのホームページの始まりは、

都会で暮らす娘達へのメッセージ代わりだったから。

じじは、写真や動画で徳之島の自然や動植物の素晴らしさを娘達に伝え

ばばは、毎日ブログを書くことで「お父さん、お母さん元気だよ〜〜」発信。

コツコツ続けること・・・・・

娘達が小学校上がる前からじじは娘達と一緒に

朝ジョギングを10年近く続けた。

すぐ熱発していた娘は健康になり、長距離走では自信も付いたと思う。

娘達に「継続は力なり」を身を以て伝えたかったんだね、じじは。



じじは身を以て娘達に色々教えて来たけれど

ばばは・・・・と考えると、じじに頭が上がらないなぁ・・・・

改めてじじの頑張りを褒めてあげたいという思いにさせてくれた、

今回の「野鳥展」。

図書館長のIさん、そして、新聞にまで取り上げて下さった

奄美新聞のMさん、本当に本当にありがとうございます!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

叫びたいっ!

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


11月26日(火)晴れ

昨日とうって変わった晴天なり〜〜〜

天気もお祝いしてくれてるのかな???

何を?って?・・・ヒ・ミ・ツ・・・・・・・・



今朝、ばばが起きる前、既にじじはパソコンに向かっていた。

いつものことなんだけどね〜

ばばが布団の中から「旦那様より遅くまで布団の中で

ダラダラしていたらお母さんに怒られちゃうな〜」と言った。

ここでの「お母さん」とは、勿論ばばの母のこと。

すると、じじが「僕は○○ばぁ(ばばの母)のせいで

何にも仙人(何もしない人)になったかな〜」って。

ばばの母は、結婚前に「じじのような良い旦那様はいないから

床の間に飾るくらいの気持ちで大事にしなさい」と言った。

横着なばばが、母の伊言いつけを守るわけも無く

じじをいつも虐待してきたが・・・・・

天国で母は悲しんでいるだろうか?

お母さん、ごめんなさい!

で・・・・退職後はパソコンに向かうのが日課となり

ホームページ継続と写真撮影が唯一の趣味となった、じじ。

自分でも、家庭的なことをあまりしていないと自覚しているらしく

(こんなに何もしなくなったのは、ばばが母の言いつけを守って

じじを飾り立て祀っているからだ」と・・・・

「え〜ばばのお母さんのせいにするの?○○ばぁ(母)に言いつけよう〜〜っと」

と言って、布団から出ようとしたその時、メールの着信音。

見ると、娘から。

「今日は何の日でしょう?又ひとつ大人になりましたね。

お誕生日おめでとうございます」って。

うぅぅぅ〜〜〜、朝から泣かせるなぁ・・・我が娘。

ばばが、「ありがとう。早起きさんだね。

もう、年はいらないけど、幸せに日々生活できていることに

かんしゃするひにするよ〜」と返信したら

又「ダメだよ、100才以上になったら。

しばらくは年とらなくて良いと思うよ」って返信が来た。

ばばが仕事をしていた頃・・・・

そう、40代の頃からばばは「100才!」と

入学したばかりの純真な1年生に言っていたの。

すると、純真な彼らは「え〜〜〜っ、ウソ〜」と言いながらも

半信半疑だったけどね・・・・

その話を娘達にもしたことがあったのかなぁ・・・・・

だから、上記のようなメールくれたんだと思うけど・・・・

メールを読んでも、じじには「誰から、どんな内容」のメールか言わなかった。

じじが、ばばの誕生日を覚えているか試したかったから・・・・

去年は、結局、夕方3姉妹のうちのひとりから「おめでとう〜」コールが入って

初めてじじは「11月26日が何の日か?」分かったみたいだった。

だから、今年も黙っていたんだけど・・・・・



起き上がって朝の一仕事をする頃には

ばばの大好きな友人Mちゃんからも

「おめでとう〜」メールが届いた。

ありがとう〜Mちゃん!

ばばの誕生日まで覚えていてくれたんだ〜



で、しばらく経って朝食の用意を調えた頃、

じじが2階から下りてきた。

そして、何気なくカレンダーを覗いている。

????ばばが「免許更新」ってメモしてあるのを見たようで

そこで気づいたのか?分からないけれど

「きょうは、ばばの誕生日だね〜おめでとう〜

いつもありがとう〜」って。

わぁ〜じじが朝から「おめでとう」を言ってくれるなんて

結婚以来何回目?

もしかして?初めて?

ありがとう〜

2人でゆっくりお喋りしながら朝食を済ませたら

じじが、テーブルの上に置いてあった蛍光灯をパックから取りだし始めた。

この蛍光灯、実は、ばばが昨日夕方ホームセンターから買って来た物。

台所の配膳台が暗いので、以前から「蛍光灯があればなぁ・・・」と

ばばが言っていたんだけど、電器屋さんに頼まなければ

取り付けることが出来ないと思っていたんだよね〜

ところが、「じじが取り付けてあげるよ〜」って昨日言うので

ビックリしたけど「善は急げ!」で即行買って来たの。

その蛍光灯を、朝のうちに取り付けてあげようと思ったみたい。

工具を出し、補強用の板を準備し、

トンカチ、トンカチ・・・・・・・・・

ばばも、ほんの少〜〜しだけ、蛍光灯を支えるのを手伝って

無事取り付け終了!

早速、点けてみた。

明るい!

これなら、夕方や天気の悪い日、夜でも、気持ち良く作業が出来るね。

じじ〜ありがとう!

何よりの誕生プレゼントです!

改めてじじの優しさや頼もしさを実感したよ。



じじの得意な電器関係や機械関係、それに地図を読むこと?

方向感覚・・・・ばばは、全くダメです、0点です。

ばばが得意なことは何も無くて、じじにも不平不満だけ

言っているかもしれないけれど、少しはじじのため、

家族のために心配りが出来るように心がけるからね〜

今後ともよろしくね。



また、3姉妹さん達。

年々、あなた方は母親のばばを超えて行ってるね。

今は、あなた方から教えられることの方が多いけれど

嬉しいし、誇りに思うよ。

ここ数年は、メガネをかけて鏡の前に立つのが怖くなるくらい

容姿も老け込み、容姿以上に頭も老け込んでしまっているのを

実感するんだけど、努力すれば少しは現状維持出来るかな?



何や、かんや言いながらも、「お父さん大好きっ子」の3姉妹さん、

離れて暮らすことは少し寂しいけど、

お父さん、お母さんはいつも、あなた方3名を

誰よりも信じ、愛し、応援しているよ。

そして、あなた方3名は、何物にも代えがたい

お父さんとお母さんの「宝物」だよ〜。



自分の誕生日に改めて、家族の愛おしさを再確認した。

じじを大事にしよう・・・・

娘達を大事にしよう・・・・

今より、もっと、もっと!

ばばは、じじがいてくれて、3姉妹がいてくれて

世界一幸せ〜〜〜って、声を大にして叫びたいよ〜



夕方、誰もいない海岸で叫んでくるからね〜

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

親子逆転?

by ばばの日記

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4月25日(木)曇

11時前になってから、じじと二人で母との面会ともう一つの用事で出かけた。

今にも雨が落ちそうで、傘もちゃんと準備して出発〜。

用事を済ませてから母との面会に行くか?

母と会ってきてから用事を済ませるか?悩みながら車を走らせたが・・・・



用事・・・というのはね、電気用品の量販店に寄ること。

ところが。。。ところが。。。。

お店の前に行くと、ガァ〜〜ン。

今日は定休日だった!

残念!

何の用事だったのかは、明日でも書くね〜



こうなれば、母との面会がゆっくり出来る。

施設前で、ばばが車を止め玄関から入ると同時に

職員さんが母の車椅子を押して連れてきてくれた。

母は、じじとばばを見ると笑顔で手を振った。

じじが車椅子を押して、そのまま母の部屋へ行った。



母は、いつもじじとばばが来るのを待っているんだろうなぁ・・・

と言うのはね、前回面会に行った時、じじとばばの姿を見ると同時に

「車が止まるのが見えたのに、じじとばばちゃんが下りてこないから

何でかなぁ・・・と思っていたのよ」と言ったのだ。

母は、その日も食堂にいたのだが、食堂の窓ガラスは全部閉まっていた。

でも、きっとガラス越しに車が止まるのが見えたのだろうね。

車が止まる度に、じじかばばが来るものだと思っていたに違いない。

車で行くのは、じじとばばだけじゃ無いのに、

母は車が止まる度に「今度こそ・・・」

「今度こそ、じじとばばちゃんが来てくれたかも・・」

と、淡い期待を抱いていたのかも。

母の心中を考えると涙が出そうになるね。



今日は世間話をして、母を食堂に送っていって

「又、来るからね〜」と手を振り合って別れた。

帰る時、じじとばばは、すぐ車の戻ろうとしたが

親しい職員さんが玄関に出てこられて少し話をしていた。

すると、誰か来る気配。

何と、食堂に送っていったばかりの母が

男の職員さんに車椅子を押されて玄関へ出て来たのだ。

わざわざ玄関先まで出て来て、じじとばばに手を振った。

お母さん、寂しいのね・・・・

無理も無いよね。

自分で自由に動けない母は、1日2回のお茶の時間と

3度の食事以外は、ベッドで寝たままの生活だろうから。

家にいた頃は、良くテレビでドラマなど見ていたが

今はほとんどテレビも見ていないらしい。

見ても、ストーリーやニュースの内容が理解できなくなってしまったのだろう。

それに大好きだった編み物もしていない様子だ。

聞くと、すぐに針から毛糸が抜けてしまうので面倒くさくなってしまうって言った。

そして、「難儀して編むよりもお店で買った方が安いからね」とも。

元気な頃は、値段云々で無く、暇さえあれば毛糸で帽子を編んでいて

家族や知人友人誰彼と無くプレゼントしていた。

編むのが楽しくて仕方ない様子で、編み物を始めると

夢中になり明け方まで編むこともあった母。

今は、色々なことに対してだんだん興味が無くなりつつあるようで、気になる。

好奇心ややる気を持っていた時は、母の目が生き生きと輝いてたのになぁ。。。



今、母の一番関心のあることと言えば食べることかも知れない。

行く度に、食事が美味しいと話す。

不思議なことに、家にいた頃は一口も食べられなかった肉の脂身等も

平気で「美味しい、美味しい」と食べるようになった。

年と共に味覚とかも違ってくるのだろう・・・・



少しずつ変わっていく母を見るのは辛い。



でも、母の家族に対する愛情や周囲への心遣いは全然変わっていない。

じじがひとりで面会に行けば「ばばちゃんは元気?」と

必ずばばのことを案じてくれるという。

ばばが行くと「じじは元気?Mちゃん(ばば姉)も元気?」と必ず聞く。

そして、都会で暮らす我が3姉妹や、孫のことも尋ねる。

又、「施設の方がとても良くしてくれるからお礼をしなくてはならない」

と、いつも心にかけていて、じじやばばに話す。

でも、施設の方に謝礼とかは絶対していけないことになっているので

母にも説明し、施設の方々へは、言葉で謝意を表すように心がけ

できる限り、施設の行事の時等は協力するようにしている。



玄関先まで追ってきて手を振る母に、後ろ髪を引かれる思いで

施設を後にしたじじとばば。

車の中で「親と子がだんだん逆転してきたね」と話すことだった。



子供が小さい頃は、良く親の後を追うが

今、母がじじとばば(子供)の後を追ってくる。



年をとるって、切ないなぁ・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

母の施設を後にした後、今日も無数のコムクドリの群れを見た。

でも、あいにくの天気と、近くにヒヨドリやカラスがいたことで

コムクドリの群れは、あっと言う間に飛び去ってしまった。

まだまだ徳之島に留まるのかなぁ・・・・・

じじに、一度で良いから納得のいく綺麗な写真を撮らせてあげたいなぁ・・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

ばばが尊敬する人

by ばばの日記

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3月13日(火)曇り時々晴れ

3月13日、今日はばばが大好きだった父の20回目の月命日。

20年前の3月13日・・・・13日の金曜日。

職場の遠足だった。

もう何回もブログに書いているけど、ばばが子供達に

「今日は13日の金曜日。西洋では・・・」と話し、最後に

「怪我などしないように、楽しい遠足にしましょうね」と言って目的地に出発。


ちょうど昼ご飯を食べている時、職場に残っていた同僚が車でやってきた。

そして、緊張した面持ちで「ばばさん、お父さんの具合が悪いそうですので

すぐ、帰って下さい」と・・・・

その後は、無我夢中。

実家に帰り着いたのは、知らせを受けて約2時間後。


家の周囲の草取りをしていて、ちょっと疲れた一休みと横になった父。

しばらくして、母が一緒にお茶でも飲みましょうと

声をかけたが返事がなく、覗いてみると既に・・・・・・

何とあっけない。。。。。。


大好きな大好きな父だった。

明治生まれの父は温厚で、我が儘いっぱいだったばばを叱ったことは生涯なかった。

又、父の荒い声や言葉を聞いたこともない。

言葉には出さなくても、父の動作や後ろ姿を見て

ばばは反省したり、思うこともたくさんあった。

父が兄や姉を怒っているのも見たことが無い。

もし怒っていたとしても、穏やかに言い聞かせていたのか?

それとも、他の兄姉の前では怒らなかったのか?

一番我が儘なばばを怒らなかったんだから

ばばよりはずぅっと従順で働き者だった兄や姉を怒ることはなかったのだろうと思う。

我が父ながら「神様のような人」だとずぅっと思っている。


父はよく働いた。

朝は、薄暗いうちから田畑へ出かけ、夜は星を見ながら帰ることが多かった。

ばばは、朝は父と一緒に出かけたことは記憶していないけれど

仕事を終え帰る時は、牛が引く荷車に乗って星空を見ながら帰ったことが何度もある。


父は口数が少なかった。

でも、父が話す一言は多くの言葉を要さなくても、ばばの胸に響いた。


父は読書が好きだった。

80歳を超えてもなお月に月刊誌3冊ぐらいと本2冊くらいは読んでいた。

ばばの実家集落には書店がないので、ばばが毎月買って届けた。

雑誌や本を届けた時の、父の嬉しそうだった顔。。。。今でも思い出す。

そして、読んだ本に書いてあったことなどをよく話してくれた。


父は器用だった。

若い頃は、畳表を自分で織り、自分で畳を作っていた。

印鑑も自分で作っていた。

また、海岸に打ち上げられる浮きとか、枯れ枝とか珊瑚とか木の実とか拾ってきては

家にあるものと組み合わせ、干支の飾り物などを作ったりしていた。

父に創作能力があると思ったのは、父が70歳前後の頃からだった。

また、盆栽作りの名人だった。

イソマツ・マッコウ・テンバイ・ソテツ等々、父の手にかかれば

非の打ち所のない見事な形に整えられた。

父が育てていたテンバイに一目惚れした園芸愛好家が

「300万円で譲って欲しい」と言ったとき、きっぱりと断ったそうで

今でも、じじ・姉・ばばで父の「自分が育てた植物を愛する父」を賞賛する。


父は、我が子や孫を無償の愛で包み込んでくれた。

これも、語りぐさになっているが我が家の三女が

金管バンドや、ジャズバンドでコンクールや発表会に出る時は

必ずばば両親にも前もって知らせていた。

船で出発する三女を見送ろうと思った父の行動を聞いて涙が出た。


何と父は、実家近くで海がよく見える高台へ行った。

もちろんいくら声を張り上げても、孫である我が家の三女に届くはずもない。

そこで、沖行く船に何とか気づいて欲しいと、焚き火をし狼煙?をあげて

合図を送り続けていたそうだ。

「Hちゃ〜〜〜ん、頑張っておいでよう〜。

じいちゃんは、ここで見送っているよ〜〜〜」

と言う声を狼煙に託していたのだろう。。。。。


口数は少なく、孫達ともあまり声高に話すことはなかったけれど

我が家の三女は花徳(ばばの実家)のじいちゃん大好きだったし

父の思いは、きっと三女に伝わっていたと思う。


自分の身内を褒めて書くのは恥ずかしいことだけれど

ばばは、それ以上に何とか父への思いを書き残しておきたい。


父が元気な間、何だか照れくさくて、面と向かって「ありがとう」とか

「大好き」と声に出して伝えたことはない。

「親孝行、したいときに親はなし」の諺通り

何の恩返しも出来なかったけれど、ばばは世界一父が好き。

(世界一はひとりのはずだけど、ばばには世界一がまだまだいるんだよ〜)

父がばばに向かって「大好きだよ」って言ってくれたことは無いけれど

ばばが20歳を過ぎた頃

「ばばは、結婚させずにずぅっと手元に置いておこうかな?」と

父がポロッと漏らした一言が、ばばに対する愛情の全てを表していたと思う。


その後、数年してじじと結婚したけれど

じじが、ばばの両親を我が親以上に大切にしてくれたので

ばばがお嫁に行っても、「頼もしい男の子がひとり増えた」と両親は喜んでいた。


父に「大好き!!!!!!!!!!!!!!」って伝えると同時に

じじにも「ありがとう!!!!!!!!!!」って伝えなきゃ・・・・


奇しくも、今日父の命日に、実家関係のことである方が午前中我が家へいらした。


お父さ〜〜〜ん、これからも、ばばはあなたの娘として

恥ずかしくない生き方をしますからね〜〜〜。

お母さんと一緒にずぅっとばば家族を見守っていて下さいね。


お父さん、お母さん、ばばはあなた方ふたりの子供として生まれて幸せです!

ありがとう。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

許せる?あの発言

by ばばの日記

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2月7日(火)曇時々晴れ

昨日は我が家の三女、ピカちゃんの誕生日。



ブログも書こうと張り切っていたが

朝10時過ぎに義母が入院していた病院から電話。

「今日退院ですけど、連絡行っていますか?」って。

どこからの連絡?

退院許可を出すのは病院だから、病院から連絡が来るはず。

その病院から「退院の連絡が行っていますか?」って。

聞いていないよぅ〜〜。

「退院は何時頃ですか?」と聞くと

「もう施設の方から迎えに来ています」って。

作業着に着替え、張り切って倉庫の片付けをしようと思っていたが、

出鼻をくじかれた感じ。

「じゃ、これからすぐにそちらへ行きます」と答え電話を切った。



着がえ、支払いの用意をして、車で病院へ。

義母の病室へ行くと、もう施設の方が荷物をまとめたりしてくれていた。

義母は、退院ということが分かっているのかいないのか

ベッドで寝ていたが、耳元で「お母さん、もう、退院して良いんだって。

Sさんが迎えに来てくれていますよ」とばばが声をかけ、

Sさんが「帰りましょうね」と声をかけて車いすに乗せた。

その後、義母は一足先に施設の職員さんが付き添ってくれて施設へ。

ばばは、支払いをしたり、施設で飲む薬をもらったりして後を追った。



思えば・・・・約3週間の義母の入院だった。

1月17日朝、施設の方から「義母の具合が悪いので

病院へ行きます」と電話があり、じじとばばも急いで駆けつけた。

義母は熱が38度台の熱もあり、意識も朦朧としているようで大分心配した。

肺炎を発症しているということで、レントゲン検査やCT検査をして、

すぐに点滴が始まった。

鼻には適度な酸素を送るための細いビニルホースのような物をつけ

目を開けることもあまりなく、

今にも義母が消えてくような恐怖に襲われたばば。



朝は、じじが、昼・夕方は姉とばばが一緒に行ったり交代で行ったりして

義母を見舞い、様子を伝え合った。

高熱のせいで食欲はなく、被害妄想が出たりして

普段の義母と人が違ったような言動もあった。

病室へ入るたびに胸がどきどきした。



入院から約10日くらいで点滴や酸素補給の機具も外された。

最初ほとんど食欲もなかったが、日を追う毎にご飯は完食するようになり

おかずを食べる量も少しずつ増えていった。

意識がはっきりしている時は、ばばに

「ばばちゃん、ありがとう。あなたにだけ迷惑かけてごめんね」と

何回も感謝の言葉といたわりの言葉をかけてlくれた。



施設では、3回の食事と2回のお茶の時間は

必ず食堂へ移動するが、病院ではずぅっと寝たままの生活だった義母。

退屈だったし、体もきつかっただろうな。

じぃっと寝てばかりで、いろいろなことを考えていたんだろうなと思うと

義母が不憫で、哀れで・・・ばばの中でいろいろな感情がごちゃ混ぜになった。

早く元の生活の戻って欲しい!じじとばばの願いが通じたのか

約3週間の入院で、やっと昨日退院の日を迎えた。



正直、ホッとし、嬉しかった。

集団生活の中で運動能力も少しずつ回復していくことを願う。



介護施設まで母を送り届け、ばばは帰ってきたが

「インフルエンザが流行っているので、施設への見舞いはご遠慮願います」

と、施設玄関には張り紙がしてあった。

毎日は見舞いに行けなくなってしまった。

でも、見舞いに行った時は入所者を玄関まで呼んで来てもらって

玄関で会うことは出来るそうだが、

義母が寝ている時に訪ねていっても悪いような気がするし、

時間調節が難しいなぁ。

食堂へ向かう母を玄関で待っていて会うしか出来ないかな?とじじとも話している。



三女の誕生日に「義母の退院」という大きなプレゼントを

もらったような気がした昨日だった。



昨日のニュースで

ある政治家が、胃ろう措置を見学した際の感想として

「人間に寄生しているエイリアンが人間を食べて生きているみたいだ」と発言していた。

このニュースを見て、ばばは非常に腹が立った。

これが、政治家の言葉?



義父も「胃ろう」措置をして、2年以上になる。

嚥下障害が始まり「誤嚥」をするので仕方なく

「胃ろう」措置をしてもらったのだ。

施術前より栄養状態も良くなり、顔色も良くなった。

「胃ろう措置」については賛否両論があるだろうが

話すことは出来なくても、毎日見舞うじじや、ばば、姉の語りかけは

きっと父に届いていると信じている。

大好きな父が「そこにいる」というだけで嬉しい。



世の中にはいろいろな障害で食事が出来なくなり

「胃ろう」で命を繋いでいる方達も多いと思う。

必死に命を繋いでいる患者さん、患者さんを見守るその家族に対して

「・・・・エイリアン・・」発言は許しがたいと思うのは、じじやばばだけだろうか?

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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◇◇ Tokunoshima Island JJ&BB's HP ◇◇ ◇◇ A collection of Tokunoshima Island nature observation ◇◇