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02/03(金) 13:43
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by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


2月3日(金)曇時々小雨

(今日は、何書こうかなぁ・・・)。

迷った時は「じじ、虐めネタ」!!

だけど、今日、2月3日はばばの大好きな姉の誕生日。

だから、姉のことを・・



姉とばばは6歳違い。

だけど、姉の方が見た目がずぅっと若いので

ばばと姉が一緒にいると、ほぼ9割の方が

姉のことを「妹さん?」と言う。

若い頃は、ちょっと気になったけど

今はもう慣れっこになりすぎて、何とも思わなくなった。

だって、ひどい時は「じじの母」と間違えられるばばだからね。

ばばのことを「お姉さん?」と言った人が

一生懸命謝るのが可笑しい・・・



姉は、周囲に凄く気を遣う。

自分のことより、ばばのことを心配し気を配ってくれる。

ばばが、子育て真っ最中だった頃は、我が家の三姉妹を

我が子同様に可愛がってくれた。これは、今でも同じ。

先日も我が家の娘達に「あなた方のお母さんのつもりでいるからね」って

メールをくれたらしい。

ばばにとっても、姉は母のように頼れる存在だ。



ばばが、加計呂麻で勤務していた頃、破傷風で入院したことがある。

発見が遅れたため、生存率は低いと言われ

ばばは真っ暗闇の部屋に隔離された。

そして、通常の450倍とかの血清を注射され

3日3晩眠り続けた。

奇跡的に目覚めた時、島からは父と姉がわざわざ見舞いに来てくれていた。

それから20日くらい仕事で付き添えないじじの代わりに

姉が、ずぅっとばばに付き添っていてくれた。

そして、1日3回のばばの体温、三食食べた物など

事細かに記録しておいてくれた。



ばばの人生で一番長かった入院生活だったが

退院した時に、姉が記録してくれたノートを見て胸が熱くなった。

自分のご主人・子供を島に残し、わざわざばばに付き添ってくれた姉。



ばばが島に帰って来てからは、美味しい物が手に入ったからと

じじ両親や、ばば達に届けてくれ

自分の買い物ついでに、ばばのためにもいろいろな物を買ってきてくれる。

暇があれば、ばばひとりで往生している仕事を手伝い

挫けそうなばばを際奮起させてくれる。

入院中の、じじ両親を毎日見舞い、じじが病気をした後は

ばば以上にじじの体調も気遣ってくれている。



幸いなことに、姉とばばは現在、歩いて数分の場所に住んでいる。

だから、干潟観察に出かける時などは必ず姉に声をかける。

又、旅行とかの時も姉に声をかける。

姉と一緒にいると、何だか安らぐ。

時間さえあればお互い誘い合う。



几帳面な姉と、大雑把なばば。

だから、仲が良いのかな?



さっき「お誕生日おめでとう」メールを送ったら

「こちらこそ、いつもありがとう!これからもよろしく」って返信があった。

近すぎて、お礼とか感謝の言葉をかけるのは照れくさいけれど

メールなら素直に文が書けるからいいね。



今日も雨さえ降らなければ、姉が買い物ついでに寄ってくれると思う。

その時は、先日下見した場所へ桜を見にドライブしようかな?



これからもお互い元気で、助け合って日々過ごしていきましょうね。

いつもありがとう〜M姉さん!感謝しています!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

娘夫婦の行為に、心ほっこり

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ

1月25日(水)小雨後曇り

徳之島でも寒い日が続いてる。

寒いと言っても室温は14,5度前後だから

北国や、雪が降っている地方からしたら

「えぇ〜?それで寒いの?」って笑われるかもね。



都会でも、雪の降った場所で車の事故や、

出勤途中などの方が転倒し、負傷する事故がたくさんあったと

テレビで伝えられていた。



そんな今日、ばばはとっても嬉しいことがあった。



実は・・・長女の婿殿はジョグノートを書いていて

毎日、更新されるのをじじとばばは楽しみにし、

応援もしている。

その婿殿の今日のジョグノートに心温まることが書かれていた。



昨夜のこと、婿殿は仕事を終え、帰ってきたのは11時頃。

すると、家の前でハザードライトをつけた車が止まり、

その車の前を、50代くらいの男の方が行ったり来たりしていた。

婿殿が「どうしました?」と声をかけると、男性は

「ここから100メートルくらい先に住んでいるが、

ちょうど角を曲がったら車がスリップして動かなくなってしまった」とのこと。

結構、交通量も多い場所なので、JAFが来るまで

車の回りを行き来しながら待っているところだったそうだ。



そこで、婿殿は家に入り妻と一緒にタオルや温かいコーヒーを差し入れたそうだ。

午前零時過ぎ頃にJAFの方が来て、車は移動できたらしかった。



後から様子を見に行ったところ、

コーヒーポットと、高級そうな外国のチョコレート菓子が置かれていたそうだ。

そして、「温かいコーヒーと心をいただきました」という

メッセージを添えて・・・・・

婿殿も、心がほっこり温かくなった・・・と書いていたが、

ばばも、とっても嬉しく、ホボボノした気持ちになり

いつもはじじを虐めているけれど、

今日はちょっぴり優しくしてあげようかなぁ・・・と思った。



困っている人に温かい心遣いをしてあげた婿殿と我が娘を

うんと褒めてやりたいと思った。

お節介は迷惑になるかもしれないけれど、

本当に困っている人に、さっと手をさしのべられるっていいですよね。



ばばは「お節介ばば」と家族からも揶揄されているけれど

娘夫婦を見習わなくちゃ!



ばばも、困っていた時に見知らぬ方から助けてもらって

嬉しかった事がたくさんある。

助けてもらったその人に

直接お返しをすることはなかなかできないけれど、

別に困っている人を見かけたら、手を差し伸べてあげようと思う。

温かい心が繋がっていけば、きっと住みやすい地域になるよね。

もっともっと広がれば、日本中が温かく住みやすい国になるよね。

一人の行為は小さくても、積み重ねていくことが大事だと思うなぁ・・・

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

1日遅れだけど・・・・

by ばばの日記

徳之島じじとばばのブログ


12月22日(木)曇り時々小雨

昨日は、次女みーさんの誕生日だった。

普通、水曜日は休みなのでつながるかな?と電話したけど留守電。

今週は金曜日が休みなので出社だったということで、

つながったのが夜8時過ぎ。

三女さんと二人で祝杯?いや、ディナー中だった。

「お誕生日おめでとう〜」とじじとばばが交互に話した。



「○○年前の夜7時過ぎ頃、みーさんは誕生したんだよなぁ・・・」

今、大都会で頑張っている姿を思い、感慨深いものがあった。

外見も内面もばばと一番似ていると家族からは言われるけれど・・・

そうかなぁ?

おっちょこちょいな性格はばばと似て、

理系なところは、じじと似ていると、ばばは密かに思っている。



みーさんの誕生で一番印象的だったのは「名前」。

長女は当時の連続ドラマのヒロインの名前が良いと

じじとその仲間で決定。

次女の名前は・・・・じじは、じじが決めたと言い

ばばは自分が考えたと思っているが、

今では、じじが考えたことにしている。

ばばの父の名前をそのままもらって付けた。

・・・と言っても、父はもちろんで男なんだけど、

その名前をひっくり返すと女性の名前になるんだ〜。

名付けた後、父はとても喜んでくれたし、

ばばもとても良い名前だと思っている。



みーさんは中学までしか徳之島にいなかったので、

共に生活した時間は15年間・・・

いや、1年半はじじとばばが加計呂麻で生活していたので

1年半はじじ両親が育ててくれたんだよね。

だから、正確には約13年。



いつの間にか子供は成長し、親元を去り、

お互い離れてみて、いっそう愛おしさが募る。

もっと、もっといろいろなことを話したり、聞いたり、

教えたりしておけば良かったと思うけど、

いつの間にか子供は親を超え、独り立ちしていく。

寂しい反面、嬉しくもある。

女の子は、母親の相談相手にもなってくれるし

同姓だと言うことで、何でも話せる。

娘達の生き方に干渉はしたくないけれど、

親として子供がいくつになっても遠くから見守っていたいと思う。

そして、もし子供達がSOSを発する時はできる限りのことをしてあげたいと思う。



今では、娘達が帰省するたびにじじとばばが

いろいろ教えられることが多い。

「老いては子に従え」っていう諺もあるけれど

自分の「老い」を認めたくは無いけれど

これからは、娘達の言うことにも素直に耳を傾けなくちゃ・・・と思う。



・・・と言いつつ、「お母さんは、絶対謝らないよね」と言われるばばだから、

どこまでも我を通す「頑固ばあさん」になるかもしれないなぁ。



親から見ても、みーさんは頑張りすぎるような気がする。

だから、もう少し肩の力を抜いてほしいな。

小さい子供じゃないし、親から色々言う年齢でもないけれど、

とにかく健康に留意し、日々過ごして欲しい。

1日遅れになってしまったけれど、

「誕生日おめでとう〜」

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

誕生日に、お母さんがお父さんになる?

by ばばの日記

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12月15日(木)曇り時々小雨

夕べは11時過ぎ寝床に入ったのになかなか寝付かれなかった。

本を2冊読んでも眠れない。

ラジオを聞いても眠れない。

「まっ、いいか。年に何回かはこんなこともあるさ。

眠らなくても、横になるだけで体は休まる」と言うから・・・・

・・とは思っても、横でスースー寝ているじじが羨ましい。

ダメモトで、話しかけてみた。

「じじ〜眠れないんだけど・・」

「うん・・・」

「寝なくたって大丈夫だよね」

「うん・・」

「起きて片付けでもしようかなぁ・・・」(実は心にもないことを言っちゃった)

「うん」

ばばが言うこと全てに「うん」と返すじじ。

へぇ〜寝ていても、反応するんだねぇ。

返事しないと、ばばが怒ると思って「うん」を繰り返しているのかなぁ・・・



時計は、1時を回り、2時、3時。

ついに4時の時報を聞いた。

それでも眠れないので、ふと「今日は長女の誕生日だし、

おめでとうメールでもしようかな?」と一瞬思った。

でも・・・真夜中(早朝に)メールしてもねぇ・・・

思いとどまった。



そこで・・・・

起きてすぐ、じじにも「今日はハナさん(長女)の誕生日だよ〜」と言うと、

「あっ、そうだったねぇ」ってさ。

朝食時・・・ハナさんに電話。

「おめでとう〜」を言った後、孫達の様子を聞く。

笑ったのは、次男坊、リョウタンの言動。

しばらく前、娘が「最近は行動とかだんだん男っぽくなってきて・・・」と

婿殿と話していたのをリョウタンも聞いていたらしい。

夕べ、婿殿が「明日はお母さんのお誕生日だよ」と言ったらしい。

それを聞いたリョウタン、急に泣き出して

「え〜〜っ、じゃぁ、お母さん男になってしまうの」って言ったんだって。

「最近、男ぽくなってきた・・・」という母親の会話から

どうして「誕生日に、性転換・・」って発想に結びつくんだろう?

子供の発想って、本当におもしろいね。

何時までも泣くリョウタンにお兄ちゃんのシュンが

「リョウタン、お母さんが男になるわけないだろ。

もしお母さんが男になったら、この家は、お父さんが二人になってしまうんだぞ。

そんなこと、あるはずないだろう」ってさ。

アハハ。想像するだけで楽しいな。

ハナさんも「お父さん」になり、婿殿と「ふたりお父さん」になったらさ。



こんな純な子供時代が、じじやばばにもあったかなぁ・・・・・



ハナさん、今日は元の職場の大先輩から誘われて、一緒にお食事するんだって。

退職して、もう10年もなるのに声をかけて下さる大先輩の存在ってありがたいね。






今、お昼の2時過ぎ。

ハナさんが生まれたのは夕方だったから、まだ陣痛も来ていなかったなぁ・・・と

思いながら、このブログを書いているよ。

生まれた時、あまりに痩せていて、なかなか産声も上げず、

義父が加計呂麻にいたじじに、

「おい、この子はあきらめた方が良いぞ」って電話で言ったというエピソード、

今でも、じじがばばに話すことがあるよ。

そんなハナさんが、今はドッシリとしたお母さん。

子育てとか、色々悩みもあるだろうけど

必ず、誰かが手をさしのべてくれるし、時間が解決してくれることもたくさんあるよ。



ばばは、いつも思う。

「家族や周囲の方々」への感謝の気持ちを忘れないハナさんであって欲しい。

体に気をつけて、山あり谷ありの日々を力強く進んでいって欲しい・・・と。



ハナさん、お誕生日おめでとう!!!!!!!!!!!

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

by ばばの日記

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9月20日(火)曇り時々雨台風15号の余波あり

兄はばばが高校を卒業して、2年後結婚した。

ばばが居なければ、もう少し早く結婚していたかもしれない・・・



結婚して女の子が誕生。



兄は、その後、奄美市・国分・鹿児島市と転勤した。

その間、ばばも卒業し就職、結婚。

結婚し、子供が生まれてからも家族で兄の家を訪ねた事が何回もあり

その都度、代歓待してもらった。

じじと嬉しそうに晩酌をしながら語らっていた兄の姿が懐かしい。

男兄弟の居なかった兄にとって、

じじは可愛い弟のような存在だったんだろうね。



どこまでも温厚な兄だったが、

仕事にはいつも始発で出勤していたそうだ。






昭和63年4月。

兄は高校から県立図書館へ転勤した。

部署が「地方奉仕課」というところで、

これからは、おじいちゃんおばあちゃん達と交流できると

大変喜んでいたそうだ。

兄は高校から島を出て、仕事も高校勤務だったので

なかなか島へ帰ることができず、

年老いた両親のことを凄く気にしていたのだそうだ。

ゆくゆくは、島の高校で定年を迎えたいというのが

兄の希望だったと思うが、その夢は果たされることが無かった。



転勤からわずか半年後の9月。

出勤前に歯磨きをしていて、急に体調が悪くなり兄は救急車で病院へ。

仕事中のばばに一報が入ったのは朝の9時過ぎだった。

奇しくも、ばばは「命の大切さ」について子供達に語りかけていた時だった。

電話を受けた時は信じられなかった、イヤ、信じたくなかった。

すぐに家に帰り、旅支度を調え姉と二人飛行機に飛び乗った。

しかし・・・・病院へ駆けつけた時、

兄は気管切開をされ、既に意識は無くばば達の呼びかけに答えることは無かった。



それから5日後、兄は遂に遠い旅へ旅立ってしまった。

それまで「身内の死」に立ち会ったことの無かったばばを

筆舌に尽くしきれない、悲しさ・悔しさが襲った。

「人の死」ってこんなにあっけないものなのか?

兄の枕元で、涙が涸れるほど泣いた。

たった一人の兄さん。

暴走ばばを、いつも見守り適切なアドバイスで

ばばを導いてくれた兄さん。

いくら泣き叫んでも戻らないことは分かっていても

ただ泣くだけしかできなかったばば。

心ならずも最愛の妻子を残して先立たなければならなかった兄。



答えは期待できないのに、どうして?どうして?と

繰り返さずにはいられなかったばば。



年老いた両親・まだ若い奥さん・二十歳を目前に控えた愛娘を残し

先立った兄本人が、どんなにか悔しかったか察するに余りある。



兄夫婦は本当に仲が良かったし、一人娘を溺愛していた。

残された姉母子の、兄亡き後の心中も又察するに余りある。



兄の葬儀の日に義姉のお兄さんからばば達に

「お兄さんは亡くなったけれど、

これからも今まで同様、妹(義姉)と仲良くして欲しい」と言われた。

その言葉をばばは決して忘れない。

今でも姉を尊敬もしているし、頼りにもしている。





兄が亡くなって、昨日で23年。

幾多の風雨に耐え姉は一人で本当によく頑張った。

その間、一人娘Aちゃんも結婚し、二人の女の子の母親として幸せに暮らしている。

今のAちゃん夫婦や、Aちゃんの子供達を兄が見たら何と言うだろう?



じじとばばも話す。

兄に可愛がってもらった我が三姉妹の成長した姿を兄に見てもらいたかったねって。



優しかった兄。

だから、今はいつでも天国から姉やAちゃん家族、

そして、ばば姉や、ばばの家族を見守ってくれていると信じている。



夕べ電話の終わりに姉は言った。

「ばばちゃん、夫婦の仲が良いのが一番よ。

何と言っても最後は夫婦だよ。

だからじじさんを大事にし仲良くしてね」って。



兄亡き後、一人で23年間頑張り、耐えてきた姉の言葉だけに重い。

最近、やたらと強気になり、じじを虐げているばば。

ちょっと、この辺で反省しなければいけないかなぁ?

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

孫達が帰った

by ばばの日記

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8月26日(金)曇り時々豪雨

2週間、じじとばばを楽しませてくれた孫ふたりが今日帰ってしまった。

孫達が2週間ほぼ毎日のように歌っていた「ポケモンの名前言えるかな」の歌も

ハミングで一部分だけ歌えるようになった。

好きなDVDも分かった。

夜、ばばの布団にふたりで入ってきて、

折り重なるようにして寝たり、じじと400メートル走したり

海へ何回も通ったり・・・・

毎日がバタバタで忙しかったけれど、楽しかった2週間。

孫ふたりが帰り、じじとばばになると、何だか部屋が広く感じられ

寂しい。

子供の声が溢れているって少々うるさくても良いもんだな・・・






今日、娘母子3人は13時少し過ぎの飛行機で帰ることに・・・・

帰る前にし残したことがあると、孫シュンが言うので

「何?」と聞くと「じいじじじ(ひい爺ちゃん)に会ってないこと」と言うので

空港へ向かう前に、まず、介護施設で暮らす「ばあばばば(ひいばあちゃん)」に会って

それから入院中の「じいじじじ」に会う計画で11時前、家を出発。

ところが、車が動き出すやバケツをひっくり返したよりも凄まじい猛烈な雨が・・・・

空一面、真っ黒い雲が覆い尽くしている。

ワイパーを最速で動かしても、フロントガラスが曇って前が見えないくらいだ。

仕方がないので、ライトを点けゆっくりゆっくり車を走らせた。

道路脇からは水が噴き出し、雷が鳴り、稲光も走る。

孫リョウは怖がって後部座席で、ばば姉の膝に突っ伏している。

いつもより時間をかけて義母がお世話になっている施設に着いたが

あまりに雨が激しいので、娘だけが降りて面会してくることに・・・・

傘を差しても絶対濡れる・・・・

旅は長いのに、濡れて体調でも崩したら大変だ・・・・

やきもきするばばだけど、ここまで来て祖母と面会させずに娘を帰すことは出来ない。

娘は傘を差し、施設の中へ・・・

しばらくして出てきて、今度は病院へ向かう。

病院では地下駐車場があるので、そこへ車を止め娘と孫は祖父の病室へ。

娘が呼びかけると、義父は、うっすら目を開け気づいたようだったと・・・

面会を終え、一路空港へ、走る走る。

しかし雲はまだまだ厚く、雨も止まない。

飛行機は飛ぶだろうか?



心配しながら空港に到着。

空港は、そんなに雨も降っていなくて薄曇り。

飛行機は予定通り飛ぶだろう・・・・

ばば達は、空港横の干潟で見送ることを約束して娘母子と別れた。



干潟で撮影をしながら空港の方を見ると、もう飛行機は滑走を始めていて

見る見るうちにばば達の前を東の方へ遠ざかっていく。

ばばは両手を挙げて一生懸命振った。

娘や孫が見ていることを信じて・・・・・



娘達を送り帰って来たが、途中娘から何回もメールが入った。

7時すぐには家に着くだろう・・・とも。

ところが、それからしばらくすると

羽田空港上空の空模様が極端に悪くて、着陸できず

1時間くらいも名古屋上空辺りを旋回していたとメール。

やっと、着陸したかと思ったら大雨で荷物は重いし

子供ふたり連れで、悲鳴を上げている様子のメールが。。。

大変だけど、どうしようもないしね。

9時少し前だったかな?

やっと、家に着いたとメールが。

疲れ果てている様子の娘。

明日から体調を崩さなければ良いがと案ずるばば。

何はともあれ、今夜はゆっくり休んで!

明日からまた戦争のような日が始まるんだから。



娘の帰省で帰りがこんなに大変な状況になったことは初めてかもしれない。

2時間遅れくらいでも、無事家に帰れて良かった良かった。

何と言っても自分の家が一番だものね。

2週間羽を伸ばさせてもらった分、明日からはご主人の世話をしっかりしてあげてね。

徳之島じじとばばのブログ  主管理者 ibuchanじじ&ばば

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